「人は何かの犠牲なしには何も得ることはできない」は本当だった

多忙なビジネスパーソンが一念発起して新しく何か始めようと思っても、継続して成果を出すことは容易ではありません。今回の無料メルマガ『弁護士谷原誠の【仕事の流儀】』では著者で現役弁護士の谷原誠さんが、仕事や勉強などの「やりたいこと」で成果を出すためには、なぜ何かを「犠牲」にしなければならないのかについて、具体例を交えながらわかりやすく解説しています。

痛みを得る勇気

こんにちは。弁護士の谷原誠です。

勉強でも仕事でも、成果を出そうとしたら、「頑張る」ことが必要です。たとえば、資格試験に合格しようと思い立ったら、参考書を買い込んで、「よし!頑張るぞ~!」と決意します。そして、当日あるいは翌日から勉強を始めるわけです。仕事でも同様でしょう。

しかし、多くの人は、途中で挫折し、成果を出すことができません。実際に「頑張ろう!」と決意し、頑張っています。でも、結果が出ません。

その一つの要因は、「頑張ろう!」という前向きな気持ちは持っていても、「犠牲にするという痛みを伴う覚悟が足りないことです。

たとえば、TOEIC900点を目指そう、という決意を持って勉強を始めようとします。計画を立てる際には、「1日3時間」とか、勉強時間を決めることでしょう。睡眠時間を削るのは非効率なので、今まで他のことに使っていた3時間を、英語の勉強にあてる、ということを意味します。

私たちは多くの場合、ここで、「何を犠牲にするかを考えません。必ず3時間を確保するためには、同僚からの飲み会を断って、「付き合いの悪い奴だ」と言われるかもしれません。飲み会に付き合っていたら、その日、3時間を確保できないこととなります。ネットサーフィンで情報収集するのが日課だったら、それを辞めることになるかもしれません。

これらが犠牲というものです必ず痛みを伴います

このような場合に、私たちは、往々にして、「そんなことは言っても、同僚や友人との付き合いも大切だ。円滑な仕事に支障が出てしまうではないか」「常に情報収集していないと、特に営業職の自分では雑談の際に支障が出てしまう」などと、犠牲を払わない自分を正当化してしまいます。そして、その結果、途中で挫折して、成果を出せなくなってしまう、ということです。

前向きな気持ちの時には、なかなか痛みを伴う覚悟は持ちにくいものです。成果を出す、頑張る、ということは、自分の時間と情熱をそこに集中させていく、ということです。ということは、その反面で、必ず何かを犠牲にしている、ということでもあります。

犠牲にする勇気を忘れないようにしたいものです。

今日は、ここまで。

image by: Shutterstock.com

思春期の子どもを持つ親が身につけたい「聴く姿勢」4つのポイント

親と子の会話が、あるときギクシャクし始め、親のほうが子どもの顔色を伺うようになってしまう。思春期の子を持つ親御さんにはそんな悩みを抱える人も多いようです。メルマガ『子どもを伸ばす 親力アップの家庭教育』の著者で家庭教育のプロの柳川由紀さんが、「自分はもう大人」と自覚し始めた年頃の子どもとの会話のコツと、気をつけたい「言行不一致」についてアドバイスしています。

どう聴く?思春期の子どもの話

Question

shitumon

娘との会話では、最後には必ず娘がキレます。「お母さんに聞いてもらっても結局、最後はお説教になるからイラつく」と言われてしまいます。私はそんなつもりはなく穏やかに話しています。

娘と会話することに、最近は構えてしまってご機嫌取りのようになってしまいます。上手くコミュニケーションを取るにはどうするのが一番良いのでしょう?(高1女子のお母様より)

柳川さんからの回答

思春期の子どもは子どもの面を持ちつつも、「自分はもう大人」という自覚も移行期です。親からの干渉や、子ども扱いに抵抗します。そんな時期の子どもとの会話のコツをお伝えします。

1.子どもはただ聴いてほしい

反抗期の子どもでも、本心は親に話を聴いてもらいたいと思っています。ですからまずは、否定せずにとことん聴くことです。自分の考えを持つようになった子供の話を「うん、うん」「そうなの」「そう思ったのね」「あなたなりの考えがあるのね」と受け止め、聞き役に徹することです。何かを伝えたいのであれば、子どもが「私の話をしっかり聴いてもらえた」と思えてからにしましょう。

