【ジョーク】山でブレーキ故障。エンジニアが「まさかのひと言」
毎週英語ジョークを紹介している爆笑メルマガ『笑える英語 無料版』から、「職業別の発想法」(Software Engineers)」というジョークをご紹介します。このジョークの意味、あなたにはわかりますか? 今週のジョーク…
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Details東京では7月というところも多いようですが、地方で8月の中旬といえば「お盆」。そんなお盆についてきちんと説明できるという方、案外少ないかもしれません。今回の無料メルマガ『1日1粒!『幸せのタネ』』では著者の須田將昭さんが、その土地や宗派によってもさまざまな違いのあるお盆についての「考え方」を記しています。
8月も10日を過ぎると「お盆」と呼ばれる季節です。この「お盆」という期間、あるいは風習、文化…なんとなくとらえどころのないものです。
なんとなく「8月15日のちょっと前あたり」という時期的なイメージはおおよそ全国で共通していますが、その中で行われる行事は地域によってさまざまです。先祖を祀る、先祖をお迎えするのも、地域あるいは宗派によって色々です。
仏教にまつわる行事と思われている方も多いと思いますが、本来仏教は「輪廻転生」の考えですから、死んだ人が霊になって現世に戻ってくるのは少しズレています。むしろ、神道の方に近い。『古事記』には、イザナギが死んだイザナミに会いにいくために黄泉の国を尋ねる話が出てきます。死者が住まう世界があり、それが我々の日常の世界とは違うところだという感覚。こちらの方が「死者(霊)が帰ってくる」というのに合います。
風習というものは不思議なもので、本来の姿とは形が変わることはよくあることです。もともとの土着の信仰と新しい宗教的な考えが融合するというのもよくあります。むしろ、新しい宗教が入り込んでいくときに、できるだけその土地の土着の信仰を刺激しないようにうまく取り入っていく…ということもあるので、なおさらです。
お盆という行事は、そういうわけで仏教の教えに基づくのか、神道なのか、はたまた何か土着の信仰が大きく影響しているのか、色んな説があってその辺はよく分かりません。
地域、地域で「こういう風にしてご先祖様に思いを馳せるんだ」ということを表していると考えるといいのでしょう。この辺は「理屈」じゃなくて感覚的なもの、肌身で感じる直感のようなものと思います。
「先祖の霊が帰ってくるなんてことがあるか」といってもそれは議論の相手がいない主張といえます。お盆に限らず、風習というのは理屈を超えて受け継がれていく感覚的な教えなんですね。
今自分がこの世にいるのはたくさんのご先祖がいてこそなんだ…と思いをはせる。そして生きていることに感謝する。そういう時期なんだということを思って過ごしたいものですね。
胡瓜や茄子で馬を作って、「ご先祖様の乗り物にする」というのはテレビなどで見たことはありますが、実際には見たことはありません。京都では8月16日に五山の送り火があります。これはお盆に帰ってきていた先祖の霊を送る行事です。ですから「船形」もあります。精霊流しは、川で送るスタイルと言えます。
一口に「お盆」と言っても色々ありますね。みなさんの地域ではどんなお盆の過ごし方をされますか?
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「看取り犬」という存在をご存知でしょうか。すでにNHK特番や新聞・雑誌などでも紹介されていますが、初めて聞いた方も多いのではないでしょうか。実は現在、全国ただ1カ所、ペットと暮らせる特別養護老人ホーム(特養)が神奈川県横須賀市にあります。そこで飼われている犬や猫たちが、入居者やその家族、親類縁者に対して起こしている奇跡の数々を、15のストーリーで紹介した本が発売され、即重版となっています。
なかでもシバ系の雑種・文福(ぶんぷく)の驚くべき才能による実話は、ペット愛好家はもちろん、高齢者福祉に携わる多くの方々の間で大きな話題となっています。文福ストーリーのほかにも、本書に描かれているすべての犬・猫の物語は、どれも深く胸に迫ってきます。
著者の若山 三千彦氏は、世界で初めてクローンマウスを実現した実弟・若山照彦を描いた『リアル・クローン』で第6回小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。教員を退職後、社会福祉法人心の会を創立。本書の舞台であるホームの理事長・施設長を務めているが、今回は内部関係者としてではなく、第三者の立場で、作家として執筆されました。

2の1ユニットのリーダー・坂田弘子が文福の不思議な能力に気がついたのは、ホームがオープンして2年近く経ったころだった。
「なんだか文福は、今日はずーっと井上ヤスさんのお部屋の前にいますね」
介護職員どうしの何気ない会話が、坂田の脳裏を刺激した。なにかが頭の隅に引っかかっているのだが、思い出せない。
「ほんとね。なんだか項垂れていて、悲しそうな感じじゃない?」
え? 部屋の扉の前で項垂れている?
