またもロシアに翻弄されるのか。北方領土が日本に一番近づいた日

米ロ関係の修復を公言するトランプ氏がアメリカの次期大統領に決定するや、再び日本とロシアの間に吹き始めた隙間風。今月15日にはプーチン大統領が来日しますが、果たして大命題のひとつである「北方領土問題」の進展はあるのでしょうか。無料メルマガ『ジャーナリスト嶌信彦「時代を読む」』の著者・嶌さんが、過去の日本の失敗も踏まえながら考察しています。

近いようで遠い、日露の領土問題。安倍政権で巻き戻り?

12月15日にロシアのプーチン大統領が来日し、北方領土問題、平和条約の問題、日本の経済協力の問題について話し、進展があるのではないかと期待されている。しかしながら、歴史をひも解いてみると戦後からなぜこの北方領土問題の係争が続いているのかという点において、双方に認識の違いがあるというのが大きな要因であるように思う。

日本は1951年の9月にサンフランシスコ平和条約締結において、「千島列島と南樺太の放棄を宣言」している。しかしながらこの条約では千島列島の範囲を明確にしていなかった。千島列島はカムチャッカ半島から根室まで続く群島を指すのだが、ここで日露の食い違いがある。

まず、日本の言い分は、「千島列島は放棄するが北方4島(択捉、国後、歯舞、色丹)は日本固有のもので昔から権利を放棄していない」。それに対して、旧ソ連は「千島列島全ての島がそこには含まれ北方4島の問題はない」という認識の違いから始まっているものである。

北方領土問題が解決しかけた時期があった…

その後北方領土問題はこう着状態が続いたが、一転する時期が実はあった。それは、ゴルバチョフ氏、エリツィン氏が大統領を務めていた頃。ソ連が弱体化し、ペレストロイカ改革運動をやっていて、軍事的な問題よりおカネが欲しいというように変わってきた時期だったのだ。

オホーツク海はソ連太平洋艦隊の集結地で軍事的に聖域だったため、その出口をふさいでいる千島列島は非常に重要な位置であり、軍事戦略上の価値があった。この地域が日本のものになると太平洋に出られなくなってしまうという理由から、ソ連はそれまで北方領土に非常にこだわってきた。ところが、ソ連が崩壊寸前となりそんなことをいってられなくなり、むしろカネと技術の方が大事だと傾倒していった。

この時期の日本はバブル時代で日本からおカネを引き出そうと、91年4月にゴルバチョフ大統領が来日。当時は海部政権で、日ソ共同声明を発表し、領土問題の存在を初めて文書で確認した。

日本も「4島の日本への帰属が確認されれば返還時期や態様条件は柔軟に対応する」と方針を転換させ、少しこの問題が進みはじめた。しかし、この前に少し「領土返還」を示した人物がいたのだ。

【書評】なぜ「反戦・脱原発デモ」は中二病と言われてしまうのか

反戦や脱原発を掲げデモを繰り返してきた「リベラル派」の人々。そんな彼らについて取り上げた書籍が無料メルマガ『クリエイターへ【日刊デジタルクリエイターズ】』で紹介されていますが、内容は辛辣なもので…。記されている「リベラル派が勝てない3つの理由」は説得大、です。

 

 

『反戦・脱原発リベラル』はなぜ敗北するのか
浅羽通明・著 筑摩書房

浅羽通明「『反戦・脱原発リベラル』はなぜ敗北するのか」を読んだ。浅羽といえば「ニセ学生マニュアル」だが読んでいない。オタクやオカルト分野の論評は、たぶん宝島系で読んだことがあるが忘れた。この本は、オタク的で少し意地悪なご隠居と、リベラル派に同情的な質問者の対話編。ご隠居は「反戦・脱原発リベラル」の動きを観察し「これでは勝てないなという

理由1:原発を再稼働させ、安保関連法案を成立させようとする安倍政権に撤回を迫れるだけの決定的なカードを、リベラルの側が何も持っていない。ちょっと目障りなだけで、なんとも思われていないのがあのデモだ。

