屁理屈の中国。米にウイグル人弾圧を非難する資格なしとする根拠

12月3日、中国当局のウイグル人弾圧を「人権侵害」として制裁できる法案を可決したトランプ政権。この事態に真っ向から反論できない中国は、19世紀の米国の植民地政策を槍玉に挙げ反撃を開始しました。今回の無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』では国際関係ジャーナリストの北野幸伯さんが、中国の反撃内容を「民族弾圧正当化の理由にはならない」と切り捨て、人権批判高まる中国トップの国賓訪日の見直しを強く求めています。

中国、アメリカは最悪の大量虐殺国家と主張、その根拠は?

アメリカは、中国に対する情報戦を強化しています。その一つは、中国政府がウイグル人100万人を強制収容している問題。

追いつめられた中国は、反撃したい。しかし、アメリカは民主国家で、言論の自由がある。テレビをつければ、トランプの悪口を聞かない日はない。一方、中国では、公式の場で習近平を批判すれば捕まってしまう。要するに、中国には、アメリカを批判できるネタがない。そこで中国は、ユニークな反撃方法を考えました。

中国は、アメリカの「先住民大量虐殺」を非難

ニューズウィーク12月5日から。

米下院が12月3日、少数民族ウイグル族の人々を不当に拘束するなどしている中国を批判し、人権侵害に関わった当局者に対し制裁の発動を求める法案を可決した。中国政府はこれに反発し、アメリカが先住民を組織的に迫害した過去を槍玉に挙げ始めた。

なんと、「ウイグル人100万人強制収容」を批判された中国は、アメリカの先住民迫害で対抗しはじめた。中国外務省の華報道官は

法案を通した米議会を「無知」で「恥知らず」と非難し、アメリカにも先住民迫害の歴史があることを持ち出して、「偽善的」と決めつけた。「2世紀にわたるアメリカの歴史は、先住のインディアンの血と涙で汚されている。彼らのほうが先にこの大陸に住んでいたのに、19世紀以降アメリカは西漸運動を通じて、武力に物を言わせて先住のインディアンを排除し、虐殺して、広大な土地を占領し、膨大な自然資源を収奪してきた」「そればかりか、アメリカは先住民に同化政策を押し付け、彼らを殺し、排除し、追放して、市民権を認めなかった」と、華報道官は述べた。
(同上)

正直いうと、そのとおりだなと思います。私も、たとえばイギリスが、日本の植民地支配を批判するとき、「世界一広大な植民地をつくった国にいわれたくない」と思います。アメリカが戦中の日本を批判する時、「原爆を落として、史上最悪の民間人大量虐殺をしたあんたたちにいわれたく
ない」と思います。

とはいえ、「あんたたちは悪いことをしていただから、私がいま悪事をしていることについて批判するな!とはならないですね。たとえば、アメリカでは1860年代まで合法的奴隷が存在しました。だからといって、それを根拠に、ある国が現在奴隷を合法化したらダメでしょう。イギリスは広大な植民地を所有していた。それを根拠に、ある国が今、他国を植民地にしたらダメでしょう。

確かにアメリカは、先住民を大虐殺してできた国です。しかし、そのことは、中国が今現在、ウイグル人100万人を強制収容している事実を正当化する根拠にはなりえません

米中覇権戦争がはじまったので、中国のウイグル人弾圧は広く知られるようになってきました。

安倍総理は、国際世論の動きをよく見て、超人権侵害国家の長の国賓訪日を是非やめていただきたいと思います。天皇陛下と習近平が談笑する姿が世界に流されることで、「日本の天皇は、中国の人権侵害を容認しているのだな」と誤解されかねません。

安倍総理が習近平に会うのは構いませんが、失策によって天皇陛下と日本国の評判を下げることは、是非やめていただきたいと思います。

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現役アナが伝授。聞き手の数と距離を意識した体の動きと言葉選び

人前で話すあらゆるシーンに役立つプロの技を伝えてくれるメルマガ『話し方を磨く刺激的なひと言』の著者で、アナウンサー歴30年の熊谷章洋さんによる「話し方の表現力を上げる5つのアプローチ」シリーズ。今回からは、最後となる5番目のアプローチ「話す時の見た目の印象を演出する」です。まずは、聞き手の人数と距離を意識した体の動きや言葉の選び方について伝えます。

外見から、話す時の表現力をアップさせる方法

語彙を豊かにする方法の話は、前回の記事でひとまず終了しましたが、最後にお伝えした、和語と漢語の使い分けについて、ちょっと補足をしておきますね。

それは、和語と漢語を使い分けるとして、具体的に、どういう言い方が効果的なのか、というポイントです。和語の特徴は、柔らかい音の響きにありますが、意味を伝えるという点では、少しおおまかで曖昧になります。

その点、漢語の熟語は、漢字の組み合わせによって、ものごとのニュアンスを言い分けられるようにできていて、バリエーションも多彩です。

ですから、和語を多用しつつ、微妙な意味の違いもしっかり伝えたいときには、和語での表現を先に、そして後から漢語の熟語による説明を追加するような形にすると、いかにも語彙が豊富な言い回しにすることができます。

例えば、何かの感想を言うときに、「軽やかで心地よいですね。まさに、軽妙、という感じ…」のように、和語のほうを先に言って、和語の柔らかい印象を残したうえで、漢語の精密な表現を追加したり。

