「利権」欲しさに家電ゴミ放置の映像をタレ流すマスコミと環境省の大罪

前回の記事『武田教授が激怒。インチキだらけな日本の「リサイクル運動」を全て暴露する』で、日本国内でおこなわれている「リサイクル」や「プラスティック排斥運動」などの真実を暴露した中部大学教授の武田邦彦さん。武田教授は今回、自身のメルマガ『武田邦彦メールマガジン「テレビが伝えない真実」』の中で、「プラスティック問題」の専門家でもない人物が話すウソを平気でタレ流すマスコミを猛批判し、過去には国民の味方だった環境省が利権のために作り上げた「家電リサイクル」の実態を白日の元に晒しています。

 

国民のためではなくお金のため。政府とマスコミが造り上げたウソまみれの社会

東京都のゴミはよく管理されていて、道路を歩いていてもゴミが散乱しているということは無い。都民が家庭や事務所から出すゴミは、道路にある集積所などに集められ、カラスなどが荒らさないようにネットをかけ、完璧な状態で区役所の指定の場所に運ばれる。そこからも日本人の真面目さが活きて、きちんと焼却されたり処理されたりして、決して野山に捨てられることは無い。

東京都が海に接しているところは東京湾だが、東京湾に東京都から捨てられたプラスチックごみが流れていることなどない。それでも都知事は「プラスチックの使用を制限したい」と発言した。東京都知事なのに、まるで環境でお金を儲けている世界にはびこる「環境ゴロ」と同じである。

よく「足から血が出ているのに、手に包帯を巻いても血は止まらない」と言われるように、海洋がプラスチックごみで汚れるのなら、ゴミを海に流している国に注意を促せばよいのである。都民をイジメる必要はない。

でも、今の日本はさらに奇妙で、まるでプラスチックの専門家でもない大学の先生が出てきて、「プラスチックの粒は小さくなればなるほど分解が遅くなるので、マイクロプラスチックは何年も分解せずに海中に残る」などと奇想天外なことを言い、それをテレビが放映する。

分解速度のような一次反応に近いものは、体積と表面積の比で分解速度が決まるので、粒子の直径が小さくなると表面積の割合が大きくなるので当然、分解は早くなる。こんなことを間違えたら専門家はクビであるが、白昼堂々と「マイクロプラスチック(表面積が大きいプラスチック粒子)は分解せずに環境に残る」と言う専門家がテレビに出るのだから驚く。現在の日本社会は「ウソの方が都合が良い」ということが常識となってしまった。

この現象は、報道の倫理を厳しく追及しなければならないことでもある。

 

日本は欧米に騙されるな。バイデンの二枚舌「人権外交」が招く終末戦争

何にも増して尊重されるべき「人権」ですが、昨今の国際社会においてはあまりに「安易」に、そして都合よく用いられすぎている嫌いがあるようです。今回のメルマガ『最後の調停官 島田久仁彦の『無敵の交渉・コミュニケーション術』』では著者で元国連紛争調停官の島田久仁彦さんが、ミャンマー情勢やイスラエル―パレスチナ紛争で、「人権概念の価値観」が失墜したと指摘するとともに、なぜこのような状況に陥ったのかを分析・解説。その上で、人権原則適用における国際社会、特に欧米諸国の「ダブルスタンダード」について批判的な意見を記しています。

 

“人権外交”の限界と新しいValue―イスラエルとパレスチナ、そしてミャンマー情勢とアジア

「人権尊重」を掲げて行われる【人権外交】。

対中国、そして一般的に発展途上国と言われる国々に対して、欧米諸国が頻繁に用いる理念です。

国連憲章にも基本的人権の尊重は謳われていますし、欧米諸国そして日本国憲法にも、基本的人権の尊重は“基本権”として謳われています。

【人権の尊重】の重要さに疑いを向けるものはそうそういないかと思いますが、この“人権”カードが、他国・他者を非難するカードとして使われているとしたらどうでしょうか?

そしてそのカードが、どのようなケース・国家に対しても、普遍的に用いられるのであれば公平性を確保することができ、その価値も高いと感じますが、外交的に用いられている“人権カード”の利用基準は、どうもケースバイケース、言い換えれば、使い手によるダブルスタンダードが目立つような気がしてなりません。

最近のケースでは、中国による新疆ウイグル地区でのウイグル族の強制収容と矯正行為にかかる人権侵害、香港の急激な中国化と表現の自由の抑圧といったように、欧米諸国が中国を国際的に非難する際に用いられています。

そして、2月1日の国軍によるクーデターによって、民主化プロセスが止まり、市民に対する武力行使や拷問などが頻発するミャンマー情勢を表現する際にも、この“人権侵害への懸念”という概念が、欧米諸国によって繰り返し用いられています。

ミャンマー情勢は緊迫度を極め、いまだに市民に対する人権侵害が継続していますが、時を同じくして紛争が行われているイスラエルとパレスチナ、特にガザ地区での惨状は、確実に人権蹂躙の状態であるにもかかわらず、欧米諸国が人権侵害への強い懸念という概念を当てはめることがありません。

もしかしたら使っているのかもしれませんが、私は安全保障理事会での議論の概要を見てみても、欧米諸国が人権侵害への懸念を述べている記録が見当たりません。

こじつけかもしれませんが、私には明らかに“人権”カード適用における国際社会、とくに欧米諸国によって形成される社会のダブルスタンダードの実態が見えています。

私も紛争調停官としての任に当たる際、軸とする概念の一つとして“人権の保護と尊重”を用い、紛争後の制度作りの重要な柱として含めてきました。

しかし、私が任に当たったケースでも、外から眺めるだけのケースでも、人権概念があまりにも便利使いされ、介入した側の(ケンカを吹っ掛けた側の)言い訳に用いられる様子をよく見るようになりました。人権概念の価値観としての重要性が失われているようにも思われます。