理由2:リベラルの人たちの発言には、これで本当に勝ちたいと思っているかと疑われるものが多かった。若手論客・古市憲寿に「デモをやるにしてもちゃんと目標を定めて効果測定してやっていかないと意味がないんじゃないですか」と問われた社会学者の小熊英二教授は「効果測定なんかしたら楽しくないから意味がない」と答えた。「これだけの規模のデモを無事に行うことができた。そのこと自体が快挙だ完全勝利だ」と映画監督・想田和弘。目的と手段がいつのまにか転倒している。

理由3:彼らのアピールが、安倍政権へ投票しているだろう層を、納得させるだけのリアリティに乏しいものばかりだった。

江戸時代からのお約束。12月13日に大掃除を始めると幸運になる訳

「師」だけでなく、ほとんどの人がバタバタと走り回っている師走ですが、年末の大掃除のこと、忘れていませんよね? 無料メルマガ『音多秀茂の【富と成功の5つのタネ】』によると、実は「江戸時代から12月13日が大掃除を行う日だと決められている」とのこと。さらに「重点的にきれいにすべき場所」についても指南してくださっています。

12月の旬イベント~すすはらい~

さて! 今日は月一恒例の旬イベントのご紹介です。

ついこの前「酉の市」を紹介したばかりだと思うんですが、もう1カ月経っちゃったんですね。そう言えば「今年もあと2ヶ月!」とか言ってた気もしますがもう残り20日ですか…(@_@;)。

完全に師走ペースに飲み込まれている私…皆さんはバタバタしてませんか? 今月の旬イベントは、そんなバタバタした状況下でも必ずやらなきゃいけないもののご紹介です。それは、「すすはらい」です。「すすはらい」とはつまり、ススを払う祓う大掃除のこと。正月に我が家へお越し頂く年神様を迎える為の清めの行事をこう呼んだんですね。

で、この大掃除を行う時期というのは江戸時代から、「12月13日」と決められているんですよ。

大掃除がなぜ幸運のタネかというと、家の隅々をキレイにすることで自分が日々過ごしている外部環境のマイナスエネルギー、つまり目に見えないけがれを一掃出来るからなんですね。一年の締めくくりと新年を迎えるために、マイナスエネルギーのゼロリセットをやらないわけにはいかないでしょう。

ちなみに自身の身体に溜まったけがれやマイナスエネルギーはどうするのか? これはこれで年末イベントの「年越しの祓」で払います。こちらも年末間近になったらアナウンスします。

大掃除が完了してスッキリしてこそ年賀状の準備をはじめることができ、クリスマスやら年越しイベントを清々しい環境の中で楽しめるものです。

で、すすを払うのに特に重要なのは入口と出口玄関と水回り)。腰が重い場合は玄関、家の中、水周りと三分割して入口から順番に手をつけるようにしましょう。

ぜひ12月13日をすすはらいの開始日として予定してみて下さい。

 image by: Shutterstock

【絶景】鳥取砂丘や富士山も!ドローンが日本の名所を巡る4K動画

「brother-earth.com project」という環境活動に取り組むブラザー工業株式会社が、マンタの保護活動である“Project Manta”を告知するWeb限定動画「FLYING MANATA」を公開した。

マンタは美しい環境にしか住むことができない生物のため、海洋保全活動のモニタリングに適した動物と考えられており、ここ数年で絶滅危惧種にリストアップされている。

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この動画の見どころは、そんなマンタを模ったドローンを駆使して撮影された日本の名所の4K高画質動画。ドローン型マンタの目線で映される圧巻の日本の絶景は見応え抜群! 動画に込められた、“美しい地球を守り続けたい”“自然と生き物の多様性と尊さを身近に感じてほしい”というブラザーグループのメッセージをこの映像を通して伝えている。

ドローン型マンタの眼下に広がる「鳥取砂丘」、森の中の古道へ吸い込まれていくような「熊野古道」、さらには「モネの池」や日本の象徴ともいえる雄大な「富士山」など、ドローンの目線で美しい自然と風景が楽しめる必見の内容となっている。

 

<関連サイト>
brother-earth.com project #01 FLYING MANTA

 

 

