自ら「本格中華」と看板に書く中華料理屋は何を勘違いしたのか?

街で「本格中華」「おふくろの味」などという飲食店のキャッチコピーを見かけることがありますが、「そんなお店はまず人気とならない」とするのは無料メルマガ『ビジネス発想源』の著者・弘中勝さん。一体なぜ? 今回の記事にはその単純明快な理由が記されています。

本来お客様の言葉

日本各地にはたくさんの中華料理店があり、その中には、店名に「本格中華」という言葉が入っている店も結構あります。ところが、例えば食べログなどでもいいですが、人気の高い中華料理店を上から並べていくと、「本格中華」という店名が入った店は上位にはまずランクインしていません。「本格中華」のはずなのに、不思議ですよね。

それはなぜかというと、「本格」かどうかは、お客様が決めているからです。店名に「本格中華」と入っていなくても、お客様のほうから「あそこの中華料理は、本格派だよね」と言われて初めて、本格になるのです。

「おふくろの味」とか「懐かしの味」なんていう文句も同じです。店のほうから言い出している場合が多いですが、おふくろの味なのかどうか、懐かしい味なのかどうかは、お客様が決めます。「懐かしの味、と評判を頂いています」と伝えるのは間違いではありませんが、「これは、懐かしの味です」というのは、本来店側からいうことではないのです。

だから、こういうフレーズを店名とか通り名に使っているお店ほど、そんなに人気店にはなりません。自分たちが「おふくろの味」とか「懐かしの味」だと思っているだけなのです。

どうなるニコン。最終赤字拡大で創業100周年に最大の危機到来

先日掲載の記事「カメラのキタムラ129店閉鎖の衝撃。街の写真屋を殺したのは誰か」でもカメラ業界の苦境をお伝えしましたが、その影響は大手のニコンにも及んでいるようです。無料メルマガ『店舗経営者の繁盛店講座|小売業・飲食店・サービス業』の著者で店舗経営コンサルタントの佐藤昌司さんによると、同社の希望退職者数が予想を上回る1,143人に及び、高級デジカメ3機種も発売中止になるなど、厳しい状況に直面しているとのこと。はたして立ち直ることはできるのでしょうか。

ニコン、1,000人超の退職者で167億円の損失。カメラ市場の衰退に歯止めかからず

佐藤昌司です。2月14日、カメラのキタムラが全体の約1割にあたる129店舗を閉鎖すると発表し、衝撃が走りました。スマートフォンの普及により主力のデジタルカメラの販売が低迷したことが主な理由です。

キタムラが129店舗の閉鎖を発表した前日の2月13日、カメラ関連のニュースが一つ報じられました。カメラ製品などの大手メーカー「ニコン希望退職の応募者が1,143人になったと発表したのです。募集人数は1,000人程度としていましたが、想定を上回る応募がありました。希望退職の関連費用として、2017年3月期に約167億円の特別損失を計上する予定です。

背景にあるのはニコンの業績不振です。2013年3月期の売上高は1兆104億円ありましたが、その後は一貫して右肩下がりで減少し、2016年3月期には8,229億円にまで減少しました。わずか3年で18.6%も減少しています。2016年4~12月期の売上高は前年比8.2%減の5,658億円です。純損益は8億円の赤字です。

デジタルカメラを主力としたカメラ事業の不振が大きく影響しました。カメラ事業はニコンの主力事業で、売上高の過半を占めます。70%以上を占める時もありました。2013年3月期の売上高は7,512億円ありましたが、その後は一貫して右肩下がりで減少し、2016年3月期には5,204億円にまで減少しました。わずか3年で30.7%も減少しています。2016年4~12月期の売上高は前年比28.9%減の3,008億円です。