悲しそう?
それは確か……。
半年前のことを思い出していた。半年前に逝去された一条さんの部屋の前でも、文福は悲しそうに項垂れていたではないか? さらのその数カ月前に逝去された三春さんの部屋の前でも……。
思い出す限り、これまでユニットの入居者が亡くなった場合は、文福はいつも部屋の扉の前で項垂れていた。悲しそうにしていた。
入居者が亡くなったあとのことではない。亡くなる直前のことだ。文福はいつも、入居者が逝去される2~3日前に、部屋の扉にもたれかかるようにして、座っていたのだ。
心がざわめくのを感じた。続いて心の底から温かい気持ちがわき出してきた。もしかしたら文福には、入居者の最期が近いことがわかるのだろうか? そして入居者を看取ろうとしているのだろうか?
坂田は、文福の行動を注意深く観察することにした。このときユニットは、入居者の井上ヤスさんの看取り介護体制に入っていて、大変忙しい状況だった。坂田にも余計なことをしている余裕などなかったが、なにしろ文福は看取り介護の対象である井上さんの居室の前にいるのだ。介護をする際には必ず目に入るので、少し意識しておくだけで、観察は可能だった。
文福は、そこから半日間、部屋の扉の前から動かなかった。ずっと悲しそうに項垂れていた。その様子を見て、職員のあいだにざわめきが広がった。これまで見過ごしていたが、明らかに文福の様子は普通ではない。文福の悲しみが感じ取れた。
半日が経過したとき、職員が井上さんの部屋に入ろうとすると文福がついてきた。それまでは、職員が何回も出入りしても扉の前から動かなかったのに。いや、そもそも文福は扉を自分で開けることができる。それなのに居室には入らなかったのに、なぜかこのときは一緒に入ってきたのだ。
部屋に入ると文福はベッドの脇に座り込んだ。座り込んで、じっと井上さんの顔を見つめていた。そのまま動こうとしなかった。
「文福、出ないの?」
もはや水を飲むこともできない井上さんの唇に、濡らしたガーゼを当てて湿らせ、少し顔を拭いたのち、職員は部屋から出るときに声をかけた。しかし、文福は動こうとしなかった。ちらっと職員に訴えるような視線を投げかけたあと、すぐに井上さんに目を戻した。そのままひたすら見つめ続けた。
ベッド脇での文福の見守りは、やはり半日間続いた。
この段階になると、坂田の胸のなかには、確信に近い思いが生まれていた。文福は間違いなく、井上さんの最期が近いことを察して見守っている。これまで可愛がってくれた井上さんに別れを告げようとしているのだろう。あるいは、井上さんがひとりで旅立つことがないよう、最期までそばにいるつもりなのかもしれない。
翌日、文福はベッドに上がると、井上さんの顔を慈しむようになめた。井上さんの表情が緩む。ワンコユニットに入居を希望したのだから、井上さんも大の犬好きである。意識はなくても喜んでいるのだろう。
そこから文福は、井上さんにぴたりと寄り添った。離れるのは、トイレやご飯のときだけで、ずっと寄り添い続けた。
翌日、井上さんは穏やかに旅立たれた。文福は井上さんの最期を看取ったのだ。
* * *
いつも元気いっぱいの文福は、その陽気さと、最高の笑顔が入居者に愛されている。普段は寂しそうな様子を見せることはないが、看取り介護の対象者に寄り添うときは切なそうな表情を浮かべる。
ユニットで、井上さんの次に入居者が逝去されたのは半年後のことだった。そのときも、まったく同じ行動をとっていた。逝去される3日前に、部屋の扉の前で項垂れていた。半日間扉の前にいたあと、部屋に入り、ベッドの脇に座って入居者を見守っていた。逝去される2日前にベッドに上がり、入居者の顔を慈しむようになめ、そこからはずっと寄り添っていた。
その次の方も、さらに次の方も、文福がベッドに上がり、顔をなめて、寄り添い始めてから2日以内に逝去された。
文福はただ単に入居者の最期を察知しているだけではない。明らかに入居者の最期に寄り添うという意思を持っていた。
坂田はこの文福の看取り活動を見るたびに、言い知れぬ感動を覚えていた。