記事提供:EntamePlex

「勇気ある撤退」は正しい。感情で行動を決めることが愚かな理由

人間である限り感情を無にして生きていくのは不可能ですが、行動を決定する際に感情を最優先させるのは大間違い、とするのは無料メルマガ『サラリーマンで年収1000万円を目指せ。』の著者・佐藤しょ~おんさん。佐藤さんは感情論で戦争まで初めてしまった日本人は特質として非常に危険なものを持っていると指摘、さらに様々な例を上げたうえで、「ロジカルな計算と判断」の必要性を説いています。

理屈が負けて感情で結論を見出すのは間違い

人間という生き物は感情が非常に強く、その感情に色々なものを引きずられてしまう生き物なんですね。理性とか理屈とか損得勘定では、それをやっちゃいけないって分かっているのに、「わかっちゃいるけど、止むに止まれぬ大和魂」で戦争までやっちゃったのが日本人なんです。あれなんて、ハルノートで満洲から撤退しろって言われて、ここで撤退したら日露戦争、日中戦争で斃れた英霊に申し訳が立たないって理由で拒否しちゃうんですから。これなんて完全に感情論ですよ。というかその感情ってのも、死者がそう考えるはずだという極めて妄想に近い感情で、全然リアリティはなかったんですね。

指導者が理屈ではなく感情で政策を決めた結果、250万人とも300万人とも言われる戦没者が生まれちゃったわけです。理屈で考えたら、日本がアメリカと戦って勝てるわけがないのは、軍の中枢にいた人たちだって分かっていたわけですよ。一部はそれでも勝てるって言ってたんですけど、その「勝てる」の定義は曖昧で、誰一人ワシントンに日章旗を立てるのだ(立てられるのだ)と言った人はいないんです。

それどころかアメリカ本土に上陸できると考えていた軍人もいないわけですよ。そんな杜撰な理屈(計画)よりも、死んだ人はこう思うはずだ、という概念の方が勝ってしまう日本人って特質として非常に危険なものを持っていると知っておいた方が良いですよ。

【いじめ】学校に子供を殺されないために親が取るべき6つの行動

何度痛ましい事件が起きても、未だ改まることのない学校・教育委員会の隠蔽体質。相談しても取り合ってくれないというケースもよく耳にします。我が子をいじめや学校から守るために、親はどのような手を打つべきなのでしょうか。無料メルマガ『いじめから子供を守ろう!ネットワーク』では「隠蔽の壁」を超えるために私達が取るべき「6つの行動」を紹介しています。

 

「隠蔽の壁」を乗り越えるために─「重大事態」への対応法

先日、毎日新聞の地方版に、静岡県富士市で初めて第三者委員会によるいじめ調査が行われるとの記事が載りました。市内の中3女子生徒が、いじめが原因で長期の不登校になっている疑いがあり、いじめ防止対策推進法の「重大事態」であるとして、第三者委員会が調査を始めるという報道です。記事によると、女子生徒は中1の夏ごろから仲間外れや無視、悪口といういじめを受け、中2の5月頃から休みがちになりました。体調も悪化し、体重が10キロも減少したとのことです。

これまで保護者は学校や教育委員会に何回も相談していましたし、第三者委員会の設置も要望していましたが、満足な対応は得られませんでした。今回第三者委員会の調査が始まることはいじめ解決への前進と言えますが、余りにも遅すぎると感じられます。

昨年の岩手県矢巾町のいじめ自殺事件、本年8月の青森県で相次いでの中学生いじめ自殺事件、11月になって明らかになった横浜市での震災避難児童いじめ隠蔽事件や、学芸大付属高校でのいじめ隠蔽事件など、最近のいじめ事件で特徴的なことは、学校、さらには、教育委員会など管理監督責任のある組織までもが、いじめを隠蔽していじめ解決に取り組まない事件が次々と報道されています。

子供たちを守るために、保護者の私たちは、何としてでもこの「隠蔽の壁」を乗越える必要があります。そのために効果的な方法を改めてご紹介したいと思います。最初は基本的な対応から始めます。

