ロスジェネ正社員の「会社への貸し」が日本企業の復活を阻む理由

「新入社員に最大730万円の年収を支払う」と発表したソニー。優秀な人材の海外流出の防止と同社の存続をかけて導入される「起死回生の策」ですが、果たして狙い通りの成果を上げることはできるのでしょうか。世界的エンジニアの中島聡さんが自身のメルマガ『週刊 Life is beautiful』で、その成否を占っています。

※ 本記事は有料メルマガ『週刊 Life is beautiful』2019年8月13日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。

プロフィール中島聡なかじまさとし
ブロガー/起業家/ソフトウェア・エンジニア、工学修士(早稲田大学)/MBA(ワシントン大学)。NTT通信研究所/マイクロソフト日本法人/マイクロソフト本社勤務後、ソフトウェアベンチャーUIEvolution Inc.を米国シアトルで起業。現在は neu.Pen LLCでiPhone/iPadアプリの開発。

日本企業の再生

少し前に、「ソニーが『新卒に年収730万円』、最大のカベは中高年社員の嫉妬!?」という記事を読みました。

優秀な人材が海外の企業に奪われるのを防ぐため」とのことですが、年収730万円で、高度な技術を身につけた技術者を雇えるかどうかは疑問の多いところです。伸び盛りのベンチャー企業であれば、それに加えて(一攫千金が狙える)ストックオプションももらえるし開発環境(開発マシン、開発環境など)にも大きな違いがあるし大きな会社であるデメリット(無駄な会議、時代遅れなカルチャー、最新の技術を理解していない上司など)も最近の若い人たちは良く知っています。

しかし、ソニーのような旧来型の企業が優秀な人材を採用するにあたって、もっとも大きな障害になるのは、「中高年社員の待遇との整合性」だと思います。

これは、記事に書いてある「俺より給料が高いヤツが出てくるのはケシカラン」という単なる気分の話ではなく、日本の企業が従業員と持ってきた特殊な雇用関係と密接に関わる話なので簡単ではないのです。

日本企業は、戦後、急激な発展を遂げましたが、それは円がドルに対して安かったこともあるし(1973年までは1ドル=360円に固定されていました)、日本特有の人事制度を利用して人件費を抑えて来たことがあります。

この日本特有の人事制度とは、終身雇用制+年功序列を組み合わせることにより、「若いうちは安月給で我慢していれば、定年まで職は保障されているし、歳とともに給料は上がり、退職金も出る」というものでした。会社が成長しており、年齢構成が上に行くほど人数が少ないピラミッド型であれば平均給与を低く抑えられるとても良い人事制度でした。

「サービス残業」のような悪い慣習は、この人事制度が作り出したものです。多少理不尽な要求でも、上司の命令に従って真面目に働いていれば、年齢とともに給料は上がるし定年まで会社が面倒を見てくれるからです。

そのため、従業員の間に大きな能力の差があっても、それほど待遇に差をつけないのが日本企業の慣習になりました。特に管理職に就く前の若い従業員の待遇にはほとんど差をつけず、管理職になる段階でようやく多少の差をつけるのが一般的です。

企業としての成長が頭打ちになり、次第にピラミッド構造が崩れ始めても、「若いうちは安月給で我慢していれば、歳とともに給料は上がる」という暗黙の了解を守るために、企業は無理矢理役職を作って出世競争に勝ち残れなかった人々を救済しました。日本の大企業には、課長待遇、担当課長、部付課長などちょっと分かりにくい役職の人がたくさんいるのはそれが理由です。

それに加え、本社の昇進競争に負けた人たちに、子会社の役員の立場を数年間与えることにより辞めてもらう、「肩たたき→天下りという日本特有のシステムまで作ってしまった企業が日本にはたくさんあります。

