急に必要な時に限って見つからない。「トリセツ」の賢い収納方法

女性の気持ちを「取扱説明書」になぞらえて唄った西野カナさん「トリセツ」のヒット以来、この略語も一般家庭ですっかり定着しました。さてこのトリセツ、日常使うことが少ないせいか、いざ必要な時に探すのは一苦労です。今回の無料メルマガ『システマティックな「ま、いっか」家事術』では著者の真井花さんが、ファイルホルダーを活用したトリセツの保管方法を紹介しています。

トリセツの収納ってどうするの?

さて、本日はトリセツの収納のお話。

トリセツは、必要なときが必ず来るもの。それなのに、そういうときに限って取り出せなかったりするんですよね。

トリセツは

  • 厚みのあるファイルフォルダに収納する

ことです。

● ナカバヤシ クリアファイルどっさり個別フォルダー
● コクヨ 取扱説明書 ファイル用替紙

これにトリセツをひとつづつ入れます。テプラで見出しでも付ければカンペキですがそこまでしなくても解るならOK。ちなみに私はソコまでやりません(^Д^) えへへ。

で、このフォルダーを

● ボックスファイル か
● コクヨ ガバットファイル

に収納すると。あ、我が家はコクヨ派です♪

ポイントは、厚みのある透明なフォルダーにひとつづつ入れておくこととこれをひとまとめにしておくことです。

トリセツが必要なときに見つからないのは、トリセツの保管場所が決まっていないからと、見てすぐにナンのトリセツなのか解らないからです。なので、ボックスやファイルでひとまとめにして保管場所を決め、保管場所の中で一発で探せるよう透明なフォルダーを使用するんです。

でね。実はこれと同じくらい重要なポイントがあるんです。いや、やっている方にはごくアタリマエのことですが。

トリセツがどういうときに増えるのかと言えば

  • 新しい家電製品を購入したとき

ですよね。フツーは買い換えですからね、家電って。もちろんいままでなかったタイプの家電を新規購入することもあるでしょうが、それはここからの話は該当しません。

結局、会社は社員に最低何日の休日を与えなければNGなのか?

行政の後押しもあって、多くの企業において「働き方改革」への取り組みが定着してきました。それでも、まだまだ労働基準法が順守されていない職場は少なくありません。今回の無料メルマガ『採用から退社まで! 正しい労務管理で、運命の出会いを引き寄せろ』では、休日の運用について、企業側の立場にたってわかりやすく解説しています。あなたはどこまで知っていますか?

御社では、従業員にきちんと休日を与えていますか?

前回の「1日16時間労働で休憩1時間のみ。これって労基法違反にならない?」では「休憩」についてお話しました。今回は、「休日」についてお話します。

「休日」については、就業規則や労働条件通知書等で必ず記載しなければならない事項です。そして、労基法35条で、(法定休日は原則1週間に最低1日は与えなければならないことになっています

例えば、毎週日曜日とか毎月曜日など、曜日を特定するに越したことはありませんが、法的には、そこまでの必要はありません。就業規則等への記載については、「週1回与える」というような定めでもOKです。ただし、そのような定め方では、働く人にとっては、とても働きにくい会社ということになるでしょうから、従業員の募集や定着のためにも休日は特定しておいた方が良いと思います。

ところで、「休日」について勘違いしている方も多いので、改めて説明しておきます。「休日」とは、簡単にいうと、労働義務のない日のことです。この「休日は暦日すなわち午前零時から午後12時までの暦日24時間をいいます。

ですから、休日前に残業が長引いて休日の午前零時を回ってしまった場合その日は休日とは扱われません。別途休日を与えなければ、休日を与えていないこととなり、労基法35条違反となります。

※ ただし、多くの企業は、36協定で休日労働について労使協定を結んでいるでしょうから、その場合には法違反とはなりません。ちなみに、上記例では、残業が法定休日の午前零時を回ってからの割増賃金は、「休日労働1.35+深夜労働0.25=1.6割増」となります(午前零時前までは、時間外労働1.25+深夜労働0・25=1.6割増)。

夜間専門の仕事であっても暦日で休日を与えなければなりません。勤務就業後からの継続24時間では、「休日」を与えたことにはなりませんから注意が必要です。ただし、工場などで三交替制が行われている場合の夜勤番のときには、就業後の継続24時間を休日として扱えます(そうでないと、三交替制がうまく回っていきませんから…)。

日本よ、ロシアに学べ。外国人労働者のトラブルを防ぐ2つの秘策

前回掲載の「外国人労働者50万人の受け入れを決めた日本に起こる、6つの変化」で、外国人労働者を巡る日本政府の発表を受け、モスクワ在住の視点から移民問題に切り込んだ、国際関係ジャーナリストの北野幸伯さん。今回は無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』誌上で、読者の方から届いたメッセージに回答する形で、日本特有の外国人労働者政策をよりよく実行できる一案を紹介、今後予見される多民族間内紛の沈静化に繋がると提案しています。

移民、外国人労働者トラブルを激減させた方法(プーチン流)

前回は、「政府が、外国人労働者の数を【50万人】増やすことを決めた」という話でした。

この件、本当にたくさんのご意見をいただきました。ありがとうございます! うれしかったのは、エモーショナルな外国人嫌いの意見がなかったことです。受入れ賛成派も反対派も、どちらも国の未来について心配している。今回は、外国人と接することが多い美雉さんからのメールをご紹介します。

