リモート学習でつい忘れがちな「相手の小さな変化」に対する気配り

生きづらさを抱えた人たちにとって不可欠な支援の現場も、コロナ禍によって変化を余儀なくされています。その一つに急速に進むリモート化があり、要支援者への学びの場を提供する「みんなの大学校」を運営する引地達也さんも試行錯誤の真っ只中にいるようです。今回のメルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』では、リモート学習だからこそより大切にしなければならない「小さな変化」への気配りについて、船と飛行機、スピード・効率重視の中での「道端の花」などの喩えを用いて綴っています。

船と飛行機の違いと道端の花を考えるB型事業所

外資系の船舶会社で働く兄と久々に食事をし、コロナ禍にあって需要が落ちない船舶業界は古代社会から文明を支える仕事であることを教えられた。

あるところから、ないところにモノを運ぶ労力を地球の多くを覆う水と風を使って動かすことは、自然の力でもあるし、人間が生み出すスピードとしては、それは掌握可能な範囲内で、潜水艦は別として、甲板で風を感じながら、そこに立っていられるのはまだ人間が共存できるスピードなのだと解釈した。

飛行機となると自分たちが密閉されなければ空を飛ぶことはできないから、人間が耐えうるのは、熱気球やパラグライダーぐらいのもので、空には強い生き物ではない。この違いから考えてしまうのは、密閉することで、人間を超えた力やスピードを実現している日常は、それ自体無理があるという再認識を促しているように思えてくる。これも新型コロナウイルスで気づく、私たちの「当たり前」の異常なのかもしれない。

船のスピードとは言ったが、もはや光の速さで情報を伝達し、ズーム会議など瞬時に映像とともに今の自分を伝えられる便利さは、私たちの日常になった。この日常を甘受しながら、注意深く人とのつながりを大切にしようという意志が、より「意志的」に求められているのだと思う。

コロナ禍で始まったピアノコーラスデュオのサームとの「ツイキャス」でのライブ配信「ケアステージ・オン・ウエブ」は、最新の情報伝達手段を使いながら、それをミクロなつながりを重視できないかの試みで、3月末の配信で1年となった。

道具を使う自分たちが人とどのようにつながり、どのような関係性を持ち、その結果、自分自身と社会全体にどのような貢献(contribute)が出来るか、への挑戦である。まずは「つながり」を優先して始まった試みであるが、この「つながる」意志の有無が、現在のコロナ禍の社会の「つながり」を作っているのを感じている。その「つながり」にも効率化が優先されそうな勢いではあるが、それを船のスピードまで戻せないか、見落としたものに目を向けられないか、と心を配りたいと思う。

【書評】病院から老人が消えた日。『介護保険制度』が抱える日本の闇

2000年に導入された『介護保険制度』によって、日本の高齢者たちは大きく生活を変えることとなりました。今回の無料メルマガ『クリエイターへ【日刊デジタルクリエイターズ】』で編集長の柴田忠男さんが取り上げているのは、その介護社会の問題を提起している一冊。病院から老人がいなくなっていく理由を語っています。

偏屈BOOK案内:小嶋勝利『もはや老人はいらない! 長生きが喜ばれない介護社会の大問題』

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もはや老人はいらない! 長生きが喜ばれない介護社会の大問題

小嶋勝利 著/ビジネス社

「実は、コロナウイルス感染症は、世界中から生産性の低い高齢者を一掃しよう、という悪巧みがあるのではないか」というトンデモ話も聞こえてきた。

という著者は、老人ホーム運営コンサルティングの専門家。今回の新型コロナ騒動の高齢者に関することは、特段のトピックスではない、という。

一定の年齢、これを著者は平均寿命を超えた高齢者と捉えているが、この領域に入っている人は、いつ何が起きてもおかしくない。ヒトの死亡率は100%である。このあたり前を自分の日常として、簡単に受け入れられる人は多くない。

現在、電車の中吊り広告の風景から「介護」のキーワードがずいぶん少なくなったようだ。著者の予感では、今後、「安楽死」「尊厳死」「看取り」といったキーワードが大量に出てくるはずである。

医療は病気や怪我を治すためにある。介護は人の生活を支えるために存在する。曖昧だから、割り切れないことばかりである。そこをどうやって折り合いをつけていくのか、ここが一番重要なことなのだと筆者は力を込める。