これが逆に、緻密な表現があった後に、和語の柔らかい響きを聞くと、ちょっと間抜けな印象を与えかねません。もちろん、場合にもよりますし、言い方次第で変わってきますが、和語と漢語の特性を生かすことを考えると、基本は、漢語の説明は後からのほうが、カッコいいと思います。

もっと和語を使うのが自分らしいという人は、漢語の説明に、もう一度、和語を付けるという手もあります。
「軽やかで心地よいですね。まさに、軽妙な、軽やかさ…」

文字で表すと、「軽」の文字が重なりますので、NGっぽいのですが、話し言葉の世界では、音が違えば、それほど違和感はありませんし、なにより、強調するためにあえてそれを追加しているわけですから、それはあえて文法を破ってみた、ということでもあります。

話し言葉は、音が流れ去ってしまったら、それっきりの世界です。音で聞かせて、相手にどう効果的に伝わるかが、ほぼ絶対的な命題ですから、意味の重複などには寛容であるべきだと思います。

思い込みやルールに縛られ過ぎず、表現の可能性を、各々のやり方で、追求していってください。では、今回からの本題に移りますね。

プロトレーナーに聞く、筋トレとロングライドでの疲労回復のコツ

日々トレーニングに励む人たちの疑問や悩みに答えてくれるメルマガ『届け!ボディメイクのプロ「桑原塾」からの熱きメッセージ』に今回届いたのは、50歳男性からの疲労回復に関する質問です。年齢のせいか、筋トレと自転車ロングライドによる疲労が抜けにくくなってきているという相談に、桑原弘樹塾長は、考えられる3つの原因それぞれの対策を伝授。さらに、万能の疲労回復手段である「睡眠」の質を向上させるコツも伝えます。

疲労回復のためのコツ

Question

shitumon

週に3~4回ジムで筋トレをしています。土日は趣味程度ですがロングライドの自転車をやっています。ただ、目指すべき一番の目的はバルクアップです。

年齢のせいもあるかと思いますが、疲れが取れなくて困っています。どちらかを控えがいいのか悩んでいますが、疲労回復のためのコツは何かありますでしょうか。(50歳、男性)

桑原塾長からの回答

疲労回復は現代人すべての人のテーマかもしれませんね。店頭やネットでも疲労回復を謳ったサプリメントや健康食品はごまんとありますよね。逆にありすぎて、疲労回復という言葉が当たり前になってしまって響かないくらいです。

疲労にも種類といいますかその原因が色々あるので、その原因をひとつひとつ解消していく必要があります。ただ、ほぼすべてに共通して効果があるのが睡眠なので、睡眠の質をあげるなどここにメスを入れることは効果的です。

まず1つ目ですが、ウエイトと自転車を掛け持ちということで、グリコーゲンが足りない状態が出来ている可能性があります。これは特に自転車による疲労なのですが、平日もウエイトトレを行うことで、もしかすると消費と供給のバランスが崩れているかもしれません。

解決策としては、ひたすらグリコーゲンリカバリーです。特に、自転車の後には糖質の補充を最優先してみてください。出来ればジムでの筋トレ後にもプロテイン+αでMDなどの糖質です。自転車の最中や筋トレ中にCCDを使うと、より効果的です。これは一番の目的でもあるバルクアップにも直結しますので、ぜひお勧めです。

2つ目は抗酸化です。筋トレでは減量中などを除けば、それほどの活性酸素は生まれてこないと思いますが、やはり、自転車では抗酸化をしていかないと疲労が蓄積します。活性酸素が少し厄介なのは、すぐに分からないという点です。

しかし、逆に一旦疲れのような症状が出てしまうと、今度はなかなか減っていってくれません。ランや自転車、あるいは水泳などの競技の人の疲労は活性酸素によるものである可能性が高いと思います。

まず、ベースはビタミンACE(βカロテン)となりますが、αリポ酸、アスタキサンチン、還元型COQ10といった素材を日常生活に取り入れることが抗酸化対策です。食事的には色の濃い緑黄色野菜を日常的に食べる癖をつけていくといいでしょう。

3つ目はクエン酸の利用です。これは主として乳酸対策ともいえます。乳酸は必ずしも疲労物質などではありませんので、根本的な疲労にはならないはずですが、それでも乳酸が溜まった状態は酸性に傾くことから疲労感を感じてしまいます。

トレーニングや練習後には、ゆったりと湯船に浸かるなどをして乳酸を取り除いてやるといいのですが、クエン酸を水分補給の際に摂取することでも除去効率はあがっていきます。筋トレの内容にもよりますが、自転車でも筋トレでも溜まる要素ですので、乳酸対策も効果的かもしれません。

失笑の極み。政府公表の関税撤廃率が朝日試算より約30%も低い訳

欧米を中心に肉を食べないベジタリアンや、卵も牛乳も避けるビーガンが増加傾向にあります。食に対する考え方や食べ方の多様性が広がる中、農業や畜産の在り方もまた、転換期を迎えているかもしれません。そんな中、朝日新聞が興味深い記事を11月29日の紙面で紹介しました。政府が公表した関税撤廃率に不審な点を見つけ、朝日新聞が独自に試算をしたというのです。果たしてどのような相違点を見つけたのでしょうか?ジャーナリストの内田誠さんが自身のメルマガ『uttiiの電子版ウォッチDELUXE』で、新聞各紙の報道内容とともにその詳細を分析・検証しています。

