東京創業のロッテ、その「光と影」。韓国で稼いだカネは日本に入れず

これまで2回に渡り、朝鮮半島出身の青年が一代で築いた「ロッテ」の足跡を辿ってきた、メルマガ『宮塚利雄の朝鮮半島ゼミ「中朝国境から朝鮮半島を管見する!」』の著者で北朝鮮研究の第一人者である宮塚利雄さん。日本生まれのロッテを韓国有数の財閥にまで成長させた創業者・重光武雄氏ですが、全てが順風満帆とはいかなかったようです。宮塚さんは今回、ロッテが日本の国税庁から指摘されていた問題点や、重光氏が最期まで気に病んていたという跡継ぎ騒動等を紹介しています。

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※本記事は有料メルマガ『宮塚利雄の朝鮮半島ゼミ「中朝国境から朝鮮半島を管見する!」』2022年2月5日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。

プロフィール:宮塚利雄みやつか・としお
宮塚コリア研究所代表。韓国・慶熙大学校碩士課程、檀国大学校博士課程修了。山梨学院大学教授(1992~2015年)。主な著書に『北朝鮮・驚愕の教科書』(宮塚寿美子と共著)、『北朝鮮観光』「がんばるぞ!北朝鮮』『アリランの誕生』『日本焼肉物語』『パチンコ学講座』、そのほか翻訳本多数あり。

 

ロッテ財閥研究(3) 日韓を股にかけて事業を成功させた重光武雄の「光と影」

在日1世で事業に成功して故郷に「衣錦還郷」(故郷に物質的還元を行うという朝鮮儒教の思想)した人物はいるが、重光は「日本で得た利益を韓国に投入し、郷里と祖国の繁栄に貢献することを目標に、日本と韓国をまたぐ巨大なコンツェルンを築き上げた」稀(まれ)なカリスマ経営者であった。

軍事クーデターで政権を握った朴正熙(パク・チョンヒ)少将に請われて、日韓条約締結後いち早く韓国に進出したが、開発独裁主義の朴正熙政権は、日本からの資金・技術の導入だけではなく、在日1世からの本国への投資も積極的に勧めた(ただし、重光のように国交正常化後いち早く進出した在日の企業はないに等しかった)。

私は、重光が日本で得た巨額な資金を韓国事業に投じ、日韓の経済発展段階ギャップを利用した「タイムマシン経営」を実践して、巨大財閥を築き上げることができたが、そこには、初期の「資本の本源的蓄積過程」において朴正熙大統領を中心とする慶尚道閥の「人的な縁故」が大きな役割を果たしたと前号で述べた。

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ロッテ財閥は、今や韓国では五指に入る大財閥である。

ロッテは、ソウル市にあるロッテ百貨店・ロッテホテル・ロッテワールド(テーマパーク)の3施設を中核としたサービス業を中心にその事業分野は多岐にわたっている。

ロッテ財閥として、百貨店業界では世界5位。製菓業界ではアジア1位。ホテル業界ではアジア3位。ホームショッピングでアジア1位。石油化学業界で世界10位など、韓国でも屈指の財閥となった。

ところが、「韓国ロッテは、設立時から日本で稼いだ金を韓国に投資し始めるも、韓国で稼いだ金は一度も日本に持っていくことはなかった」ことが指摘され問題となった(2016年6月12日、一連の経営騒動の中でロッテグループは、韓国ロッテが1967年に設立されて以降、2004年まで日本のロッテに配当金をしていなかったという事実を報道資料を通して明らかにした)。

2005年に日本の国税庁は、日本ロッテに「38年間で2,000億円を韓国に投資したのに1銭も日本に配当がない」趣旨の指摘をし、それから日本側に配当を始めたとのこと。

2015年時点で日本側の売り上げが3,145億円に対し、韓国側では6兆4,798億円だったというから、猛烈な差があった。

 

連立は「維新」に乗り換えか?公明党が今夏の参院選で自民党候補者「推薦否定」の衝撃

今夏におこなわれる予定の参院選に向けて、日本の「与党」のあり方が大きく変わろうとしているようだ。与党・公明党の山口那津男代表が6日のBS番組に出演し、参院選で自民党との相互推薦に関して、自民党が公明党の候補を推薦しないにも関わらず「我々だけが(自民の議員を)推薦するのは国民に理解していただけるのか」と述べたのである。以前から憲法の解釈等で齟齬が生じていた「自公連立政権」に暗雲が垂れ込めてきたようだ。

