サリン事件から四半世紀。化学テロ対策が「ようやく」国際水準に

厚生労働省は14日、化学テロが発生した際に、医師以外の消防隊員らが解毒剤の自動注射を打つことを認める報告書をまとめ、ようやくわが国の化学テロ対策も国際水準に近づくことになりました。ここに至るまでに声を上げ続け、実現への端緒を開いた危機管理の専門家で軍事アナリストの小川和久さんが、主宰するメルマガ『NEWSを疑え!』でその経緯を伝えています。小川さんは、今回の前進を評価しつつも、縦割り行政や官僚の思い込みが問題解決の道を阻んできたこと、これまでも同様のことが起こっていたことを指摘し、総括を求めています。

大きく前進した化学テロ対策

ちょっと嬉しいことがあって、思わずツイートしてしましました。

「地下鉄サリン事件から25年目。この間、日本国民は形だけの化学テロ対策を信じ、危険にさらされ続けてきました。それが今年2月、心ある政治家と志をもつ厚労官僚によって国際水準の化学テロ対策が実現。近く展示訓練も行う方向です。やればできる。やらないのは政治にリーダーシップがない証拠」

この動きについて、マスコミは次のように伝えています。

「厚生労働省は14日、化学テロでサリンなどの有毒物質が散布された際、医師以外の救急隊員らが解毒剤の自動注射を打つことを認める報告書をまとめた。同省は2020年東京五輪・パラリンピックを控え、化学テロ発生時の迅速な治療体制づくりを進める。   通常時は、解毒剤の注射は医療行為に該当し、医師や看護師以外は医師法違反になる。報告書は、自動注射を打てる対象者として、化学テロが発生した際に汚染地域(ホットゾーン)で救急搬送に当たる消防隊員や警察官、自衛官らを想定。治療には早期の解毒剤投与が必要である点などを挙げ、『非医師等による自動注射器の使用が許容される必要がある』とした」(11月14日付時事通信)

しかし、なぜ24年後のいままで国際水準の化学テロ対策が実現しなかったのか、その点に踏み込んだ報道はありませんでした。これは、日本のマスコミが一片の問題意識すら備えていないことの証明でもあるのですが、事情を知る者の一人として簡単に経緯を述べさせていただきたいと思います。

今年2月12日、私は大口義徳厚労副大臣の部屋で浅沼一成厚生科学課長、山本史医薬品審査管理課長と4人で話し合いました。その結果、その場で解毒剤の確保、自動注射器の導入などが決まったのです。

私は危機管理の専門家の一人として、機会を見ては化学テロ対策の不備を指摘してきました。いくら化学防護服に身を固めていても、現場に入ってすぐ被害者に解毒剤を注射しなければ手遅れになるからです。そのためには、解毒剤の確保や自動注射器の導入とともに、消防・警察・自衛隊など関係者が注射できるようにしなければなりません。

ところが、この面の担当省庁である厚労省側は医師法、薬事法などを理由に、「できない」を連発してきたのです。ほかの関係省庁も、この問題を解決するために動こうとはしませんでした。

そこで、2014年秋に総務省消防庁の坂本森男長官が設けた『大規模イベント開催時の危機管理等における消防機関のあり方に関する研究会』(非公開)の機会に、厚労省から消防庁に出向していた医系技官(医師)にしつこく問いただしました。この研究会が2020年の東京オリンピックとパラリンピックのテロ対策を目指していたことはいうまでもありません。

標準アクセントは関西型から関東型へ。未来は茨城栃木福島型に?