当然ですが、そんなことをすれば、頭でっかちで人件費の高い企業になってしまいますが、終身雇用・年功序列を前提に入社した人たちとの約束を守る限りは、そうなる運命だったのです。特に日本の会社の場合、経営陣が取締役も兼任しているため、経営陣が、自分の天下り先確保のために子会社を作ってしまうような「会社の私物化」も、一部の企業では行われていました。

2000年を少し過ぎた頃に、ソニーやパナソニックなどの平均年齢が40歳を超えてしまったことが話題になりましたが、これはバブルの崩壊により新卒の採用を絞り込んで年齢構成が大きく変わってしまったためです。

米国の会社であれば、そんな時には大量にリストラ(=解雇)をして一旦会社をスリムな形にしますが、解雇規制のために、それが出来ないのが日本の大企業です。日本の失われた10年が20年になってしまった原因の一つはそこにあると言って良いと思います。

香港の「二の舞」だけは避けたい台湾人が慎重に選ぶべき次期総統

来年1月の台湾総統選挙は、現職で民進党の蔡英文氏、国民党の韓国瑜氏、無所属の柯文哲氏と郭台銘氏の4人が立候補する構図となりそうです。メルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』の著者で台湾出身の評論家・黄文雄さんは、候補者4人の中でも、評価が分かれる柯文哲台北市長について紹介。結果次第では米中、日韓、香港と混乱の続く東アジアに、更なる波紋が生じかねない選挙の行方を注視しています。

※ 本記事は有料メルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』2019年8月6日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会にバックナンバー含め初月無料のお試し購読をどうぞ。

プロフィール:黄文雄(こう・ぶんゆう) 1938年、台湾生まれ。1964年来日。早稲田大学商学部卒業、明治大学大学院修士課程修了。『中国の没落』(台湾・前衛出版社)が大反響を呼び、評論家活動へ。著書に17万部のベストセラーとなった『日本人はなぜ中国人、韓国人とこれほどまで違うのか』(徳間書店)など多数。

【台湾】対立する世界と台湾総統選挙

台北市長が政党結成 総統選の布石か

総統選挙まであと半年あまりとなり、各陣営の動きがだんだんと鮮明になってきました。柯文哲台北市長は、これまで出馬についての明言を避けてきましたが、ついに動き始めたようです。新党結成です。以下、報道を引用します。

「台北市の柯文哲(か・ぶんてつ)市長は1日、市政府(市役所)で記者会見し、自らの政党を結成する考えを明らかにした。柯氏は来年1月の総統選に出馬するかどうかは9月上旬に判断すると改めて表明した上で、同時実施の立法委員選(国会議員選に相当)に候補者を擁立すると述べた。

 

政党名は『台湾民衆党』で、すでに内政部(内務省)に届け出た。6日に結党大会を開く。名称は日本統治時代に自治運動を担った政治団体に由来するという。柯氏は、結党の目的は「民主、自由、多様性、開放、法治、人権、弱者保護などの普遍的な価値を台湾で実践する」ためだと述べる一方で、与党・民主進歩党は『価値のない政党だ』と批判した。

 

柯氏が今、政党を結成しても、総統選では無所属扱いになるため、出馬には有権者の署名約28万人分が必要だ。ただ、所属政党がない場合、総統に当選しても立法院(国会)の運営が困難になるのは確実なため、今回の政党結成は自らの総統就任をにらみ、立法院での足場固めを図る狙いがあるとみられる」(産経ニュース 2019.8.1)

上記のように、新党を結成したところで、総統選では無所属扱いになるとのこと。また、出馬の意思はまだはっきりと表明していません。しかし、どう見ても出馬の意思があるからこその新党結成です。鴻海の郭台銘氏も無所属で出馬するとの下馬評もあることから、総統選挙の大勢はだいたい固まってきました。