農業の将来、農業の未来について、様々な素材から考える(2019年11月29日の朝刊ウォッチ)

ラインナップ

◆1面トップの見出しから……。

《朝日》…「米の香港人権法成立」
《読売》…「NHKネット事業費縮小」
《毎日》…「米、香港人権法が成立」
《東京》…「気候サミット演説 首相断られる」

◆解説面の見出しから……。

《朝日》…「香港 米中の対立新局面」
《読売》…「2割負担 時期攻防」
《毎日》…「香港人権法 新たな火種」
《東京》…「議会の対中強硬に抗えず」

プロフィール

「はじめに」のところで「食肉」の話をしましたら、《読売》と《毎日》が「代替肉」「培養肉」についての大きな特集を載せていて吃驚。《朝日》は牛肉を含む米国との貿易協定に関わるスクープを展開、《東京》は国際面で、ヨーロッパで吹き荒れる農家による抗議(トラクターデモ)の記事を掲載していました。

きょうは、農業の将来、農業の未来について、様々な素材から考えます。

■政府の代わりに計算してみた■《朝日》
■肉食と地球環境問題■《読売》
■もはやジョークではない「培養肉」■《毎日》
■農家の言い分■《東京》

政府の代わりに計算してみた

【朝日】は1面左肩と7面経済面に、日米貿易協定に関する独自記事を掲載。見出しを以下に。

(1面)
農産品の関税撤廃率
政府公表「37%」
本紙試算「61%」
日米貿易協定

(7面)
揺らぐ 日米ウィンウィン
関税撤廃率「公表は恣意的」指摘

uttiiの眼

政府は「農林水産品の関税撤廃率TPPでは82%だったが、今回はそれより大幅に低い37%」と言っていて、45ポイントも抑制することで米国に対する譲歩は限定的だったと農家にアピールしていた。ところがこれは「品目ベース」の話。「金額ベース」は「作業が複雑なため出していない」としているので、「ならば」と《朝日》が試算の役目を買って出たということになる。調べてみたら、とんでもない数字が出てきた。政府は61%も関税を撤廃してしまっていた。日米協定で新たに無関税になるのは4,500億円分。今でも無関税の1兆700億円を合わせて、金額ベースの関税撤廃率は61%となった。では、《朝日》は何を使い、どのような計算をしたのか。これについては7面に詳細な説明がある。

《朝日》の計算方法は、農水省が作成したTPPと日米貿易協定それぞれについての農林水産物の「関税引き下げリスト」と、財務省の「貿易統計」、都合3種のデータを使っている。各協定のリストからは、元々無関税だった品目と新たに無関税になるものを抽出。各品目がどれだけ輸入実績があるかを「貿易統計」から抽出して足し、合計額を輸入額全体で割ったという。一定の数量のみ関税を撤廃する無関税輸入枠や無関税で輸入して国が一定額を上乗せするものを除き、牛・豚肉のように関税が引き下げられても撤廃されないものも除外。このルールは国が使っているものを踏襲した。

《朝日》実に見事という他はない。

統計は様々な場面で悪用されている。代表的なものは「食料自給率」だが、国の統計に対する疑念は、そもそもデータがウソというものを含め、実に多岐にわたっている。

今回、自動車関連の関税撤廃が実現しなかった場合、日本からの輸出品の関税撤廃は政府試算の1割強にしかならないことに加え、農林水産品の関税撤廃率が61%では具合が悪いと考えたのだろうか。統計の計算などはお手の物のはずの内閣府の官僚が、「複雑で計算していない」とはちゃんちゃらおかしい。金額ベースでも品目ベースでも計算して、その結果、品目ベースを選んだのではないのか。強い疑念が残る。

肉食と地球環境問題

【読売】は8面の国際経済面で、「代替肉」について紙面を大きく割いている。見出しは…。

(8面)
「代替肉」拡大 畜産業は防戦
食肉需要増を解決するか

uttiiの眼

《読売》が記事にしているのは「代替肉」。基本的には動物以外の原料を使って作られるものだが、そのなかに、動物から採取した細胞を培養して作る「培養肉」もカウントしていて、10年以内に市場に登場すると「予測」する向きもあるらしいことを伝えている。

どちらにせよ、肉の代用物が必要になってきている背景には、世界の人口増加がある。国連によれば、2019年に77億人の世界人口は、2050年には97億人となり、コンサルタント会社によれば、世界の食肉市場に占める動物由来の割合は2040年に40%まで下がり、代替肉が主流になると予測されているという。

代替肉は既に企業化されていて、米国のその名もビヨンド・ミート社の製品は、マクドナルドやケンタッキーチキンも期間限定で売り出したり、試験販売を行ったりしたという。そして、代替肉の最先端、「培養肉」のベンチャーには巨大穀物商社、米カーギルが投資している。