それが顕在化したのが、すでに触れましたが【ミャンマー情勢】と、現在進行中の【イスラエル―パレスチナ紛争】です。

 

軍事に無知な日本政府と議員とマスコミ。現実無視の安保関連法で国は守れない

いつ起こるともわからない中国の台湾侵攻ですが、万が一「台湾有事」の際に米軍と台湾軍が中国へ攻撃することになれば、日本の自衛隊はどのような行動を取ることが想定されているのでしょうか。軍事アナリストの小川和久さんは自身が主宰するメルマガ『NEWSを疑え!』で今回、読売新聞が4月に掲載した、「安保関連法」の「重要影響事態法」に関する記述に、軍事の現実を知らない「無知」ゆえの違和感をおぼえたと憂慮。そして、具体的な台湾有事のシミュレーションをもとに、いかに現実離れした法であるかを分かりやすく解説しています。

安保関連法で国を守れると考える愚かさ

これから取り上げるのは「『台湾有事』から日本への波及懸念、自衛隊が取り得る行動は複数類型」という見出しの4月18日の読売新聞の記事ですが、違和感を拭い去ることができないでいます。

最も現実離れしていると感じたのは以下の部分です。

「有事が勃発すれば、米軍は台湾防衛のために反撃すると考えられる。この場合、まず想定されるのは、安保関連法の一つである重要影響事態法に基づき、自衛隊が米軍に対して行う燃料補給などの後方支援活動だ。

具体的には、台湾有事が『放置すれば日本への直接の武力攻撃に至るおそれがある』など、日本の平和と安全に重要な影響を与える『重要影響事態』に該当すると認定する必要がある」(出典:読売新聞2021/4/18『台湾有事』から日本への波及懸念、自衛隊が取り得る行動は複数類型

これを読むと、台湾への中国の武力攻撃が始まり、日本列島と周辺に展開する米軍が反撃するとき、自衛隊は燃料補給など米軍への後方支援活動をする位置づけになっています。その場合、日本の平和と安全に重要な影響を与える「重要影響事態」に該当すると認定しなければならないようです。

よく考えてください。現実に、こんな馬鹿なことが起こりますか。

仮に中国が台湾を航空攻撃したとしましょう。台湾軍は迎え撃ちますし、米軍も加わります。3カ国の航空機による戦いは日本との国境などお構いなしに展開されることになります。日本の国境だから侵入しないようにUターンするということはないのです。台湾をめぐる空の戦いは、あっという間に沖縄本島あたりまで及んでくると考えなければなりません。

台湾をめぐる戦いが始まるときには、その兆候をもとに航空自衛隊の戦闘機も国境線近くの上空で戦闘空中哨戒(CAP)を行っているはずです。そして、戦闘状態で中国機が国境を越えてきたら日本の防衛のために中国機を撃退することになります。平和なときの対領空侵犯措置のように、警告して退去を求めるなどということはありません。

場合によっては、中国機を追撃する航空自衛隊機が台湾の中部から南部くらいまで入ってしまうこともあり得るのです。ジェット機が音の速さのマッハ1で飛ぶときの距離は1分間に約18キロ。戦闘状態ではその半分以下のスピードですが、それでも気がついたら自衛隊機は台湾上空、中国機も沖縄上空まで飛ぶということは理解しておかなければなりません。

台湾と尖閣諸島などを射程圏内に収める中国の地対空ミサイルシステムS-400の移動式発射装置に対する米軍の攻撃も行われるでしょう。「自衛隊は燃料補給など米軍への後方支援活動をする位置づけ」などということはあり得ないのです。燃料補給も、戦闘状態の中で行う活動になってくるのです。

医学博士が断言。「ワクチンで血栓」の死亡率は飛行機事故より50倍も低い事実

日本でも新型コロナのワクチン接種が始まり、連日のようにテレビや新聞で最新情報が報道されています。しかし、中には「ワクチン接種後に血栓症で死者が出た」というニュースを見て、ワクチン接種に二の足を踏んでいる方も多いのではないでしょうか。米ボストン在住の医学博士でメルマガ『しんコロメールマガジン「しゃべるねこを飼う男」』の著者であるしんコロさんは、ワクチンによる血栓症で死亡する確率は限りなく低いとする根拠を挙げながら、その確率は飛行機事故で死亡するより50倍も低いことを丁寧に解説。そして、ワクチンを接種することが人類を守ることにつながるとしています。

 

医学博士が徹底解説。「ワクチンで血栓ができる」は本当か?