いまの介護現場は、机上の空論である介護保険制度に振り回されている。医療現場と同じで、エビデンスと証拠記録が重要であり、それ以外の仕事は余計なことであるとし、報酬の対象にはならない。

いくら懸命に取り組んでも、単に介護職員が忙しくなるだけで、積極的にやろうという会社はない。著者は断言する。「これからの高齢者は『自分で口から栄養を摂れなくなった時点で人生は終了』となっていくはずである」、と。

著者の主張はシンプルだ。「要は、介護保険制度開始前の状況に戻せばよいだけなのだ」。

2000年以前は、介護保険制度はなかった。高齢者の大部分は、家族、そして病院が担っていた。自宅で生活がままならなくなった、要介護状態の高齢者に対し、治療の目的で病院に入院させ、死ぬまで病院で面倒を見る、ということが一般的だった。当時は「老人病院」と呼ばれていたような記憶もある。

ゆきぽよが携帯データ消去。芸能関係者が見た交友関係一掃の真相

ゆきぽよの愛称で親しまれるも、親しい友人の逮捕をきっかけにすっかりメディアで姿を見かけなくなった木村有希さん。次から次へと新人タレントが登場する芸能界への復帰は叶うものなのでしょうか。今回のメルマガ『井上公造の「とっておき芸能情報+LIVE」』では、芸能リポーターの島田薫さんが掴んでいるゆきぽよの近況を紹介するとともに、ギャルタレントというジャンルの行く末を考察しています。

 

島田薫の「エンタの花道」:どうなるゆきぽよ!?ギャルタレント枠の今後は…

今年1月に知人男性が自身の自宅で薬物を使用し、逮捕されたことが報じられてから、テレビでの露出が激減した“ゆきぽよ”こと木村有希。最近になってようやく、出演するライザップのCMが流れ始めた。

先月末に出席した同社のCM発表会では、涙をポロポロとこぼしながら謝罪。「このお仕事で恩返ししたい」「新しく生まれ変わったゆきぽよをよろしくお願いします」などと語り、再生のチャンスを訴えた。

ゆきぽよといえば、「かつての交際相手がみんな刑務所に行ってしまう」という話をネタに、そのやんちゃなキャラクターがウケて、バラエティー番組に引っ張りだこだった。

しかし、木下優樹菜のタピオカ騒動同様、ネタにしていた“やんちゃエピソード”を現実に見せられると、人は引いてしまうのかもしれない。実際に逮捕されたのはゆきぽよではないし、事件も2年前のことではあるのだが、それでもイメージ商売のタレントにとっては致命的な報道だったことに違いない。

ギャルタレント枠の2強

ゆきぽよと同じギャルタレント枠では、藤田ニコルやみちょぱが変わらず活躍している。

最近のニコルは、話題のドラマ『俺の家の話』へのゲスト出演をはじめ、仕事は順風満帆。テレビ、ラジオ、雑誌、歌、声優、女優、プロデュースと、これまでの夢は全てかなえた。彼女と仕事をした人によれば、意見ははっきり言うし、プロデューサー的視点もあるので、すでにギャル枠を超えているのではないかという見方だった。

一方、みちょぱはモデルとの熱愛報道を堂々と認め、自ら詳細を明かして好感度が上昇中。真剣交際する姿は好意的に受け止められた。4月からは「スッキリ」のレギュラーコメンテーターに決まるなど、公私ともに絶好調だ。

そんな2人の共通点は、頭の回転が速いことと自分に何を求められているかを理解しているところ。タレントとして重宝される重要なポイントだろう。

なぜ英語の教科書を音読してあげると子供の苦手意識は薄れるのか

一度ついてしまった苦手意識を克服するのは難しいものですが、「ショック療法」で薄めることは可能なようです。今回の無料メルマガ『親も子供も一緒に伸びていく』で著者の高久手はるかさんが紹介しているのは、前年度の教科書を用い子供の英語アレルギーを治してしまおうという方法。ご自身も実践しているという、効果抜群の勉強法です。

一種のショック療法ってやつです

「どんなことで、英語が難しいって感じるの?」

中2、中3になって、英語が苦手で塾に通い始めた子に聞くと、「とにかく覚えることが一杯すぎて無理!」なんて返事が返ってきます。確かに覚えることは沢山ありますものね。単語に文法、最初は小文字のbとdが逆だったりもします。

でも、1年経って小文字を間違う子はほぼいないはずです。そのことを「無理~」って言う子に伝えると、「それくらいはできるよ」って全員が答えてくれます(この時点で私は内心しめしめと思っています)。そこで、学校の英語教科書を持ってきてもらいます。

