巨大利権か。被ばくリスクのX線胃がん検診を受けさせたい人々

現在も広く行われているX線胃がん検診の被曝リスクが国会で取り上げられ、話題となっています。今回のメルマガ『国家権力&メディア一刀両断』では元全国紙社会部記者の新 恭さんが、具体的な被曝線量を示しその危険性を記すとともに、このようなリスクを伴う検査法が無くならない理由を白日の下に晒しています。

ようやく国会で取り上げられたX線胃がん検診の被ばくリスク

ようやくというべきか。集団健診バスなどで昔から続けられているバリウム使用のX線胃がん検診について被曝の危険性が国会で取り上げられた。現在、先進国でバリウムによる胃がん検診を行っているのは日本だけともいわれる。

筆者は30歳代のころ集団検診で胃に数個のポリープが見つかり、胃カメラ検査を受けて良性と判断されたが、その後数年間は年に1回、嫌なバリウムを飲んで変化していないかどうかを確かめた。当時の胃カメラ検査はチューブが太かったため喉に通す時がひどく苦しく、二度と受けたくないと思っていたので、X線検査を選択したのだ。

幸いなことに、胃の良性ポリープが癌に変化する可能性は低いという医師の知見を信じて、その後はいっさい胃がん検診なるものを受けたことがない。

なぜ幸いかというと、あのまま毎年1回、30年以上にわたってX線検査を続けていたら、どれだけの放射線被曝量が体のなかに累積していたか、空恐ろしいからである。

では、胃のX線検査で1回どれだけ被曝するのだろうか。5月30日の参議院財政金融委員会において問題を提起した風間直樹議員は次のようなデータを示した。

「私の手元の資料によると、大きなフィルムで撮影する直接撮影では1回15ミリから25ミリシーベルト、検診車による小さなフィルムでの間接撮影方法では、1回20ミリから30ミリシーベルトも被曝する。胸部レントゲン撮影の被曝線量は1回あたり0.1ミリシーベルトだから、いかに胃のX線検査の被曝量が多いかがわかる」

このデータについては多少、疑問がある。胃部X線検査はさまざまな角度から最低8カット撮影するほか、撮影の合間もX線を当てたまま胃の状態を見る「透視」が必要だ。その分被曝量は多くなる。だから、透視の時間を考慮しなければ実際の被曝量は推定できない。

風間議員は、間接撮影の場合遠い位置からの撮影なので線量が強いと説明したが、透視時間を考慮すれば、集団検診車より医療機関の直接撮影のほうが高くなるのがふつうだろう。

実際、名古屋大学の調査では、間接撮影で2.9ミリシーベルト、直接撮影で4.0~13.4ミリシーベルトという数値が出ている。風間議員が指摘した数字に比べて低いが、それでも十分、健康被害が懸念されるレベルだ。

福島原発事故の直後にさかんに使われた一般人の年間許容量「原則1ミリシーベルト以下」という基準値を思い出せばわかるだろう。

集団検診を受けるだけで、たやすく年間1ミリシーベルトという許容基準を上回ってしまう。なんらかの病気でCT検査を受けると、さらに10~20ミリシーベルトも被曝線量がプラスされる。

70歳となった筆者の場合、直接撮影による胃部のバリウム検査を35年にわたって続けたと仮定すれば、最低でも4×35で140ミリシーベルトを体が受ける計算だ。累積で100ミリシーベルトをこえたら健康被害が出る可能性が指摘されている。

警察も医師も看護師も。日本じゃ考えられぬ米国人のテキトーぶり

アメリカ在住19年、日米両国の長所も短所も知り尽くす、米国の邦字紙『NEW YORK ビズ!』CEOの高橋克明さん。そんな高橋さんは今回、メルマガ『NEW YORK 摩天楼便り-マンハッタンの最前線から-by 高橋克明』で、とある記事を読んだ読者からの日本人が嫌いなのかという問いに、「どちらかというと日本人の方が好き」とした上で、自身がアメリカで受けた「被害」をユーモアたっぷりの筆致で綴っています。

妥協なきテキトー人種アメリカ人

今年に入って、購読者から頂いた質問メールに答えていきたいと思います。今週はそのうちのひとつ。

高橋さんは、日本とアメリカどっちが好きなんですか?
(女性:職業、年齢不詳)

