日本も新型肺炎の感染国扱い。NZの小学校で今、起きていること

新型肺炎を巡っては、中国政府の初動の遅れ等を非難する声も上がっていますが、グローバル目線では隣国の日本も危険視され始めているようです。今回の無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』では著者で国際関係ジャーナリストの北野幸伯さんが、「NZの一部では日本が新型肺炎の汚染国扱いされている」という現地在住の読者からのメールを紹介するとともに、日本政府の対応の甘さを指摘しています。

日本は中国と同じ【感染国扱い】になりつつある

先日の「カネ目当てと習近平への忖度で新型肺炎を蔓延させた安倍政権の愚」でご紹介したニュージーランド在住の読者さんから、追加のメールが届きました。非常に興味深い内容ですので、ご紹介させていただきます。

先日は拙い文章をご紹介いただき、ありがとうございました。ちょうど、北野さんにメールを出したすぐあと、中国で今回の新型肺炎を報告した眼科医の方が亡くなりました。その後、いろいろ記事を読みますが、本当にこんなことが日本で起こっているのか?…と信じがたいニュースを目にします。

 

“疑い”ぬぐえぬ患者 対応苦慮
(※ 北野註 ↑↑↑ 必読です)

 

空港職員の方が新型肺炎ウィルスに似た症状を呈しているのに武漢にいっていない…という理由で検査がされない…というのです。優先順位をつけなければならないのは分かります。でも、先日もお伝えした通り、私が成田を発った1月22日現在、武漢行の直行は出ていました。その時、マスクをしていた空港職員はごく一部です。昨日は中国が「エアゾル感染(空気感染ではないけれど、お話ししただけで感染する可能性がある)する」と認めているのです。空港職員は優先順位を高くすべきなのではないでしょうか?

 

オークランドでは一部の小学校で、「日本は新型肺炎の汚染国扱いで、帰国後2週間、出席を停止すること。また、日本から帰ってきた家族がいる場合も同等のこと」という処置がされています。今のところ、全体的な動きではないものの、今後の日本国内の感染の拡大によっては全部の学校に広がる可能性も否めません。これは小さなことかもしれませんが、うちの子供たちは日本語の補習校に通っていますが現地の学校の敷地をお借りしている状態で、今後このことが原因で「出て行ってほしい」といわれる可能性もあるのではないかと危惧します。

 

今、中国経済はダウンしていますが、日本も感染国になれば、当然同じ道を歩む可能性が高いと思います。それ以上に心配なのは日本にいる家族友人たちのことです。国内感染が拡大するということは、内外の日本人にとって死活問題です。

 

日本国内はすでに中国の状態は対岸の火事ではなくなってきています。ここ1~2週間で、日本が中国のような状態になるのか、否かが決まると思います。日本の政府高官の方々に、是非とも感染の可能性のある人の範囲を広げて検査をしてくださるよう、願ってやみません。

 

ちびたちの母

ちびたちの母さんからのメール、およびご紹介された記事からわかることが二つあります。一つは、日本では新型コロナウィールスに感染している人でも、見つからないケースが山ほどある可能性。

新型コロナウイルスの検査を行う対象について、厚生労働省は37度5分以上の発熱と肺炎を疑わせる呼吸器症状があり、2週間以内に武漢市を含む湖北省への渡航歴があるか、湖北省に滞在した人と濃厚接触した人まで含めるよう広げました。

(NHKニュースウェブ 2月6日)

検査の対象条件は、

  • 37度5分以上の発熱
  • 肺炎を疑わせる呼吸器症状

これは、いいでしょう。しかし、その後がつらい。

  • 2週間以内に武漢市を含む湖北省への渡航歴がある
  • 湖北省に滞在した人と濃厚接触した人

この2点にあてはまらない感染者は、山ほどいるのではないでしょうか?それで、

患者の男性は、外国人旅行客と接触する機会もあるため、医師は、新型コロナウイルスへの感染の疑いもあるとして、検査ができないか、今月3日に保健所に問い合わせましたが、国が定める検査対象にはあたらないとして、対応を断られたということです。診療所の河内文雄医師は、「経過が通常の肺炎とは異なり、勤務環境からも新型コロナウイルスへの感染の疑いがあると判断したが、保健所は『武漢や湖北省との接点がない』との一点張りで対応してくれなかった。こうしたケースは多くあると思われ、放置していたら、今後、感染が拡大するのではないかと心配している」と話していました。

新型コロナウィールスが流行っていること。もちろん日本政府に責任はありません。しかし、日本国内で感染者が増加していること。これは、間違いなく政府の対応が遅すぎる、甘すぎるからで、「人災」といってもいいでしょう。

