【書評】3億円事件の「真犯人」が語る、トンデモすぎた犯行動機

1975年に東京都府中市で起きた3億円事件といえば、日本の犯罪史に名を残す劇場型犯罪としてあまりにも有名です。そんな特殊な事件を題材にした作品は、フィクション、ノンフィクション問わず数多ありますが、ついにその「実行犯」を名乗る男が手記を刊行しました。その手口、そして犯行動機とは?無料メルマガ『クリエイターへ【日刊デジタルクリエイターズ】』の編集長・柴田忠男さんがレビューしています。

偏屈BOOK案内:『府中三億円事件を計画・実行したのは私です。』

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府中三億円事件を計画・実行したのは私です。
白田 著/ポプラ社

帯1にこうある。「欲しかったのは金じゃない。/──この事件は、私の青春そのものなのです」。/12万部突破!(赤地白抜きデカ文字)/「小説投稿サイト『小説化になろう』日刊・週刊・月刊ヒューマンドラマ(文芸)ランキング(2018年12月)←小さく読みにくい/第1位(デカ文字)/少年ジャンプ+にてコミカライズ決定!……とにかく「12万部突破した」「第1位の本」らしい。

帯2にこうある。「1968年12月10日、東京都府中市で起きた未解決事件。あの日何があったのか──。「この場を借りて、ひとつの告白をさせていただきます。──府中三億円事件を計画・実行したのは私です。今なお語り継がれる未解決事件、完全犯罪として成立している事件の全貌を、みなさんにお話いたします。」「事件から50年目を迎える節目の今年、ネットに投稿された超話題作、緊急発売!!」。一時期、書店のベストセラー棚に確かにこの本はあった。

イントロを立ち読みして、こりゃダメだと思った。図書館から回ってくるのを楽しみに待った。果たして、この本文スカスカ組み、白地の面積の大きな書籍の正体は?30分もかからず読み終えた。いやはやヘタな文章で、一応奥付を確かめたら、一番最後に小さな字で「この作品はフィクションです。」

フィクションだからヘタでいい、ってわけないだろ(怒)。商品レベルに達しない素人の作文で、あの天晴れな犯罪(とわたしは評価する)の真実が書かれているかのような売り方をするのは、穏やかな言い方をすれば「いかがなものか」、普通の言い方をすれば「トンデモをホンモノに装った詐欺」である。

いや、文章が超絶にうまいなら騙されても楽しいが、書籍という商品にするにはヘタ過ぎる文章な上、実はウソでしたと一番見えないところに記す姑息さが気に入らない。著者はどういう人物か。本文によれば(架空の物語の記述によれば)、「息子夫婦と暮らす一人の老人でございます孫にも恵まれ人並みではありますが慎ましい幸せを享受しております」という「設定」である。

日本の「部活問題」解決のヒントがある、アメリカの部活事情

入学したら部活をどうするか。日本の中高生にとっては、その後の学校生活を左右しかねない重大事かもしれません。けれど、アメリカの学校の部活事情は日本とはずいぶん違うようです。『メルマガ「ニューヨークの遊び方」』の著者、りばてぃさんによれば、季節によって部活を変えるのが当たり前で、そのための仕組みがしっかりできているそうです。アメリカのこの制度、日本で起きているさまざまな部活問題の解決のヒントがあるかもしれません。

シーズンごとに変わるアメリカの部活動

3月に入り、学生の皆さんはそろそろ冬休み。お子さんを持つ方はお子さんの勉強や進路を考える時期でもあるかもしれない。ふと、3人の子どもを持つ友人が「学校のお迎えが大変なの」との会話の中で、アメリカの部活動が随分と日本の部活動と仕組みが違うことを知った。

例えば、中高生の場合、日本では学校の授業とは別に興味があれば部活動に入る。得意なスポーツがあればその部活に入るし、音楽が好きであれば吹奏楽部に入ったり、新聞部などの文化系の部活に入る人もいるなど、学校によるが様々な部活動があり、たいがい入学後すぐにどの部活に入るかを決めて、何か理由がない限り3年間その部活を続ける。

でもアメリカの中高生の部活はだいぶ違うのだそうだ。シーズンごとに部活を選べるため、春は野球、夏はサッカー、冬は演劇や音楽系など複数の部活に入るのである。もちろん、プロ選手を目指すなどの場合は特にそのスポーツを多くすることもあるが、たいがいは1つに絞らず複数体験させる仕組みで、カリキュラムも複数の部活を体験できるように作られているという。

