大坂なおみ選手「黒人差別抗議マスク」に対する違和感と2つの危惧

無観客開催ながら開幕したテニスの全米オープン。1回戦に登場した大坂なおみ選手の入場時のマスクには、就寝中に警察の銃撃を受け亡くなった黒人女性の名前が刻まれていました。試合後、7人の名前入りマスクの用意があると明かし、決勝まで勝ち進む意欲と、世界にアメリカの黒人差別問題を伝えていく意思を示した大坂選手。国内外で賛否両論の声が上がっているこの行動ですが、サッカー情報メルマガ『J3+ (メルマ)』著者のじじさんはどちらかと言えば否定的に見ていると言います。その理由は何でしょうか?

大坂なおみ選手の騒動について思うこと

テニスの4大大会の1つの全米オープンが開幕したが男子の錦織圭は、先日、新型コロナに感染していることが判明した。数日前にようやく陰性と診断されたが準備期間が足りずに残念ながら参加を見合わせた。必然的に日本国内では女子に注目が集まるが日本人対決となった大坂なおみと土居美咲の試合は2対1で大坂なおみが勝利した。世界ランキング9位の大坂なおみが順当に2回戦に進出したが世界ランキング81位の土居美咲が健闘した。格上相手に2セット目を取って3セット目まで持ち込むことに成功した。

全米オープンとしては26年ぶりの日本人の女子対決だったが大坂なおみには今大会も上位進出が期待される。「3度目の4大大会制覇」を期待しているファンは多いと思うがここ最近の大坂なおみはどちらかというと「コート外の出来事」が話題の中心になっており、先日まで行われていた大会の準決勝をボイコットする?しない?が日本でも大きな話題になった。結局、準決勝はプレーして勝利。決勝戦に進出したが怪我のため決勝戦は辞退することになった。ボイコット騒動に関しては特に日本国内では賛否両論あった。

8月23日(日)にアメリカのウィスコンシン州というところで黒人の男性が警察官に背後から撃たれたことに対する抗議活動は全米各地で続いている。州最大の都市であるミルウォーキーで活動するNBAのミルウォーキー・バックスが試合をボイコットしたのに続いて、WNBAやメジャーリーグの試合もいくつか中止になっている。大きな騒動になっているが大坂なおみは全米オープンの1回戦で3月に寝ていたところを警官に踏み込まれて射殺された黒人女性、ブレオナ・テイラーさんの名前が刻まれたマスクを着用したという。

ボイコット騒動に続いてマスク騒動が話題になっているが「さすがにやりすぎなのでは?」と感じる人は多いだろう。もちろん、黒人差別に限らず、差別というのは絶対的に良くない話である。差別を容認する気持ちは一切ないが、やはり、彼女はアスリートである。活動家ではない。「ボーイフレンドの影響を受けてこういう活動にエネルギーを注ぐようになったのではないか?」とも言われているが、やりすぎると自身のイメージが傷つくだけでなくテニスプレーヤーとしての競技生活にも大きなマイナスの影響が及ぶだろう。

狙った女性を「ほぼ確実に怒らせる」プレゼント。逆をすれば勝ち確か?

男性から女性へのプレゼントは、とても気をつかいますよね。でも、実は男女でプレゼントの「価値」の捉え方が違うことをご存知でしょうか。メルマガ『毎月1000人集客するプロ講演家が教えるコミュニティづくりの秘訣』の著者でベストセラー作家・起業家の岡崎かつひろさんは、自身のメルマガで、男性が女性へプレゼントを贈る際の注意点を伝授。さらに、男性が女性へかける「褒め言葉」がセクハラにならないためのコツも教えてくれています。

男はプレゼントを金額で数え、女は回数で数える

男性と女性は、プレゼントの受け取り方に違いがあるって知っていましたか? 男性は、プレゼントそのものの値段に価値を感じるんです。例えば1番わかりやすいもので言うと、金額。男性は「いくらのものをもらったか」ということが大事なんです。

