見事なすり替え。大手紙「少子化の原因は終身雇用」の違和感

これまでも、「ここにも『非正規』の影。性交渉経験なし25%報道が炙り出すもの」等で、「少子化と騒ぎ立ててはいるものの、全くといっていいほど実効性のある政策は取られていない」とたびたび日本社会に対して苦言を呈してきた、健康社会学者の河合薫さん。今回も河合さんは自身のメルマガ『デキる男は尻がイイ-河合薫の『社会の窓』』で、10月7日に新聞が報じた少子化関連の記事内容に異を唱えるとともに、「子供を生みたい社会」を作ることに成功した沖縄県の試みを紹介しています。

※本記事は有料メルマガ『デキる男は尻がイイ-河合薫の『社会の窓』』2019年10月9日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。

プロフィール:河合薫(かわい・かおる)
健康社会学者(Ph.D.,保健学)、気象予報士。東京大学大学院医学系研究科博士課程修了(Ph.D)。ANA国際線CAを経たのち、気象予報士として「ニュースステーション」などに出演。2007年に博士号(Ph.D)取得後は、産業ストレスを専門に調査研究を進めている。主な著書に、同メルマガの連載を元にした『他人をバカにしたがる男たち』(日経プレミアムシリーズ)など多数。

少子化の原因は終身雇用だって?

出生数90万人割れへ―推計より2年早く――。

これは7日月曜日、日経新聞の一面にデカデカと記された衝撃的な見出しです。といっても「90万人の深刻さがピンとこない方も多いと思いますので、ワンポイント知識から。

統計のある1899年以降、出生数が最も多かったのが1947~49年の「第一次ベビーブーム260万人台が3年間続き元経済企画庁長官の故・堺屋太一氏が「団塊の世代」と名付けました。

その後、第二次ベビーブームの「団塊ジュニア世代」(71~74年生まれ)を最後に出生数は徐々に減少傾向に転じたものの、2015年までは100万人台を維持してきました。ところが2016年に100万人を下回ってからわずか3年で90万人を割る可能性が高くなってしまったのです。

もっとも街を歩けば高齢者だらけ、会社を見渡せばおじさんだらけ、なので子供が減っているリアルは数字を見なくても肌で感じられます。

以前、海外のジャーナリストから「日本は本気で少子化対策をやっているとは思えない」と指摘されましたが、少子化タスクフォースしかり、女性手帳しかり、婚活イベントしかり、トイレ大臣しかり…。

どれもこれも「あの~、それで子供産みたいって人マジで増えると思ってるんですか?」と突っ込みどころ満載のキャンペーン”が繰り返されてきました。

おまけに記事では、「正社員の終身雇用が多い日本の労働慣行では出産や育児で休職するとキャリアが積み上がらず仕事上不利になりやすい」と、まるで終身雇用に問題があるかのように結論づけていて違和感アリアリです。

「夫により子育ての参加拡大を認める企業文化の定着を含め」という見解には大賛成ですが(記事内に書かれていた)、そもそも「さっさと女性は結婚し、子供を産み、仕事もしなさい!」と、「女性=単なる経済成長の道具としたのが問題なのです。

だいたい「夫婦2人と子供2人という家族を標準モデルとしていること自体ナンセンスです。10年近く前から1世帯当たりの人数は2.46人。およそ半分の世帯は一人暮らしか夫婦のみ。しかも来年には「日本人の女性の過半数が50歳以上」です。

私を含めた半数以上の女性が50歳以上の「出産不可能女性(←国の見解)になる」ということは……。な、なんと一人で5人も6人も産まないと政府が目標にする希望出生率1.8には届きません!

一方、母子世帯数は約123万2,000世帯(推計)で、30年前と比べると1.5倍。最近は選択的シングルマザーも増加中です。シングルマザーの貧困率の高さはこれまでも指摘してきましたが、日本では未婚の母子家庭は死別・離別のひとり親に適用される寡婦控除を受けられないなど税控除や行政の助成の対象から外されてしまうのも大きな問題です。

2017年に先進国の中でもっとも高い合計特殊出生率1.88を記録したフランスでは選択的シングルマザーが社会に受け入れられていて、出生数の6割が結婚していない親からの出生だとされています。

例えば、パリ市では教育と保育福祉には徹底的にお金を使い、全ての子どもたちが同じように質の高い保育と教育を受けられる工夫が施されている。「どんな家族のカタチであれ、子の権利は同じ」という政治的理念のもと、「子供を産みたい社会」を作っているのです。