他の友人や近所のお子さんを持つ人に聞いてみたら、やはり同じ仕組みだった。また、留学情報サイトがまとめていたので以下ご参考まで。

ご参考:
日本とアメリカ学校の違い~部活~

得意か不得意か関係なく様々なものを経験できる仕組みは良いように思うし、自分の得意分野を見極められないという人は、いろいろ試すことができるし、多感な時期は人間関係で悩むこともあるため、より多くの人との触れ合いは緩和となるだろう。

また、教育現場の人不足や教員の長時間労働問題も部活がシーズンによって変わるほうが、一般人のコーチも雇いやすいかもしれないと思った。

image by: Eugene Onischenko, shutterstock.com

素読を詰め込み教育と批判する人が声を出して読むべき研究者の言

文章をそのまま読ませる「素読」については、スローガンを盲目的に覚えこませる刷り込み手法のようなイメージを持たれがちですが、本当にそうなのでしょうか。今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、中村学園大学教授で歴史学者でもあり、日本の教育再生に取り組む占部賢志さんが、本来の「素読」を紹介するとともに、それは現代の教育にも必要な学びの方法だと説いています。

「素読」はあくまで学習の第一ステップ

昔ながらの学習法「素読」。しかし、その素読が当時どのように行われていたのかについては、ほとんど知られていないようです。連載「日本の教育を取り戻す」では、素読の基礎知識がばっちり学べます。

「日本の教育を取り戻す」 占部賢志(中村学園大学教授)

教師A 「今回は『素読という昔ながらの学習法についてお話を伺います。まずは素読の基礎知識をお願いします」

占部 「では素読に関しての誤解や偏見を糺しておきましょう。まず学習形態ですが、素読と言えば、師匠の声に合わせて、子供たちが一斉に唱和する場面を想像しがちですが、そういう指導は実際には行われていないようです」

教師B 「そうですか。ドラマではそんな光景を見ることがありますが、あれは創作ですか」

占部 「そのようですね。辻本雅史氏の労作『「学び」の復権─模倣と習熟』によれば、江戸時代の教育は原則的に個別指導なのです素読も同様です」

教師B 「具体的にはどのように指導するのですか」

占部 「例えば、『論語』を素読するとすれば、師匠は机を挟んで子供と向かい合い、『字突き棒(30センチ程度の棒)』で文章を指しながら音読する同じように子供は後に続く。これを「付け読み」と言います。この付け読みが素読における最初の課程とされていて、これを師匠の手助けなしで読めるようになるまで繰り返す」

教師A 「素読が出来るようになったら、その先はどうなっていたんでしょうか」

占部 「四書五経の素読が一通り終了したら、次のステップは、『講読』→『会読』の順に進むことになります。『講読』は『講釈』とも言い、教師の指導のもとで章句の意味を理解していく学習です。集成館では素読科から講釈科に行くには、年4回の試験、2年に1回の試験に合格する必要があったと言います。『会読』は数人から10人程度のグループでテキストを前に討議を深めながら探究する形態です。大学のゼミナールみたいなものですね。今般の新学習指導要領の目玉『主体的対話的で深い学びの具体的な学びの姿がここにあると言っていいと思います」

だから成功しない。出来ない理由を自分以外のせいにするダメ人間

ビジネスシーンのみならず、あらゆるところで求められる問題解決能力。そのカギは、物事をいかに「自分事」として捉えられるかにあります。今回の無料メルマガ『サラリーマンで年収1000万円を目指せ。』では著者の佐藤しょ~おんさんが、人生で何事かを成し遂げたいのなら、問題の原因を外部に求めずに、自ら全力でぶつかるべしと説いています。

外部に理由を求めない

仕事に限らず、人生が好転しない人というのは、困難や障害や出来ない事の理由を外部に求める傾向が多いんですね。

  • なんで出来てないの?
  • やらなきゃダメだよね?
  • 頑張るって言ってたじゃん

と指摘すると、

 ■ ○○の理由があるので難しい出来ないんです

って言うわけですよ。

その理由の部分を解決してやり遂げるのがあんたの仕事なの。

それは難しいのです(出来ないのです)、と宣言することがあなたの仕事ではないはずなんですよ。出来るかどうかを調査してくれ、という仕事でない限りね。

ところが本人的には、出来ない理由が見つかったんだからもうここから先は自分の仕事ではない、「だって○○なんだもん」と言い続けたら許してもらえる、認めてもらえる、やった事にしてもらえる、もしかしたら良く見つけたと褒めてもらえると思っているんですね。

ちなみにこれ、我が家の甥っ子もそっくりです。

何をやっても、最初の目論見通り上手く行くことなんてほとんどないどころが、おカネになる、自分の利益になる、評価される、感動するようなことって、ほとんど必ず、

 ● ウワ!全然話が違うじゃんどうやってやれって言うわけ?

