今まで知らなかった! ダブルクリップのもう一つの使い方が判明

書類を束ねる際に、広く使われているダブルクリップ。

あまり広まっていない使い方を、Twitterユーザー・tetsu(@metatetsu)さんが報告してくれている。

その使い方がコチラ。

 

 

持ち手を外して束ねた書類を、そのまま保管できるという。

これは、知らなかった・・・。

是非とも、参考にしていただきたい。

 

■Twitter上の反応

 

 

 

 

 

 

※本記事内のツイートにつきましては、Twitterのツイート埋め込み機能を利用して掲載させていただいております。

記事提供:ViRATES

 

上杉謙信が義を通わせた道。越後と信州を結ぶ「塩の道」を往く

古来より、塩や海産物、山の幸などを運ぶために庶民たちが往来した、通称「塩の道」をご存知でしょうか。荷物の運搬が新しい道路や鉄道等に取って代わられて以降、忘れられつつあったこのような街道が、今、観光客たちの人気を集めています。今回の無料メルマガ『安曇野(あづみの)通信』では、そんな塩の道のひとつ、新潟県糸魚川市と長野県松本市を結ぶ千国街道が詳しく紹介されています。

小谷村、白馬村に多くの遺跡が残る 塩の道「千国街道」

古代の昔から塩や海産物を内陸に運ぶ道が形成されていた。これはまた反対に内陸からは山の幸(食料に限らず、木材や鉱物も含む)が運ばれた道でもあった。製塩が化学製法に代わり、専売法に依る規制がかけられる以前は海辺の塩田に頼るしかないから、日本の各地で、海と山を結ぶかたちで数多くあった。

かつて、馬子や牛方、歩荷(ボッカ)などによって、塩とともに生活物資や民衆文化までが往来した街道がいくつかあった。日本海の町、糸魚川と信州松本を結ぶ全長30里(120km)の千国街道もそんなひとつ。

この道は、塩を待つ信州側では糸魚川街道と呼ばれ、塩を送り出す越後側では松本街道とも呼んだ。「塩の道」というロマンチックな響ききさえするネーミングは近年になってから

信州など内陸部への移入路は昔から無数に開けていたという。信州は、海の遠い国であり、それだけ塩や魚など海産物に対する希求が強かった。千国街道が、数多い塩の道の中で特に著名になったのは、最も多く塩が運ばれたという歴史的事実にもとづくものであろう。現在でも盛んな松本の飴市は本来塩市に由来するものであるし、また上杉謙信が敵方の支配下である松本地方へ塩を送ったという故事がまことしやかに伝えられている。

数多く残されている塩の輸送や保管に係る遺跡は、旧道に立ち並ぶ野仏の数々、沿道の美しい風景は、この道に現代人を引きつけずにはおかない。前回紹介した白馬の観音原にも多くの旅人が立ち寄ったことだろう。

作品名読み間違いにトランプ批判…前代未聞だらけのアカデミー賞

2月26日夜(日本時間27日)に行われた米アカデミー賞授賞式。作品賞の受賞作を読み上げる際に、誤った映画のタイトルが発表されていまい、会場は一時大混乱に陥ったことは皆さんもご存知の通り。米国在住の作家・ジャーナリストの冷泉彰彦さんは自身のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』で、今回のアカデミー賞は「アンチ・トランプ・ショー」としての側面も注目に値すると解説。作品の読み間違えも含め「色々な意味で歴史に残るオスカーだった」と紹介しています。

オスカー授賞式の光景

日本でもかなり報じられていると思いますが、アッケラカンとしたぐらいの「アンチ・トランプ・ショー」として終始していました。とにかく、アンチ・トランプという雰囲気は冒頭から「いきなり」という感じでした。

例えば、司会をしたコメディアンのジミー・キメルが、冒頭の漫談でメリル・ストリープを紹介した際に「これが過大評価されているというメリルです」とやったあたりで、もう全体的な雰囲気は「決まり」となっていたと思います。

言うまでもありませんが、ストリープは、1月の「ゴールデン・グローブ賞」で「セシル・デミル賞」という生涯に渡る貢献の表彰を受けた際に、名指しこそしなかったものの、トランプへの厳しい批判を込めたスピーチをしており、それに対して大統領自身が「過大評価されている女優だ」とツイートしたという経緯があるからです。