つまり、やれ90万人割れだ!それ少子化が急ピッチで進んでいる!と大騒ぎする前に、「今生まれている子供を大切にする仕組みは万全なのか?をもっともっと深掘りすべき。それが結果的に「子供を産みたい!と理屈なしで思える社会を作ることになるのではないでしょうか。

韓国「玉ねぎ男」チョ法相が辞任表明。日本語による辞意発表全文

家族や本人に関する数々の疑惑が浮上し、むいてもむいても出てくることから通称「玉ねぎ男」と呼ばれていた、韓国のチョ・グク(ヂョ・グク)法務大臣が14日午後、辞任を表明しました。無料メルマガ『キムチパワー』では韓国在住歴31年の日本人著者が、チョ・グク法相が出した辞意発表の全文を日本語に翻訳して伝えています。

ヂョグク、法務大臣を辞退「検察改革のための「焚き付け役」の役割はここまでです」

国民の皆さん!

私は今日法務省大臣職を辞めます。検察改革は学者と知識人として私の生涯の使命であり、長い間悩んで追求してきた目標でした。「牽制と均衡の原理に基づいた捜査構造改革」「人権を尊重する節制された検察権行使」などは長年の所信でした。

検察改革に向けて、文在寅(ムン・ジェイン)政府初の民情首席として、また法務部長官としてこの2年半全力疾走してきました。私ができる最善を尽くしました。

しかし、思いもよらないことが起きました。 理由を問わず、国民にあまりにも申し訳ないことでした。特に傷つけられた若者たちに対して深く謝ります。家族捜査によって国民の皆さんに本当に申し訳なく思いましたが、長官として数日間だとしても検察改革のために最後の私の任務を全うしようという覚悟で一日一日を耐えました。

しかし、もう私の役割はここまでだと思います。この10月8日、長官就任一か月を迎え、11個の「迅速推進、検察改革課題」を発表しました。 政府レベルの法令制定改正作業も本格化しました。昨日は検察の改革に向けた高官レベルの与党政府間会議で、文在寅政府の検察改革計画を再確認しました。

これからは当該省庁が力を合わせて検察改革作業を必ずやり遂げてくれると信じています。

もはや検察改革はとめることのできない、滔々たる歴史的課題となりました。どの政権もできなかったことです。

国民の皆さん!

これ以上私の家族のことで大統領と政府に負担をかけてはならないと判断しました。 私が長官の席から降りてこそ、検察改革の完遂が可能な時が来たと思います。私は検察改革のための焚き付け役に過ぎません

焚き付け役の役割はここまでです。

あらゆる抵抗にもかかわらず、検察改革がここまで来たのはすべて国民のおかげです。国民は私を降ろして、大統領に力を合わせてくださることを切に願っています。検察改革の制度化が軌道に乗ったことは事実ですが、進むべき道は遠いです。これからは私より強力な推進力を発揮してくれる後任者にバトンを渡して仕上げをお願いしたい。家族全員が満身創痍になって個人的にもことばにできないほどとてもつらかったです。

しかし、検察改革を応援する多くの市民の意思と情のために耐えることができました。もうすべてを投げ捨てて、人生で一番辛い時間を過ごしている家族のそばにいながら慰めてあげようと思います。

私よりもっと傷ついた家族たちをこれ以上自分勝手に耐えろとは言えない状況になりました。特に元々健康がとても悪い妻は一日一日をぎりぎりで支えています。人生で一番つらくて苦しい時間を過ごしている家族のそばに今一緒にいてあげられなかったら一生後悔すると思います。家族が自暴自棄にならないように、ただそばで家族の温もりでこの苦痛を一緒に耐えるのが自然人としての道理だと思います。

国民の皆さん!

私の使命は終わりました。私はもう一人の市民に戻ります。しかし、荒野の中でも検察改革の目標を忘れずに市民の心とともにあります。これまで足りない長官を補佐し、短期間で成果を出すために最善を尽くしてきた法務部の幹部職員に深く感謝します。 後任者がいらっしゃる前まで、動揺することなく業務に精進してほしいです。

最後に、国民の皆さんが私を踏み台とし検察改革の成功のために知恵と力を集めてくれることを切に願います

ありがとうございます。

 2019.10.14. ヂョ・グク


ここまでが全文である。本人も含めた家族(妻・子ども)があまりにも多くの不正・非理をやった。それでも検察改革の号令のもと、1か月あまり耐えに耐えてきた。でも限界と悟ったようだ。国民の不満が彼が辞める事で収まるかどうかはまだわからない。今後、どのような流れが韓国で起こってくるのか、目の離せない状況となった。

なぜ、多くの企業の「ハラスメント相談窓口」は名ばかりなのか?