兄弟で窃盗も。元ボクシング日本王者が幼少期に受けた壮絶な虐待

普通の人ならば簡単に心が折れてしまうような理不尽な出来事…。真の強さとは、そんな逆境を乗り越えたからこそ体得できるものなのかもしれません。今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、日本ライト級元王者の坂本博之氏が「自らの原点」とする、幼少期の壮絶な体験を語っています。

日本ライト級元王者、壮絶な幼少期を語る

メキシコ五輪銀メダリストの君原健二氏、日本ライト級元王者で、プロボクサーだった坂本博之氏。ともに日本人に広く知られる一流スポーツ選手ですが、栄冠を手にするまでには辛い幼少期に始まる様々な人生の山坂を超えていく歩みがありました。

お二人に共通するのは逆境を受け入れて、自身の成長の糧にしてこられたことです。坂本氏には、原点となる幼少期のご体験をお話しいただきました。

虐待を受けたから分かることがある

僕の子供の頃のお話をさせていただきますと、物心つく前に両親が離婚しましてね。僕と一つ違いの弟は母親に引き取られました。ところが、母親は働くのに必死、子供にご飯を食べさせてあげることができないというので乳児院にお世話になるんです。

僕が小学校に入るくらいの頃、一度は母が引き取りにきてくれるのですが、母の置かれた状況は相変わらずで、僕たち兄弟はある知人宅に預けられるんです。この知人宅で僕たちは「なんで大人はこげなことをするんやろう」と思うような出来事を味わうわけです。

食べ盛りの僕たちでしたが、与えられる食事は学校給食の一食のみ。学校がある日は、残り物をランドセルに入れて夜にこっそり食べたりできたからまだいいです。土日は近くの川に行って釣りをしているおじさんに魚を分けてもらったり、自分たちでザリガニを捕まえたりしていました。それを火で炙って飢えを凌ぐんです。水がもったいないからとトイレも使わせてもらえず、近くの公園で用を足しました。

ある時、駄菓子屋に並ぶ肉まんが食べたくて食べたくて。でもお金がありませんから弟と二人、持てるだけ持って走って逃げたことがあるんです。道に落として砂がついた肉まんを公園のベンチで貪るようにして食べました。

「こんなこと絶対にやっちゃいけない。でも、これは生きるためだ」

と自分にも弟にも言い聞かせました。

そういう生活を半年ほど続けていたからでしょうか、弟は学校に行く途中に栄養失調で倒れ、僕も拒食症になり給食すら受けつけなくなってしまったんです。学校の先生が異変に気づいて知人から引き離し、僕たちは和白青松園で保護されるようになりました。

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西郷隆盛も惜しんだ非業の死。「明治維新の指導者」の指導者とは

幕末から明治維新という、日本史上有数の激動の時代。そんな時代に相反する二つの勢力のどちらとも交流し、信頼を得た藤田東湖という人物が水戸藩に存在しました。維新を成した志士たちの指導者・東湖の影響力とはどのようなものだったのでしょうか。今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では作家の童門冬二さんが、志士達の言葉を拾いながらその人物像に迫っています。

明治維新の指導者の指導者 藤田東湖

幕末維新の指導者たちに、多大な影響を与えた人物がいます。水戸藩士の藤田東湖です。明治維新の震源地は水戸であり、その震源地のマグマとまで称された藤田東湖の人物像に童門先生が迫ります。

「新代表的日本人」 童門冬二(作家)

幕末維新を語る人は、必ず、「明治維新の震源地は水戸だ」という。同時に、「にもかかわらず、水戸では藩内抗争が激しくて、ふたつに分裂した派が相殺作用をおこない、あたら人材を全部失ってしまった。そのため、明治新政府が実現しても、トップクラスにポストを占める人物がほとんどいなかった」といわれる。それによって、水戸藩の役割がどこかで終わったような見方をする人もいる。しかしそれは事実とはまったく違う。

たとえ明治新政府に水戸藩から高級官僚が出現しなくても、水戸の主張は日本全国に渡って、脈々と生き続けたのだ。そして、その維新の震源地である水戸の地底にドッカと腰を据えて、まるでマグマのような役割を果たしていたのが藤田東湖である。

藤田東湖は、安政2(1855)年10月2日の江戸大地震で、圧死した。それも、いったんは家から飛び出し命は助かったのだが、母親がまだ家の中に残っていることを知ってふたたびとって返し、落ちてくる梁を自分のからだで受け、母親を救ったために死んだ。愛情の深い人間だった東湖らしい最期だった。この地震では東湖の同志だった戸田蓬軒も死んだ。