これに対して、女性は金額ではなくてプレゼントを受け取った回数で愛情を数えるんです。男性と女性とでは単位が違うんです。男性からすると、「3万円のディナーに1回彼女を連れて行ったとか、5万円のカバンをプレゼントした」から、俺は彼女に対して結構頑張ったかなと思うんです。それに対して女性はその時すごく喜んでくれると思うんですけど、記憶の世界ではどうなっているかと言うと、「彼は私に2回プレゼントしてくれた」と言うカウントの仕方をしているんです。

女性には、記念日はもちろん渡すにしても、日頃からちょっとしたプレゼントを渡してあげたほうがいいんです。

たとえば彼女が先日チョコレートが好きだといっていたとしたら、次に彼女に会うときに「この間、ちょうど限定のチョコレートを売っていたから買ってきたよ」といって買ってあげる。その「いつも思ってくれている」とか、「手間ひまかけてくれた」ってことが女性にとっては嬉しい。

でも男性は金額で物事を測ってしまっているから、「プレゼントって面倒くさいな」と思って、「ちょっと高いもの買っとけばいいかな」というふうになるんですよ。なぜかと言うと、男性は金額で愛情を図っているから。そうすると、女性にキレられますね。僕もわかってるんです(笑)。知識はあるんです、知っているのと実践することは別問題ですね。

プレゼントの値段は高ければいいってもんじゃないんですよ。「いつも私のことを思ってくれている」ということが大事です。男性は大変なんです。いつも地雷を踏みそうになりながら、生きていくんです。別に毎回なにかあげればいいという物じゃないんですよ。何も物だけじゃなくて、ちょっとした変化に気付けるかというのでもいいんです。

「アラジンで落ちない女はいない」精神科医が発見した恋愛の法則とは?

老若男女問わず人気のあるディズニー映画「アラジン」。なんといってもアラジンとジャスミンのロマンティックな恋愛模様が魅力ですよね。今回の無料メルマガ『セクシー心理学! ★ 相手の心を7秒でつかむ心理術』では、著者で現役精神科医のゆうきゆう先生が、アラジンの「魔法のカーペット」は恋愛のための最強アイテムだと心理学的に分析。そして、この恋物語を現実に応用する方法も紹介しています。

心理学的に、アラジンの魔法のカーペットで落ちない女はいない

こんにちは。ゆうきゆうです。

さて僕は、ディズニー映画をときどき観るんですが。中でも「アラジン」が大好きなんです。特に少し前に出た、実写版アラジンなんて、何度も見ています。色々な曲がありますが、お姫様(ヒロイン)の歌う「スピーチレス」とか、ジーニーが歌う「プリンス・アリ」など素晴らしいです。

しかしアラジンの曲と言えば何よりハズせないのが「ホール・ニュー・ワールド」。アラジンが、お姫様と共に、魔法のカーペットに乗って空を飛んでいきながら歌う歌です。

ここでね、すごく思うんです。これ何より重大な疑問なんですけど。

あのですね。「この状況で落ちない女性っていないんじゃないか?」と。

それこそ「アラジンの魔法のカーペットで空を飛んでる状況で落ちない女性いない説」を提唱したい。いや本当に。

あ、「落ちる」って、別にカーペットから落ちるとか、そういう物理的な話じゃなくて。分かってると思うんですけども。恋愛的に落ちるというか。あの魔法のカーペットに乗りながら、恋愛的に誘って、OKされないことってないんじゃないかと。

個人的に「ホール・ニュー・ワールド」って「すべてが新たな世界」って意味ですから、それを二人で歌ってるって、もうまさに性的に色々した、みたいな暗喩だと思うんです。それをさすがにそのまま全国の子供たちに届けるのはアレでは、という物言いが入って、ボカす形であの二人で歌うシーンに変わったんじゃないかと。そんな風に推察してます。考えすぎですか。

そもそも魔法のカーペット、絶対に柔らかいですからね。地面にしかれたカーペットなら固いですけど、空中ですからフワフワしてますからね。

アラジンはギリシャ神話とかと同じく、民族的に伝わる言い伝えで作られた話ですけども。たぶん最初は「魔法の床板」とかだったのが、途中の伝言ゲームで「魔法のカーペット」に変わったとにらんでます。