この発言が出る2日前の4日、我々MAG2 NEWSでは以下のような記事を公開していた。

● 自公の選挙協力にヒビ割れ。創価学会が自民党にかけた脅しの内容

すでに自公の間を「すきま風」が通り抜けていた事例は、兵庫選挙区問題など多々あり、それらの詳細については上記記事に譲るが、ついに山口代表から「自民候補の推薦を否定」発言が飛び出したとあっては、自民もうかうかしていられないだろう。何せ、近年の自民は公明の支持母体である「創価学会」の集票なくしては選挙に勝てなくなっているからだ。

このまま指をくわえているわけにいかない自民が次に「白羽の矢」を立てるであろうお相手は誰だろうか? それは、憲法改正などについて同じ政治思想を持ち、今や立憲民主党をしのぐ政党支持率を誇る「日本維新の会」である。すでに森友問題でもさまざまな「疑惑」を共有している維新と自民が連立を組んでも、何も違和感をおぼえることはないだろう。

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第2位の支持率「維新」との連立を画策?

日本経済新聞社は1月31日、世論調査で「夏の参院選で投票したい政党や投票したい候補者がいる政党について」というアンケートを実施。その結果、自民党の43%に次ぐ第2位が維新の16%だった。立憲はたった10%の第3位と、大きく差をつけられてしまったのである。

もちろん、今回の自公「選挙協力」のゴタゴタが茶番劇だとしたら、単なる「支持者へのポーズ」という可能性もある。しかし、政治の裏側で何か「大きな動き」が起きていることも否定できず、もし仮に維新と自民との間に「密約」があるとすれば、夏に向けて各党の幹部クラスの発言内容に注目する必要があるだろう。

従来の創価学会の組織票を取るか、勢いにのる維新人気を取るか、夏の参院選に向けて永田町周辺のさまざまな思惑が交錯しているに違いない。

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世界では賛否の声。北京五輪の開幕式を日本在住の中国人はどう見たか?

ついに開幕した北京冬季五輪。美しい映像美が称賛される一方で、民族問題が取り沙汰されるなど賛否の声があがっています。そんな北京五輪を日本在住の中国出身の方たちはどう見たのでしょうか。作家として活動する黄文葦さんは自身のメルマガ『黄文葦の日中楽話』でその率直な思いを綴っています。

 

北京冬季五輪の静かな情熱を見て、東京の思いは?

二十数年間、遠く離れている中国が当方を一番感動させたことは正に今回の北京冬季五輪の開会式であった。イデオロギー演出ばかりしている旧暦の大晦日に放送される「春節聯歓晩会」と見比べて、同じく中国人が作り出したものとは思えないぐらい素晴らしかったと思う。その開会式から、ある程度中国社会の進歩が見られた。日本のネット上でも、北京冬季五輪の開会式を絶賛する声が溢れている。

2008年北京五輪と2022年北京冬季五輪の開会式の違いと言えば、前者は内向き、後者は外向き姿勢である。この14年間、中国も張芸謀(チャン・イーモウ)も進歩してきたと実感が湧いてくる。

2008年の北京五輪は、中国5,000年の歴史と文化の圧倒的なプレゼンテーションであったが、今回の開会式ではテーマを「I」から「We」に変え、大会のスローガンである「共に未来へ」という人類共通の感動を示し、世界に響いた。

開始わずか18分で選手入場、著名人・芸能人は参加ゼロなどに驚いたのが、開会式の最大のミステリーは、雪の結晶の物語であった。冒頭で観客に配られるギフトバッグ、カウントダウン映像、国や地域の案内板、出演者の衣装、一部のパフォーマンスの背景、メイントーチなど、式典の随所に「雪の結晶」が使用されているのだ。