「教師の使命」とは何だ。そこにある、先生にしかできない仕事

2019年7月に起きた、岐阜市の中学3年生の男子生徒がいじめにより自殺した事件。いじめを見かねた女生徒が手紙で実態を担任に報告するも救済されず、最悪の結果となってしまいました。今回の無料メルマガ『いじめから子どもを守ろう!ネットワーク』では、様々な問題を内包する今回の事件から、「周囲の大人が生徒の心にどう寄り添えばいいのか」を主題とし具体的対応策を記しています。

「心に寄り添う」─子どもを自殺させないために大切なこと─

子どもが自殺する、あるいは、子どもが同級生を刺す。なんと衝撃的な事件だろう。ありえない。保護者、地域、教育関係者、そして子供たちはさぞかしショックなことでしょう。

先の7月、岐阜市の市立中3年の男子生徒(14)が3日朝に自宅近くのマンションから転落死した。市教育委員会は5日、記者会見を開き、生徒が学校でいじめを受けていた事実を認めた。生徒の自宅からは、いじめを苦にした自殺を示唆する内容のメモが見つかった。5月末には同級の女子生徒が手紙で、男子生徒へのいじめを担任に知らせていた。

 

記者会見した早川三根夫教育長は「いじめを受けながら『大丈夫です』と答えていた男子生徒の悲しみにも、勇気を奮って手紙を書いた女子生徒の気持ちにも、学校は寄り添えていなかった」と謝罪した。

 

事件から1か月後の8月3日、早川教育長は、岐阜新聞のインタビューを受けてこう語った。

 

「しっかり対応すれば防げたチャンスが何度もあったにもかかわらず、見逃してしまった。学校の対応が不十分だったと言わざるを得ない」

 

「先生たちが子どもの心に寄り添えていなかったのが問題。子どもの悲しみや苦しみを表面的に捉えてしまった。また、市内中学校では、いじめの問題に校長や教頭が十分に関わっていない現状がある。いじめは担任でなく校長マターだ。校長は問題の重要性を認識し、指導力を発揮しないといけない。今回の件では、学級担任が(亡くなった男子生徒の)親に連絡しなかったことも大きなミス。連絡があれば家庭でも話ができたし、事態が変わっていた可能性もある」

 

「さらに、問題の初期対応の誤りと組織的な責任は免れない。学校や担任や市教委が、問題をどうして防げなかったのかを解明しないといけない。(男子生徒が通っていた)学校には、いじめに対応するしっかりとしたガイドラインがあったが、機能していなかったことも問題だ」

(岐阜新聞、同WEBほか)

教育長は、リーダーシップを発揮され、事件後早急にアンケートを実施、第三者委員会の情報公開を約束し、すでに知り得た情報からいち早く誤りを認めかつ現場にも配慮を加えた発言をされていると思います。全国の中でも良識ある対応をされた市だと思います。ちなみに今回は文科省も素早い対応を示しました。事件後の7月8日、文科省は担当者2名を派遣し、教育長らから聞き取りをし、事案の真相を解明し、今後に生かすようにと指導しています。

まず、なぜ、いじめは担任でなく校長マターなのでしょうか。いじめを解決するにあたって、どうしても加害者側、被害者側双方に感情的なしこりは残ります。担任は加害者、被害者双方の先生なのです。人情がからみやすいので、厳しい対応が難しい場合もあります。これを超越して理性的、合理的に解決していくためには、管理職校長によるコンプライアンス重視のゼロトレランス対応が必要です。また、いじめ解決では初期対応が重要なことは、当法人のHPでも繰り返し解説をしてきたところです。

本来別物の「権利と義務」がワンセットのように語られてしまう訳

日常生活において不思議に思ったり、ちょっと気になったあれこれについて考察するメルマガ『8人ばなし』。著者の山崎勝義さんが今回取り上げ論じるのは、「権利と義務」について。本来別物である2つの概念が、しばしばワンセットかのように語られる理由を探ります。そして「義務を果たさない者に権利はない」などの表現が如何に冷酷であるかを指摘し、権利と義務の関係性について、1つの結論を導いています。