シレッと。シレッとちょうどいい柔らかさに。もう全部の状況が整ってます。

“菅総理”リーク情報と13年前のウソ。自分の歴史まで修正する安倍の虚言癖

8月28日に行われた会見で、総理大臣辞任の意を固めた理由を「13年前の辞任時と同じ潰瘍性大腸炎の悪化」とした安倍首相。マスコミ各社も同様に報道していますが、事実とは大きく異なっているようです。今回のメルマガ『きっこのメルマガ』では人気ブロガーのきっこさんが、第一次政権を「投げ出す」際に安倍首相自身が語った辞任の理由と、批判を受けた後に行った姑息な「歴史修正」の手口を紹介するとともに、先日の辞任会見に対して鋭い批判を展開。さらに「ポスト安倍」が菅義偉官房長官に決定したウラ事情を、官邸に太いパイプを持つ知人記者からのリーク情報をもとに分析しています。

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60兆円 世界にばらまき 成果ゼロ。安倍首相の負の遺産で日本は終わるのか?

安倍首相の辞任会見に容赦ないツッコミ!

前回、8月26日に配信した第84号の「今週の前口上(「60兆円 世界にばらまき 成果ゼロ。安倍首相の負の遺産で日本は終わるのか?」)」では、「負のレガシーだらけの安倍政権」と題して、連続在職日数が憲政史上最長を達成した安倍晋三首相が、これまでの2,799日で何を成し遂げたのが、徹底検証しました。しかし、その2日後の28日、安倍首相は記者会見で辞任の意向を固めたと発表しました。そのため今回は、前回の続きのような「前口上」になってしまいますが、最後まで読んでほしいと思います。

さて、世の中は冷たいもので、安倍首相が辞任を発表した直後から、新聞各紙もテレビのワイドショーも「ポスト安倍」一色となり、まだ現職の安倍首相は「過去の人」になってしまいました。まるで「今も安倍晋三が首相である」ということなど忘れ去られてしまったかのようです。とは言え、『きっこのメルマガ』としても「ポスト安倍」の話題に触れないわけには行きませんので、今回は、まずは8月28日の辞任会見の内容にフルパワーでツッコミを入れさせていただき、最後に「ポスト安倍」にもサラッと触れたいと思います。

今回の安倍首相の会見内容がすべて事実だとすれば、安倍首相は自身の連続在職日数が憲政史上最長になった8月24日に、誰にも相談せずに自分1人で辞任を決めたそうです。しかし、毎度のことながら安倍首相の会見は嘘だらけなので、この説明をそのまま鵜呑みにはできません。安倍首相は今回、自身の健康問題について、まずは次のように述べました。

「13年前、私の持病である潰瘍性大腸炎が悪化をし、わずか1年で突然総理の職を辞することとなり、国民の皆様には大変なご迷惑をお掛けしました」

今回、マスコミの報道も「13年前の第1次安倍政権の時と同じく、今回も潰瘍性大腸炎で~」というものでした。でも、安倍首相が2007年9月に政権を丸投げした時、安倍首相は病気だなんて一言も言っていません。あたしはリアルタイムで会見を見ていましたが、安倍首相は「民主党の小沢(一郎)代表が党首討論に応じてくれないので、このままでは国会を運営できない。だから私は辞任する」と説明しました。これはちゃんと映像記録に残っています。

当事、辞任会見の直後から「無責任だ!」「丸投げだ!」「民主党のせいにするな!」という批判が相次ぎました。すると安倍首相は、自民党の広報紙である産経新聞を使って「独占インタビュー」という形で「実は潰瘍性大腸炎という難病で、それが辞任の理由だった」と報じさせたのです。突然の辞任で国会を2カ月も空転させてしまうのは「民主党が原因だ!」「小沢一郎のせいだ!」と言っておきながら、批判されたとたんに「実は難病だった」だなんて、何という卑怯な「後出しじゃんけん」なのでしょうか?