日常生活において不思議に思ったり、ちょっと気になったあれこれについて考察するメルマガ『8人ばなし』。著者の山崎勝義さんが今回論じるのは、日本語のアクセントや方言のことです。その移り変わりや広がり方から、世が世なら、数世紀先の標準語は茨城・栃木・福島に分布する崩壊アクセントタイプになっていたかもしれないと語ります。まずは、日本語のアクセント分布図を検索の上お読みすることをお勧めします。

方言のこと

千年以上の長きに亘り日本の文化の中心地は京都であった。明治になって天皇の東京行幸に随伴する形で長らくその都(みやこ)文化の担い手であった公家のほとんどが在東京となった。その結果、公家出の華族・武家出の華族・江戸以来の平民・明治以後流入した平民などによって構成される巨大文化都市東京が生まれた。

以降、自然と東京発の事物こそが日本の標準形ということとなり現在に至るという訳である。我々が日々話す言葉もその例外ではない。現代の所謂標準語は東京を中心とする関東型アクセントによるものであること、周知の通りである。

しかし今、アクセント分布という観点から改めて日本地図を見直してみると面白い事実が分かる。維新後に入植が進んだ北海道と維新前までは一応独立国であった琉球を除けば、大体日本の国土は京都(関西)を中心にして北東・南西方向に等しく伸びていると言える。その北東部(岐阜県西部県境以東)と南西部(岡山県東部県境以西)は基本的には関東型アクセントだから、それをちょうど中央で分断するような恰好で関西型アクセントが存在する形になる。つまり、中央部が関西型アクセントで両端部が関東型アクセントという訳である。

この地図上に認められる言語事実を説明するのが所謂「方言周圏論」である。方言は京都を中心とした同心円状に分布するという論である。地図上にきれいな同心円ができないのは日本の国土の形状を考慮すればすぐ理解できるかと思うが、その円周のほとんどが海に没してしまうからである。

この言語事実成立のメカニズムを何とか説明しようと試みた仮説が所謂「言語波動説」なのである。言語が中心部である畿内から時代を下るにつれて波紋が広がるように同心円的に伝播した結果が方言であるという説である。

有名な「トンボ」の例を挙げて解説すると、東北には「とんぼ」を指す方言として「あけず」とか「あきず」というのがある。一方畿内を遙かに飛び越え遠く離れた九州にも「あけず」とか「あきつ」という方言がある。現代では関西地方(畿内)では「トンボ」は「とんぼ」としか言わないが、記紀万葉の時代には「あきづ」と言っていた例が確認されている。

ということは、上代に生じた「あきづ」の波紋が時間の経過とともに同心円的に伝播し、終に現代の東北の「あけず」「あきず」九州の「あけず」「あきつ」となったと説明できるのである。これはおそらく、その言語事実の美しさから見てもまず間違いないであろう。ただ上述のことは「トンボ」というものを指す単語の形態のみに当てはまるのであって、アクセントに関して一切説明するものでないことは注意しておきたい。

給料が低くたって大丈夫。一生カネに困らないための五箇条の教え

人間「生きていくための指針」をしっかり持っていたいものですが、その道しるべとなるのが先人の教えです。今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、哲学者・森信三が晩年書き上げた「幻の講話」を通じ後世に伝えようとしたメッセージについて、「家計をひきしめる処方箋」を事例に取り上げながらわかりやすく解説しています。

森信三先生による「幻の講話」

“国民教育の師父”と謳われた森信三先生による不朽の名著幻の講話』。森先生が70代で執筆されたもので、生徒を対象に講話(授業)を進めていく形式で、年代別に各30篇、全150講話が収録されています。

『修身教授録』と並ぶ代表的著作といわれ、青少年への講話集でありながら、その内容は年代を問わず、「人間いかに生きるべきかの指針となるものばかり。そのページ数は、実に1,320ページにも及びます。

本書刊行に至るまでには、幾多の困難がありました。

昭和44年夏、先生は下稿の前半部を一気呵成に書き上げるも、その後、ご長男の事業の蹉跌・急逝……など、苦難や試練に次々と見舞われ、幾度も中断を余儀なくされます。完結までに足かけ5年の歳月を費やした本書は、森先生自らが宿命の書と名付けたほど特別な思いを寄せられる作品

その晩年に渾身の力を込めて青少年に訴えようとされた人生の根本問題とは何か──。そのメッセージは時代を越え、あらゆる人々の胸に響き渡ります。その内容の一部をご紹介しましょう。