代替肉の割合が高くなるには理由があり、その1つは地球温暖化問題だという。家畜のフンやゲップから出るメタンガスは温暖化ガスの1つとされる。肉だけでなく、牛乳も忌避されていて、大豆やアーモンド、ココナツなどが原料のミルクが売れ、やがて食肉についても代替肉が好まれるようになるかもしれないという。メーカーは、ベジタリアンだけでなく、たまに肉食もする「フレキシタリアン」もターゲットに、売り込みを図っている。

当然だが、畜産業界とは戦争のようになっている。「フェイクミートが増え、消費者の誤解は拡がる一方だ」との批判から、動物由来でない製品を「肉」と名付けることを禁止する州法ができるなど、食肉売場から代替肉を排除しようという動きが盛んなようだ。

後ろ姿で示す。大人が子供たちに希望を灯す「貴人」になるべき訳

子どもが成長する過程で、大人社会への幻滅を感じることはよくあることです。しかし当然のことながら、社会には尊敬できる人物も存在します。今回の無料メルマガ『いじめから子供を守ろう!ネットワーク』では同ネットで活動中の飯田剛さんが、「貴人」とも呼ぶべき大人との出会いによって目を開かれた自身の経験を綴るとともに、現代の大人にも、「尊敬される存在になるべし」と檄を飛ばしています。

貴人との出会い

時折、子供時代を振り返ることがあります。自分では至って普通の子供のつもりでしたが、実は大人から見れば、あまり可愛げのない存在だったようです。まあ三つ子の魂百までといいますから、昔も今も、ほとんど同じということでしょうか。小学校6年の時には、担任の先生から、こう言われました。「お前には、子供らしさがない」。

そんなこと言われたって困ります。心の中で「子供なんだから仕方ないだろう」なんて思いながら、上の空で小言をやり過ごしてました。自分では分かりませんが、目障りだったんでしょうね。先生の言動を鼻で笑っていたり、ひねこびた発言を連発していたのだと思います。

兄が障がいを持っていましたので、普通の子供よりも余分に世の中が観察できたのかもしれません。もっとも、嫌な面ばかりを見ていたと言えますが、いろいろな経験をさせてもらえたのは事実です。

そりゃあ、見ただけで兄は普通じゃありませんから、気になって見ちゃうのは仕方ありません。でも見世物じゃああるまいし、興味本位でジロジロ眺める人がいて、これには腹が立ちましたね。逆に、気づかないフリをして、兄の存在を無視してくれる人。これは感謝でした。そのころは一応「子供」でしたから、「見世物の視線はつらかったです。

哀れみの視線に、バカにする視線。そっと手を差し伸べてくれる人あり、また、迷惑がって邪険にする人あり。本当に人それぞれです。「子供ならまだ仕方ないけど、大人になっても、こんなバカなままなの?」なんて思うわけです。まあ少し「ひねこび」ますわ。今考えてみると、その頃、大人社会に幻滅していたかもしれません。

高学年になってくると、大人社会の影やら闇やらが見えてきます。欲望渦巻き、弱肉強食の現実。そしてその中で、偽善者のどれだけ多いことか。そんな汚辱に染まるくらいなら、人間やめたほうがまだマシだというのが、その当時の本音です。学校の先生すら、心から信用できませんでした。だってハンパに見えますもの。いやホント、やなガキですね。

その「大人社会の幻滅」は、たった一人の人間との出会いで、雲散霧消しちゃいました。尊敬できる大人と、生まれて初めて出会ったのです。それはボーイスカウトの隊長です。

誰の人生にも、運命をコロッと変える貴人との出会いがあると聞きます。私にとっての「貴人」が、この隊長だったわけです。ボーイスカウトのちかいおきてを純粋に信じて実行し、裏表などまったくありません。知行合一を地で行った隊長には偽善の余地などありません。スカウト技能や野外活動のスキル、経験、体力、気力と全てに超人的でした。尊敬というよりは「賛仰(さんぎょう)」する対象だったかもしれません。

こんな人がいたのですから、大人社会への幻滅など消し飛びました。子供の認識では、この世の中の素晴らしい面が理解できなかっただけで、世の大人たちを裁くなど、百年早いと思い知らされたわけです。

ホントは、尊敬できる「貴人」など、どちらかというと絶滅危惧種でして、幻滅する大人ばかりだというのが事実に近いとは思います。しかし、一人だけでも「貴人」と遭遇すれば「世界はまだ捨てたモンじゃない」と希望がわいて、生きていけるようになるもんです。いじめられたり、不登校だったりと、大変な環境で大人社会に幻滅している子供たちも、本当にたくさんいるでしょう。「ボーイスカウトやってたらなあ」「尊敬できる大人が、周囲に一人でもいたらなあ」などと、自分の経験と重ねて痛感したりしてます

でも、自分で探さないと貴人はいないんですよね。学校教育に期待できなければ、社会教育の方ではいかがでしょう。技術やスキルだけ教えるところではなくて、ボーイスカウトや武道のように、精神性を根底に持つところなんか、求道者や修行者のような「貴人」がゴロゴロしているかもしれません。もちろん、学校の先生にだって「貴人」はいますし、素敵な経営者やら芸術家にもいるでしょうし、農家にも達人はいらっしゃいます。

