アート・インタビューVol.2「腹にくる」美術作品とは?

アートインタビューの第2回は、株式会社東京美術倶楽部の代表取締役会長淺木正勝さんにお話を伺いました。第1回は東京美術倶楽部の活動や美術作品の歴史について触れてきましたが、今回は優れた美術品を見分けるコツや美術商の在り方についてのロングインタビューです。

【関連】アートインタビューVol.1 「自分が生きてる間だけは自分の文化にしておきたい」

丁稚奉公8年からのスタート。「腹に来る」作品との出会い

−まずは淺木さんとアートとの出会い、についてお聞かせください。

淺木:私は昭和16年12月16日、真珠湾攻撃のほぼ一週間後に生まれました。戦後、昭和35年に高校を卒業、そのまま父が創業した美術店で働いたわけではなく、他の美術店に住み込みで入りました。これが美術業界でのスタートになります。今の方にはわからないかもしれませんが、休みもなし、給料3千円でした。そこで8年半、店の主人の住居と店を往復するだけで、実家にも帰らず修行していました。これが美術商としての私の原点になっていると思います。修行を終えて、実家の美術店に入り、昭和59年に社長を引き継いで、現在に至っています。

住み込みの時は無我夢中でしたが、実家の美術店に入ってから、自分で美術商として考えるところが多々ありました。当時は前田青邨、東山魁夷、杉山寧といった錚々たる先生方が第一線で活躍されており、父の店ではそうした方々の新作展を開催したり、一方ですでに亡くなられていた横山大観、川合玉堂といった巨匠の展覧会も実施したりして、お客様の要望に幅広く応えるように、多くの先生方と付き合いがあったのです。そのことに疑問があって、私が社長になってからは、扱う対象を私自身が心の底から納得できる、いわば私の「腹に来る」作家と作品に限定して、個展や展覧会を開くようになりました。

 

−「腹に来る」、いい言葉ですね。なんか今日のインタビューのテーマになりそうな気がします。その当初はやはり日本画が中心でしたか?

淺木: いいえ、時代の流れもありましたし、自分の好みを打ち出して、洋画も取り入れました。梅原龍三郎、中川一政、林 武、それに鳥海青児といった先生方です。

まだ社長になる前、東京美術青年会(東京美術商協同組合の下部に属する40歳以下の若手の組織)の理事長をしていた昭和50年代の始めには「食器展」を企画しました。食器だけの展覧会で、陶芸家の先生方に作陶を依頼しに全国を回りました。食器は焼き物の原点で、基本のデッサン的な要素が強く、大変興味深かったのです。たとえ有名でも、自分の「腹に来る」ことがない先生方には声をかけなかったので、周囲からプレッシャーがあったことを覚えています。

私は絵画を主に扱っていますが、工芸の方が世界に向けてアピールしやすいのではないかと思うのです。絵画、特に日本画は日本独自のもの、と非常に強く考えられています。私自身は、岩絵の具で描かれた日本画は世界に絶対に通用する、と信じているのですが、その魅力を世界に発信する力が作家、評論家、そして私たち美術商にも足りないのかもしれません。

そういう意味で、海外の作家や美術商は、自分たちの魅力をアピールする、売り込む術を熟知しているようです。日本人でも、例えば村上隆は、そういうことを理解した上で、日本の文化的要素を海外に打ち出して、スポンサーを獲得していますね。彼の作品のスケール感に惹かれている人も多いけれど、彼が作家としてすごいのは自分の作品を世界にアピール出来ていること。自分を訴える力を持っていることです。現代アートの世界には、その力が特に必要不可欠ではないでしょうか。

実際、現代アートは世界中で盛んになっています。そういう流れには反するようですが、私は伝統を重視し、そこから新たな創造性を発揮していくことが大切だと思っています。我が国には素晴らしい文化の歴史があり、貴重な文化財も伝承されています。今、お隣の中国で現代アートがもてはやされているのは、王朝の交代による戦乱から文化大革命に至るまでの歴史要因が、あの国の文化財を消滅、流出させ、混乱の中で地道な美術商も育って来なかったからでしょう。伝統が失われてしまえば、必然的に現代アートに飛びつくしかなかったのだと思います。