2.基本は「傾聴」

傾聴というと難しそうですが、「相手の良いところを知る」ための聴き方とも言えます。「聴くためのスキル」でもありますが、その先にあるのは相手を知ることです。聴く姿勢のポイントとしては次の4つがあります。

  1. ペーシング(相手のペースにあわせる)
  2. ミラーリング(鏡のように同じことをする)
  3. バックトラック(おうむ返し)
  4. 要約(タイミングに応じて要約する)

おうむ返しの例として、東京巣鴨にあるマックは、日本で一番リピート率の高い店として有名だそうです。その理由は、傾聴のスキル、ペーシングとバックトラックを使っているからとも言われています。

例えば「ジャガイモ揚げたやつ1つ」と言われると、相手に合わせて「ジャガイモの揚げたやつ、1つですね?」と答え、決して「ポテトフライ1つですね?」とは言わないのだとか。これが、相手の話を聴いているということなのでしょうね。

3.大人と話すつもりで

親は我が子に遠慮がないですから、ついついきつい口調や、ぞんざいな口調になりがちです。思春期の子どもたちは、「自分はもう大人」と自覚を持っていますし、尊重して欲しいと思っています。ですから、子どもを近所の大人だと思って話をしてみましょう。そうすると、親もぞんざいな口調ではなく、踏み込みすぎずに会話をできるはずです。

「とんちの一休さん」から程遠い、禅僧一休の破天荒「風狂」人生

テレビアニメ「一休さん」のモデルと言われる禅僧一休宗純は、頭の良い子であったことは間違いないようですが、その生涯は、僧侶のイメージからするとかなり破天荒だったようです。メルマガ『8人ばなし』の著者の山崎勝義さんは、残した書と重ね、一休という人物の生き様を論じています。ぜひ、一休書「諸悪莫作、衆善奉行」を画像検索の上お読みください。

一休のこと

室町時代の禅僧一休は自らを「狂雲子」と号した。この狂雲という言葉は禅宗における境涯の一つである「風狂」から来ている。さて、この風狂という漢語であるが読む時には少しばかり注意が必要である。現代では「風狂」の「風」の字が「風流」の「風」と結び付けられ「風流狂い」即ち風流人の意で使われることが多い。

しかし「風」の字には「風邪」の例からも分かる通り、元々病気という意味もある。中でも「風漢」「風疾」「風癲」など心の病気を指すことが多い。

逆説的な物言いになってしまうが、自分のことを「狂」という者は間違いなく「狂」ではない。人(特に知識人)が自分で自分のことを「狂」と言う時、それは寧ろ「理性の化物」という意味に近い。一休もそうである。例えば、僧籍にありながら青年期に自殺未遂を起こしたというエピソード一つをとっても、この中世人にはどこか近現代人の哲学的懊悩に通底するものがあるような気さえする。

こういった「理性の化物」の言行に触れる時、どうしてもそこに裏や腹を感じない訳にはいかないから、結果どうにもこうにも捉えどころのない人物となってしまう。しかし、その手から直接生み出された作物に当たると、いくらかはその人物像が見えて来るような気がするのである。というのも、芸術作品に触れて感じる印象はそれがどんなに主観的なものであっても、そこに存在するある種の直観的普遍性を否定できないからだ。

一休は能書家であったから、それには書が最適であろう。

諸悪莫作(しょあくまくさ) 衆善奉行(しゅうぜんぶぎょう)

これは、一休の書の中でも特に有名なものである。まずは画像検索などで観ていただきたい。意味は「悪いことはするな」「善いことをしろ」である。一応訓読しておくと、

諸悪、作す莫れ(しょあく、なすなかれ) 衆善、奉り行へ(しゅうぜん、たてまつりおこなえ)

という感じであろうか。

この書を観てまず感じるのはその躍動感である。「諸悪」と力強く、そしてしっかりと書き出され、「莫作」はアクロバティックな動きを見せる。「衆善奉行」に至っては「衆」のみがズンと書かれ「善」の字を助走にこれまたアクロバティックな「奉行」と続く。それにしても後半部分の字の崩し方は凄まじい。ここに一休という人間の生き様を重ねると猶凄くなる。

まさかのがんリスク。飲んではいけないドリンクとは?