百歩ゆずって、正式な会見をひらき、まずは「民主党の小沢代表が党首討論に応じてくれないから」と言ったのは嘘だったと認めて民主党と国民に謝罪し、その上で本当の理由を説明していたら、あたしも納得したでしょう。しかし、安倍首相は特定の新聞にだけこっそりと報じさせたのです。そんなものは到底受け入れられません。仮にも一国の首相が辞任するというのに、まるでケータイで「今日で仕事やめま~す」と職場にメールするような軽薄さです。

それなのに、今では「難病が原因で仕方なく辞任した」ということが、あたかも「正式発表された内容」であるかのように独り歩きしているのです。そして、本人までもが平然と口にしているのです。さすがは歴史修正主義者ですね。もちろん、難病はお気の毒だと思いますし、早く良くなってほしいと思います。しかし、安倍首相が難病であることと、嘘の理由で国民を欺いて政権を丸投げし、後からこっそり修正した事実とは別の話です。ま、13年前のことをいつまでも言っていても先へ進まないので、この辺にしておきますが、続いて安倍首相は、次のように述べました。

女の敵は女?最後まで「女性活躍」を実現しなかった安倍政権の本音

以前掲載の「日本121位の衝撃。男女平等度ランクで中韓にも負けている現実」でもお伝えしたとおり、2019年の「男女平等度ランキング(男女格差報告)」で153カ国中で121位と、中国や韓国にも大きく後れを取った日本。「すべての女性が輝く社会づくり」というスローガンを掲げながら、なぜ安倍政権は7年8ヶ月もの間、「女性活躍」を進めるどころか後退させるという事態を招いてしまったのでしょうか。健康社会学者の河合薫さんが自身のメルマガ『デキる男は尻がイイ-河合薫の『社会の窓』』で今回、その理由をさまざまな角度から検証・考察しています。

プロフィール:河合薫(かわい・かおる)
健康社会学者(Ph.D.,保健学)、気象予報士。東京大学大学院医学系研究科博士課程修了(Ph.D)。ANA国際線CAを経たのち、気象予報士として「ニュースステーション」などに出演。2007年に博士号(Ph.D)取得後は、産業ストレスを専門に調査研究を進めている。主な著書に、同メルマガの連載を元にした『他人をバカにしたがる男たち』(日経プレミアムシリーズ)など多数。

ショーケースに並べられた“女性政治家”たち

安倍首相の突然の辞任表明で、第2次安倍政権が幕を閉じることになりました。

あちこちで色々な人が色々なことを書いていますが、7年8ヶ月という長期政権で全く変わらなかったことの一つが「女性活躍」です。

といっても、もうすでに日本社会には「女性活躍って何だっけ?」的な空気が漂っていますよね。…ひょっとしてこれが「女性活躍」の狙いだった?なんて、うがった見た方をしたくなるほど女性活躍は進みませんでした。

改めて言うまでもなく、この7年8ヶ月で、女性活躍に関する世界的な順位は年々下がっていってしまいました。この数年は、「あ~、またビリか」ってな具合に報道すらされなくなりましたし、7月には「え?それやっちゃうんだ?」という信じられない出来事があったのに、小さな囲み記事で伝えられただけでした。

なんと「社会のあらゆる分野で2020年までに、指導的地位に女性が占める割合を30%以上にする目標を確実に達成する」という文言が「できるだけ早期に達成する」にいう、全く意味のないフレーズに変えられたのです。

あれだけ「女性を輝かせる!」と豪語し、「女性活躍はトイレから!」などと“自称トイレ大臣”まで誕生したのに…、本当、なんだったんでしょうか、女性活躍。

まぁ、最初からキャンペーンのようなものでしたから、当然の末路なのかもしれません。

そもそも2012年の第2次政権の発足時に、野田聖子氏を総務会長に、高市早苗氏を政調会長に抜擢しましたが、自民党のリーダー的立場のお二人の「数値目標」への見解は大きく異なっていました。

某テレビ番組で、高市氏が「法的拘束力を持たせれば、女性の絶対数が少ないので人事に無理が出る。米国では黒人や女性を優遇した政策に対して逆差別だという議論も出た。慎重にしなければならない」と、数値目標に懸念を示したのに対し、野田さんは次のように強く反発。