1.文書にする

いじめ被害事実」と、「学校への要望」を文書にまとめます。
私たちのサイトに文書の記入例を掲載していますので、ご覧ください。

被害事実のまとめ方
要望書

2. 校長と話す

「いじめ被害事実」をまとめた文書と学校への「要望書」を提出して、校長に相談します。

3.教育委員会と話す

校長に話しても解決しない場合には、教育委員会に相談します。この時も前述の文書を持参して相談します。

その次にやることこそ、「大きなポイント」です。近頃の事件のように、校長も教育委員会も、いじめを隠蔽するような場合もあります。

12月9日には、教育評論家の尾木直樹氏の、「最後は文部科学省に電話してください。絶対に対応しますから。児童生徒課に連絡してくだされば動きます。必ず救いますから」というコメントが報道されました。ただ、私たちへの相談では、「文部科学省にも電話したが何も変わらなかった」「文科省にまで電話するモンスターな母親だと周囲から見られた」というようなケースが少なくありません。そこで、以下の対応が必要となります。

黒船は二度やってくる。Amazonはなぜコンビニ業界に乗り出すのか?

Amazonの2つのサービスが話題となっています。すでに日本上陸を果たした、ボタンを押すだけで日用品が注文できる「Amazon ダッシュボタン」、そしてレジの無いストア「Amazon GO」。この「Amazonの猛攻」とも言えるサービスの登場は、私たちの消費活動をどう変えていくのでしょうか。メルマガ『理央 周 の 売れる仕組み創造ラボ 【Marketing Report】』の著者で、Amazonの元マーケティング・マネージャーという経歴を持つMBAホルダーの理央周さんが探ります。

アマゾンの攻勢にどう備え何を学ぶべきか? Amazon GOとAmazon Dash

米国アマゾン・ドット・コムが、「Amazon ダッシュボタン」と、「Amazon GO」という、2つの衝撃的なサービスに乗り出している。

Amazonダッシュは自動御用聞きマシーンになるのか?

Amazonダッシュは、冷蔵庫に貼り付けておけるボタンのような機器で、押すだけで、自宅にいながら、食料品や飲料を注文することができる。資生堂のシャンプーのTSUBAKIや、カルビーのフルグラなど、12月5日の段階で、参加するブランドも40あるとのことである。

プライム会員対象で、500円の機器代は、初回購入分から差し引かれることで実質無料。自宅が即日配達の地域にあれば、午前中に注文すれば、午後には届くとのこと。

さらに、スマホ連動なので、商品と購入数を一度登録しておけば、その後はボタンを押すだけで注文可能になる。

(日本経済新聞)

まるで、三河屋さんの御用聞きのように便利だ。私自身も料理をするのだが、「あ、バターがない!」「みりんを買い忘れた」などと、買い物が終わった時などに、買い忘れがあったりする。

今日頼んで明日届くだけでも便利なのに、即日届く、とか、パソコンを開けなくても買い物ができる、さらに、スマホよりも素早く買うことができる、というのは、過剰と言っていいほど便利である。

破綻した旅館をことごとく再生。なぜ星野リゾートの奇跡は続くのか?

人気ホテルランキングでも上位にランクインし、まだ行ったことのない人には「一度は行ってみたい」、行ったことのある人には「また絶対行きたい」と思わせる魅力をもつ星野リゾート。「テレビ東京『カンブリア宮殿』(mine)では、放送内容を読むだけで分かるようにテキスト化して配信。旅館業のカリスマ・星野社長が考える「真のおもてなし」とは…?

「一度は泊まってみたい」星野リゾートの魅力

四季折々の絶景が楽しめる日光・鬼怒川。歴史ある全国でも有数の温泉地だが、今、その川岸には廃墟と化した建物も。かつては団体客で賑わったが、1993年をピークに客は3分の1以下に激減。全国的にも団体客に頼ってきた温泉旅館の多くが淘汰されている。

しかし最近、鬼怒川の様子が変わってきた。7年前に完成した新名所、鬼怒楯岩大吊橋。絶景の中に浮かんでいるような景観が大人気に。駅前にも長い行列のできる飲食店や土産物店ができている。昔ながらの温泉街は、少しずつ活気を取り戻している。

変わる鬼怒川。そんな勢いを感じさせる宿が、去年の秋にオープンした「界 鬼怒川」。

到着したお客さんが乗り込んだのは、斜めに上り出すエレベーター。すぐに鬼怒川の景色が一望できる。およそ2分で宿に到着。新築の旅館には和モダンな客室が48室。眺めのいい露天風呂もあり、極上のひと時を楽しめる。

