尖閣諸島や竹島問題をどう終わらせる?世界的戦略家が衝撃の緊急提言

韓国大統領が竹島の写真入りのギフトを日本大使館に送り抗議を受けた話は記憶に新しいですが、日本は今後激化するかもしれない領土問題に対してどのように対応していくべきなのでしょうか。今回のメルマガ『1分間書評!『一日一冊:人生の智恵』』では、 世界的な戦略家が日本へ驚きの案を提案しています。

【一日一冊】日本4.0 国家戦略の新しいリアル

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日本4.0 国家戦略の新しいリアル

エドワード・ルトワック 著 奥山真司 翻訳/文藝春秋

日本4.0とは何でしょうか。著者の定義は、江戸時代が日本1.0、明治時代が2.0、戦後が3.0です。日本はこれまで、時代の変化に合わせて自国のあり方を大きく変えてきたのです。

そして今、米中対立、ロシア欧州対立、北朝鮮の核兵器、少子社会という中で大きな変化が求められており、その未来の姿を日本4.0としているのです。

著者の推奨する日本4.0は課題に対して現実的、実務的、実戦的に対応する国家です。

例えば、尖閣諸島には武装した環境保護調査員を常駐させます。少子化に対しては子どもの養育費を国が負担します。北朝鮮に対しては、イスラエルのように核兵器施設を空爆するのです。

戦争で必要なのは、勝つためにはなんでもやるということだ…目的は「勝つこと」であり、「ルールを守ること」ではない(p52)

敬語だからOKでタメ口はNG?販売コンサルが伝授する接客の極意とは

接客業の方は概ね敬語でお客様と話をすることが多いと思いますが、親しみを込めていわゆる“タメ口”でトークすることもあるかもしれません。業種によってはその方が良いと思われがちですが、果たして何が正解なのでしょうか。メルマガ『販売力向上講座メールマガジン』の著者で接客販売コンサルタント&トレーナーの坂本りゅういちさんは、敬語表現やタメ語表現だからというくくりではなく、“あるもの”があるかどうかが重要だと説いています。

敬意があるか

今朝方、朝一番で某業界に向けた講演をオンラインで行ないました。その業界とは、医療系の業界なのですが、小売をはじめとした商業界での話を聞かせてもらいたいということで、ご縁をいただいたわけです。

私が一方的に喋る時間と共に、後半には、その業界で活躍されている方と対談形式でお話もしてきたのですが、その中で、「スタッフが敬語を使うかどうか」の話が議題に上がりました。

端的に言うと、医療クリニックなどで、ベテランのスタッフの方が患者さんに対して敬語ではなくタメ口になりやすいとのこと。それを良しとするかどうか、また、ちゃんと敬語を使ってもらうためにはどういう教育が必要なのか?という問題です。

ある程度コミュニケーションを取っていき、患者さんとの仲が深まれば、敬語を使わないという選択肢は大いにあり得る話だとは思います。小売業界でも、顧客のお客様に対してあえて敬語を使わずに接する機会はよくあり、そういう話などもしていました。

でも個人的には、敬語かどうかはあまり問題ではないのではないかと感じています。というのは、言葉遣い以前に、そこに敬意があるかどうかが大事だと考えているからです。

敬語表現やタメ語表現というのは、あくまでも側(がわ)の話です。手段と目的で言えば、「手段」に該当する部分ですよね。

じゃあ目的は何かといえば、小売店なら、

・お客様に気持ちよく買い物をしてもらう
・より満足してもらえるようにする
・お客様に敬意を表する

といったことが考えられます。これらが理解できていれば、初対面でいきなりタメ口をきくこともしないでしょうし、敬語が良いかタメ口が良いかでいちいち悩むこともないと思うのです。

目の前のお客様との関係性に合わせて、表現を変えればいいだけで、そこにきちんと敬意が表れてさえいれば、お客様も違和感は感じないはずなんですね。

結局は、こういうことが問題になるのは敬意が感じられない、もしくはそもそも無いからではないかと思っています。敬意がなければ、誰だって気持ちよくサービスを受けることはできません。この話をしていたら、「確かに敬意を持てていない人がいる」ということになっていましたが、それが現実なのだと思います。

敬語が良いか、タメ語が良いかではなく、そこに敬意があるか?を常に考えておける状態を作りたいものです。考えてみれば、当たり前の話なんですけどね。

今日の質問です。

・昨日今日で接したお客様に対して、敬意を持てていたと自信を持って言えますか?