まるで「雪の結晶」の中で、東と西の二つの文化が出会い。張芸謀監督の話によれば、「李白の詩には、『燕山雪花大如席(燕山の雪花、大なること席(むしろ)の如し)』という言葉や、『この世に同じ雪は二つとない』という西洋のことわざがある。これは綿密に設計されたランスルーで、すべての雪片、すべての国や地域が北京に集まり、最も輝かしい大きな雪片の一つを作ろうとしているのだ」。

正直言って、以前あまり冬のオリンピックに注目してなかった。夏のオリンピックばかりを観る。冬のスポーツに興味を持っていなかった…今回、この開会式に惹かれて、テレビで観ようと思っている。超素朴でシンプルな演出はコロナのおかげだと言えるだろう。中国のかつての傲慢さと誇張を封印するようになった。

 

YOASOBIは大迷惑、古塔つみ氏に新たな疑惑。トレースではなく画像処理ソフト?もはや絵すら描かない40代おじさん説

音楽ユニット「YOASOBI」のキービジュアルなどを手がけたイラストレーター・古塔つみ氏に対する炎上騒動が止まらない。古塔氏は自身のツイッターで「引用・オマージュ・再構築として製作した一部の作品を、権利者の許諾を得ずに投稿・販売してしまったことは事実です」と認めたものの、「模写についても盗用の意図はございません」と否定。しかし、新たな疑惑が続々と噴出し、ネットではさらなる追求が進んでいる。

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トレースによる“パクリ”を否定も新たな疑惑が浮上

年齢・性別も非公開。謎のベールに包まれた人気イラストレーターの古塔つみ氏。YOASOBIの大ヒット曲「夜に駆ける」のキービジュアルを担当するなど、10代や20代の女性に支持される“彼女”に降って湧いたパクリ疑惑。

事の発端は、暴露系ユーチューバーのコレコレが、1月28日にYouTubeに投稿した動画で、2021年に開催された古塔氏の個展に行ったという画家の女性が、古塔氏のトレース疑惑を指摘した。

元ネタはイギリスの有名写真家の写真で、服の線や輪郭まで一致していて、もはや言い逃れができないほど酷似。反転させてトレースさせたのではとの疑惑が広がり、一気にネット上で拡散された。

それだけではなく、他にもアーティストらの写真や作品をトレースしたと思わせる多数の作品があったことで、古塔氏のSNSが大炎上してしまったのだ。

「古塔氏のイラストを手帳カバーに採用していた雑貨メーカーが販売停止を発表しました。古塔氏はさまざまな企業とタイアップしているので、今後さらに大きな影響がでてくるでしょう。ダンマリを聞け込んでいた古塔氏ですが、さすがにマズイと思ったのかSNSでコメントを出しました」(ネット事情に詳しいフリーライター)

古塔氏は作品を参考にすることはあるとしたが、「写真そのものをトレースしたことはございません」と模写については完全否定。しかし、騒動が収まる気配はない。

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トレースではなく画像処理ソフトを使用か?

当初、古塔氏のパクリ疑惑が出た時、ネット上で指摘されていたのは「トレースしたのではないか」ということ。いわゆるトレーシングペーパーで他のアーティストの作品を“写し取った”という疑惑だった。

だが、ネットでは更なる追及が行われており、トレースではなく、単に画像処理を使っただけではないか?との指摘も出てきた。

その根拠として、ベースの写真では女性が首に“チョーカー”をしているが、イラストではそれが“髪の毛”として認識されているようで、ヘアーと同じ色になっている。

髪の毛が首にピタリと巻き付いているのはあまりにも不自然で、画像処理ソフトが誤認識したという指摘だ。実際にイラストを見ればそれは一目瞭然で、言い訳することは難しそうだ。

もしこれが本当であれば、もはや絵すら描いていないことになってしまう。

「他にも、古塔さんは性別も年齢も明らかにしていませんが、実は40代のおじさんだという説が出回っています。それだけではなく、行き過ぎたネット民が本名やプライベート写真と思われるものをあげていますが、真偽は不明です」(前出・フリーライター)

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まだまだ収まりそうもない古塔氏にまつわる疑惑。真実はどこにあるのだろうか。ただひとつ、今回の件で一番迷惑したのがYOASOBIだということは間違いない。