中国がロッテ製品をボイコット。韓国企業への露骨なバッシング続く

朴槿恵大統領の罷免が決定するなど政治的混迷が続く韓国ですが、経済面でも大苦境に陥ることが避けられそうにありません。在韓米軍のTHAAD(高高度ミサイル防衛システム)配備への土地提供を決めたロッテに中国が激怒、政府主導のロッテバッシングが開始され、煽られた国民が「ロッテを地獄に落とそう」との大合唱のもと不買運動に走り出したのです。無料メルマガ『石平(せきへい)のチャイナウォッチ』の著者で中国出身の評論家・石平さんはこうした動きを「今の習近平政権の最大の特徴」とした上で、中国との間で多くの問題を抱える日本の企業もターゲットにされやすいと警告しています。

「ロッテを地獄に落とそう」バッシングで露呈した中国の帝国主義的体質 いずれ日本企業も標的に

ことの発端は韓国における米軍の最新鋭迎撃システム高高度防衛ミサイルTHAAD)」の配備である。米韓間で配備が決まって以来、中国政府は異様な執拗さで猛反発しているが、その論理は実におかしい。韓国が国土防備のために防御用の迎撃システムを配備することに対し、中国は自国の攻撃用ミサイルが無力化されるとの理由で「中国の安全に対する脅威」だと主張する。あたかも、凶器をもった強盗犯が民家の戸締まりを脅威だと騒いでいるかのようなものである。

このような横暴な外交姿勢は中国という国の帝国主義的体質を十分に露呈しているが、こうした中で中国は、韓国の一民間企業に対しても牙をむいてきたのである。

先月27日、ロッテ経営陣が韓国政府からの要請を受け、THAAD配備への土地提供を決めると、中国政府主導のロッテバッシング」がすぐさま始まった。

中国外務省の耿爽報道官は28日の記者会見で「中国のTHAAD反対への意思は固い。国益を擁護するために必要な措置を必ず取る」とコメントすれば、同じ日、中国共産党機関紙、人民日報系の環球時報は、ロッテを中国市場から締め出すことを堂々と主張した。最大の国営通信社である新華社に至っては、「中国はロッテを歓迎しない」との論評を掲載し、「中国の消費者はこのような企業と製品に『NO』と言うべきだ」と、ロッテ社の製品やサービスに対するボイコットを公然と呼びかけた

驚異の的中率『MEGA地震予測』が指摘する「2017年ここが危ない」

去る2月28日、福島沖を震源とする震度5弱の揺れが再び東北や関東を襲った。気象庁は、今回の地震は先の東日本大震災の余震であるとの見解を発表。「3.11」から丸6年が経過した今、日本列島は再び巨大地震の脅威にさらされている。今こそ、風化しつつある震災の記憶を改めて思い起こし、防災意識を見直してみる時期に来ているのかもしれない。そんな状況の中、メールマガジン『週刊MEGA地震予測』で独自の手法による地震予測を配信し続けているのが、東京大学名誉教授の村井俊治氏率いるJESEA(地震科学探査機構)。村井教授は、2017年の日本の地震活動をどの様に予測しているのだろうか。

後悔から始まった地震予測

関西地方を襲った1995年の阪神・淡路大震災に、東北地方に未曽有の被害を与えた2011年の東日本大震災、そして最近では2016年の熊本地震など、大規模な地震が絶えなく発生する日本列島。次なる大地震がいつ、どこで発生するのか……。日本という国に住む者なら誰もが大いに気になることではないだろうか。

そのような多くの要望に応えるように、近年では地震の予測を試みる民間の研究機関が増えている。それらのなかでも、ひと際高い予測的中率で注目を集めているのが、メールマガジン『週刊MEGA地震予測』を配信するJESEAだ。

このJESEAを率いる東京大学名誉教授の村井俊治氏は、もともと測量工学を専門とする研究者だ。測量工学の国際的な学会の会長職などを歴任し、2017年1月にはこの分野において顕著な功績を残した世界の10人に選ばれるなど、数々の輝かしい実績を残してきた村井教授が、全くの畑違いとも言える地震予測の研究を始めたのは、長らく勤めた東京大学を定年で退官した後の2002年のことだった。