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NHKが国民の個人情報を“人質”に。受信料搾取のため電話番号&メールアドレス強制提出を義務化、何様の横暴に怒りの声

NHKは受信料の取り立てにさらに躍起になっているようだ。総務省は2日、NHKから申請があった「日本放送協会放送受信規約」の一部変更の認可について認可したことを発表した。これによりNHKは受信契約者の電話番号及び電子メールアドレス提出を求めることが可能となった。ネット上では早くも批判や異論が噴出。何としてでも国民から受信料を取ろうとするNHKのやり方に怒りの声があがっている。

NHKが国民の個人情報提出を義務化へ

総務省が発表した資料によると、原稿の日本放送協会放送受信規約では、第3条「放送受信契約書の提出」については4項までとなっているが、ここに5項を新設。

「受信機を設置した者は利用している電話番号および電子メールアドレスを所定の方法により届け出るものとする」という規定を追加した。

さらに第8条「氏名、住所等の変更」についても、新たに3項を新設。「放送受信契約者が放送局に届け出た電話番号または電子メールアドレスを変更したときは、遅滞なく、その旨を放送局に届け出るものとする」としている。

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総務省は変更を認可した理由について、

  1. インターネット等を活用して、受信料に関するお知らせや受信契約に関する手続の案内等を行うことで、受信契約者の利便性の向上を図る。
  2. 受信料の契約・収納活動の効率化による経費削減に取り組んでいくため。

という2点を挙げた。実施期間は令和4年4月1日から施行するとしている。

受信料の強制徴収しか考えていないNHKの横暴

総務省とNHKは「より便利にするためですよ」「これで経費削減できますよ」ときれいごとを並べているが、電話番号とメールアドレスの提出を必須にさせることで、「受信料を厳しく取り立ててやろう」という魂胆に他ならない。

NHKの事業収入は約7000億円。その約97%を受信料でまかなっている。いわば何の経営努力もせず、ふんぞり返っていれば入ってくる潤沢な“資金源”があるのだ。

NHK職員の平均年収は1190万円ともいわれるが、当然これは受信料という名目で払わせた金で成り立っている。低賃金で働く非正規雇用者やコロナ禍で苦しむ民間企業の一般社員から金をむしり取った金だ。

こうした自分たちの恵まれた待遇がなくなってしまうことを職員たちは恐れている。

「NHK改革を進めろ」「スクランブル放送に切り替えろ」といった声に何とかして抗おうと、今NHKは必死になっているのだ。

とにかく金を払わせようとするNHKのあこぎな姿勢、またそれを擁護するかのような総務省。

今回の規約の変更を「情報通信技術の利用環境の発展等を踏まえ」と時代の変化に合わせるためとしたが、そもそもNHKの存在そのものが時代と合っていない。

【関連】NHKは7000億円ぼろ儲けの「強制徴収」をやめよ。“お手本”の英BBCが受信料廃止の動きで余波

NHKが公共放送のお手本とする英BBCが受信料(ライセンス料)制度を見直すと表明したように、国も本気でNHKの在り方を考えるべき時にきている。

ふじみ野“猟銃”立てこもり射殺事件を招いた「在宅」という閉鎖空間

日本中を震撼させた、埼玉県ふじみ野市で発生した訪問診療医射殺事件。容疑者の行動や供述はあまりに異常ですが、訪問看護や介護の現場では、一部の利用者や家族によるパワハラや暴力が以前から問題となっていたことも事実です。今後さらなる高齢化が進む我が国にあって、このような事態を防止する手立てはあるのでしょうか。今回のメルマガ『デキる男は尻がイイ-河合薫の『社会の窓』』では健康社会学者の河合薫さんが、これまでの調査で明らかになっている現場での深刻な事態を紹介するとともに、その解決法を探っています。