この悲報を受けた薩摩藩の西郷隆盛は、鹿児島の大久保利通に対し次のような手紙を書いた。

この2日の大地震は、前古未曾有にて、(あなたと)同様に、杖とも柱とも頼んできた水戸の藤田、戸田の両雄も、黄泉とならせられ候始末、いかにも痛烈の至り、何ごともこれきりと深く悲しんでおります。お察しください。

また、開国論者で有名な肥後熊本の学者横井小楠も、

自分の考えも、藤田先生がご生存であれば、一度は見てご指導を仰ぎたいと思っておりましたのに、このたびのこ落命は、実に力を落としました。こうなっては、いったい誰に向かって自分の考えを告げればいいのか、本当に心寂しく思います。

さらに、東湖と大激論をし、絶交状態にあった開明派の佐久間象山は、

東湖が死んだ。いまかれの書いた本を読んでいて、いろいろな思い出にひたっている。すべて明日のことのようだ。しかし東湖はもういない。大きく息をついて涙を流し放しにしている。

と嘆いている。

ひとことでいえば、藤田東湖の影響はそれほど大きかった。かれと接触し、影響を受けた幕末維新の人物には、学者、大名、各藩の有力藩士、幕臣など幅が広い。最右翼から最左翼にまでまたがっている。当時の思想でいえば、「尊皇穰夷派」と、「佐幕開国派」の二潮流の指導者たちがすべて入っている。

こういう幅広い人々との交流を見ていると、藤田東湖は単なる尊皇壌夷論者ではない。佐幕開国派から見ても、「藤田東湖先生の言説には、耳を傾けなければいけない点がある。単なる尊皇撰夷論を唱えているのではない。奥行きが深い」という感じ方をさせていたのだ。

たしかに、水戸藩から明治新政府への参加者は少なかったが、こう見てくると藤田東湖は、「明治維新実現の指導者になった人々の指導者」だったといっていい。別ないい方をすれば、「他人に大きな影響を与える人に大きな影響を与えた存在」ということができる。

東湖と交流した人々は、それぞれの立場で自分の思想や行動の拡散作用をおこなった。思想や行動の「核」となった。その「核となった人々」は、すべて藤田東湖の影響を受けている。となれば、藤田東湖は、「幕末維新の核となった人々の核」であったといえるだろう。

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ビジネス書の感想が「知ってるけど役に立たない」ではヤバいワケ

多くのサラリーマンの方は、ビジネス書を読みさまざまな知識を得ていると思われますが、ではその知識を生かし、さらに一歩先まで進めているでしょうか。今回の無料メルマガ『弁護士谷原誠の【仕事の流儀】』では著者で現役弁護士の谷原誠さんが、トライ・アンド・エラーの重要性と、その先にある「自己実現の快楽」について解説しています。

苦難の壁のどちら側?

こんにちは。弁護士の谷原誠です。

私は、質問力や交渉術等のビジネスノウハウの本を多数書いています。10万部に達しているものもあるので、読んでいただいた方も多いと思います。

このようなビジネス書を読む目的は、どのようなものでしょうか。ビジネス書を読んで、「へー。知らなかった」と思うと、知的好奇心が満足します。実は、そこで止まっている人が多数だと思います。そこから、更に、「身につける段階」へと進んでいる人は少数でしょう。

たとえば、質問力の本を読んだとします。新しい知識もあれば、すでに知っている知識もあるでしょう。しかし、知識があるだけでは、日常生活に活かすことはできません。実際に使ってみて、反応を確認し、成功したり、失敗したりすることが必要です。そして、普段の生活の中で、常に質問の仕方を意識していることが必要です。そこまでしないと、質問力を向上させることはできないわけです。

この場合、何らかの成功体験があると、続けやすくなります。しかし、常に成功することはありません。うまく成果が出ないことが続くことも多いでしょう。その時、「やっぱり使えないや」と諦めると、その時点で、質問力の向上がストップします。そして、他の質問力の本に手を出したりします。そして、「ああ、このテクニックはもう知っている。役に立たなかったな」などと思ってしまうのです。

これは、自分が質問力を身につけられなかったことを正当化し、自尊心を守るための思考です。だから、何らかのビジネスノウハウを見つけようとして、ビジネス書を読み、「ああ、知っているよ。でも、役に立たないな」と思ったとしたら、それは、自分の成長を妨害する危険信号だということです。自分が実践していないことを示す信号だからです。

ゲームのように、楽しんでステップアップしていければ楽しいのですが、現実社会は、そうはいきません。何らかの力を身につけるためには、精神的な苦痛を乗り越えていかないといけない、ということです。

実は、そのような苦痛を乗り越えた先には、「自己実現の快楽」があります。他人からの高い評価もあります。そこでは、自己正当化するよりも、はるかに自尊心を満足させることができます。

知識を得た満足で自尊心を満足させ、後は自己正当化で自尊が傷つくのを回避するか、さらにその先に進み、自己実現の快楽を得て十分に自尊心を満足させるか、その間には、高い「苦難の壁」があります。あなたは、苦難の壁のどちら側に立っているでしょうか?