アベノマスク“決着”も茶番か。安倍と岸田の不仲説に「プロレス疑惑」

自民党総裁選立候補時から「聞く力」をアピールし、国民の意見に聞く耳を持たなかったアベスガ政権からの脱却を企図していたかのように見えた岸田首相ですが、その道は遠ざかるばかりのようです。元毎日新聞で政治部副部長などを務めたジャーナリストの尾中 香尚里さんは今回、岸田首相の「安倍離れ」がまったく進んでいないことを示す証拠を列挙。さらに巷間伝えられる安倍氏と岸田氏の不仲説について、「プロレスを演じているだけなのでは」との疑念を示すとともに、考えうるそのシナリオを記しています。

プロフィール:尾中 香尚里(おなか・かおり)
ジャーナリスト。1965年、福岡県生まれ。1988年毎日新聞に入社し、政治部で主に野党や国会を中心に取材。政治部副部長、川崎支局長、オピニオングループ編集委員などを経て、2019年9月に退社。新著「安倍晋三と菅直人 非常事態のリーダーシップ」(集英社新書)、共著に「枝野幸男の真価」(毎日新聞出版)。

「机叩き」で反論の岸田首相は、安倍晋三氏から脱却できるのか?

先代、先々代の首相に比べて穏やかで淡々としたイメージの岸田文雄首相。珍しく感情をあらわにした場面が、毎日新聞の記事(デジタル版)で紹介されていた。1月31日の衆院予算委員会。首相が17日の施政方針演説で開催をぶち上げた、核兵器廃絶に向けての「国際賢人会議」について、日本維新の会の空本誠喜氏が「核兵器廃絶をいつまでにするのか」と質問。これに対し岸田首相が「いつまでにと具体的に言えるほど核軍縮、不拡散の世界は甘くない」と「右手で机をたたきながら」反論した場面である。

実際の質疑は、記事の印象ほどエキサイトしたものでもなかった。広島を選挙区に持つ空本氏が、同じ広島選出の岸田首相に「具体的な行動が広島の声だ。(首相は)決意表明だけで終わっている。総理としての(核兵器廃絶に向けた)ゴールを示していただきたい」と思いをぶつけ、首相も冒頭「しっかり受け止めさせていただく」と質問を受け止めてから答弁した。確かに右手で机を叩く音をマイクが拾い、聞き取りづらい面はあったが、答弁の内容はともあれ、さほど眉を顰めるような質疑でもない。

だから、記事の締めくくりに筆者は驚いた。唐突に安倍晋三元首相が登場するのだ。岸田首相が1月25日の答弁でも「机を叩いて反論」したことを挙げ「私はああいうのは好き」と、首相の答弁を「評価した」という。

これは、安倍氏が会長を務める派閥の会合での発言だ。朝日新聞の報道によれば、安倍氏は「(岸田首相が)時にちょっと、机をたたき気味に反応された。私はああいうのが好きでございます。時には言いたいことをガチンと言ってということも、大切ではないのかなと思う」と述べたという。

質問者の問いをまともに受け止められず、逆ギレして相手にかみつく――。首相当時の安倍氏の国会での振る舞いを思い出し、胸が悪くなった。

言うまでもないが国会は、与野党が国民を代表して行う質問や追及に対し、政府が責任を持って答弁する場だ。質問する側と答える側の役割は明確であり、首相が質問者に「言いたいことをガチンと言う」なんてもってのほかだ。安倍氏がどうしても「野党にガチンと言いたい」なら、それが許される党首討論の開催にもっと積極的であれば良かったのに、安倍氏は野党党首に言い負かされるのを恐れたのか、党首討論には一貫して逃げ腰だった。

2度と国会で見たくない為政者の態度。安倍氏はあれを、岸田首相にも求めるというのか。そして岸田首相は、この安倍氏の小姑のような振る舞いを、これからも許すのだろうか。

「岸田首相は『安倍離れ』しているのか否か」は、2022年の政治を考える上で重要なポイントの一つだろう。さまざまな見方があるが、筆者は悲観的だ。

就任直後に政権選択をかけた衆院選を戦うことが義務づけられていた岸田首相は、就任前から「新しい資本主義」を掲げ、それまでの安倍・菅義偉政権における新自由主義的な政策を転換し、格差是正のための分配政策を強化する考えを強調。衆院選後も、高い保管料が問題化した「アベノマスク」の廃棄をあっさり決定するなど、一見「安倍政治からの脱却」を図っているようにも見えた。