「強制的に枠を作らないと女性が活躍する場所が生まれてこない。数値目標を持たないと、いつまでも有能な女性を生かしきれない社会が続く。韓国では女性に下駄を履かせる形で女性議員を増やした結果、女性大統領が誕生できたと私は推察している。まずは数を確保すること。社会の中枢で働く人たちが女性であり、職場で結婚、妊娠、出産、育児が当然のものになれば、あえて無理をしなくとも社会で女性が活躍できるように移行していくのではないか」と。

つまり、政府が掲げた「2020年に30%!」という数値目標達成のやり方にも、その数値目標自体にも、女性リーダーの間で認識が異なっていることが露呈したのです。

ところが、この問題は「女の戦い」にすり替えられてしまいました。お二人の女性リーダーの議論は、男性陣にとって格好のネタとなり、翌日メディアは一斉に、“女性活躍バトル勃発”などと報じたのです。

お二人は夫婦別姓問題の時にも、高市さんが「反対」、野田さんが「賛成」で対立したこともありましたから、「やっぱさ、女同士は怖いね!」などとほくそ笑んだおじさん方も多かったように記憶しています。

弱者切り捨ての安倍長期政権は、日本の大問題からどう逃げ切ったか?

安倍晋三首相「突然の辞任劇」から5日あまりが経過しました。マスコミなどでは早くも「ポスト安倍」にばかり注目が集まっていますが、長期政権が何を実行し、何をしてこなかったのかという「総括」も重要なことではないでしょうか。ジャーナリストでメルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』の著者である引地達也さんは、7年8カ月にも及ぶ安倍政権が真剣に向き合わなかったことについて、厳しい口調を交えながら振り返っています。

長期政権で乏しかった福祉のメッセージとその罪

安倍晋三首相が辞任を表明し、各メディアが7年8か月の歴代最長の長期政権への総括する中で、障がい者福祉やマイノリティに対する姿勢や政策への評価は大々的に行われていない。

いや、評価対象となる話題も行動もない。

つまり、この政権が真剣に課題化してこなかった、ということだろう。

ニュース映像で登場する国会以外の安倍首相を想像してほしい。災害時に被災地を視察する首相、イベントで満面の笑みでスピーチする首相、外交舞台で国家元首と会談する首相、大企業の工場で生産現場を訪れる首相。そんな背景が思い浮かぶ。

しかしながら、福祉施設での安倍首相の姿は私の記憶にはない。

障がい者と触れ合ったり同じフレームに収まっているような印象はない。

首相自身の口から福祉行政や障害者に関する「ことば」がリアルに伝わってきたこともない。

この長期政権で福祉行政のリーダーのメッセージというエンジンは発せられず、「飛躍できなかった時代」ともいえるかもしれない。

日本の福祉政策は障害者に関する社会的認知度は停滞したまま、障害者が地域で生きやすい状態に向けては発展途上にある中で、安倍政権は福祉政策の「進展の可能性」に非常に重要な時期と重なっている。

第一次安倍政権時の2006年に施行された障害者自立支援法は名称通り「自立」に重きを置き、「自分らしく生きる」という本来誰でも持つ権利から離れた考え方に反発があった。

自立の象徴として福祉サービスの自己負担を導入し、その結果、福祉サービスで就労した工賃よりも利用者が支払うサービス料が多いなどの問題点が指摘され、12年に部分改正を行い、改称されたのが障害者総合支援法であった。

これが第二次安倍政権時代である。

障害者が一般企業に就労させることを奨励し、企業の法定雇用率を上げ、福祉サービスの就労移行支援や就労後の定着支援も整備し、障害者をタックスペーヤーにするべく策が講じられているが、このようなミクロの動きは、経済優先のベクトル中で描かれた制度の上に乗った策であり、そこにリーダーのメッセージはなかった。

おそらく首相に関心がないのだろう。

遥かに望む北アルプス。安曇野(あずみの)エリアはどこからどこまで?