ここからが私の出番です。生徒さんが1年かけて学んだ教科書の本文を一気に音読します。早口言葉状態ではありますが、1冊5~7分で読み終わります。場合によっては、もらったばかりの今年分も同様に読み切ります。

1年分が5~7分です。生徒さんたちは「…」で、大抵びっくりしてくれます。この、びっくりが子供たちの脳に大事なんです。一種のショック療法です。

  • 自分たちが一年がかりの教科書は、ダッシュで読めば10分とかからない
    →果てしないと思ったことも、意外と大したことではないのかもしれない

最初から「うわ~大変だぁ」と思うのか、そうでないかは勉強する時の心理に影響します。短時間でできるものなのだと分かれば、宿題に出す音読も気持ちの負担が少なくなります。

英語に限らず、全体をみれば挫けそうなことも、小分けにすれば気持ちが軽くなります。試験前に問題集やワークブックを一気にやるのは厳しくても、毎日1ページずつなら部活があっても出来そうではないですか?

毎日の「ちょっと」は1学期、1年と続ければ、かなりの時間数になるはずです。

1日5分の音読を一年間続ければ、5×365=1,825分!30時間と25分!!30時間ですよ!1日5分の習慣がですよ!

1年後には前年の教科書を一気読みして「よっしゃーーーっ!」ってガッツポーズしてみませんか?

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買っても大丈夫か。1981年以前に建てられたマンション耐震性不足の深刻度

1978年に発生した宮城県沖地震による甚大な家屋倒壊被害を受け、1981年に改正された建築基準法ですが、思わぬところで影響を被る方も存在するようです。今回の無料メルマガ『まんしょんオタクのマンションこぼれ話』では著者の廣田信子さんが、改正以前に建てられたマンション住人からの相談を紹介。その内容は、改正後に造られた集合住宅に住む人間にとっても無縁と言えるものではありませんでした。

こんなに頑強に造られているのに耐震性不足なんて納得がいかない

こんにちは!廣田信子です。

旧耐震基準(1981年5月31日までの建築確認で適用された基準)で造られたマンションの理事長より、恨み節ともいえる相談(?)がありました。耐震診断をして耐震性が不足していると分かったら資産価値が下がる…という組合員を説得してようやく実施した耐震診断(簡易診断)の結果に愕然とした…と。

大手ゼネコンが、国の基準より大幅に安全性を見た基準で強固に造っているという触れ込みのマンションで、実際に、柱も梁もしっかり造られている。それなのに、耐震性不足がかなり不足しているという結果に納得がいかない。自分の中では、これだけしっかり造られているのだから、そんなに悪い結果は出ないだろうと思っていた…と。

耐震基準や耐震性確保の方法については、いろいろな変遷もあり、なかなか説明が難しいのです。私たちも何度か勉強会を実施してきました。記事に書いたこともあると思いそれを探して紹介しました。ちょうど4年前の記事で、3回に分けて書いています。

改めて読んで、手前味噌のようですが、専門的知識がない方に読んでもらえるように書いたので、分かりやすくかけているな…と思いましたので、興味がある方には、改めて読んで頂ければと思います。

「固く」「しなやかに」というから耐震性はわかりにくい
耐震診断の「納得がいかない」を一歩進めて
なんで新耐震基準なのに耐震スリットがないの?

建物は100年でももつといわれますが、その間、建物や設備に求められる基準はどんどん変わります。竣工の時は、最新の基準に沿ったものであるはずが、基準は変わります。

今、近くに建築中のマンションは、長期優良住宅の基準を大幅に超えた長寿命化基準を満たし、耐震性、地盤の液状化対策も万全で、しかもZEH(ゼッチ ※)で太陽光パネルで使用電力の多くを賄う仕組みです。

※ ZEH(ゼッチ)とは「ネット・ゼロ・エネルギー・ハウス」の略。ひと言で言えば「使うエネルギー≦創るエネルギー」になる住宅。脱炭素社会への重要戦略のひとつ。断熱、省エネ、創エネの3つを兼ね備えた住宅

また、在宅勤務に対応したインターネットの通信量が確保され、コワーキングスペースも充実しています。マンション内のシェアリングサービスも工夫されています。しかし…これだけ考慮されていたら万全かというと、決してそうではなく、きっと、また新しいニーズや基準が出てくるのでしょう。