「地震予測は、これまで誰も成功していない最も難しい科学技術。なにより地震が多い日本という国にとって、とても有益な研究になるのではと思い、“じゃぁ死ぬまでの間、この研究に打ち込もう”と決めました」(村井教授・以下同)

村井教授が着目したのは、地震発生と地殻変動との相関関係。そこで、過去に起きた162件のM6以上の大きな地震について改めて検証を行ってみたところ、すべての地震発生時において、事前に何らかの異常が現れていることが確認できた。

やはりこれは地震の予測に使えそうだ……そう確信し、その後も地道な研究を続けていた村井教授だったが、ある時、東北地方の各地に大規模な地震の前兆とみられる、地表の異常な動きが現れているのを発見する。

「これは間違いなく大地震の前兆だと思いました。しかし当時の私には、その危険を伝える媒体も手段もなかったですし、たとえ情報発信ができたとしても、地震予測の分野において実績も知名度もなかった私の話など、誰も信じてはくれないのは明らかでした」

為すすべなく悶々とした心境のまま、迎えてしまった東日本大震災。大地震の前兆を捉えながらも、それを減災に活かせなかったことは、後々まで忘れられない痛恨事となった。しかしそのいっぽうで、「自らが研究を重ねた地震予測で、今後また起こるであろう大地震の被害を少しでも抑えることができれば……」という想いも新たにした村井教授。その後の2013年1月にJESEAを立ち上げ、メルマガ『週刊MEGA地震予測』の配信をスタートさせた。

MEGA地震が変えた「予測」の常識

列島各地の地表の変動から大地震発生の前兆を捉える、村井教授の地震予測。各地点がどれだけ動いたかは、国土地理院が全国約1300か所に設置している電子基準点から得られるデータを参考にしている。

電子基準点からは、地球上で最も動かない点である地球の重心を原点とした各地の地心座標系の座標値(X,Y,Z)が送られて来る。そのデータを積み重ねることで、各地点の地表が水平・垂直方向にどれだけ動いたのかが分かるのだ。

地球の表面は絶えず動いています。それが1~2㎝程度なら問題はないのですが、場所によっては短期間で4~5㎝と異常に動くところもある。また日々の動きは小さいものの、実は徐々に同じ方向へと大きく動いている地点もあります。そういった短期的・長期的変動を、様々なパラメーターを用いて分析することで、地震の前兆を捉えようとしているのです」

従来の地震学による予知と自らが行う地震予測との違いについて、村井教授は医者と患者の関係になぞらえて、こう説明する。

「従来の地震予知は、患者の過去の病歴を調べて、それだけを材料に今後どうなるかを言っているようなものです。でも私の地震予測は、電子基準点のデータから現在の地球の“健康診断”をし、その結果に基づいて予測をしているわけです」

このようにして、測量工学的アプローチによる地震予測を確立した村井教授だが、予測を公開し始めた頃は「地震学の素人がこんなことをやっていいのか」という負い目も、少なからずあったという。

そんな村井教授を後押ししたのが、プレートテクトニクス研究の第一人者と知られ、東京大学地震研究所で長年教授を務めた上田誠也東京大学名誉教授の言葉だった。

「上田さんは“従来の地震学は地震のメカニズムこそ研究してきたが、地震の前兆を捉える研究はしていないので、地震予知ができないのは当たり前だ”と。そのうえで“村井さん、期待しています”とおっしゃってくださったんです。この言葉には、大いに勇気づけられました」

激まずグルメにゲンナリ…ガイドブックには載らないヨルダン裏案内

『ママチャリで日本一周中の悪魔』こと大魔王ポルポルさん。日本一周の旅を終え、イスラエルとパレスチナ自治区の街をブラブラ歩き、一悶着あってヨルダンへ入ったと思ったら、ヨルダンのホテルやグルメの「恐ろしさ」に驚いていたようで。。。

ヨルダンに到着した大魔王が、ホテルとグルメと移動手段を伝授!