プロフィール:河合薫(かわい・かおる)
健康社会学者(Ph.D.,保健学)、気象予報士。東京大学大学院医学系研究科博士課程修了(Ph.D)。ANA国際線CAを経たのち、気象予報士として「ニュースステーション」などに出演。2007年に博士号(Ph.D)取得後は、産業ストレスを専門に調査研究を進めている。主な著書に、同メルマガの連載を元にした『他人をバカにしたがる男たち』(日経プレミアムシリーズ)など多数。

 

在宅ケアの暴力の実態

埼玉県ふじみ野市で男が住宅に立てこもり、男性医師が撃たれて死亡するという、痛ましい事件が起きてしまいました。

報道によれば、容疑者の男は数年前から高齢の母親を介護。母親が他のクリニックで受け入れを断られたため、5~6年前から亡くなった医師のクリニックが母親の訪問介護などを行っていたといいます。

男はスタッフに対して、クレームや罵声を浴びせることが度々あり、治療方針の相違からクリニックに抗議文を送りつけたり、気に入らないことがあると怒鳴り声を上げたりしていたそうです。

事件当日は、医師ら7人を自宅に呼びつけ、母親の遺体がベッドに安置された部屋に招き入れて「心臓マッサージをしてほしい」と蘇生措置を求めたとされています。

これまでにも在宅ケアの現場では、利用者やその家族からのパワハラや暴力が問題視されていました。しかし、一方で、「看護師のくせに利用者を悪く言うのか!」「介護職員のスキルが未熟なんじゃないか!」「被害を公表して恥ずかしくないのか!」といった、“世間”のバッシングがあとを絶たなかった。安全地帯から石を投げる人たちです。

中には、「看護師や介護職員も利用者に暴力をふるっている」などと、逆ギレならぬ、逆批判が出たり。兎にも角にも、在宅、と言う閉鎖された空間での問題を、「社会の問題」として認知してもらうまでには、なっていなかったのです。

そんな中で起きた今回の事件。どうにかして防ぐことはできなかったのか、と悔やまれてなりません。

これまで行われた調査では…

  • 訪問看護師の33.3%が身体的暴力を経験(「在宅ケアにおけるモンスターペイシェントに関する調査」2008年)
  • 介護職の55.9%が身体的・精神的暴力を経験し、施設介護職員では77.9%、訪問介護職員では45.0%、介護職の42.3%が性的嫌がらせを経験。施設介護職員では44.2%、訪問介護職員では41.4%(以上は「介護現場にあるケアハラスメント」2017年)
  • 訪問看護師の50.3%が身体的暴力・精神的暴力・性的嫌がらせを経験(「訪問看護師が利用者・家族から受ける暴力の実態と対策」2017年)
  • 身体的暴力をうけたことがある人は45%、精神的暴力を受けたことがある人は53%、セクシャルハラスメントを受けたことがある人は48%(「全国訪問看護事業協会」2018年)

ご覧の通り、10年以上前から、さまざまな調査で、在宅ケアの現場で起きている由々しき“実態”が明らかになっています。10年以上前から“悲鳴”を上げることもできず、泣き寝入りするしかない状況が続いているのです。

 

既存のテレビ局は“終了”へ。なぜNetflixとここまで差がついてしまったのか?

Netflixドラマとして公開され、大きな話題となっている『新聞記者(Journalist)』。豪華出演陣もさることながら、その作品クオリティーの高さなどが評価されているようです。「Windows95を設計した日本人」として知られる世界的エンジニアの中島聡さんは自身のメルマガ『週刊 Life is beautiful』の中で、日本の既存のテレビ放送局で放映されるドラマとNetflixの『新聞記者〜』や韓国発の『イカゲーム』などのクオリティーが雲泥の差であることを指摘しつつ、「私がNetflixのコンテンツ担当者だったら」と仮定し、戦略シミュレーションを披露しています。

プロフィール中島聡なかじま・さとし
ブロガー/起業家/ソフトウェア・エンジニア、工学修士(早稲田大学)/MBA(ワシントン大学)。NTT通信研究所/マイクロソフト日本法人/マイクロソフト本社勤務後、ソフトウェアベンチャーUIEvolution Inc.を米国シアトルで起業。現在は neu.Pen LLCでiPhone/iPadアプリの開発。

 