最新だったはずの施設が経年と共に、逆に負担になることもあるでしょう。一時流行った託児施設やミニ店舗は、維持管理が大変で、今は、すっかり姿を消しましたから…。常に、住宅(マンション)に求められる基準もそこに暮らす人のニーズも変化しているのです。変化することを前提に、今のまま守っていくこと、変える必要があることを選別して対応していかなければなりません。

45年前のパンフレットにある「売り文句」が、今となっては通用しないことは、誰のせいでもないのです。

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韓国市民が文在寅に突きつけたNO。ソウル・釜山市長選で惨敗の与党

7日に投開票が行われた、ソウル・釜山市長選。野党の優勢が伝えられてはいましたが、蓋を開けてみれば与党の惨敗に終わりました。今回の無料メルマガ『キムチパワー』では韓国在住歴30年を超える日本人著者が、ダブル市長選の結果を詳しく伝えるとともに野党圧勝の理由を分析。その上で、2022年に行われる大統領選に関して「与党にとっては茨の道が待っている」との見解を記しています。

ソウルも釜山もともに「国民の力」勝利

それにしてもソウルの全ての区、釜山の全ての区で、民主党が勝った区がゼロというすさまじい結果となった。出口調査が4月7日夜8時半ごろからニュースに出始めると、国民の力の呉世勲(オ・セフン)候補は、それまでの緊張の連続に多少の安堵を感じながらもバカ喜びすることもなく、いや、むしろ謙遜の色をしみじみとたたえながら涙さえ浮かべつつ「皆さんに感謝します。でも結果の発表をしっかりと見届けてからコメントしたいと思います」と語っていた。あのときの呉世勲氏の表情は、筆者は初めて見るものだった。選挙前の二者討論などのテレビ出演の際には、相手を見下すような上から目線みたいなものさえ感じられ、「いやあ、この表情はマズイ」と筆者を心配させたものだった。しかしどうだ。当選が確実となった出口調査の報道のときの彼は、「勝って兜の緒を締めよ」以上に、自分を選んでくれた有権者の気持ちに対する謙虚さがありありと見て取れた。かなり「いい表情」をしていたのだ。テレビ用に作った表情ではなかった点がうれしい。あのような気持ちを(野党「国民の力」らが)来年の大統領選挙にまで持続してゆけるなら、大選勝利も、十分にありえるものと思われる。以下は、朝鮮日報を土台に、結果をお伝えしたい。

国民の力が7日に実施されたソウル・釜山市長補欠選挙でともに民主党に圧勝した。民主党は2016年の総選挙後、2017年の大統領選挙と2018年の地方選挙、2020年の総選挙まで4連勝を収めたが、今回の選挙で「政権審判論」が強く起こり惨敗した。民主党は2018年の地方選挙と2020年の総選挙の時、ソウル地域の得票率の合計で国民の力に10ポイント以上リードした。しかし、総選挙1年でソウル有権者の地形は野党陣営優勢に変わった。

4月8日午前1時5分基準のソウルでは、「国民の力」呉世勲(オ・セフン)ソウル市長候補(57.35%)が、民主党の朴映宣(パク・ヨンソン)候補(39.43%)に得票率で17.92ポイントリードした。釜山では「国民の力」朴亨ジュン(パク・ヒョンジュン)釜山市長候補(62.84%)が民主党の金栄春(キム・ヨンチュン)候補(34.23%)を制して当選。呉世勲候補と朴亨ジュン候補はソウル(25区)、釜山(16区)の41自治区すべてでリードした。

ソウル有権者の地形は、昨年の総選挙後1年ぶりに野党陣営優勢に変わった。昨年の総選挙の時、民主党はソウル地域の得票率で52.8%を記録し、「国民の力」の前身である未来統合党(41.4%)を11.4ポイントリードした。しかし、今回の選挙では呉候補が朴候補に17ポイント(8日1時5分基準)以上リードした。釜山では、昨年の総選挙で未来統合党が53.0%の得票率で民主党(43.9%)に勝ったのに続き、再び国民の力の優勢が確認された。

島田紳助「喜び組」次の告発者は誰?芋づる式で出てくる“枕営業”タレント、大手メディアが報じない禁断の実名

モデルのマリエ(33)が自身のインスタライブで「18歳の時、島田紳助さんから枕を誘われた」と告白してから数日経つが、その反響は大きくさまざまな情報が飛び交っている。そんな中、枕営業を強要された女性タレントは複数存在し、追随する告発者が出てくる見通しが強くなってきた。マリエの暴露をきっかけに芋づる式に“枕タレント”が増えていきそうだ。

