ここにもアベ友の影。無茶な「リニア新幹線」がゴリ押しされる訳

2027年の開業を目指し整備が進められているリニア中央新幹線ですが、その先行きは明るいものではないようです。ジャーナリストの高野孟さんは今回、自身のメルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』で、各新聞や雑誌でも指摘されている自然破壊問題や技術及び安全面のリスクを挙げ、リニア新幹線を「乗客・乗員の命を守れるのかどうかも疑わしい未成熟なレベルの代物」と結論づけています。

※本記事は有料メルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』2020年1月13日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。

プロフィール高野孟たかのはじめ
1944年東京生まれ。1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任。2002年に早稲田大学客員教授に就任。08年に《THE JOURNAL》に改名し、論説主幹に就任。現在は千葉県鴨川市に在住しながら、半農半ジャーナリストとしてとして活動中。

開業延期どころか工事断念に追い込まれかねないリニア新幹線──安倍晋三首相のお友達ゆえの葛西敬之氏の傲慢の結末

JR東海のリニア中央新幹線は、昨年12月で着工5年を経過した。27年開業という公表予定を達成するには、昨年中にすべてのトラブルを解決して工事を軌道に乗せる必要があったが、静岡工区の南アルプス山地を貫くトンネル掘削による大井川水系の水量減少を懸念する川勝平太同県知事との2年以上にわたる対立が膠着したままであるのに加えて、各地で住民による差し止め訴訟など反対運動が高まって、打開の目処が立たないまま越年せざるを得なかった。

そのため、一般紙では12月10日付読売新聞の「リニア開業延期現実味」、同22日付朝日新聞の同趣旨の記事、さらには11月24日付赤旗の「リニア工事・大井川流量減少」などが、

1.静岡工区の環境破壊問題や各地で起きた住民訴訟などですでにこのプロジェクトが政治的にズタズタなっていることを報じているが、

2.それらがきちんと触れていないのは、そもそものリニア技術が実のところ未成熟で、こんなものに乗れる訳がないだろうと思うようなリスクをいくつも抱えていて、それを指摘しているのは会員制情報誌『選択』だけである。そこを突き詰めると、さらに、

3.その背景にある21世紀の社会のあり方、その鍵となる自然と人間の関係についての文明論的な議論に行き着くことになるだろう。

それら各次元の問題に誠実に向き合うことなく、安倍晋三首相のブレーンという立場を利用して、政府から総事業費の3分の1に当たる3兆円もの財投資金を引き出し、力任せにこれを強行しようとしてきたのが、葛西敬之=JR東海名誉会長である。その無理と無茶が通らなくなるのが今年ではないか。

以上の3点を、下から順に吟味しよう。

「速い」ことがいいことだという時代錯誤

一体誰が、東京から名古屋まで30~40分で行きたいと思うのだろうか

私は2001年以来、少なくとも月に一度は名古屋に行って、中日新聞主宰の栄中日文化センターで2時間の講義をするということを20年続けてきた(それも今年3月で終わって以後は年に4回の特別講演会というペースとなる予定であるけれども)。

その場合、私は朝10時半頃に東京か新横浜で新幹線に乗って行く。東京発の場合は大丸の地下で弁松総本店の江戸風の「折詰め弁当」、新横浜発の場合だと崎陽軒の「シュウマイ弁当」を買って、30分ほどして車内でおもむろに弁当を開きゆっくりと味わう。食後に車内販売のコーヒーを楽しんで、本を読んだりウトウトしたりしながら12時前後に名古屋に着き、13時からの講義に臨む。

これがリニアで行くことになると、たぶん私は品川駅でコーヒーとサンドイッチでも買って11時半に乗り込んで、急いでそれをパクついて、ウツラウツラする暇などあるはずもなく、12時過ぎに名古屋に着くのだろう。私はそんなに慌ただしく名古屋に行きたいとは思わないので、仮にリニアが走っていたとしても、必ず新幹線に乗ることになる。

リニア新幹線の基本にあるのは、「速いことはいいことだという20世紀の文明論の残骸である。20年以上前には、「大きいことはいいことだ」ったし「速いことはいいことだ」った。しかし近頃そんなことを声高に叫ぶ人はおらず、世の中はむしろ正反対に進んで、「スロー・ライフ」などと言われるように、バタバタしないで、ゆっくり考えたり動いたり食べたりするほうが格好がいいと思われる時代になっている。そこで「どうだ速いだろう、これに乗ってもっと忙しく働いて、もっと稼いだらどうだ」と訴えかけているのがリニアで、文明論的に時代錯誤なのである。