英アストラゼネカと米J&Jのワクチンを接種した後に、血栓症により死者が出たというニュースは皆さんも目にされたかと思います。この件に関して、事実を盛るわけでも隠すわけでもなく、現在わかっていることと進められている対応について記してみたいと思います。

ちなみに、4月時点では日本で承認されているのはファイザーのもので、英アストラゼネカと米モデルナのワクチンは今月5月に承認されるという流れになっています。

さて、先月の23日に米疾病予防管理センター(CDC)で、恒例のワクチンに関する諮問委員会のミーティングが行われました。ミーティングのプレゼンは実はYouTubeにもアップされており、誰でも見ることができます。

CDCミーティングサイト
諮問委員会のミーティング(コロナワクチン全般)
諮問委員会のミーティング(J&J製のワクチンに関して)

このプレゼンの中の一つ、Dr. Tom Shimabukuroの発表にいくつか血栓に関して興味深い数字がありましたので紹介しておきます。

そもそも血栓とは何かですが、文字通り血が固まって栓となり、血管を塞いでしまうことです。動脈でも静脈でも起こりうるもので、心筋梗塞や脳梗塞を起こすことに繋がります。また、血栓症には血小板減少性を伴うものがあります。血小板は血液を凝固させるのに必要な血液細胞の一種ですが、これが減少することで血が固まらなくなる、つまり出血が止まらなくなるのです。稀ではありますが、重篤な血小板減少性によって脳出血を引き起こすこともあり、非常に危険です。

問題は、ワクチンによってそういった血小板減少性を伴う血栓症が起きるのか? ということです。まずは数字を見てみましょう。

2021年4月12時点では、J&Jのワクチンでは686万接種のうち、6件脳内での血栓症が報告されました。これは、100万回接種のうち0.87の割合で血栓が報告された形になります。

ファイザーのワクチンでは9790万接種のうち、脳内の血栓症の報告はゼロでした。モデルナのワクチンでは8470万接種のうち、3件の脳内の血栓症の報告がありましたが、3件とも血小板減少性はみられませんでした。

この時点でCDCは、J&Jのワクチンと血栓には関連があるかもしれないと判断しました。というのも、ワクチンをしていない人たちよりも発症率が高いからです。ただし、まだデータが少ないので確実なことは言えない状況です。同時に、J&Jのワクチンは「アデノウイルスベクター」を用いる方式で、アストラゼネカのワクチンと構造が似ており、そしてアストラゼネカのワクチンも似た血栓が報告されているので注視が必要とCDCは判断しました。

一方、mRNAワクチンであるファイザーとモデルナ場合、合わせて1億8200万の接種が行われましたが血小板減少性を伴った血栓は1件も報告がありませんでした。

また、J&Jワクチンを接種して血栓ができた患者は30~40代の女性に比較的多く分布しています。4月21日時点では、798万人の接種者のうち、15人の血栓の報告があり全て女性でした。18~49歳に13人、50歳以上に2人報告されたことから、比較的若い女性に発症が偏っているようです。発症した人の年齢の中間値は37歳、発症日の中間値は8日、12件は脳内での血栓がありました。

ただし、発症した人たちに既知の血栓を招きやすい既往症や薬物の使用があったのも事実でした。2人が経口避妊薬を使用しており、7人は肥満、2人は甲状腺亢進性、2人は高血圧がありました。そして、発症をした15人のうち、3人が亡くなりましたが、この3人は血液の凝固を防ぐヘパリンの治療を受けなかった方々でした。残りの12人のうち、7人は入院を続け、5人は退院しました。

 

なぜマンションで風呂の残り湯を貯めることが防災対策にならないのか

先日掲載の「最悪の場合『汚物』地獄も。災害時のトイレで起こる悲惨なケース」では、集合住宅の場合、被災時に水の供給が止まるだけでなく「流せなくなる」という状況が生じ得ることを指摘した、マンション管理士の廣田信子さん。そんな廣田さんは今回、自身の無料メルマガ『まんしょんオタクのマンションこぼれ話』で、自宅マンションの排水経路を知っておくべき重要性を紹介。専門家を招いての調査を勧めていますが、雑排水管清掃の際、業者に同行し経路を確認するだけでも理解できることがあり、プロからの「生の声」を引き出だせる場合もあると記しています。

【関連】最悪の場合「汚物」地獄も。災害時のトイレで起こる悲惨なケース

排水経路の「弱点」を知っていることが一番の「強み」に

こんにちは!廣田信子です。

先日のマンションコミュニティ研究会のフォーラムでは、集合住宅の災害時のトイレ使用マニュアルについて、長谷工技術研究所 第3研究開発室 専門役 木村洋氏に、基調講演をして頂きました。公益社団法人空気調和・衛星工学会集合住宅の在宅避難のためのトイレ使用方法検討小委員会がとりまとめた「集合住宅の『災害時のトイレ使用マニュアル』作成手引き」にそったお話です。かなり専門的でありながら具体的で、各マンションで役立てて頂ける内容です。

集合住宅の「災害時のトイレ使用マニュアル」作成手引き

最悪の場合『汚物』地獄も。災害時のトイレで起こる悲惨なケース」でも書きましたが、「トイレを流せない」「排水ができない」というのは、災害時の在宅避難にとって、もっとも大きな壁です。

【関連】最悪の場合「汚物」地獄も。災害時のトイレで起こる悲惨なケース

トイレの汚物・汚水も、生活雑排水も、どこかで合流して、公共下水道に流れますから、どちらも流すことが不可となる可能性も大きいのです。

私の東日本大震災時の体験は、まさにその状況でした。トイレを流せないどころか、手を洗った水さえ流せないのです。水が出なくなった場合にトイレに使えるように、風呂の残り湯をためていたお宅では、残り湯が使用できないため、だんだん腐っていっても、それを流すことすらできない…という状況になりました。以後、私は、ふろの残り湯をためておくということを防災対策として推奨していません。

そして、被災時には、排水経路のどこに損傷があったか、その程度はどのくらいかを調べることすら簡単ではありません。被災時には、被害が重なりますから、専門家がなかなか来てくれないことも想定しておかなければなりません。自分たちで実施できる調査方法についても、上記の「マニュアル作成の手引き」には記載されています。