北野様

 

メルマガ読者の一人、美雉です。いつも、興味深く拝読しております。さて、今回扱った日本での外国人労働者受け入れ問題ですが、充分に理解ができると同時に、日本滞在ではない北野様へ情報提供したいと思います。

 

現時点で既に日本では労働力が足りないのです。日本における失業率というのは、自分が希望する職種ではないので、就労しないだけあり、又、就労しなくても暮らしていける豊かな日本であるので、就労しない、という現状から生じた数字です。決して、仕事が無いわけではありません。レストランなどは、従業員の工面ができず営業時間を減らした所が出てきました。デパートでもそうです。

 

私は、介護認定をうけた高齢者が利用するデイサービスに、書道のボランティア(書道家でもあります)で通っていますが、人手が足りません。介護や医療の現場での人員確保が深刻な状況に陥っているのは、実際に目にしております。

 

私も、北野様同様、3K労働を外国人労働者にさせるのは反対です。しかし、既に足りない労働力を外国人に頼るのは賛成です。その兼ね合いをどうするかが問題になってくると思います。良いお知恵がありましたら、どうぞ、又、メルマガにて、ご紹介ください。

実際に、人手不足が深刻になっている。それで、「外国人労働者、移民を入れるな」という主張は、「現場を知らない奴の理想論」になってしまいます(私の場合、「日本人が嫌がる3K労働は、外国人にやらせればいいさ」という「差別的動機3K外国人労働者大量受入れに反対しています)。

前回ご紹介した文章は、10年前に書いたものです。つまり10年前には、現状を予見できた。10年前に対策を講じれば、今のような状況にはならなかったでしょう。今となっては、「現実にある問題をどうするんだ!?」といわれてしまいます。

そこで今回は、「移民外国人労働者トラブルを激減させた方法」をご紹介します。

今も感謝され続ける「日本人」。遠いウズベキスタンに残したもの

ウズベキスタンに行くと、現地の人々が揃って教えてくれることがあるそうです。「これは、日本人が作ったものだ」──。現在のかの国を支えている建造物を作った「日本人」とは誰のことを差しているのでしょうか。参院議員で元在ウズベキスタン特命全権大使の中山恭子さんが、無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』誌上で、胸を打つ感動的なエピソードを紹介しています。

異国の地での合言葉「桜を見よう」

中央アジアの一国、ウズベキスタン共和国。戦後、この地に強制労働下におかれた日本人たちがいました。かれらは苦しい状況下に置かれながらも希望を失わず、懸命に生き抜いたのでした。

大使の仕事は両国の友好関係を深めることをはじめ、経済発展の支援や両国の文化交流人的交流など様々です。そのために各地を巡りましたが、行く先々で、必ずと言ってよいほど、現地の人たちが教えてくれることがありました。

「いま走っているこの道は、日本人がつくった道だ」
「あの建物は、日本人が建ててくれたものです」
「あそこの運河も日本人がつくってくれました
「このアパートは日本人が建てたものだから強くて安心なんです」

それも、誰もがまるで我がことのように自慢げに話してくれるのです。他にも首都タシケントにあるナヴォイ劇場ベカバード市の水力発電所など、日本人によって建てられた建造物は枚挙に遑がありません。しかも、その多くが強い地震にも、びくともしなかったというのです。

不穏な米朝会談、背後にうごめく各国の思惑を国際調停のプロが解説

いよいよ12日に迫った米朝首脳会談。史上初、まさに歴史的なこの会談のスタートを世界が固唾を飲んで見守っている状況ですが、「6月12日の会談の実施は避けるべき」とするのは、元国連紛争調停官で国際交渉人、さらに地政学リスクアドバイザーの顔を持つ島田久仁彦さん。島田さんは自身のメルマガ『最後の調停官 島田久仁彦の『無敵の交渉・コミュニケーション術』』の中でその理由を記すとともに、この会談に関して自らが掴んでいる様々な情報を明かしています。

米朝首脳会談と混迷を極めるアジア情勢

シリア問題、イランをめぐる駆け引き、ベネズエラを発端とする通貨危機の兆し、ロヒンギャ問題など、いろいろと国際的な情勢が流動的になり、問題が山積している中、どうしても6月12日に“予定”されている米朝首脳会談をめぐる外交戦に、世の中の目は集中し、各国がトランプ氏の“決定”に振り回されています。まさしく“トランプマジックの罠にはまってしまっていると言えるでしょう。

一度は中止さえ宣言された米朝首脳会談ですが、今月に入って、また、再開どころか、予定通りの開催へと大きく舵が切られました。北朝鮮の実質的なNo.2とされる金英哲氏の訪米を受けて、トランプ大統領から、6月12日に“予定通り”開催するとの発表がなされました。中国政府については、トランプ大統領の“中止”発表後、本件については、手足を縛られた状況で身動きが取れずにいましたのでひとまず安心できたかもしれません(ちなみに、6月6日のTwitterでの発表では、12日午前9時からシンガポールのセントーサ島にあるカペラホテルでの開催だそうですが、警備上、このようなピンポイントの情報が出てくることは好ましくないので、もしかしたら目くらましかもしれない、とも思えます。とはいえ、トランプ氏なので、本当にここで行うという可能性も否定できません。私もトランプマジックもしくはトランプトラップに引っかかっているのでしょう)。

しかし、本当に6月12日に開催される見込みとなった米朝首脳会談の実施を喜んでいいのでしょうか?