果物をよく食べている人ではがんのリスクが減るという医学的エビデンスは多数あるのに、100%フルーツジュースにはがんのリスクがあるそうです。最近の医学研究が明かす衝撃の事実を伝えるのは、メルマガ『ドクター徳田安春の最新健康医学』の著者で現役医師の徳田先生です。徳田医師は、砂糖入り飲料やフルーツジュースがなぜ身体に良くないのかを解説。人工甘味料入り飲料に関する最近の研究についても言及しています。

カラダに良い清涼飲料水はあるのか?

清涼飲料水とは容器に入った飲み物です。ただし、乳製品とアルコール飲料を除きます。ミネラルウォーター、炭酸飲料、果実飲料、スポーツ飲料、野菜飲料、栄養ドリンク、コーヒー紅茶飲料、豆乳、茶系飲料などがあります。自販機が普及し、コンビニが発達している日本では、清涼飲料水の消費が増加しており、1人当たり年間で約180リットルを消費しています。

消費が増えている理由は、手軽さ、美味しさ、製造元からのコマーシャリズムに加えて、地球温暖化による気温上昇の影響もあると思います。清涼飲料水のうち最も人気があるのが炭酸飲料、それに続くのがミネラルウォーターです。私は、主にサンピン茶や無糖無添加アイスコーヒーを愛飲しています。一方で、砂糖入り飲料や果実飲料は飲まないようにしています。

私が砂糖入り飲料や果実飲料を飲まない理由は、単純に「身体によくない」からです。無糖コーヒー飲料、豆乳、茶系飲料などは健康に良いのですが、砂糖入り、果糖入りの飲料は身体によくありません。ブラックコーヒーだとヘルシーなコーヒーでも、加糖になると不健康な飲み物になるのです。また、果物をそのまま食べると健康によいのですが、果実飲料として飲むと果糖が急速に吸収されます。果糖も砂糖の一種なので、果糖を液状で飲むと健康に良くないのです。

砂糖入り飲料と病気のリスク

砂糖入り飲料(果実飲料も含む)はカラダに悪いにもかかわらず、世界的なコマーシャリズムの影響で世界でも消費が増えています。結果として、世界の人々を不健康にしているのです。世界中では、20万人以上の人々が、砂糖入り飲料の飲み過ぎで死亡しているという試算もあります。

普段から砂糖入り飲料を飲んでいると、体重増加、肥満、糖尿病、虫歯、そして高血圧や心血管疾患のリスクが高まります。砂糖入りのコーラ、ソーダ、コーヒー、紅茶、スポーツドリンク、そしてフルーツジュースなどの習慣的な飲用は避けてほしいです。

それでは、ダイエットコーラなどの人工甘味料入りの清涼飲料水はどうでしょうか。最近の研究によると、人工砂糖の飲み物でもやはり健康に良くないことが判明してきています。体重増加、肥満、糖尿病、高血圧のリスクが高くなります。また、ある種の人工甘味料は腸内細菌叢を乱し、耐糖能が悪化して、糖尿病になりやすくなることがわかっています。

客の「体験したい」欲をくすぐるのは、いつだって自由な発想だ

多くのお店が「おもてなし」の気持ちを表す演出に趣向を凝らしている昨今ですが、接客販売コンサルタント&トレーナーの坂本りゅういちさんが衝撃を受けたというのが、とある居酒屋さんの試み。一体どのようなものだったのでしょうか。坂本さんが自身の無料メルマガ『販売力向上講座メールマガジン』で紹介しています。

店中がキャンバス

少し前に、ある居酒屋に行ったら、こんなことがありました。取引先の方が予約してくれていたお店で、店に着くと、テーブルに小さなイーゼルがあり、そこに、「〇〇様今日は楽しんで行ってください!」みたいな言葉が書かれていたのです。

居酒屋なんかだとよく見る演出ですが、「お客様を楽しませようとしているんだな」程度に見ていました。とはいえ、こういう演出をしているお店は決して少なくはありません。

しばらく、美味しい食事と飲み物をいただいて、帰ろうとしていたら、スタッフの方が、同じような言葉を書いているところに遭遇しました。しかし、その書いているものは、私たちと同じような紙ではなく、テーブルの横にある窓ガラスだったのです。あとで拭き取れるペンを使って、窓ガラスいっぱいに、「〇〇様、本日は…」みたいな言葉を書いていたのですね。

