【復興石巻】休日返上の缶詰洗浄作業 ~缶闘記 その3~東北まぐアーカイブ

復興へのみちのり ~缶闘記 その3~

被災した水産業者が次々と廃業を決める中、老舗缶詰メーカーが果敢にも会社の再建にのり出した。かろうじて柱と壁の一部が残された倉庫で、残骸に埋もれた商品を掘り起こし、事業復活に希望をつなぐ人々がいる。ふたたび人の行き交う街を目指して、復興へあゆみ始めた被災地。木の屋石巻水産の挑戦を通して、その長いみちのりを追いかけてみる。(連載3回目:前回はこちら

「埋まっている缶詰を買い取りたい。」東京の飲食店の申し出がきっかけとなり、缶詰の掘り起こしが始まった木の屋石巻水産。予想以上の注文が継続的に入るようになり、4月の初旬からは動ける社員が総出で作業に当たった。小さなスコップでヘドロを慎重にかき分け、缶詰を一つ一つ掘り起こす。粘りつく重油まみれの泥を洗い流し、ブラシで磨き上げ箱に詰めていく。土曜日や祝日にも休みなく、カシャカシャと缶を洗う音が周囲に響いていた。水道も電気も止まったままの石巻漁港一帯で、ここだけが人の気配に満ちていた。

「このハエ何とかなりませんかね。」缶洗いのボランティアにやって来た大学生が、顔のまわりを飛び回るハエを追い払おうと躍起になっている。椅子に座ると、あっという間に手の甲に大粒のハエが数匹とまった。年配の社員が「津波でやられた水産工場の倉庫から魚が流れ出て、あちこちで腐ってるんだよ」と教えてくれる。たえ難い腐臭と大量発生したハエのおかげで、弁当を食べるのも一苦労だ。

長靴姿の若い女性社員に「電気もつかない場所で、毎日大変だね」と尋ねると「会社が動き始めて、目の前に仕事がある。本当にしあわせですよ」と明るい声がかえってきた。家や車を流され、避難所に身を寄せる被災者の多くは、職場を失い収入の見通しも立たず不安な毎日を過ごしている。缶詰が眠る泥と瓦礫の山。ここは、木の屋の社員にとって希望の光なのだ。

6月中旬、木村副社長に復興の進捗を尋ねると、こんな答えがかえってきた。「”復興”と言う前に、まずこの街に人が残らなくては何も始まらない。今は毎月給料を払って社員40人の生活を立て直す事が先決。本来の復興とは、これから始まるんですよ」
(つづく)

※記事初出:『東北まぐ3号』(2011年10月配信)
2011年8月の配信開始以来、震災以降の東北に生きる人たちの生の声を、毎月11日にお届けしているオフィシャルメールマガジン『東北まぐ』。当連載『東北まぐCLASSIC』では、過去に配信された『東北まぐ』にて掲載された記事を、そのままご紹介します。そのため、記事の内容が現在の状況と異なっている場合がありますが、その旨ご了承下さい。

【復興石巻】老舗缶詰めメーカーの復興へのみちのり ~缶闘記 その1~東北まぐアーカイブ

復興へのみちのり ~缶闘記 その1~

被災した水産業者が次々と廃業を決める中、老舗缶詰めメーカーが果敢にも会社の再建にのり出した。かろうじて柱と壁の一部が残された倉庫で、残骸に埋もれた商品を掘り起こし、事業復活に希望をつなぐ人々がいる。ふたたび人の行き交う街を目指して、復興へあゆみ始めた被災地の街。木の屋石巻水産の挑戦を通して、その長いみちのりを追いかけてみる。
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3月11日、まっ黒い水の壁が押し寄せ、石巻の街を飲み込んだ。三陸金華山沖の豊かな漁場にめぐまれ、日本有数の水揚げ高を誇った石巻漁港は、またたく間に重油まみれの泥に覆い尽くされた。沿岸部にあった200社近い水産加工工場も全てのラインが停止した。

「電柱に捕まって津波の引き潮に耐えていたら、横を小学生ぐらいの男の子が流されていったんです。手を伸ばしたが届かなくて・・・」「雪がちらつく神社の境内でブルーシートをかぶって一晩過ごし、ようやく避難所にたどり着いたら食べるものがなかった。逃げる時にとっさにポケットに入れた缶詰があったから、皆でわけて食べました」被災直後の壮絶な状況を、木の屋石巻水産の社員は、静かに語ってくれた。

4、5日経って水が引き始めた為、社員の木村さんが工場を見に行くと「どこが入り口かもわからない状態」で愕然としたという。この頃になると、一部の社員が工場にあつまって、お互いの安否を確かめ合うようになっていた。水や食料の確保など生きのびる為の情報交換が主な話題で、会社再建の話が出てくるような状況ではなかったという。 しかしこのあと、東京から支援物資を運んで来たドライバーが転機をもたらす。彼の一言を受け、木の屋石巻水産は復活へと大きく舵をきりなおす。

つづく(1/3回)

※記事初出:『東北まぐ1号』(2011年8月配信)
2011年8月の配信開始以来、震災以降の東北に生きる人たちの生の声を、毎月11日にお届けしているオフィシャルメールマガジン『東北まぐ』。当連載『東北まぐCLASSIC』では、過去に配信された『東北まぐ』にて掲載された記事を、そのままご紹介します。そのため、記事の内容が現在の状況と異なっている場合がありますが、その旨ご了承下さい。

【復興への道のり】岩手・石巻水産の挑戦 ~缶闘記 その2~東北まぐアーカイブ

復興へのみちのり ~缶闘記 その2~

被災した水産業者が次々と廃業を決める中、老舗缶詰めメーカーが果敢にも会社の再建にのり出した。ふたたび人の行き交う街を目指して、復興へあゆみ始めた被災地の街。木の屋石巻水産の挑戦を通して、その長いみちのりを追いかけてみる。(前回はこちら

3月下旬。東京世田谷区の経堂に、石巻へ向かう支援物資を満載した2台の車が並んでいた。運転手は、木の屋石巻水産の松友さんと鈴木さん。この時、顧客である飲食店オーナーが「残っている缶詰めがあったら、東京に持ち帰って欲しい。うちで売るから」と2人に声をかけた。「泥をかぶってるので」と言いよどむと「洗えば何とかなるよ」という力強い声が返ってきた。

津波にのまれた倉庫は瓦礫に埋もれ、まともな状態の商品などひとつも残っていない。半信半疑のまま、2人は救援物資を運んだ帰りの荷台に掘り起した缶詰めを載せて、東京に戻って来た。飲食店オーナーの呼びかけで経堂の有志の飲食店が中心となり、持ち帰った缶詰を洗浄し販売してくれた。反応は好評で、まとめ買いするお客さんも多数。「私もお役に立ちたいわ」と、缶洗いに加わってくれる人も現れ、5日間で600缶が完売となった。

この結果を聞いた石巻の社員の間に、驚きの声とともに希望の火が灯った。「お客さんが待っている」、「残った缶詰めを現金化できれば、次につながるのでは」。この瞬間、それまでの”無理かもしれない”というあきらめムードは一気に吹き飛んだ。
つづく(2/3回)

木の屋石巻水産

※記事初出:『東北まぐ1号』(2011年8月配信)
 2011年8月の配信開始以来、震災以降の東北に生きる人たちの生の声を、毎月11日にお届けしているオフィシャルメールマガジン『東北まぐ』。当連載『東北まぐCLASSIC』では、過去に配信された『東北まぐ』にて掲載された記事を、そのままご紹介します。そのため、記事の内容が現在の状況と異なっている場合がありますが、その旨ご了承下さい。