文福は保護犬、つまり保健所で殺処分予定だった犬である。翌日には殺処分になるという、まさに死の寸前で、動物愛護団体の『ちばわん』に救われたのだ。『ちばわん』が保健所で撮影した文福の顔は、いまとは似ても似つかぬものだった。暗く引きつった絶望の表情が浮かんでいた。
かつて人間に捨てられ、命を失いかけた文福が、こうして高齢者の最期を見守るために全力で尽してくれるとは……。
坂田は心から感動していた。
いや、おそらく文福は、人に見捨てられ、ひとりぼっちで死の淵に立ったからこそ、死に向かい合う不安を理解しているのだろう。だから入居者をひとりで旅立たせないよう、最期まで寄り添って、見守ろうとしているのかもしれない。
文福の看取り活動は、老人ホームで高齢者とペットが共生できることを、共生することに意義があることを、職員に確信させた。
* * *
文福の看取り活動がもっとも輝いたのは、佐藤トキさんが逝去された際のことである。
佐藤さんは、ホームに入居した時点で重度の認知症だった。認知症の症状は色々あるが、佐藤さんは理解力や判断力の低下に伴い、感情の動きもなくなってしまうタイプだった。入居したときから暗く固まった顔をしており、その表情はほとんど変わることがなかった。身体機能は衰えていないので、家族が声をかければ反応し、指示に従ってご飯を食べたり、歩いたりすることはできるが、自分から自発的に動いたり、声を発することはほとんどなかった。もう家族の顔も名前もわからなくなっているとのことだった。
息子さんたちは、大の犬好きで長年犬を飼っていた母親が、犬と一緒にいられる老人ホームで暮らせば、いくらかはイキイキするのではと、一縷の望みを『さくらの里山科』に託したのだ。
そんな佐藤さんの顔に、ほんのわずかだが笑顔らしき表情が浮かんだのは、入居2日目のことだった。椅子に座っている佐藤さんの正面で文福が立ち上がって膝に抱きつき、食卓の下からにょきっと顔を出したのである。佐藤さんは、かすかだが間違いなく微笑んでいた。
佐藤さんが自ら声を発し、腕を差し伸ばしたのは、入居5日目のことである。
「ポチや、ポチ」
文福はポチと呼ばれたにもかかわらず、尻尾を振りながら駆け寄ってきた。ばふっと椅子の横から佐藤さんに抱きつき、頭をぐりぐりとこすりつけた。
「おお、ポチ、ポチ」
佐藤さんの顔に、今度は誰が見てもわかる笑いが浮かんだ。
入居から1週間後、面会に訪れた家族は、信じられない光景を目にすることになる。
「ポチや、ポチ。どこに行ってたのよ~。探したのよ~」
佐藤さんが顔をくしゃくしゃにして涙を流しながら文福を抱きしめていたのだ。
「母があんな顔をできるなんて信じられません。ここに入居させてよかったです」
息子さんは、うっすらと涙を浮かべながら、坂田に向かって深々と頭を下げた。
しかし、息子さんたちは1カ月後、さらに驚愕することになる。
佐藤さんの状態は、日に日によくなっていった。2週間後には「ポチや、ポチ、どこにいるの?」と、文福を探してユニット内を歩き回るようになった。文福は、佐藤さんがポチやと声を出すと、すぐに駆け寄ってくる。それを佐藤さんはしっかりと抱きしめ、やさしく身体を撫でていた。
ポチとはもちろん佐藤さんが昔飼っていた犬の名前である。息子さんたちがまだ幼いころ飼っていた犬だそうだ。文福と同じ柴犬系の雑種だが、文福よりはひと回り小さく、あまり似ていないと息子さんたちは言っていたが、佐藤さんは自分の愛犬のポチだと思い込んでいた。
しかし、驚くべきことに、3週間後には佐藤さんは「文福」としっかり呼びかけていた。いま、自分がお気に入りの犬は文福であると、現実が認識できたのだ。目覚ましい回復ぶりだった。
そして、入居1カ月後に息子さんたちが面会に訪れたときに奇跡が起きた。
「あら、幸一、来てくれたの?」
佐藤さんは澄んだ目で息子さんを見つめ、嬉しそうに名前を口にしたのである。なんと、顔と名前がわかったのだ。
信じられない事態に息子さんは絶句した。
