「読めねぇ」難読すぎる漢字表記の工事看板を見つけたんだが…

Twitterユーザー・katono(@bunkagakusei)さんが、読むのが難しい工事看板を報告してくれている。

スラスラと読める人は、いるであろうか。

その看板がコチラ。

 

 

「濠を浚渫しています」。

これは、難しすぎる・・・。

正解は、「ほりをしゅんせつしています」と読む。

お城の周りにあるお堀にたまった土砂を取り除いている工事のようだ。

 

■Twitter上の反応

 

 

 

 

 

 

※本記事内のツイートにつきましては、Twitterのツイート埋め込み機能を利用して掲載させていただいております。

記事提供:ViRATES

 

大手旅行誌の元編集長が教える「フレッシュな温泉」特有の肌触り

元「旅行読売」編集長の飯塚玲児さんが、温泉に関する知識を毎回教えてくれるメルマガ『『温泉失格』著者がホンネを明かす~飯塚玲児の“一湯”両断!』。過去3回の記事で、温泉通なら誰もが知っているけど、初心者にはわかりづらい「温泉のフレッシュ感」について、第1回で「フレッシュ感の概要」、第2回では「香りとの関係性」第3回では「温泉の色との関係性」を説明してくれました。今回はその最終回、温泉のフレッシュ感と「肌触り」との関係性について解説しています。これを読めば、あなたも温泉の「フレッシュ感」について「通」ぶれるかもしれませんよ!

温泉の”フレッシュ感”とは何か?(4)

前号に続いて、温泉のフレッシュ感について解説をしたい。 今回は温泉の肌触り・浴感とフレッシュ感について書いてみたい。

温泉の肌触りというのは、入浴するときに意識的に言葉で表現するようにすると、徐々に感覚がわかるようになると思う。 例えば、「つるつる感」「ヌルヌル感」「すべすべ感」「きしきし感」「もっさり感」「ちくちく感」といった具合である。

「きしきし感」というのは、湯の中で肌をさすったときに引っかかるような、きゅっきゅっという感じだと認識している。 「もっさり感」は、湯に浸かって手足を動かしたときに、湯が重いな、質感があるな、という感じである。

こうした特徴を感じられる湯は、おおむねフレッシュなものだが、これを泉質別に体系立てて論じることは難しい

というのも、いわゆる成分量が多くはない単純温泉一つとっても、湯の成分は千差万別で、塩化物泉や炭酸水素塩泉などに似た成分構成のこともある。 おまけに、溶存物質量の合計が980mgだったりすると、もはや単純温泉とは言えないくらいの個性を持っている。 単純温泉だって単純ではないのである。

炭酸水素塩泉系でナトリウムを多く含んでいれば、ぬるっとした肌触りになるし、こうした場合は単純温泉でもpHが高い、つまりアルカリ性の湯であることが少なくない。 ナトリウム−炭酸水素塩泉(つまり重曹泉)と、アルカリ性の温泉の肌触りの特徴は、ぬるぬる感ということができる。

ちくちく感は、強酸性の湯などで感じられることが多いし、きしきし感はカルシウム−硫酸塩泉や含鉄泉などで感じる場合が多い気がする。

ただ、やはり「そう感じる場合が多い気がする」というほどのもので、硫酸塩泉系ではさらさら、すべすべ感を感じることも多いし、含鉄泉でも他の成分によっては柔らかな肌触りの場合も少なくない。

それだけ温泉には個性があるというわけである。

ただし、その温泉の個性としての肌触り、浴感でない場合というのもある。

初めて一人暮らしする人の「家財一式」は買うだけムダになる理由

気づけば今年も4月まであと僅か1カ月ほど。新生活をスタートさせる人が多い季節の到来ですが、一人暮らしを始めるにあたって、「買った方がよいもの、不要なもの」を区別するのって案外難しいですよね。今回の無料メルマガ『システマティックな「ま、いっか」家事術』では著者の真井花さんが、知っておきたい「買うべきか否かの見極めポイント」を伝授するとともに、新生活までに「身につけておくべきこと」を記しています。