私は予てより述べているように、6月12日の会談の実施は避けるべきだと思っています。それは、いろんな要素が絡み合っているからです。

まず、挙げないといけないのは、米国内での準備不足でしょう。中止が発表された後も、事務的には「予定通りの実施」に向けた準備は続けられ、首脳会談の合意内容を詰める板門店での会合と、ロジスティクスの準備についての話し合い(シンガポール)が同時並行的に進められていました。しかし、6月12日に「合意を得るための素地は全くできていないまま、“予定通り”の開催となりました。

トランプ大統領の言動が変わっていることでも分かりますが、当初、「6月12日は歴史的な会談となり、素晴らしい合意を得る」と自信たっぷりに話していた内容から、「6月12日はあくまでも、お互いを知るためのプロセスのスタートであり、今後、段階的に合意に向けて動いていくためのプロセスである」とトーンが変わっています。

これは、周辺より、米朝協議の難航を報告されたことが大きいと思われますが、11月に行われる議会の中間選挙に向けて歴史的な成果を示す必要があることから、「進展」を強調したい狙いのための最低ラインを述べているのだと考えています。

「もうゆるして」結愛ちゃん虐待死で探偵が見抜いた一家の真実

死亡した女児が遺した、ひらがなだけのノートが日本中に衝撃を与えた「目黒虐待死事件」。多くの虐待問題を解決に導いてきた、現役探偵の阿部泰尚(あべ・ひろたか)さんは、自身のメルマガ『伝説の探偵』で、報道前に阿部さんが把握していた今回の事件の背景と、過去の虐待の事例などを分析しつつ、これ以上同じような被害を増やさないために、行政、児童相談所、民間企業、そして私たちができることについて提言しています。

「もうおねがいゆるしてゆるしてください」探偵が知っていた、目黒虐待死事件の背景

ママ、もうパパとママにいわれなくてもしっかりと じぶんからきょうよりか もっともっとあしたはできるようにするから もうおねがいゆるしてゆるしてください おねがいします ほんとうにもうおなじことしません ゆるして

きのう ぜんぜんできてなかったこと これまでまいにちやってきたことをなおす
これまでどんだけあほみたいにあそんだか あそぶってあほみたいだからやめるので もうぜったい ぜったいやらないからね わかったね ぜったいのぜったいおやくそく あしたのあさは きょうみたいにやるんじゃなくて もうあしたは ぜったいやるんだぞとおもっていっしょうけんめいやって パパとママにみせるぞというきもちで やるぞ

船戸結愛ちゃん(5歳)は、ひらがなの練習帳に、そう記していた。

これを読んだ関係者はみんな涙し、なぜ救えなかったのか?そう世間に訴えかけている。

事件の概要

東京目黒区のアパートで、船戸結愛ちゃん(5歳)が虐待により3月2日に死亡した。死因は、肺炎による敗血症であり、継父である船戸雄大、実母である優里は警視庁に逮捕されている。

もともと、香川県善通寺市に住んでおり、この時から児童虐待があって一時保護を受けていたが、2018年1月に目黒区へ転居した。各種報道によれば、2016年に県の児童相談所が虐待を通報により認知、簡易の経過観察となったが、同年9月に雄大氏と優里氏の間に子が誕生したことで、より観察すべきということになっている。2016年12月に結愛ちゃんが一人で歩いているところを香川県警が保護し、児童相談所が対応、医師の診断では日常的な身体的虐待があるとされた。

その後、一時帰宅するも再度保護されるが、条件付きで一時保護は解除された。児童相談所では、結愛ちゃんが怪我をしていることや継父である雄大氏から殴られたり蹴られたりするという報告があったものの、保護者はやっていないよく嘘をつくようになったなどと否定していた。

そして、2017年末頃になると、東京へ引っ越すと保護者らは言うようになり、転居先などを児童相談所など関係先には頑なに明かさなかった。重大な事案であるため、転居先を調べ、目黒区を管轄する品川児童相談所に連絡し、すぐに家庭訪問で結愛ちゃんに面会するよう求めたが、当の児童相談所は保護者に拒否されたことを理由に、何の措置も講じなかった

2018年1月頃から雄大氏の暴力は酷くなり、食事なども十分には与えなかった。母親は自分に累が及ぶことを恐れ、見て見ぬ振りをした。

2018年3月2日、病院に搬送された時は、死亡が確認されたのみであった。結愛ちゃんの身体には複数の痣などあり、5歳児の平均体重20キロに対し、12キロしかなかった。また、自ら立ち上がることもできないほどであり、オムツを履いていた。

児童虐待

児童虐待について児童相談所が対応した統計を見てみると、平成28年度でおよそ12万件、最も多いのが心理的虐待のおよそ6万3千件となるが、身体的虐待およそ3万2千件、育児放棄などのネグレクトおよそ2万5千件、性的虐待およそ1600件となっていて、年々増加傾向にある。