ガッハッハッハッハッハ!! 魔界から来た大魔王ポルポルだ。

我輩はいまヨルダンにいるぞ。ヨルダンとは中東の国。隣にはイスラエル、シリア、サウジアラビアと隣接していて、あんまり旅行には適していない国だ。

国民の大多数が中東戦争よりイスラエルに占領されたパレスチナから流れてきた難民とその子孫ばかりである。

ヨルダンはテロとか紛争とか危ないイメージが多いと思うが、あんまり長居はしたくない場所であるな。さて、今回は『魔界流ヨルダンの過ごし方』を説明してやろう。

「過ごし方」といっても、ヨルダンの主な観光地である、ぺトラ遺跡や、ワディラム、死海などに行くわけでもなく、ただただ普通の過ごし方になっておる。

それでは、まずは移動手段から!

ヨル01

ヨルダンでは、相乗りタクシー、バスを使うことをオススメするのだ!

タクシーだと自殺行為。乗ってもいいけど、ボッタくられてしまう。なので、セルビスという4~5人乗りの相乗りタクシーか、長距離バスでの移動がオススメなのだ。

ヨル02

どちらもリーズナブルな料金。バスは日本円で300円ほど。相乗りタクシーは80円くらいであった。

次にホテルに行く!

これらの移動手段を使って、まず何をしなくてはいけないのか。

それは、「予約した宿に行く」ことである。我輩は魔王なのに金がない。なので、安めの宿に泊まろうとしていた。

そして、こんな見知らぬ土地で宿泊するなら、アジア人が少しでもいるであろう宿泊場所がいいのだ。我輩はさっそくグーグルで検索。

そして、結果、首都のアンマンにある「Mansour Hotel(マンスールホテル)」というホテルに泊まってやった。ここは通称「コーダホテル」という名前をあだ名がある。

ヨル03

昔、日本人のコーダさんという人がイラクで亡くなり、その亡くなる前に最後に泊まったホテルがMansour Hotel(マンスールホテル)だそうだ。

なので、コーダホテルとも呼ばれている。我輩はそこに泊まることにした。

ヨル04

コーダホテルはアンマンの裏路地のところにひっそりと建っていて、結構見つけにくい。玄関近くには怖そうなヨルダン人がウロウロしていて、我輩を見るなりギロっと睨み、覇気をムンムンと放出している。

このホテルには、世界一周をしたり、マニアックな旅行者だったり、日本人を中心とした人が集まることを知ってなのか、

「お金くれ。」

と言ってくる子供がいる。1ディナール(約160円)を催促してくるのだ。しかし、こういうところでヘタにお金をあげても、後々めんどくさくなったりするので、我輩はその言葉を無視してやる。誰が何と言おうと無視し続けてやる。何度も何度も催促してくるが、何度も何度も無視をする。

子ども:「プリーズ・マネー!!!」

我輩:「・・・・」

子ども:「プリーズ・マネー!!!」

我輩:「・・・・」

子ども:「プリーズ・マネー!!!」

我輩:「・・・・」

子ども:「プリーズ・マネー!!!」

我輩:「・・・・」

子ども:「しねーーーーーー!!」

最終的に「ファ●ク」と言われ、我輩のポケットを触ってくる。ポケットに触ってくるというのは、スリを行おうとしているので、我輩はその手を払いのける。

すると、またまた「フ●ック(しねーーーーー!!)」とか「ゴートゥーヘル!(地獄に落ちろ!)」と、魔族なのにそんなことを言われてからでないと、このホテルには入れないのだ。