軍事アナリストが陸自幹部候補生学校の講義で伝える「4つの関心事」

日々変わっていく世界情勢や日本周辺の軍事的な環境などについて、2008年以来年1回、陸上自衛隊幹部候補生への講義を続けている軍事アナリストの小川和久さん。今回のメルマガ『NEWSを疑え!』では、2月8日に迫った講義で予定している内容を紹介。「精神論で構わない」との意見があっても、常に最先端の高度な内容を伝え続けるその意図を綴っています。

 

こんな講義を幹部候補生にします

8日に陸上自衛隊幹部候補生学校の講義を控えて、パワーポイントの再構成に追われています。今回は、関心の高い順に「台湾有事のリアリティ」、「中国の軍事力の実態」、「中国と北朝鮮のミサイルの動向」、そして「ウクライナ情勢の読み方」の4点セットを、質疑応答を含めて2時間にわたって話す予定です。

特に北朝鮮のミサイルとウクライナ情勢は時々刻々と動きが出て、それに振り回されないように、しかもポイントを外さないように話さなければなりません。最後までスライドの再構成はついてきます。

この講義は2008年からの14回(2021年はコロナで中止)と、その前の1回の都合15回にわたり続けているもので、内容的には自衛隊の高級幹部向けとまったく同じものです。

幹部候補生はこれから自衛隊の幹部(将校)になっていく若手ですから、「そんな高度な内容は必要ない。精神論で構わない」と言い切る人もいますが、私の考えは違います。私の講義を聴き、質問に立ち、質疑応答を耳にし、考えた幹部候補生の中から、自発的に勉強する芽が生まれることを期待しているのです。

また、一緒に講義を受けている学校長らにも聞いてもらおうという狙いがあります。そして、別の講義の機会に幹部候補生たちと私の講義について論じ合ってもらいたいのです。

台湾有事にしろ、中国の軍事力の見方にしろ、私の講義には自衛官であっても知らない情報や分析が多分に含まれています。また、台湾への上陸侵攻の前提条件となる中国の海上輸送能力の算出法や台湾の海岸線における上陸適地などは、エリートコースである指揮幕僚課程(CGS)で初めて教わるもので、大部分の自衛官が知ることのないものです。

しかし、それを「耳学問」で知っているかどうかで、まだ初級幹部の立場でも情勢の見方は変わってきます。だから私はあえて取り上げるのです。

また、幹部候補生学校の学校長(陸将補)に聴いてもらいたいという狙いもあります。学校長は、そのあと陸上自衛隊を実質的に動かす陸上幕僚監部の防衛部長などに転じる人も多く、それからも師団長、方面総監、陸上総隊司令官などの要職を歴任します。私が話すことの多くは知識として備えているはずですが、私の講義をきっかけに薄れている記憶を掻き立ててもらい、日本の防衛政策の向上に役立てて欲しいと願っているからです。

今回はコロナの蔓延でZoomを使った講義となりますが、早く対面で質問に答えられる日が戻って欲しいと願っています。(小川和久)

 

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中国ですら手懐けられず。国民を虐殺するミャンマー司令官の正体

フライン総司令官率いるミャンマー国軍がクーデターで政権を掌握してから2月1日で1年となりましたが、「恐怖政治」の終わりは見えないようです。今回のメルマガ『最後の調停官 島田久仁彦の『無敵の交渉・コミュニケーション術』』では著者で元国連紛争調停官の島田久仁彦さんが、何がこのような状況を招いたかを分析・解説。そこには北朝鮮問題と酷似した、「非難すれども行動せず」という国際社会の姿勢が大きな影を落としていました。

 