また、警察の発表を見てみると、こうした児童虐待で逮捕となるのは年1000件ほど、被害児童はおよそ1100人で、60~70人が死んでいる

結愛ちゃんの継父であり今回逮捕起訴されている雄大氏は、各報道機関によれば、目黒区に引っ越す前にいた香川県当時、結愛ちゃんへの暴力で2度逮捕されているそうだが、2度とも不起訴処分、つまり無罪放免となっている。

つまり、警察に逮捕されたとしても、検察の段階で不起訴となる事例があるということだ。

私は20代前半から児童虐待についての問題で、救助活動を行ってきており、T.I.U.総合探偵社は、子供のいじめ無償調査をいろいろ取り上げてもらい、少しは世間の方々に知ってもらうところになってきたが、発足当初から「児童虐待についての調査及び救助に関する活動」は、私のライフワークでもあることから、無償対応枠を持っている。

だからこそ、児童相談所や地域行政の怠慢対応、司法判断の甘さ、そして再発した時の卑劣さ、虐待事件を起こす保護者の背景についての問題や親権の強さを身に染みるほど感じている。

そして、世間や大人社会がこの問題に熱し易く冷めやすい傾向があることも知っている。

頭でっかちで、お上がやってくれる精神の大人たちが、児童相談所が動いてくれる、そういうシステムになっている、親権の停止や分離も要件を満たせばできると、現場の問題や虐待を行う保護者が激しく抵抗してくることも知らずに立派な顔をして薄っぺらい知識をひけらかすのを何度も見てきた。

あるSNSで救いを求めた子を何とか救おうと動いた時、保護者が激しく抵抗してくることが予測され、児童相談所が機能しないことが見えていた時、私が民間の活動団体の支援を求めたおり、現実を知らない大人たちに大批判と吊し上げをされたこともある。

”十数年もこの問題をやっている人間として知識が無さ過ぎる。”

”探偵ごときが何ができる結局金だろ?”

結果、彼らが児童相談所(以下「児相」という)に通告、児相から保護者に問い合わせ、1ヶ月の軟禁状態となった少女は、私と私が支援を求めた民間の活動団体による呼びかけにより近隣住民が警察に通報してくれたことで、保護された。

私が知る限り、児童虐待についての現場をよく知る活動家は多くはないし児相が積極的に動くなどということは無い

総務省がまたも横槍。ケータイ「2年縛り行政指導」でどう変わる?

6月6日、総務省は携帯3大キャリアに対して、いわゆる「2年縛り」の違約金の撤廃を含めた行政指導を行いました。これを受け、ケータイ/スマートフォンジャーナリストの石川温さんは自身のメルマガ『石川温の「スマホ業界新聞」』で、各社が打ってくると予想される対抗策により、ユーザーは半永久的にキャリアに縛られることになるとの予測を記しています。

総務省が3キャリアに「2年縛り」を行政指導――数年前のアメリカ市場のような激変は日本でも起こるのか

WWDC取材に夢中になっている間に総務省が3キャリアに対して行政指導を行っていた。

特に注目は2年縛りの条項だ。来年3月末までに「2年縛りの料金プランで、2年経過時に解約する際、25カ月目の料金や違約金がかからないようにすること」を求めた。

現在、2年経過後に、継続して2年縛りのプランにするか、違約金なしで解約できる2つのコースが用意されているが、その抜け道は通用しなくなったということだろう。今後は2年契約が経過してもいつでも負担なく解約できるようにしなればならないことになりそうだ。

おそらく、数年前にアメリカで起こったことが、日本でも起こるのではないか。アメリカではT-Mobileが「Uncarrier戦略」の一環で2年縛りを辞め、ユーザーを一気に獲得。それにつられて、他キャリアも2年縛りから脱却した経緯がある。

アメリカは1社の勇気あるキャリアによって市場が動いたが、日本は総務省に行政指導されて仕方なく、2年縛りを辞めざるを得ない状況に追い込まれているというのが情けない。本来ならば、ソフトバンクがあたりがUncarrier戦略をぶち上げ、上位2社を攻めるぐらいの気概が欲しかったものだ。

ストレスで薄毛に。元駐車監視員が暴露する「警察のパシリ」実態

「みなし公務員」という誘い文句につられて、勤めていた警備会社で「駐車監視員」の仕事に従事した結果、ストレスで頭髪が薄くなるハメに……。そんな辛い経験を持つ旧友O氏にインタビューした、メルマガ『ジャンクハンター吉田の疑問だらけの道路交通法』の著者で交通ジャーナリストの吉田武さん。親しい間柄だからこそ笑いながら明かす、駐車監視員のダメダメな内情暴露話ですが、はたしてそのヒドい取り締まり実態とは?