認知症はまだそのメカニズムが解明されておらず、治療法も見つかっていない。治療薬は色々と研究されているが、そのほとんどが認知症の進行を予防するもので、回復させるものではない。認知症は現代の不治の病なのだ。もちろん、環境の変化や、周囲の働きかけ、音楽や手工芸などの様々な活動によって、一時的に症状が回復することはある。とはいえ、これほど劇的に回復することは、20年近く介護の仕事をしてきた坂田も見たことがなかった。
「お袋、俺のことがわかるの?」
息子さんは人目もはばからず号泣した。もう二度と母親とまともな会話をすることはできないと思っていたのだ。
それから約1年半のあいだ、佐藤さんは本当に幸せそうだった。
「私は犬が大好きで、子供のころからずっと飼っていたの。でも70を過ぎたときにあきらめてね。そこから10年以上、犬と暮らしていないの。とても寂しかったわ。こうしてまた犬と一緒に暮らせるなんて夢みたい」
また犬と一緒に暮らせるなんて夢みたい。それが口癖だった。文福を撫でながら、いつもそう言っていた。
佐藤さんのそばにはいつも文福がいた。もちろん文福は全ての入居者のそばにいる。分け隔てなく入居者全員に甘えたり、じゃれついたりしているのだが、佐藤さんが文福を求めると必ずすぐそばに来た。
* * *
佐藤さんの体力はゆっくりと衰えていった。取り戻した犬との絆、家族との絆は失われなかったが、認知症は進行し、色々なことができなくなっていった。とうとう、起き上がれなくなり、ベッド上で暮らすようになった。
「息子たちには悪いけれど、私は文福に看取ってもらいたいの」
寝たきり状態になっても、佐藤さんはいたずらっぽく笑っていた。そのベッドに文福はよく潜り込んできた。まだ看取り活動を行っているのではない。普通に佐藤さんに甘えていた。
「ほら、文福、おいで~」
寝ている佐藤さんの肩に頭をこすりつけてくる文福を抱きしめる光景は、とても微笑ましいものだった。職員たちはその光景を見るたびに笑い声を上げていた、うっすらと涙を浮かべながら。
そして、ついに文福が部屋の扉の前で項垂れるときが来た。それまで自由に出入りしていたのに、けっして部屋には入らなかった。悲しそうにずっと項垂れている。
半日後、文福はゆっくりと部屋に入るとベッドの脇に座り、じっと佐藤さんの顔を見つめた。それまではしょっちゅうベッドに上がり込んでいたのに、けっして上がらなかった。
翌日、文福はそっとベッドに上がると、佐藤さんの顔を慈しむようになめた。
「ありがとう、文福」
かすかに佐藤さんの唇が動いた。ごくごくかすかだが、口元には微笑みが浮かんでいた。もう話はほとんどできなくなっていたのだが、間違いなく佐藤さんはそう呟いた。
そして、息子さんたちに見守られながら穏やかに旅立った。その枕元には文福が寄り添っていて、ひたむきに見つめていた。佐藤さんは希望どおり、文福に看取られたのだ。
佐藤さんが入居してから逝去されるまでの日々は、奇跡的な出来事として、いまでも職員の記憶に残っている。
source: PR Times
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※本記事は有料メルマガ『大村大次郎の本音で役に立つ税金情報』2019年8月1日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会にバックナンバー含め初月無料のお試し購読をどうぞ。
プロフィール:大村大次郎(おおむら・おおじろう)
大阪府出身。10年間の国税局勤務の後、経理事務所などを経て経営コンサルタント、フリーライターに。主な著書に「あらゆる領収書は経費で落とせる」(中央公論新社)「悪の会計学」(双葉社)がある。
このメルマガでは、この20年の間、先進国の中で日本の賃金だけが下がっているということを何度がご紹介しました。日本経済新聞2019年3月19日の「ニッポンの賃金(上)」によると、1997年を100とした場合、2017年の先進諸国の賃金は以下のようになっています。
アメリカ:176
イギリス:187
フランス:166
ドイツ :155
日本 :91