ってくらい想定外の連続困難の連続失敗の連続なんですよ。当たり前ですよね。

こんなことは、成功した人の自伝とか評伝にはほぼ確実に書かれている事であって、今さら言われなくても分かってるよという人が大半だと思います。

では、それが分かった上で、その困難な状況を乗り越えたことがありますか?と訊かれたら、10人中8人は頭を掻くんじゃありませんかね。これこそが切ない現実なんですよね。

でも、だからこそ、これだけは早い段階でクリアしておくべきだと思いますよ。

こんなところで言い訳ばかり考えて逃げ回っていてもオトクなことなんて全くありませんから。

【動画】大規模な洞窟を住宅に作り替えたらこんな神秘的な家に!

大自然が作り上げた神秘的な美の産物である鍾乳洞や洞窟。

今回ご紹介するのは、大規模な洞窟をなんと住宅に作り替え、その内部を紹介した動画だ。

早速観てみよう!

 

 

異世界感漂う雰囲気を醸し出すこの洞窟住宅は、なんと5572平方フィート(約518平方メートル)もの広さ!

ベッドルームとバスルームがそれぞれ4部屋、地熱を利用して湿気を取り除く設備もあり、お値段は275万ドルなのだそう。

そして家の裏には何マイルも続くトンネルがあって、いつでも洞窟探検が楽しむことができる。

いまだかつて見た事のないこんな不思議な家に住んだら、毎日が刺激的で現実世界から遠のいてしまいそう!

(※↓詳しくはコチラへ)
参照・画像出典:YouTube(Zillow)
(本記事は上記の報道や情報を参考に執筆しています)

 

記事提供ViRATES

たった5分。薄着の季節の前に理想のクビレを手に入れる7つの習慣

ちょっとしたエクササイズを毎日「寝る前の5分間」に続けるだけで、理想的なクビレを手に入れられるかもしれません。今回の無料メルマガ『美容と健康ひとくちメモ』では、クビレ作りの習慣とするのに最適な、簡単に出来る7項目のメソッドを紹介しています。

こっそりクビレ作り

あなたはいつでも脱げますか?周りの皆が厚着をしているこの時期に、こっそりクビレ作りをスタート。

クビレは欲しいけど、ツラ過ぎるやり方だとストレスが溜まって長続きせず、簡単な方法は意外とたくさんあっても、それを続けるのが簡単ではない。でも、続けないと効果は出ませんので、毎日する行動とセットにして習慣にしちゃいましょう。

寝ない日はほとんどないと思いますので、寝る前のたった5分間だけで効果がある7項目をご紹介。この中から自分に合いそうなものを1つだけでも良いので行ってから眠るようにしましょう。

無理せずにコツコツと継続していると、身体を動かす気持ち良さを味わえるようになり、気持ち良さを味わいながら続けているうちにクビレができるだけでなく、就寝前に適度に身体を動かすことでコリがほぐれて1日の疲れが取れ、心も落ち着きグッスリ眠れるようにもなりますよ。

1.高いところに手を伸ばす

身体は日々重力に押しつぶされて、何もしなければどんどん縮こまるので、天井に指を届かせるようなつもりで高いところに手を伸ばす。

その時、お腹周りも細長く伸びるので、お腹の奥に力が入っている状態で、クビレを作り出してくれる筋肉が活性化して、日々、細長く伸ばす動きを続けていたら、細長いキレイな筋肉が付いて身体が変わるのが分かるそう。

2.身体を横に折り曲げる

普段の生活ではなかなか身体を横に折り曲げることがないので、脇腹で物を挟み込むようにする。立ったままでも、四つんばいになってするのもお勧め。普段動かしているところには余計な脂肪が付きにくいので、毎日ちょっとずつコツコツと。

3.ねじる

椅子に座ったりベッドに横になったりして捻る。捻る動きで腹筋や背筋のしなやかな強さを養うことができ、腰周りの疲れも取れ、腸や内臓なども刺激されてお腹の働きも良くなり、腰周りがホッソリとしてくるそう。