権利と義務のこと

権利と義務というものが、しばしばワンセットで議論され、例えば「義務を果たさない者に権利はない」とか「権利を主張するなら義務を果たせ」といった言い回しがなされることは存外に多いのではないだろうか。

結論から言うと、権利と義務は全くの別物である。にもかかわらず、この二つが多くの場面において同日論的に混用されるのは、おそらく「give and take」や「No pains, no gains.」などの取引表現に意味的に引っ張られてのことであろう。

とはいえ、この同日論にも法的にはそれなりの根拠があって、日本の民法は、

  1. 私権は、公共の福祉に適合しなければならない。
  2. 権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。
  3. 権利の濫用は、これを許さない。

というように権利の制限と義務の履行を第一条として始まるのである。因みに第二条は「この法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等を旨として、解釈しなければならない。」と続き、第三条は「私権の享有は、出生に始まる。」となる。

どうにも第一条第二項の「義務の履行」が浮いているような気がしてならないのは自分だけだろうか。仮に「権利の行使」と「義務の履行」を対等とするなら第四項に「義務の履行は濫りにこれを強制してはならない」くらいの条文があってもよさそうなものである。しかし、実際にはそんなものはない。この事実は「権利」と「義務」が対等対義語ではないことを示しているのである。

少なくとも論理的には、

  • ~する権利がある
  • ~しない権利がある
  • ~する権利はない
  • ~しない権利はない

の4パターンのうち、最後の「~しない権利はない」場合だけが義務となる。逆に言えば、「~しない権利」を完全に否定できない限りは義務が発生する余地はないことになる。

ここに権利と義務の表見的なアンバランスが生まれるのである。権利は出生とともに全ての人に平等に与えられる。一方、義務はその平等性を担保しようとすれば寧ろ頭数で等分する訳にはいかないから、結果として不平等になる。この現状に腹が立てばこそ、前述の「義務を果たさない者に権利はない」的発言なども起こるのであろう。

しかし、全ての人が平等であっても、全ての人生が平等ではない。これは権利と義務の関係に少し似ている。そう考える時、相手の権利、特に社会的に弱い立場にある人の権利を「果たしている義務に釣り合わない贅沢」と否定したり、あるいは制限したりしようとすることが如何に冷酷な行為かが分かる。

権利は義務のご褒美ではない。権利への感謝が義務という形をとって社会へとつながって行くのである。ここを間違えてはいけないのである。

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発達障がい者の支援で強調される「二次被害の防止」とは何か?

障がい者支援を始めさまざまな福祉活動に関わるジャーナリストの引地達也さんが、8月から「発達支援研究所」の客員研究員となったそうです。今回のメルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』では、障がいのある人たちへの支援で必要な教育のあり方や、彼らが被る「二次被害」を防ぐために必要なことについて伝えています。

発達支援研究所に関わる1歩としての二次被害防止と教育

8月から一般財団法人発達支援研究所の客員研究員となった。元早稲田大教授の山本登志哉所長(教育心理学)との親交からつながった結果ではあるが、シャローム大学校でカリキュラムの適切な提供に向けての必要なつながりであり、私自身の学びとなるからありがたい。新しい価値観を提供する大学校の充実に向けて、研究所で何を学び、また山本所長はじめ、教育学の世界で仰ぎ見る大先輩とともに何を実現していくのか、ワクワクした気持ちとなる。

ここでの「発達支援」の響きが、教育をベースに置いていることで、個々の持つ力をどう「活かすのか」が自然な流れだから、福祉領域で時には必要とされる「スキルの取得」とは一線を画す点も、重要なポイント。「支援が必要な人」へのアプローチや処方箋は人の数だけ多様化するべきだし、その素地を作るのが私の仕事の一環だと考えている。

7月に行われた翔和学園(東京都中野区)のセミナーで、私は特別支援学校卒業後の進路について考える親御さんや先生ら関係者を前に、18歳以降の「教育」の説明として、階段式とスロープ式を例として社会というステージへの行き方を示した。