Netflix放送革命の最終章

Netflixで公開された「新聞記者(Journalist)」を観ました。映画版の方は米国で観る方法がなかったので、こんな風に日本で話題になっている番組をすぐに世界中で観られるのは本当に素晴らしいことです。

映画のストーリーに関しては、さまざまな人が既にネットで発言しているので、ここにはあえて書きません。あくまで、「実際に起こった事件をベースにしたフィクション」としておくのが良いと思います。

「新聞記者」を観て思ったことはいくつかありますが、最初に感じたのは、同じくNetflix経由で見た「日本沈没」との違いです。脚本・演出・演技のいずれの面でも「新聞記者」の圧勝で、その差は、プロ野球と子供の草野球ぐらいの開きがあり、その差は、ちょっとやそっとでは埋まるものではありません。

私がTBSの経営者であれば、相当な危機感を感じるだろうと思います。こんな差が開いてしまったのには、社内政治、昔からの慣習、事務所との力関係、スポンサーの意向などさまざまな理由があるのだろうとは思いますが、ここまで差をつけられてしまったら、放送局という存在そのものの危機です。

Netflixという会社には昔から注目していますが、Netflixのコンテンツ作りに対する態度は、「真摯」と呼べるほどクリエーター重視ですが、その背景には「良質なコンテンツが加入者増に直結する」というストレートなビジネスモデルがあります。

Netflixは「優秀な人を雇い、その人を全面的に信頼して仕事を任せる」という企業文化で成長してきた会社ですが、その企業文化が、会社の外にまで染み出し、Netflixが「クリエーター(このケースでは監督)に最大の力を発揮してもらえる場」を提供することに専念した結果が、このような素晴らしい作品を生み出したのだと思います。

Netflixの日本の会員数は、去年の9月で500万人だったそうですが、この作品のおかげで今年中には1000万人を超えるだろうと私は観ています。Netflixに加入する人は、「Netflixというサービスを楽しみたいから」加入するのではなく、この「新聞記者」や、去年話題になった「イカゲーム」などの他では観ることの出来ないコンテンツを楽しむために加入するのです。

その意味では、「新聞記者」は、たった1本で、300~500万人の新規加入者を増やす力を持ったコンテンツなのです。少し前までは、日本では「テラスハウス」が新規加入者を増やす役割を果たしていたようですが、出演者の一人が起こした自殺事件が大きなイメージダウンになったため、Netflixとしては仕切り直しの良いコンテンツが必須だったのです。

 

「学び」をお金に変えられる人がやっている「アウトプット8割」法

講演会やビジネスセミナーに参加しても理解の深さは人それぞれ。学んだことを生かしてすぐにお金にできる人と、うまく生かせない人とではどこが違うのでしょうか。メルマガ『岡崎かつひろの『好きを仕事にするための本当の考え方』』著者で作家・起業家の岡崎かつひろさんは、「誰かに教えよう」「仕事に活かそう」と意識して聴くことで、メモの取り方や情報の受け取り方が変わってくるとレクチャー。さらに、その日のうちに自分が講師役となり、聴いた話のプレゼン練習をすることで、理解も深まり記憶に定着させることができると、アウトプットの効果を伝えています。

 

学びをお金に変えられる人、変えられない人

「今日の講演会ではいい話が聞けた」「今月は本を3冊も読んでとても勉強になった」知的好奇心が強く、日々様々なことを学ぶ人はたくさんいます。その中から事業を起こし、大きく成功する人もいます。その一方で、学んだことをもとに「ビジネスで成功したい」「お金に縛られない生き方をしたい」と思いながらも、学んだことをお金に変えられない人もいます。

この差はどこから生まれるのでしょうか。「インプット」と「アウトプット」という点から見て、考えてみたいと思います。

1、インプット2割、アウトプット8割

まず僕の感覚では「インプット2割、アウトプット8割」だと思います。これは統計を取ったわけではないので、あくまでも僕個人の感覚です。ただ、時には徹底したインプットをしなければいけないときがあります。たとえば、自分に足りない知識をつけるときです。そのときはインプットが8割になります。ただ、インプットばかりしていると、なかなか記憶に定着されないんですね。