たったそれだけのことなのですが、個人的にはちょっとした衝撃を受けました。というのも、恥ずかしながら、店全体をキャンバスにするという自由な発想が、私にはできなかったからです。

最近は、お店でしか得られない体験をしてもらうためにと、いろんな演出をしているお店が増えています。店の中に坂道を作ったという自転車屋などは、一時期話題になったりもしました。画家を呼んで個展を開き、商品とリンクさせて、楽しんでもらおうという店もあります。そういった特殊なイベントや演出だけでなく、ちょっとしたPOPを改良して、楽しませようとするお店もあります。

どれもこれも、実際に行ってみたい、体験して見たいと思わせてくれるようなものばかりなのですが、そこには、普段の感覚とは違う発想が必要です。

冒頭の「〇〇様」と書かれた紙1つ取っても、ありきたりな紙に書いてあるだけの店もあれば、店をキャンバスに見立てて、窓ガラスに書くということもできます。それも、発想の1つですし、ひと味違った演出になってきます。

「店は汚してはいけない」「これだけしか使ってはいけない」という制約はあるかもしれません。でももしかすると、その制約は勝手な思い込みで制約になっているだけで、本当はそういった制約を外せば、できることは一気に増えるかもしれません。これからの店づくりには、そういう考えができる発想が必要なのだと思います。

窓ガラスに書くなんていうのも、他でもやっていることではありますが、そこに至る発想ができるかどうか。そんな観点で店をもう一度見直して見ると、できることの幅が広がるかもしれません。

今日の質問です。

  • 今、店でやっている演出にはどんなものがありますか?
  • その演出の制約を外すとしたら、どんな楽しい演出ができそうですか?

image by: Shutterstock.com

「なぜ、学校で金髪はダメ?」現役教師からの回答が目からウロコ

日本の教育現場や職場でまかり通る「金髪=悪」の法則は、多人種混合の世界的視野からは、奇妙に映ると言えるかもしれません。今回の無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』では現役教師の松尾英明さんが、「なぜ金髪はダメなのか?」といった問いに論理的な回答を用意することもできていない教育現場の矛盾が、そのまま日本社会の「謎ルール」として引き継がれていることを指摘しています。

「金髪に染めてはいけない」をどう考えるか

教員採用試験対策として、一部の学生の相談も受けている。その中で「金髪に染めた子の親から頭髪も個人の自由ではないのか」と問われたらどうするか、というのがあった。

これはなかなか面白い。採用試験の答えとしては、最終的にきちんと親に理解してもらい金髪をやめてもらうという方向になるだろう。当然である。そのまま認めてしまうといった無対応や、無理矢理染めさせるというような体罰的回答では落選確定である。

しかし、本当の現場を想定すると、ここはなかなか考えるべきところである。根本的なところまで深堀りして考えてみる。

金髪自体が悪この説は当然成り立たない。世の中から相当な批判を食らうことになる。人体の特定の色が正しいとか正しくないとかいうことは、人種差別問題でもある

次に出るのが「それが遺伝による自然な色ならいい」という考え。つまり、不自然だからダメということである。見るからに「金髪の人種」の人であれば問題ないということである。

この説で問題になるのが、生来色素が薄い子どもたちである。髪の毛の生来の色が、かなり明るい茶色なのである。しかし顔は日本人。「染めた」「染めてない」で揉めることになる。これは主に中学での黒染め強要事件」として枚挙に暇がない。ちなみにこの考えに沿うと、白髪染めは悪、かつらも植毛も悪、パーマもカットも悪である。「ファッション」「装飾」という概念自体への否定である。

それを出すと、ここに続けて出るのが「大人はいいが子どもはダメという考え
これはよく例に出す、中学校の「一年生は白い靴下ワンポイント以外ダメ」みたいな謎ルールの仲間でもある。

この説が最も広い支持を得ている。この説には、理屈があるだけで、明確な理由はない。「頭皮への影響」「学校にそぐわない」等の理由付けはできるが、どれも今一つ歯切れが悪い。なぜかというと、かなりの部分が大人にも当てはまってしまうからである。

ちなみにここまで書いておいて、私も多分実際には、髪色を戻す方向に家庭を促す。
なぜかというと、日本の学校社会において多くの人の支持を得ているのが、先の「大人はよくても子どもはダメだからである。これは「きちんとした接客業では金髪はダメ」というのと同じで「不快に思う人が多いから」である。特に、中年から高齢者の層には嫌悪感が根強い。そういう常識の中で生きてきたのだから、当然である。その集合無意識を今更変えることなど到底できない。