光を失ったビルマ・ミャンマー

2022年2月1日は、ミャンマー国軍によるクーデター発生からちょうど1年。そして、ミャンマーから民主化の光が消されてからちょうど1年経ちました。

クーデター後も民主化運動グループはミャンマー(ビルマ)各地で抵抗をつづけ、2月1日にはサイレント・デモも実行されましたが、各地で増す国軍による締め付けは、かつて【アジア最後のフロンティア】として欧米のリーダー・企業・投資家が押し寄せ、あっという間に近代化が進められた10年ほどの時代に終止符を打ちました。

投資家たちはミャンマーから資本を引き揚げ、プロジェクトは一気に凍結されました。ミャンマー経済における企業の形態は、国軍系との合弁事業も多く、欧米系の企業は「人権侵害と強権に加担している」との非難を嫌い、ミャンマーを捨てました。

かつてミャンマーに押し寄せた欧米の政治リーダーたちも、今やミン・アウン・フライン総司令官率いる国軍と暫定政府に対する非難の最前線に立っています。

近く国連の人権高等弁務官がミャンマーを訪問するとの報道もありましたし、独立調査委員会がミャンマー入りして国軍による民衆への弾圧状況を調査するとの報道もありましたが、フライン総司令官率いる暫定政府は「アウン・サン・スー・チー女史との面会を求めない」という条件付きでの受け入れを行うようです。そのような状況下で、実態を把握し、停滞した対話を再活性化できるのか否かは不明ですし、訪問の先々で必ず国軍の関係者が同行するという状況は、impartialityを謳う独立調査委員会の中立性に疑問符をつけてしまうことになるとの
懸念もあります。

スー・チー女史絡みでは、昨年末まではASEANも“隣国”ミャンマーの問題解決に意欲を示し、特使派遣まで計画していましたが、スー・チー女史との面会にこだわるASEAN側と、絶対にそれを許さない国軍側で調整がつかず、対話の糸口も見つけられません。

またASEANも、各方面からの圧力もあったのか、フライン総司令官とその暫定政権を事実上承認することにつながりかねないと、フライン総司令官の首脳会談への出席を拒絶するという選択肢を取ったことで、地域における対話の機会は失われたと言えます。

欧米諸国が早々とミャンマーを去った後、プレゼンスを一気に高めたのが中国とロシアで、中国による経済支援、ロシアによる軍事支援が提供されることに合意されたようですが、その両国に対してさえ、フライン総司令官は気を許さず、距離を保っていると言われています。

中国としては“隣国”として、一帯一路の要所とも言えるミャンマーを確実に影響下に置きたいと考えており、他のアジア諸国に比べると中国に対するアレルギーが少ないとされているミャンマーを国家資本主義陣営に引き入れたいと考えているようです。

そして、安全保障上ではミャンマーは中国とインドに挟まれる形で存在することもあり、対インドの防波堤的な役割も期待されているようです。

国際社会から孤立している中、中国から手を差し伸べられている状況は助かるはずですが、いろいろな情報をまとめると、どうもフライン総司令官は中国にも接近することはしないようです。

なぜでしょうか?

 

突然「家なき子状態」も。洒落にならないドイツの賃貸住宅事情

古くからのことわざに「所変われば品変わる」とありますが、当然ながら住居契約をめぐる環境も日本と外国とでは異なる部分が多いようです。今回のメルマガ『Taku Yamaneのイェーデン・ターク』では著者で長くドイツに暮らすTaku Yamaneさんが、現地の賃貸住宅事情を紹介。危うく「家なき子」になりかけた自身の経験と、ドイツの難しい引っ越し戦線を真摯な筆致で綴っています。

 

突如訪れたピンチ

いつもご愛読ありがとうございます。

本来なら今回はウィーン編をお送りする予定だったのですが、予期せぬピンチが訪れたので記します。

結果的に言うと、またまた引っ越しをしなければいけなくなりました。ドイツには賃貸契約を結ぶのに、期間限定契約と無期限契約というのがあります。で、今回の賃貸契約は契約期間が設定されていまして、それが今年の3月末ということになります。とはいえ契約なんて延長すれば良い話ですし、現に前の住まいでは2回延長していました。まあ特に大きな問題も起きていませんでしたし、更新できると考えていましたがこれが甘かったようです。