被害調査以前に、自分のマンションの排水経路がどうなっているか、みなさんは知っていますか。自分たちの出した排水が、どこにある立管を通って、どこで横引き管につながり、どのように合流しているのか。その横引き管がどこから建物外に出て、どの排水桝につながり、敷地内をどのように勾配を取りながら道路に出て、公共下水道につながっているのか。平面図と断面図(勾配のとり方)、両方をイメージ出来たら立派です。まず、この状況を正しくしていることが、すべての基本だと思います。マンションによって状況は様々ですから、まず、これを把握しないと、マニュアルもつくれません。

【書評】橋本治が三島由紀夫の小説を『写生画』と表現したワケ

多くの文学賞を受賞する小説家としても、飾らない内容で書き上げる随筆家としても著名な故・橋本治氏。今回の無料メルマガ『クリエイターへ【日刊デジタルクリエイターズ】』で編集長の柴田忠男さんが取り上げているのは、橋本氏のポリシーを記した『バカ』面白い一冊です。

偏屈BOOK案内:橋本治『そして、みんなバカになった』

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そして、みんなバカになった

橋本治 著/河出書房新社

橋本治は2019年1月29日に70歳で亡くなった。1968(昭和43)年東京大学在学中に、「とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが泣いている 男東大どこへ行く」という東京大学駒場祭のポスターで注目された。わたしもさっそくパロディを作って、大学の文化祭で展示した。なにしろ「レタリング研究会」なる愛好会の設立者なのだ。女子部員が8割というお花畑だった。52年前の話かい!

「♪お魚くわえたどら猫~」って泥棒猫が台所に、という歌かと思っていた。橋本が解説する。戦後に食料の配給があると、町内会が道ばたに新聞紙みたいのを広げて、配布用の魚を並べておく。誰かが見張り番をしている。サザエさんが番をしているとき、野良猫がくわえて逃げちゃった、というシーンだという。『サザエさん』は戦後風俗にシンクロしている時期があったらしい。

橋本にとって本を「読む」のと、絵を「見る」のは同じ。「読む」の幅を拡げている。文章も絵もいっぺん壊して解体しないと読めないという。三島由紀夫がすごいのは情景描写で、『午後の曳航』は近代でいちばん美しい写生画だと絶賛。デッサンの跡が緻密に書いてあって、それに薄く絵の具を塗った水彩画のようなもの。つまり字が見えていて、そこに風景があるというもの。

行間で絵を見せるのではなく、文章が全部、彼の骨格になっていくくらいで、正確きわまりなくて、その正確さが美しいのだそうだ。「あれだけの風景画を描いている人って、画家でもそんなにいないでしょう」とまで書いているので、どんなにすごいのか、書棚から三島由紀夫全集14を引き出して『午後の曳航』を読んでみたが、橋本の力説するような現象は、わたしには全然起きなかった。

橋本がワープロで書かなくなった理由は、三島について書いているときに、三島の直筆原稿が頭に浮かんだからだ。三島は死に向かいながらも、一字一字、万年筆で書いていた。もうひとつは、「ひらがな日本美術史」の取材で、寺僧の許可を得て円空仏に触れたとき、小刀を持って何かを作りたがっている子供みたいな感覚が蘇り、自分は手が好きなんだと思った。それから手書きになった。

根拠示さず数字を並べる読売「五輪選手ワクチン優先」の胡散臭さ

国民のほとんどが開催に疑問を持っていると伝えられる東京五輪。それでも政治家やIOC、JOC、大会組織委員会に東京都などは「安心安全な大会を実現」の一点張りで、国民の不安や不満など歯牙にもかけません。そして伝えられ始めた五輪出場選手へのワクチン優先接種の方針。今回のメルマガ『uttiiの電子版ウォッチ DELUXE』では、ジャーナリストの内田誠さんがこの問題を伝えた読売新聞の記事について、根拠も数字の内訳も示さずバッハ会長の発言をなぞるだけの記事には注意が必要と解説。JOC山下会長が語った前提条件も疑問と論じています。

五輪選手へのワクチン優先接種について新聞はどう報じてきたか?

きょうは《読売》から。五輪選手へのワクチン優先接種が進んでいるようです。既に選手村に滞在する選手の75%が接種済みだとIOCのバッハ会長が発言したようです。

そこで、「五輪選手」「ワクチン」「優先」で《読売》のサイト内を検索すると、27件にヒットしました。そのうち、選手へのワクチンの「優先接種」に触れているのは10件。まずは、《読売》1面記事の見出しから。

「五輪選手ら75%接種」
予定含め 医療者派遣案も

以下、記事概要。IOCのバッハ会長は、東京五輪・パラリンピックで選手村に滞在する選手らのうち、75%が新型コロナウイルスのワクチンを接種済みか接種予定であることを明らかにしたと。同時に、IOCとして、各国・地域の五輪委員会担当の医療スタッフを提供する意向も。日本の医療体制に配慮してのことか。さらに、「大会開催時には選手村のワクチン接種者は80%を超えると確信している」とも。

●uttiiの眼

実にあやふやな話。75%の根拠はどこにあり、「接種済み」と「接種予定」の比率はどれほどか。また「接種済み」にしろ「接種予定」にしろ、どうやって調べたのか。こういう腰だめの数字には何の根拠もないことが多いから要注意だ。80%の話も同様。