島田紳助を囲った女性タレントたちの「喜び組」

暴力団関係者と黒い交際があったこと理由に、島田紳助氏が芸能界を引退したのは2011年。当時、島田氏は売れっ子司会者として数多くの番組を担当。しかも、いずれも高視聴率を獲得するなど、芸能界で絶大な権力を持っていた。

そんな島田氏が芸能界で絶好調だった頃、番組レギュラーを務めていたお抱えの女性タレントたちが複数いる。表では「ファミリー」と称されていたが、裏では島田紳助の「喜び組」と呼ばれていたという。

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芸能界の裏事情に詳しいライターは次のように語る。

「反社がらみで大手では報じにくいようですが、当時から名前が挙がっていたのは熊田曜子さん、ほしのあきさん、森泉さん、小林麻耶さんなどですね。彼女たちは紳助さんがMCを務めていた番組によく出演するなどしていました」

島田氏のお気に入りだとされる女性タレントは報じたメディアによって顔ぶれが少し異なる。

2011年9月7日のアサヒ芸能では、「紳助愛人7人」と題し、熊田曜子、ほしのあき、藤原紀香、小林麻耶、上原美優(故人)、吉田真由子(鑑定団)、青木直子(鑑定団グラドル)の名前が挙がっている。

また、同年9月8日付の東京スポーツには「喜び組疑惑7人の女」とされ、熊田曜子、ほしのあき、小林麻耶、伊東美咲、高橋みゆき(女子バレー)、大木優紀(テレビ朝日アナウンサー)が報じられた。

一方、同年9月6日の女性自身は「愛した女、泣いた女 31人の黒い閻魔帳」とのタイトルで31人もの女性タレントの名前を列挙。上記2つにも載っていた熊田曜子、ほしのあき、小林麻耶以外にも、木下優樹菜、里田まい、スザンヌ、南明奈、山口もえなど、「ヘキサゴンファミリー」を中心とした女性の名前が挙がっていた。

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島田紳助を怒らせ“芸能界を去った”女性たち

当時の島田氏に気に入られれば、芸能生活の安泰は約束されたも同然だった。生き残りをかけて繰り広げられる熾烈な争い。島田氏の“お誘い”に乗れば、レギュラー番組の座をゲットすることができた。

しかし、それは相反する意味も持っていた。島田氏に嫌われれば、芸能界で生きていくことは不可能になるのだ。

「たとえば、大のお気に入りだったほしのあきさんがそうです。愛人だったとも言われたほしのさんですが、2008年頃に“付き合いが悪い”として怒らせてしまったようです。それまで出演していた『クイズ!ヘキサゴン』にパタリと姿を見せなくなり、紳助さんとの共演はほぼなくなりました」(前出・芸能ライター)

かつて島田氏はバラエティ番組の中で、「ほしのあきはいつ呼び出しても来る」と発言していたこともあり、どうやら“都合の良い女”となっていたようだ。

「美人女優として大人気だった伊東美咲さんも紳助さんの愛人だったと言われています。しかし、紳助さんが暴力団員のW氏に送ったとされる携帯メールの中で、『伊東美咲はあばずれ』と書かれていました。同じメールの中で、女優の小沢真珠さんは『ランクがだいぶ下』とされていました」(前出・芸能ライター)

2008年までは数々のテレビドラマで主演を務めていた伊東美咲(43)だが、2009年以降はパタリとその姿を見かけなくなってしまった。その裏には、島田氏との関係悪化があったとされている。

その後、伊東は大手パチンコ機器メーカーの社長と結婚して芸能活動を休止するが、最近になってまた少しずつメディアに姿を見せるようになった。

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もしかしたら、島田氏がもう芸能界に復帰しないと確信したことで、芸能活動を再スタートさせようとしているのかもしれない。

辛坊治郎氏ついに出航!太平洋単独横断、出発直前の“失礼な質問”にも余裕の返答、再挑戦の意気込みと心境を語る

ニュースキャスター・ジャーナリストの辛坊治郎さんが9日午前9時、ヨットでの太平洋単独横断を目指して大阪・淡輪港から出航しました。2013年以来、2度目の挑戦となる辛坊さん、出航直前の午前8時頃から、まぐまぐ!Liveでファンとメディア関係者に向けて意気込みや心境を語りました。