文脈から女性ということだけは分かりますが、お名前も職業も何も明記されていませんでした。

おそらく、ちょっと怒ってらっしゃった?(笑)のかも。クレームとまでは言わないまでも、日本の習慣を少し批判した内容の号を発刊した直後だったので、「アメリカかぶれ」と思われたのかもしれません。確かに日本のテレビ番組を見ると、コメンテイターの中には「欧米では…」とまるで、アメリカとヨーロッパが先進国のように発言される方も珍しくありません。それらの方と同じ種類のタイプと思われたのでしょう。

ただ、古くからの読者はわかっていただけると思うのですが、ここのメルマガでも「アメリカ人の素晴らしいところ」「アメリカ人のバカ丸出しのところ」「日本人の素敵なところ」「日本人のいやらしいところ」と4つの思いをそれぞれ25%ずつ(いやらしくも計算して)書いてきたと思っています。意識的に。事実、この4つの気持ちが等分ずつ僕の中にあります。たまたまこの方は、4つ目の日本人批判を書いた週を読まれたのかもしれません。

そのメールの中には、日本人なのに日本人が嫌いなんですか?とも書かれていました。

ここでハッキリさせておくと、どちらかというと僕は日本人の方が好きです。もちろん人によるけれど、相対的に、人は日本の方が好き(社会はアメリカの方かもしれません)。

アメリカ人に対するムカつき度は日本人のそれの比ではありません(笑)いや、マジで。

今から5年ほど前、メキシコとアメリカの国境付近、サンディエゴで真夜中に交通事故に遭いました。学生時代、バイクで転倒することはしょっちゅうでしたが、車が大破するほどの本格的な事故は、後にも先にも人生、これ一回でした。

夜中11時くらいだったかと思います。妻に運転を任せ、後部座席で寝ていました。

なんとなぁく、目を覚まし、なんとなぁく、助手席に車内の中で移動しました。そこから5分後、またうつらうつらと助手席で、寝かけたところ、後方からのかつてない衝撃に襲われました。寝ぼけている僕は、たまたま直前まで見ていたハリウッド映画の、その中にいて「飛行機の中で、機内の一部を爆破して、ゾンビを空の向こうに吹き飛ばす」シーンが重なり、なぜか、飛行機の中から上空へ吹き飛ばされる!と一瞬、思いました(笑)。寝ぼけた頭はそう判断した。このままでは、空に吹き飛ばされる、と。そのくらいの衝撃と、そのくらい前方へ押し出される力を感じました。もう何が何だかわからず、気づいたら、数メートル目の前に超大型のトラックのお尻が見えます。横を見ると運転していた妻も放心状態。いまだ頭が働きません、後方からの衝撃なのにどうして目の前にトラックが?

あの天安門事件が、中国の「民主化」に繋がらなかった本当の理由

30年前の6月4日に天安門で起きた、中国当局が学生らの民主化運動を武力で弾圧するという痛ましい事件。その後の中国は経済発展し、米国と世界2強を争うまでになりましたが、民主化の勢いは絶たれたままなのでしょうか。国際関係ジャーナリストの北野幸伯さんは、今回の無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』で、旧ソ連民主化の事例と比較しながら、中国が今後変革に向かわざるを得ない根拠を記しています。

なぜ中国は民主化できなかった? 天安門事件から30年

1989年6月4日の天安門事件から30年だそうです。

この年は、大きな事件が4つありました。1月7日、昭和天皇崩御。昭和が終わり、平成がはじまる。6月4日、天安門事件。11月10日、ベルリンの壁崩壊。12月3日、ブッシュ(パパ)とゴルバチョフ、マルタ会談で「冷戦終結宣言」。

当時、私は18~19歳でしたが、昭和天皇崩御とベルリンの壁崩壊は、はっきり覚えています。ベルリンの壁崩壊は、後に私がモスクワ留学を決めた大きな原因になった。「北野の人生を変えたできごと」ともいえます。

天安門事件については、それほど記憶にありません。理由はおそらく、天安門の大虐殺が、民主化につながらなかったからだろうと思います。一方、ベルリンの壁崩壊は、その後「東西ドイツ統一」「ソ連崩壊」につながっていきました。なぜ、東欧、ソ連は民主化を実現できたのに、中国は民主化できなかったのでしょうか?