目先の問題こそ解決せよ。当たり前だけど効果抜群、4つの方法

消費不況といわれる昨今、売上減少に頭を抱えているショップオーナーも多いことでしょう。まずは「目の前の問題」を解決したいところですが、そのための具体的な方法となると、なかなか思い浮かばないものです。今回の無料メルマガ『がんばれスポーツショップ。業績向上、100のツボ!』では経営コンサルタントの梅本泰則さんが、「売上減・客数減」などの問題解決について、自力でできる簡単な方法を紹介しています。

目先の問題の解決法

ある時、私のセミナーを聞いた方がこう言われました。

5年後、10年後の話より、目の前の問題を解決する方法を教えて欲しい

目の前の問題も解決できていないのに先のことなど考えられない、ということでしょう。そのお気持ちはよく分かります。そこで、そんな経営者の方のために、目の前の問題を解決する方法をお伝えします。

では、目の前の問題とは何でしょう。後継者の問題、競合店の問題、従業員の問題、いろいろと考えられます。しかし、何といっても一番大きな問題はこれです。

  • 売上が減ってきている
  • お客の数が減ってきている

この問題の原因もいろいろとあります。例えば、

  • メーカー、問屋さんから良い商品が仕入れられない
  • ネット販売が盛んになってきてお客が流れている
  • 若い人のようにSNSがうまく使えない

といったことです。挙げれば、まだまだ原因はあります。しかし、原因を考えられたからといって、すべて解決できるというものではありません。上の3つの原因についてもそうです。どうしたら、売れる商品が手に入るでしょうか。どうしたら、ネットショップにお客が流れないようにできるでしょうか。どうしたら、SNSがうまく使えるようになるでしょうか。きっと、それが分からないからこそ、悩んでおられるのでしょう。

これらは、時代の流れや、メーカー・問屋さんの政策と同じように自分ではなかなか手に負えないことです。いくら悩んでも、そう簡単には解決しません。それならば、自分で解決できる方法を行うことです。そんなうまい方法があるでしょうか。

自分で解決する方法

実はその方法はたくさんあるのですが、今回はその中から、簡単に売上を上げる方法を2つ、簡単にお客様を増やす方法を2つ紹介します。

まず、簡単に売り上げるには

  • お店の商品を高く売る
  • お店でよく売れている商品を売る

といった方法があります。これは、自分のお店でできることですよね。もう少し説明しましょう。

「商品を高く売る」というのは、仮にお店で1割とか2割とか割引をして販売していたら、その値引きをやめることです。もしくは、値引き率を少なくすることです。たったそれだけのことで、売上は上がっていきます。

とはいえ、今売っている商品の値引きをやめるのは抵抗があるかもしれません。その場合は、次のシーズンに入ってくる新商品や新しいブランドから始めてみましょう。そのことで、お客様が離れることはありません。だまされたと思ってやってみてください。

また、これには「高い商品を買っていただく」という意味も含まれます。お店の中にある商品で、互いに同じような商品があれば高い方の商品を勧めるということです。販売スタッフは、往々にして「こちらの方が安いですよ」とか「安い商品もありますよ」と言ってお客様を誘導します。その方が売りやすいからです。その習慣をやめてみてはいかがでしょう。それだけで、売上が増えます。

次に「売れている商品を売る」ことです。今お店では、商品の販売管理をしっかりと行っているでしょうか。例えば、今月はどの商品がどれだけ売れたか、データにしているかということです。お店の方が「○○の商品がよく売れている」と言っても単なる感覚だけのことが多いように思います。データにしてみると、違っていることがあるのです。ですから、商品の販売状況をデータにしてみます

すると、そのデータから、例えば最近の3か月間に売上が30%も伸びた商品が見つかったとしましょう。それが「売れている商品」です。その商品もしくは、それに近い商品に力を入れて売っていきます。今後も売上が伸びる可能性のある商品だからです。

いかがですか。むつかしいことではありませんよね。これが簡単に売上を上げる方法2つになります。

【書評】元韓国人が解説。あの国が国家間の約束を簡単に破る理由

近代法治国家において裁判は、「情」が絡む判断は排除され、証拠に基づいた客観的判断が下されるものですが、隣国では少々事情が違うようです。今回の無料メルマガ『クリエイターへ【日刊デジタルクリエイターズ】』で編集長の柴田忠男さんが紹介しているのは、韓国が自分たちの都合のいいように歴史を書き換えてきた、その根本部分となる彼の国の司法について綴られた書籍。「元」韓国人評論家がわかりやすく解説する一冊です。

偏屈BOOK案内:呉 善花『韓国を蝕む儒教の怨念 反日は永久に終わらない』

61Ufx6PS3dL韓国を蝕む儒教の怨念 反日は永久に終わらない
呉善花 著/小学館

いまの韓国は李朝の「法よりも情が優先する」状況下にある。通常は国法をもって判定していても、それでは情が入る余地がなく、本当の正邪の判定とはならないとみなされたときに、「情理からの判断が下される。酒に酔っての犯行となれば、「情理」の判断を以て必ず減刑されるし、単純暴力では前科の有無を問わず罰金・略式起訴で、裁判までいかせないのが司法界の慣例だという。

そのため、韓国には前科40犯、50犯がざらにいる(朝鮮日報2012/9/17)。韓国の「情理」とは「大多数の韓国人が今このときに常識として抱いている正しさの感覚」というよりほかにないものらしい。民族的な主観による、「この辺が正しい」という(暗黙の、いわずもがなの)国民的合意といいえばいい。この合意が、しばしば「法に優先する」のが韓国だという。不思議な国だなあ。