新生活に必要なものとは

さて、本日は春の新生活のお話。

入学や引越しで新しい生活が始まる方も多いでしょう。特にお子さんだと、初めてのおつかいならぬ「初めての一人暮らし♪」に、親子でわくわくドキドキではないでしょうか。で、家電量販店やホームセンターに行って家財道具一式…、いや、一式以上のモノを買い込んだりしてね。

でもねえ、その買い物多分ムダです。必要最小限にしておいた方がいいです。そうやって買ってみたら、歯ブラシと歯磨き粉だけなんてことになったりして。ありがちありがち(笑)。タオルだってなんだって、一人暮らしが始まれば、自分で洗濯して干して畳んでってやる必要があるんです。どんだけやっていないか痛感しちゃいそうですね。だから、新生活に必要な家財道具とは、その人が毎日やっている家事道具のみだと思いますよ。

たとえば、毎朝トーストとコーヒーの朝食をとっているとしましょう。その場合でも、その人自身がトーストを焼き、コーヒーを淹れていないのであれば、トースターもコーヒーメーカーも不要ということです。いや、不要です。ホントです。初めの数ヶ月、週に2回くらい使ったとかいうのは使ったうちに入りません。少なくとも週に5日くらい使う家財道具だけそろえれば十分ですよ。

だって、どうせ出来やしない(◆_×)からです。身についていない家事が、新生活だろうが一人暮らしだろうが、突然出来るようになるわきゃないんですよ。

家事は習慣です。他の振る舞いと同じく、毎日繰り返し出来るようになってこそ、習慣になっていると評価できるのです。たまにトーストを焼くくらいじゃ、忙しい朝に用意できるわけありませんよ。バルミューダなんて、そのうち小物入れか物置ですよ(苦笑)。モノが必要になったときに改めて買えばいいんです。

いじめ事件に第三者委員会は必要か? そもそも「おかしい」人選

いじめを原因とする子供の自殺が絶たない中、その「現場」である学校や第三者委員会がいじめを認めようとせず、遺された家族が大きな苦しみを抱えるという事例が多く見られます。なぜこのようなことが起こるのでしょうか。無料メルマガ『いじめから子供を守ろう!ネットワーク』では、6年の歳月を経て、先日ようやく和解に至ったといういじめ自殺事件の裁判を取り上げ、学校側の頑なにいじめを認めない対応を批判するとともに、文科省へ適切な対応を求めています。

いじめの認定

先週、遺族が起こしたいじめ自殺の裁判が、6年の歳月をかけて、ようやく和解したという報道がありました。

今回和解した裁判は、群馬県桐生市で小学6年生の女の子が自殺したことをめぐり、「学校でのいじめが原因だ」として遺族が死亡見舞金の支払いを求めた裁判です。遺族は他にも市や県、加害者の家族を相手取って裁判を起こしていましたが、これらは2014年までに和解が成立していました。

今回の裁判の相手は、学校での事故などに見舞金を支払う独立行政法人「日本スポーツ振興センター」で、同センターは学校でのいじめが原因とする死亡も見舞金の支給対象としているが、桐生市が自殺との因果関係を否定する文書を同センターに送ったため、センター側が支払いを拒否し、遺族が裁判を起こしたものです。

6年もの歳月がかかった原因として、遺族の代理人である弁護士は記者会見で、「桐生市が一貫して、自殺の主原因はいじめでないと当初から最後まで繰り返していたことが、大きな原因と考えている」「市の第三者委員会の調査がずさんだった。人選について、遺族側の意見は聞き入れられず、桐生市が勝手に選任した委員が判断し『自殺の主原因がいじめだと言えない』と結論を出したので、最後まで尾を引いた」と桐生市の対応を批判しました。

いじめ自殺の場合、いじめは認めてもそれが自殺の原因であると認めるケースは少ないのが現実です。多くの場合、自殺の原因は、家庭環境などいじめ以外の問題があり、そちらが主たる原因であると主張するのです。

しかし今回の裁判では、「理不尽な悪口や仲間はずれなど、いじめは客観的にみて残酷で深刻なものだった」としていじめと自殺の因果関係を認めたものでした。学校は、当初いじめの事実を認めていませんでした。しかし教育委員会がその後のアンケートを基にいじめの存在を認めました。