国際社会としての常識はどうか。頭髪を含めたファッションは「場に合うもの」というのがセオリーである。場がオープンであるほど、自由度は増す。フォーマルなパーティーにおいての服装と、ホームパーティーのファッションが違うのは当然である。
また様々な人種と文化が混じるオープンな国においてその自由度が増すのも当然である。

日本の学校社会というのは、オープンな場ではないということである。かなり閉鎖的である。よって、小学生段階で金髪に染めていて、後々に周囲に拒否されることは十分に予測可能なことである(子どもたち同士の間では特に抵抗がないかもしれない)。だから、「指導」対象となる。

場の常識が変わらない限りこの流れは変わらない。金髪でもピアスでもいいじゃないかというのは簡単だが、場の常識がそれを認めない。もしここに異論があるなら、場の常識を変える必要がある。

学校の常識、日本社会の常識。これを見つめ直すにおいても、この「金髪染め問題」は考えるべき題材である。

image by: Shutterstock.com

日本企業が潰れていく理由が自分自身にあると気づかない日本人

2019年7月時点の「世界時価総額ランキング」トップ50入りを果たした国内企業は44位のトヨタのみと、米中の後塵を拝し続ける日本。なぜ我が国はこのような状況に陥り、そしてそこから抜け出すことができずにいるのでしょうか。今回のメルマガ『週刊 Life is beautiful』では著者で世界的エンジニアでもある中島聡さんが、「当事者意識」をキーワードに据え考察しています。

※ 本記事は有料メルマガ『週刊 Life is beautiful』2019年8月20日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。

プロフィール中島聡なかじまさとし
ブロガー/起業家/ソフトウェア・エンジニア、工学修士(早稲田大学)/MBA(ワシントン大学)。NTT通信研究所/マイクロソフト日本法人/マイクロソフト本社勤務後、ソフトウェアベンチャーUIEvolution Inc.を米国シアトルで起業。現在は neu.Pen LLCでiPhone/iPadアプリの開発。

当事者意識の話

とある日本の雑誌に、日本の若者・エンジニアを元気付ける連載を書くように頼まれています。先日noteで公開した「シリコン・バレーの空気」のように日本の大企業を批判した辛口の記事を書くのは得意ですが、元気付けるのは簡単ではありません。

そもそも「元気になる」とは何を指すのでしょうか?

私は「当事者意識を持って行動すること」だと思います。

日本のサラリーマンはよく、会社や上司の愚痴を言います。「うちの職場はブラックだ」「つまらない仕事しかさせてもらえない」「今している仕事の意味が分からない」「上司の頭が固い」などです。

しかし、愚痴が愚痴で終わっている限り何も変わりません。労働環境が劣悪ならば、会社に対してはっきりと文句を言えば良いし、上司がダメならその上の上司に直接掛け合えば良いと思うのですが、そんな行動を取る日本人は稀です。

そこには、「上司には逆らってはいけない」「自分が何をしても会社は変わらない」と言う暗黙の了解があり、「会社や上司に逆らう社員は、異端だ」と言う常識があるのだと思います。

しかし、本当にそれで良いのでしょうか?

私は、日本の大企業で働いている人と話す機会がしばしばありますが、特に茹でガエル状態の企業で働くエンジニアたちからは、「新しいことをさせてもらえない」「今、やっている仕事に意味を見出せない」と言う声を良く聞きます。

とある複合機(コピー、ファックス、プリンタ、スキャナなどの機能を持った機械)メーカーのエンジニアは、「社長は社員に向けては『これからはサービスの時代だ!』と掛け声をかけているにも関わらず、私に任された仕事は既存の複合機に誰も使わないような機能を追加する仕事。本当につまらない仕事だし、これでは会社はダメになってしまうと思う」と言うのです。

「これでは会社はダメになってしまうと思う」という危機感は素晴らしいと思うのですがその危機感が全く行動に結びついていないのです。「私に期待されているのは、上司から与えられた仕事を着実にこなすこと」と頭から決めつけてしまっているのです。