日本はもとより、近代法治国家の裁判では、審議を進める具体的なルールがあり、それに則っていくことで「情理」や「情実」が絡む判断は規制・排除され、事実(証拠)に基づいた峻厳かつ客観的な判断が下されていく構造になっている。ところが、韓国では必ずしもそうとはならず、司法判断はそのときどきの「このへんが正しい」という、国民の思いに強くひきずられるというのだ。

「そのときどき」というのは、「あのときには間違っていないとされていたが、今このときの常識からすれば間違っている」という国民の思いが正義である、ということだ。この正義に基づいて行われたのが「慰安婦合意の破棄強制徴用者への賠償判決」である。つまり「国民的合意」とみなされさえすれば、他国との間で決まった約束事を勝手に破ったり、あとでルールを自分たちに都合よく変更したりすることなど、まったく意に介さない。不思議な国だなあ。

文在寅政権は、軍事政権時代の韓国史を全否定し「あのときは間違っていないとされていたが、今の常識からすれば間違っている」と主張する。「あのときの事情」を正確に捉えることを放棄し、単純に現在の価値感で過去を断罪するのは近代的観点では戒められている。「それに対して韓国では、『現在の価値観に立って過去の歴史を全否定することが盛んに行われているのです」

「韓国ではこれを『歴史を真っすぐに立てる(韓国語で「ヨクサ・パロ・セウギ)』と表現しています。日本統治時代の歴史を全否定することも、韓国人が『歴史を真っすぐに立てる』ことの重要な要件なのです。中華帝国や朝鮮半島諸国では、王朝や政権が代わるたびに、自分たちの都合のいいように歴史を書き換えることをしてきた歴史があるわけです」。不思議な国だなあ。

過去のよくないことは全て「日本の植民地主義」のせいにすることで、韓国の責任が和らげられ、殆ど回避されていく。「ようするに、韓国の『米軍慰安婦』『韓国軍慰安婦」『ベトナムでの虐殺』と日本の『従軍慰安婦』問題は一つのものなのです。いずれも日帝の植民地主義がもたらした問題とされるのです」。世界に広がる韓国の反日プロパガンダ。恐ろしい国だなあ。

編集長 柴田忠男

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なぜ、稲盛和夫はあえて人の弱みをマネジメントに組み込んだのか

 

2019年3月期の売上高が1兆6,237億円と2期連続で過去最高を記録するなど、絶好調の京セラ。2020年3月期にはさらに1兆7,000億円の売上高を目指すと言います。そんな京セラを支えているのは、創業者で日本を代表する実業家の一人、稲盛和夫氏が創り出した『京セラフィロソフィー』。経営哲学のみならず人生哲学でもあるこの考え方には、働く上で重要な様々なファクターが詰まっていると言います。今回ご紹介する無料メルマガ『戦略経営の「よもやま話」』では、著者の浅井良一さんがその『京セラフィロソフィー』を取り上げ、ドラッガーの言葉も引用しながら、経営におけるその本質に迫っていきます。

“物心両面”の幸福

京セラの稲盛和夫さんが創業した経緯は、上司である技術部長の無理解に腹を立てて碍子(陶磁器)の会社を退社したことが起こりでした。行末に迷っていたその時に、稲盛さんを高く評価していた元上司らの助言や資金支援もあって新会社を設立をすることになったのです。この時弱冠27歳で、経営についてはまったく未経験でのスタートでした。

そして経営について考えさせられるそのことが起こったのは創業3年目のことで、前年に入社した高卒社員11名が定期昇給やボーナスなどの待遇保証を求める団体交渉を申し入れてきたのでした。創業当初の目的は「自分たちの技術を世に問う」ことであり、創業メンバーはとにかく必死で働くことが当たり前の状態であったときのことです。

この受難とも思える一件が、稲盛さんをして“経営における指針”とは何かを考える貴重な切っ掛を与えることになりました。「会社とはどういうものでなければならないか」ということを真剣に考え続け「会社経営とは、将来にわたって社員やその家族の生活を守り、みんなの幸福を目指していくことでなければならない」と思い至ったのです。

そうでなければ、社員は「安心して働く気持ちになれない」としてです。

そして、そのための条件は「会社が長期的に発展して行くため社会の発展に貢献する。社会の一員としての責任も果たす必要がある」。ここに、社会貢献よりも従業員の幸福を先述する「全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類、社会の進歩発展に貢献すること」という独創的な“京セラの経営理念”が定められることになりました。

はてさてなのですが、この経緯をここで披瀝しても、多くの経営者の方は「それが何なんだ」ということになりそうなのですが、これがけっこう企業経営において重要なポイントであって、ドラッカーが“人のマネジメント”として述べていることに符合させると、思わぬ「京セラの経営理念」の底力が見えて来そうです。