嫌がらせ=ハラスメントに対して、企業は相談窓口を設置する義務があります。しかし、実情はその重要性が理解されておらず、機能していない場合もあるようです。今回の無料メルマガ『新米社労士ドタバタ日記 奮闘編』では、企業でハラスメント対策相談窓口を設置する際のポイントを紹介しています。

ハラスメント相談窓口

ハラスメント対策での重要ポイントに相談窓口がある。いまや就業規則にも、社内ポスターにも相談窓口を設置する義務がある。しかし、現実は…??

初動となる窓口なのにその重要さはあまり理解されていず、小規模では、名ばかり相談窓口が多いように感じる。では、良い相談窓口をつくるにはどうすればいいのだろうか…。


新米 「ハラスメント対策で相談窓口の設置をしないといけないことについて、どんなことに注意すべきですかって、質問が来たんですが、どう答えるのが良いですか?」

大塚 「へぇ~、あんたにハラスメントの質問が来たんやねー」

新米 「そうなんですよ。まだちっともわかってないのに…」

E子 「相談窓口の初期対応、つまり一次対応は、ハラスメントを未然に防いだり、大きくなったりすることを防ぐ極めて重要な役割でしょ。でも、案外そう理解されていないことも多いわ。そこでトラブルになって、次の段階であわてて上司が出てきてフォローしようとしても、もうその時には手遅れっていうことだってあるのよ」

新米 「うーーん、一時対応をきちんとしないと、物事が深刻化してしまうこともあるってことですね」

大塚 「ことが大きくならないようにするためにも、気軽に相談できる窓口をつくることが大事ってことですね」

E子 「そうね。相談担当者がスムーズに対応できるよう助言や援助の体制や教育・研修制度の整備がほしいわね」

大塚 「担当者マニュアルや取扱いルールの整備、相談記録も必要になりますよね」

深田GL 「そうだね。ホント、相談しやすい窓口をつくることは重要だよ。他には、どういうことに気をつけるのが良いかな?」

大塚 「窓口担当者は、男性だけでなく、女性もほしいですね」

新米 「一人で対応するのでなく、複数の方がいいですもんね」

E子 「そうね。男女含めた複数を選任して、相談者側で担当者を選択できるようにするのがいいわね」

新米 「話しやすい人選ぶことができるのは良いですね」

深田GL 「相談担当者の人選については、ハラスメントや人権問題に十分な理解を持つ人中立的な立場で問題解決にかかわれる人人の話を傾聴できる人日頃の言動が皆さんに信頼されている人。そういう人から選ぶのが良いね」

大塚 「うーーん、奥が深いですね」

深田GL 「規模が比較的大きい場合は、社内の保健師さん、カウンセラーや看護師さん等を窓口にすることもあるだろうね」

所長 「なになに…たくさん意見が出ているね」

新米 「はい、先輩方にいろいろ教えていただいています!」

小学生レベルの言い分。他人を叩く「正義の仮面」を被った人々

「やっていい事と悪い事」や「正義と悪」の区別は、小学校の先生や親など身近な大人から教わるのが一般的と言えるかもしれません。今回の無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』では著者で現役教師の松尾英明さんが、数多くのヒーロー物の脚本を手掛けた作家のとある言葉を取り上げ、「一人歩きや暴走が起きやすい正義」の存在を指摘しています。

正義とは仮面だ

タイトルは、次の本からの引用。

ことばの贈りもの』松岡享子 著/東京子ども図書館

正義とは仮面だ」とは、ウルトラセブンや仮面ライダーの脚本家である市川森一さんの言葉である。我々、ウルトラマン、仮面ライダー世代の人間からすると、衝撃的な言葉である。

つまり、誰でも正義の仮面を被れるということ。

この本の中では、地下鉄サリン事件におけるオウム真理教信者の「正義」についての記述がある。正義の仮面さえ被ればどんな卑劣なことも正しいこととしてしまえる恐ろしさである。原爆問題と同じ構造である。