もうすぐ新学期。新しい環境が馴染めない子にしてはいけないこと

もうすぐ始まる新年度、環境がガラッと変わるお子さんも多いのではないでしょうか。親御さんとしても心配や不安が絶えない時期ですが…、無料メルマガ『子どもが育つ「父親術」』に、子供が新環境に入っていけないように見える時、親としてどう振る舞うべきかについてのヒントが記されています。

様子見

新年度が迫ってきましたね。4月から、入園・転園、入学などで新しい環境に入る子どもも大勢いることと思います。転居して親子共に新しいコミュニティに入っていくご家庭もあることでしょう。

新しい環境に移ったとき、はじめから元気に飛び込んで行く子もいます。その一方で、親から離れず、親の陰から様子を伺う子もいます。今日は、後者──様子を伺っていて、なかなか新しい環境に入っていけない(ように見えてしまう)子どもについて、お伝えします。

そういった子どもは、文字通り「様子を見ている」状態です。「様子見」を言い換えれば、「初めて出会う人々(子どもも大人も)を観察して、それぞれの個性と大まかな人間関係を捉え、場の仕組み・ルールを察して、親がその場をどのように捉えているかを肌で感じながら、自分がどのように入っていけるかを身体で考えている時間」と言うこともできます。

この時間中に、親が「ご挨拶して」「遊んでおいで」などと言っても、あまり効果はありません(もっとはっきり言うとムダです)。

他の大人が「こっちにおいでー」「このオモチャ、使っていいよ」などと言っても、「いい」とか細く答えるだけ。充分に気持ちの準備が整うまでは、足を踏み出すことはありません。気持ちの準備が整う前に促したり背中を押しても効果がないどころか、むしろ観察様子見のジャマになって、子どもが一歩目を踏み出すタイミングを逆に遅らせることにさえなりかねません。

さらに強く背中を押しすぎると、最悪の場合「新しい環境に入るということは、気持ちの準備ができていないうちに強制的に親から切り離されてしまうこと」という経験(≒新環境恐怖症)になってしまう恐れもありますので、焦りは禁物です。

【鐘ヶ淵】ラーメン官僚が「圧巻の1杯」と褒めちぎる塩ラーメン【ラーメン珉珉】

日本全国に数多あるラーメンの中でもとっておきの一品を食べ歩きながら紹介する、ラーメン官僚かずあっきぃこと田中一明さん。豪華執筆陣による興味深い記事を1本から購入できて読める、まぐまぐの新サービス「mine」で無料公開中の、田中さんの記事から本日ご紹介するのは、東京・鐘ヶ淵「ラーメン珉珉」の塩ラーメン。今まで12,000杯のラーメンを食べ歩いたラーメン官僚が、「舌の上で永遠にスープを転がし続けたくなる」と唸る、塩ラーメンのお味とは?

オススメ!【ラーメン官僚かずあっきぃの麺遊記】ラーメン珉珉

ラーメン珉珉@鐘ヶ淵にて、塩ラーメン。

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以前は、昼と夜、両方の時間帯で営業していた同店だが、最近は一身上の都合により昼営業をお休みし夜のみの営業となっていたところ。

そして、本年3月からは昼夜の休みが入れ替わり、昼営業のみとなる。

というわけで図らずも、本日が30年もの間続いた夜営業の最終日だった。

かつて、同店は昼の味こそが真骨頂であり、夜の味は昼に及ばないと言われていたが、それももう遠い昔の話。

ここ2~3年間の夜営業時に提供されるラーメンは、昼営業時と全く遜色がない完成度を常に維持することができていた。

私見になるが、夜営業でも塩ラーメンを提供するようになった頃から、格段に水準が向上したような気がする(以前は昼は醤油と塩、夜は醤油のみを出していた)。

本日、私が戴いたのは「塩ラーメン」。

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一言、これは美味い!