ドラッカーはこのように言っています。

“人のマネジメント”とは、人の“強み”を発揮させることである。人は弱い。悲しいほど弱い。問題を起こす。手続きや雑事を必要とする。人とは費用であり、脅威である。

しかし、人はこれゆえに雇われているのではない。人が雇われるのは“強み”ゆえであり“能力”ゆえである。

“組織の目的”は、人の強みを生産に結びつけ、人の弱みを中和することにある。

「人こそ資産である」という「組織の違いは人の働きだけである」。事実人以外の資源は、同じように使われる。

ここで、よく考えていただきたいのですが「弱みも持つとする人」を“資産”として成長できなければ何の“強み”も生まれないということです。

人が“資産”に変身してもらうための、また経営者および経営陣が共通の認識を持ってもらうためのその第一歩が必要でそれがあるのとないのとでは、企業経営の“軸”の通り方が違ってきます。「全従業員の物心両面の幸福を追求する」と公に宣言されることによって、それも“心”と言われては「弱い人」でも無関心ではおられません。

京セラの「経営理念」には他の企業とは一味違う“思い”が流れており、多くの一般感覚の人をして“意欲”と“認識”を生む“しかけ”であって、経営者が“知恵”として持たなければならない“教養”なのです。

前回はトヨタの“強み”を“人のマネジメント”と絡めて、その源泉を土地柄と歴史から生まれた知恵のある「企業文化」だとしました。京セラの場合はどうなのか、京セラの場合のそれは先に述べました稲盛さんが創業間もなしの時の思わぬ出来事から、瀬戸際に追いつめられて悟るに至った「経営理念」が“強み”の基盤を生んで行きました。今回は「京セラの経営理念」が“人のマネジメント”に対してどのような“機能”を持つのかのロジックを知ろうと思います。いきなりその“ロジックの核心”を言ってしまうと、それは「私がもしくは私たちが“物心両面”で“幸福”になるために、組織(京セラ)こそがその“機会”を“弱さ”をも中和して与えてくれる」が真相です。

ゲーム課金で20万円。ほとんど問題ナシの場合と問題大アリの差

「ゲーム依存による高額課金」が問題となって久しいですが、ゲームと一口に言っても、生活が破綻するまでのめり込む人もいれば、普通の生活に戻れるという人もいるのが事実。その差は何に起因するのでしょうか。今回の無料メルマガ『セクシー心理学! ★ 相手の心を7秒でつかむ心理術』では、著者で現役精神科医のゆうきゆう先生が、ハマっている「ゲームの種類」に注目すべきとした上で、「課金依存に陥いりやすいゲームのタイプと対処法」を紹介しています。

危険なゲーム、危険ではないゲームの差

こんにちは。ゆうきゆうです。

最近、ゲーム依存で課金20万円した方がニュースになっています。しかし、自分に言わせていただくと、「そこまで問題なのか」と思います。

依存症かどうかの境目は生活において、困るかどうか」。正直、20万円課金しようが、その方が困っていなければまったく問題ありません。

たとえばその方がアラブの王様レベルの資産をお持ちなら、20万円なんて、はした金でしょう。1万円持ってたら、20円なんてどうでもいい、みたいなものです。

それこそ合コンをはじめとする飲み会に一回行けば3,000円~5,000円。高いお店なら1万円するかもしれません。「じゃあ男はいくら、女の子はいくらでいいよー」と男性幹事が己の好感度アップのために勝手に言いだした場合、それ以上の出費もありえます。

そして合コンで、イイ出会いがあるとも限りません。10回前後合コンにいって悲しく何もなく終わるのと、20万円をゲームにつぎこんで、それなりに充実した時間を過ごすのと、果たしてどっちが幸せでしょうか。おそらく後者のはずです。

………。

話が思い切りズレましたが、何にせよ、20万円ゲームに使ったからといってダメ、と言い切れるわけではないのです。

特にその方にとって「ゲームこそが唯一の趣味!自分にとって最高の希望!人生において追い求める究極の悦び!」とか思われてるなら、その道を突き進めばいいのではないでしょうか。ある人にとってはゲームであり、マンガであり、アニメであり、何かの作品であり…。それぞれにとって大切なものがあるはずです。

それはもう、外野が口を出すことではありません。

…ただ、まぁ。実際、ゲームに20万円使ってしまう人が、それで終わるとは到底思えません。

それ以降、また同じく使う可能性はあり、それが30万円、40万円…とどんどん増えていき、それこそ冗談抜きで、数百万円、数千万円になる可能性もあります。

そうなると、まぁたいていの人は、いつか必ず生活で困ったり、破産してしまう可能性もあります。実際にメンタルクリニックにいらっしゃる方の中に、ゲームに課金しすぎて金銭的に困っている方も多々います。

その一方、あまり長期的にそのゲームにハマらず、時間も課金額もどこかで止まり、普通の生活に戻る方もいます

この差は何なのでしょうか?