20世紀には「速い」ことが1つの価値であったが、21世紀にはそれはむしろダサい。

「発展途上」ではない。日本を衰退途上国に落とした5つのミス

30年に渡り景気の減速が続く日本。どれだけ現政権が自らの経済対策の「効果」をアピールしようとも、私たち庶民が好景気を実感することが出来ないのが現状です。なぜ我が国はこのような惨状に陥ってしまったのでしょうか。米国在住の作家・冷泉彰彦さんは今回、自身のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』で、日本が「衰退途上国」に堕ちた原因を考察しています。

2020年の呪い

日経新聞というのは、日本の会社社会と言いますか、財界を代表する新聞ですが、時々妙に反省モードになることがあります。割に多いのが、年初の連載記事というもので、今年の場合は「逆境の資本主義」という現代の資本主義論で、割と力作のようです。

その日経の「反省モード連載」の中で、最大のヒットとなったのが1997年に掲載した「2020年からの警鐘~日本が消える」だと思います。当時は、相当に話題になりましたし、単行本化もベストセラーになっています。

今年はその「2020年」に他ならないわけで、97年という時点では近未来として考えられていた「2020」という数字が現実となっているわけです。では、改めてここから「23年前」に封印された「タイムカプセル」、つまり「危機感のタイムカプセル」を開けてみるとどうなのでしょうか?

ここにその「2020年からの警鐘」の単行本があるのですが、読んだ感想を正直に申し上げるのであれば「脱力感」というような奇妙な気分があります。どういうことかというと、23年前に「こうなってはいけない」と当時の日経の記者やエコノミストたちが「危機感に駆られて」書いた内容が、その2020年になった現在では「全く危機感を感じない」からです。

まず帯からしてそうです。「先送りはもう許されない」「先の世代に『夢』ある社会を残すために、我々は何をなすべきか」「金融、司法、自治、教育など戦後システムを根底から問い直す」というキャッチコピーが、もう23年後の今見ると「脱力」せざるを得ません。まずもって、「ある社会などというのはとっくの昔に消えてしまっているし、そんな表現自体が違和感を通り越して新鮮に見えるぐらいです。

そして「先送り」ですが、23年前の「許されない」という指摘にも関わらず、「金融、司法、自治、教育」のすべてについて改革は23年間という途方もない時間、堂々と先送りされてしまっている」わけです。そうした事実を前提としますと、23年前の「先送りはもう許されない」という力の入った宣言には、何とも言えない脱力感を感じるのです。

それは「力を入れて宣言しても、どうせ可能にはならない」という無力感です。「改革なんかしなくても、夢など消えてなくなっても、どっこい社会は続いている」という沈黙の声の大きさ(矛盾した言い方ですが)から考えると、この種の構造改革論が無力であったという絶望にも似た思いかもしれません。

ですが、この「2020年からの警鐘」の本文を読み進めていくと、脱力感とか無力感というのは、戦慄に変わりました。まず強く感じられるのは、23年前に当時の人々が想像した「暗い未来予測がそのまま実現しているということです。これはもう恐怖としか言いようがありません。まるで、日経新聞が23年前にかけた「呪い」に日本経済がそのまま縛られてしまっているかのようです。

冒頭いきなり「大手都銀の倒産」可能性が語られますが、これは96年から97年の話でこれは長信銀の金融危機としてすぐに現実のものとなります。その先の様々な記述、

  • 無縁墓
  • リスク取れない日本マネー
  • 低賃金のアニメ業界
  • 間違う裁判官
  • 幸福感の低い子供
  • 研究鎖国
  • なくなる退職金
  • 孤立する人々
  • 英国病より重い

といった指摘は、2020年の現在、全てその通りとなり、そして改革は先送られそのまま問題が悪化しているだけです。正に、この本によってかけられた「呪い」がその後ずっと日本を縛っているとしか言いようがありません。

無力感に囚われない。「習近平の国賓訪日」反対は家からも出来る

少子高齢化など、日本の未来については悲観的な報道ばかりがなされ、国民の間にも諦めにも似た感情が広がりつつありますが、国の将来に対する不安を払拭することは不可能なのでしょうか。今回の無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』では著者で国際関係ジャーナリストの北野幸伯さんが、「日本を変えられない」という無力感を克服する方法についての持論を記しています。