このように先進諸国は軒並み50%以上上昇しています。アメリカ、イギリスなどは倍近い金額になっています。その中で、日本だけが下がっているのです。しかも約1割も減っているのです。イギリスの187%と比較すれば、日本は半分しかないのです。つまりこの20年間で、日本人の生活のゆとりは、イギリス人の半分以下になったといえます。
この20年間、先進国の中で日本の企業だけ業績が悪かったわけではありません。むしろ、日本企業は他の先進国企業に比べて安定していました。企業利益は確実に上昇しており、利益準備金も実質的に世界一となっています。
なぜ日本の賃金だけが下がったのか、というといろいろ理由はありますが、最大の理由は「日本のサラリーマンは国や企業からなめられている」ということだと思われます。というのも、着目していただきたいのは、トヨタなど国際企業の賃金動向です。
トヨタは60年前から北米に進出し、現在は、約13万6,000人を雇用しています。このトヨタのアメリカ従業員たちは、日本のトヨタの従業員と同様に賃金が据え置かれたのかというと決してそうではありません。アメリカのトヨタの従業員たちは、他のアメリカ国内企業の従業員たちと同様かそれ以上に賃金は上昇しているのです。またトヨタはイギリスにも工場をつくっていますが、イギリスでも同様に従業員の賃金は上昇しているはずです。
欧米では政府の定めた最低賃金が年々、段階的に上昇しており、また他の大企業も賃金を上昇させているので、トヨタだけが賃金を上昇させないわけにはいかないのです。欧米の労働者は日本の労働者よりも20~30%賃金が高いですが、トヨタは欧米ではその高い賃金は支払っているのです。
もちろんトヨタだけではありません。欧米に工場やオフィスを構え、現地で従業員を雇っている日本の企業は、欧米の従業員に対しては、ちゃんと賃金を上昇させているのです。賃金が据え置かれ下げられてきたのは、日本のサラリーマンだけなのです。
バブル崩壊後の日本企業は、非常に極端な方向に傾いてきました。株主ばかりを極端に厚遇し、社員の給料はあげずリストラなどを敢行するなどしてきたのです。そして人件費を削って配当に回したり、内部留保を貯めるというような愚かな事を普通にやってきました。それが結局、日本の閉塞感を招いたのです。
デフレに関するニュース解説などでは、「デフレになると経済が収縮するので給料が下がる」というようなことをよく言われます。サラリーマンの給料が下がるのも、そのせいだと言われています。しかし、ちゃんとデータを見れば、それはまったく間違っていることがわかります。
サラリーマンの平均給料は平成9年をピークに下がりはじめています。しかし物価が下がり始めたのは平成10年です。これはちょっと調べれば誰でも確認できます。つまり給料の方が早く下がり始めたのです。これをみると、デフレになったから給料が下がったという解釈は、明らかに無理があります。現在の日本のデフレの最大の要因は、賃金の低下と捉えるのが自然でしょう。給料が下がったので消費が冷え、その結果物価がさがったというのが、ごく当然の解釈になるはずです。
バブル崩壊以降、財界は「国際競争力のため」という御旗を掲げ、賃金の切り下げやリストラを続けてきました。また正規雇用を減らし、収入の不安定な非正規雇用を激増させました。その結果、消費の低下を招き、デフレを引き起こしたのです。
7月1日にサービスが開始されたばかりの「7pay」が9月末で廃止されるなど、「キャッシュレス決済後進国」から抜け出せずにいる日本ですが、お隣中国はさらなる進化を遂げているようです。今回の無料メルマガ『上海からお届け! 簡単3分、写真で覚える生活中国語』では現地在住の日本人著者・ジンダオさんが、QRすら使わない「顔スキャン支払い」を紹介しています。
日本でもようやくスマホのQR決済が大々的に始まったようですが、日本では競合他社が同じサービスを始めユーザーの争奪戦が行われているようです。キャッシュバック作戦で結局資本力勝負!いつまで体力勝負が続くんでしょうか。
そんなようやくQRコードを使った電子マネーサービスが始まっている日本をよそ目に中国ではQR決済から次の動きも始まっているようです。一部の決済ではQRは既にオサラバなのです。