辛坊治郎さんが太平洋単独横断を目指して出航

65回目の誕生日を迎える4月11日が出航予定とされていましたが、その日は日曜日ということもあり大混乱が予想されるため、天気も良い9日を選んだという辛坊さん。

意気込みを尋ねられると、「そのうちつくでしょう!ペースではない。食料は十分にありますから」と笑みを浮かべながら話しました。

提供写真②

辛坊さんは自身のメルマガ『辛坊治郎メールマガジン』の中で、船内に積み上げられた食品は、大塚製薬とマロニーからの提供品に加えて、ニッポン放送などの番組関係者の差し入れ、さらに自身で近所のスーパーで買った嗜好品など数百点に及ぶことを明かしています。

辛坊さんは「搭載品のリストを作ってカロリー計算をすると、おそらく一年くらい漂流しても餓死する心配はなさそうです。皆さん、私が北太平洋で行方をくらましても死んだとは限りませんよ。希望を捨てないでくださいね(笑)」と語りました。

辛坊さん_準備①

出発前日の夕食は「船を買ったときから付き合っているクルージング仲間に鳥を焼いてもらいました」と、船内でとったことを明かした辛坊さん。

というのも、辛坊さんは8日午後4時に停泊中のヨットの上で出国手続きをしましたが、その後はヨットの中から出ることができない決まりだといいます。実際の出航は9日午前9時でしたが、すでに辛坊さんの旅はスタートしていたんですね。

辛坊さん_準備②

65歳で挑む「男のロマン」

約2カ月にも及ぶヨットの旅へと出発した辛坊さん。さぞ緊張しているかと思いきや、その表情は終始笑顔。集まったメディアからのインタビューにも冗談で返答する余裕ぶりでした。

──思い残すことは?

「その質問は変でしょ(笑)」

──最後にひとことお願いします。

「最後っていうな!(笑) 多分帰ってくると思います」

また、日本を離れることについても、「全然気にしていない。自分のことでていっぱい」とし、「(2カ月間)やることがやまほどある」と語りました。

辛坊さん_出航②

なるべく大勢の人が集まらないようにと予定よりも出発日を早め、万全の体制で臨んだ辛坊さん。握手を求められると、「これで感染せんやろな?」と笑いながら心配していました。

当初はハーバーからは地元の花火師が花火を上げて、盛大に出航を祝う企画も提案されたといいますが、コロナ禍であることを考慮し、家族に見送られることもなく、静かな出発となりました。

まぐまぐ!Live中にはファンの方からもたくさんのコメントをいただきました。一部抜粋してご紹介させていただきます!

「ご無事で!ではまた!楽しんで来てください。のんびり待ってます」

「気をつけて行ってきてくださいね。応援しています!」

「良い船出です!」

「お気をつけて!心から応援しています!」

「実にアッサリ行ってしまった…」

2カ月間にも及ぶ、ヨットでの太平洋単独横断はどんな旅になるのでしょうか。辛坊さんのご健闘をお祈りします!

image by: 辛坊氏提供

時すでに遅し。進まぬワクチン接種と変異株の猛威に沈没する日本

ワクチン争奪戦に敗れた日本が、変異株の流行という新たな脅威に晒されようとしています。もはや打つ手はないのでしょうか。今回のメルマガ『国家権力&メディア一刀両断』では元全国紙社会部記者の新 恭さんが、ますます深刻化するコロナ禍の現状と、政府や自治体の鈍すぎる対応を批判。さらに海外主要3社のワクチンの仕組みを解説するとともに、それらの「変異株への効果についての疑問」を記しています。

変異ウイルスの流行で不透明さ増すワクチン接種の効能

新型コロナ禍はますます深刻な状況になってきた。遅々として進まぬワクチン接種をあざ笑うかのように変異株が急拡大しているからだ。

治験で確認されたワクチンの有効性は、あくまで従来株についてであって、変異株に対する臨床的な効能となると、必ずしも明確ではない。

一足早く緊急事態宣言を解除してしまった大阪府ではすでに第3波を上まわる新規感染者数を記録。3週間遅れで宣言解除となった東京都でも、やがて大阪の後を追い、第3波のピーク2,520人(1月7日)をこえるのではないかと心配されている。