「日本を変えられない」という無力感を克服する方法

28年ぶりに日本に帰ってきて、見た感じ、何も変わっていないように思えました。日本は、清潔で、安全で、秩序があって、自然がきれい。日本人は、勤勉で、誠実で、正直で、親切。冬でも、晴れの日が多く、実に快適で幸せです。

しかし、人々の心の中で、とても重要な変化が起こったことがわかりました。それは、人々が「希望を失っている」ということです。そして、「日本をよくすることができる」という確信がなく、「日本の衰退は不可避無力感」にとらわれている。

皆さんは、どうですか?同じように無力感にとらわれていませんか?今日は、この問題について考えてみましょう。

世界も日本もよくなっているという事実

日本はもうダメだ!」と多くの人がいいます。「世界はもうダメだ!」と思っている人もたくさんいます。「世界は、どんどん悪くなっている」と主張する人もいます。

しかし、事実をみると、世界はどんどんよくなっています。たとえばオバマさん。200年前にアメリカで生まれたら、奴隷です。それが、今では大統領になれる。100年前、世界のほとんどの地域は、欧米列強の植民地でし
た。今では、どんな大国でも、露骨に植民地をつくることはできません。

日本もよくなっています。私が小学校1年生の時、担任は女性の先生でした。正直、体罰は日常茶飯事。宿題を忘れたら、げんこつで頭を叩かれたり、耳をひっぱられたり。そのことを問題視する人は、誰もいませんでした。次に担任になった先生は、教室で授業中にたばこを吸っていました。誰も文句をいいませんでした。今は、体罰とか、たばことか、メチャクチャうるさくなりましたね。私は、いいことだと思います。

生活面では、たとえば「犬のフンは、飼い主が持ち帰る」という習慣が確立していませんでした。それで、近所の神社でしょっちゅう犬のフンをみかけました。今、道路に犬のフンが落ちていたらびっくりしますね。ちなみに、ロシアでは、未だに「犬のフンは、飼い主が処理する」という習慣がありません。それで冬、白い雪の中に、点々とフンが見え、なんともいえない光景になります。

1年前と比べるとあまり違いは見えませんが、たとえば私が子供だった40年前とかと比べると、その差は歴然です。今現在も、日本国はよくなりつづけています。たとえば、外国人は、「日本の公立学校にはエアコンがないところが多い」と聞いて、「ハイテク大国なのになぜ?????」と驚いていました。ここ数年、ようやく、「学校にエアコンは必須でしょ」という話になってきました。

というわけで、皆さん、「世界も日本もよくなっているという事実を認識しましょう

冷静にできることをする

日本最大の問題といえば、自虐史観」でしょう。私はモスクワに留学して、「日本と日本人は、愛され、尊敬されている」ことに気がつきました。それで、速やかに自虐史観を卒業できた。1999年にメルマガをはじめてから、一貫して「自虐史観はバカバカしいので捨てましょう」と書きつづけてきました。なかなか変わらないように思えましたが、今日本から自虐史観は消えつつあります

もちろん、私が書いてきたこととは、関係ないでしょう。いろいろな先生方が、「自虐史観を捨てましょう」と主張され、ゆっくり変わってきた。だから、「何も変わらない」ように見えても、あわてず、あきらめず、冷静に、働きかけつづけることが大事です。

『ショーシャンクの空に』でアンディは、刑務所の図書館があまりにも貧弱だと嘆きました。それで、州議会に週1で手紙を書き始めた。6年後、州議会は、刑務所の図書館に予算をつける決定をくだします。その時、アンディは、「たった6年で!」と喜びました。そして、「もう議会に手紙を書くにはやめるのか?」ときかれると、「これからは週に2回書くよ!」といって笑いました。

私は、中国の「反日統一共同戦線戦略」について7年間書きつづけています。

反日統一共同戦線を呼びかける中国

全日本人がこのことを知るまで、後30年は書きつづけましょう。

そして今は、習近平の国賓訪日に反対しています。最近は、メルマガの最後に

「習近平の国賓訪日に反対」なかた、是非総理官邸にメールをお送りください。

 

ご意見募集(首相官邸に対するご意見・ご感想)

 

デモより効果があるみたいです。「日本がまた敗戦」とならないよう、お願いいたします。

と貼りつけています。そして、大変多くの読者さんから「官邸にメールを書きました!」と報告をいただきました。皆さん、どんどんメールを書きましょう。主権者としての権利を行使しましょう