「一生役立つ、家計の5カ条」

経済というものは、丁度水のようなものでありまして、収入が多くなればそれに応じて、支出もまた多くなりがちなものであります。ですから、そうした意味からは、われわれ人間は生きているかぎり経済に対して手放しでいられるということはよほど例外的な場合以外には無いと考えてよいでしょう。

そこで最後に、家計を引きしめる上で、大切と思われる事柄を2、3申し添えることにいたしましょう。それは、

1.「入るを計って出ずるを制するということでありまして、これは経済上永遠不動の鉄則といってよいでしょう。

次には、

2.いかに安いからといって当分不用の品は買わぬということ

3.同時に、買う以上は自分の身分より多少良いと思われる品を求めて大切にして永く愛用すること

4.なお予定しなかった品物で、ある金額以上の品物については、必ずその場で買わずにその日は一たん家へ帰って、それでも尚どうしてもあきらめかねる様な場合には、財布と相談の上で、翌日もう一度出かけて行って買う様にすること

この方が、たとえ交通費は使っても、結局は経済的になりましょう。

最後に

5.大きなお札をくずすのを一日でもよいから先に延ばすことです(一同爆笑)。

とにかく、以上の五カ条をよく守られたら、たとえご主人の俸給が十分でないとしても、とにかく金に困るということだけは、終生なくてすみましょう……

『森信三 幻の講話』 第3巻「育児と家計」より

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「ナデナデ」はプライスレス。外注できない最後に残る家庭の機能

もしもすべての家事を外注したとして、それでも残るものについて思いを巡らせたことはあるでしょうか。この「残るもの」こそ、人間が家庭という居場所に留まる根源的な理由となっているようです。今回の無料メルマガ『システマティックな「ま、いっか」家事術』では著者の真井花さんが、お金で買えない「安心や信頼」の重要性について考察しています。

ナデナデは独りじゃできない

さて、本日は家庭からなくならないもののお話。

我が家では、よくこんな会話をしています(^0^)

  • もう、ご飯作ってあげないからね!
  • もう、クルマ運転してやらないぞ!

……( ̄∇ ̄) ツマラナイことで言い争い(?)になったときのお互いの決め台詞です。これには、返しがあって

  • それなら、どっかに食べにいくからな
  • それなら、タクシー呼んじゃうもんね

……いや、実にクダラナイ。おのおの「自分で作るんじゃないのか」「自分で運転するんじゃないのか」っていうツッコミはあるんですが、お互い数回はできても、毎回は無理だろうって思うから言わないんですよね。言ったらやらされそうだし。

いや、ホホエマシイように思えますが、これがホホエマシイじゃすまないかもしれないんですよね。

ここからが本題です。料理もクルマの運転(?)も家事の一種でしょうが、世には家事の効率化に関するノウハウに溢れていますね。もっといえば、あらゆる家電は家事の効率化や時短化を目指しているわけですから、ノウハウどころか一大産業にさえなっているんです。洗濯機や掃除機、冷蔵庫など戦後に登場した家電は、さらなる進化を遂げていますからね。

これはとどのつまり

  • 家庭内にあった家事を外注すること

だと思うんです。家庭内のメンバーがその労力を提供しないわけですから、こう言ってみても構わないでしょう。実際に、ちょっとご家庭の中を見回してみてください。

  • 料理は、レストランやウチ飯
  • クルマの運転は(!)、タクシーやバス(*゚∀゚*)
  • 掃除は、ルンバやブラーバ、プロのハウスクリーニング
  • 裁縫は、既成品の購入やお直しサービス
  • 洗濯は、宅配クリーニング
  • 買い物は、ネットスーパーなどの宅配サービスやアマゾン
  • 育児は、幼稚園やシッターサービス
  • 介護は、デイサービスや特養老人ホーム

…うーん、他になにかあるかな。躾は、あんまり外注されないですかねえ。保育園とかどうなんだろ。

うん、でね(◆_◆)

ってことはさ、ちょっと考えちゃいませんか。

  • 全部を外注したら家庭はどうなるんだろう?