もし、質問力の道に進もうと考えたら、以下の本を参考にしてください。

人生を変える「質問力」の教え』(WAVE出版)

今日は、ここまで。

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長く着るならこんなふうに。お気に入りニット、手入れの「正解」

立春を過ぎたとはいえまだまだ寒い日もあり、ニットを着る機会も多いかと思います。そのニット、とても暖かで着心地もいい反面、お手入れには手間がかかるものですが…。今回の無料メルマガ『システマティックな「ま、いっか」家事術』では著者の真井花さんが、お気に入りのニットを長く楽しむための「着方やケアのコツ」を伝授してくださっています。

ジャマなモコモコ

さて、本日はこの時期に気になるモコモコのお話。

今年は暖冬ですね。厚手のコートやニットなんていらないくらい。あ、ぜんぜん話が違うんですが(って、まだ本題になってないのに脱線…)、日本では厚手のニットが売れなくなっているんですよね。

室内がそれほど暖かくない場合には、コートを脱いだときにも寒いので、厚手ニットが必要なんです。でも最近は室内が暖かいでしょ。そうすると、コートを脱いだとき厚手ニットだと暑すぎるんですよね。つまり、ニットの厚さは室内が暖かいかどうかにかかっていると。

あ、いや、今日の話にはあんまり関係がないんですけどね( ̄∇ ̄)

で、そのニットの話。

ニットはどんなふうにケアしていますか?洗っている?ブラシをかける?何もしない?あ、何もしないのはケアしているって言わないか(*゚∀゚*)

ニットは、なるべく

  • 洗わないようにするのが結局正解

なんですよね。どれほど気をつけて洗っても、どうしても縮んだり傷んだりしてしまうからです。なので、ニットに対しては、洗わなくていいように

  • できるだけ汚さないように着る

ことが大事なんです。まあ、洗うのは衣替えで片付ける直前の1回。あとは、よほど汚れたときの1回くらいですね。

私、気に入ったニットって、そればっかり着ちゃうんですよ。なので、ヨゴレが溜まりやすい。なんとなくうっすら汚れてきたのが分かるのでつい洗ってしまうんですが、ダメなんですよね~。

よほど汚れるって、だから、なにかこぼしたとか転んで泥が着いたとかですよ。これ以外の場合、違うケアでなんとかするんです。それが

  • 毛玉を取る

なんです。ドロもカフンもダニのフンも、みーんなコイツがガッチリ掴んでくれちゃっているらしいんです。なんとなく分かる気がしますよね。ブラシをかけるとヨゴレが掻き出されるわけですが、ブラシをかけずにいるとヨゴレがそのまま定着して毛糸と一緒にダンゴ状になるわけですよ。ウゲゲ。

毛玉を取る場合には

  • 必ず毛玉取り機(?)を使う

ことです。ダメなのが、ハサミ。ニットの糸自体を切ってしまって

  • 穴を開けてしまうことが多い

からです。いや、むしったりするのは、もっとダメですよ。毛糸がひっぱられてしまうからです。

また、毛玉取り機は、

  • 小さめのものを

使う方がいいそうです。大きい方が1度にたくさんとれて便利な気がするけど、小さいものの方がキレイに確実に取れるらしい。

ちなみに、毛玉自体をできにくくする

  • 着方が

あるそうです。コートはゆったりめで裏地付きを選ぶ、バッグが直接ニットに当たらないようにする、などだそうです。言われてみれば、そりゃそーだ。なにかと擦れることで毛玉ができるんだから、擦れないようにすればいいわけですよ。

お気に入りのニット。ちょっとだけ毛玉に気をつけて長く楽しみたいですね。

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人にボールを当てていいのか。帰国子女が理解できぬ日本の遊び

ドッジボールは、単純なルールやさまざまな人数に対応できる柔軟さもあって、子どもが気軽に楽しめる球技として親しまれています。しかし現役教師の松尾英明さんは、ある帰国子女の問いかけからドッジボールに疑問を抱くようになったといいます。そんな松尾さんが今回、無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』で、「ドッジボールは教育上是か非か」を考察します。