心理のプロが伝授、いざという時にキョドらなくなるメントレ法

就活でもビジネスの現場でも、「印象」が重要なことは言わずもがなですが、自分が相手に「ビクビク」「おどおど」しているように見られていないかとお悩みの方、少なくないようです。今回の無料メルマガ『東北NO1メンタルトレーナーが送る『自信をはぐくむ、幸せな自分のなり方』』では心理カウンセラーの吉田こうじさんが、「いざという時にキョドらない方法」を伝授してくださっています。

いざという場面でキョドらない方法

以前、人事で採用面接の仕事をしていた頃、「もったいないな~」と思う人をたくさん見てきました。それはどんな人かというと、優秀だしやる気もあって、しっかりと企業研究もしているのに、「ビクビク」「おどおどしているような仕草をしてしまうことで印象が悪くなってしまっている人です。なので、最終面接まで行けたとしても、最後の最後で「不合格」になっちゃう…。

では、どんな仕草が「ビクビク」「おどおど」している印象を与えてしまうのでしょうか?

それは、「急所を守ろうとする仕草」です。

例えば、ある場面になると途端に、腕組みをする、足を無意識に椅子に絡める、手を股の間に挟む、首回りや頭を触る、姿勢をもぞもぞさせる、目の動きが定まらなくなるなど…、人間には生き物としての防衛本能がありますが、無意識にそれが出てしまうんですね。

なので、「動く必要性のない時には無駄に動かない」ということを強く意識しておかないと、緊張した場面などでは防衛本能が発動して、無意識に色々な部分がソワソワと動いているんです(恐ろしいことに自分では全く気づいてません!)。

では、どうすれば無駄にソワソワして挙動不審に思われなくすることができるのでしょうか?

それは、脳内シミュレーションです。いわゆるイメージトレーニングですね。具体的な場面や人物をイメージして、そこに自分が堂々と立ち居振舞っている姿を何度も繰り返しシミュレーションしてみるのです。

その際には、「もしも相手がこう言ってきたら、こう切り返そうみたいなリハーサルも織りまぜながら、自分なりに「OK」と思えるまで、繰り返し何度もやってみるといいでしょう。僕も研修の仕事を始めたばかりの頃はもちろん、今でも初めての訪問先で仕事をする前には数回イメトレをしてます。

ただし、イメージトレーニングはリラックスした状態で練習しないと、鮮明なイメージができないばかりか、ネガティブなイメージばかりが湧いてきて逆効果になることもあるので、ぜひ、リラックした状態でやることをお勧めします。特に、最悪の状況をいくつかのパターンで何度かイメトレしておくと、ちょっとやそっとのことでは動揺しなくなるので、かなり助かると思いますよ~。

とはいえ、自信がない人は「ネガティブなイメトレばかりしてしまって、余計に自分の自信を失うのでは??」と、やる前から尻込みしちゃうことがあります。そういう人って、イメトレの「目的」がブレていることが多いようです。このイメトレの目的は、

現実に体験する前に脳内予行演習をすることで、不安なポイントを知り、その不安に慣れておくこと

この一点だけです。もちろん、可能であれば不安ポイントが改善できるまで練習するのがベストですが、まずは慣れておかないと本番のときには、やっぱり玉砕しちゃうんです。ですから、ネガティブなイメトレになったのであれば、むしろ事前に慣れるチャンスなわけで、慣れてしまえば無駄に動揺しなくなりますから^_^

「そうか~、こういう場面で自分はこんなふうに動揺するのか~」みたいな事前情報を得られるチャンスなので、どんどんやっておくことをオススメしますよ^_^

ということで今回はここまでです。

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獣医師が教える。寒がりな愛猫のために家庭でできる「寒さ対策」

冬の寒さや乾燥が体調不良の原因となるのは、人間もペットも同じ。特に寒がりな猫のケアは飼い主の責任です。メルマガ『佐藤貴紀のわんにゃんアドバイス』の著者で獣医師の佐藤先生が、猫が快適に過ごせる室温や湿度と、簡単にできる「寒さ対策」を教えてくれます。愛猫とともに、アドバイスを生かして、元気にこの冬を乗り切ってください。

家庭で簡単にできる「猫の冬」を元気に乗り切る方法

寒さが厳しくなってきました。冬は気温の変化、乾燥もしやすいため、猫は体調を崩してしまいがちです。実は寒がりなんです。そんな寒がりな愛猫のために、どのような点に注意して家で冬を過ごせば良いのか?家庭でできる「寒さ対策」をお伝えしたいと思います。