そして評判の決め手はやはり食事。晩御飯のメインは、鬼怒川の龍神伝説にちなんだ鍋。地元の食材を800度の焼け石で一気に沸騰させる、ダイナミックな創作料理だ。益子焼の器に盛られた会席料理が楽しめて一泊二食付き3万円から。

界 鬼怒川は星野リゾートが運営する客室の稼働率は73%。日本旅館の全国平均が37%(2015年観光庁調べ)だから、これは驚異的な数字と言える。

この日、赤ちゃん連れの夫婦を出迎えたのは、入社4年目の渡邉茜。宿帳を書いてもらうと、そこに知らない情報があった。新婚旅行だと知った渡邊は、夫婦を部屋に案内すると、お祝いのスパークリングワインをいつの間にか用意。ただ、授乳中の赤ちゃんがいるので、奥さんはアルコールを控えていた。渡邉はどうするのか。夕食のデザートの時に用意したのはノンカフェインの麦茶。ちなみにデザートは新婚さん用の特別バージョンだ。

二人がデザートを楽しんでいる間、渡邉は記念写真に添えるメッセージを書いていた。「そうたくんが大きくなられてお話ができる頃にまたお会いできれば……」。メッセージを読んだ奥さんは、「子どもの名前を覚えていてくれた」と、感動した様子だ。

このように状況に応じて考え抜き最善のサービスをするのが星野リゾート流スタッフ一人一人が女将のように接客することで熱烈なファンリピーターを掴んでいるのだ。

新ビジョン「ホスピタリティー・イノベーター」とは?

星野リゾートが運営する宿泊施設は今や全国に35カ所。高級リゾートの「星のや」、上質な温泉旅館「界」、西洋スタイルの「リゾナーレ」と三つのブランドを持つ。

『週刊ダイヤモンド』が行った日本のリゾート宿泊施設の最新ランキングでは、ベスト10に星野リゾートの宿が四つも。高い人気を獲得している。

星野リゾート代表、星野佳路、56歳。カンブリア宮殿には6年前に一度出演している。その時には「観光はこれから基幹産業になり得る」と、観光業の大きな伸びしろを指摘していた。その言葉通り、星野リゾートの運営施設全体の取扱高は、当時の254億円から、2015年には441億円と、大きく成長させた。当時、1400人だった従業員は、今や2000人を超える大所帯になった。

東京・銀座、星野リゾートの東京オフィス。自転車で出社した星野は、適当に空いている席へ座り、スタッフに話しかける。

「権限を持った人はいますし、誰かがものを決定しなければいけないけれど、別に偉い人がいるわけではないというのが私たちの考え方なんです」(星野)

社内では至る所で星野イズムが見え隠れしている。例えばコーヒーカップにも。コーヒーを飲んでいくと、カップの内側に「経常利益率20%」の文字が。さらに続きがあった。最後まで飲み干すと、カップの底には「リゾート運営の達人になる」という文字が。星野が掲げ社員全員で共有した会社のビジョンだ。

しかし星野は一昨年、そのビジョンを変えた。「ホスピタリティー・イノベーター」。訳せば「おもてなしで革新を起こす」。新たなおもてなしを打ち出すと宣言したのだ。

ビジョンを変えた理由を、星野はスタジオでこう語っている。

「20数年を経て、私たちの競争相手が変わったんです。外国の運営会社が日本に入ってきた。世界の大手と戦っていくためには、彼らのやってないことをやろう、と。イノベーターにならなくてはいけない。違う運営方法、違うサービス、まったく違った生産性。こういうものを提供できるような、今までにない運営会社を目指そうと、変えたんです」

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東京のど真ん中になぜ?~星野リゾート噂の新旅館

東京のビジネス街、大手町。今年7月、星野は新たなビジョンを象徴する宿をオープンさせた。星野リゾートとしては初となる都市型の旅館星のや東京」。おもてなしの粋を詰め込んだ進化した日本旅館だ。現在、利用客の4割は海外からの観光客だという。 