ここからは私見。「正義」についての疑問は、以前から何度も書いてきた。例えば、次の記事である。

日本語の「正義」にあって英語の「justice」にはない、大切なもの

「正義」というのは、正しさである。正しさというのは、常に相対的である。物差しがあるからこそ、正しい(プラス)と誤り(マイナス)が規定される。誰かに与えられたものといえる。

正義の仮面を与えられたと勘違いする人間は危険である。正義を他者に規定されるため、思考が停止する。「正しいと言われたからやってもいい」ということになる(「ウルトラマン」で子どもの頃からずっと疑問だったのが、破壊されるビルの中の人々のことである。ハリウッド映画での様々なヒーローの、街中の逃走暴走追跡シーンも同様である。正義のためだからやっていいという類のものではない)。

これは子どもの「先生が言ってたと同じ幼稚な思考パターンである。子どもは、子ども同士を自分の考えに従わせる場合、子どもにとって強い正義である先生や親を利用する。そこに正義が規定されているのだから、「錦の御旗」「絶対」として堂々と正義の剣を振りかざせる。

これは、大人社会でも同様である。相手より上の立場の意見である「正義」をちらつかせれば、弱い者は言うことをきく。自分の存在の大きさは関係なくなる。「あの偉い人が言ってた」となれば、それは急に正義になる。

教育現場では黒いカラスが白くなることなど、ざらにある(ゆとり教育などは、その最もわかりやすい例である)。

ネット上で、「叩く行為も全てこれである。この場合の正義は「世論」という架空にして確かに「ある」存在から与えられている(それが故に完全に責任者不在なのが厄介である)。

思考停止してはいけない。絶対的な正しさは存在しない以上、常に考える必要がある(この一文自体も矛盾を含むのが、悩ましいところである)。正しさは、常に自分の心で追い求める。

正義とは、仮面。例えば学校の正義とは文科省から与えられた仮面である。指導する際にも、このことは常に忘れずにいたい。

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脳神経解剖学者が断言。顔を見ればその人の全人格がわかるワケ

「いい人だと思っていたのに、がっかりした、裏切られた」…。そんな経験をされたことがある方、多いかと思います。やはり人を見抜くのは難しいことなのでしょうか。今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、「人の本性はすべて顔に現れる」とする、京都大学第16代総長も務めた平澤興氏の講話を紹介しています。

「顔は心の窓」──顔を見ればその人がわかる 平澤興

いつも申します通り、身体の中ではだかになっておるのは顔だけであります。化粧をしましても、塗るだけでありますから、それは目の慣れない人から見ればひととおり綺麗でありますが、化粧の美は本当の美ではありません。

慣れた目から見ますというと、化粧も遠くに飾っておれば結構ですけれど、話をして一度か二度笑わせてみればその人のもとの顔が出るのであります。ごまかすことはできません。

一度笑わせたあとに一番もとの顔になります。鬼のような顔は上手に笑っても、きれいな顔が笑っても、笑ったあとの瞬間の表情を、顔を見れば瞬間であります。

もとの顔であります。これはおそろしいものであります。ですから私、いつも申します通り、ごく大事な人事には書いた履歴書はとりません人からも聞きません。人から聞いても、その人の言うことはあてになりません。書いたものもあてになりません

なぜなら、昔はちょっと面白くなくて罪を受けた、罰を受けたという人でも、それを通り越して、乗り越えて、さらに立派な人になっておるんなら、昔のことを責めることはないと思うのであります。私はそう思います。むしろ昔間違いをおかして今日は普通の人より偉くなっておるというその人の努力はたいしたもんであります

私は大学におります時も重要な人事は決して人に聞きません。人に聞きますというと、本当にいい人が悪口を言われる場合があります。書いたものを見てもなんだか途中に妙なところがあります。そんなものに気をとられますと、適切な人事はできません。

まず真っ先に会う。会ってしばらく話をしておりますと、これはもう、誰がどう言っても確かであります。

まあ決してということが言えるかどうか、私の経験の範囲内では、私は幸い「決して」という思い間違いをしたことはありませんでした。これはいい人だと思ったのにあとからなんとということは一度もありません

しかしまあ、私は幸運であったと思います。だから、決してとはよう言いませんけれども、まず間違いはないのであります。

顔ははだかであります顔は心の窓であります。心がちゃんと顔に出ておりますから、自信とかそんなものとは違います。

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友人に関する誤報に接し、肌で感じたフェイクニュースメカニズム