さらに、記事は末尾で触れているだけだが、外国の医療従事者が日本国内で医療行為を行うことは簡単ではない。東日本大震災の場合が例示されているが、4年に一度のスポーツ大会と1000年に一度あるかないかの巨大災害のケースを同列に論じるのは無茶だ。

【サーチ&リサーチ】

2021年1月27日付
タイトル「五輪選手らは訪日前にワクチン接種を…IOC「日本の人々を守るためにも」」の記事中、次の記述。「IOCは発表で、医療従事者や高齢者、基礎疾患がある人々などのワクチン接種が最優先だと強調した上で、社会のより広い層への接種が可能になった場合に、選手らに接種を呼びかけるとした」

*この段階では、選手を優先するという考えは見当たらない。《読売》のベテラン記者も以下の記事のように批判的だった。

「ずっと見てますよ感」を出すな。ちょうど良い客の見送り方は?

高級ブランドショプやちょっと値の張るレストランを利用した際に遭遇しがちな、違和感を抱くほどの丁寧なお見送り。「感謝の気持の表明」と重々理解してはいるものの、周りに他人がいる時などは恥ずかしさすら感じてしまうものです。翻って見送る側、すなわちお店サイドは、お客様にそのような思いをさせないためどのように振る舞うべきなのでしょうか。今回の無料メルマガ『販売力向上講座メールマガジン』では接客販売コンサルタント&トレーナーの坂本りゅういちさんが、「ちょうど良い見送り方」について考察しています。

プレッシャーを与えてはいませんか?

我が家の近所にある飲食店(フレンチの店)は、お客様が帰られる際には、毎回スタッフが店の外に出て姿が見えなくなるまで見送るというスタイルを取っています。

これについては、賛否両論あると思っていて、例えば、本当に高級かつ、購入頻度の高くない商品を扱っているような店であれば、こうした見送りは適切かもしれませんし、逆にそうではない店の場合は、お客様が引いてしまうことがあるので、避けたほうが良いという場合もあります。

結局はどれが正解なのかなんて、その時々によって変わるものなので、何とも言えないものではあります。私もこうした見送りをしていたことは結構ありますし、店によっては、今でもこういう見送り方を推奨することもあります。ただ、その見送り方自体には、もっと考えを張り巡らせるべきではないかと思います。

お客様の姿が見えなくなるまで見送る。これが絶対に悪いとは言いません。しかし、その見送りは何のためにやることなのでしょうか?お客様に対する敬意を表すため?それとも、お客様に「ちゃんと見送ってもらえているな」と気持ちよく帰ってもらうため?

これを考えると、まず間違いなく出てこないものがあります。「プレッシャーを与える」という理由です。

最後まで見送りをする理由に「お客様にプレッシャーを与えるため」と答える人はまず存在しないでしょう。ですが、実際にはどうでしょうか?最後まで姿勢正しくお客様の姿を凝視することで、プレッシャーを与えてしまっているということは本当にないのでしょうか?

冒頭に書いた店の問題は、実はここだと思うのです。

その店は、いつも最後まで見送りをすることで、周囲を通っているお客様も、見送られているお客様も結構引いてしまっています。実際私は、帰っている途中のお客様の横を通る際に「まだ見送ってるよ」「怖い怖い」と言っているのを直に聞いているくらいなので、そう感じている人がいるというのもわかっています。

ではなぜそう感じるかと考えてみると、やはりプレッシャーを与えるような見送りになっているからなのです。その見送り方は、整列した上で、きちんとした姿勢で、手の位置も全員揃っていて、ずっとお客様の様子を凝視しながら見送っています。しばらく様子を見ていても、数分間はそのままの状態なのです。これだとお客様もプレッシャーを感じやすくなってしまいます。

自殺未遂も。絶望の10代を過ごした宮本亞門が演出家を目指した訳

炎上を覚悟で東京五輪の開催中止を訴え、各所から称賛を受けている宮本亞門さん。今でこそ華やかな世界に身を置く宮本さんですが、かつては自殺未遂を繰り返す絶望の日々を送っていたと言います。そんな宮本さんを演出家の道に導いたのは、どんな思いだったのでしょうか。今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、宮本さんご自身がそのきっかけと、演出家が命を賭すに値する仕事であると確信した瞬間を語っています。

「演出家には最も遠い人」だった宮本亜門の20代

世界的な舞台演出家として活躍中の宮本亜門氏ですが、10代の頃は自殺未遂を繰り返す引き籠もりの少年だったといいます。その宮本さんはどのようにして自らを大きく変革していったのでしょうか。

『致知』最新号「20代をどう生きるか」にて、自身の若い頃の思いを語ってくださいました。


「演出家には最も遠い人」

周りからそう揶揄されるほど人見知りで気の弱かった僕が、演出家という夢を掴み取ることができたのは、ひとえに強烈な願望を抱き続け、諦めなかったからでしょう。

人とうまくコミュニケーションを取れず、生きる希望も見出せなかった10代は、自殺未遂を繰り返し、引き籠りも経験しました。そんな暗闇の中でも夢を見つけ、失敗を重ねつつも演出家になった僕の、決して煌びやかでない歩みが少しでもお役に立てればと願い、振り返ってみたいと思います。

そもそも演出家を志したのは、高校2年次の1年間の引き籠りがきっかけです。友人と趣味や話題が合わず、真っ暗な自室に籠ってひたすらレコードをかけて一人でミュージカルやクラシックに聴き入っていました。その中で、音楽の素晴らしさや世界観に心を動かされ、次第に生きる力が湧いてきたのです。