高い天井まで伸びるオブジェのような物は竹製。実は下駄箱になっている。客室へは畳敷きのエレベーターで。客室は84室。海外からの客も快適に過ごせるようにとソファやベッドを置いた和の空間。料金は一泊一室(大人3人まで)で7万2000円から。

各フロアには、日本のお茶の間をイメージしたラウンジも設けられた。ここで夜は、日本酒が好きなだけ味わえ朝はおにぎりと味噌汁が振舞われる

17階の最上階には大浴場も。お湯は茶褐色。2年前、1500メートルの地下で掘り当てた大手町温泉だ。大都会のど真ん中でも、露天風呂の天然温泉が楽しめる。 

 この日はドイツから来た雑誌のライターとカメラマンが。世界で100万部が売れる富裕層向けの情報誌『ロブ・リポート』の取材だ。世界の一流ホテルを見てきた二人は「現代的だけど、その中に本物の日本がある」「ヨーロッパにはこんなホテルはありません」と、舌を巻いていた。

さらに10月、「星のや東京」は「アジア太平洋ホテル投資会議」の、この地域で1年間に開業したホテルの最優秀賞を獲得。過去にはあのシンガポールの「マリーナベイ・サンズ」も受賞した名誉ある賞だ。

「日本に来るから日本旅館なのではなくて、『快適ですばらしいおもてなしを受けることができるから日本旅館に泊まろう』と。こういう市場を世界に作っていきたいと考えています」(星野)

トマム、青森…リゾート再生の秘策は“地域愛”         

これまで経営破綻した数々のリゾートを再生させ、その名を轟かせてきた星野。北海道・トマムのスキーリゾート「星野リゾート トマム」もその一つだ。

冬に集中していた客を夏も呼び込むことで蘇らせた。集客に使ったのは景色。早朝に現れる雲海だ。一望できるカフェテラスを作ると大人気に。実はこのアイデア、もともといたスタッフの発案だった。地元スタッフによる地域の魅力の再発見こそ星野流のキモだ。

「この地域を訪れてくれた人たちに、どんなふうにこの地域を知ってほしいのかということは、現地のスタッフが一番よく分かっているんです」(星野)

地元の社員による、地元感あふれるサービスが評判の「星野リゾート 青森屋」。青森屋は2004年に経営破綻したが、星野の手が入るとわずか5年で黒字化した。

自慢は池の中にぽっかり浮かんでいるような温泉。「浮湯」と名付けた開放感いっぱいの露天風呂だ。もともと団体さんがメインの旅館で、客室は236室もある。料金は1泊2食付きで1万5500円から。

食事は青森らしさを前面に押し出した郷土料理が中心。ぬくもりのあるおふくろの味が振舞われている。迎えてくれるスタッフは、青森らしい津軽弁で。ここで働くスタッフの8割は地元の人間だ。駐車場でお客を出迎えるのはポニー。荷物も運搬する。青森が馬の産地ということで、スタッフが考えついたサービスだ。夜には本物のねぶたが登場。スタッフによる青森押しのサービスが目白押しだ。

スタッフの新しい接客のアイデアは、青森屋魅力会議」で練り上げられている。接客スタッフから、料理長や総支配人まで、総勢20人が参加して知恵をしぼるのだ。上下の立場は関係なく、意見を言い合える。このフラットな組織作りも星野イズム

星野リゾートが入る前から働いているスタッフ、山形徹は「以前はほとんどトップダウンで決まってしまっていたので、我々一般のスタッフの意見というのはほとんど通っていなかった。そこはガラッと180度、変わりました」と言う。

星野リゾート成功の裏側~知られざる父子の物語

順調に夢を叶えてきた様に見える星野。しかし、あまり語りたがらない辛い過去もある。

星野の実家は軽井沢で1914年に創業した「星野温泉旅館」。星野はこの有名な老舗旅館の4代目後継として育てられた。アメリカの大学院でホテル経営学を学び、実家を継ぐべく戻ってきたが、そこで名経営者ではあったが、昔ながらのやり方にこだわる父とぶつかった。