危険すぎるゲーム、危険が少ないゲーム。

ここで僕は、「ゲーム」には「2種類」あると思っています。

それこそが「エンドレスエンドあり」か。

たとえば「パズドラ」などを代表とするゲームは、まさしくエンドレス。新キャラや新ステージ、新ボスを無限に生み出せます。だって絵を変えて、数値をちょっと高くすればいいだけですし。

他にも誰かとの関係性ができるオンラインゲームは、抜けにくいものの代表です。どんな部活でも、友達ができるとやめにくいのに似ています。

しかし、それこそオンラインではない大半のゲームや、ストーリーがあるゲームは、どこかで必ず終わりが来ます。やりこみ要素があるにしても、結局は一つの世界なので、いつか飽きるポイントに到達するのではないでしょうか。

特にストーリーがあるゲームは大半がこのタイプになります。さらに一人でプレイするゲームなら、「あの人がいるからやめにくい」ということもないはずです。

実際に自分自身、やりこみ要素(アイテム集め)が1,000近くもある「ゼルダの伝説」の最新作をプレイしていますが、ボスを倒した時点でかなり気持ちが落ちついてます。

また「逆転裁判」や「ダンガンロンパ」などの推理系ゲームも大好きでしたが、クリア後はプレイすることはありません。もしこれがオンラインで他人とのやりとりが生まれるゲームや、それこそ次から次へと新たなボスが(数値をいじるだけで)生まれるゲームだったら、いまだにハマりつづけていたのではないかと考えます。

何にせよ個人的に、「もしゲームにハマるのなら、ストーリーがあるゲームや、一人でプレイするゲームにしておけ」と言いたいです。

無限に続くスマホゲーム、いつまでもやめづらいオンラインゲームなどではなく、一人で完結する、ストーリーのある世界のゲーム。それこそが、まだ時間に限りがあるため、一段安全です。

何かの際には覚えておいてください。

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成果が出ない人が理解していない「学んだ」と「学んだ感」の違い

「学び」や「勉強」というワードはビジネスパーソンにとって欠かせないものとなっています。しかしながら多くの人が学びを続けてはいるものの、何故か成果を上げているのは一握りの少数派のみ。何がこのような差を生むのでしょうか。今回の無料メルマガ『サラリーマンで年収1000万円を目指せ』では著者の佐藤しょ~おんさんが、「学んだ感」をキーワードに、本当の学びについて論じています。

学んだ感で満足しない

ハッキリと統計を取ったわけでもないし、取れるような話でもないんですが、今の日本では3割くらいの人が、上を目指して努力しようとしていて、残りの7割は、その日が恙なく過ごせればそれで良いやと考えているように思えます。

そんな7割の人だって、「もっと」幸せに、豊かになりたいとは思っているんですが、ではそのために自分の中の何を犠牲にしますか?と問われたら、それはしたくない、何かを犠牲にするのは真っ平だと答えるわけです。そんな人と、私は真剣に交わる気持ちを持っていません。このメールマガジンは、そんな人間を選別するための機能を果たしているわけです。

では上を目指す3割の人は、みなさん全員が成果を出して目標を達成するかというと、もちろんこれは左に非ずなわけです。私にメールで質問したり、セミナーに来たりする人の多くは、ここのステージから抜け出たいと考えているんですね。

成果が出ないのは、自分自身のスペックが低いからではないのか?と悩むのもこういう人たちに良く見られる現象です。

そういう人にじっくりと自分を振り返ってもらいたいことがあります。それは、

 ● 「学んだ学んだ感の違いを理解しているか

です。

そもそも何かを学ぼうという意欲があって、それを実際に行動として実践しているわけですから、これだけで上位3割に入っていることは間違いないんですが、そのことと成果が出るかどうかは全く別のお話なんですよ。

成果を出すためには、結論として学んだという実績が必要でして、「学んだ気がする」(これを学んだ感と呼んでいます)で終わらせていたら、これはタダの自己満足に過ぎないわけです。

今年卒業した我が家の甥っ子は、まさにこの「学んだ感」で満足するタイプの人間だったんです。机の前に座って、1時間か2時間教科書をペラペラとめくったら、なんだか自分はスゴく勉強したような気分になるんですね。そういう気分を演出するために、勉強をする時には数学、国語、英語と何冊もの教科書を持ってきて、机に積むんですね。

これは勉強が出来ない人の典型的なパターンでして、時間を使って、何か自分にとって苦痛なことをやったということが、そのまま頑張ったことという感覚として残って、学んだことになってしまうんです。

反対に勉強が出来る人というのは、一日で出来ることを過大評価しませんから、1時間なら1時間、2時間なら2時間で消化出来る範囲の問題集なりテキストを持ってきて、その範囲のところを、

 ▼ 理解出来た
 ▼ 暗記出来た
 ▼ 問題を解けた
 ▼ 正解になった

というレベルになるまでやるんです。そしてそれは予め決めていた時間ではなく、「出来るようになるまで」続くんです。逆にいえば、2時間掛けようとしても1時間で出来るようになったら、今日の予定は終了になりますし、時間をオーバーしても出来るようにならなければ、止めないわけですね。

これが「学んだ」というステータスで、前者の「学んだ感を手にする」のとは、質的に全く別であることが分かりますよね。

人生に於ける成果もこれとほとんど同じでして、

 ▼ 学んだ感じがする
 ▼ やった気がする
 ▼ 頑張ったと思う

という感覚はアテになりませんし、ましてや

 ■ ○○時間も使った

だから私は頑張ったと言えるのだ、と考えるのなら、これは勘違いも甚だしいわけです。

いくら時間を使ったのかではなく、当初狙っていた成果に届いたのかどうかをハッキリさせて、届いていないのであれば、たとえ10時間やっていたとしても、「成果は出ていない」と分類しなきゃならないんです。これが趣味のギターならどうでも良いんですよ。リアルにこれで人生を変えたいというのなら、ここは避けて通れないんです。

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