松本人志「女衒指示書」問題でNHK『チコちゃん』存続危機…性交拒否の女性に“冷凍鶏肉”投げつけた木村祐一への批判は「強いものイジメ」なのか?キム兄の声がTVから消える日

弊サイトでも既報の通り、松本人志(60)が17日にみたび文春砲を被弾。その内容は、松本が手書きで好みの女性のタイプを事細かに記し“女衒芸人”に渡したとされる「女性セレクト指示書」の画像と、「性の宴」に呼び出された女性撮影のホテル室内写真、さらに元タレント女性が19歳時に受けた「性被害未遂」を巡る証言が掲載されるという衝撃的なものだった。

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次々と飛び出す新証言や証拠画像。性加害疑惑の発覚当初は強気だった吉本興業は東京新聞の取材に対して17日、「(松本が)強制的に性行為をしたとは思っていない」と回答するなど、トーンダウンの色を隠せない

かつて週刊文春での統一教会報道に携わっていたジャーナリストの有田芳生氏(71)によれば、同編集部に「すごい人数」からの告発がなされ、「合意ではないケースの証言」がすでに出ているとしている。吉本興業サイドの態度の変化は、かような状況を察知してのことなのだろうか。

性加害疑惑の矛先は当人だけでなく、「松本擁護に回っていた芸人やその仲間内にまで波及。過去の破廉恥行為がこれでもかと掘り起こされる事態ともなっている。

一方で、このような動きは特定の人物を集中的な批判や不買運動によって社会的に排除する「キャンセルカルチャー」だとする指摘や、一般市民が大勢で加害者である権威者(政府、大企業など)を攻撃する「強いものイジメ」だと批判的に見る向きが存在することもまた事実だ。

千原ジュニアが語った木村祐一の「冷凍鶏肉投げつけ事件」

NHKの人気番組『チコちゃんに叱られる!』で、チコちゃんの声や「知り合いのおじさん」を担当するキム兄こと木村祐一(60)も、今回の騒動で“流れ弾”に当たった一人。ネット上で過去の「冷凍鶏肉投げつけ事件」が蒸し返され、「犯罪だ」「レイプ未遂ではないか」等といった批判を浴びているのだ。

「冷凍鶏肉投げつけ事件」とは、『人志松本のすべらない話』(フジテレビ系)の2010年6月26日放送回で千原ジュニア(49)が披露したエピソード。放送当時から遡ること十数年前のとある日の深夜、食事会でいい雰囲気になったという女性とジュニアを伴い、自宅マンションに向かった木村。その後、木村は女性を別室に連れ込んだが、しばらくしてその女性が「私はそんなつもりで来たんじゃない」と出てきたという。

こんな様子を語りつつジュニアは、「そんなつもりじゃない言われたって、いやいや、それ以外何があるんですか」と挟み込み、「これはキム兄キレてるぞ」と思いきや、当の木村は無表情で冷凍庫から「カッチカチの鶏肉」を取り出し、「これなー、いらん鶏肉やからおれは今からこれを捨てんねん」と言い放ち、玄関でハイヒールを履こうとしている女性の足元に向けて投げつけたというから驚きだ。それからの状況をジュニアはこのように続けた。

「ほんだらその玄関を鶏肉がココココココーン」

ここで松本を含むスタジオのタレントたちが大爆笑。さらに木村は焦る女性に向かい「俺は捨ててるだけやで」と何度も繰り返し鶏肉を投げ続け、逃げる女性をエレベーターの前まで追いかけ再投し、なかなか来ないエレベーターを諦め一刻でも早くマンションから逃げ出そうと階段を駆け下りる彼女にラスト一投を決めたという。冷凍鶏肉が床を滑り、壁に激突する音をジュニアが「ココココココーン」「カカカカーン」と表現するたびスタジオ中が爆笑に包まれるという、なんとも異様な3分間だったことに間違いはない。