あるニュースサイトに掲載された友人女性に関する記事が目に止まった軍事アナリストの小川和久さんが、その記事には間違いがあると声を挙げました。その内容について、自身が主宰するメルマガ『NEWSを疑え!』で綴るとともに、少し調べれば判明する事実も確認しない書き手の姿勢を問題視。フェイクがすぐに拡散される現代において、自身も物書きとして気をつけなければならないと心に刻んでいます。

パッカードとスカイライン

思いがけないことで、ハッと気づかされることがある今日今頃です。ウェブ上で雑誌をパラパラ(?)とめくっていて、友人のことを書いた記事に出くわしました。

その友人とは、大学時代のひととき親しくしていただけで、その後は顔を合わせたこともないのですが、間違っていることを書かれていると気になりますし、訂正しておこうという悪い癖が頭をもたげます。そこでツイートしてみました。

この記事で『大学時代には、ねだられて米国製高級車パッカードを買い与えたこともある』は事実誤認。大学時代は中古のスカイライン。よく貸してもらったから断言できる。アメ車はもっと後。>住友銀行の天皇「磯田一郎」会長弱点を形成したマザーコンプレックス #デイリー新潮

もっと言うと、彼女が中古車を買ってもらったのは大学3年の後半。大学4年の夏など、卒論を書くために明日香村の民宿に行っていて、車を乗り回すどころではなかった

記事のタイトルを見てわかるように、友人とは磯田一郎元住友銀行頭取の長女S子さん。その後、戦後最大の経済事件とされるイトマン事件の重要な当事者になるなど、想像もしていませんでした。

事件については、マスコミが伝えることで概略を知っているくらいですが、S子さんに批判されるべき点があれば、それは致し方ないのでしょう。磯田氏が目に入れても痛くないほどS子さんを可愛がっていたのも間違いありません。しかし、事実ではないことを書き加えられて、いかにも悪女のように仕立て上げられるのは、友人として「ちょっと待った!」と言いたいところです。

磯田氏はS子さんの学生時代、住友銀行の常務から専務になったあたりで、権勢ならぶ者のないほどの実力者でしたが、だからといって外車をぽんと買い与えるほど甘くはありませんでした。大阪府豊中市の自宅から京都に通ってくるにも、普段は阪急電車、ときに車というパターンでしたし、愛車も普通のスカイラインのセダン、それも中古車でした。私が「なんだ、スカG(スカイラインGT)じゃないのか。中古かいな」と言うと、「父はそんなに甘くありません」と返ってきたのを思い出します。

そこでツイートに戻りますと、すぐさま知人の自衛隊将官OBからコメントがありました。

1980年代半ばの駐米間、パッカードは見たことがありませんでした。当時、製造終了?

私もパッカードは名前くらいしか知りません。そこで調べてみると、なんと1958年に製造終了!S子さんが大学に入った頃には、既に製造されなくなって10年ちかくもたっていたのです。

誰に取材した結果なのか、どこからパッカードの話になったのかわかりませんが、記事の筆者はそうした点を確認しないままに、「大学生のくせに、おねだりした高級外車を乗り回していた」と、稀代の悪女に仕立て上げる道具立てとして「おねだり」や「パッカード」を使ったのでしょう。

以上の話は、引用されるほどに誤報が膨れあがるフェイクニュース・メカニズムの一面を示しており、モノを書く仕事をしている立場として、肝に銘じた次第です。

S子さん、コラムのネタにしてゴメンね(笑)。(小川和久)

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そもそもなぜスッポンと比べた?「月とことわざ」を考えてみた

ことわざの正しい意味を知るのは大切なことですが、より突っ込んで「なぜその意味になるのか」といった奥深さを学べば、その面白さは倍増します。今回の無料メルマガ『1日1粒!『幸せのタネ』』では著者の須田将昭さんが、「月とすっぽん」「月夜に背中炙る」といった、月にまつわることわざを中心にその由来を紹介しています。

月とことわざ

子供達とことわざの勉強をしていると気づくのですが、ことわざとその意味を読んだ後「ふーん、そういう意味か」で終わってしまうことがままあります。

たで食う虫も好き好き」ということわざがあって「これどんな意味?」と聞くと、テキストに書いてある解説は読み上げてくれます。その上で「蓼って何?」と聞いてみます。

「知らない」「何それ?」となります。

本当はそこに興味を持って欲しいなというところです。

しかも「みたことないからわからない」となるのですが、写真を見せて「お刺身のわさびの横についているのはみたことない?」と聞くと「あー、知ってる」となります。

子供達にはちとからすぎるかもしれませんが、一度は口に入れてみて、「辛いなるほどこんなものを好きだという虫がいるのは変だよねということを体感して、その上で「蓼食う虫も好き好き」の意味を感じて欲しいところなのです。