社会のステージが「就労」をイメージしてしまうのは、この社会の全体主義的な価値観であるという問題はさておき、現実問題として、スキル習得の合否を判断されて階段を1歩ずつ上がっていき、到達したい次のステージに近づくのが、就労移行などで行っている「訓練」とすれば、シャローム大学校や翔和学園で行う「教育」はスロープ型だ。

知らない間に、自分の能力に気づいたり、友達と支え合うことを学んだり、人との交流で社会性を身に着けたりすることの連続で、月日が過ぎると、自分が出発した地点からなだらかな坂を上り、想像していたところよりも「上」へ登っている感覚である。

エアコンによる筋肉、血管、関節、肌の冷えと身体の不調の関係性

まだまだ続く暑い夏。エアコンの使用は欠かせませんが、冷えた空気に直接肌や粘膜がさらされるのはよくないようです。冷えが内臓にまで及ぶと、腹痛や下痢などの症状がでることもあるなど、エアコンによる冷えと身体の不調の関連を、メルマガ『鍼灸師・のぶ先生の「カラダ暦♪」』の著者、のぶ先生が解説。室内熱中症を防ぐために、エアコンを上手に使いつつ、身体を動かすことの大切さも説いています。

エアコンの目的

【エアコンはカラダを凍らせる】

自然に吹く風や扇風機の風は、カラダの表面の熱を気化させて、体温を下げてくれます。また、空気を撹拌してくれることで、肌や呼吸器にこもる熱を追い出しもくれます。

ところが、エアコンの冷気は、こうした自然の風とは異なり、冷たい氷の粒のような冷気が冷風に乗ってカラダにぶつかってくるわけです。カラダから熱を取り払ってくれるのが風の作用。カラダを凍らせるのがエアコンの冷気の作用、というわけです。

【カラダのあちこちが凍ると】

・筋肉を冷やすとひきつれる エアコンの冷気に直接あたりっぱなしにしていると、筋肉が冷やされます。カラダを動かす筋肉が冷えて固くなると、動きづらくなります。筋肉は内臓にもあります。内臓の筋肉が冷えることで、腹痛の原因になったり、胃腸が冷えて下痢をしたり、膀胱炎になったりするわけです。

・血管が冷えると腫れる 冷気で冷えて血行が悪くなると、カラダのあちこちで腫れやかゆみの症状がおこります。とくに粘膜が露出している目や鼻、のどなどの血行が悪くなると、粘液の分泌が悪くなって、分泌物が増えたり、腫れや赤み症状がめだつようになります。

・関節を冷やせば動けない 足腰や肩などのダイナミックに動く関節を、長期間エアコンの冷気で冷やし続けると、関節を養う血流が滞ったり、関節の運動をうながす筋肉が充分に関節を動かせなくなると、可動域は狭くなります。また、直接関節が冷えて固くなると、いつもの動きも負担になります。いつも通りのつもりで関節に負担をかけて動かし続けると、関節内で炎症がおこり動かなくなることもあります。

・肌を冷やすと風邪をひく とくに後頭部から背中にかけてエアコンの冷気で冷やすと、カラダは冷えに対して抵抗しようとして発熱することがあります。発熱まで至らなくても、カラダに冷えが侵入しないように風邪症状と同じように、咳をし始めたり、免疫反応としてのどを腫らせたりします。

獣医師が教える。ぴったりサイズの「エリザベスカラー」の作り方

手術やケガのあとに、傷口を舐めたり引っ掛けないようにクビに装着する保護具「エリザベスカラー」ですが、サイズが合わずにストレスを感じてしまう犬や猫がいるようです。そこで、メルマガ『佐藤貴紀のわんにゃんアドバイス』の著者で獣医師の佐藤先生が、100円ショップに売っているグッズで愛犬、愛猫にぴったりサイズの「エリザベスカラー」の作り方を教えてくれました。