何回戴いても「美味い」という感想以外の言葉が出てこない。

甘辛い塩ダレの味わいは、啜る度に、うま味が早春の梅の花のように口の中で可憐に花開く。うま味の余韻の良さも特筆もので、舌の上で永遠にスープを転がし続けたくなるほどだ。

このスープに合わせる中細麺の茹で加減も完璧。食べ進めるにつれ「もう麺がなくなってしまうのか」と名残惜しさに箸を止めたくなってしまうほど。

口の中でホロリと溶けるチャーシューも、下味がしっかりと沁み込んでおり、単なる柔らかなチャーシューとは一線を画していた。

まさに30年間の集大成を飾るに相応しい圧巻の1杯。

近々、必ず昼営業時に足を運んでみたい。

自身が食べて美味かったラーメンのみUPする、田中一明さんの記事をチェックしたい方はこちらでフォロー

DATA

ラーメン珉珉

営業時間 11:30~14:00
住所 東京都墨田区墨田2-5-4
定休日 火曜日・第2、第3水曜

 

なぜ、神道小学校の理念は間違いなのか。誤解された明治時代の教育

学校法人森友学園が開校予定の「日本初の神道小学校」と安倍総理との関係を巡るニュースが連日報道されています。明治時代に回帰するかのような同小学校の教育方針や理念も大きな話題となっていますが、「明治の教育が日本の価値を上げたわけではない」とするのは、メルマガ『国際戦略コラム有料版』の著者・津田慶治さん。津田さんは、世界に高く評価されている日本の精神的高潔さを維持するには「戻るべきは明治ではなく江戸時代」とし、その理由をわかりやすく、そして納得の筆致で記しています。

日本の価値を上げた原因を探る

森友学園の教育に感動して、安倍首相は奥様を名誉校長にしたが、明治の教育が日本の価値を上げたわけではない。それでは何が日本人の性格を決定したのであろうか? それを探る。

日本人の高潔さが世界的に評価されている

中国人観光客が日本を訪れ日本人の高潔さ、時間の正確さ、街の綺麗さ、人の礼儀正しさなどに感動している。欧米人も同様のことを言っていたが、今までは論語を教育されている中国、韓国も同様であろうと勝手に想像していたし、論語は中国の孔子が書いたので、中国の方が上と考える人も多かった

しかし、中国人観光客が日本に来て、日本の方が論語を体現していると言っている。この原因は何か、日本は江戸時代に論語を寺子屋で教えていたが、中国は論語を大夫の教えとして、庶民には教育しなかった。それに対して、日本では寺子屋で教育された率は、江戸市民の80%以上と論語が社会に浸透したことで、庶民の教えとなったのである。

それを戦後教育で禁止したことで、徐々に倫理観がない人が増えたが、それでもまだその考え方が社会に浸透しているので、今は維持されているのだ。

もう1つ、中国から入れたのが道教である。自然が豊かで、その自然をそのままに維持しているのは、道教を卑弥呼が取り入れてそれを日本古来の自然崇拝と統合して神道にしたことで、日本の縄文人からの自然観も維持できたようである。昔の自然信仰に宗教的な色を獲たことで、今に残ったようだ。

時代が下がって、南宋が潰れた時に貴族が亡命してきたが、この時入れたのが「内倹の心」である。きらびやかではなく、内心を落ち着かせ、ゆったりした心を体現することであるが、鎌倉五山、京都五山文化として坐禅と庭園、書院作りの文化を取り入れ、わび・さびというキンピカではない文化を確立した。これが、今の日本を落ち着いた文明にしている。

このように、漢民族の良さを日本はよりよく取り入れている。しかし南宋以後、漢民族ではなく異民族支配になり、漢民族が持っていた優れた文化が中国では失われている。異民族の強引さがないと潰されるという感じが強い。礼儀より武力という感覚である。

ドイツが中国に急接近。隠しきれなくなってきたEUの焦燥感

イギリスの離脱を期に、ますます不安定な様相を呈しているEU。先日掲載の記事「トランプが「口撃」開始。現実味を増してきたEU崩壊のシナリオ」で、実際にEUのトゥスク大統領がトランプ政権を警戒していることはお伝えした通りですが、無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』の著者・北野幸伯さんは、今度はドイツがEUを守るべく、中国に接近し始めたと伝えています。ドイツと中国、一体どんな「利害関係」があるのでしょうか?

なぜドイツは、中国に接近するのか?