知事会のなかから「もう第4波に入っている」という声が聞こえるのも、新型コロナ対策分科会の尾身茂会長が東京の今後を憂うのも、無理はない。

ところが、菅首相ときたら、「現時点で第4波といった全国的な大きなうねりとまではなっていない」(5日参院決算委員会)と、あいかわらず、世間の感覚とズレたままである。

コロナウイルスが変異しやすいのはわかりきったこと。だからワクチンに期待しすぎるのは禁物という意見がある。しかし、実現はまだまだ先と見られていたメッセンジャーRNA(mRNA)ワクチンの登場で、事情は少なからず変わった。

mRNAは、細胞のDNAからつくられ、タンパクの「設計図」の役割を果たすもの。新型コロナウイルスのmRNAを人間の体内に注入することで、ウイルスのタンパク質の一部が生まれると、異物に反応して人間に免疫ができるというのが、このワクチンの仕組みだ。

すでに承認され医療従事者から接種が始まっているワクチンは、まさにこのmRNAワクチンで、米ファイザー社製。5月に承認される見込みなのが、米モデルナ社のワクチン。これも、mRNAワクチンである。両社のワクチンは昨年11月、90%以上という驚異的な効果が報告されたあと、コロナ戦線のゲームチェンジャーとして世界中の期待を集めた。

だが、いかに画期的なワクチンであっても、相手は変異しやすいコロナウイルスだ。それは否応なしに「時間との闘い」を強いてくる。

ワクチン接種を活かすには、できるだけ迅速に国民に行き渡らせることが肝心なのだ。そうでないと、いつなんどき変異ウイルスが出現し、ワクチンの効能が薄れるかわからない。ただでさえ不確実な集団免疫の獲得が遠のいてしまう。

実際この国では、政府がモタモタしているうちに、ウイルスが変化し対応力をつけているようだ。こうなると、ワクチンも変異対応型が必要になるが、作っても作ってもウイルスが変異し、イタチごっこのようになる恐れもある。

こういう新局面にあたって、政府はどう考えているのか。「緊急事態宣言に至ることを防ぐため」と菅首相が言う「まん延防止等重点措置」が大阪、兵庫、宮城の3府県の計6市で始まったが、どうもピンとこない。

要するに飲食店への時短要請が午後9時から午後8時へとちょっぴり厳しくなっただけなのだ。変異株で様相が激変した新型コロナ禍に、どう対処するのか、全く見えない。

吉村大阪府知事はマスク会食をせよと、おふれを出し、見回り隊なるものを大阪市内に巡らせる。摘発が目的ではないと強調しても、えらく強圧的な感じは否めないし、だいいち不自由、不自然な食事の仕方が長続きするとは思えない。

色あせぬ日台の絆。日本から渡った「台湾水道の父」の輝ける功績

以前掲載の「台湾で最も尊敬される日本人。命がけで東洋一のダムを作った男がいた」でもお伝えしたとおり、日本統治下の台湾でその発展のため尽力した日本人は、今も現地で語り継がれる存在となっています。今回のメルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』で台湾出身の評論家・黄文雄さんが取り上げているのは、「台湾水道の父」と呼ばれる、東京帝大で教鞭を執っていた英国人とその日本人弟子のストーリー。黄さんは2人の輝かしい功績を詳しく紹介するとともに、戦前・戦中の歴史を肯定的に語ることがタブーとなっている日本の社会風潮を疑問視しています。

【関連】台湾で最も尊敬される日本人。命がけで東洋一のダムを作った男がいた

※本記事は有料メルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』2021年4月7日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。

プロフィール:黄文雄こう・ぶんゆう
1938年、台湾生まれ。1964年来日。早稲田大学商学部卒業、明治大学大学院修士課程修了。『中国の没落』(台湾・前衛出版社)が大反響を呼び、評論家活動へ。著書に17万部のベストセラーとなった『日本人はなぜ中国人、韓国人とこれほどまで違うのか』(徳間書店)など多数。

【日台】日本人が捨てた日本統治時代の記憶を掘り起こす台湾

台湾水道の父 英国人技師の胸像復元 玄孫が三味線の音色で思いはせる

3月30日、台湾台北市の台北ウォーターパーク(自来水園区)で、日本統治時代、台湾の水道建設に尽力したウィリアム・K・バルトンの胸像再建の除幕式が行われました。式典にはバルトンの玄孫で日本育ちの三味線奏者ケヴィン・メッツ氏が、東京からリモートで参加し、三味線演奏を披露したそうです。