ドッジボールは是か非か

「丁寧」や「穏やか」「思いやり」といったことについて。

突然だが、読者の皆様は、ドッジボールを好きだろうか。私は、子ども時代からずっと好きだった。すばしこい上に、投げる力が強く、バシバシ当てることができたからである。

さて、ここに「強者の理論」が入っている。どんどん当てられるから楽しい。これは、ごく一部の子どもであり、学級の10%程度である。多くは、「時々投げるチャンスが来ることがある」という程度である。または「当たりたくないからずっと外野」という超消極的参加の子どももいる。

実際に学級担任を長年やってきて、ドッジボールは休み時間の定番遊びの一つであった。

しかしである。

体育で行ったことは、ほとんどない(ほとんど、というのは、遊びの応用に使えるように、王様ドッジなどの方法を単発で教えたことがある)。なぜかというと、この運動に次の運動への発展性がないからである。「ゴール型」「ネット型」「ベースボール型」のいずれにも当てはまらない。「動く人間を的にして当てる」という運動が、ドッジボール以外にないからである。

よくよく考えると、これは、狩猟に似た遊びである。逃げる獲物を狙いすまして撃ち落とす。古来から世界各国で行われている辺り、人間が本能的に好む遊びであると思われる。

しかしながら、これを学校教育で行うべきかというと、甚だ疑問である。学校で育てるべきは「本能」ではなく、「思いやり」や「丁寧さ」という社会で生きる力である。ドッジボールで育つ力は、はっきりいって、真逆である。

最近は、これを電子空間上で行う取り組みも出てきた。実際のボールが当たる訳ではないので、身体的な痛さがないのがいい。ただ、人間を的にするという基本は同じである。ゲームとしては有り得ると思うが、体育としていいかどうかは、正直まだわからない。ただ、間違いなく一つの新しいエンターテインメントにはなりそうである。

そういう中での譲り合いを学ばせる、という意図も、あるにはある。しかし、実際は、強者が弱者に譲るだけで、他の学習のような学び合いにはならないというのが実際である。

実はこれを考えたきっかけは、外国の学校で学んできた子どもたちが「何なのこれは?」と言ったということを聞いたのがきっかけである。やったことがなかったらしい。そして、「なぜ人にボールを当てていいのか」が理解できなかったらしい(他のことでは、明らかにダメな行為であるので、ある意味当然である)。

小学生のドッジボールは是か非か。最近、ここに色々な説が入ってきているようで、なかなかホットな話題である。私は単純に自分が好きだからやっていたが、ここ数年は考えさせられている。とりあえず、今はやらずに考えておこうかというところである。

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なぜ、理科の先生より国語の先生のほうがとっつきやすいのか?

初対面の人とでも難なく会話を成立させてしまうような「人付き合いスキル」は、身につけようと思ってもなかなか会得できるものではありません。そんな能力を「一種の才能」とするのは、現役科学者のくられさん。くられさんは今回、自身の無料メルマガ『アリエナイ科学メルマ』で、「人付き合いスキル」と、その真逆の位置に存在するスキルであると考える「教養」のどちらを身につけている方が、人生を送る上で得なのかを考察しています。

人生に必要なのは教養なのか人付き合いスキルなのか?

理系文系と学問をわざわざ分けているのは日本ぐらいなものですが、今回は、別にそうした文理の学業の話ではなく、世間的に文系スキルなどと言われがちなコミュニケーションスキルについてです。

まあ、本当に文化系学部の研究者からすれば死ねという感想しかなさそうだが、それはさておき。

人付き合いをそつなくこなす力…自分はこれを「人付き合いスキル」と呼んでいますが、これも一種の才能で、どんだけ身につけようとしても挙動不審の怪しくキモい動きにしかならない人もいるし、自分ができてると思い込んで自称モテを振りかざす痛いヤツになったりと諸々あります。

この、人とそつなくうまく会話をこなす、初対面の人とも楽しく話を盛り上げることができる…そういったトークスキル、人の気持ちを先読みして良い感じに寄り添う感じを演出する、中には相手の思考を誘導するなどなど、「人付き合いスキル」もなかなか多彩です。

この「人付き合いスキル」は、知恵や知識、情報、そうしたものを冷静に判断し知恵と経験を合わせ合理的に物事を考える「教養」というものと真逆の位置に存在するスキルなのではないかと自分はこっそり思っています。

もちろん何の根拠もなくて、長い人付き合い、いろんな人を見てきての経験則でしかないのですが、「人付き合いスキル」と「教養」は同居が困難なもので、故に「教養」にガン振りした学者の類いの人種は人間付き合い自体が基本的に苦手なのではないかと、そう思うわけです。