2006年から2年間、駐車監視員をしていた友人のお話 その1

<はじめに>

警備会社で働いていた友人のO氏。駐車監視員制度が始まるというので、彼が勤めていた警備会社が民間委託先として選ばれたことで、みなし公務員の道を選択。だが、その内情とはストレスだらけで、ふさふさだった髪の毛が抜け落ちて無くなってしまうほど、警察から使いっぱしりにされているだけの鉄砲玉だった。現在は北海道の地元に戻って仕事をしているO氏だが、10年ぶりに東京へ遊びに来て、メルマガを出している吉田のためにと、2年間と短い期間だが、駐車監視員を務めていた時の舞台裏を披露していただいた。

吉田:まさに10年ぶりだよね。Oとこうやって直接顔合わせして話するのって。

O氏:たまたまネット見ていたら吉田が交通ジャーナリストと名乗ってジョブチェンジしてたから驚いてしまい、今度東京へ遊びに行くついでに、駐車監視員やっていた頃の舞台裏暴露話でも教えてあげようかなと思ったんだよね(笑)。

吉田:2006年の駐車監視員制度が発足された直後に「俺、公務員になったんでよろしく!」とショートメールがお前から届いたのは忘れられない記憶なんだがな(苦笑)。

O氏:あのメールだけで駐車監視員になったんだと理解できた吉田も凄いと思ったけど、あくまでもみなし公務員という公務員の中の底辺であり、警察官の使いっぱしりなだけだったんで、実際に仕事してみてガッカリしたんだよなぁ。

吉田:そのストレスで頭がハゲちゃったのかよ?

O氏:そうなんだよ。あんなふさふさだった俺の頭が松山千春みたいにつるっぱげに…。

吉田:なるほど。ハゲちまったお前の頭が気になるけども、それはさておき、まず駐車監視員になるきっかけから教えておくれ。

O氏:俺が正社員として10年ほど勤めていた警備会社でさ、ある日突然、部長から「今年の6月から(2006年)道路交通法が改正されるんだけども、そこで駐車監視員制度が発足されるんだってさ。

そんで、うちの会社が行政側と組んで路上の放置車両を見つけて駐禁ステッカーを貼って反則金を集める役目をすることになった。そこでみなし公務員となり、駐車違反を取り締まりしたい者はいるか?」と告げられたんで、これは面白そうだなって思い、社内では俺含め8人がみなし公務員を希望したってわけ。

吉田:つまり…権力者になれそうだなって思ったんだろ?(笑)

O氏:そうそう。路上で駐車しているクルマを見つけたら放置車両としてステッカーを貼りまくってお仕置きしまくれると考えたら、こんな楽しい職はないと最初は思ったんだよなぁ。

小室哲哉と何があったのか? SAMが語るTRFの知られざる結成裏話

1990年代、日本を席巻した音楽ダンスユニットTRF。その中心メンバーで、ダンス界のレジェンドとも言えるSAMさんが6月13日、有料メルマガ『TRF SAM 「メルマガでしか言えない、年齢に勝つトレーニングの話」』を創刊しました。今年でデビュー25周年を迎えたTRFの「意外な結成秘話」や「小室哲哉さんとのこと」、そして自身の名前の由来など、SAMさんご本人にいろいろとぶっちゃけていただきました。

SAM本人がぶっちゃけ! TRF結成秘話

──まずはTRFデビュー25周年おめでとうございます。四半世紀という長きに渡って活躍しているTRFですが、意外にも結成当初のことは知られていないと思います。一体、どのようなきっかけでグループ結成となったのでしょうか?

SAM:当時(1990年)、フジテレビで放送していた「DANCE DANCE DANCE」という、最初の半年はダウンタウンが司会で、後半の1年間はそこにラッパーとかも加わってたダンスコンテンストの深夜番組があったんです。TRFを結成する前に、僕とCHIHARU(チハル)とETSU(エツ)は、その番組でレギュラーダンサーをやっていて、僕は、審査員もやっていました。

番組の中では、MEGA-MIX(メガミックス)というグループだったんですけど、その番組が終わる頃、小室哲哉さんから番組のプロデューサーに、リーダーの僕と「話をしたい」と連絡が入ったんです。番組が終わるのに合わせて、MEGA-MIXとして渋谷のクラブクアトロで卒業公演みたいな最後のライブをやったんですが、それを小室さんが見に来てくれて、終わった後に楽屋で話をしたんですね。そのとき「普段どんな曲で踊ってるの?」って最初に言われて、「既製の曲で踊っています」と答えたんですが、「オリジナルの曲で踊ってみない?」と誘われたんですよ。

──小室さんとの出会いは深夜番組がきっかけだったんですね。しかも、僕のオリジナル曲で踊らないか、と。

SAM:ただ、MEGA-MIXは、ダンサーがしっかりメインになっていこうというポリシーを持っていました。「歌手のバックでは踊らないというポリシーですね。そのグループに対して、オリジナルの曲をくれると言ってくれたんで、大喜びしたんですよ。「ぜひお願いします!」と答えました。その後、何も細かい説明がないまま2~3ヶ月が過ぎた頃、小室さんから突然「ちょっと、みんなが聞いてる曲をまとめたものが欲しいんだよね」って連絡が来たんです。

──当時、全部で何人くらいのグループだったんでしょうか?