せっかく理系の大学を卒業し、世の中のこともそれなりに見えているのだから、本来ならば、彼自身が「こんな機能を複合機に追加したところで誰も使いません。もっと意味のあることをしましょう」と上司に食ってかかるべきなのに、それが出来ないのです。

そして、彼の上司も同じようなことを感じているのですが、自分の担当は複写機の開発なので、彼も何も言わずに、そのつまらない仕事を部下にアサインするのです。

さらに上の事業部長クラスになると、そもそも複写機ビジネスが先細りなのは自分自身が一番良く知っているにも関わらず、自分の仕事は「複写機ビジネスの売り上げを落とさないこと」なので、「もう複写機への投資は辞めて、新しいビジネスに投資しましょう」とは言えないのです。

社長クラスになると、これからはハードウェアではなくてサービスを売る会社に変わらなければならない、という漠然と認識は持っているものの、当面の売り上げや利益を維持するためには、複写機を売り続けなければならず、結局、大幅な投資戦略の変更は出来ず、新規事業開発部あたりを作って自己満足しているのです。

新規事業開発部のメンバーはメンバーで、特に何か作りたいものがあるわけでもないサラリーマンであるため、市場調査やフォーカス・グループ(ある製品ついて、特定の集団に意見を聞くこと)を通じて、理詰めで「何を作るべきか」を見つけ出そうとするため、なかなか「奇抜なアイデアがそこから生まれることはないのです。

高笑いの文在寅。韓国側の情報戦に負けた日本が「悪役」になる日

日々悪化する日韓関係。韓国政府は7月10日の時点で「日本からの輸入品を中東に再輸出していた事実」を認め、軍事転用を懸念する日本の輸出規制の理由となりましたが、欧米諸国にはそれらの事実は正しく伝わっていないようです。国際関係ジャーナリストで、無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』の著者・北野幸伯さんは、その原因は日本の稚拙な情報戦略にあると指摘するとともに、改善策を記しています。

対韓国、予想通り【戦術的ミス】の影響がでてきました

日韓関係最悪になっています。

日本側の措置について、しばしば意見を求められます。それで、メルマガで「戦術的問題と戦略的問題がある」と書きました。まだ読んでない方はこちら。

どんなに腹立たしくとも。韓国と日本が国交断絶してはいけない訳

今回は、戦略的問題については、触れずにおきましょう。戦術的問題とは何か?私は二つ指摘しました。一つは、「徴用工問題」の報復として「輸出規制を強化する」というのは「とてもまずい」ということ。「徴用工問題輸出規制全然関係ない問題ですから。

しかし、日本政府は初動で大きなミスをしました。日本政府もマスコミも全国民も、「これは徴用工問題への報復だ!」と知っている。実際、日本政府高官もそう発言し、全マスコミがそう報じていました。私は、これはダメだと書きました。そのせいとは思いませんが、事実として最近は、「徴用工問題への報復ではない政府高官はいっています遅すぎですが…)。

二つ目の「戦術的問題」は、政府の説明が全然説得力がないことです。日本政府は、「安全保障上の管理の見直しとか不適切な事例があった」とかいっています。しかし、これ、何の説明にもなっていません。外国人の記者が聞いてもわけわかんないですね。

きちんと、「日本から韓国に輸出した戦略物資が、イランやシリアなどに流れている。このことは、韓国側も認めている事実です。日本が韓国に輸出したものが化学兵器に使われる危険性もあるので、輸出管理を厳格化せざるを得ない」と毎回いう。そして、毎回、証拠として以下の記事を英訳して配らなければならない。

読売新聞オンライン 7/11(木)11:40配信

【ソウル=岡部雄二郎】韓国の産業通商資源省は10日、軍事転用が可能な戦略物資を違法に国外輸出したとして摘発された業者の事例が、2015年~19年3月に計156件に上ったと発表した。産業通商資源省が韓国の野党議員に開示した資料によると、この中には、イランやシリアなど、北朝鮮と関係の深い国に輸出されたケースも含まれていた。資料によると、イランには2017年12月と19年1月、サリンの原料にもなるフッ化ナトリウムなどが輸出された。シリアには18年3月、生物・化学兵器の実験などの際に外部の汚染を防ぐための設備「生物安全キャビネット」が輸出されていた。

本当は、リスト自体を入手して英訳して毎回記者に配った方がいい。そして、各国政府にも、リストを見せながら説明しなければならない。ところが、日本政府の解説は日本人が聞いても外国人が聞いてもわけがわかりません。それで、私は、以下のように書きました。