まず星野が問題にしたのが、旅館で使う備品。仕入れ業者は一族の関係者や友人で固められ、割高だったのだ。「見積もりを取って、安くていい品を入れてくれるところに今すぐ切り替えましょう」と訴えたが、父は急激な変革を拒んだ

さらに星野は、「同族社員と一般社員の給与体系を統一しましょう。同族を特別扱いしていたら、優秀な人材が集まらなくなります」と切り込んだ。親子の対立は決定的となり、1991年、星野は同族一族が集まる株主総会の席で社長の交代を提案。6割の支持を集め、父親を解任した。

「大変な決断で、いろいろと人間関係においてはあったけれど、自分の中ではすごくスッキリしていました。矛盾を抱えて、本当は放置すべきでない状態を放置している自分のほうが、私は許せなかったから」(星野)

2013年、父・嘉助さんはこの世を去った。享年79歳。そのお別れの会で、星野はこんな言葉を手向けた。

「事業が今でも継続できていることは、父が長期的な視野で同族会社の良識を発揮したからなのです。これからは、父子としてのいい思い出をしっかりと思い出し、感謝の気持ちとともにいつまでも覚えていたいと思っています」

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星野リゾート世界進出~バリ島極上の宿

東南アジア屈指のリゾート地、インドネシアのバリ島。島には外資系の名だたる高級ホテルが立ち並び、世界中から観光客がやってくる。その島の内陸部に、昔ながらのバリの風景を残す村がある。

 海外初進出となる星のやバリ」。2017年1月にオープンする。茅葺屋根の建物はバリの伝統建築。それがゆったり30室。全室独立したヴィラは200平米前後あり、開放感抜群。それぞれのヴィラには専用プールもあり、それが運河のように伸びて他の部屋のプールとも繋がっている。

ディナーは和食とインドネシア料理をミックスした創作料理。レモングラスが香る海老のつくねやチーズの先付けに、メインはバリ風の味付けで楽しむ和牛ステーキだ。

部屋の外には切り立ったジャングル。よく見ると、鳥かごの様なスペースがあちらこちらにたくさんある。ジャングルの中に身を置き、非日常の世界を感じる場所だ。

いよいよ現地スタッフの研修が始まった。3ヶ月で星野流のおもてなしを身につけなくてはならない。星野リゾートでは接客スタッフが掃除から給仕までなんでもやるのが基本。覚えなくてはならないことが山積みだ。バリの五つ星ホテルから移ってきたスタッフも、「ほかのウブドのホテルとは全く違います。ほかのホテルでは接客と掃除は別のスタッフがやりますが、ここでは一人でできなくちゃいけません」と言う。

基礎訓練と並行して、臨機応変なおもてなしをするための訓練も。実際の場面を想定し、それぞれが役を演じて訓練を積むのだ。

早速2人の女性スタッフが、スタッフ役とお客役になりスタート。客役が「明日は夫の誕生日なんです。夫は遅れて到着しますが、何かサプライズのお祝いはできないかしら?」と、突然のリクエスト。スタッフ役は「明日の夜までに部屋の飾り付けをしましょう。ご主人が着いたら、きっと驚きますよ」と応じた。

やりとりを聞いた研修担当の藤井博章が、「あなたが接客スタッフならどんな飾り付けをしますか?」と問う。スタッフ役の答えは、「紙で輪っかを作ったり、折り紙とか日本のスタイルで飾り付けをしたらどうでしょうか」。すると藤井は、「お客様はバリに来たのだからバリ風の飾りつけを見たいはずです。あなたにしかできないおもてなしをすることが大切です」とアドバイス。こうしてバリでもスタッフのやる気を引き出していく

「自分にしかできないおもてなしを」と言われた女性スタッフが何か考えてきた。実は彼女は伝統的なバリスタイルの絵が得意。この特技を生かし、お客に手ほどきするような時間を作り、一緒に楽しめないかと提案してきたのだ。「お客様にバリの文化を知ってもらえたらとても嬉しいです。それはお客様にとっても素敵な体験だと思います」と言う。