今夏は新型コロナウイルスの影響もあり訪れる人の数は減ったものの、避暑地として絶大な人気を誇る長野県安曇野地方。平成の大合併のさなかの2005年に誕生した安曇野市ですが、ではその市域以外は「安曇野」とは呼ばないのでしょうか。今回の無料メルマガ『安曇野(あづみの)通信』では著者のUNCLE TELLさんが、「地域的、歴史的に安曇野たるエリアの枠」を探っています。

安曇野はどこからどこまで

私が松本に住んでいた幼少年時、まだ安曇野という呼び方は一般的ではなかった。しかし、安曇の方とか、松本平に続く安曇平(あづみだいら、あずみで~ら)という言い方はされていたように思う。

良く知られたことだが、安曇野という呼び方の普及に決定的な役割を果たしたのは臼井吉見の小説のタイトルになり、出版され広まったことは間違いないだろう

だがこの“安曇野”は、『探訪・安曇野、その旅と歴史ロマン』の著者、中島博昭さんによれば、別に臼井吉見の造語ではないという。すでに明治の末、武者小路実篤の手紙にも「安曇野」の言葉が残っており、また、昭和2年、若山牧水が『夏の安曇野』と題した短歌を発表しており、地元の文化人も何人か使っている例があると言い、このようなことから明治末頃から、文人好みの呼称として一部の人たちの間では、使われきたのだろうと推察している。

臼井吉見がこの事実を知っていたかわからないが、書名に使うことによってほんの一部の人たちがいわば通好みで使っていたこの言葉が、大衆化したのであるようだ。臼井吉見の長編小説『安曇野』は、初め「中央公論」に掲載、後に「展望」に連載されたものが、1965(昭和40)年第1部が、最後の第5部が1974(昭和49)年に筑摩書房から刊行された。単行本、文庫本合わせて37万部あまりが売れたという。

なお臼井吉見の小説『安曇野』は、東京・新宿、中村屋の創始者、相馬愛蔵・良(黒光)夫妻を中心に、明治・大正・昭和に渡って生まれ故郷、安曇野に絡む人々を描いた大河長編小説である。初めてそのペンを執ったのはもう59歳の時。以来、病で中断を余儀なくされた時期もあったが、68歳まで書き継ぎ、ようやく第1部から第5部の大作を完結した。

昭和40年代に、最初(?)の安曇野ブームが起きる。この“安曇野ブーム”を創り出したのは、臼井吉見の『安曇野』の出版、それにNHK朝の連続テレビドラマ『水色の時』(1975・昭和50年、このドラマで大竹しのぶがTVデビュー)の放映も大きく、これによってこの地域は改めて見直され、一躍全国的な観光地になったというのである。

このブームは、地元住民側の熱意や機運が盛り上がって創り出したものではなく、むしろ外から入ってきたものだと中島博昭さんは考察する。そして、地元の人々は安曇野の魅力に外から気づかされたのだという気がするとも語る。例えば、観光客はよく道祖神めぐりをするが、彼らは場所や由来などに大変詳しかったりするが、地元の住民でも知らない人は大勢おり、むしろ外の人に教えられながら安曇野を知り、その良さを再確認して行くかたちになっているというのである。

テストの点数ではない。現代人に求めらる「本物の賢さ」2つの要素

一般的にはテストで高得点を取る児童が「頭のいい子」と評されますが、その能力と現代社会で求められる「本質的な賢さ」にはズレがあるようです。テストの点数では測れない能力とは、一体どのようなものなのでしょうか。今回の無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』では著者で現役小学校教諭の松尾英明さんが、その「求められる賢さ」について考察しています。

再生能力だけでなく、問題設定・解決能力を

「頭のよさ」に関する教育観について。

子どもたちの「〇〇さんは頭がいい」という認識を見ると、偏りが見られる。単純に、テストの点数で見ていることがかなりある。

この見方は、子どもに限らないかもしれない。

テストで点数が取れる。これについては、大抵は「再生能力」に左右される。要は、お手本通りに再生できるかどうかである。レコーディング機能のあるものや、CDプレーヤーやDVDプレーヤーなどは、この面において最強である。

漢字テストはその最たるものであるし、算数、数学のテストのほとんどはそれである。だから、取り組んだ回数がものをいう。多く問題に取り組んでいる方が、再生能力は高まる。

あらゆる「習い事」も、読んで字のごとく、やはりこれである。習うのだから、倣うこと、模倣からである。お手本を見て、型を覚える。そのために、同じ練習を繰り返し繰り返し行っていく。単純作業である。