1)快適な温度について

猫の平熱は、38~39度程度と言われています。子猫はそれよりも少し高く、老猫は少し低いのではないかと思います。猫が快適だと感じる温度は18~26度と言われています。老猫の場合は+2~3度くらい。生後間もない子猫の場合は、母猫の体温と同程度の温かさを維持する必要があります。

2)寒さ対策

お家でできる事は、猫がお気に入りの場所には、マットを敷いてあげる事。床の上にベッドを置く場合は、タオルケットや断熱マット、ダンボールなどを下に敷いてあげてください。これらは暖かさを逃さない効果があります。例えばベッドを湯たんぽなどで保温し、冷気が入らないように周りにパネルやダンボールで囲い保温してあげましょう。

★最後に

温度と同様に重要なのが湿度です。人間も空気が乾燥するとウイルスに感染しやすくなります。猫も同様です。50~60%の湿度を持続できるようにお部屋の環境を整えておいてあげてください。

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【書評】死にたいのに。多くの日本人高齢者が幸せに死ねない理由

延命治療の是非についてはさまざまな議論がなされていますが、欧米にはその概念すらないという事実をご存知でしょうか。今回の無料メルマガ『クリエイターへ【日刊デジタルクリエイターズ】』で編集長の柴田忠男さんが取り上げているのは、「自身の死に方と生き方を問う」という渾身の一冊。日本が「長生き地獄」と化してしまったのは、何が原因だったのでしょうか。

偏屈BOOK案内:松原惇子『長生き地獄』

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松原惇子 著/SBクリエイティブ

わたしの祖父と祖母は、自宅でなんとなく死んでいった。苦しむ様子もない自然死だった。床についている期間はわりと長かったような記憶があるが、それは日常だった。わたしには、両親が二組いた。その両親はいずれも、病院でそれぞれ数か月、眠ったきりで、苦しむこともなく亡くなった。ほとんど自然死に近い。わたしも両親のように死にたい。だが、もっと短期間で死にたい。

死を語ることは、今を充実して生きるための答え探しである、というのが著者の考え方だ。現代人は死を恐れるあまりに、死なないよう努力するが、それはまったくの逆効果である。かつて中村仁一先生の『大往生したけりゃ医療とかかわるな「自然死」のすすめ』を読んで啓発され、この欄でも書いたような記憶がある。我々は死について学ぶべきである。自分のため、家族のため。

長生きが幸せだった時代は過去のこと、現代は長生きがいろいろな問題を呼び寄せる。一日でも長く生きたいと、必死に苦しい闘病生活を送っている人もいる。それはその人の肯定する人生だから、何もいうことはない。家族ではない他人様の生き死には、著者は関係がない。だが、独身の彼女は長生きするのが怖い。それなら、長生きの現場に乗り込めばいいと思い取材に入った。

当初は「長生きがこわい」というタイトルで取材を進めていたのだが、日本には“死にたくても死なせてもらえない高齢者”が大勢いることがわかり、愕然としたという。それこそ「長生き地獄」である。なぜこうなったんだ、日本。わたし(柴田)は延命治療を拒否する。どうせ以前のような状態には戻らないんだし、苦痛を伴うのがいやだ。延命治療はエンドレスに金と時間を要する

著者はオランダの高齢者住宅を視察した。延命治療について聞きたいというと、対応してくれた人は笑いながら「延命ですか?オランダには延命という言葉さえありません」と言う。延命をしないのが当たり前。存在さえしない概念だ。これはオランダだけでなく、欧米ではスタンダードである。だから、欧米には寝たきり老人がいない。終末期の高齢者を延命させるのは非論理的だからだ。

多くの患者は寝たきりになる前に亡くなっている。自然に死ぬことができる。日本は後進国ではないし、医療は先進国である。それなのに、なぜ寝たきりの人をつくりながらも、疑問を持たなかったのか。医師は欧米の例を知っているはずなのに。答えは、医療側の算盤勘定であり、日本人の医療信仰による医師にお任せ体質も原因だ。だから、安楽死をきちんと法制化しなければならない。

著者は「良い死のために考えておきたいこと10」をあげる。延命治療をするかしないか、リビングウイルを書く、家族や友人に自分の意思を伝えておく、救急車を呼ぶか呼ばないか、孤独死を望むか望まないか、最期は自宅か施設か、あなたの地区に訪問医はいるか、生死について話せる友達がいるか、自分なりの死生観をもっているか、今を楽しんでいるか……ちょっと無理やりな感じも。