SAM:男5人と女の子3人で、メンバーは8人いました。それぞれがマイベストのカセットテープを編集してきて、小室さんに渡すことになったんです。そのとき、小室さんはまだTM NETWORKをやっていたんで、レコード会社はソニーに所属していました。だけど、「エイベックスと何かやる」と決まっていたらしく、特例で「ソニーに所属しながらエイベックスでやる」ということだけチラッと聞いていて、そんなもんかなと思ったのは覚えてるんですけど。

小室さん、それは……。想定外の事態が次々発生

──小室さんに、普段何を聞いているか編集したテープを出すなんて、ものすごく緊張します。しかも、まだTM NETWORKをやってたという。

SAM:小室さんは当時、赤坂プリンスホテルに住んでいたんですけど、そのロビーで待ち合わせました。僕らはメンバー8人で、ソファに座ってずっと待っていたんですけど、約束から1時間経過しても降りてこない。やっと降りて来たと思ったら、彼女と手をつなぎながらごめんねー」って(笑)。そこでメンバーそれぞれのマイベスト曲を渡したら「じゃあ、ちょっとこれを聞いてからレコーディングするからさ。また連絡するよ」と言われて別れたんです。

それから、またしばらく連絡なくて、3ヶ月後ぐらいですかね、忘れた頃に電話がかかってきました。その頃は携帯とかもなくて、夜11時くらいに小室さんから家の電話にかかってきて「今レコーディングしてるんだけど来ない?」って言うんですよ。もちろん「行きます!!」って。自分たちの曲なんだからと、仲間2人を誘って3人で行ったんです。

──すごいですね、次に会ったのが、もうオリジナル曲をレコーディングしてる最中という。

SAM:スタジオに着くと、ちょうどレコーディング中だったので、もうガンガンに音が鳴ってて。そこに「失礼します!」と入ってミキサーの後ろ側に3人で座りました。スタジオでは、テクノがガンガン流れていたんですね。僕らは当時、ドロドロのヒップホップとか、アシッドジャズとか、そんな曲で踊ってたんです。テクノとかユーロは、もう絶対に拒否してたんですよ。「マイベストのテープも渡してたし、これは俺たちの曲じゃないよな。たぶん終わったら聞かせてくれるんだよな」と思ってて、おとなしく座っていたんです。

しばらくして音が止んで、小室さんが、ようやく後ろを振り返って「…こんな感じになっちゃった」って、もうギャグですよ(笑)。こっちは、ズルっとコケるみたいな感じで(笑)。それから今度は、奥のブースから女の子が1人出てきて、「ボーカルのYU-KI(ユーキ)です」って(笑)。

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──それはズッコケますよね(笑)。しかも、マイベストのテープを渡していたにもかかわらず。

SAM:もう頭ん中真っ白ですよ。「えぇぇぇ~! ボーカルってどういうこと!? テクノでボーカル?」って。でも「あぁ、はいこんにちは」みたいな感じで挨拶して(笑)。そのまま小室さんに「また進んだら連絡するね」って言われました。

その帰り道、男3人で深夜3時くらいの築地の道をとぼとぼと肩を落として帰りながら「どうしようか?」「どうする? テクノだよ」「ボーカルってなんだよ」「これどうするやめる?」って(笑)。断ろうっていう話も出たんですけど、「とりあえず、ひとつの仕事としてやっていこうか。せっかくだから」ってなったんです。

──なるほど、TRFはそんなスタンスでスタートしたんですね。とても意外でした。

SAM:それから、しばらくして「アルバム作ってるからメンバー全員で来てと連絡があって、コーラスをレコーディングしたりしたんですよ。そのとき、12月に横浜のベイサイドクラブでファーストライブをやるという話が出ていて「ベイサイドでやります! このグループは今まで日本にはない画期的なグループで、ドカンと大きくデビューライブやります! お金かけてやります」って盛り上げてたから、どんな凄いことになるんだろうと思っていました。

そこで、ライブ前に皆で合宿しようといって、そこから小室さんと密に連絡を取るようになったんです。三重県の「ねむの里」っていうところで合宿すると言われて、小室さん含めてみんなで行きました。「ねむの里」のリハーサルスタジオで僕らが振り付けをしたんですね。そのとき、YU-KIちゃんはレコーディングしてて。夕食の時だけ小室さんと一緒に食べて、そのときにちょっとだけ話すという感じでした。だから「別にここで合宿しなくてもいいな」って思いながらも1週間ぐらい合宿して、衣装はベネトンが協賛に入っていたんで、そういう衣装を選んだりしていましたね。

──小室さんも一緒に合宿というのがすごいですね、初めて聞く話ばかりで感動しています。

SAM:ベイサイドクラブでのライブが近づいてきて、リハ行く前にフライヤーを見せてもらったんですけど、ものすごいかっこいい、きらびやかな写真で。後ろからサーチライトがワーッと空に向かって伸びている、そんな感じだったんです。で、実際に行ってみたら普通のクラブで「えぇぇ~、違うじゃん」って(笑)。

お客さんは基本、TM NETWORKのファンでしたね。それでも年末から1週間年明けに1週間全部で2週間ほどライブをやって、ファーストアルバムをリリースしたんです。そのライブの時に、初めてTRFって言う名前を見たから「TRFって何?」って読めなくて。「これはタルフ? トルフって読むの?」という感じだったんですよ。

僕たちは「歌手のバックで踊らないということをポリシーにしていたので、合宿で振り付けを作るときも、小室さんに「ボーカルの後ろにはいたくないんです。ボーカルを後ろにしていいですか」とお願いしてました。