ライフサイクルから考えると

私は、「ライフサイクルが原因でできなかったのだ」と考えています。

ソ連のライフサイクルはどうでしょうか?この国は、1917年のロシア革命で誕生しました。1922~1953年まで31年間この国を支配したスターリンの時代に急成長した(成長期)。特に、戦中戦後勢力を伸ばし、東欧中国北朝鮮の共産化に成功しています。

スターリンの死後、ソ連は、フルシチョフ時代を経て、ブレジネフの時代には、明らかに成熟期に突入していました。ゴルバチョフが1985年に書記長になった時、すでにロシア革命から68年の歳月が流れていた。ソ連が崩壊したのは、ロシア革命から74年目、ソ連建国から69年目です(ソ連建国は、1922年)。

一方、中国はどうでしょうか?

中華人民共和国の成立は1949年。ロシア革命から32年後のことです。国はできたものの、毛沢東の政策は、「大躍進」とか「文化大革命」とかメチャクチャ。自国民が何千万人も死ぬようなおかしなことばかりやっていて、なかなか成長期に入りません。

中国が成長期に入ったのは、トウ小平が改革を宣言した1978年末のこと。天安門事件が起こったのは、改革開始11年目のことでした。つまりこの事件は、「成長期の前期に起こった。それで、中国政府にはありあまるパワーがあり、体制崩壊につながらなかったのです。

この「国家ライフサイクルの話。新しい読者さんは、「迷信」だと思うでしょう。しかし、05年発売の『ボロボロになった覇権国家』を読んでいただければ、「中国は08年~10年に起こる危機を乗り越える」「成長は2020年まで」と書いてあることがわかるでしょう(123p)。

その他、「アメリカの没落」「ロシアは超大国に返り咲かない」「EUは分裂にむかう」「インドは急成長をつづける唯一の大国」などなど。国家サイクルを見てわかったことは、とても多いのです。

ちなみに、東欧が共産化されたのは、第2次大戦後。中華人民共和国建国より少し前。

ではなぜ、中国は民主化されなかったのに、東欧は民主化されたのでしょうか?東欧は、実質ソ連の植民地でした。だから、ソ連弱体化に乗じて民主化できた。東欧は、実質ソ連の一部と化していたので、ソ連のライフサイクルに組み込まれていたのです。

だから不幸のままなのだ。幸せになれない人の「3つの特徴」とは

自分の話し方、意識したことがありますか?大きな声でハキハキと話す人、小さな声でぼそぼそと話す人など、話し方にもさまざまな個性があります。今回の無料メルマガ『サラリーマンで年収1000万円を目指せ。』では著者の佐藤しょ~おんさんが、話し方からわかる「成功する人と不幸になる人の違い」や、人生を良い方向に変えるための話し方のポイントなどを紹介しています。

エネルギー量を高める

私はそろそろ50代も中盤に差し掛かっておりまして、日頃は健康にあれこれと悩まされることが多くなりました。ほとんど持病とも言える腰痛やら緑内障、ちょっと身体を動かしたら関節やら筋肉に痛みが出るのは当たり前で、特に野良仕事は痛みの源泉みたいな感じになっています。

なんてことを頻繁にここで書いているので、初めてセミナーに来られる方は、私のことをかなりのオッサン、場合によっては年寄りに近いお爺さんみたいな人間だと思っている人がたくさんいるんですよね。ところが実際の私はフツーに見てかなり若い感じがするみたいで、2次会などでは、

  • スゴく若い感じがする
  • なんでそんなに派手な格好を…
  • ってかメチャメチャオシャレ
  • 年齢不詳な感じですね

と言われることがしばしばです。

おまけに8時間以上も立ちっぱなし喋りっぱなしで、さらにはそこから3時間の飲み会まで喋りまくっているわけですから、これのどこが50代なんだよ、という感想を持つ人がたくさんいるみたいです。

これをひとことで言うと、「エネルギッシュ」というんですね。

身体が小さくて、背も低くて、白髪混じりのショボいオッサンが、演台に立った途端、受講生全員が惹きつけられるようなエネルギーを発して、それが8時間以上(2次会を入れると約12時間)途切れないわけです。

先日も大阪では、

  • メチャメチャエネルギーありますね~
  • パワーのレベルがありえへん
  • 会社の上司の方が若いのにあっちの方がオッサンだ

って言われたんですけど、これ全部エネルギー量の問題ですから。そしてこのエネルギー量こそがあなたの人生を思いのままにする力の源泉なんですよ。

能力とかヤル気とかスキルとかの前に、これが一定量無い人は出世しませんし他者を引っ張れませんし願望は叶いにくいんですから。私はセミナーの2次会で色々な人とご飯を食べながら話をするんですが、5分話をしただけで、