トランプ大統領誕生後、世界情勢は、かなり流動的になっています。トランプ外交の基軸は、「ロシアと和解して中国に勝つ」です。

しかし、トランプさんには敵が多すぎて、なかなか思うように動けない(敵の正体については、「プーチンがっかり。トランプは本当に「反ロシア」に寝返ったのか?」を参考にしてください)。

そして、トランプさん、

「欧州の最重要パートナーは、EU離脱を決めたイギリス」
「アジアの最重要パートナーは、日本」

と決めています。こういう構図の中で、困ってしまうのがドイツを中心とするEU。トランプさんは、中国を批判していますが、EUにも相当厳しい。

トランプのEU不信、EUのトランプ不信

産経新聞2月16日付を見てみましょう。

「彼の信念は就任演説で明確になった」。ドイツのメルケル首相は1月20日、こう述べた。同日のトランプ氏の就任演説には国益最優先の姿勢が色濃く反映された。独紙フランクフルター・アルゲマイネ(FAZ)は「挑発」だが、従来の発言を踏まえれば、「驚きではない」と伝えた。

トランプさんの信念は「アメリカ第1主義」です。

むしろ欧州で衝撃が広がったのは先立つ16日に独英メディアが報じたインタビューだ。独紙ビルトによると、トランプ氏は北大西洋条約機構(NATO)への疑問を改めて示しただけでなく、英国の欧州連合(EU)離脱を支持し、「さらに加盟国が離脱するだろう」と述べた。
(同上)

NATOに関しては、マティスさんがドイツを訪問し、加盟国を安心させました。しかしEUについて、トランプさんはイギリスのメイ首相と会ったとき、「EU離脱ですばらしいことになる!」と絶賛した。そして、「これから離脱する国が増える」と言い、事実上「EU崩壊を歓迎している」ような発言をしました。

日本時代に帰りたい。台湾人女性が語る「美しき幸せな日々」

李登輝・元台湾総統を筆頭に、日本統治時代を懐かしく、そして誇らしく思っている台湾の人々は少なくありません。そればかりか、「台湾に住む日本人」という意識のまま大人になった人たちも数多く存在するそうです。今回の無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』では、そんな台湾人女性・楊素秋さんと日本人との心温まるエピソードが紹介されています。

麗しの島の幸福な日々

昭和20年の春、台湾南部を走る満員の汽車のステップに立ち、振り落とされまいと必死に鉄棒に掴まっている12、13歳の少女がいた。名は楊素秋(日本名:弘山貴美子)さん。台南第一高等女学校(4年生の旧制中学)を受験するための参考書などを詰めたリュックを背負い、3日分の米と野菜を入れた布袋2つが両腕に痛いほど食い込んでくる。

隣に立っていた20歳ぐらいの日本人の将校さんが心配そうに「大丈夫ですか」と聞くが、もう返事をする気力も残っていなかった。

将校さんが「その荷物を捨てなさい。早く捨てなさい」と言った。ちょうど汽車は鉄橋にさしかかった所だった。鉄棒から片方の手を離して荷物を捨てた時、ゴーと鉄橋に渦巻く列車の轟音にハッとした楊さんは、左足をステップから外してしまった。「助けて」と叫ぼうとしたが、目の前が真っ暗になって、意識を失ってしまった。

遠くで聞こえていた大勢のざわめきが、段々と近くなってきた。誰かが頬を叩いている。「気の毒にね。いたいけな子供が。顔が真っ青だよ」「いやぁ、その軍人さんがいなかったらこの子は川の中だったな

気がついたら、楊さんは知らないおばさんの膝の上に抱かれていた。おばさんはニコニコしながら「ああ、よかった。息を吹き返さなかったら、どうしようかと心配していたのよ」と、楊さんのおかっぱ頭を撫でた。台南駅につくと、おばさんは楊さんを抱いて窓から外に出してくれた。窓の外には、あの将校さんが待ち構えていて、楊さんを抱き降ろした。

他の人に尽くす力も与えてくれた

汽車のステップの上に立ち、自分の荷物を抱えて立っているだけでも大変なのに、その将校さんは気を失って転落しかけた楊さんをとっさに掴み引っ張り上げてくれたのだった。下手をすれば自分も一緒に落ちてしまうかもしれないのに。