って。もちろんおカネのことは度外視しているんですよ。考えるだけ。というか、超富裕層だったら、マジでこれはあり得る話だと思いますが。

家庭の機能だ役割だと言われているものは、家電やサービスの進展でどんどん外注可能になってきているんです。そうだとするとそれらすべてを外注した場合、

  • 残るものは何か?

と思いませんか。そもそも何か残るんでしょうか。なにも残らないんでしょうか。もし、残るんだとしたら、それは超富裕層の家庭に最後まで残るもの、おカネを出しても買えないもの、ですよね。

……ここからは、私の個人的な見解です。いや、ここまでも個人的な意見だけども( ̄∇ ̄)

おカネの心配はしなくていいとして、すべての家事を外注したとしてそれでもヒトに

  • 家に帰りたい…

と思わせるもの。それってきっと根源的ななにかでしょう。本能に関わるようななにかなんでしょう。

本能っていうと、食欲とか性欲とか睡眠欲とかいいますが、これらのうち、食が一番外注が進んでいますね。でも、残りのふたつはあんまり外注されませんねえ。性欲は外注しようとすればできますが、そんなことを続けていると、家族から信頼されなくなって、家族ごと失いかねません( ̄∇ ̄) 睡眠も旅行先でホテルに泊まることはありますが、それは旅行に付随しているだけで、睡眠自体が外注されるわけではないですね。「ちょっと今夜の睡眠、買ってこようよ」みたいな話にならないですもんね。

この辺が外注の限界なんでしょうか。

女子中学生で最低。親や教師が日本人の自尊感情を潰すという事実

人間が生きてゆく上で重要なセルフエスティーム(自尊感情)ですが、その感情をしっかりと持てない日本人は多く、「世界一低い傾向」にあるそうです。今回の無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』では、著者で現役教師の松尾英明さんがその原因を考察するとともに、次代を担う子供たちのセルフエスティームを高めるために大人が留意すべき点を記しています。

セルフエスティームを高める

セルフエスティーム自尊感情について。大学の授業で学んだ際に、面白い話があった。

セルフエスティームとは、簡単に言うと、自分には生きている価値があると考えられる傾向である。日本では、「謙譲の美徳が悪い形でここに反映しており、セルフエスティームが世界一低い傾向がある(特に中学生の女子が最低値になるというデータがある)。ある研修会で、高校の先生から次のような質問を受けたという。

自分の苦手なところやダメなところを自覚するのも同じくらい大切ではないですか

皆さんは、どう考えるだろうか。

ここを、研修講師をしたその先生は、完全に否定したという。それは「間違い」であると。

それも大切だが、「同じくらい」ではない。セルフエスティームが高い方がずっと大切である。なぜなら、セルフエスティームが低い人間にとって、苦手やダメな点を自覚したところで、デメリットしかないからである。自覚させられたことにより更に落ち込むことになりより不活動になる。

つまり、勘違いしている方がずっといい。人間の可能性なんて、誰にもわからない。少なくとも、自分はダメだと思って諦めてしまうよりも勘違いして行動する方が伸びる可能性がある。まずは動かないと、伸びる可能性はゼロである。

子どもの教育では、まずこのセルフエスティームを高めること。苦手を意識させようとしなくても、本人はよくわかっている。それよりも、長所を伸ばす方に全力を注ぐ段階である。

幼稚園児相手に、「できないこと」を羅列して自覚させることの愚かさを考えればすぐにわかる。

「何でこんな簡単なことができないの!」

……子ども的には、何でそんなことを言えるのかを、大人の方に聞きたいところである。一番親身に考えているつもりの、親や教師こそが最も子どもをダメにしている

セルフエスティームを高める。

誰から。

大人からである。あなたがあなた自身の価値を信じることができなければ、子どもが自分の価値を信じることはない。大人のセルフエスティームの向上と、自信の確立。それができれば子どもの可能性を信じることができる