それでも、千利休のような人が現代日本にいれば、時代の状況は変わっているかもしれません。彼は今で言えば、現代アートの要素を持った天才だと思います。天才的な芸術家でありプロデューサーでもあって、生活雑器のようなものも芸術の高みに引き上げて新たな価値を生み出しています。近年では、岡倉天心でしょうか。そういう人物が現代にいないのは、ある意味、致命的なのかもしれません。現在の我が国には、本物と呼べる、圧倒的な力を持ったプロデューサー、優れた評論家で企画力に富んだ人物が不在なのだ、と私は思っています。

美術商として必要な「心眼」。

−いろいろな分野で今日本にはプロデューサーが足りていませんね。一方、淺木さんのお役目の美術商、その美術商の大切なお役目は真贋の鑑定だと思うのですが、いかがでしょうか。

淺木:作品の鑑定機関が確立され、美術品の流通が安定的に広がった反面で、個々の美術商自身が真贋を判断する力、鑑識眼が弱くなって来ています。私も若い頃はずいぶん偽物をつかまされたこともありました。そういう経験を積み重ねて、美術商は自らの眼を養わねばなりません。単に真贋を見極めるだけではなく、作家の持っている本質を把握し、同時に作品を通して自分自身の好みを確かなものにして行く、言い換えれば、「自分の心の眼を磨く」、ということが重要なのです。お客様はそれぞれの好みで美術品を購入されますが、美術商にもそれぞれの好みがあります。それを極めて行くことで、美術商の個性が生まれるのですから。

そうやって美術商が独自の眼を育てて行かないと作家も育っていかないし、愛好家やコレクターを啓発することもできません。最近の美術商は、私から見ると、そういう面が弱い、仕事の進め方が軽いように思えてならないですね。

−「心の眼を磨く」こと「自分の好みを確立する」ことについてもう少し、詳しくご説明頂きたいのですが。

淺木:いわゆる「心眼」ですが、目に見えないものを鋭い心の動きで把握するためには、日頃の訓練が大切だと思うのです。一流の作品、一流の人物と関わる中で、自分が真剣に対応できているかが問題になるでしょう。理屈で説明するのではなく、自分の心に直接訴えて来る何かを見つけることに意味があるのではないでしょうか。「胸を打つ」とか「腹に来る」とか、身体的な表現になりますが、そうした対象を増やしていくことが美術商にとって不可欠だと考えています。

−「心眼」は日々の勉強、鍛練、努力と経験の蓄積によるものなのですね。一方で作品を直接身体で感じる感覚を身につけるのは、そうとう難しいことではないでしょうか。

淺木:「心眼」を鍛えることと、作品を自分の身体で感じるようになることは、別のことではないのです。自分自身の作品の見方を自分で造り上げ、そこに当てはまってくる作品が「腹に来る」のです。

具体的に申し上げますと、私にとって髙山辰雄先生は、まさに自分の身体が直接感じてしまう存在でした。東山魁夷先生や杉山寧先生は、その技術や色彩のセンスが素晴らしいのですが、髙山先生の素晴らしさはその作品の内面的な部分にあります。先生の作品を見ていますと、表面に描かれた絵の状態だけではなくて、その奥に、作家が言わんとしている何事かが確かにあって、それが私の胸や腹にぶつかって来るのです。言い換えれば、作家の精神性内的な部分ということでしょうが、自分を圧倒して来るようなその力が日本画の大きな魅力だと思うのです。それをどのように理解し、どのようにお客様に説明するか、ということが美術商としての大切な仕事なのではないでしょうか。

 

ただ、日本画の精神性の高さや深さという概念は海外の人には伝わりにくいようです。言葉や論理ではない、阿吽の呼吸というのでしょうか、禅宗では不立文字ということを言ったりしますが、我が国にはそういう文化の基盤があるので、多くの方に日本画を理解していただけるのでしょう。

速水御舟や村上華岳といった歴史的な画家の作品などは、まさにこの日本画の精神性の表現そのものでしょう。華岳の描いた観音像は、彼自身にとっての女性の美を極限まで追求し、昇華させたものであって、観音菩薩像を写生したわけではない、というところまで、美術商は踏み込んで、お客様に説明しなければなりません。実際、パッと見て美しいなあ、と思った作品はすぐに飽きてしまう可能性も高いのです。表面の美しさよりも、内面の温もり、魅力が大切なのは人間と同じでしょう。