そういった関連では、月に関連したことわざですが、

月とすっぽん

も同じです。意味は「比べ物にならないほどにかけ離れていることのたとえ」ということなのですが、なんでそんなものを比べようとしたのだろうと思ってしまいます。

月もすっぽんも形は丸くて似ているからというのがもともとあるのですが、すっぽんを知らないとそれはわかりませんね。

合わせて他に月のことわざも探してみましょう。

月夜に背中炙るあぶる

なんてことわざがあります。昼日中、背中を出して寝転がっていたら背中もじりじりと日焼けもするでしょう。あつくなりますね。でも月の光はどうでしょう?熱は全く感じませんね。どんなに満月の光が煌々としていようと、背中を炙ってもどうにもなりません。「回りくどくて効果がない」という意味なのですが、この辺りはまだわかりやすいかもしれませんね。

こちらはどうでしょうか?

月夜に釜を抜かれる

世の中には月夜ばかりではない

この2つは「月夜は明るいというのが根底にあります。今の時代だと、街灯の明かりでいつの夜でも明るいのでピンとこないかもしれませんね。

昔の人にとっては、月夜の明かりほどありがたいものはなく、また一方で、月のない夜の闇もまた怖いものであったと思われますね。

月のことわざ、他に何か思い浮かびますでしょうか?

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「少しでもお役に立てれば」の言い換えは?「いささか」の使い方

家族や友人との気楽な会話は楽しいものですが、ビジネス上のメールとなれば、同じような「くだけた話し言葉」を使うというわけにはいきません。とはいえ、意識して丁寧な言葉を探してみても、付け焼刃ではなかなか上手く行かないのも事実です。今回の無料メルマガ『神垣あゆみメールマガジン』では、普段使っている話し言葉を、より好ましい「改まった言い方」に言い換える工夫を紹介しています。

改まった言い方 「すごい」の言い換え

程度がはなはだしいことを「すごい」と言います。「すごいおいしかった」とか「すごいいい人」のように会話で使うことが多いです。

「すごい」自体は形容詞なので「すごいおいしい」とか「すごいいい」は形容詞+形容詞となるため、副詞すごくを使いすごくおいしい」「すごく良いとするのが適切です。ただ、会話では上記のように「すごいが副詞的に使われることが多くなっています。

では「すごい」「すごく」の改まった言い方はというと……、「大変」「非常に」「とても」「誠に」が挙げられます。書き言葉でもよく使われる表現です。

「すごいおいしかった」は目上の相手には「とてもおいしゅうございました」に。「すごいいい人」は、「いい人」を具体的な言葉に変換して「大変温厚な方です」のようにすると、より伝わりやすくなります。

話し言葉にくだけた表現を使うことが多いのは、直接対話するため相手との距離が近く、言葉以外に表情や身振り手振りで補えるからです。

しかし、書き言葉では文字だけで伝達するため感情を伝えるのにも言葉の選び方や表現を工夫するしかありません。話し言葉と同じ調子で言葉を省いたりくだけた表現を使ったりすると本意が伝わらず誤解を招くこともあります。

少なくとも、仕事でやりとりするメールでは書き言葉にスイッチを切り替え改まった言い回しを意識して使うほうが相手に失礼にならず、好印象を与えます。

改まった言い方 「ちょっと」の言い換え

量や度合いが少ないことを「ちょっと」「ちょこっと」「少し」と言いますが、改まった言い方では「わずか」「ささやか」「いささか」とします。「ほんのちょっとですが」は「わずかですが」とか「ささやかですが」に。

会話でも「ちょっとお待ちください少々お待ちください」と言い換えると丁寧さが増します。

誘いを断るときに「予定があるのでちょっと……」と最後まで言わずに「ちょっと」で言葉を濁してうやむやにするケースがありますが、そのようなときは

「あいにく予定があり、参加できません」
「残念ながら、今回は不参加とさせてください」

のように、きちんと断りを入れるほうが好ましいです。

「少しでもお役に立てれば」と伝えたいときは「いささか」を使って「いささかなりともお役に立つのでしたら」とします。また、「いささか」を打ち消した「いささかならず」という言葉もあります。少しでない、つまり、とてもという意味で「面倒をかけるばかりで、いささかならず気が引けます」のように用います。

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