4.脚の付け根を鍛える

クビレを作るのに大事なのは骨盤から脚の付け根の筋肉で、腿上げのように、背筋を伸ばしたまま膝を胸に近付ける、腿上げを片脚10回ずつやると短時間でお腹周りに効果が。

福生病院「透析中止報道」に違和感。現役医師が抱いた10の疑問

日本中に大きな衝撃を与えた、東京・福生市の公立福生病院「人工透析中止」による40代女性死亡の報道。ネット上でも賛否両論を巻き起こしていますが、この一連の報道について多くの疑問を抱いたと語るのは、メルマガ『長尾和宏の「痛くない死に方」』発行者で、これまで2000人以上の最期を看取った現役医師にして日本尊厳死協会副理事でもある長尾和宏先生。病院側を責める報道が多いなか、長尾先生は「10の疑問」を挙げる形で、福生病院の対応について、そして「医療業界のタブー」についても持論を展開しています。

福生病院「透析中止報道」への10の疑問――「痛い透析医」

3月7日に第一報の出た公立福生病院(東京都福生市)の、人工透析治療中止に関する一連の報道を読みながら、私の中でいくつか疑問が膨らんできた。 

  • 医者から「中止」を勧めたのか? 患者の意向を受けて同意したのか?
  • 亡くなるまでに、本人・家族と医師の間でどんな話し合いがあったのか?
  • そもそも福生病院の医者は悪くない……

この原稿を書いているのは3月14日である。この1週間、毎日のように各紙、テレビ各局のワイドショーでもこの問題を取り上げている。

それを受けて、Twitterでも、多くの人が反応を示しているが、特に市民が大きな反応を示していたのはこの記事だったように思う。

「透析中止の女性、死の前日に『撤回したいな』 SOSか、夫にスマホでメールも」

この見出しが躍った記事を、死の前日に透析を再開しなかったから医師が患者を死なせた悪い医者だ、恐ろしい病院だ……と受け止めた人も少なくはないだろう。

また、3月10日の毎日新聞の記事によれば、毎日新聞の取材に対して福生病院の松山健院長(当時・副院長)はこのようにコメントをしている。

(松山院長)「いろいろな選択肢を(女性に)与え、本人が(透析治療の中止を)選んだうえで意思を複数回確認しており、適正な医療だ」

このコメントを受けて、透析中止という選択肢を(無論、それは死に直結するという説明とともに)患者に提示することは、「医師の仕事ではない」「酷である」と論じている人も何人かいるようだが、果たして本当にそうだろうか?

「本人に選択肢を与えない」医療を未だ支持している識者がいることに、むしろ驚く。

各新聞をはじめ多くのメディアは、この何十年も医療パターナリズム(患者の最善の利益の決定の権利と責任は医師側にあって、 医師は専門的判断を行なうべきで患者側には決定権がない、という旧態依然とした考え方。医療父権主義ともいう)を多くの事例を取り上げて批判してきたはずであり、なぜ平成が終わろうとしている今、「患者に選択肢を与えるな」という考え方が復活しようとしているのか、不思議にさえ感じた。

しかし、この院長の考えが倫理的に正しいのか、間違っているのかは置いておいて、患者さんのご家族(今回は死亡した女性の夫)に大きな後悔が残っているのは、記事を読む限り事実であり、ここを無視するわけにはいかない。

私は、2年ほど前に『痛い在宅医』という本を出した。

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長尾和宏・著『痛い在宅医』(ブックマン社)

私の本を読んだある女性が、末期がんの父親の在宅看取りを選択したのだが、まったくうまくいかなくて、最期に父親を苦しませてしまった。長尾の本さえ読まなかったら、在宅看取りという選択肢さえ知らずに、こんなことにならずに済んだのに、どうしてくれるのだ! という手紙を頂いたのがきっかけで、この女性と対話をまとめたものである。

医療者が絶対的に悪いわけではない。家族もしっかりと患者本人を支え見守った。しかし大切な人を見送った経緯に対し、家族は強く後悔し、医療者に怒りをぶつけることは、ままある――「なぜこんなことになったの?」と。

日本語の「痛い」、には実にいろいろなニュアンスがある。

一生懸命やっているはずなのに、空回りをしてしまう人のことも「痛い」と表現することもある。

この福生病院の透析医は、悪くはないけれども、「痛い透析医」だったのかもしれない。なぜ痛いのか? というわけで、この1週間の報道を鑑みながら私の中に沸き上がった疑問を10個書きだしてみる。

1 医師が透析中止を「勧めた」のか?