──当時、ボーカルが後ろに立つというグループは前代未聞ですよね。

SAM:実際のライブでは、YU-KIちゃんに後ろに立ってもらったんです。フロアがあって、フロアの前にコーラス用のマイクが5本あって、そこにダンススペース。当時はDJが2人いたんで、 DJブースが2つあって。そして、小室さんのキーボードセットがあるという形でした。フロアの1番後ろのお立ち台にYU-KIちゃんが立つんです。それでライブやったんですけど、やっぱりしっくり来なくて(笑)。ボーカルが後ろにいて、自分たちがコーラスを歌ってるのに前にいるというのは何か違うな、みたいな(笑)。そこからはいろいろ話し合って変えていきました。

ファーストアルバムは、まったく話題にならなかったんです。でも、その後5月くらいに「次のシングルができた!」って言われて、これが「EZ DO DANCE」だったんです。スタジオで聞いたときに「これはかっこいい!」と思いました。「小室さん、これは絶対売れますよ!」って。そこからシーブリーズとのタイアップが決まって、ダンサー8人、DJ2人、ボーカルを入れて全部で11人でシーブリーズのCMを撮りにLAに行ったんです。

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SAMの名前の由来とは? 真実を公開

──なかなか聞けない結成秘話、ありがとうございます。これ以上の言えないレベルの話はメルマガ内で読めるということで、そこも楽しみにしています。ところで秘話といえば、SAMさんのニックネームの由来、ネット上ではいろいろな説が流布していますね。

SAM:これは、ウィキペディアに載っている内容で合ってます高校1年生の冬に家出したことがあったんですよ。当時、ディスコに行きたくて行きたくてしょうがなくて。でも、やっぱり高校生なんで、夜中に抜け出すわけにもいけないし、こっそり行ってたんですけど、それが親にばれて家出したんです。

でも、怒られると思って、2週間ぐらい家出をして、当時よく行ってた埼玉の大宮の「モップス」っていうスナック・ディスコによく行ってたんで、そこに転がり込んだんです。「バイトさせてくれ」って言って。その「モップス」で、そこの店長に名前をつけられたんです。

真冬に着の身着のまま、Tシャツに革ジャン1枚で飛び出して、お金も所持金5000円だけだったんです。もう寒くて。バイトが終わった時にいつも「寒い寒い」って言ってて。それで、バイトしている時に、クリスマスパーティーを店でやるっていうことがあって、皆で、じゃぁちょっとあだ名をつけようぜ、みたいなノリになって。「お前は寒い寒いって言ってるからSAMだ」って、そんなノリだったんです(笑)。

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ジムに行かなくても年齢に勝てる!

──今回のSAMさんのメルマガは、年齢に勝つトレーニングと言うタイトルなんですが、SAMさんは、実際に年齢を感じたことはありますか?

SAM:ありますね。45歳を過ぎたあたりから、キレがなくなってきた。今までできていた動きが、スピードが乗らなくなって「アレ?」という感じになったんです。当時、ちょっとトレーニングを怠けていたというのもあるんですけど、そんなにがむしゃらにやらなくて動けていたものが、急にガクンと落ちたんです。

──そこからは戻らないんですか?

SAM:そこからは戻らないですね。本気でちゃんとやれば戻るのかもしれないですけれどもね。相当気を入れてやらないと、時間をかけてやらないとだめですね。

──でも、いまのSAMさんの体を見て、運動は何をやっているか?と聞かれることは多いでしょうね。

SAM:まったくジムに行ってないんですよ。自重トレーニングで、腕立て伏せと腹筋だけです。後は、まぁ、ふくらはぎと太ももと内筋を鍛えることは意識しているけど。

──やっぱり毎日トレーニングをするんですか?

SAM:毎日はやらないです。腹筋は1日おき腕立ては3日に1回。そんなもんなんです。毎日やると筋肉の疲労が取れなくて。後は踊っているっていうのはもちろんあります。ただ腕立ては、自分なりの腕立てというのがありますね。ベンチプレスなみの負荷がかかる感じでやるんです。20回5セットか30回3セットとか、1日で100回やったり。腹筋は150~200回はやります。

──結構な回数やりますね。

SAM:普通の人はそこまでやらなくても、自重のトレーニングで締まっていきますよ。僕の場合は、仕事が仕事なんで、ジムに行っちゃった方が楽なのかもしれないですけど。ほんとに僕にはマシン・トレーニングが合わなくて。一時期トータル・ワークアウトにも行ったんですけど、まった身体が強くならずに、疲労だけが残る感じでした。ジムでぐったりして、帰ってきて踊る気力もなくて、これじゃぁ練習もできないみたいな状態で。

あと「ズバッといってください!」みたいな、追い立てられる感じも苦手で、自分でやりたいと思っちゃうんですね。自分のペースでも、その方がしっかり筋肉がついたんで。トータル・ワークアウトは3週間のプログラムっで、肉体改造というのをやったんですけど、食事制限をしても全然実感がわかなくて、ちょっと筋肉質になったかなぁぐらいな感じでした。自分で考えてやった方が確実に身体が変わりましたね。

──そのあたりの具体的な運動法はメルマガでも書いていただけるということですね。SAMさんはあまりネット上で何か発言したりされるイメージはなかったんですが、メルマガではどのようのうなことを発信していく予定ですか?