子どもの「習い事」を気にしすぎる親は、子の人生を横取りする

親として、大切な子どもの人生を見守りたいと思う気持ちを持つのは当然ですが、干渉が過ぎると「子のために親が自分の人生を捧げてしまう」という間違いが起こりやすいとするのは、無料メルマガ『子どもが育つ「父親術」』のパパコーチくろさわさん。親が子の人生を奪わない、逆に子に親の人生を奪われないようにするには、どこに気をつけたらよいのでしょうか。

親の人生は親のもの

このメルマガでは、折に触れて「子どもの人生は子どものもの」「過度に干渉して子どもの経験を奪わないように」とお伝えしています。そして、それと同じように、大切なのが「親の人生は親のもの」という原則。一見、当たり前のことのように思いますが、実はこの原則には、大きな例外があります。親、特に母親は、人生の一部に「親の人生は子どものもの」となる時期があるからです。

子どもが乳児の頃は、おむつ替え、授乳、添い寝を繰り返す日々が続きます。自分のための睡眠さえまともに取れない、文字通り「子どものもの」の時期。少し大きくなっても幼いうちは目を離すことができず、子どもからも後追いしてきたりで、トイレにも1人で入れない時期がつづきます。

このこと自体は、子どもが小さいうちは自然なことですし、その労苦を担うお母さんたちには感謝と敬意を感じるばかりです。ですが、子どもが大きくなってきた時に、親の人生を適度なペースで「親のものに戻せないケースも、少なくありません。

よく見るのは、子どもの生活・勉強・習い事に、熱心になりすぎてしまっているケース。「子どものために、自分の人生を捧げてしまう」という誤りが起きてしまうのです。

親が自分の人生を生きることを忘れて、子どもの人生にのめりこんでしまう。その結果として、子ども自身が生きるべき「子どもの人生を横取りしてしまっている。

「◯◯にこだわってます」がちっとも差別化にならない明確な理由

ショップ等でよく目にする「○○にこだわってます」というキャッチフレーズ。お店側の熱い態度表明なのでしょうが、無料メルマガ『ビジネス真実践』の著者で戦略コンサルタントの中久保浩平さんは「そんな謳い文句はお客さんに伝わりにくいのでやめるべき」と言い切ります。その理由はどこにあるのでしょうか。

「○○にこだわってます!」はNGです

お店や商品、あるいはサービスの強みを伝えたり、インパクトを与えるために、はたまた差別化だといって、「当店では○○にこだわっています」みたいなことを謳っている店舗は少なくありません。

確かに、素材や原材料、サービスの質などこだわっているのでしょう。ですが、「○○にこだわっています」という謳い文句は、実は、お客さんに伝わり難いものなのです。

しかも、「ライバルが○○にこだわっているのなら、当店は××のこだわりには負けないぞ」なんていう後付のこだわりなんてこだわりでもなんでもないし、強みでも差別化にもなりませんので、全く伝わりません。なぜなら、こだわりとはお店のポリシーであり信念ともいえるものだからです。つまり、これだけは絶対に守りとおすという「強い意志」がそこになければならないものなのです。

ですので、その意志をお客さんが感じ取れないと結局、こだわりなんてものは伝わりません。伝わらないので、当然、その商品やサービスの良さをお客さんは理解できません。理解できないので、リピートのお客さんにはなってもらえません。

「そうはいっても、うちは確かにこだわっているものがあるし、それを前面的に出していかないと…」と思う方も多いでしょう。確かにわかります。わかりますが、それだけではダメなのです。こだわりというのは、お客さんに「こだわってます」と伝えるだけでなく、ちゃんとお客さんに響かなくてはならないものですから。

では、どうすれば、ちゃんと伝わり、お客さんに響くのでしょうか?