以前ご紹介しましたが中国の街中には自動販売機は日本のように設置されていません。これは日本の治安の良さを示していますが、電子マネーの浸透で中国の地下鉄ホームなどには自動販売機の設置が始まって、あっ!と言う間に地下鉄のホームは自動販売機だらけ。
ビジネスが始まるとガンガンとサービスが進んでいくのも中国なのですが、その自動販売機に新しい動きが始まっていました。
私も中国人と同様にQRを使って自動販売機から飲料を購入しているのですが、先日利用した自動販売機に見慣れない「刷脸支付(shuà liǎn zhī fù)」という表記がありました。


つまり日本語にすると「顔スキャン支払い」。そうなんです。自分の顔で支払いが完了。商品選択、顔認証を選択、カメラ前で顔を表示、認証できたら商品ゲット!自動販売機が表示するQRをスマホでスキャンする事もなく、自動販売機に顔を近づけるだけで決済が完了するのです。

そもそもどうやって決済が完結するのか?顔スキャン支払いの仕組みはこんな感じになっていました。今回自動販売機で顔認証サービス提供をしていた「Alipay」こと「支付宝」のサービスの1つ。「支付宝」はアリババグループが提供している電子マネー決済システムで、アリババのジャック・マーと日本のソフトバンクの孫正義は仲が良いので有名です。
そのアリババの「支付宝」アプリに自分の顔を事前登録しておくと、今回のようにQRコードスキャン不要で使えるサービスなのです。
簡単な話、自分の顔を決済パスワードとして利用するという事。支付宝では顔認証、指紋認証、6桁文字入力パスワードなど各種パスワード方法が提示されていて、第三者からの不正利用を防ぐ工夫が盛りだくさん。
個人情報がネックの日本では難しい部分もあるのは十分理解しますが、利用者の不正利用については非常に手厚いサービスが準備されています。
この辺の技術は、日本はやっぱり遅れていますね。こんな話をするとお前は中国寄りだ!とか個人情報を取得されて怖い!など論点のズレた人からご意見を言われそうなんですが、冷静に考えてもサービス提供(商品化)に行き着くのが遅いのは間違いないと思います。
足の引っ張り合い、相手の出方を警戒して横並び。何故なのか分かりませんがITに対しての妙な恐怖心があって受け付けない人も意外と多い。
正確に言うと日本も同様の技術はあるのでしょうが商品化するまでに、あれこれと各方面の利権絡みの調整など面倒な超えるべきハードルが多いのではないでしょうか。
中国は日本以上にウェットな部分もあるものの、意外とこの辺は決まってしまうと我先に!と突っ走ってサービス展開が始まる一面もあり、日本の物差しでは考えてはイケない点です。
中々日本では顔認証決済サービスが始まるとは思えませんが、中国の数歩進んだIT技術を使ったサービスのご紹介でした。
image by: 今すぐ!中国語
少し古いSFにおいては、21世紀も20年も経つ頃には人間と変わらない二足歩行ロボットが登場し、友だちのように暮らすという設定のものが数多く見られました。しかし現実は…。一方、それらの作品で描かれている以上に進化を遂げているのが、スマホを始めとする情報通信端末だと、メルマガ『8人ばなし』著者の山崎勝義さんは指摘します。この違いは何が原因で起こったことなのでしょうか?山崎さんの考察は、今回も意外な結論にたどり着きます。
一昔前のSF映画を観ていると気付くことがある。それは今現在、我々が使用している情報通信端末(例えば、スマホやタブレット)の方がその映画の設定年代である近未来よりも進んでいるということである。これは当時のクリエイターの想像よりも遙かに速いスピードでその分野における技術開発が突出して進んだということを物語っている。
一方で明らかに遅れているのがロボットである。スマホが「一体何に使うんだ」といった子供から、これも「一体何に使うんだ」といった爺さん婆さんにまで行き渡っているのに対し、ロボットは床を這いずり回ってはコードに絡め捕られて往生するお掃除ロボットをたまに見かける程度である。