子どもにガミガミ言いがちだとしたら、自分自身のセルフエスティームの低さを疑ってみることが優先事項である。

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接客時に「お客様のプライベートを聞いてはいけない」は絶対か

SNS拡散問題や個人情報保護の観点から、初対面でプライベートに触れない習慣が身についた方もいらっしゃるのではないでしょうか。しかし、「販売スタッフの場合、お客様の細かいニーズを得る為にプライベートを伺ったほうがいいシーンがある」とするのは、接客販売コンサルタント&トレーナーの坂本りゅういちさん。坂本さんは今回、無料メルマガ『販売力向上講座メールマガジン』で、具体例を上げその理由を記すとともに、プライベートに触れる際の注意点を記しています。

本当に聞いてはいけないのか?

専門学校で接客の授業をさせてもらっている私ですが、学生たちと話をしていると、「お客様に聞いてはいけないと思っていた」という話がよく出てきます。

何を聞いてはいけないと思っていたかというと、例えば、仕事のことであったり、どんな生活をしているかであったり。要は、少しでもプライベートにかかるようなことを聞いてしまうのは、よくないことだと思っているわけです。

これは、どこかの店に行って、若いスタッフさんと話をしている時にも、よく上がってくる話です。10代後半や、20代前半くらいのスタッフさんと話をしていると、やはり同じように、「プライベートの話はあまり聞かない」「聞くのはいけないことだと思っている」という話が上がってきます。

確かに、お客様のプライベートに対して、あまりにも突っ込みすぎるのは、よくないことなのかもしれません。特に、まだそこまで仲良くなれていないお客様に対して、最初からズケズケとプライベートに突っ込みすぎると敬遠されてしまう可能性は高いでしょう。

しかし、それも、内容によると思います。

例えば、洋服の販売をしているとして、お客様の接客をするとします。すると、お客様がどんな場面で使いたいと思っているかその場面は具体的にどんな場面なのかがわからないと、まともな提案はできるものではありません。

「仕事で使いたいと思っている」というニーズがあったとしても、その仕事がどんな仕事で、どの程度までの服装なら許されるのかや、どんなシチュエーション用なのかが見えてこないと、そのお客様のニーズに正確に合う商品提案にはならないのです。

それを聞かずに、「仕事で使いたい」という情報だけで提案しようとするから、勝手にイメージした仕事用の服の提案になり、結局、お客様の想像とは違う商品を延々と提案することになったり、ありきたりな、誰にでも同じことが言える提案になります。だったら、やはり提案に必要な情報は聞き出す必要が出てきます。

職場では、どの程度の服装まで許されるのか?取引先の人と会う機会は多いのか?社内でだけ着るような服なのか?

そうした情報を教えてもらうことで、初めて、お客様のニーズに合う提案になっていくはずです。好みなども同様ですよね。どんな色や柄が好きなのか?自宅にある洋服はどんなもので、どんな手持ちの洋服と合わせたいと考えているのか?そうした情報があれば、より明確にニーズに合う商品提案につながることでしょう。

それらの情報を聞くことを怖がっていたら、いつまでたっても、本当にお客様のニーズに沿った提案はできなくなってしまいます。これらは、聞いてはいけない情報ではなくて、むしろ聞けてないと困る情報です。

逆に、プライベートの話でも、商品提案とはあまりにもかけ離れた話ばかりをすると、それは敬遠されてしまいます。

大事なのは、お客様に良い商品を知ってもらうためにどんな情報が必要なのか自分が理解しておくことではないでしょうか。そのためには、事前に質問する内容を考え、整理しておくことも大切です。

今日の質問です。

  • あなたの店の商品をお客様に提案する際、どんな情報があれば、良い提案ができますか?