 

−身体で感じられるまでに内面化する、ということですが、それと「真実の美」とはどう関わるのでしょう。自分で何でも造り上げてしまうなら、「美の客観的基準」は基準にならなくなってしまいませんでしょうか。

淺木:美術商は自分が見て感動し評価し取扱った作品に責任を持たなければなりません。作品の表面的な部分に縛られることなく、その作品が持っている魅力を、自分の責任でお客様に伝えていくわけです。美の客観的基準というのは、何やら難しそうで、私は考えても仕方がない、と思っています。そんなものが簡単に手に入ったら面白くないでしょう。その基準を学んで絵を描いたら、みんな名作になってしまいます。

「個性」というと意味が大きくなりますが、作家はもちろん美術商も個性的であるべきだと思うのです。美術品は世界の全ての人にお勧めする性質のものではなく、ある美術商とあるお客様との関係の中でその本当の魅力を発揮するのではないでしょうか。

日本画の場合、作家は描く対象を眼の前に置いて作品を描くのではなく、スケッチに出たり、デッサンを何枚も描いたりして、下絵を作って、あれこれ構想してアトリエで作品を生み出します。その構想の奥にある作家の内的な部分を世の中に響かせる仕事を、私たち美術商は理解し扱うべきだと思っています。

以前、横山大観の仕事ぶりを元芸妓の方から聞いたことがあります。「河口湖に鞄を一つさげてやって来られて、朝から晩まで富士山の周りを歩き周るだけでスケッチなんか全くなされない。

 

それで宿に戻って好きなお酒を飲みながら、ようやく深夜にかけて絵を描き始めておられた」というのです。朝の富士、夕方の富士、雨の日、晴れの日、色々な角度で富士を見つめて、富士を自分の心の風景にして、自分の富士山を描かれたのですね。大観は実は偉大な哲学者で、その心象風景の高邁さは恐ろしいほどなのです。

言っても仕方がないけれど、そういう偉大な画家が現代にはいないでしょう。美術商の責任でもあるけれど、多少経済的に安定していれば、もうそれでよし、という画家が少なくありません。飢え死にしないで、とにかく絵が描きたいんだ、他のことはどうでもいい、というくらいの気概のある生き方は難しい時代なのでしょう。

美術商であれば、自分の眼を養い、高いレベルを目指して、積極的に自分を前に出した方がいいのですが、今は周囲から突出しないよう配慮して、余計なことを言わないでいる場合が多いようです。よくも悪くも平均的になって、かつてのような一匹狼がいなくなりました。

−そういう状況の中で、後輩の方々にはどのように接しておられますか。

淺木:何よりも、自分の眼を養う努力をするよう言い続けています。そのためにはとにかく多くの作品を見ることでしょう。まめに展覧会や個展に通ったり、画集を見たり、その作家の生涯を通した作品を見て行くと、その作家の本質がわかって来るものです。鑑定の場合だって、その作品だけ見ていても鑑識眼は養えません。その作家の作品を、スケッチやデッサンも含めて、とにかく数多く見る、という意欲が大切なのです。

さらに、歴史的なことも学習して行けば、他にも色々なことがわかります。たとえば、1924年に横山大観、川合玉堂、竹内栖鳳ら巨頭6名を集めて結成して鎬を削った三越主催「淡交会」という展覧会がありました。何回か開かれているのですが、ここに出た作品は、巨匠がお互いを意識して気合を入れているので、名作が多いのです。なので、販売の時には「淡交会出品作」というと値段が違ってくるのです。その後も三越、髙島屋を中心に数々の名作を生んだ展覧会が多々開催されています。今、そういった展覧会が全く無くなってしまったことは残念でなりません。

鑑定について言えば、科学鑑定は大切で、可能な限りやるべきでしょう。紙の漉かれた時代や箱書き、落款、印章なども私どもが鑑定の根拠にしていることです。それでも、美術商が一番大事にするべきなのは自分の眼であって、科学鑑定はあくまでも参考に、と私は思うのです。というのも、科学は客観的なものですから、データーがあれば同じものを作れてしまいます。コンピューターで分析しても、偽作者の悪意は判断できません。精巧な偽作の品格の無さまでも把握する美術商の眼は、日々の努力でしか修得できないでしょう。

フジテレビが台湾に謝罪。いったい何を「やっちまった」のか?