バルトンについての説明は後述しますが、台湾総督府の招聘によって台湾に渡り、教え子の日本人技師、浜野弥四郎とともに、水道の近代化を成し遂げた人物です。日本政府は1919年、バルトンの功績をたたえて台北水道水源地(現・自来水園区)に胸像を設置しましたが、第2次世界大戦中に行方不明になっていました。

ちなみにこの自来水園区は、日本統治時代の1908年に「観音山貯水池」が建設され、台北市約20万人市民への飲料水を供給していた場所であり、バルトンにゆかりがある地なのです。

築111年になる日本統治時代の貯水池、5日から一般開放へ/台湾

胸像の復元はNPO日本下水文化研究会創設者の稲場紀久雄・大阪経済大名誉教授や日本下水道協会、台北自来水事業処の協力で行われました。

台北市政府が主催した式典には、水道専門家の李鴻源氏や日本の対台湾窓口機関、日本台湾交流協会の泉裕泰台北事務所代表(大使に相当)や英国在台弁事処のジョン・デニス代表らが出席。東京からは台北駐日経済文化代表処の謝長廷代表、東京都水道局の代表者などもリモートで参加したそうです。

ここで、台湾の水道史について、拙著『台湾は日本人がつくった』から引用しながらご説明しましょう。

日本統治以前の台湾は、「瘴癘(しょうれい)の島」と言われるほど風土病が蔓延していましたが、その原因のひとつが水問題でした。

清国の台湾領有当時、台湾海防同知・孫元衡はかつて「瘴気水山歌」をつくり、台湾の山水には瘴気が満ちあふれていると語っていました。1714年、康熙帝はヤソ会の伝教師マラ(Josde Malla 漢名・馮秉正)ら3人を台湾に派遣し、地図製作の測量を行いましたが、彼らが連れてきた屈強なボディガードは、台湾の水が「毒水」であることを信じようとせず、強壮な体力を過信し、地図測量中に沸騰させた飲用水が台南から現地へと届けられていたというのに、わざと泉水を飲用したために5日間で死亡してしまいました。

19世紀までの台湾は、「人至れば即病、病になれば即死」「十去、六死、三留、一回頭」(10人行っても6人が死に、3人が留まり、1人が戻る)という諺が残っているように、渡来人が住めない非常に厳しい環境でした。たとえば、中国大陸東南沿岸の住民が台湾に移住したのは、ほとんどがオランダ領有時代(1624~1661年)からですが、彼らが台湾へ渡ったあとの悲惨な状況は、次に挙げる「渡台悲歌」からも窺うことができます。

勧君切莫過台湾(君、台湾へ行くのはやめてくれないか)
台湾恰似鬼門関(台湾はまるで鬼門のようなところだ)
千個人去無人転(千人行っても帰ってくる人はいない)
知生知死都是難(彼らは今なお生きているのかどうかさえも分からない)
就是窖場也敢去(それが墓場だと知っていても敢えて行くのか)
台湾所在滅人山(台湾はまさしく人を滅ぼす山だ)

このような水事情のなか、台湾人にとっての生活史・生存史の最大の課題は、いかにして水の問題を処理して水資源を利用し、さらに水体系の循環を理解するかということでした。台湾史を知るには絶対に欠かせない視点のひとつでもあります。まさに台湾の近代化は、その「毒水」──水土問題の処理と「水循環」の利用から始まっていました。日本の領台当初も台湾の生活環境は相変わらずで、極端に悪劣にして不衛生でした。首府の台北を例にしても、上下水道はまったくありませんでした。

井出季和太の『南進台湾史攷』には、当時の台湾についてこう書き記されています。

台北市街の如きは、家屋の周囲又は庭内には不潔な汚水が流出し、または各処に潴留した沼があり、或いは人民犬豚と雑居し、或いは往々共同便所の設備あれど、至る所に糞便を排散し、独り市中に日本人の鑿井に係わると云う噴水には、鉄管を以て飲用水を供するも、その桶器は極めて不潔で……。

当時の台南についても、

又台南府に在っても雑多の廃棄物は勿論、糞尿は各所に排散、堆積し、街の両側に在る排水溝は汚水を渋滞し、其の派生する悪臭と相和し、鼻を衝き城外より頓にわかに城内に至るときに臭管刺激され、殆ど嘔心を催す。

と記しています。これが、当時の台湾二大都市の衛生状況でした。