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ビジネス上ではあなたはのっぺらぼう。だからこそやるべきこと

我々には一人ひとり名前があり、性格も異なる個人ですが、ビジネスにおいてはその個体識別はされることのない『ノーバディ』である、と話すのは、無料メルマガ『サラリーマンで年収1000万円を目指せ』の著者である佐藤しょ~おんさん。佐藤さんは、名前を意識されることのないサラリーマンだからこそ人生を劇的に変えることができると論じています。

我々は全員どうせノーバディ

サラリーマンって、余程有名で無い限り、会社という看板に守られた構成員の一人でしかないんです。あなたの会社のお客さんが、法人(B2B)であれ、個人(B2C)であれ、あなたの会社を信用して取引をしたり、商品やサービスを購入しているわけであって、あなた個人の能力、スキル、信用、実績が購買の決定要因にはなっていないわけです。

つまり購入者から見たら、あなたという個人はほとんど存在していなくて、あるのは名刺に記載された会社名だけなんですよ。昔の人はそれを理解していたから、「お仕事は何をされていますか?」と訊かれたら、

  ■ ○○株式会社に勤めています

って答えたわけです。それってあんたの勤務している会社の名前であって、あなたの仕事とは全然関係ないじゃんか!ってツッコむ人はいなかったんですね。

会社でどんな業務を、どのレベルの責任でやっているかではなく、何という会社に雇われているかで、個人の評価が決まったわけですね。これは今でも、住宅ローンの審査とかでは使われています。

サラリーマン時代に、勤務していた会社が買収されて、それなりに大きな(有名な)会社の子会社ってことになったんですよ。そうしたらすぐに、社内報が回って来て、このグループ会社の社員だけの特別優遇金利で住宅ローンが借りられるってことが書かれていたんですね。

それって社員の勤務評定とか実績は関係なくて、所属している会社が大企業の子会社になったから、所属している人間の評価も自動的に上がってしまっただけなんですよね。

これらの現実は何を意味しているのかというと、サラリーマンというのは基本的に匿名、アノニマスのノーバディ(個体識別が出来ないタダのヒトという意味)なのだということです。あなたには名字も、親が付けてくれた名前もあるかも知れないけど、社会全体から見たら、タダの一人のサラリーマン、名前すら意識する必要が無い無名のヒトなんですね。

これは別に悪い意味で言ってるんじゃありませんよ。

逆のケースを考えてもらったら分かるんですが、あなたの名前が社会に認知されて、それが会社の業務に影響を与えるとしたら、これは怖くないですか?会社の中であなたが何をしたのかは言うに及ばず、プライベートの時に起こったことまで引き合いにされて、批難、批判、称賛されて、それが会社の業績に影響を与えるなんてことになったら、立ちションだって出来ませんよ。

有名人ってそういうことが日常的に起こってるわけですよ。例えばゾゾタウンの前澤社長が、酔っぱらって銀座で立ちションしてたなんてことになったら、会社の株価は下がるでしょうし、広報は記者会見をやらなきゃならないかも知れません。

レストランで注文したものと違うものが出て来て、

 ● これ、頼んだモノと違うんだけど

と言っただけなのに、週刊誌に、

 ■ 上場企業の某社長は、銀座で有名なクレーマーだった!

みたいな嫌がらせ記事が出て、それを釈明しなきゃならないとしたら、もうやってられないくらい面倒ですよね。

こういうのが有名人、著名人にはホントに起こっているわけですよ。日本では有名税とか言われてますが、多くの人に影響力があるということは、良いところもあれば、面倒なこともまたあるわけですね。

で、翻って我々を考えてみたら、6万2,000人の読者の99.9%が、完全に無名、アノニマス、ノーバディに分類されるわけですよ、私を含めて。

このステータスを活かさないのは、実に勿体ないと思うんですよ。

よく言われる「違う観点から考えろ」は「質問を変える」とできる

物事の解決策等を模索している時、私たちは自分自身に「質問」しつつ考えを巡らせているそうです。しかしどうしても「的確な解」が導き出せない場合は、「その質問を変えてみることをおすすめする」というのは、現役弁護士の谷原誠さん。谷原さんは自身の無料メルマガ『弁護士谷原誠の【仕事の流儀】』で、質問を変えることの有用性を記しています。

なぜ質問が大切なのか?