葬儀社の人の話によれば、延命治療を施されて死んだ人は、自然死の人と比べて遺体が重い。点滴や栄養補給で余分な水分が体内に溜まっているからだ。また、亡くなった直後の顔は険しく、遺族が見る前にかなり丁寧に死に化粧を施す。遺体を見ればいかに辛い最期だったか分かるという。自然に亡くなった人の顔はとても穏やかだということだ。そんな顔で死にたいものだ。

編集長 柴田忠男

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「いつまでに」「何を」「どのくらい」一年の計は親子で立てよう

年の初めに「今年こそは〇〇するぞ」と目標を立てる人、多いのではないでしょうか? でも、途中で目標を立てたことすら忘れていたり…心当たりのある人、たくさんいると思います。そこでおすすめなのは誰かと一緒に目標を立てること。例えば、家族。親子で目標を決めてチェックしあえば、一人でやるよりはずっとがんばれそうですよね。メルマガ『子どもを伸ばす 親力アップの家庭教育』の著者・柳川由紀さんは、具体的な目標の立て方から、その達成のために親はどう手助けをしたらいいかなどを細かく教えてくれます。

一年の計を親子で立てる、目標達成術

1.何を目標にするか

目標は理想ではなく「本当に達成したいもの」にします。というのも、もし、目標を達成できないことが続くと、子どもは「どうせ僕(私)は、決めたこともできないダメな人間だ」と自分を否定し、自己肯定感や自己効力感が低くなってしまうからです。心理学者のセリグマンは、こうした状況を「学習性無力感」と呼びました。

「人に親切にする」「きちんとした生活をする」なども確かに目標の一つですが、抽象的で漠然としています。具体的でないとやがて、目標を忘れたり、励みにならなかったりして、目標を達成できず、学習性無力感に陥る可能性があります。ですから「本当に達成したいこと」を、より具体的に決めましょう

2.具体的に落とし込む

「いつまでに」「何を」「どのくらい」を決めて初めて目標達成のための道筋ができます。

例えば「夏休み明けの算数テストで90点以上取る」という目標を立たら、「夏休み明けまでに(9/1)」「1学期の復習として算数ドリルを」「毎日3ページやる」と目標を達成するための行動を具体化します。

同様に部活で「秋の公式戦でベスト4に進出!」という目標を立てたら、「夏休み最後の練習までに」「素振り、筋トレメニューの自主トレを」「毎日30分やる」と目標達成のために行動を具体化します。

3.見える化して、親子でチェック

目標達成のための行動を決めたら、カレンダーにやった印をつけるなどして、どの程度できているかを一目でわかるようにしましょう。頑張り度が見えるので、励みに繋がります。親は進捗状況を見てつい「今日できてないわよ」と言ってしまいがちですが、「できていないこと」を指摘するよりも、「できていること」に目を向け、励ましながら、達成に向けて子どもの「よし、やるぞ」という気持ちを引き出しましょう。

家庭教育アドバイス…「達成感を一緒に味わう」

親が目標や具体策を立てるのではなく、子ども自身が立てることがとても大切です。自分で決めたことを達成できた、という自信に繋がるからです。また、日々、進捗状況がわかりますから、子どもが目標を達成するまで、親として前向きに伴走しましょう。そして、達成した時には一緒に喜びましょう

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現役アナウンサーが教える。誰でも人前で話せるようになる方法

CBC中部日本放送の元アナウンサー・熊谷章洋さんが、人前で話すあらゆるシーンに役立つプロの技を伝えてくれるメルマガ『話し方を磨く刺激的なひと言』。今回、熊谷さんは、「話の構成が思いつかない」「話をまとめられない」「話しているうちにわけがわからなくなる」と言う人は、そもそも話したいことがない場合が多いと解説。話したいことを見つけやすくなる効果的な方法を教えてくれます。

話したいことを見つける方法

今回は、「話の構成が思いつかない」「結論をどうすればいいのかわからない」というお悩みについてです。これは本当に、話し方に悩む人にとっては、永遠のテーマのようで、私が受けるご相談の半分以上が、「話す前に考えをまとめられない」という種類のものです。

これはおそらく、話しながら、だんだんわけがわからなくなってしまったり、自分の頭の中がもやもやしたまま話している不快感や、聞き手の求めに応じた話ができない、不安や恐れなど、自分の話がダメな現実を、わかりやすく認識してしまうからなのだと思います。言葉を換えると、理想的な話し方と現実のギャップを思い知りやすいテーマだということですね。