 ■ ああこの人は当分人生が変わらないだろうな

と感じる人がいます。それはほとんどの場合、

  • 声が小さい
  • 視線が虚ろ
  • 語尾が不明瞭

な人なんですよ。それは最初の乾杯の音頭で分かるんです。私が、「は~い、乾杯! 」って言った時に、乾杯の声が私に届かないような人はたいていダメです。本人は「乾杯」って言ってるんですが、エネルギーが少ないから声が小さくて私には聞こえないのよ。

で、そういう人は、質問をする時でも声が小さくて聞こえないの。だから私は、

 ■ 声が小さくて何を言ってるんだか分かりません

と指摘するんですが、それでもボリュームが1割くらいしか大きくならないんですよね。

令和に生きる甲賀流忍者が語る、忍術の真髄とこの世での生かし方

国内外を問わず根強い人気がある「忍者」。つい派手なアクションに注目してしまいますが、忍者の本来の姿はもっと奥が深い精神的なもののようです。今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、甲賀流忍者である川上仁一さんへのインタビューを通し、忍術の真髄や日常の暮らしに活かす知恵を紹介しています。

本物の忍者が教える、忍術を日常に生かす知恵

その技術や精神性が、いま世界から高い注目を集めている「忍者」。現代を生きる本物の忍者である甲賀伴党21代宗師家川上仁一さんに、忍術の神髄、忍術を日々の生活や仕事に活かすヒントを教えていただきました。


──先代の教えでいまも大事にされていることはありますか。

川上 「『忍術の忍は堪忍の忍』、もうそれに尽きます。要するに、忍術とは忍び込む術ではなくて、じっと堪忍我慢する術なんだと。

忍者の『忍』の字には、心臓のの上に』が載っています。その字のとおり、刃を少しでも動かせば心臓が切れて死んでしまいますから、押しも引きもなりません。いま一息のところでじっと我慢する心構えこそ、忍者に必要な『鉄壁の不動心』なんですね。

また、『秘伝書』では、日の丸のような赤い円の中央にの一字を置いて忍術の極意を表しますが、丸はリングの輪、平和・調和の和、異質なものが交わる『和える』にも通じます。つまり、和を実現するにはできるだけ争わずお互いに忍耐して仲よくすることが大事だということです。

ですから、忍術の精神は、争いが絶えない、いまの世界にぴったりなんですね。何事も我慢ができないから争いになってしまう

──忍術の極意が忍耐、和の心だというのは意外に思えます。

川上 「忍者は戦うイメージが強いですがそれは誤解なんです。そこは一番伝えたい部分ですね。

そもそも忍術の起源は、日本独特の風土や精神性と関係しています。日本人が、原始の狩猟生活から四季に根ざした稲作を中心とする農耕定住生活へと移り変わっていく中で、群れ、すなわちムラが形成されていきますが、そうなると、当然自分の思っていることを我慢し皆と協調することが必然となっていきます。

また、繊細な四季の変化や、自然災害の過酷な環境の中では、常に四方八方に目を配って、思案を巡らし、物事に臨機応変に対応することが求められました。

その一方で、人間には争う本能もありますから、近接するムラとムラとの間には様々な戦いがありました。

その時に、なるべく互いに傷つかず自分が優位に立つためには何が必要かというと、相手の弱点などを探る情報収集能力、談合をするなど最小限の力で相手を制する知恵技術なんです。

そのように、和を貴ぶ精神性や争いを避けムラの平和を維持する知恵が、日本人にずっと蓄積されていき、『総合生存技術』にまで高められたのが忍術なんですね」

トランプ大統領が「おもてなし」されていた4日間の息苦しさの訳

国賓として来日したトランプ大統領夫妻を国家を挙げて大歓迎した4日間、「得体の知れない息苦しさ」を感じたと語るのは、メルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』の著者でジャーナリストの引地達也さんです。引地さんは自身のその感覚がどこからくるものなのか考え、面談している精神疾患者や障がい者がときに抱えている「親との不健全な関係」との符号に気づき、今回の「おもてなし外交」が日本のトラウマになることを危惧しています。