SAM:ブログをやろうと思ったこともあったんですが、いかんせんマメじゃないんで。もうSNSでギリギリぐらいで。でも、メルマガを出す機会をもらったことで、やっぱり伝えたいことはたくさんあるんですよ。身体のこともそうですし、「ダレデモダンス」という社団法人を作って、ダンスを生活の一部にして身体を健康にしていこうという運動もしています。あとは、ダンサーのコアとなる部分を教えたり、本当にかっこいいダンサーたちや、かっこいい舞台を紹介したり、そういうことを伝えていけたらいいなと思っています。

──ありがとうございました。メルマガの配信、毎回楽しみにお待ちしています。

外国人労働者50万人の受け入れを決めた日本に起こる、6つの変化

日本政府は2025年までに外国人労働者50万人増を目指す方針を発表しました。今回の無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』では著者で国際関係ジャーナリストの北野幸伯さんが、差別的「3K労働者」としてだけの受け入れになるのであれば反対すると切り込み、ロシアに16年住み考察した外国人労働者を取り巻く問題を6つ掲げ、日本社会も同じ轍を踏む可能性があると結んでいます。

「日本政府、外国人労働者を【50万人】増やす方針」てどう?

日本政府は、外国人労働者の数を、【50万人増やす】そうです。

外国人労働者50万人超必要 25年までに 人手不足深刻化で転換

Sankei Biz 2018.6.6 06:15

 

政府は骨太方針の素案で、外国人労働者の受け入れ拡大に向けた新たな在留資格の創設を盛り込んだ。新資格で2025年ごろまでに50万人超が必要と想定する。人手不足の深刻化を受け、実質的に単純労働分野での就労を認める方針転換となるが、現行制度でも受け入れ後の生活保護受給者増や悪質な紹介業者の存在など解決すべき課題は山積しており、一筋縄では行きそうにない。

私は10年前、『隷属国家日本の岐路~今度は中国の属国になるのか』という本をダイヤモンド社から出しました。そこで、1章使って「移民問題」を語っています。今日は、この本から引用しようと思っています。

いくつか注意点があります。一つ目は、この文が書かれたのは「10年前」だということです。情報は当然古いですが、問題の本質は変わっていません

二つ目は、「移民と外国人労働者は違う話だ」という批判が出ることでしょう。私は、「外国人労働者はいずれ移民に転化する」という意見です。実際、欧米、ロシアでそうなっているのですから、日本だけそうならないとは思えません。この件については、有本香さんの記事、「『移民ではなく、外国人労働者』という詭弁は幾重にも罪深い」に賛成します。

三つ目、私は「移民」「外国人労働者」全般に反対なのではありません。「外国人差別が根底にある」「差別的3K移民3K外国人労働者の大量受け入れに反対しています。どういうこと? 以下、08年9月出版『隷属国家日本の岐路』からの引用です。

3K移民受入れで起こること

少子化対策のもう一つの方法は、「移民を受け入れること」。「少子化で労働力が不足するから、移民を大量に入れよう」と主張している人がいますね。2050年には人口が9,000万人になる。それなら、「移民を3,000万人入れれば1億2,000万人で、今の経済規模を保てるではないか」というのです。そして最後に、「欧米もやっているでしょ?」と必ずいいます。

私は、3K移民の受入れに大反対です。

最初にお断りしておきますが、私は外国人嫌いでも人種差別主義者でもありません。私はモスクワに16年住んでいます。大学時代は、ロシア人と、東欧諸国・中国・韓国・東南アジア・欧米の学生達と共に仲よく学んでいました。今も接する人々の90%以上は外国人です。主にロシア人ですが、モスクワは他民族都市ですので、カザフスタン、キルギス、ウズベキスタン、グルジア、アルメニア、アゼルバイジャン、ウクライナ、モルドバ、中国、ベトナム等々の人々が山ほどいます。私個人は、どこの国の人々にも偏見を抱いていませんし、問題なく暮らしています。

しかし、社会的現象として、移民を大量に受け入れた国では必ず問題が起こるのです。

「欧米も移民を大量に入れているではありませんか」と主張する人は、現実を知らないか、知っていて一部しか分かっていません。欧米でもロシアでも、移民は大問題になっているのです。

フランスでは移民による大暴動が発生し、イギリスではテロがあり、アメリカでは大規模デモがあり、ロシアでは民族主義者の移民殺害が相次いでいます。皆さんも、05年11月に起きたフランスの移民大暴動を、テレビでごらんになったでしょう。市内の自動車をかたっぱしから焼き、商店の窓を無差別に破壊していく移民たち。どこで手に入れたのか、移民の若者がライフルをぶっ放し、34名の警察官が負傷したと報じられています。

移民の人々も、毎日ハッピーに暮らしていて、ある朝起きたら「今日は暴動起こそうかな?」と思いつくのではないでしょう。日ごろの恨みが積もり積もって暴動になったに違いありません。07年2月5日の毎日に以下のような記事があります。

<フランス>黒人の56%が連日の差別 民間団体が初調査

 

【パリ福井聡】仏民間団体「黒人の代表評議会」が先月実施した、フランス在住の成人の黒人を対象とした初めての意識調査によると、回答者の56%が「連日、差別の犠牲になっている」と感じ、61%が「過去1年間に1件以上の差別にあった」と述べたということです。

どうですか? 移民先進国フランスでもこうなのです。