こんにちは。弁護士の谷原誠です。

倫理学の問題で、次のような設例があります。

洞窟を調査していた探検隊が洞窟を脱出しようとして、軽率にも太った男(デイブ)を先頭にしてしまった。

 

その時、デイブが太っているため、出口で詰まってしまい、後ろの隊員が出られなくなってしまった。

 

その時、洞窟の中で突然水があふれ出し、一刻も早くここを脱出しなければならない。

 

探検隊は、デイブをぶっ飛ばして脱出できるだけのダイナマイトを持っていた。さて、彼らはダイナマイトを使うべきか、それともおぼれ死ぬべきか。

以上です。

いかがでしょうか?「人を殺すことは、どんな理由があっても許されない」「5人の命を救うのに、1人の命を犠牲にするのは許される」など、色々回答があると思いますが、答えを考える前に、私たちは、自分に対して質問をしています

「他人の命を犠牲にして自分が助かるのは、倫理的に許されるのか?」
「殺人を犯す、という違法行為をしてもいいのか?」
「人の価値に、量的な優劣があるのか?」
「この設例は二者択一なのか、第三の方法はないのか?」

結局、どういう観点から考えるか、ということは、自分にどう質問するかによる、と言えそうです。自分に対してどういう質問をするかによってどの観点から考えるかが変わってくる、ということです。

他人の場合も同じです。会議で、「売上を伸ばすには、どういう方法があるか?」と問えば、売上を伸ばす方法をみんなが考えるのであって、経費節減の方法を考え出す人はいません。しかし、「利益を増やすには、どうしたらいいだろうか?」と問えば、経費節減の方法を考える人もいるでしょう。

自分が正しく考えるつもりでも、なかなか答えが見つからない、という場合には、質問を変えてみることをおすすめします。そうすれば、全く違った観点から、考え出すことができるしょう。

「もし自分が死にそうな状況になって、助かる方法を考えるのに1時間あるとしたら、最初の55分は、適切な質問を探すのに費やすだろう」(アインシュタイン)

質問に興味がある方は、ぜひ、この本を読んでみてください。

人生を変える「質問力」の教え』(WAVE出版)

今日は、ここまで。

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死亡者が貰えなかった最後の年金はいったい誰のものになるのか

老齢の年金は、死亡した月の年金分までが支払われますが、その最後の年金を貰うためには請求が必要となることをご存知でしょうか。今回の無料メルマガ『年金アドバイザーが教える!楽しく学ぶ公的年金講座』では著者のhirokiさんが、死亡月の年金は誰が受け取ることになるか、という疑問について詳しく紹介しています。

死亡した年金受給者が受け取れなかった最後の年金は誰が貰うお金なのか(未支給年金)

老齢の年金は一旦受給が始まると、受給権が発生した月の翌月から死亡した月分まで支払われます。受給権が発生した月というのはほとんどは、支給開始年齢に到達した月となります。老齢の年金請求が遅れても基本的には支給開始年齢まで遡って支給される(時効の5年を超えると貰えない年金が出てくる)。遺族年金や障害年金も他に支払われる事が無くなる条件が無い限りは、死亡した月分まで支払われます。

ところで、年金は前2ヶ月分を偶数月の15日に支払っています。たとえば、12月15日支払い(令和元年は15日が日曜だから12月13日支払い)の場合は前2ヶ月分である10月分と11月分が支払われるという事です。でも年金は死亡月分まで支払われると言いましたが、じゃあ12月中に死亡したら12月分の1ヵ月分の年金はどうなるの??って話ですよね。12月分の年金は2月15日に1月分と一緒に2ヶ月分支払うんなら、2月まで死亡者の銀行口座に振り込まれるまで待つのか。

もちろんそうはならないです^^;そもそも亡くなられたら、その死亡者の銀行口座は凍結されてしまいますので振り込みはできなくなる。じゃあどうするか。12月分の年金は貰い損をするのか。