自分も人付き合いが好きかと言われると…実はあまり好きではありませんが、おそらく得意な部類です。故に「人付き合いスキル」のおかげでたいして強くない「教養」を誤魔化していられるのではないかと自己分析しています。うわ、やだ、死にたい。

理系馬鹿という言葉がありますが、例えば法律の専門家で人語をまともに介せない人もいますし、文学にのめり込みすぎて人の形を失ってしまった人もいるわけで、さまざまな専門知識にガン振りしすぎたおかげで、人間性に難ありとか、ちょっと付き合いにくい的に扱われるのは皆さんも記憶にあるでしょう。

身近な例だと、理科の先生は国語の先生より風変わりな人が多い…的な(笑)。

「人付き合いスキル」と「教養」どっちが強いのでしょう、どっちが得なのでしょう?

これも語弊しかなくて完全に独断と偏見による自分の感想なのですが、臆せず言うと「人付き合いスキル」のほうが社会的には強者になりやすいと思います。

「教養」はこの世の理を自分で理解して、それを改変する力さえ持つわけで、科学という魔法を使ってルールを書き換えることさえできて、実際に銃などの兵器などで物理的に物事を思ったように運ぶことができる。これが「教養」の魔かなと思います。

「人付き合いスキル」はどうでしょう?自分のできないことは全部口八丁手八丁で人任せにできれば、自分の努力は必要なく、すべて他人任せで回すことさえできるのが「人付き合いスキル」の魔の部分でしょう。

この二つの属性、社会が小さく人が少なければ「教養」の圧倒勝利なのですが、社会が複雑であり人間が圧倒的に多くなると「人付き合いスキル」が圧倒的勝利になります。

というのも、「教養」を武器とする人もそのまま使ってしまえばいいからです。

それゆえ「人付き合いスキル」はぶっちゃけこれだけで人生が乗り切れてしまうほど強い才能や武器(教養ゼロだけど上り詰めたお笑い芸人とかいるくらい)ではあるが、やはり教養があることで乗り切れる局面生き残れる可能性、なにより欺されない強さが身につくので、なにごとにもバランスが必要ですね…というクッソ地味でオチもつかない話になっていくのです(笑)。

「人付き合いスキル」に全振りできるのはもはや才能なので、もし、自分にそれがあるな…という人はそれにガン振りしてみてもいいかもしれません。

もっとも、自分は理を食み実を積み生きることが「楽しい」ので損であっても「教養」を大事に生きたいなぁ…と思ってます。

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あのラーメン店が、週休3日で家族経営でもないのに成功する理由

ブラック企業などの問題が大きくクローズアップされるようになったこともあり、ようやく働き方改革に本腰を入れ始めた日本。ダラダラ働くことよりも労働の質を上げるには、まず「休日をきちんと取得する」ことが得策と言えるのではないでしょうか。今回の無料メルマガ『毎朝1分! 天才のヒント』では著者の倉橋竜哉さんが、競争が激しいラーメン業界で、敢えて定休日を週3に増やしたという人気店を訪れ実感したことを記しています。

働き方を変える

「今週から、週休3日になりました」と言っていたのは、ラーメン屋さんのオーナーでして、昨日の続きになりますが、長野県の安曇野にあるラーメン屋さんに行ってきました。自宅のある神奈川からクルマで片道3時間ちょっとの直行直帰であります。

なんでわざわざ一杯のラーメンを食べるために半日かけて遠征したのかというと、ネットで見た「美味しい」というお店の評判もさることながら、「お店が週休3日になる」という話を聞いたのが、私を動かした一番の理由でした。

働き方改革という言葉をよく聞くようになりまして、「残業や休日出勤を減らしましょう」「有給をきちんと消化しましょう」という掛け声があちこちでされるようになりまして、「とにかく長時間、働くことが正しい」という考え方から、「働くことの質が大切」という価値観に、世の中がシフトしつつあります。

日付が変わるまで残業するのが当たり前だった職場が、早く帰れるようになったり、有給を取らないとむしろ怒られるようになったり、ノー残業デー、プレミアムフライデーなんて日もできてきたり、24時間営業をやめるお店が増えたり…。そんな世の中の流れを、3歩ぐらい先取りしているお店がありまして、それが私が行ってきた「支那そば・ゑびすや」でした。

支那そば・ゑびすや

そもそも、週休2日だったお店をなんと週休3日(!)にされたとのこと。日・月曜日がお休みだったのを、あらたに木曜日も休みにされたそうです。義理の母親からお店を継いだ3代目のオーナーの久保田優子さんいわく、週休3日にするのは、相当悩んだとのこと。本当に休んじゃっていいのだろうか…と。