愛犬・愛猫のサイズにあう「エリザベスカラー」の作り方

ケガや病気、手術後などに、傷口を舐めたり、引っ掛けないように必ず、病院に行くと、付けられる「エリザベスカラー」。首の大きさでサイズを決めるために、マズルの長い小型犬の子はサイズがあわなくて、困ることがあります。

首の大きさに合わせると、マズルが出てしまい、傷口を舐めてしまうことになります。マズルに合わせると、首まわりが大きく、ガムテープになどで止めなければならない為、首が重くて、ご飯やお水を飲まなくなる子もいます。

そこで、愛犬や愛猫の体に合う、エリザベスカラーを使うにはどうしたらいいのでしょうか?それは、作ってしまえばいいのです。100円ショツプで簡単に材料はそろえられますので、参考にしてほしいです。

100円ショップの材料で簡単「エリザベスカラー」の作り方

1)材料

  • PPシート(半透明)1枚又は透明ファイル
  • 隙間テープ
  • マジックテープ
  • コンパス
  • ハサミ
  • メジャー

2)サイズを測る

  • 愛犬、愛猫の首まわりをはかります。
  • その後、首の付けねから鼻先までをはかります。

3)シートに型紙をおこす

  • 首まわりの大きさを円にします。
  • 円の外から首の付けねから鼻先までの長さの線をひきます。
  • 首まわりの丸をきりぬき、全体を扇型に切ります。
  • 2センチくらいのりしろを作ります

4)首まわりの内側にクッションをつける

  • 隙間テープを、首まわりの内側につけます。
  • 隙間テープのクッションをPPシートの外側に付けていきます。
  • あとは、首の大きさにあわせて、マジックテープをつけます。

出来上がりです。

まとめ

エリザベスカラーは、愛犬や愛猫にとってストレスです。大きさが合わないと、ご飯やお水を飲むときにお皿にぶっかるため、嫌でご飯やお水を摂らなくなってしまうこともあります。

少しでも、愛犬や愛猫の不快感をとってあげて、ケガや病気を治してあげてください。

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なぜやる気のなかった男の子が「自由研究」で特別賞を取れたのか

お子さんたちの夏休みも、お盆が明けたら後半戦。そんな時期に親子ともどもの頭を悩ますのが「自由研究」の宿題ではないでしょうか。「自由」というあまりに漠然としすぎた範囲指定に戸惑ってしまう、という声も多く聞かれます。今回の無料メルマガ『幸せなお母さんになる為の子育て』では著者のパピーいしがみさんが、そんな悩めるすべての方に向け、具体例を挙げつつ自由研究の進め方についてレクチャーしてくださっています。

自由研究

こんばんは。パピーいしがみです。

8月になって急に暑くなりましたね。各地で35度を超えたり、寝苦しい夜が続いているようです。体調を崩しやすい時期ですので、お気を付け下さいね。

さて、今日のメルマガは「自由研究」としました。

夏休みの子供たちの宿題として「読書感想文」と「自由研究」が普段の宿題とは違って悩むところです。特に自由研究は“自由”とあるように範囲が広すぎて「何をやったらいいか?」「どんな風にやればいいか?」が分からず、子供たちも頭を悩ませているようです。

以前、読書感想文については、書き方について紹介したのですが、「自由研究はどんな取り組みをしたらいいでしょうか?」とご質問を頂くこともあって、参考になれば…と今回、お話しすることにしました。

実は今、この自由研究を当て込んでの商売が結構あって…例えばあるメーカーから“自由研究おたすけキット”なるものが売っていたり、もっと驚くのは代金を払うと代わりに宿題をやってくれる「自由研究代行サービス」があったりするそうで…。それを聞くと「何の為の宿題だろう?」って考えてしまいます。

私としては、やり方さえ分かっていれば自由研究はとても有益で楽しい宿題だと思っていますので、是非、チャレンジしてほしいと思うのですが、初めて自由研究に取り組む子は題材を選ぶことも難しいでしょうし、提出するための「まとめ方」も解らないでしょう。