というトラップを潜り抜けて着いたのがこの部屋。

ヨル05

全体的に薄暗くて寒い。寝心地も悪い。部屋に暖房がないので、ひたすら我輩の体の新陳代謝を良くして体を温めるしかない部屋だ。

ホテルには、すこしはアジア人がいるだろうと期待したが、宿泊しているのは全員中東人だった。最悪だ。そんなことを気にしながらも小腹が空いたので街に出てみた。

「レストラン」の文字が読めない。どれがレストランなのか分からないのだ。

ヨル06

とにかく全部がアラビア語だ。

意味の分からない使い道のないものばかりが売っていて、やたらと服屋さんがいっぱいある。しかし、レストランがない。

せっかくヨルダン飯を食べてやろうと思ったのに、どこにレストランがあるのかすらわからないのだ。

ヨル07

ヨルダン人:「あ・・あ・・あ・・あ・・あいつ日本人じゃないのか!?!?!?」

という目線を送られる。しかし、その目線を全て無視しながら我輩はレストランを探した。

ヨル08

とにかく、どこにレストランがあるのか分からないので仕方なく、ヨルダン人がこぞって食べていた、お好み焼きの様なピザの様なヨルダングルメを食べてやった。

これは、町の屋台の様なお店で売っていた料理だ。調べてみると、KUNAFA(カナーフェ)というスイーツだそうですが、魔界にはないマズさだった。

トロトロに溶けたチーズの上にモジャモジャの砂糖が乗っている。が!甘すぎて。甘すぎて…。チーズケーキとは違って、シロップのようなクドイ甘さだ。そして焼いているのでほんのり温かい。まとめるとグチョグチョした砂糖の塊みたいな味だった。

あまりのまずさにヨルダングルメに期待が持てなくなった。

ヨル09

なので、ホテルでインスタントラーメンを食べてやった。

そして、ホテルに戻るときにも玄関前の子供に「お金をくれ」と言われなければいけません。

その子供を無視して、「フ●ック」と言われてからラーメンを食べました。

ヨル10

そして、次の日。ヨルダンの空港「クイーンアリア国際空港」へ行ってやった。

ちなみに、ヨルダンのクイーンアリア国際空港では、宣伝目的のためか1GBのSIMが無料でもらえるぞ。これはzainというSIM会社にSIMをくれ、というと無料でもらえるというもの。

空港での待ち時間ぐらいなら1GBで十分なので、ぜひもらってみるといい。

ヨル11

SIMフリー端末を持っている人は、これをもらってネットに繋げるのだな。それから我輩はタイへ飛んだとさ。

(つづく)

 

※大魔王ポルポルさんへの激励のメッセージはコチラまで!

大魔王ポルポル@ホームレス魔王(Twitter)

大魔王ポルポル(755)

 

●「魔族になれるファンクラブ」(大魔王ポルポルのファンクラブ)

●「ママチャリで日本一周する!大魔王ポルポルの365日の軌跡と征服」シリーズ5巻(第1巻は無料配信中!)

 

誤解された「尊皇攘夷」。日本を救った吉田松陰が遺したもの

志士を弾圧する老中・間部詮勝の暗殺を計画したことで、わずか数え30歳で死刑となった吉田松陰。しかし、その遺志は松下村塾の門下生に受け継がれ、彼らは日本を近代国家たらしめました。今回の無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』では、死を前にした吉田松陰が残した思いを振り返りながら、「尊皇攘夷」の意味について今一度考えます。

吉田松陰の「留魂」

安政6(1859)年、志士を弾圧していた老中・間部詮勝(まなべあきかつ)の要撃を計画した事で、吉田松陰は10月27日に死罪を申し渡された。その時に立ち会った長州藩士・小幡高政は次のような談話を残している。

すぐに死罪を申し渡す文書の読み聞かせがあり、そのあと役人が松陰に、「立ちませい!」と告げます。すると、松陰は立ち上がり、私の方を向いて、ほほ笑みながら一礼し、ふたたび潜戸から出て行ったのです。

 

すると……、その直後、朗々と漢詩を吟ずる声が聞こえました。それは、「吾、今、国の為に死す。死して君親に背かず。悠悠たり天地の事。鑑照は明神にあり」という漢詩です。

 