その感動を何とか視覚的に表現し、多くの人と分かち合いたい。その純粋な思いが原点となり、18歳の時に演出家を目指したのでした。

演出家の中にはダンサーとして活動を始め、振付師を経て最終的に演出を手掛けるようになった人が多かったため、僕も様々なオーディションに参加し、21歳の時にプロのダンサーとしてミュージカル『ヘアー』に出演しました。ところが舞台初日の朝、長く病を患っていた母が亡くなってしまったのです。母は元松竹歌劇団のダンサーでした。その母の死に際し、「これからは一人で頑張らなければ」と、込み上げてきた思いのままにニューヨークに飛び、ブロードウェイで初めて生のミュージカルを観ました。

その時の感激は忘れもしません。自らの命を削るが如く、舞台で懸命に演じる役者の姿に打ち震え、全身に鳥肌が立ったのです。当時の日本では、「ミュージカルは女・子供がやるものだ」と少し差別的なイメージを持たれていました。しかし、自分の目で本場のミュージカルを見て、演出家という仕事は命を賭すに値する仕事であると確信を得たのです。


メルマガが本になりました!新刊のご紹介 

cc20201202-s1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書
(致知出版社 刊)
致知出版社の「人間力メルマガ」』が一冊の本になりました。
日本が誇る超一流の方々の名言集、好評発売中!

image by: Sociopath987 / Shutterstock.com

『M 愛すべき人がいて』著者・小松成美が明かす「取材」の技術。 コミュニケーション力が日本のビジネスを加速する

日常生活ではもちろん、ビジネスシーンにおいても重要視される「コミュニケーション能力」ですが、こればかりは生まれもって備わっているものではありません。では、この能力を高めるために私たちはまず何を見直し、何から始めれば良いのでしょうか。ベストセラー『M 愛すべき人がいて』や『虹色のチョーク』などの著書として知られる人気ノンフィクション作家の小松成美さんが、5月11日に創刊したメルマガ『小松成美の伝え方の教科書-ノンフィクション作家に学ぶコミュニケーション術』 では、たくさんのトップアスリートやトップ経営者の唯一無二の「人生」を取材してきた経験をもとに、書籍だけでは書ききれなかった小松成美流のコミュニケーション方法や独自哲学を伝授。その創刊号では、数多くのインタビュー取材で会得したという「コミュニケーションの基本であるマナーや礼節というものがいかに大切か」ということについて、的確かつ丁寧に紹介しています。

 

 

コミュニケーションは感謝と準備から

私は、人に会い、話を「聞く」ためにはまず、礼を尽くさなければならないと思っています。「そんなこと当たり前のこと、誰でも普通にやっている」と思うかもしれません。しかし、当たり前のことができていない人が大勢いるからこそ、マナーや礼節の大切さを解く本やセミナーがどんな時代も必要とされているのです。

なぜ、マナーが必要か、と問われたらあなたはなんと答えますか。自分の胸に手を当てて、少し考えてみてください。

人を敬う心の現れであり、人々が円滑に暮らす生活の潤滑油であることは間違いありませんが、取材やビジネスでは、さらにその答えが明解です。

なぜ、マナーが必要か。その理由は次の3つ。

  • マナーを会得し披露することは、自身の経験や教養の証明になる
  • 相手の経験やビジネスのレベル、真剣度合いを知ることができる
  • マナーを体得すれば、「自分軸」で物事をすすめることができる

礼儀やマナーを体得すれば、自分の体験やポテンシャルを一瞬で相手に伝えることができます。同じように、向き合う人のマナーを観れば、経験やレベル、その場にどんな気持ちで臨んでいるかがわかります。取材もビジネスも一期一会。常に真剣勝負です。

心に余裕を持って礼儀作法を行うことで、その場、その空間を仕切ることができます。つまり、自分のペースで相手と接することができるのです。

昨今、マナーを軽率に扱う人も増えてきました。軽率にするその姿勢は相手にマイナス要素を与える可能性しかありません。少しの心配りと気配りで出来る礼節を疎かにしてしまう姿勢は、リスクマネジメントの観点からもお勧めできません。むしろ、いくつかの基礎マナーを会得するだけで、対人アドバンテージ(有利、利益、利点)を手にできます。自分軸を持つことから、交渉やプレゼンテーションは始まります。

マナーは、ビジネスにおいても「成功にとっての適切な準備」と言えるのです。

 

 

挨拶に始まり、挨拶に終わる

マナー・礼節の第一章は、まず「挨拶」です。

多くの日本人は子供の頃から「きちんと挨拶をしなさい」と言われます。家庭でも学校でも、挨拶から一日が始まり、人間関係がスタートするのだ、と繰り返し教えられます。

確かに、清々しい挨拶は気持ちを晴れやかにしてくれますが、挨拶の効用は実はもっとダイレクトなものです。

それを端的に示すと以下の3つになります。

  • 自己の存在を証明する
  • コミュニケーションの意思を表明する
  • 自信を育成する

挨拶は、「私はここにいます」「あなたと向き合っています」という発信であり、その声のトーンや言葉遣いは、個性や思考を伝えるインパクトある信号です。挨拶の言葉・動作は、内に込められた思いにタグを付けたようなもの。知性や意欲や情熱を伝え、向き合う人たちにこちら側の意志を明解に伝える重要な初動なのです。

言葉と動作・行動がその人の人生を決めると言っても過言ではありません。使命や価値観、仕事への動機など胸に詰まっていることを伝え、表現していく人の最初の言葉が挨拶なのです。