「患者意思の尊重」は医療の大原則である。そして選択肢の提示は医師の義務である。透析医側から透析の中止を勧めることはないと思う。患者さんから「もうやめたい」と訴えられた時に話し合いの結果、「同意」に至ることはある。

しかし、選択肢の提示=勧めるではない

選択肢を提示するのはあくまでインフォームドコンセントの一環であろう。「勧めた」のと「同意した、患者の希望を尊重した」は意味が違う。

また「同意書」や「確認書」に患者さんが一旦サインをしても、決してそれがすべてではない。いつでも撤回できることが大原則だ。

人間の気持ちは揺れ動くものなので常に寄り添い続けることが医療の使命である。文書に署名しても気持ちが変わったら、その都度、対話を繰り返すものだ。松山院長は先のコメントで「複数回確認し」たと述べているが、その実情はどうだったのか。事務的ではなかったか? 誘導的ではなかったか? おざなりではなかったか? 松山院長は、その現場に立ち会ったうえで、このコメントを出しておられるのだろか? 

2 40代女性は、果たして本当に終末期(人生の最終段階)だったか?

報道によれば、この女性は、「シャントが使えなくなったら透析はやめようと思っていた」と、透析中止の意思確認書に署名している。(毎日新聞3月7日記事)シャントとは、透析治療のために腕に作る血管の分路のことだ。シャントが潰れたため、普段通っているクリニックの紹介状をもって、福生病院を女性が訪れたのは2018年8月9日のこと。そして亡くなったのは、8月16日である。

 福生病院は、このとき女性に二つの選択肢を提示している。

  1. 首周辺にカテーテルを入れて透析治療を続ける。
  2. 透析治療を中止する。

そして女性は、2.を選択したのだ。

同じく毎日新聞の3月7日の記事では、福生病院の外科医(名前は不明)の以下のようなコメントを掲載している。

(女性)本人の意思確認はできていて、(医療は)適正に行われた。(女性を含めて)透析をしている人は終末期」だ。治る可能性があるのに努力しないのは問題だが、治らないのが前提。本人が利害をきちんと理解しているなら(透析治療の中止は)医療の一環だ

まず基本的なこととして、「シャントが詰まった=終末期ではないし、この外科医が言っている「透析している人は終末期だ」という発言は、終末期医療に日々かかわっている私からすると、甚だ違和感がある。そんなわけがない。

透析患者さんの終末期とは、全身状態が極めて悪く死期が近い、医学的には多臓器不全と呼ばれる病態であろう。

だからこの40代女性の場合、シャントの閉塞とは関係なく本当に終末期であったかどうかを知りたい。

もし終末期と判断されたなら、患者さんの意思を尊重して家族と何度か話し合いの場を持ち、透析を中止することは何ら問題はない。

また、高度の認知症などでもはや意思疎通ができない高齢者においても家族や知人などの代理人の意思を尊重して非導入や中止となる場合はある。

患者さんは40代と若かったが、余病や全身状態はどうだったのか

もしまだ終末期ではなかったと検証されたなら、そこで初めて議論の対象となるのかもしれない。しかしそもそも「終末期」や「人生の最終段階」という言葉はあまりにも漠然としすぎている。

明確な基準が無い(作れない)ので最終的な判断は現場の医師と患者・家族との話し合いに任されている。倫理委員会で話し合う病院もあるが、患者抜きで第三者が決めていいものか。そもそも忙しい医療現場で非導入や中止の度に開く必要があるのか疑問だ。

在宅で看取るケースもあるが在宅現場には倫理委員会などない。在宅では非導入や中止の希望が出ればケアマネがケア会議に多職種を招集する。ご自宅で本人と家族の意向に耳を傾け医師を含む多職種で複数回、話し合ってから決めている。うつ病などによる自殺願望(希死念慮)ではないことを何度も確認する。

直接関わっている多職種との対話で決めるほうが倫理委員会よりよいと思う。非導入ないし中止による最期は、自然死平穏死尊厳死と呼ばれる。

その多くは穏やかな最期である。

病院においても同様にみんなで話し合うことが大切で、倫理委員会は必須ではない。もしそんな時間とエネルギーがあるならば患者さんとの対話に費やすべきだ。

またそもそも「透析しなければ死に至る状態」であること自体が終末期だ、と考える人もいるようだ。またそもそも人工透析は延命治療である。そして年齢に関わらずいくつもの病気が重なりあうと、たとえ40代であっても、あるいは10代であっても終末期と判断される場合がある。