その時、まだ幕府の役人たちは、席に座っていましたが、厳粛な顔つきで襟を正して聞いていました。私は、まるで胸をえぐられるような思いでした。護送の役人たちも、松陰が吟ずるのを止めることも忘れて、それに聞き入っていました。

 

しかし、漢詩の吟詠が終わると、役人たちは、われに返り、あわてて松陰を駕籠に入らせ、急いで伝馬町の獄に向かったのです。

その後、処刑場でのふるまいに関しても、1人の幕府の役人は「みな感動して泣いていました」という談話を残している。こうして吉田松陰は、数え年30歳で、生涯を閉じた。

「私は死を前にしても、とてもおだやかな安らかな気持ちでいます」

この前日26日の夕刻に書き終えたのが、自分の門人たちにあてた遺言書とも言うべき『留魂録(りゅうこんろく)』だった。

そこでは、幕府の役人の取り調べの状況を綴りながら、「私は昨年(安政5年)から、心のありようが、さまざまに変化してきました」と、心の揺れ動く様を正直に吐露している。そして、その後、死を前にした心境を次のように語った。

今、私は死を前にしても、とてもおだやかな安らかな気持ちでいます。それは、春・夏・秋・冬という四季の循環について考えて、こういうことを悟ったからです。

 

…稲は、春に種をまき、夏に稲を植え、秋に刈り取り、冬には収穫を蓄えます。…

 

私は今、30歳です。何一つ成功させることができないまま、30歳で死んでいきます。人から見れば、それは、たとえば稲が、稲穂が出る前に死んだり、稲穂が実るまえに死んだりすることに、よく似ているかもしれません。そうであれば、それは、たしかに「惜しい」ことでしょう。

 

しかし私自身、私の人生は、これはこれで一つの「収穫の時」を迎えたのではないか、と思っています。どうして、その「収穫の時」を、悲しむ必要があるでしょう。

切実な問題。定年後も働いたら年金はどれだけ減らされてしまうか

今の時代、定年後も仕事をもって生き生きと働き続ける人は少なくありません。しかし、一般的に「働くと年金が減らされる」とも言われていますよね。それ、本当なのでしょうか。無料メルマガ『年金アドバイザーが教える!楽しく学ぶ公的年金講座』で紹介されている、「定年後に再雇用されたケース」を例に見ながら、しっかりと学んでいきましょう。

定年後の再雇用後の無年金期間と、年金支給開始後はどのような年金の支払いになるのか?

これから定年を迎えて、その後の年金に不安をお持ちの方も多いですが、定年後も継続雇用や再雇用で働く人が多い時代でもあります。

ちなみに継続雇用はそのまま雇用契約を解除せずに以前の待遇で働き続ける事。

再雇用は一旦雇用契約を終了させて、新たな雇用で雇用契約を結ぶ。大抵は再雇用を採用している企業が多いですね。新たな雇用で給与見直しができるから。

というわけで再雇用だと賃金も見直しされて普通は大きく下がるんで、そこから年金との関係を書きたいと思います。

1.昭和32年4月25日生まれの男性(来月60歳)。この人の老齢厚生年金支給開始年齢は63歳。

厚生年金支給開始年齢(日本年金機構)

60歳で再雇用(厚生年金にはそのまま加入)で65歳到達日(4月24日)をもって退職予定。なぜ、4月25日じゃなくて、4月24日かというと、新たに歳を取るのは誕生日ではなくその前日だから。

誕生日は誕生日だけど歳を取るのはその前日!(参考記事)

60歳時点の賃金は40万円だったが、再雇用により24万円。賞与は7月と12月に20万円ずつ(退職まで変わらないものとします)。

以前の賃金割合と比べて60%(24万円÷40万円=0.6)になりました。

60歳時点の賃金(60歳前6ヶ月以内に支払われた賃金の平均)よりその後の賃金が75%未満に下がると、雇用保険から高年齢雇用継続給付金という下がった賃金の最大15%(賃金割合が61%以下の時)が60歳月から65歳月分まで最大5年間支給される場合があります。一般的に会社の総務経理あたりがハローワークに手続きしてるから、60歳間近になったら話してみてください。