挨拶の数だけ自己のイメージを伝える機会を得ます。その積み重ねが自信となり、信頼となります。挨拶ができない人を信頼できないのは、短い挨拶の先にある膨大なコミュニケーションを拒否しているように感じられるからです。たかが挨拶、されど挨拶です。何事も些細なことが大事なのです。

礼を尽くすというのは、相手への尊敬から発する行為ですが、私は自分自身のためでもあると考えています。相手が発信する情報をもれなく受け取るために、大きなプレート(受け皿)を用意したい。受け皿を大きくすればするほど、たくさんの情報を受け取れるようになります。礼節は、情報を入れる容器(キャパシティー)の確保であり、また「おもてなし」の心だと思うのです。
もう一度言いましょう。礼を尽くす──。

本来は儒教の精神を背景にした言葉ですが、ここではそうした思想性ではなく、向き合う相手に対して「マナーを守ること」という意味で、その態度のありようを見ていきましょう。

日本のマナーは、とても細やかに設定されていて、厳密です。でも、そのマナーを習得していくと、情報を盛るプレートがどんどん大きくなり、また頑丈になります。厳密とはいっても、難しく捉えることはありません。要するに、「気づかいのススメ」です。気づかいこそが、マナーの始まりだと考えます。相手を気づかえば、それがすべて自分に返ってきます。気をつかっていると不思議なもので、おのずと相手は欲している情報をより早く発信してくれるようになります。相手に心を開いてもらうには、こちら側から心を開いていく。その心を開く方法のひとつが相手への気づかいです。

たとえば、

  • 挨拶をきちんとする
  • 会議や会食やタクシー内での席順を臨機応変に判断する
  • 美しい作法で食事をする

こうした一つ一つの行為によって、人が受け取る印象は変わります。それぞれの行為が一つ一つ、相手へのメッセージになるからです。話を聞く場で、相手を自然に上座に案内することができれば、それは「自分の立場をわきまえている」というメッセージになります。

 

 

マナーは正解がひとつじゃない

マナーを学ぶ方法はいくらでもあります。数々のマナー本に加え、インターネットでもほとんどの情報が収集できます。気に入ったマナー本を一冊手もとに置いて、気になることがあったら幾度も繰り返し見直す習慣をつけるのです。

マナーは言葉を発する前段階のコミュニケーション。まずマナーを知り、人間関係を豊かにするための基本設定をしておくのです。外国の方に会い、話をうかがうときには、その国のマナーをあらかじめ学んでおくことも大切な心遣いでしょう。マナーとは、それぞれの文化の中で生まれたルールですから、世界中のいたるところに、固有のマナーがあります。

一つ留意しておきたいのは、マナーは文化に根ざした、それぞれの文化固有のものであるということです。だから、文化が異なればマナーも違ってきます。外国と日本では習慣が違います。たとえば、日本では子供の頭をなでることは、その子供を慈しみ、親愛の情を示す動作ですが、タイ、ベトナム、カンボジア、ラオス、ミャンマーなどでは子供の頭には触ってはならない、と言われます。頭にはその人の霊が宿ると考えられていて、そこに他人が手を触れるのは大変な侮辱になるのです。

クリント・イーストウッド監督・主演の映画「グラン・トリノ」にもそうした場面が登場しました。クリント・イーズとウッドがモン族(タイやラオスの少数民族)子どもの頭を撫で「頭には魂が宿ると考えられているので子どもであっても頭を触ってはいけない」と、諫められるのです。

同じ日本人同士であっても、年齢や性別、その人やその属する集団が人間関係やマナーにおいてどのような感覚を持っているかで、振る舞い方はおのずと変えなくてはならないでしょう。可能であれば、向き合う人の文化的バックグラウンドを事前にチェックしておくことも大事です。事前の準備こそが、相手へのリスペクトです。

基礎のマナー学習と、その場その場での応用。この両方が求められるので、易しくはありませんが、だからこそ、マナーを学んで身につける喜びは大きいと思います。基礎のマナーを学ぶことは、気づかいを学ぶこと。ここを「当然のことばかりだから読み飛ばしてしまえ」と思った人、ふとした瞬間に落とし穴があることを肝に銘じて下さい。

 

 

フラットな心で人と向き合う

マナーのベースは常に「相手を思う」ことにあります。相手の立場や胸中を気づかう、思いやるということです。しかし、マナーの本を一生懸命に学んで、知識が身についたときに陥りやすいのが、“階層意識”です。

「人の立場、肩書き」ばかり見る「クセ」がついてしまい、立場や肩書きなどだけで人を判断し、それを物差しにして対応するようになってしまえば、それは、もはやバイアスのかかった見方しかもてなくなっている状態ですね。初対面の場で、日本は「どこの部署・役職の人なのか」を気にしやすく、欧米では「何をしている人なのか」を聞く、と言われます。この文化の背景を考えてみると何か興味深い考察が得られるかもしれません。

私は、年齢や職業、肩書きや経験に尊敬を表すと同時に、真っ平らな気持ちで人に向き合いたいと思っています。フラットな心を見失うと、その時点で既にいい人間関係は築けなくなってしまうと思うからです。

挨拶やお礼の言葉は、誰に対しても同じようでありたいものです。わけへだてなく誰に対してもきちんとしたマナーで応対できる人は、それによって、人を肩書きや立場で見ていないという、素晴らしい基本姿勢をメッセージとして発していることになります。