そういったお悩みを持つ方のお話を伺う中で、ある共通点があることに気づきました。「話す前に考えをまとめられない」と思っている人ほど、話の目的、今その話をする意図がない、ということです。

つまり、「結論をどうすればいいのかわからない」というお悩みは、実はいい線を言い当てていて、これまでの人生で自分が話してきた中で、説明や質疑応答でうまく話せた時は、話す前から結論があった時。論点が絞れていた時。ダメだった時は、それが無かった時なんですね。

この点については、質問されるとうまく話せるのは、質問されることで、話の論点が自ずと絞られるから、という例で解説したこともありましたね。

簡単に言うと、話の構成や内容の要素などは、結論=話の意図、目的があれば、芋づる式に自然につながってくるものであり、それさえあれば、そもそも構成なんて、効果的に伝えるためのひとつの演出に過ぎないんですね。そのために、当メルマガではこれまで、論点の絞り方や、話を小さなファイルにするという考え方を提示してきました。

では、話す意図を持つこと、あらかじめ、話の結論を思いつくためにはどうすればいいのでしょうか?ひとことで言うと、最初に結論を持てる人は、そういう思考習慣があるからです。

反対に、話しながら何言っているのかわからなくなってしまう人、先に話の構成を考えたいんだけどうまく思いつかない人は、最初に結論を持つ思考習慣が無いんですね。

つまり、そもそも話す前に「話したいこと」がある。話すべき事項、具体的な内容そのものよりも、「話は、話したいことに左右されているのだ!」ということです。ですから、話したいことがいっぱいあるような思考習慣の人に、こういうお悩みの話を聞かせても、そりゃそうでしょ、ぐらいで終了なんです。

ところが、話しながら何を言っているのかわからなくなってしまう人、先に話の構成を考えたいんだけどうまく思いつかない人に尋ねると、そもそも話したいこと自体があまりない、と答えるんです。

つまりこれは上述の内容を、反対側からなぞることになるのですが、話したいことを真っ先に思いつく習慣があるからこそ、話の構成が「芋づる式」に簡単にできるのであって、話したいことが無ければ、あらかじめ構成するのが難しくなるのは、これは当たり前のことなんですよね。

心がけで変えられる。口癖を、子供を育てる「認める言葉」にする

子どもを「認めること」は大切だとわかっていても、いざ実践しようとなると、どんな言葉をかけていいものか戸惑ってしまうものではないでしょうか。今回の無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』では著者で現役教師の松尾英明さんが、「口癖」と「認める言葉」の関係性等について考察しています。

口癖は、香気

先日のセミナーでの気付きのシェア。日常の言葉かけについて。

人には、口癖がある。ふとした時に口から漏れており、かつ本人には自覚がないものも多い。教師という立場の場合、自分では気付いていないが、子どもたちには大きな影響を与えている。なぜなら、口癖は、無意識に自分と周囲の人に繰り返し行われる言葉かけだからである。

講師の一人が「ほめる」の実践で有名な先生が、どんな言葉をかけているのか、調べてみたという。それは「すごいなぁ」であったという。思えば、私自身もよく口にしている。子どもに対して、本当にすごいと思うことが多いからである。ただこの「すごいなぁ」は、ほめているのではない。感心、場合によっては感嘆しているのである。「ほめる」というより、「認める」に属する。

このほめると認めるの違いがよくわからないということで、よく質問を受ける。例を挙げる。

子どもが100点をとってすごいなぁと言うとする。本当は100点の時に「すごい」というのはリスクが高いので私は大抵言わないが、やりがちな場面だと思うので敢えて例に出す。

● 参考記事:「『100点答案』を褒めると勉強嫌いになる」プレジデントオンライン

この時ただ100点だから「すごいなぁ」と言ったら、子どもは素直に100点はすごい認められると考える。裏を返せば「100点以外はすごくない。認められない」という価値観をもつ。一回ならまだしも、これが毎週のように何年にも渡って継続的に行われれば、その価値観は一生を左右するほど強固になっていく。

よくがんばっていたからねすごいなぁ」と言えば、かなり意味が変わる。「がんばったこと自体を認められたと考える(そう感じるように伝える)。

書いていて、文面だと伝わらないとしれないとも思ったが、そういうことである。伝える時の表情とか声のトーンとかも重要なのである。「上から目線」になると、ほめたことになるし、フラットな立場からだと、認めたことになる。