東日本大震災から丸6年。宮城県知事を支えた「ある人の教え」

多くの人の運命を一瞬にして変えた「東日本大震災」から6年。無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、極限の状況に置かれながらも、県民の安全を一番に考え冷静に陣頭指揮を取り続けた村井嘉浩宮城県知事の「気構え」と、その冷静さを保つ大きな助けとなったある人物の想像を絶する体験談が紹介されています。

大震災に立ち向かったトップの気構え

東日本大震災から6年。今回はこの大試練に県政の長として立ち向かった村井宮城県知事の体験談を紹介します。いざという時の人間の気構えを教えられるお話です。

土田國保先生の教え

私自身は今回の震災に際して心に決めていたことがあります。こうした非常時には、大変ストレスがたまるものですけれども、私は県のトップとして、自分のマイナスの感情を絶対に外に出さないようにしようと決めておりました。

辛くて涙が出そうになる場面が何度もありましたけれども、私が高ぶった感情をそのまま外に出してしまうと、組織が混乱してしまいます。

私が防衛大学校にいた時の校長先生が土田國保先生という元警視総監の方でした。土田先生は警視庁の警務部長をされていた時、贈り物を装って自宅に送られてきた爆発物によって奥様が亡くなり息子さんも大怪我をされたことがあるんです。

土田先生が朝礼で部下からその報告を受けた時のお話をなさったことがあるのですが、私はそのお話がとても印象に残っているのです。

そして、みんな消えた。大都市ニューヨークから人間が消滅した日

フランス人写真家のGenaro Bardyさんがはじめた写真プロジェクト「Desert in the City」が話題です。これは、世界の大都市を舞台に、その都市の人や車など、誰もいない瞬間を撮影するというプロジェクトです。「誰もいないニューヨーク」が映し出されています。

人も車も消えた。誰もいないニューヨーク

Genaroさんはこれまで2014年クリスマスのパリ、2015年クリスマスのロンドンなど、街から人が少なくなるホリデー期間の大都市で撮影をおこなってきました。

その後、クラウドファンディング「Kickstarter」を通じて、資金を集めながら「Desert in the City」プロジェクトのスタート。2016年の感謝祭の時期にニューヨーク、同年クリスマスの時期のローマといった2大都市で撮影をおこない、「誰いない大都市の写真撮影に成功しています。

中でも、注目すべきはプロジェクト第3弾のニューヨーク人口約850万人を抱えるアメリカ最大の都市ニューヨークですが、彼が撮った写真を見ると、「これが本当にあのニューヨークなの?」と疑ってしまうほど、人も車も誰もいない静寂に包まれた街に変身しています。

 
 
  
 

どうですか? ニューヨークとは思えないですよね?

このプロジェクトのきっかけは意外にも”ハリケーン”から。
「以前から、美しい都市のポートレートの写真シリーズを作り出す方法を探していました。そんなとき、2011年にあったハリケーン・アイリーンが起きるちょうど前に、ニューヨークの写真撮影をしたのですが、その時に道は誰もいなくて、”空のマンハッタン“という不思議な光景をみる機会がありました」とGanaroさん。

「ネットにその写真を投稿したら、反応がすごくて、国内のメディアなどに取り上げられたんです。そこでこのプロジェクトを続けようと、2015年のロンドンでの撮影からスタート。ニューヨークの撮影はかなり大変でした。でも、感謝祭ならきっと人があまりいないだろうと思って、その日に撮影を決めました」。 