素を出すな。世渡り上手な人ほど「役柄」の演じ分けに長けている

仕事でもプライベートでも皆から愛され大切にされる人と、どこに行ってもトラブルメーカーになってしまう人の違い、一体どこにあるのでしょうか。無料メルマガ『サラリーマンで年収1000万円を目指せ。』の著者・佐藤しょ~おんさんは、「自分の素を出しすぎるから揉め事になる」と指摘。さらに、「夫、親、部長、PTA役員」などなど、自身が常に何かの役を演じていると意識して行動・発言すれば、もっと人間関係は良好になると説いています。

役柄を身に纏っていることを意識する

人間というのは生きている間は、常になんらかの役柄を演じているのだと理解すると振る舞いが変わって来ます。結婚していて子供がいるサラリーマンなら、

  • 奥さんからみた夫という役柄
  • 子供からみた親という役柄
  • 会社では自分の役職という役柄

これに趣味の世界とかがあれば、さらに役柄は広がっていきますし、親御さんがご健在なら、「子供」という役柄が無条件に加わるわけですね。

あなたが発言、行動をするときに、「それってどんな役柄のセリフなんだっけ?」ということを意識すると、その途端に自分を客観視出来ます。あなたの発言や行為はあなたのものではなくて、演じている役柄の人の台本に書かれたことなのです。つまりそれはあなたの真我では無いのです。

素のあなたというのは、誰もいない書斎で独りでいる時だけなんですよ。他者が絡んだ瞬間に、素のあなたは消え去って、他者から見た役柄としてのあなたが立ち上がるんです。それなのに、役柄としてのあなたではなく、素のあなたを立ち上げてそこで発言行動するから人間関係が揉めるんですよ。

こう考えると、素のあなたでいられる時間なんて一日にほんの数分くらいしか無いことに気付きます。トイレに入っている時、お風呂に入っている時、部屋で独りでいる時が意識を持っている時で、これ以外には寝ている時だけです(でも寝ている時には何も出来ませんから意味ないですね)。

これ以外の時間は常に、何らかの役柄を身に纏ったあなたなんですよ。その役柄にふさわしい発言行動をしていますか? という問いを立てるだけで、かなり背筋がゾクッとして来ますよね。

俗に言う、「感情的になる」というのは、役柄を完全に忘れて素のあなたに戻ってしまった時に起こることなんです。だからそこはちゃんと役を演じなきゃダメでしょ、と気付ければ、「ヤバいヤバい、いま芝居中だったよね」って話になって、元の台本どおりの役を演じられるわけです。

真田丸でもああだったけど…なぜ石田三成は家康に勝てなかった?

日本の歴史の大きな転換点となったとも言われる「関ヶ原の戦い」。徳川家康率いる東軍と石田三成率いる西軍が争った合戦ですが、三成はなぜ家康に勝利できなかったのでしょうか。その理由は、実は現代にも通ずる大切な「リーダーの資質」にありました。無料メルマガ『1日1粒!「幸せのタネ」』で詳しく紹介されています。

可愛げがあるかないか

関ヶ原』という司馬遼太郎の小説はご存知でしょうか。1600年、「天下分け目」の史上最大の戦闘が行われた関ヶ原の戦い。この戦いを巡る東軍・徳川家康と西軍・石田三成をはじめとする諸将、人物の人間像を浮き彫りにした小説です。10年ちょっと前に知ってから、年に2回か3回は読み直してしまう小説です。

この小説が面白いのは、一般に「イヤな奴の代名詞になっていた石田三成を軸にしている視点です。この小説を読んで石田三成のファンになる人もいるようです。私はファンになるほどではありませんが、親近感を持たずにはいられません。

石田三成は、諸将の心を掌握していく…という人望の面では家康に劣っていたと言わざるを得ません。家臣は一兵卒に至るまで、三成に心酔していたかのように描かれていますが、西軍をまとめきれなかったこと、多くの豊臣恩顧の諸将を東軍に走らせてしまったのは、つまるところ「人望の無さ」です。

非常に優れた能力の持ち主だったんだろうと思います。そしてたぐいまれな正義感の持ち主。ただ、それだけでは天下は握れない。政治はできない。

後の江戸時代、寛政の改革を押し進めた松平定信についても、

白河の 清き流れに 魚住まず 濁りし田沼の 流れ恋しき
(定信の正しく清廉な政治は窮屈だ。わいろまみれだったかもしれないが、濁ってるぐらいの田沼意次の治世が恋しい)