東日本大震災や熊本地震の際にいち早く手を差し伸べてくれた世界一の親日国・台湾。日台の固い絆に感動を覚えた方も多いのではないでしょうか。ところが先日、「間違い日本語を徹底調査」と題して台湾の飲食店を嘲笑的に扱った番組が日本で放送され日台両国民が激怒、さらに捏造疑惑まで露呈しオンエアしたフジテレビが謝罪するという事態に発展しました。メルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』の著者で台湾出身の評論家・黄文雄さんは、日台関係に水を差すフジテレビの愚行について厳しく批判するとともに、現代の日本人が失ってしまった「日本精神」についても言及しています。

【日台】日台の歴史を貶めようとする日本マスコミの病理

フジ「やっちまったTV」、ついに台湾に謝罪 パチモン扱い「嘲笑的な演出」

フジテレビのバラエティ番組『日曜ファミリア・やっちまったTV』(フジテレビ系)に、捏造疑惑が浮上しています。

台湾には「なんちゃって日本語」と言われる、ちょっとおかしな日本語が溢れていることは皆さんよくご存知だと思います。レストランのメニューやTシャツのロゴなどによくあるものです。夜市で安く売っている洋服などでは、日本のキャラクターをマネた絵柄や間違った日本語が描かれているものも多くあります。

日本人からしてみれば、思わず笑ってしまう日本語やキャラクターは沢山あります。日本のマスコミでもその部分だけを切り取って面白おかしく紹介されることがよくあります。そうやって楽しむ分にはいいでしょう。

しかし、今回のテレビ番組の騒動は、どう見てもやりすぎです。台湾の小さな店に、牡蠣を乗せたカキ氷を出させて「カキと牡蠣をかけている」と紹介し、それを嘲笑したということがネットで批判の声が上がり、台湾のニュースでも取り上げられる騒ぎとなりました。

もともとこの店ではカキ氷に牡蠣をのせた料理が名物となっていたようですが、問題は、番組ではいかにも「牡蠣」と「カキ氷」の発音をかけて、料理を考案したかのように報じたことです。日本に憧れる台湾が、発音が似ているということだけで、無理やり牡蠣を載せたカキ氷」というメニューを作り出した、ということ「パチモン」(偽物)として嘲笑するようなニュアンスだったそうです。

しかし、そもそもそれは日本語的な発想であり、ネットではテレビ局のやらせではないかという批判が続出しました。

世界5位の実力。ビジネスホテル「ドーミーイン」は何が違うのか?

最近は徐々に変わりつつあるとはいえ、ビジネスホテルはシティホテルなどと違い「ただ寝に帰る場所」というイメージが強いですよね。そんな中、独自の強みを活かしたサービスを追求し、今では顧客満足度抜群のホテルとして選ばれるようになったのが共立メンテナンスが運営する「ドーミーイン」です。無料メルマガ『MBAが教える企業分析』で、ここまで支持を集めた理由が解説されています。

企業文化に支えられた強み

ちょっとした気配りで人気のホテルを分析します。

共立メンテナンス(学生寮・社員寮・ホテル事業)

今回は共立メンテナンスのビジネスホテル「ドーミーイン」にフォーカスをあてます。

◆戦略分析

図表1「共立メンテナンス(ドーミーイン)戦略」

戦場・競合

  • 戦場(顧客視点での自社の事業領域):ビジネスホテル
  • 競合(お客様の選択肢):東横イン、アパホテル、スーパーホテルなど
  • 状況:訪日外国人の増加によりホテルの市場規模は増加傾向にあります。

強み

1.心も体もリフレッシュ

  • 天然温泉の大浴場、露天風呂、サウナなどで癒しを提供しています。
  • 温泉旅館に来ているような感覚

2.くつろげる、快適

  • 和の布団
  • 共有スペースにいける館内着の作務衣(さむえ)を用意

3.おいしい朝食

  • 地元食材を使った栄養ある朝食
  • 毎日作りたての約50種の料理

⇒上記の強みを支えるコア・コンピタンス
★寮運営ノウハウを生かした気配りの文化

  • 約370の学生寮や社員寮を運営している実績
  • お客様のあったらいいなを日々研究・導入
  • コンセプトは「住むホテル」
    「わが家で過ごすようなくつろぎを提供する」