大都市ニューヨークを選んだ理由をこう話します。
「ニューヨークはもともとこのアイデアの起源。『眠らない都市』と呼ばれる街に挑戦してみるのは、やりがいがあると思いました。このプロジェクトのために毎晩毎晩歩き回りました。夜の11時から朝の6時半頃まで。とてもチャレンジで、疲れましたが…。そして、1週間歩き回って、どこを撮るかを決めたんです。ほとんどの写真は一晩で撮りました。とても素晴らしい体験でしたね。だって人、車、誰もいない場所で過ごせるなんて、貴重ですからね」。
特に午後11時から午前3時までは車が通らない20〜30秒を探すのは、かなり難しかったとのことですが、午前4時には、街から人が消え、マジカルアワーへ
Genaroさんが最も苦戦したという「タイムズスクエア」や、「アップルストア」、「グランドセントラル」なども撮影されています。
通常のタイムズスクエアと比較してみると、こんなに違う!
image by: Wikipedia
 
08 -Desert in New York - Flatiron - Thanksgiving 2016 © Genaro Bardy
 そんなGenaroさんの次のターゲットを聞いてみました。
次の都市は東京。絶えず人が多い都市ですし、アイコニックシティなので、プロジェクトにはパーフェクト!」と、次回のプロジェクトは24時間眠らない東京で撮影をおこなうよう予定だそうです。
Genaroさんが撮る”静寂の東京”をぜひみてみたいですね!
 

Genaro Bardy 

パリを拠点とした写真家。これまでに旅行会社、ブランド、アーティストなど様々な分野で活躍中。現在、Kickstarterのプロジェクト詳細はこちら
公式サイト / Facebook / Instagram

 
 
 
image by: © Genaro Bardy
取材・文 / MAG2 NEWS編集部
 

元「旅行読売」編集長が断言。「温泉は怒りを鎮める」の科学的根拠

あなたは我慢できないくらい腹が立った時、何をして怒りを鎮めますか? 趣味に没頭する、眠る、お酒を飲む…など、人それぞれの方法があると思いますが、元「旅行読売」編集長の飯塚玲児さんが、断然お勧めするのは「温泉に入ること」。温泉に関する知識を毎回教えてくれるメルマガ『『温泉失格』著者がホンネを明かす~飯塚玲児の“一湯”両断!』の中で、「なぜ、温泉に入ると怒りが収まるのか?」を科学的根拠を交えつつ解説しています。

温泉に浸かって怒り続けられるか?

今週は表題の件に付いて書いてみたい。

僕がもう10年くらい前から人前で話すときに主張してきているのが、「人は温泉に入ると、怒ったままではいられない。 必ず怒りが収まってきて、いつの間にか心が落ち着いている」という事である。

こういう経験をした事がある人は決して少なくないはずである。

この場合は、40度以下のぬる湯のほうがいいようだ。 副交感神経が優位になってリラックスし、筋肉は緩み、よって、しかめ面をしている顔面の緊張もほぐれてくるというわけだ。

顔の筋肉が緩めば自然に笑顔になる。

天井からピチョン、と落ちる雫の音、こぽこぽと足元から湧く湯の音、ドバドバと流れ落ちる源泉湯口の音などを聞いていると、温泉好きならきっと顔もほころんでくる。 温泉好きでなくとも、よほどでない限り、同じような心理変化、体の変化が起きると思う。

温泉に浸かったときに、「ふぅー」と思わず声が漏れるのは、きちんと医学的作用がわかっていて、これは水圧(静水圧)によるものである。

湯に浸かると水圧がかかる事はこれまでにも解説したが、この水圧がけっこうすごい。 肩までとっぷりと湯船に湯かった状態だと、空気中よりもウエストが数センチ縮んでいるほどである。 この水圧が肺にかかって、思わず「ふぅー」と息が抜けるのだ。

この息が抜けるというのは怒りの沈静化にも効果があると思う。

だいたい、怒っている時は、呼吸が荒くて息を吸ってばかりいる事が多い。 面倒なケチを付けられて、反論しようと大きく息を吸うものの、反論の機会を失って、声にならずに、ため息というより、絞り出すように息を吐いているだけ。鼻息は荒くなって、肩は怒り、でも、いいたい事を我慢してぐっと息をのむ。