と風刺されるのに近いものがあるかもしれません。もちろん、私も不正がまかり通る世の中が良いとは言いません。ただ、何でもかんでも「こうあるべき」「こうするべき」でびしびしやりすぎた結果、まとまるものがまとまらなかった…という三成の生き方を見ていると、寂しさを感じるのも事実です。

未来への贈りもの。語学力と研ぎ澄まされた感性を持つ人々「TCK」

「TCK」という言葉をご存知でしょうか。海外のメディアで報じられたニュースを解説する『心をつなぐ英会話メルマガ』では、この「TCK」言葉の大切さについて解説しています。

TCKを知っていますか? 彼らは未来への贈りものです

TCKという言葉を知っていますか。Third Culture Kidの略なのです。

定義は、両親が国籍を置いている国とは異なる場所で育った子供のことを意味します。わかりやすくいえば帰国子女ということになりますが、それよりは若干複雑です。

ある学生が私のところを訪ねてきたことがありました。その人は、両親の仕事の関係で南米で育ちました。現地には日本語学校があり、子供の頃は日本語の環境で育ちます。

しかし、その後、いわゆる現地に駐在する子供たちなどが通う国際学校に転校します。アメリカンスクールのような学校と思ってください。そこに集まる子供達は、世界各国の子供で、共通の言語は英語です。

この学生の場合、日本語、英語、そして南米に育ったことによるスペイン語を話すことができるわけです。しかし、彼は言います。僕は日本人ほど日本のことは知らないし、かといって住んでいた国の中でも国際環境にいたために、ある意味で中途半場なんですと。

彼は、その後日本の大学に留学しました。世界各地の留学生とはそれなりにうまくやっていくのですが、日本人と深い付き合いができないのは悩みのたね。そして、日本人が留学生と交流するとき、彼らが積極的にコミュニケーションをしてこないことにも違和感を覚えているのです。

彼のそうした話を聞いて、私は思いました。自らのアイデンティティを一つの国家に求めることしかできない人が多いなか、彼はTCKとして、世界と交流できるわけです。日本にも育った国にも中途半端な地盤しかないというものの、複数の国にまたがる自分を持っていることは素晴らしいことです。

TCKという新しい「国籍」が、つまり「アイデンティティ」がそこにあるわけで、その「国籍」を大切にして、自らのキャリアとして育てていってほしいのです。よりグローバルな交流が進むなか、このアイデンティティこそが、未来の社会が求める理想へ繋がるアイデンティティなのではないでしょうか。TCKが増えれば増えるだけ、人々のグローバルレベルでのコミュニケーションや情報共有が進み、世界は一つになってゆくのではないかと思うのです。

TCKのリスクは、母国から、そして時には育った国から拒絶されることです。それは帰国子女へのいじめの問題などで、日本でも話題になりました。そのことからくる疎外感から、逆に母国を嫌いになったり、すべてが中途半端なままどっちつかずの人生を送ってしまったりという現象がおきるかもしれません。

TCKのカテゴリーに属する人は、逆に自らが未来の世界を造れるコアになれるんだということを自覚し、自信を持つ必要があります。TCKという新しい「国籍」を意識した瞬間に、世界に貢献できることが多々あることに気付くはずです。おそらく、TCKの人々はモノカルチャーで育った人々が気付かないことへの研ぎ澄まされた感性を持っているはずです。そうした視点や感性を世界に発信すれば、多くの人々にとって、それが「eye opening アイオープニング」、すなわち素晴らしい発見になるはずです。

グローバルな行き来が増えれば増えるほど、TCKの人口は増えてくるはずです。例えば、ここに紹介した学生のように、TCKの人々は通っていた学校自体が国際環境にあり、そこに集まる子供達が多国籍であることから、2カ国ではなく、多数の文化の影響を受けているケースが多々あります。