つまりは、小学校や中学校段階で周りから「頭がいい」、昔なら「神童」と評されるには、いかに繰り返すことができるかである。当たり前だが、単純にそれを好きでやっている子どもが最強になる。あるいは、ひたすら単純作業を淡々と続けらえる子どもも、この能力は強化される。親の命令に従順な場合、親の願いを読んでしまう場合も、しばらくはもつ。

要は、あらゆる学習の第一段階をクリアするには、量をこなす必要がある。この第一段階クリアの状態が、小中学校時代に「頭がいい」と評される条件である。

だから、テスト自体には意味がある。テスト、試合、本番があるからこそ、そこに向けてクリアしようと意欲も湧く。一つの能力を高める側面があるといえる。

再生能力が高いというのは、それはそれで大切である。特に、決まった動きが必要になる仕事やスポーツなどでは、最も重要な力である。

しかし、今の時代に求められている本質的な賢さというのは、そこだけではない。端的に言って、問題を自分で発見し、解決する能力である。

問題を発見するとは、気付けること。気付けるかどうかというのが、勝負の分かれ目である。例えば日常生活の中でも、問題があるのに気づいていないということはかなり多い。

一旦問題に気付いて課題設定できれば、解決には集団の力で向かうことができる。課題を細分化し、役割分担する、といったチームリーダー的な力が求められる。

これは、再生能力とは違う。社会に出てから「頭がいい」と評される人は、こちらの能力の高い人である(依頼した課題をさっと上手に解決できる人は「腕がいい」と評される)。

学校教育に、高い再生能力が求められた高度経済成長期。それらが通用しなくなってきたという反省に立ち、現在の学校教育はその在り方を大きく変えようとしている。文科省の指針自体は正しいはずなのに、具体が追い付いていない状況が続く。

せめて小中学校現場では、テストの点数で子どもの頭の良し悪しが評されるような風潮をやめにしていきたい。テストの点数は、あくまで再生能力という一つの側面である。テスト中心で子どもが、人間が評価されるような学校教育を、どうにか変えていきたいと考える次第である。

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安保法制は60点。軍事評論家が総括する「安倍政権に欠けていたもの」

安倍首相の突然の辞任表明を受け、マスコミの注目は総裁選の行方に集まっています。首相が誰になったとしても長期間にわたった安倍政権の功罪を検証し、とりわけ「罪」の部分は改めなければなりません。メルマガ『NEWSを疑え!』を主宰する軍事アナリストの小川和久さんは、安倍政権のコロナ対応の拙さを招いた「官邸官僚」主導の限界を指摘。政治ドラマ『ハウス・オブ・カード(野望の階段)』などに見られるホワイトハウスの人材活用術に学ぶところがあると進言しています。

安倍政権、『官邸官僚』の限界

安倍首相の辞任表明を受けて、その評価をしなければならないのですが、長期政権を維持できたことで国際的な信頼を獲得できたことは間違いありません。オバマとトランプを相手にした日米関係の深化、サミットにおける存在感の発揮、それを受けた中国、ロシアとの一定の外交関係の維持…。これについてはプラスの評価を与えることができます。

私も衆議院で参考人として話した安保法制は、かろうじて60点でしょうか。経済政策でも、批判することは簡単ですが、就任時の倍以上になった株価だけを見ても、それなりの成果が生まれたとするのは、多くのエコノミストの言うとおりです。

コロナ対策については、これからお話しするような仕掛けが欠けていることで迷走した部分があるのは事実ですが、それよりもなによりも残念だったのは安倍首相の私的な問題の処理が上手にできなかったこと、政治を私するような事柄が目に余ったことです。

森友、加計、桜を見る会の問題は明らかにやり過ぎです。それでも、問題化したあと国民に素直に謝罪していれば、それで事なきを得た可能性があるのに、ガンコに強弁をしすぎた。これでは安倍シンパでさえ心証を害し、支持率が低下するだけでなく、安倍首相への評価まで引き下げる結果になるのは避けられませんでした。そこで、安倍政権に欠けていた仕掛けについてお話ししたいと思います。