記憶に定着させようと思ったら、アウトプットしたほうがいいということは、脳科学的にもうすでに実証されていることです。たとえば、セミナーに参加する際に、「これは誰かに教えよう」と思って話を聞くのと、「いい話を聞こう」と思って参加するのとでは、インプットするものが変わってきます。メモする量も増えるし、話を聞きながら頭の中も整理します。なんとなく参加している時は、全然頭に入らないんです。

「学んだことをお金にしよう」と思ったら、「この話をどう自分のビジネスに活かそうか」という視点で聞けるので、そもそもの情報の取り方が変わってきます。

2、講師になりきって「一人講演会」を練習

僕が起業したのは26歳のときでした。将来、起業することを前提にはたらいていたこともあり、仕事の傍ら起業に必要な知識をたくさんつけようと、常にビジネス書を読んでいました。またそれだけではあきたらず、いいと思ったセミナーには積極的に参加するようにしていました。

当時の僕と同じように気になるビジネス書を片っ端から読み、セミナーにも積極的に参加する人も多いでしょう。たくさんいろんなことを学ぶことは、とてもいいことです。世の中のことに興味を持ち、自分でも情報収集することで、これから先の可能性がどんどん切り拓けていきます。

僕が当時やっていたことは、セミナーで気になったことはノートにメモしていました。当時、僕は埼玉の西川口に住んでいたのですが、駅から自宅まで歩いて帰ると30分ほどありました。帰り道、ほとんど人に会うことがなかったので、その日参加したセミナーに自分が講師として立ってプレゼンしている姿を思い浮かべながら練習しながら帰っていました。この時のプレゼン練習は、のちに起業してセミナー講師としてやっていくうえで、とても役立ちました。

というのも、セミナーを受講して話を聞いている時はいろんな気づきがあって、気分も高揚しているわけです。いますぐにでも講師が話していたことを実行できるような気になります。

 

どこに潜んでいた?オミクロン株の起源が遺伝学的に「2020年3月」の衝撃

デルタ株に変わって世界中でまたたく間に広がったオミクロン株。日本でもあっという間に過去最高の新規感染者数を塗り替えてしまい、まだその勢いは衰えていません。驚くべきは、約30箇所もの変異を遂げたこの株の起源が2020年3月に遡るということ。これほど長い間潜み続けられた理由として3つの説を紹介するのは、メルマガ『8人ばなし』著者の山崎勝義さん。中でも特定の人体内に潜伏しての変異説を有力視する山崎さんは、新型コロナウイルスとの持久戦はまだまだ続くと訴えています。

 

『どこからオミクロン』のこと

オミクロン株には大きなミステリーがある。それは今まで一体どこに潜んでいたのか、ということである。一般的にウイルスはその遺伝情報において変異箇所が多重的なものほど世代を経た古株と推測することができる。

例えばである、
ウイルス甲 変異箇所A
ウイルス乙 変異箇所AB
ウイルス丙 変異箇所ABC
とあれば、乙は甲より前に、丙は乙より前に現出したものであると考えられる訳である。

[以下、本稿執筆に当たっては国際的な研究プロジェクトである「GISAID」や「Nextstrain」のデータや研究を大いに参考とした。]

全ゲノム解析の結果、オミクロン株の変異箇所は約30箇所あることが分かっている。アルファ株、デルタ株の変異箇所が約10箇所ほどであるから普通に考えれば当該のオミクロン株は最も古い変異種の一つである筈である。論理的に見てもそうだが、遺伝学的にもそうらしく2020年3月くらいまでその起源を遡ることができるらしい。

それにしても、これほどの感染力のあるウイルスが全世界の関心が新型コロナウイルスに集まる中、どうやって今まで誰にも気付かれずにこれほどの変異を積み重ねることができたのか不思議でならない。

これに関しては、既にいくつか興味深い説が提唱されている。一つはゲノム解析を全くしなかった地域で変異を蓄積させたウイルスが一気にあふれ出た、というものだ。しかしウイルスがこれほどになるまで限定的な場所にとどまっていられるものなのかという疑問はやはり残る。

もう一つの説はややアクロバティックである。人間に感染した新型コロナウイルスが一旦動物に感染し、その動物間において変異を蓄積させ、それが再び人間に感染したとするものだ。つまり「人獣人」という感染経路で今に至るという理屈である。この説にはウイルスが「人獣」の壁を二度越えなければならないという難しさがある。