この差を生んだ大きな要因の一つは金である。資本主義と言い換えてもいい。儲かると分かれば当然そこには、優秀な人材、様々な物資、そして豊富な資金が集まる。今や世界的大企業と言えばフォードやゼネラルモーターズではなく、真っ先にアップルやマイクロソフト、グーグルの名が挙がるのではないだろうか。
そしてこれらの大企業のほとんどがガレージ同前の粗末な場所から始まり、短期間のうちに急成長を遂げることができたのは、その産業の性質にも因るところがある。情報通信産業は物理的な制約をほとんど受けない、アイデア本位の業種であるからだ。勿論、端末を作るにはそれなりに高度な技術や特殊な素材が必要であるということは疑いようもないが、他の機械、例えば車などと比べると遙かに単純で簡単である。スマホもタブレットも要は平べったい直方体である。こんなものに嬉々として十万円以上も出す現代人は一昔前の人から見れば物好き以外の何者でもないだろう。
これと真反対なのがロボットである。とにかく重力を始めとする、人間が受けているあらゆる物理的制約を同様に受け、そしてそれに逆らいつつ如何にバランスを取るかが第一の機能となる。考えれば二足歩行をさせるだけでもどれだけの時間がかかったことか。
高度成長と共に消費者の支持を得て、スーパー業界の中でトップに君臨した「ダイエー」。圧倒的で無敵な経営力を持っているように見えましたが、その凋落はあっけないものでした。長いスパンで企業経営を安定させるには何が重要なのでしょうか。今回の無料メルマガ『戦略経営の「よもやま話」』では著者の浅井良一さんが、「企業の定義」の定期メンテナンスが重要だとして、その理由を詳しく解説しています。
こんなことを、ドラッカーは言っています。「難攻不落に見えた組織が、これほどまでに危機に見舞われるようになったのは“マネジメントの方法”が急に下手になったからではない」「単に、これまでの事業が時代遅れの間違ったものになったにすぎない。なぜか『事業の定義が陳腐化』したのだ」と。
続けます。「この事業の定義は三つの要素からなる」「第一が“事業環境の定義”、第二が“使命とするものの定義”、そして第三が“自らの強みの定義”である。これまで順調だったのは、この定義のそれぞれが、社会と経済の現実に適合し、かつ互いに適合し、関係者全員に一つの定義として“共有”されていたからである」
昭和30年代の初頭に「価格破壊」をスローガンとして、拡張路線をひた走った中内功さん率いる「ダイエー」がありました。「価格の決定権を消費者に取り返す」を信念として「いくらで売ろうとも、メーカーには文句を言わせない」の姿勢を貫き、メーカーと喧嘩しながらも「安売り」を決行し主婦の圧倒的な支持を受けました。
ドラッカーによると、「しかし、この世に永続するものはない。事業の定義が“陳腐化”する」「いささかなりとも事業に変調を来たしたならば、その事業の“環境”“自らの使命”“自らの強み”を現実に照らして点検しなければならない」。
現在のスーパー業界の売上高のランキング、第1位は「イオン」で、2位は「セブン&アイ・HD」と続いており、1位をひた走っていたはずの「ダイエー」は、2015年に株式公開買付けを受け「イオングループ」の一員(完全子会社)となってしまいます。ドラッカー流に言うならば「事業の定義」の点検を間違ったからです。どう間違ったのか、何が“陳腐化”したのかを拾いあげて行きます。
ダイエーの創業は1957年で、1955年ごろに始まる高度成長、大量消費という“事業環境”のなかで、より安い商品の提供を“使命”として、セルフサービス方式、チェーン展開等のローコストオペレーションを“強み”として、一気に波に乗って急拡大を実現させて行きました。この急拡大には、土地バブルの活用という特殊な要因もありましたが。
店舗進出にあたって土地を買い地価上昇で担保価値を高めて、それをもとに借り入れをおこして新たな土地を買い新店舗を開くというもので、だが、1990年代のバブル崩壊による地価下落と消費低落により、この好循環サイクルの“環境”は“陳腐化”して終焉を迎えるのです。止めは、1995年1月に起こった阪神・淡路大震災の発生でした。