不健全な関係の息苦しい外交を国民に押し付けることの罪

米国のトランプ大統領が来日し、日本で過ごしている間、得体のしれない「息苦しさ」を感じてしまうのは何だろうか、と考えている。
米国は日本国憲法の制定に深くかかわり、戦後日本の生みの親でもあるし、育ててくれた側面もある。この事実に居心地悪さを感じる人がいて、憲法が「米国からの押し付け」との主張とともに自主憲法を制定しようとする動きがある。この先頭に立つのが安倍晋三首相だ。米国からの従属から抜け出したい願いと、今回の「おべっか外交」と揶揄される過剰な接待行動という理解不能な2つのメンタリティへの戸惑いもある。

何よりも、私が感じる息苦しさは、公正ではない関係性を仲良く取り繕うとする卑屈な精神性が見えてしまうからである。

米紙ワシントン・ポストは「安倍首相ほどトランプ大統領を喜ばすのに腐心した国家首脳は、他にはいなかったのではないか」との書き出しで報じたが、結果的にそれは接待ショーに過ぎなかったのであろう。

ゴルフをやり、大相撲を見て、炉端焼きを食べるという両人の遊びに対するタフさには驚くが、その遊びは決して国どうしの間柄としては健康的ではないと思えてしまうのは、私だけではないはずだ。

信頼関係は接待なしでも築けるはずで、五輪前の時節を利用した「おもてなし」という麗句に身を包んだ接待は、米国に従属する日本という関係性を固定し、国民に強いていることはもはや罪に近い。首相自身が嫌っているはずの従属関係を脱却できるはずがないのは明白だ。

ゴルフ場でツーショットをして蜜月関係を演出してみても、相手にとっては関税交渉のボスと認識しているだけで、接待される、接待するの関係のビジネス接待でしかない。結果的に先方の言葉からは、個人的な情愛を示す発言も、親しみのある言葉も出てきていない。

大相撲のマス席にソファ席を設置してまで相撲観戦を実現した対価としては何があるのだろう。天皇陛下でさえ相撲観戦に力士への気遣いを忘れず、日本相撲協会も土俵は女人禁止などのしきたりを固守し続けてきたのにも関わらず、千秋楽の大事な時をビジネス接待の道具に使われることは果たしてよかったのだろうか。
先方の観戦時の態度を見る限り、相撲への尊敬も知識も何もなく、ただ連れてこられ、座らされた子供のような表情だったのは、押しつけの「おもてなし」だった印象を残した。

「噛めない」が老化を進める。虫歯がなくとも歯医者に行くべき訳

年齢を重ね体力低下が進むと外出が億劫になりがちで、社会や人との交流が減り、気がつけば1日中誰とも言葉を交わさなかったというような、「口を動かさない日」も出てきてしまいます。今回の無料メルマガ『1日1粒!『幸せのタネ』』では著者の須田將昭さんが、口を動す機会の減少が、身体機能の衰えにも影響が出ることを解説。定期的な口腔内のケアや歯科医の受診を提案しています。

オーラルフレイルにも注目

6月4日からは「歯と口の健康週間」。

日本歯科医師会 歯と口の健康週間

ここには特に大きな情報はなかったのですが、サイトを見ていて初めて「オーラルフレイル」という言葉を見ました。

オーラルフレイル

「オーラルフレイル」は、滑舌低下、食べこぼし、わずかなむせ、かめない食品が増えるなどのささいな口腔機能の低下から始まります。

オーラルというのは「口腔」、フレイルというのは「低下」「虚弱」という意味だそうです。もう少し詳しく調べてみますと、リーフレットがありました。

オーラルフレイル 啓発リーフレット

フレイル虚弱)」とは?ということの説明で、

高齢になって心身の活力(筋力、認知機能、社会とのつながりなど)が低下した状態をいいます。 筋力などの身体機能の低下より先に、社会参加など他者との交流が減ったり、口の機能が衰えること(オーラルフレイル)から始まります。

とありました。

  • 噛む機能の低下 > 噛めない > やわらかいものを食べる

というサイクルの繰り返しで口腔機能が低下し、やがてそれが心身機能の低下につながる、という考えです。

私の父も後期高齢者の仲間入りをしましたが、やはり食事中になんということもないところでむせることが増えてきました。

加齢によっていろんなところに衰えが出るのは、これはごく自然なことだとは思いますが、それをそのままにしておかず、少しでも元の力を維持し全身の健康を保つということが大事なことと思います。

私のところは父も母もかかりつけの歯科医にこまめに通っていますので、検診や指導は受けているので、その言葉をもとに気をつけていきたいと思うところです。

上にご紹介したリーフレットには、自己診断のための表もあるので、ぜひ一度ご覧ください。

具体的に歯が痛いということがないと、ついつい歯医者に行くのをやめてしまいがちですが、虫歯になってからの治療じゃなく、その前の段階で診てもらうことは色々あります

これを機会に一度歯科医に行ってみてはいかがでしょう?