ちなみに、幼稚園の先生の場合、最も多い口癖が嬉しいね」だそうである。一緒に喜ぶというフラットな立場での、望ましい声かけである。

常日頃、自分にどんな口癖があるかは、重要である。子どもに対する影響力はもちろん、それ以上に自分自身に最大の作用をもたらす。他人への言葉がけは、そのまま自分への言葉がけ、価値づけである。

薔薇の花を与える手には、常にほのかな残り香が漂う」という諺の通りである。口癖とは、香気そのものである。どうせなら、日常的に良い香りの花を携え、人に手渡したいものである。

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知ってるだけの知識を「使える知識」や「知恵」に発展させる方法

座学で得た知識を行動で実感する、逆に、実際の体験が読書で腑に落ちた、という経験、ないでしょうか。「客観的・理性的知識」と「主観的・身体的知識」を結合させることは、知識の発展には不可欠なようです。今回の無料メルマガ『起業教育のススメ~子供たちに起業スピリッツを!』では著者の石丸智信さんが、知識を知恵として発展させて行くことの意義を考察しています。

一方の知識に偏っていませんか

本を読んだり、講演会やセミナーなどに参加したり、色々な体験したり、その中で様々な「知識」を得る機会があったと思います。知識を得るということは、自分を成長させたり、何らかの価値を生み出したり、周りに対して貢献したり、様々な場面において必要なことだと言えます。本号では改めて、この「知識について考察していきたいと思います。

知識は、大きく分けると2つに分けることができると思います。まず1つ目は、本を読んだり、講演会やセミナーなどで人の話を聴いたりするなどして得ることになる「客観的理性的知識」「読み聞き知識」です。もう1つは、実際に体験、経験、実践したことによって習得することになる「主観的身体的知識」「体験知識」です。

一般的に、知識を得るといったら、「客観的・理性的知識」のことを思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。例えば、子どもたちにとっては、学校や学習塾などにおいて、授業を受けることで習得することになる知識が、客観的・理性的知識に該当します。また、職業体験、実験など実際に体験、実践することで得た知識が、主観的・身体的知識に当たるでしょう。客観的・理性的知識は、言葉や文章、数式、図表などによって表すことができる知識です。

一方で、主観的・身体的知識は、言葉や図表などで表現することが難しい知識です。例えば、自転車の乗り方の本を読んだり、映像を見たりして知識を得たとしても、その知識を活かして、実際に自転車に乗ってみないと、乗ることができませんね。また、自転車に乗れたという体験から得た知識を、自転車に乗ったことがない人に教えようとした時に、その知識を言葉で説明することはなかなか難しいのではないでしょうか。これまでに、自分が体験、実践したことを、他者に伝えるために表現しようとしても、なかなか的確に表現することが難しかったという経験はありませんか。

文章などによって表現される客観的・理性的知識は、知識の中での氷山の一角と言えるでしょうね。多くの知識が、主観的・身体的知識として、表現されることなく、残されてしまっているのではないでしょうか。

客観的・理性的知識を、実際に活用して実験したり、それを踏まえて実践したりすることによって、主観的・身体的知識へとつなげることができます。また、主観的・身体的知識を理論化するなどして、文章にしたり、数式にしたり、図表にしたりすることによって、客観的・理性的知識へと統合することができます。両知識を統合することによって、より付加価値となる知識となり、ひいては知恵となって発展していくのではないでしょうか。例えば、おばあちゃんの知恵袋と言われる生活の知恵も、そのひとつだと言えるでしょうね。

客観的・理性的知識だけを習得していても、実際に実践、体験などしていないので、知恵に発展することにはならず、使える知識にもなりませんね。同様に、主観的・身体的知識だけでも、その時々の体験から得た知識なので、環境変化などがあると、その知識を応用して使うことができない側面があります。また、文章化、理論化することが難しいことから、自分はできるけれども、他者に簡単に教えることができず、周りの多くの人たちに伝えることもできません

このように考えると、お互いの知識を統合することによって、知識を知恵に発展させるとともに、多くの人たちに伝達できるようにすることが重要になってくるのではないでしょうか。

自立・自律型人財にとっては、客観的・理性的知識を習得するとともに、その知識を実際に活用することが重要です。同じく、自らが体験、実践することによって得た主観的・身体的知識を、理論化、文章化するなどして、環境変化にも柔軟に対応できるようにして、他者にもやさしく伝えることが大切になってくるでしょうね。

◆参考文献 『人生を逆転する最強の法則』竹田陽一 著/中経出版

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