2代目の義母は、忙しさのあまりお店で倒れてそのまま帰らぬ人になってしまったとのこと。そんな「働くこと」が当たり前の背中を見つつ、嫁入りした先のお店に立つようになり20年。日々の忙しさの中で、ご本人いわく「もっと丁寧に暮らしたい。ゆっくりと各駅停車で生きていきたい」と考えるようになったそうです。

また、ラーメン店を開くということは、スープを煮出したり、麺を茹でる鍋をずっと沸かし続けたり、光熱の面から見ると環境負荷のかかることです。必要以上の利益を求めるために、店を開くのは申し訳ない、という想いもあったとのこと。

どんなことでもそうですが「変える」ということは、大きなエネルギーが必要なものです。数十年続けてきたことならなおさらのことでしょう。幸いお店のスタッフからも理解が得られ、今月から週休3日に踏み出されました。

…という話を聞きまして、家族だけでやっているならまだしも、スタッフを雇い入れて、週休3日にできるお店って、一体どんなラーメン店なんだろう?と、いても立ってもいられなくなり、片道3時間で長野に向かったというわけです。

どんなラーメンが出てきたのか、昨日ここで書いたとおりですが、あえて一言でいうならば「丁寧な一杯」でした。自家製の麺、鰹だしの黄金色のスープ、新鮮なトッピング、2種類のチャーシュー…。「もっと丁寧に暮らしたい」という想いが、すでにそこに宿っている感がありました。

「働く(はたらく)」ということに対して、価値観がダイナミックに変わりつつある昨今ですが、その最先端を走っている職場の一つと言えるのではないでしょうか。これをお読みのみなさんの周りでは、どんな「働き方改革」が進行していますか?

★まず私からあなたにこの言葉をお届けします

「どんな働き方がありますか?」

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【書評】小林よしのりが断罪、日本を壊した売国政治家ワースト10

いつの時代も、「政治家への不信感」は根強いものがあるようです。今回の無料メルマガ『クリエイターへ【日刊デジタルクリエイターズ】』では著者で編集長の柴田忠男さんが、小林よしのり氏が2009年に企画した「売国政治家」を名指しするという一冊を紹介するとともに、その中でも許しがたいとある政治家の行いを断罪しています。

偏屈BOOK案内:小林よしのり 編『日本を貶めた10人の売国政治家』

41gS6B1g-ML日本を貶めた10人の売国政治家
小林よしのり 編/幻冬舎

2009年の素晴らしい企画を発掘。国会議員の多くが「国家の名誉と安全を守ってほしい」という、国民の最低限の願いすら打ち砕く。それならば「売国奴」「国賊」という激烈な言葉で政治家を襲撃しようではないか、ということで学者・言論人20人へのアンケート、最悪の「売国政治家」を選んで……というのが、小林よしのり編『日本を貶めた10人の売国政治家』(幻冬舎新書)だった。

これが売国政治家ワースト10人だ!

1位 河野洋平:52点
2位 村山富一:45点
3位 小泉純一郎:36点
4位 小沢一郎:29点
5位 中曽根康弘:22点
6位 野中広務:16点
7位 竹中平蔵:12点
8位 福田康夫:11点
9位 森喜朗:10点
9位 加藤紘一:10点

11位以下20人は名前だけ。中曽根、野中、加藤は物故。残る7人は未だに生臭く蠢いているようだ。森は相変わらずアホな言動で顰蹙を買う。

加藤紘一って何をしでかしたんだっけ?二つの大罪があった。ひとつは1992年の今上陛下の中国ご訪問を推進したことだ。91年に宮澤内閣の官房長官に就任すると、派閥の長である宮澤を巧みに操りながら、2年前の天安門事件で西側諸国から経済制裁を受け孤立する中国に、天皇陛下をご訪問させようと画策した。国民の世論を欺いて秘密裏に交渉が行われ、ご訪問を閣議決定した。

天皇陛下ご訪問を契機に、中国は西側諸国との外交関係の修復に成功する。中国を起死回生させるため、宮沢内閣は天皇陛下を利用したのだ。さらに河野洋平との対中国朝貢合戦、売国レースに邁進した。それ以降、今日に至るまで外交的も政治的にも経済的にも、あらゆる局面において中国に屈従する日本、という構図にはめ込まれてしまった。こんなにも罪深い政治家であったのか。