→上記のようなコア・コンピタンスがあるからこそ強みを実現できているといえます。

顧客ターゲット

  • お手ごろな価格と、快適な時間を両立したい人
    →週末は観光客、平日はビジネスパーソンが中心

現役医師が断言。「認知症」は良心的な考えや行動でリスクが下がる

高齢化が進む日本にとって、大きな問題の一つである「認知症」。しかし、その予防法は徐々に解明されつつあります。今回のメルマガ『ドクター徳田安春の最新健康医学』では、認知症になる原因と、予防法について取り上げています。中でも「ボランティアなど、社会の役に立つ行動を積極的に行っている人は認知症になるリスクが低い」というのは今まであまり聞いたことがない説なのではないでしょうか?さっそく詳しく見て行きましょう!

増える認知症

認知症で最も多い原因であるアルツハイマー病は、高齢者に多いので、高齢人口が増えると認知症の人々も増えてきます。また、高齢者で多い脳梗塞も認知症の原因として重要であり、2番目に多い原因となっています。このようなことから、高齢者人口の割合が増えている日本では認知症の人が多くなってきています。

しかしながら、高齢そのものが認知症の原因ではありません。高齢者でも、アルツハイマー病や脳梗塞にかからない人々は多く、そのような人々のなかには活発な知的活動を続けているひとも大勢おります。そのような人々の生活習慣から、認知症の効果的な予防法についてのヒントを得ることができます。

アルツハイマー病と脳梗塞のうち、脳梗塞の予防法についてはほぼ確立しています。まず、第一に、やはり禁煙です。そして、次に高血圧と糖尿病の予防と治療減塩エクササイズ適正体重の維持、そして定期的な血圧・血糖の測定とそのコントロールが重要です。

また、心房細動という不整脈が原因となって、心臓の中の1つの部屋(心房)に血栓ができやすくなり、これが脳の血管に詰まると脳梗塞となるタイプのものがあります。この種類の脳梗塞を予防するためには、心房細動の特徴である脈のリズムがバラバラであるなどの症状があったときには早めに医療機関に受診して、血液をサラサラにするお薬を内服するなど、脳梗塞の予防を始めるようにお勧めします。

眼前に迫る中国の脅威。日本はアメリカに見捨てられたら終わるのか?

今や到底無視することができなくなった中国の驚異。繰り返される尖閣諸島周辺での領海侵入は実効支配への布石と見る評論家もいるほど、事態は差し迫っていると言っても過言ではありません。このような状況下で日本はどのような政策を取ればいいのでしょうか。無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』の著者・北野幸伯さんが、日米関係を含む「日本が進むべき針路」について言及しています。

弱い日本が強い中国に勝つ方法

「弱い日本が強い中国に勝つ方法」と書くと、「日本は弱くないぞ!」と批判されそうです。まったくそのとおりですが、話をわかりやすくするために、仮に「弱い」ことにします。

脅威に対抗する、二つの方法

ある国に、大きな脅威が現れてきた(たとえば、日本にとっての中国)。これに対抗する方法は、大きく二つあります。

一つは、バックパッシング(責任転嫁)。これは、「自分で戦わず、他国に戦わせる」のです。

たとえばアメリカは、プーチン・ロシアを脅威と感じている。その時、自分では戦わず、ジョージア(旧グルジア)をロシアと戦わせる(08年8月のロシアーグルジア戦争)。あるいは、ウクライナをロシア(正確には、ロシアからの支援を受けるウクライナ東部親ロシア派)と戦わせる(14年に起こったウクライナ内戦=米ロ代理戦争)。

日本人の感覚からすると、「バックパッシング」は「ずるいな~」と感じます。しかし、リアリストの大家ミアシャイマー先生は、「大国はバックパッシングを好む。なぜなら、自国で脅威と戦うより、他国に戦わせたほうが安上り』だからだ」と断言しています。

ここで、非常に注意すべき点があります。日本人の多くが、「平和憲法は日本の誇り世界から尊敬されている」と考えています。しかし、アメリカから見ると、日本がしていることは、「バックパッシング」に他ならない。なぜか?