安倍首相は今井尚哉首相補佐官兼首相秘書官、北村滋国家安全保障局長といった「官邸官僚」を駆使し、内政外交を進めてきました。文字通り官邸主導だった訳です。しかし、この「官邸官僚」たちだけで国家の運営がうまく行く訳はありません。国家安全保障会議(NSC)を機能させ、日本版FEMA(緊急事態管理庁)や情報機関を創設して動かすことまで行かなければ、巨大な国家の営みに目配りなどできる訳がありません。

安倍政権の「官邸官僚」による官邸主導は、うまくいった場合、失敗したケースを含めて、あくまでも個人プレーだったことを忘れてはならないのです。本当にNSCや日本版FEMA、情報機関などの司令塔に能力を発揮させようとすれば、それを動かすチームが首相を支えていなければなりません。安倍政権では、そのチームが「官邸官僚」だった訳ですが、当然ながら得手不得手があります。それを補う仕掛けが必要なのに、存在しませんでした。

どうすればよいのか。たとえば「官邸官僚」の中心にいる今井首相補佐官や北村国家安全保障局長は、NSCなどを機能させるだけの能力を備えた人材を、それこそ、とっかえひっかえ投入しなければならなかったのです。NSCがあるから大丈夫と丸投げしていては、NSCが機能する訳がありません。

「日本人はすごい」の幻想に溺れた愚策。コロナ5類感染症指定が危険な理由

新型コロナウイルスは、感染症法上の2類相当に分類されていて、感染が判明した場合の隔離や、濃厚接触者とされた場合のPCR検査の義務が生じます。ところが先月25日、加藤厚労相がこの分類を季節性インフルエンザと同等の5類に見直す考えがあることを匂わせました。これに対し「日本人の性質にまだ甘えるか」と声をあげるのは、メルマガ『8人ばなし』著者の山崎勝義さんです。山崎さんは、新型コロナのステルス性や指定格下げにより起こる「金の問題」を指摘し、安易な見直しに異を唱えています。

格付けのこと

不自然が当たり前になる。恐いことだ。日々更新されて行く数字に慣れ、ただの数字にしか見えなくなってしまう。本当はそうじゃないことは分かっているのに。コロナ感染者数はただの数字なんかじゃない。人間の命の数である。皆、誰かの子であり、誰かの親である場合も多いであろう。決して忘れてはいけないことである。

今、政府ではCOVID19を指定感染症2類相当から5類相当へ格下げすることが検討されているという。終息はおろか、収束の目処すら立っていないのに敵を低見積もりとは随分大きく出たものである。この報に触れた時、本当にこう思った。「我が政府、終に狂せり」と。

しかし蓋を開けてみれば何のことはない。苦し紛れの数字操作に過ぎないことが分かる。要は病院がパンク寸前(あるいはパンク同様)なので入院の勧告・措置の必要がない5類にしてしまえということなのである。そう、患者数のデノミである。批判を覚悟の上で敢えて不穏当な比喩を用いると「刑務所がいっぱいなので窃盗までは罪に問わない」と言うのと理屈の上では同じである。こんなバカな話があるか。

そもそも5類相当と言えば、季節性インフルエンザと同格である。むろんインフルエンザもシーズンごとに多くの死者を出す恐ろしいウイルス性感染症であることは疑うべくもない。ただインフルエンザには(知る限りにおいてだが)無症状感染者はいない。突然の高熱、疼痛、疲労感に襲われ仕事や学校どころではなくなり、2、3週間は通常の生活には戻れない。故に多くの人がそれを警戒し、さまざまな予防策を講じる訳である。

この季節性インフルエンザとCOVID19が同日の論である筈がない。片や極めて潜在性の高いステルス感染症である。このウイルスは相手が弱いと見るや忽ち顕在化し、重症化させ命をも奪い去ってしまう。逆に相手が強ければ感染を拡げるという仕事をさせるだけさせてそのまま消えてしまう。

仮に季節性インフルエンザが無症状だったら、一体誰が仕事や学校を休むだろうか。そもそも病院にすら行かないだろうから、自分が感染しているかどうかさえ終に知らないままであろう。COVID19はまさにこれである。無自覚にして拡大する感染症なのである。