先日、大家から契約を更新しない旨、伝えられました。僕にとってもこれは晴天の霹靂で、またドイツの難しい引っ越し戦線に乗り出さなくてはなりません。

コンクールも2月末にありますし、それに向けて集中しようとしていた矢先のこの仕打ちに、心が折れかけました。

ただこの事態から逃げることはできません。放っておけばただの家無しになるだけです。その日の内に引っ越し用のサイトを開き、片っ端からメールを送りまくりました。今の時期は偶然にも供給の多い時期で、早速「内見に来ないか」との返信があり、次の日に内見に行きました。

迎えてくれたのはドイツ人の40代男性。引っ越しすれば彼と二人暮らしということになります。人当たりも悪くなく、次の契約は無期限契約となるため、引っ越しすれば今回のようにいきなり有無を言わせず契約を切られるということはなさそうです。

ただし、家を早く決めるというのはそれなりの問題があります。現在の家の契約が3月末まで。そして新しい家の契約は遅くとも1月の中旬から始めないといけません。つまり、2か月半分二重に賃貸契約をする必要があるということです。新しい家の大家に、もう少し契約開始を後にしてくれないかと相談しましたが、ここは譲れないとのこと。何度も言いますが需要過多のドイツにおいて、大家の言うことは半ば絶対です。ここで交渉したところで、じゃあ別の人を探しますと言われて終わりです。こちらに選択肢なんてほとんどないのです。

事業再生コンサルが教える「ジリ貧になる経営者」が怠っていたこと

長引く不況にコロナ禍の直撃もあり、規模の大小にかかわらず厳しさを増すばかりの企業の経営環境。そんな状況下で業績を上げるため、経営者にできることはないものでしょうか。今回のメルマガ『『倒産危機は自力で乗り越えられる!』 by 吉田猫次郎』では、著者で事業再生コンサルタント、作家、CTP認定事業再生士の顔を持つ吉田猫次郎さんが、2つの具体例を挙げつつ、経営者が普段から心がけるべき取り組みを紹介しています。

 

タネを蒔きつづけているか?

変化に強い会社。変化に弱い会社。

私はよく、変化に強い会社とはすなわち打たれ強い会社であり、変化に強い経営者とはすなわち、どんな逆境でも平常心を失わない経営者であり、そういう会社、そういう経営者こそが、倒産危機を乗り越えられる…というような事を、いろいろな形で書いてきました。

例えば、年商2億円の会社が、コロナで売上半減、巨額の赤字を出してしまったとします。暫くの間はコロナ融資や給付金、助成金などを活用して資金繰りを維持することができたけど、このままでは資金が1年も持ちません。

そこで次は、社会保険や消費税の猶予申請を出しました(社保や消費税の猶予を申請してしまうと、2021年4月以降は、金融機関から追加融資を受けるのが難しくなる)。しかし、その後も収益回復の目途は立ちません。いくら支出を削っても赤字です。

次は、資産処分と人件費削減に着手しました。売りたくなかった社用車を売り、仕事場を縮小し、余った什器備品も処分し、最後に、一番やりたくなかった人員カットを実行しました。

こうなると、従来のビジネスモデルで収益を元の水準に回復させることはできません。経営資源(ヒト・モノ・カネ)が、ごっそりと減ってしまったのですから。

このような状態になると、社長さんは平常心を保つことが難しくなります。特に、手元資金が枯渇すると顕著です。

この期におよんでも事業継続を断念せず、カッコ悪くても会社を継続するためには、私がコロナ前から(20年前から)再三述べてきたように、「知識」「知恵」「情報」「行動力」、「休暇」「食事」「睡眠」、「柔軟さ」「現実を受け入れる姿勢」、「家族・友人」などが必要です。これらはカネよりも大切です。資産より財産、つまり、貨幣価値に換算できる資産よりも、カネに代えられない財産を大切にしましょう。そうすれば逆境にも強くなり、乱世の中でもたくましくしなやかに生き抜いて行ける、…と。

しかし、これはあくまで「守り」の話です。「攻め」、つまり収益を上げるためには、まだまだこんなものでは足りません。

特に昨今は、コロナだけでなく、原価高騰、物価上昇、物流(コンテナなど)停滞、消費動向の大きな変化などが重なり、ますます先が読めなくなっています。

どうやって攻めるか?広告宣伝費を増やす?YouTubeやSNSを活用する?事業再構築補助金で最新機械を導入する?手薄だったエリアに販路開拓する?新規事業に乗り出す?