中国が日本を攻めてきたらアメリカに戦わせよう!

その一方で、

アメリカが中国に攻められても日本は決してアメリカを守りません。なぜなら日本は、『平和主義』だからです!」

これは、どうみても「責任転嫁」(バックパッシング)。アメリカ人が「日本は狡猾だ!」と考えるのは、当然なのです。トランプさんが、「日米安保ただ乗り論」を展開し、アメリカ人は「そうだ!そうだ!」と同意する。日本国民は、「なぜそうなのだろう?」と、向こうの立場にたって考えてみる必要があります。

もちろん、「アメリカが今の形にしたのではないか?!」という反論はもっともです。しかし、時は流れ、事情は変わります。日本も時代と共に変わっていくべきです(伝統を捨て去れという意味ではありません。念のため)。

さて、脅威に対抗する二つ目の方法は、バランシング(直接均衡)といいます。これは、バックパッシングとは違い、「自国で責任をもって脅威に対抗するのです。

日本のお家芸「技術力」が、実は景気回復の足を引っ張っている

バブル崩壊以降、その重度な「後遺症」に悩まされ続けている日本。技術力に関していえば世界的に高い評価を受けている我が国が、ここまで「負けパターン」から抜け出せないのはなぜなのでしょうか? 無料メルマガ『日本の情報・戦略を考えるアメリカ通信』の著者で戦略学者の奥山真司さんは、「現代社会を生き抜くために必要な『戦略』というものを、日本人が正しく理解していないことがその本質的原因」と指摘しています。

日本人は「戦略」を本当の意味で理解できているのか?

そもそも戦略とは何か? なぜ日本人はこの発想が苦手なのか? それを解決する方法はあるのか?

これから、改めて「戦略」というものについての根本的な話をあえて考えてみようと思います。少し長くなりますがお付き合い下さい。

国際問題について解決法を示している本はいくらでもありますし、個人や組織向けの「成功本」や「ビジネス本」もたくさんあります。ですが、ちっとも状況は解決していません。その問題の本質的な原因はどこにあるのか?

一言でいえば、一般的な日本人は「戦略というものを勘違いしているような気がしてなりません。だからこそ、巷に出回っている国家戦略に関する本や「ハウツー本」をいくら読んでもさっぱりうまくいかないのではないか…。戦略的な考え方は、今後の暗闇にも似た世界の中を、日本の政府や企業、そして個人が生き抜くためには絶対に必要になります。

日本人は、そもそも「戦略とはどういうものか」という本質的なことは絶対に習わないので、ある程度まで理解できても、根本的なところがなかなか身に付きません。日本人が戦略を体得するためのヒントは、「戦略をタテに考える」ということです。

戦略は、上下の階層に分かれています。例えば国家が戦争をするとき、まず必要なのは、優秀な兵隊や戦車・戦闘機を支える「技術」。これらは最も具体的なもので、使いこなせないと意味がありません。そのために必要になるのが「戦術」。さらに、いくつかの戦術を使って大きなプロジェクトを達成するためには「作戦」が必要。ところが「作戦だけは戦争には勝てません勝つためには「作戦」をいくつか束ねて軍事的に相手を圧倒するための「軍事戦略」が必要になります。

さらにその上で、国家の資源を戦争で活用するための大戦略」が必要になってきます。大戦略を準備するには軍人だけでなく政治家のバックアップが絶対に必要で、その政治家は国の「政策」を決定する。そして政策の最終的な方針は、その国のリーダーが持つ「自分の国は何者で、どのようなビジョンがあるか」といった「世界観」に決定されます。

つまり戦略というのは、下から順に

技術戦術作戦軍事戦略大戦略政策世界観

の7つのレベルに分けられます。

そして、ここが大事なところですが、

上位のものが下位のものを決定する

というの原則です。

この「戦略の階層」という概念を個人に当てはめて考えてみましょう。語学や資格の習得などは最底辺の「技術」レベルになります。そのため、やみくもに技術を得ようとしている人は、さらに上の階層から技術習得の意味を位置付けている人には勝てません。