最後は、ヒトの身体の中でウイルスが変異を重ねたとする説である。例えば免疫不全症の人がコロナウイルスに感染したとする。その時ウイルスはヒト免疫の完全な攻撃を受けることなく比較的弱い攻撃に長時間曝されることとなる。その間にウイルスはヒトの免疫系を学習しその耐性を獲得するに至るという理屈である。全くの私見ではあるが、これが一番理に適っているように思えるのだが、どうか。

いずれにしろ我々が恐れるべきは、世界の話題の中心が新型コロナウイルスであり続けたこの2年間、誰にも知られずに変異を遂げたオミクロン株の超ステルス性能である。それこそSF映画ではないが、攻撃の波ごとに特化した性能が変わって行くこのウイルスは、まるで未来から送られてくるマシーンのようだ。まだまだ終息の時は遠そうである。

戦いも2年を超えれば、持久戦と言っていい。これを消耗戦にまでしてはならない。そのためにも今後(実のところ今もう既に、であるが)政治判断が後手に回ることは許されないのである。言うまでもなく我々も学ぶことを忘れてはならないし、慎むことをやめてはならない。そして何より戦うことをあきらめてはならないのである。

 

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すべての経営者が持つべき、X JAPANのYOSHIKIの使命感と突破力

一定程度の成功を収めるもののその後失速してしまう企業と、青天井の成長を見せる企業。両者の違いはどこにあるのでしょうか。今回の無料メルマガ『戦略経営の「よもやま話」』では浅井良一さんが、X JAPANのYOSHIKI氏が語ったエピソードを紹介しつつ、マイナスの境涯が成功に対して有利な力点であることを解説。その上で、現状に満足感を抱いている経営者が持つべき意識について考察しています。

“目的”こそ成果の源泉 “使命”の覚醒

X JAPANのYOSHIKIさんが、テレビの対談番組で「曲とかを、自分を救うために書いてきた」ところが「その曲を聴いて救われた」という人の声を聞き「救われる人がいる」ことに気づいたと言ったのです。「人は“使命”を持って生きている」だから「音楽で人の幸せにすることが“使命”で」「頂点に向かって、突き進んでいく」と言うのです。

この対談でYOSHIKIさんは、10歳の時の父親の自殺を語り、またメンバーの死という経験があって「心の傷口はふさがらない。だったら流れている血で曲や詞を書こうと思った」と心境を吐露しています。ここで言いたいのは「心を打つ創作」には、それを引き起こす震源があり、そこで“使命”を感じた時“昇華”が起こるということです。

これとは別に多くのいわゆる立身出世型の経営者には、恵まれなかった生い立ちが「起爆剤」になるケースが多くあります。松下幸之助さんのような親から引き離されて丁稚奉公や、親兄弟の生活を背負った稲盛和夫さんや、在日韓国人だったために豚や羊と一緒の極貧で不衛生な生活を過ごした孫正義さんがそんな例です。

最初の出だしが“悲愴”からですが、けれど“創作”はこれとは異なる弾けるような感動や尽きせぬ楽しみから生まれ出でることもあり、ソニーの井深大さんのように幼児期からの「カラクリ大好き」や、本田宗一郎さんのように自動車の排気ガスの臭いに魅せられて追いかけまわした憧れが「心を打つ創作」に転換することもあります。

この系譜の人たちが加えての“価値観”「誰の真似もしない」「今まで世になかったものを」「世界をターゲットとし一番になる」を持ち、さらに「日本のために」「世界人類のために」「世を中に便利なものを」などの“使命感”を持つとき偉大さを出現させることにもなります。「利益をあげる」は必須条件ですが、出発点はここからです。

ここで言いたいことは、プラスにしろマイナスにしろ大きな「ポテンシャル(潜在力)」がなければ「事は始まらない」ということです。「成果を得る」については、マイナスの境涯こそが見方を変えれば“有利な力点”を得さしめることにもなるとも言えます。知恵のある渇望が、使命感を覚醒できれば約束された未来が生れます。