言われたことではなく自分のこだわりを伝える。現地スタッフが一歩、踏み出した。

~村上龍の編集後記~

おもてなし」の心、流行語にもなったが、その定義は曖昧だ。親切心や優しい笑顔などは、他の国にもある。

日本独自の価値観を示すこと、星野さんの考えは明確だった。だが、それは簡単ではない。

日本独自の価値観を再発見しその示し方を相手の側に立って徹底して考える、それ以外に方法はない。

政府は、2020年の訪日外国人目標を4千万人に倍増させたが、そのためには、星野リゾートの「ホスピタリティ・イノベーター」という新しいビジョンを、社会的に共有することが必要なのではないだろうか。

  

<出演者略歴>

星野佳路(ほしの・よしはる)1960年、長野県生まれ。1986年、コーネル大学大学院修了後、シカゴで就職。1991年、家業の星野温泉旅館を継承。

source:テレビ東京「カンブリア宮殿」

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命がけでユダヤ人を守り抜いた日本海軍大佐・犬塚惟重の半生

今回の無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』の主人公は、日本海軍の大佐でありながら、「ユダヤ問題研究家」としても知られる犬塚惟重(いぬづかこれしげ)大佐。陸軍所属で同じくユダヤ問題の研究家でもある安江仙弘(やすえのりひろ)大佐とともに、世界中で酷い扱いを受けていたユダヤ人の保護活動を続けていました。犬塚大佐は一体どんな思いで彼らを見つめ、守り抜いたのでしょうか?

ユダヤ難民の守護者、犬塚大佐

1982年3月12日付けエルサレム・ポスト誌にタブロイド判1頁を費やして次のような記事が掲載された。

1941年3月、このシガレット・ケースは39年以来、上海でユダヤ関係機関長であった犬塚惟重海軍大佐が、300名のユダヤ神学生を日本占領区域に収容してくれたこと、1万8,000名のドイツ、オーストリー、ポーランドからの避難ユダヤ人を救ったことへの感謝の印に贈られたものである。

 

このシガレット・ケースは犬塚未亡人から米国のラビ・トケイヤーの手を経て今、エルサレムのヤッド・バシェムに贈られ、大虐殺追悼記念館の収集品に加えられた。

 

(寄贈)式はアラド総裁事務室で地味に挙行され、犬塚大佐がこの贈り物を受け取るまでの経緯を総裁が述べ、ユバル副総裁が1948~49年に上海で見聞した犬塚大佐は学者肌で人道主義の寛大な日本士官で、特にユダヤ民族の更生に力を尽くした非凡な人物との評価を披露した。

 

また、彼の指揮によって、日本人学校校舎が避難ユダヤ人たちの宿舎になり、病院建設に協力したり、シナゴーグ(ユダヤ教教会堂)建設工事にセメントを融通するなどの助力を惜しまなかった。

上海へのユダヤ難民

上海に最初のユダヤ人難民が流入したのは、1938年秋、ナチスが当時ヨーロッパで最大のユダヤ人口を持つオーストリアを併合してからであった。その後、チェコ、ポーランドとドイツの支配圏が広がるにつれて数百万のユダヤ人が世界各地に逃げ出さざるをえなくなったが、彼らの目指すアメリカ、中南米、パレスチナなどは入国ビザの発給を制限していた。

ユダヤ難民がビザなしに上陸できたのは、世界で唯一、上海の共同租界、日本海軍の警備地になっていた虹口ホンキュー地区だけだった。ここにユダヤ難民がどっと押し寄せたのを、現地ユダヤ人らが、もとの小学校や中学校などの無人の建物に収容して、給食や生活保護を行うことにしたのだった。船が着くたびに上陸するユダヤ難民はたちまち1万8,000人に膨れあがった。

1939(昭和14)年夏、犬塚大佐は東洋一と言われた17階建てのブロードウェイ・マンション・ホテルの16階に事務所兼住居を定めた。25畳ほどのリビング・ルームにベッド・ルーム、クローク・ルームなどを備えたスイート・ルームだった。謀略嫌いの海軍の工作機密費はわずかだったので、犬塚は自分の退職金をすべてユダヤ工作につぎ込むつもりだった。

海軍武官府からは贅沢だと非難する向きもあったが、哨兵の立つ武官府ではユダヤ人達が気安く出入りしにくく、また極東のユダヤ財閥の首脳部に応対するためには、こうした見栄も大切だった。