また、「戦略の階層」で国家について視ると、日本が国家ぐるみで提唱している「ものづくり」も、実は「技術」レベルでしかありません。これでは上から戦略を組み立てている国には勝てるわけがありません

「戦略」を考える際に最も役に立つこの「戦略の階層」という概念で基本的に言えるのは、「両者が同じレベルで均衡している場合には、より上位の階層で力を持っている方が勝つ」ということです。この仕組みを理解すると、「戦略」というものはかなりレベルの高い分野を扱っていることがよくわかります。

なぜ「ナンバーズ」は他の宝くじより売れるか?当たる気がするカラクリ

対人関係においてコミュニケーション能力が高い人のことをよく「引き出しが多い」なんて言ったりしますが、果たしてそれはどういう人のことを指すのでしょうか? ニューヨーク在住の医学博士・しんコロさんは、自身のメルマガ『しんコロメールマガジン「しゃべるねこを飼う男」』で、コミュニケーションをとる時にやりがちな「3つの間違い」を教えてくれています。さらに人付き合いの上手い人が実践している、ある一つの「スキル」も伝授、さっそく読んでみてください!

皆がする間違い

前回、「物事を判断する時には、自分の引き出しが多い方が良い」という話をしました。「引き出し」とは情報や考え方の種類のことで、人生経験や人との関わりでそのバリエーションは増えてゆくでしょうし、また、英語を使えるようになることで世界中の文化や考え方に触れることができるというという話もしました。

ざっくばらんに考えたら、考え方に偏りがあるよりも柔軟な考え方ができて知識もある方が、物事をより客観的に見ることができますよね。そのツールの一つとして英語を出しましたが、英語を使う場面のない(又は体系的に学ぶ機会がなかった)日本の人も沢山いると思います。

かといってそういった人たちが偏っているかといえばもちろん違います。ただし、自分を省みて「ちょっとまてよ」と一歩引いて物事を考え直すことができるかどうかが、非常に重要だと思うのです。至極当然のようなことを言っているように思われるかもしれませんが、これがなかなか難しいのです。

なぜなら、ほとんどの人が「知らずにしてしまう間違い」というものがあるからなのです。そんなことを、自分を省みながらも感じている今日このごろです。今日はその続きを書いてみたいと思います。

そういった例を、最近読んで興味深かった、アメリカの経済学者バートン・マルキール氏の著書の内容から少しかいつまんで紹介してみたいと思います。

ちなみに、マルキール氏の本は人生設計・経済・投資が主な内容なので、メルマガの読者のみなさんにとって必ずしも興味深い内容ではないかもしれませんが、その中で取り上げられていた心理学の例が、みなさんの生活の中でも活かせるのではないかと思ったので、その部分だけ紹介してみたいと思います。本の感想文や紹介ではないので安心してくださいね。

本や音楽は「ごった煮ビュッフェ」時代へ。それでもコレなら選ばれる

Amazonの電子書籍読み放題サービス「Kindle Unlimited」が注目を集めています。これ以外にも「月額料金を払えば○○放題」というサービスが続々登場しています。これからの時代、商品は「単価」ではなく「ブランド力」が重要になってきそうです。メルマガ『ビジネス発想源 Special』に、無数の商品の中でも存在感を示し、支持される商品を生み出すためのヒントが記されています。

ごった煮ビュッフェの時代

Amazonの電子書籍読み放題サービスKindle Unlimited」が始まりました。

980円を払えば、対象の電子書籍を好きなだけ読み放題というこのサービス。

これまでにも、月額で聴き放題の音楽サービス月額で視聴し放題の映像サービスなど、どんどん「使い放題のサービスは増えてきましたが、それが書籍の世界にも及びました。

これはすなわち、書籍の分野でも「ごった煮のビュッフェスタイル」が始まったということです。

「ごった煮のビュッフェスタイル」とは何かというと、「何もかもがごっちゃに混ぜられる」ということです。

音楽も映像も書籍も全てそうでしたが、これまでは、クリエイターやメーカーが作ったものは単価が付けられて販売されていたものが、今は、自分とは関係ない人たちが作ったものと一緒に混ぜられる時代になったということです。

ビュッフェの食材と同じことです。