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鎮座するのは京の都の台所。新京極に佇む錦天満宮に道真公を参る

神社といえば、鎮守の森に囲まれた静かな佇まいといった印象を抱きがちですが、商店街の中など賑やかな場所に建つ神社もあります。京都・新京極の「錦天満宮」もその一つ。今回の無料メルマガ『おもしろい京都案内』では著者の英 学(はなぶさ がく)さんが、賑わう通りの一角に鎮座し珍しい形の鳥居の立つ、「錦天満宮」の見所を紹介しています。

錦の天神さん

京都の繁華街に菅原道真を祀る天神さんがあるのをご存知ですか?観光客や修学旅行生でにぎわう新京極の中にそれはあります。その神社の名前は「錦天満宮」です。聞いたことある方もいますよね?

合格祈願などのご利益がある錦天満宮は、珍しい鳥居効果もあってパワースポットとしても有名です。今回は錦の天神さんをご案内します。

錦天満宮のある新京極通りは修学旅行生や若者向けのお店が沢山並んでいていつも観光客であふれています。錦天満宮はこの新京極通り沿いに入口があります。錦天満宮にはとても珍しい鳥居があります。意識して探さないと見落としてしまうような鳥居です。この鳥居、よーく見て下さい。端の部分が壁に突き刺さっているんです。

この鳥居は昭和10年に建てられたものです。鳥居がつくられた当初は道幅が広かったそうです。しかし後に鳥居の両側の土地が売られてしまいましたそこに建物が建てられ鳥居の上の横長の部分が建物に突き刺さる形になってしまったそうです。ガイドブックに載っているので知っている方もいるでしょう。

さて、鳥居の話は置いておいて錦天満宮をご案内します。

錦天満宮の神様は菅原道真です。平安時代に活躍した歴史上の人物ですね。菅原道真は5歳で和歌を詠んだり、学者の中の最高位「文章博士」になった人です。その才能が宇多天皇に認められ、右大臣に任命されます。しかし当時の朝廷は藤原氏が権力をにぎっていました。菅原道真の右大臣任命を良く思わなかった藤原時平に無実の罪を着せられてしまいます。そして九州の太宰府に流されてしまうのです。

「東風吹かば 匂い起こせよ 梅の花 主なしとて春な忘れてそ」

さぞ無念だったことでしょう。

その後、菅原道真を神様として建てられたのが「太宰府天満宮」です。現在は京都の北野天満宮など、菅原道真を祭る神社は約1万2,000社あるそうです。錦天満宮は、平安時代菅原道真が住んでいた烏丸下立売の菅原院につくられたのが始まりと言われています。

天神さんでよく見かけるのが牛です。牛は天神様の神の使いとされていますよね。これらの牛の像は「撫で牛」と呼ばれています。牛の頭を撫でた後に自分の頭をなでると学力が向上すると言われています。

金を払うのもバカらしいという人に伝えたいコンサルを頼む利点

「経営コンサルの存在は知っていても、彼らにお金を払ってまで依頼するのはバカらしい」という経営者の方、意外と多いようです。今回の無料メルマガ『がんばれスポーツショップ。業績向上、100のツボ!』では著者の梅本泰則さんが、もはや同業者内に優れた相談相手がいない今、頼るべきは経営コンサルだとした上で、その「選び方」をレクチャーしてくださっています。

相談相手を見つける方法

コンサルタントに金を払うのはバカらしい」と思っている中小企業経営者も多いでしょう。コンサルタントが言うことに対して、「そんなことは分かっている」という方もいらっしゃいます。自信家ですね。また、「何をしたらいいか、具体的に教えて欲しい」と迫ってこられることもあります。すぐに結果を求められる方ですね。経営は、そんなに簡単なものではありません。こうしてみると、コンサルタントというのは、なかなか難しい仕事です。

では、スポーツショップの皆さんは、経営や商売について誰に相談をされているのでしょう。

実は、スポーツ問屋さんが元気なころは、お店にやってくる営業マンが相談相手でした。彼らは、メーカーさんや他店の動向の情報を持っています。中には、他業界の情報に通じている営業マンも。小売店さんが営業マンに相談すると、何らかのアイデアや解決策を教えてくれました。大変優秀な相談相手だったのです。