ダイエーの凋落は、予期せぬ不幸もあってのことですが“環境”変化のあるなかで“定義の陳腐化”を放置して対応できなかったことによります。それよりも致命的だったのが、基本的な企業のあらねばならない“使命”をはき違えて“定義”誤謬を犯したことで、それがために繁栄をはかるための必須条件たる“強みの定義”が破綻したことです。
またドラッカーの言葉を引用します。
「組織が存在するのは、組織自身のためではない。企業をはじめとするあらゆる機関が、社会の機関である」「つまり組織は、世のため人のためのものである。世のため人のためのものになるとき、組織は繁栄する。逆に組織自身のためになったとき、あっという間に転落の一途をたどる」
イトーヨーカドーは、いち早くPOSシステムを導入し顧客の欲求に合わせた「品揃え」に努め、週一回の全店長会議で意思疎通と成功ノウハウの共有化をはかり、各店舗への権限移譲を促進させ地域の要望を取り込むなど、「顧客“欲求”を満たす」という“使命”順応の改革を行いました。その時期にダイエーが行ったのは、有能な人材の系列企業への派遣でした。
夢や目標が、実現する場合とそうでない場合の差はどこから来るのでしょうか。今回の無料メルマガ『ビジネス真実践』では著者で人気コンサルタントの中久保浩平さんが、夢に向かう状態は個々で様々なはずなのに「本気で頑張る」といった便利なフレーズに逃げ、具体的実践に辿り着かないケースがあると指摘した上で、夢や目標の実現に欠かせない2つのポイントを詳しく解説しています。
夢を叶えるため、あるいは、目標を達成するために本気で頑張っている、という読者もいらっしゃることと思います。しかし、「本気で頑張る」という言葉だけの人が、これまた多いのが現実です。
「本気で頑張っている」というからには、その証を具体的に示すことができなければ本気とは言えません。「私は本気です。本気で頑張っています」は、小学生でもいえることです。
「自分の夢はこうこうで…」とか「目標はこうこうで…」と熱く語る人が時々いるのですが、聴いていてもイマイチその真剣さが伝わってこない人と、逆に、きちんとそのことが伝わり、目標に向かって突き進んで達成する人とに分かれます。
では、同じように夢や目標を持っていて「やり遂げるだろうな。」と感じる人と「う~ん。難しいだろうな」という人に分かれるのはなぜなのでしょう?
それは、目標や夢に対してリアルさを感じるかどうかです。リアルさが伝わらなければ結局は夢物語でおしまい。夢を実現させたい、目標を必ず達成したいというのであればそこにリアリティーがなければ実現の可能性は限りなくゼロです。
普段の生活や仕事に追われ夢や目標について考え、取り組む時間も無いという人もいるかも知れませんが、本気で「夢」に向かって進む人というのは、日々の忙しさに関係なく、どんな時でも「私の夢はこうこうで、それを実現させるために今こんなことをしています。」とスパッといえるものです。それだけシンプルなのです。
少なくとも私がこれまでお手伝いさせてもらったり、サポートさせて頂いた方で夢を叶えたり、目標を達成した人というのは、全員が、そういうシンプルな答えを持っていました。
シンプルだからこそ、人に言っても伝わるし(だから応援してもらえる)、シンプルだからこそ、やるべきことが明確だし、シンプルだからこそ、そこへ向かっていけるものだと思います。
ですが、シンプルといっても「夢は○○をすることです」「夢は○○になりたい」というだけでは叶うことはありません。冒頭でも書きました「本気で頑張ります」という小学生でも言えることと同じレベルです。
過去にこんなことがありました。介護事業を立ち上げるのが「夢」と熱く語っていた人がいました。彼は「本気でやるぞ」といって会社を辞め、介護士の資格も取って、修行のため24時間介護の施設へ時給800円のアルバイトをはじめました。
ですが、現実は厳しく…一気に生活レベルは下がり、時間は不規則になるはで、かなり大変な様子でした。結局1年足らずで、元のサラリーマンへ戻ってしまいました。今思えば、彼には「夢に向かって本気で頑張る」というのは「言葉」でしかなかったのだろうなと思います。