そんな意味では、プチ・リッチな苦悩のない幸せな境涯であるならば、不安感をさらに危機感を持たなければ、幸運は廃れかねません。経営者が、今が満足ならば満腹ならば危険であると言えます。経営者は、YOSHIKIさんのように「××で人の幸せにすることが“使命”で」「頂点に向かって、突き進んでいく」でなければ失速します。

その意味で、スティーブ・ジョブズの米スタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチ「ハングリーであれ。愚か者であれ」は、一見、奇をてらっているようで、その実ことの真実を伝えています。

アベノマスク配送費「10億円」に国民激おこ!安倍晋三氏の“自尊心”満たすだけの血税ムダ使い

新型コロナウイルス対策として日本政府が国民へ配布目的で作成した「アベノマスク」を含む布マスクの在庫8千万枚について、殺到したという配布希望者への配送費用が10億円にのぼることが政府関係者への取材でわかったと西日本新聞が2日に報じた。同報道によると、配布せずに廃棄した場合の費用はたった6千万円ほどで済むという。「アベノマスク」をめぐっては、厚生労働省が31日、政府が大量に保管している約8千万枚の在庫に対し、無料配布を希望する人から約37万件、推計で計2億8千万枚以上の申し込みがあったと発表し、「水増し疑惑」が浮上していたばかり。

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血税を10億円も使って希望者へ「アベノマスク」を配布する必要はあるのか?

自身のコロナ対策を自画自賛するように「2.8億枚の申し込みがあった」と自慢していた安倍晋三元首相だが、その再配布に10億円という膨大な配送費がかかることが表になってしまった今、真っ青になった顔面をアベノマスクで覆い隠したいにちがいない。

厚労省の関係者は、まだ具体的な配送費は不明と話しているそうだが、明らかに廃棄した方が安く上がることは目に見えている。元為政者の「自尊心」とやらのために国民の血税10億円をムダ使いされたのではたまったものではない。生活に困っている世帯への給付や医療従事者への手当に使うという発想はこの国の政治家にはないのかもしれない。

そして安倍氏は、マスクの再配布を自慢する暇があるのなら、広島の選挙で河井案里氏に1.5億円を送金した経緯や、森友問題の一連の疑惑について国民の前で話すことの方が重要だと思うのは私だけだろうか。

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 この「アベノマスク10億円配送費」問題をめぐって、ネット上では案の定、批判や疑問の声が多くあがっている。

割り切れない会社員は失格。結局、人事は上司の好き嫌いで決まる

実績を出せば出世できる、というのは間違いではありませんが、企業によっては、正解でもないようです。今回の無料メルマガ『サラリーマンで年収1000万円を目指せ。』では著者の佐藤しょ~おんさんが、 人事の決定方法が最後はアナログで泥臭い要素によって決まってしまうことが多いと語っています。

人事は好き嫌いで

とっても残念なお知らせなんですけど、人事って最後のところは「好き嫌い」で決まってしまうんです。

能力や実績はもちろん考慮されますけど、これだけでデジタルに決まるわけではなくて、最後はアナログの泥臭い要素(それを好き嫌いといっています)で決まるというか、そちらの方が影響力が強かったりするんです。

ですから、

 ■ オレは実績を出しているんだから、絶対に出世するはずだ

という考え方は非常に危険なんです。この手の人が出世しないか?というと出世はするんですよ。でもそれは実績が出ているから、仕方なく出世させたという理由によるんです。

ですから、もし実績が下がったら、サクッと降格させられるなんてことにもなりかねないの。

実績を出していてブイブイ言わせていたら、それを快く思わない人たちも出てくるわけです。そんな人たちは、あなたの調子が良いから黙っているだけで、腹の中では、

 ■ 落ち目になった時が楽しみだ

って思っていたりするんですよ。それがあなたの上司筋だとしたら、非常に厄介だと思いませんか?

日本では出る杭は打たれるといいますけど、こういう人は自ら私を打ってください、と言わんばかりの態度や行動をするものなんです。

だからお望み通りに打たれちゃうの。もちろん周りのやっかみが原因になることもあるでしょう。そういうのも全部含めて、好き嫌いのジャッジに影響を及ぼすわけです。

それが決して良いこと、正しいことだとは思いませんけど、そうはいっても現実問題そういう構図で、人事が決まってしまうのなら、それに対処した振る舞い方ってありますよね、という話なんです。