死亡者にとっては申し訳ないですが…貰い損になります。でも死亡者が貰えなかったその1ヵ月分の年金を一定の遺族が請求する事はできます。本来は本人の年金を他の人の口座に振り込む事はできないですが、この請求により請求者の口座に振り込んでもらえる。この死亡者が貰えなかった最後の年金を未支給年金といいます。死亡した月分まで年金が発生するから、必ず未支給年金は発生してしまう。

死亡した日以降の年金はすべて未支給年金扱いとなり、遺族が請求しなければもらえない年金となります。この未支給年金を請求できる遺族の範囲は年金法で決まっていて、死亡当時生計を同じくしていた配偶者、子、父母、孫、祖父母、兄弟姉妹、3親等以内の親族の順で一番順位が高い人が請求する事ができます。

生計を同じくしていたというのは、簡単に言えば住民票が一緒だったとかそういう意味。別居でも定期的な訪問や連絡があったとか、そういう関りがあった場合なども含みます。たとえば、死亡者と一緒に住んでたのが50歳の子と80歳の祖父母であるならば、遺族の順位としては子が上なので子の名で請求し、子が指定した銀行口座に未支給年金を振り込む。なお、「子」というのはよく18歳年度末未満の子である事という条件がありますが、未支給年金請求では年齢は関係ない。

簡単な例として、年金月額が20万円支給されてるとします。先ほどの12月死亡の人だったら、12月13日(令和元年)に10月分と11月分の2ヶ月分40万円振り込まれ、12月分の20万円が宙ぶらりんになってしまう。この12月分の年金20万円を請求者の口座を指定して、振り込んでもらう。未支給年金の振り込みはおおむね3 ~4 ヵ月はかかる。

なお、ちょっと発展になりますが、12月13日振り込み前に亡くなられたら年金振込前に亡くなってるので、10月分11月分の40万円も死亡者は受け取る事ができません。たとえば、12月10日に亡くなったとすると、10月11月分も受け取らないまま亡くなっているので、この場合は10月分11月分12月分の3ヵ月分の60万円が未支給年金となります。


※ 注意

未支給年金は一時所得となり、50万円を超える場合は確定申告が必要になってくるので税務署に相談しましょう。


安倍首相、桜を見る会1000人推薦認める。「昭恵枠」に批判殺到

安倍晋三首相は20日の参院本会議で、公費による首相主催の「桜を見る会」招待者の推薦について自身の議員事務所に意見を述べたと明らかにし、参加者の人選過程に事実上、関与を認めたと、共同通信時事通信朝日新聞などが速報で伝えた。これまで自らの関与を否定していたが、それを修正した形となった。

共同通信によると、招待基準があいまいだったなどとして「これまでの運用は大いに反省すべきだ」とも語ったという。菅義偉官房長官は衆院内閣委員会で推薦枠に関し、自民党が6千人、首相が千人程度だったと説明。朝日新聞によると、大西証史内閣審議官は「安倍事務所において幅広く参加希望者を募るプロセスの中で、(昭恵)夫人からの推薦もあった」と明らかにした。時事通信によると、これらの発言は、立憲民主党の那谷屋正義氏への答弁として出たもので、野党は「公私混同の極みだ」と追及したという。安倍首相がこの問題について国会で説明したのは、8日の参院予算委員会以来。同日の質疑では「私は主催者としてあいさつや接遇は行うが、招待者の取りまとめには関与していない」と答弁していた。20日は「内閣官房および内閣府における最終的な取りまとめプロセスには一切関与していない」と強調している。

この安倍首相の答弁を受けて、日本のネット上では「やっぱり」「私人なのに昭恵夫人枠もあったのか」「首相の枠が1000人て」「修正した形って、単に嘘だったんでしょ」など、厳しい意見が多数投稿されている。

Twitterの反応







※本記事内のツイートにつきましては、Twitterのツイート埋め込み機能を利用して掲載させていただいております。

source: 共同通信時事通信朝日新聞

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