天皇陛下ご訪問の年、加藤は第二の大罪を犯した。朝日新聞が「慰安所 軍関与示す資料 政府見解揺らぐ」と大見出しの大虚報を発信、後に捏造書と判明する『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』の著者・吉田清次のインタビュー記事を掲載した。加藤はこの記事に同調するように、記者会見で「軍の関与は否定できない」と述べ、訪韓する宮澤首相に土下座外交をするよう仕組んだ。

宮澤は訪韓して盧泰愚大統領に8回も謝罪・反省の言葉を述べ、慰安婦に関する資料調査を韓国に約束する。それが半年後の加藤官房長官談話となり、一年後の「河野談話」へと続いたのだ。加藤と朝日の確信犯的な連係プレーにより、「慰安婦強制連行」という反日プロパガンダが形成された。いまも、日本と日本人を苦しめる虚構の慰安婦問題は、こうやって生まれた。罪深い連中である。

それだけではなかった。加藤は幹事長に就任すると、北朝鮮へのコメ支援を実現させて拉致問題を葬り去り、拉致被害者家族を激怒させた。また、北朝鮮利権に関わるともいわれていた。さらに、奪還した拉致被害者を北朝鮮に返すべきだと、何度も主張した。昔はこんなとんでもない売国奴が、与党にいたんだ。小林よしのりよ、この企画の2020年版やってくれ。もうやってる?

編集長 柴田忠男

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従業員との信頼関係ができていない会社が3月末退職に苦しむ理由

3月決算が多い日本の会社。そろそろ年度末を迎え、社内がバタバタし始める時期ではないでしょうか? 決算準備で忙しいこの時期、実は希望退職者が多く発生する月でもあるのだそうです。しかも有給休暇の消化で3月は出社ナシ…という場合も多いといいますから、企業にとってはたまったものではありません。そんな状況を避けるために、何ができるのでしょうか?無料メルマガ『採用から退社まで! 正しい労務管理で、運命の出会いを引き寄せろ』の著者・飯田弘和さんが普段の従業員との信頼関係が大切とし、その理由を語っています。

年度末の退職者

年度の替わるこの時期は、退職者が多く発生する時期でもある。この時期の退職には、労働者からの希望退職が多い。解雇や退職勧奨などはそれ程多くはない。この時期に希望退職が増えるのは、この時期に労働者の流動性が高まるからでしょう。多くの人が、この時期に辞め、多くの会社で中途採用が活発に行われる。転職のチャンスが多く訪れることになる。

会社はある程度、この時期に退職する労働者数を見越しておく必要がある。これを見誤ると、人材不足により、4月からの事業活動に支障をきたすことになる。

また、3月末で退職する者の中には、出社は2月末まで、3月はすべて年休消化という者も多い。普段から会社が年休取得を奨励していないと、たまっている年休を退職時にまとめて取得されることになる。3月末での退職者が多い事業所は、3月に実際に働いてくれる労働者が少なくなることになる。残った労働者は当然疲弊する。ただでさえ年度末は忙しい。そのうえ人手不足ではたまったものではない。

そして、年休をなかなか使えない事業所の場合、退職者の多くは、年休消化に入るギリギリで退職を申し出る傾向がある。早めに退職と年休取得を申し出た場合、このような会社では、大変居心地の悪い思いをする。場合によっては、上司や社長からいじめ・嫌がらせを受けることになる。退職や年休取得への妨害行為を受けることもある。だから、2月の末に、3月いっぱいでの退職と3月中の年休取得を突然申し出られる。年休残が多い人の場合、まるまる2か月間を年休消化に充てることもある。

このような場合でも、会社は、年休取得を断ることはできない。取得を認めなければならない。年休取得は、労基法で認められた労働者の権利だからである。会社には時季変更権が認められているが、労働者が退職してしまうので、別の日に年休を取る余地がない。であれば、会社の時季変更権は認められず、労働者の年休取得の権利が勝つことになる。

普段から年休の取りやすい職場にすることで、退職時にまとめて年休を取得することを防ぐことができる。職場のコミュニケーションを活発にすることで、できるだけ早く退職の希望を伝えてもらえる雰囲気を作るよう心掛けよう。それによって、新たな人材の獲得にいち早く取り組めたり、引継ぎがしっかり行える。場合によっては、労働条件の見直しによって退職を留まってもらうなどの対応が必要となることもある。

また、退職時の年休取得を最小限に控えてもらい、使いきれなかった年休は会社が買い取ることを退職者と合意することで、会社への影響を最小限に抑えるような対応が必要かもしれない。ただし、これは、退職者と会社にしっかりとした信頼関係が築かれていないと上手くいかない。普段からの、従業員に対する態度・対応がカギとなる。従業員を大切にしていない会社は、こういったときに足元をすくわれることになる。

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