「Xperia1」でソニーのスマホは復権?人気コンサルに聞いてみた

読者からのさまざまな質問に回答してくれる、メルマガ『永江一石の「何でも質問&何でも回答」メルマガ』の著者で人気コンサルの永江一石さん。今回の質問は、「Xperia1で販売台数はV字回復するか?」。携帯電話関連の世界最大の展示会「MWC19 バルセロナ」で発表されたXperia1で、ソニーのスマホの復権はあるのでしょうか?

Xperia1の登場で販売台数はV字回復するか

Q.
先日、Xperia1の詳細が発表されました。Xperiaは初代XZが出て以降、新作といっても「他社と比べると周回遅れ」のイメージが付き纏っていましたが、今回は一味違うという印象を抱き、一目ぼれしてExpansysで予約注文しちゃいました。

さて、ここからが質問内容です。永江さんは今回発表されたXperia1やXperia10で、Xperia販売台数がV字回復すると思われますか?
Xperia販売不調の参照記事

私個人としては久々に所有欲を刺激する端末がきた!と感じているのですが、お値段も10万円オーバーは確実なので、国際市場でどう評価されるのか、気になるところです。

永江さんからの回答

結論から言いますとV字回復はしないと思いますね。何度か書いていますがスマホ市場は既に成熟しているので、生活が変わるような革新的な技術が出ない限り、今使っているスマホをわざわざ買い替えるニーズがないんです。

これは別にXperiaに限ったことじゃなくて、iPhoneもGalaxyも同様です。昔iPhoneがコロコロ買い替えられていたのは、バージョンが上がる度に通信処理速度が飛躍的に向上したり、便利な機能が入るなど性能がぐっと上がっていたからですよね。

一方で今メーカーが出してきている顔認証機能や折り畳み機能なんて、あってもなくてもどっちでも良いものばかりなので、買うのはごく一部の新しいもの好きのお金持ちだけですよね。みんな今のスマホで十分なんです。

iPhoneが初めて発売された時は外で仕事のメールが出来るようになったり、インターネットやアプリを使って様々なことができるようになって生活が大きく変化しました。そういった暮らしを変える画期的な機能が出ない限り、今後スマホが爆発的に売れることはないと思います。

image by: Bodnar Taras, shutterstock.com

「できません」とバッサリ言う店が、来客数を減らす当然の理由

お客様の要望にどうしても応えられず断らざるを得ない状況になった時、みなさんならどのような対応をするでしょうか。「対応次第でそのお店の今後が決まってしまうことがある」とするのは、無料メルマガ『販売力向上講座メールマガジン』の著者で接客販売コンサルタント&トレーナーの坂本りゅういちさん。今回は、坂本さんご自身がとあるお菓子屋さんで見た接客に苦言を呈し、「断る訓練をすべし」と記しています。

断り方はどうか

先日、近所のスーパーで、少し気になることがありました。スーパーといっても、パン屋さんやファストフード店なども入っているような複合型のお店なのですが、そこにあるお菓子屋さんでの話です。

そんな量がいる場合は事前に予約してもらわないと困るんですよね

販売員の方がこんなことを言っていました。どうやら、ご年配のお客様らしき方が、販売されているお菓子を多めに買いたかったようなのです。まぁ雰囲気的に、用意されているお菓子が足りず、今回は購入してもらうことはできず、次回からの事前予約を促そうという感じでした。

ただ、残念だったのは、その伝え方が、ものすごくトゲトゲしかったということです。実際、近くにいた私の耳にも聞こえてきたのですが、「そんな言い方をしなくても…」と感じてしまうような雰囲気で言われていました。

と言っても、実はこういうことは、結構多くのお店で起こっています。もしかすると読者の皆様もご経験があるかもしれませんが、何か頼んでみたりすると、「できませんね」「ありません」みたいに、バッサリ切り捨てられるかのような断り方をされるなんてことがあります。私もこれまで幾度となく経験してきました。

もちろん、断らざるを得ない状況というのは、よくわかります。店の中に無いものは無いですし、サービスとして、できないものはできません。ただ、断り方には細心の注意を払うこともまた店としては大事なことではないでしょうか。