いわば、彼らはスポーツショップに対するコンサルタントの役割をしていたと言っていいでしょう。しかも、無料のコンサルティングです。

ところが、最近ではどうも様子が違ってきています。問屋さんにアドバイスを求めても、以前のような的確な答えがありません。あまりに急激に世の中の流れが変わってきているので情報が不足しているのかもしれません。

原因はよく分かりませんが、今までのような相談相手がいなくなってしまったのは確かです。そうなると、小売店さんは誰に相談をすればいいのでしょうか。

相談相手は経営コンサルタント

それは、同業のスポーツショップでしょうか。これも以前からよくある相談相手です。気の合うスポーツ店仲間がいます。また、一緒に経営の勉強をしているグループもあります。お互いにアドバイスをし合うのです。しかし、これもそろそろ限界かもしれません。本気で仲間のお店をアドバイスしても、それが本当に正しいのかどうか分からないと思うのです。

そこで、次はお店で契約をしている税理士さんや社労士さんに相談します。ところが、いいアドバイスが出てきません。それはそうです。戦略やマーケティングに詳しいわけではないので、経営課題を解決するための情報を持ってはいません

では、スポーツショップは誰に相談したらいいのでしょう。やはり、ここは一つの答えとして、「経営コンサルタント」の出番ではないでしょうか。経営コンサルタントと聞いて、すぐに浮かぶのが中小企業診断士ですね。ところが、その中小企業診断士の人たちも、コンサルタントとして生計が立っている人は少ないと聞きます。理由はいろいろあるでしょうが、コンサルタントに多くの対価を支払う経営者が少ないことや、大企業出身の中小企業診断士が多いので、中小企業のことがよく分かっていないということもあげられるかもしれません。

それはともかく、相談相手として、中小企業診断士を含めた経営コンサルタント」を見つけられてはいかがでしょう。もう業界の中には、良い相談相手はいないようです。それならば、外に見つけることです。

イチローもユニクロ柳井氏も。成功保証を求めず、まず動いた理由

「失敗は成功の母」との名言を産んだトーマス・エジソンは、電球を発明するまでに1,000回の失敗を重ねたと言われています。諦めず何度もトライして、成功を掴んだのですね。今回の無料メルマガ『弁護士谷原誠の【仕事の流儀】』では著者で現役弁護士の谷原誠さんが、成功に確実性を求めることの愚かさを論じ、なぜまず行動すべきかについて解説しています。

保証を求めず行動する

こんにちは。弁護士の谷原誠です。

ある青年が、成功を夢見ていました。そこで、成功するには努力が必要だと考え、どのような努力が必要かを学ぶため、成功者のセミナーに参加しました。そのセミナーでは、成功するための目標設定の仕方を学ぶことができるものでした。

セミナーが終わり、青年は、講師のところに行き、次のように質問しました。

「この方法でやれば、必ず成功するでしょうか?必ず成功するなら、実践したいと思います」

講師は答えます。

「成功するかしないかは、あなた次第です正しい方法で努力すれば成功するでしょう」

青年は考えました。

「うーん。成功する保証がないなら時間の無駄ではないか。僕には時間を無駄にする暇はない。必ず成功する方法はないだろうか」

そして、友人のつてを辿り、事業で成功した社長と知り合うことができました。そこで、青年は、その社長と面会し、質問しました。

必ず成功する方法はないでしょうか?

社長は言いました。

「必ず成功する方法は、無限にある。どんな方法でも諦めさえしなければ必ず成功するだろう」

青年は考えました。

「そんな成功法則があるだろうか。曖昧すぎて成功の保証がない。これでは実践できないな」

その後も青年は、必ず成功する方法を求め、色々な本を読み、セミナーに参加し、成功者にあって、研究をしていきました。そして、青年は壮年になり、ついには老年になってしまいました。その老人は、まだ成功法則を求めています

この青年が成功しなかった理由は明らかですね。「成功する保証があるならやるという思考をしていたためです。成功しない人の典型的な思考と言えるでしょう。自分の行動を見返りが明確でない限り行動しようとしない、ということです。

行動を始めなければ成功するはずがありません。事業でも、スポーツでも、何度も何度も失敗し、その失敗から学びながら成長し、最後に成功をつかむものだと思います。