ですから「自由研究って何?」「どうやってやるの?」「何をすればいい?」などなど疑問が生まれて当然なんですね。それを「自分の宿題なんだから自分でやりなさい」と言っても、子どもだけではできないのは当たり前なので、やはりある程度親が関与してあげる事は必要なのでは?と私は思っています。

それでも子供の頃に自由研究を取り組んだ人であれば、子供にアドバイスすることもできますが、あまり熱心にやったことがない方はアドバイスするのも難しくなってしまいます。

そういう方は是非、ネットで自由研究 優秀作品画像で検索してみてください。作り方が分からない場合、過去の良い作品を見ることで沢山のヒントを得ることができます。実際に検索してみると沢山の自由研究の内容が画像表示されると思いますが、どれも共通して必ずあるのが「タイトル」で、その次に「きっかけ動機)」があって、最後に「発見や感想」になっていると思います。

もちろん「発見や感想」の前には、いろいろ調べたり、試したりした事柄がイラストや写真で説明されているのですが、要は「こんな事に疑問をもってこんな風に調べてみたらこんな事が分かった」これだけで立派な自由研究になるんですね。

疑似体験が進化しても、切り傷と火傷の痛さと熱さはわからない件

人類だけが文明を持ち得たのは、知識を教育という形で次世代へ伝えることができたからと考えるのは、メルマガ『8人ばなし』の著者の山崎勝義さんです。山崎さんは、人間以外の動物はできたとしても経験から学ぶだけなのに対し、人間はいまや疑似体験により経験していないことまで経験したかのように「わかる」域に到達していることを指摘。ところが、切り傷と火傷の痛さと熱さは実体験でしか「わからない」ということの皮肉の可笑しみを綴っています。

切り傷と火傷のこと

人間は地球上で唯一、文明というものを持ち得た生き物である。それは人間が唯一、知識を蓄えることができたからであり、さらにまたその知識を教育という形で効率よく次世代へ伝えることができたからである。

例えば、物を食べるということ1つを取ってみても、最初は食用不可の食材でもそのうちに調理法が確立し、安全においしく食べられるようになる。今、我々が安心してフグを食べることができるのは自分の経験からではなく、先人達から伝えられた知識あってこそである。

当たり前のようだが、これが如何に特異なことかは他の動物を見れば分かる。例えば、海辺に住む猿の中には、海水の塩分で味付けをしてサツマイモを食べる群れがあると聞く。しかし、何世代を経てもやはりそのままで、今後どれだけ待ってみてもフライパンやオリーブオイルを持ち出す猿は絶対に現れない。彼らは真似てみるという経験からしか学べないのである。

一方、人間は先人の経験の蓄積である知識の中から適宜その状況に相応しいものを選んだり組み合わせたりしては擬似的に自分の経験として利用する。言うまでもなく、この方が遙かに効率的である。その上、知識は常に更新されているから、理論上この効率はますます良くなっていく筈である。これをビスマルク風に言えば「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」となるのかもしれない。

とは言え、横並びの愚者として経験しなければできないこともある。車の運転などがそうである。しかしこれも、例えば「オートマチック限定免許」の登場によって経験習得すべきことは昔に比べて随分と軽減したように思う。今後、一部自動運転や完全自動運転のテクノロジーが確立すれば、車に関してはいよいよ経験習得すべきことはなくなって行くであろう。

これだけではない。拡張現実や仮想現実といった技術に人工知能を組み合わせれば、安全な自室内でほとんどの擬似体験ができるようになる。よく「何事も経験」などと言うが、実際経験しない方がよいことなどこの世には山ほどもあるから、これは歓迎していいことである。しかも余程際どい経験も安全にできるから、君子であってもこれを大いに利用できる。これから基礎体力が降って行くばかりの自分としては正直非常に楽しみである。