多くの人々の共通語は英語で、さらに2ヶ国語、時には3カ国以上を操ることができるはずです。反面、それぞれの母国で子供達が受けている教育は受けていないことから、母国の子供にとっての様々な常識が理解できていないケースもあります。このことが、子供の間でのいじめに発展したり、時には教師による評価に影響を与えたりしてしまうというリスクにも見舞われます。

どのような人間にも、強い分野と弱い分野がありますが、TCKの人々は、自らの強いところが何なのか、まずしっかりと理解し、そこにアイデンティティを確認するべきです。

グローバルな未来への架け橋になるTCKといわれる人々が、さらにネットワークしてその知識によって社会に貢献できる環境を作ってゆければと思っています。

image by: Shutterstock

またも東電が隠ぺい工作。柏崎刈羽原発の免震棟に浮上した大問題

またも東電の隠蔽工作が明らかになりました。再稼働の審査が進む柏崎刈羽原発の免震重要棟の耐震性に問題があることを知りながら、3年もの間隠し続けてきたというのです。これを受け、メルマガ『国家権力&メディア一刀両断』の著者・新 恭さんは東電について「不都合な真実を隠蔽する官僚体質が抜けないまま」と厳しく批判、再稼働についてもますます視界不良になったと断言しています。

柏崎刈羽原発をめぐりまたも東電が隠ぺい工作

原子力規制委員会は、東電柏崎刈羽原発の再稼働についての審査を今年度中にも終える段取りで、東電からの聞き取りを進めていた。

ところが、詰めの段階のこの時期になって、どんでん返しが起きた。2月14日の規制委会合。大量の提出資料をもとに説明をしていた東電の担当者が、会合開始から1時間半を経たあたりで、危うく聞き流しそうになるほど淡々と重大な説明をはじめたのだ。

柏崎刈羽6号、7号炉の緊急時対策所としましては、免震重要棟と5号炉緊急時対策所の2か所で構成しております。…どういった地震までもつ設備かは免震重要棟につきましては建物上屋変位量75センチ未満の地震力に対し機能を喪失しない設計といたします。

資料には「設計を修正する」と、はっきり書かれている。なのに「修正の部分を省いて、「設計といたしますとサラリと言う。これを聞いて不審点に気づくのは専門家だけだろう。

中心メンバーである更田豊志委員が怪訝な表情を浮かべながら言った。「まあいいや、議論したらはっきりするかもしれない。どなたか質問は」。

その後の質疑や、出された資料をじっくり読むと、筆者にもしだいに意味するところが分かってきた。

要するに、免震重要棟は水平方向に75センチ揺れ動く大きさの地震には耐えるように設計されている。逆に言えば、75センチ以上も水平方向に揺れる地震に遭ったら建物が壊れたり、居住性が損なわれたりして、司令塔の役目を果たせない可能性があるということのようだ。

柏崎刈羽原発の免震重要棟は2009年に完成している。2007年の新潟県中越地震で緊急時の対策室を含む事務本館が被災し、初動対応が遅れたことから、大地震に備えた緊急時対応施設として免震重要棟を新設した。

その後、福島第一原発の事故が起こり、新規制基準が設けられたため、2013年から14年にかけ、東電は柏崎刈羽原発の再稼働を申請するため、設備の耐震性を試算した。

その結果、免震重要棟の耐震性は、敷地内で想定する最大級の地震の揺れ「基準地震動」の7つのパターン、いずれを入力しても、既設のダンパー免震装置では揺れを吸収しきれず、建物の水平方向の変位が75センチ(線形限界)を上まわる大揺れとなることがわかった。これほどの揺れになると建物がもたない可能性が高い

つまり、新設された免震重要棟は、新基準で求められる耐震性を有さないことが2014年の時点で判明していた。にもかかわらず、それを規制委員会にもいっさい知らせないまま、耐震性が確保されているものとして説明してきたのである。

そしていきなり今回、基準をクリアするためのダンパーの開発には「まだ時間が必要」として、75センチ未満までの揺れなら耐えうる設計に「修正する」という内容の、寝耳に水の話を持ち出したのだ。

免震重要棟が使えない場合、5号炉の建屋内の緊急時対策所が基準を満たしているので、状況次第ではそちらを使えると弁解するが、何のための免震重要棟なのか。