まあ、いろいろ考えられるでしょう。業種や地域、業界内の立ち位置などによっても、やり方は大きく異なるでしょう。

 

死者は1万人以上。「安政江戸地震」の前夜に日本で起きていたこと

昨年放送された大河ドラマ『青天を衝け』をはじめ、幕末を扱ったドラマや小説の多くに描かれている安政江戸地震。この震災を契機に時代は一気に明治維新に動いたとも言われていますが、そもそもこの時期、江戸の世はどのような状況にあったのでしょうか。今回のメルマガ『歴史時代作家 早見俊の「地震が変えた日本史」』では早見さんが、その時代背景や政情について専門家の目線で分かりやすく解説しています。

 

安政江戸地震「第一回 地震発生と黒船来航」

今月は安政江戸地震について語ります。

安政と聞いてもぴんとこない読者もおられるかもしれません。「安政の大獄」と言うと、多少はおわかり頂けるのではないでしょうか。安政は西暦にして1854年から1860年、浦賀に黒船が来航したのが1853年ですから歴史上の区分で言う幕末です。

幕末の江戸を襲った大地震とあって、嫌でも歴史に、つまり明治維新に大きな影響を及ぼしました。妙な言い方ですが、地震が変えた日本史のテーマに適した地震です。

安政江戸地震を語るのと併せて、江戸時代を舞台とした小説を書いている者としまして、江戸という町と江戸での武士や町人の暮らしにも言及したいと思います。

安政2(1855)年10月2日の午後10時ごろ、震度6の大地震が江戸を襲いました。震源地は江戸湾北部、深さは約40キロと推定されています。町人が居住する町人地では、5,000人近い死者と1万4,000を超える家屋が倒壊したのでした。

江戸の町は壊滅的な被害を受けたのですが地域差がありました。本所、深川、浅草、日比谷といった地盤の弱い埋め立て地で特に大きな被害が出たのです。また、上記犠牲者と倒壊家屋の数は町奉行所の調査ですので、江戸城や幕臣、大名屋敷などの武家地、寺社地での被害状況は反映されていません。それらを合わせると1万人を超す死者と数え切れない建物が倒壊、焼失したと推察されます。

甚大な被害をもたらした大震災は人々の記憶に深く刻まれ、この68年後に起きた関東大震災と相まって東京は100年と経たず大地震が起きる、という都市伝説ができたのかもしれません。関東大震災発生時、多くの有識者が安政江戸地震に言及しています。

では、まず時代背景について語ります。

ご存じのようにアメリカ海軍東インド艦隊司令長官、マシュー・ペリー率いる黒船の来航により、天下泰平の夢破れ、時代は激動してゆきます。その黒船が浦賀にやって来たのは2年前の嘉永6(1853)年の6月のことでした。

ところで、ペリー率いる艦隊は遥々太平洋の波頭を超えてやって来た……と思っておられる方がいらっしゃいます。これは間違いです。ペリー艦隊は太平洋ではなく、大西洋からアフリカの南端、喜望峰を経由し、インド洋を横断してシンガポールを通過して太平洋に出て北上、マカオ、香港、上海、琉球を辿って浦賀へ来航したのです。

出航したのはバージニア州ノーフォーク、つまり、東海岸です。当時、パナマ運河は開通していませんでした。ちなみにパナマ運河が開通したのは1914年です。それまでは、太平洋と大西洋を船で行き来するにはアメリカ大陸の南端、マゼラン海峡を通過する必要がありました。

話を戻します。

ペリーは大統領、ミラード・フィルモアの親書を携えており、幕府に開国を要求しました。ペリー以前にも何度か通商を求めてきた船はありました。

ペリーと同じアメリカ海軍東インド艦隊司令長官だったジェームズ・ビッドルも7年前の弘化3(1846)年に二隻の帆走式軍艦で浦賀にやって来て開国を求めました。幕府はアメリカと通商する意思はないと拒絶、ビッドルはあっさりと帰っていきました。