「あのう…、お名前を教えていただけますか?」と楊さんが聞くと、将校さんはプッと吹き出し、「ハハハ、子供のくせに。いいから気をつけて帰るんだよ」と将校さんは手を振って、汽車に乗り込んだ。爽やかな笑顔だった。汽車が遠くかすんで見えなくなるまで、楊さんはそこに立ちすくんでいた。将校さんへの感謝を繰り返し、武運長久を祈りながら。

楊さんは、その後、名前だけでも聞いておけばよかった、と50年以上も悔やむことになる。生きている間にもう一度お会いして、お礼を言いたい…。

そんな思いを抱きつつ、楊さんは戦後、成人してから小児麻痺の子供10人と健常者の子供20人を預かって育てあげた。あの将校さんは自分の命を助けてくれただけでなく、他の人に尽くす力も与えてくれたのだった

歴史を知れば見えてくる。年金はなぜ、今の金額に決められたのか

一部では破綻の危機もささやかれる「年金制度」ですが、これまで数々の工夫・改正により、現在のしくみが形作られたことをご存知でしょうか。今回の無料メルマガ『年金アドバイザーが教える!楽しく学ぶ公的年金講座』では、時代ごとに変化を重ねてきた年金の歴史を振り返りながら、著者のhirokiさんがその有益性についてわかりやすく解説します。

年金は給付と負担のバランスを均衡させないと、後代にツケを回すことになる

さて、今日は少し、年金の歴史を振り返りたいと思います。

年金は平成16年に改正があるまでは、年金給付水準を現役時代の60%以上を確保するために昭和29年厚生年金大改正以後5年間ごとに、将来の見通しを立てながら、年金給付を決めてそれに必要な保険料を決めてきました(財政再計算という)。

昭和30年代になり、高度経済成長期という時代に入って賃金がどんどん上がっていき(10年間あれば賃金が2倍以上になる感じ)、現役時代の賃金と年金水準の乖離が著しくなってきたから標準的な年金額も大体月額3,500円だったのが昭和40年改正で1万円年金になり、昭和44年改正で2万円になり、そして昭和48年改正で年金水準は現役時代の60%以上を確保するという考え方に立ち5万円年金になりました。

また、この昭和48年に物価が変動すれば年金もそれに連動して上げるっていう物価スライド制というのが導入された年でもありました。そして、過去の低い賃金をその当時の金額のまま年金額計算に含めると年金額が低くなってしまうので、年金額の価値を維持するために過去の賃金を現在の価値に見直す賃金の再評価」というものも導入された年でもありました。

ところが、物価スライド制が導入されたまさに昭和48年に第一次オイルショックというのが起こり、その後の物価が2年間で41%上がってしまうという狂乱的な物価上昇が発生しました。物価スライド制を導入したから、もちろんそれだけ年金額も上がりました(平成元年改正で物価の上昇が5%未満であっても年金額を上昇させる完全自動物価スライド制というのになった)。

昭和50年になり、高度経済成長期は終わって税収が急激に落ち込み、初めて税収より支出が上回る財政赤字が発生しました。つまり、足りない分は国債等で補う。でも、年金額は昭和51年に月額9万円、昭和55年に月額13万円と上がっていきました。

ホワイト企業の社員にプレミアムフライデーやる?と聞いた結果…

先日24日の金曜日から開始された、月末金曜は15時に仕事を切り上げ個人消費を促す『プレミアムフライデー』。

その日に関して、話題になっているツイートがあるのでご紹介させていただく。

カタールの猫(@Qatar_Cat)さんがホワイト企業に勤める人に「プレミアムフライデーやるんですか?」と聞いた結果・・・。

 

 

「金曜に早く帰るために他の日の残業が増えちゃったら本末転倒でしょ? だったら毎日ちゃんと定時に帰れるよう調整した方がいい」。

まさにその通りだ。金曜以外の日に負担がかかるのであれば、毎日“時間革命”を起こしていくべきだと思うが、あなたはどう思うだろうか。

この発言に以下のコメントが寄せられた。

 

■Twitter上の反応

 

 

 

 

 

 

 

 

“ほとほどエブリデー”に賛成! もちろん願わくば、毎日を“プレミアムな日”にしたいが・・・。

※本記事内のツイートにつきましては、Twitterのツイート埋め込み機能を利用して掲載させていただいております。

image by: Shutterstock

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