一例を挙げてみましょう。あるテレビ局で、早朝番組に出演していた時のことでした。「おはようございます」と、出演者に声をかけている若いAD(アシスタント・ディレクター)さんがいます。ADさんとは、テレビ番組を作る現場で、補佐的なさまざまな仕事をする人です。最近はテレビの舞台裏が紹介されることも珍しくありませんから、ご存じかもしれませんが、テレビ局のスタジオにはとてもたくさんのスタッフがいます。

ADさんはスタジオでさまざまな雑事をこなしています。彼らは、名前を名乗ることもありません。「おい!AD」と呼ばれたりもしています。私たちがスタジオに入るときには元気に「おはようございます!」と声をかけてくれます。なぜならADさんは「みなに元気よく挨拶する」役割も担っているからです。しかし、挨拶を受けた出演者の中には、ADさんに挨拶を返さない人もいるのです。ADさんだから、名前も覚えられず、挨拶もされないのが普通と思う人がいるのかもしれません。でも、それはもっともさみしいことだと、私は思っていました。

仰々しく挨拶する必要はないけれど、ADさんが「おはようございます」と声をかけてくれたら、「おはようございます。よろしくお願いします。」と自然に応える。それがコミュニケーションであり、そこに人間関係や対話が生まれていくのです。挨拶は、対話の始まりでもあります。私が挨拶を交わした若いADさんたちは、オンエアが終わると、スタジオの出入り口で私を待ってくれていました。彼らは「小松さんの本が好きで、何冊も読んでいます」と感想を告げてくれるのです。感想を聞いた私は、ADさんたちに名前を聞き、一人一人名前で呼ぶようになりました。

局内で顔を合わせると、自分の取材や新しいテーマについて話し、また私の新しい本が出ると読んでその感想を伝えてくれる。という交流が続いていきました。

数年後、そのADさんの一人がディレクターに昇進、私に番組への出演依頼をくれました。彼はチームリーダーとなったその収録現場で、「小松さんがADだった僕たちの名前を呼んでくれたことがすごくうれしかった」と言うのです。

彼はこう続けました。

「下積みの自分たちが出演者の方々にとって“人”ではないことは分かっています。人格なんて必要ない雑事の連続で、毎日言われたことをこなし、ミスをして怒鳴られないようにと、ふぅふぅ言いながら走り回っていました。そんな時、小松さんだけは、僕らの名前を呼んで、笑顔で挨拶をし、自分の大切なテーマや執筆の苦労を話してくれました。そして、よくこう言ってくれました。『○○さんがディレクターやプロデューサーになって作る番組を心待ちにしていますよ』って。僕は涙が出るほど嬉しくて、いつか必ず自分がディレクターになって小松さんと仕事をしようと目標を立てたんですよ」

清々しい表情で話す彼の横顔を見て、私も涙が溢れてきました。

 

 

フラットな心は人の人生をも変える

私にも同じような経験があります。ライターになりたいと思い立ち、出版社を訪れた時のことです。「どんなささやかな仕事でも良いので働く機会をいただけないでしょうか。荷物運びでもアシスタントでもなんでもやります」と問い掛けた私に、編集の方々は、そのほとんどが笑ったり、露骨に迷惑そうな顔をしたり、しきりに腕時計に目をやったりしていました。

その頃会った読売新聞の女性記者の方が、執筆を生業にすることが不可能と思えて、すっかり気落ちしている私に、がこう言ってくれたのです。「今の小松さんは素人で、仕事も簡単には見つからないでしょう。でも、あきらめずに続けていけば、必ず作品が書けるようになりますよ。最初はみんな素人です。素人がプロになるのです。いつかあなたがプロになったら必ず、一緒に仕事をしましょう」

この新聞記者さんのフラットな心に、私は救われました。なんとか小さな仕事についた駆け出しの苦しい頃、この言葉を支えにしていました。自分が何者でもなかった時代、一人の人間として向き合ってくれたこの方の心が、勇気を与えてくれたのです。今も感謝の気持ちが薄れることがありません。

礼を尽くす心は、年齢、性別、環境、職業、人種といった相手の属性で変わるものではありません。変えてはならないのです。そう決意することが、対話を阻む高い壁を壊していきます。

鮮やかなグリーンの上で見せたたった一つの美しい礼は、人や物事にわけへだてなく接するフラットな心の大切さを改めて教えてくれました。その先に「聞く」「話す」というコミュニケーションの術が広がるのです。この先、私がノンフィクション作家として学んだコミュニケーション術の数々を、メルマガであなたにお届けできることを楽しみに思っています。

「礼節」と一言であらわすと難しく聞こえますが、その意味は「礼儀と節度」、つまり社会的ルールに適した行動や作法で敬意を表現すること。また、適度な度合いの表現のことです。根底にあるのは、他者に対するリスペクトと真摯に向き合う姿勢。いかなる立場においても感謝を感じられる謙虚な精神です。これらを意識するだけでも、日々の振る舞いは劇的に変化するでしょう。

先代からずっと大切だと受け継がれたものには、必ず理由があります。我が身を振り返り、心を整える。そんなきっかけになる1日にして欲しいです。

今日出会った人に、どんな小さなことでもいいから感謝を伝えてみる、そんな小さな一歩から始めてみるのはいかがでしょうか?

小事は大事。

皆さまの日々が幸せでありますように。(メルマガ『小松成美の伝え方の教科書-ノンフィクション作家に学ぶコミュニケーション術』5月11日号より一部抜粋)

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