皆さん、「日本は韓国に圧勝だぜ!」と思っていませんか?普通に考えればそうでしょう。しかし、日本政府の稚拙な説明のせいで、また国際的に日本が【巨悪】になる可能性がある。日本は、WTOで、「なぜ輸出規制をしたのか?」説得力のある説明をできない状態なのです。これが、【 戦術的問題 】です。

実際、何が起こっているのか、見てみましょう。

あおり運転の厳罰化は?見直されるべき「時代にそぐわぬ」法律

日本中に衝撃を与えた、茨城県内の高速道路上で発生した暴力行為を伴う、あおり運転。容疑者は逮捕されましたが、現在の法律では運転免許が取り消しになったとしても、一定期間を過ぎれば再び免許を取り路上に出られるとあって、「一生涯免許剥奪」を含めた厳しい法改正を求める声も多数上がっています。識者はどう見るのでしょうか。米国在住の作家・冷泉彰彦さんは自身のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』の中で、使い勝手の悪い法律は国民の意思で変えていくもので、我々はその権利を有していると記しています。

法律違反を警告する前に、法律を見直す議論を

ネットニュースの中で、割合にビューを稼いでいる記事のカテゴリとして「法律違反を警告する」というジャンルがあります。例えば道交法に関する記事では、「急ブレーキ、急発進、急加速、急ハンドル」の中で、道路交通法で明確に禁じられているのは「急ブレーキだ」という指摘があります。

急発進・急ブレーキ・急ハンドル! クルマの運転で「急の付く動作」の違法性と境目とは

記事の内容はいいんです。禁止されていても、危険回避の場合は構わないし、法律で禁止されていなくても「急ハンドル」や「急加速」「急発進」は良くないという常識的な内容だからです。

ですが、問題はこの道路交通法第24条」です。条文はこうなっています。

第二十四条 車両等の運転者は、危険を防止するためやむを得ない場合を除き、その車両等を急に停止させ、又はその速度を急激に減ずることとなるような急ブレーキをかけてはならない

別に誤った法律だとは思いません。ですが、法律としておかしいのは事実です。危険防止の場合以外は、急ブレーキを禁止するのなら、どうして急発進や急加速急ハンドルも同じように禁止しないのか、という疑問が湧くのは当然です。

反対に、急発進、急加速、急ハンドルについては道交法で「禁止」とはされていないが、こうした行為を「禁止していない」ことで事故が起きたりするような弊害がないのであれば、急ブレーキもあえてそれだけ禁止する必要はないと考えるのが自然ではないでしょうか?

道交法の場合ですと、もっと深刻な問題もあります。最近、多くのドライバーはスマホをカーナビとして使っていると思います。これはもう世界的な動きであり、常識だと言ってもいいでしょう。スマホの情報によって、道に迷うことがなくなったり、正しい車線変更をして高速の出入りに備えるなど、安全にも直結していると思います。

にも関わらず、スマホのホルダーをどのように固定するのがいいのか実は正解はないのだそうです。例えば、

あなたの車は大丈夫? ナビアプリ利用で増加する「スマホホルダー」 取付け位置で違反の可能性も

の記事では、「スマホが前方視界を妨げると違法」かと言って「エアコン吹き出し口に設置してチラ見するのは脇見運転で違法」だと警告を発しています。

これでは、記事としてアドバイスになっていないわけで、「便利かもしれないが、捕まらないように気をつけて」という、一種の自己責任論のようになってしまっています。

この問題ですが、おかしいのは「実情に合った法律がない」ということだと思います。もしかしたら、運輸当局は「合法なのはメーカー純正の高価なオプション扱いのカーナビだけ」と考えているのかもしれませんが、さすがに2019年の現在ではそんな認識では、ドライバーの常識とのズレ込みは相当広がっているということになります。

とにかく、スマホのナビによって安全確保をしながら走っているドライバーが多い中で、スマホが視界を遮っても違法、視界を遮らないスマホを見たら脇見で違法などという馬鹿げた法律は改正が必要です。

とにかく、国民というのは法律の規制対象であると同時に、主権者なのですから、その主権者に対する問題提起として、法律に「直した方がいい点」があるのに「違法行為にならないよう注意しましょう」的な訓戒を垂れるというのは、やっぱり変だと思います。