一部で囁かれる『チコちゃんに叱られる!』打ち切り説

木村と言えば、面倒見の良さと細かい気遣い、さらに抜群の料理の腕を持つことなどから今田耕司(57)や東野幸治(56)らから「松本人志の嫁」と呼ばれ、多くのダウンタウン出演番組を手掛ける構成作家で同級生の高須光聖(60)からは「松本の第一夫人」とからかわれるほどの間柄と言われる。そんな木村が声を担当する『チコちゃんに叱られる!』のチコちゃんは、老若男女を問わないお茶の間の人気者だが、「もうチコちゃんを見る気になれない」「叱られても笑えない」「チコちゃんが叱られる!」「NHKはこんな人間を起用し続けるのか」といった批判が殺到。一部では「チコちゃん存続危機」までもが囁かれる有り様だ。

テレビ業界関係者はどう見ているのだろうか。NHKでの番組制作経験を持つ男性はこう語る。

「NHKもジャニーズの件で懲りてますからね。私の周りでは、今の時点での突然の打ち切りはないのでは、という意見もありますが、例えば文春砲の追撃で木村さんの名前が上がるなんてことになったら、状況は一変する可能性もあると見ています」

事実、NHK会長は17日の会見で、松本の性加害疑惑について「事態の推移を注視している」「(吉本は)事実解明に力を入れていただけるとありがたい」と発言。『チコちゃん~』への直接的な言及はなかったものの、木村への“鶏肉批判”も把握していると見るのが自然だろう。

はたして今後、『チコちゃん~』はどのような道を辿ることになるのだろうか。ネット上では「木村祐一降板」を求める声が大半だが、一部では「いきすぎた批判」に疑問の声も上がっている。10年も20年も以前の話を現在の基準で断罪するのはおかしい、そんなことをされては芸能人はすべて消えてしまう、というのだ。

「冷凍鶏肉投げつけ事件」放送当時のコンプラ意識

そこで気になるのが、当時の日本のコンプライアンス意識や空気感だ。木村の「冷凍鶏肉投げつけ事件」やそれを笑い話として扱ったジュニア、番組、吉本興業の姿勢等々、上記『人志松本のすべらない話』が放送された2010年時点では、どう受け止められていたのか。

例えば、コラムニストの故・小田嶋隆氏は、2010年の7月に痛烈な批判を文章として発している。

チコちゃんに叱られろ!

このような苦言を呈していたのは、一部の有識者ばかりではない。実は当時のネット掲示板でも、「これは犯罪ではないのか」「レイプ未遂じゃないの?」といった指摘が相次いでいた。

女性に性交を拒否され冷凍鶏肉を投げつけるという傍若無人な振る舞いは、時代を問わず多くの人にとって受け入れがたいというシンプルな話。たとえブラジル産だろうが国産だろうが、それは変わらないようだ。

「芸能人叩きは、弱者による強者イジメだ」は果たして正論か?

松本にせよ木村にせよ、なぜ2024年の今になって、過去の所業が告発され窮地に立たされているのだろうか。そこには、ネット文化の成熟や、CMスポンサーへの働きかけといった抗議手段の洗練により、これまで黙殺されてきた声なき声がやっと世間に届くようになったという側面も大きく影響しているだろう。

冷静に考えてみれば、「視聴者」とは長年真面目に働き続けてきた市井の人たちにほかならない。上司として部下として、反社会的勢力やセクハラ・パワハラ排除といったここ10~20年の意識の変化を肌で感じ、対応に苦慮しながらも懸命に生きてきた人たちだ。そんな人々が、つかの間の息抜きにテレビでお笑い番組を見ている。

「芸能人ばかりが叩かれるのはおかしい、弱者による強者叩きだ」と主張するのは自由だが、芸人の傍若無人にすぎる振る舞いを「視聴者」がどう感じるかも、また自由だ。ブラック企業に置き換えると、「会社や経営者の犯罪行為を社員が告発するのは強いものイジメだ」と主張することと同義とはならないか。

折しも、読売テレビ社長の「松本さんと被害に遭われた女性が対決してくれるというのであれば、今すぐにでも私は放送したいと思う」との発言が大炎上している。

テレビ業界や芸能界の認識は、根本的に「おかしい」のかもしれない。

無類の安倍好き大嘘つき「元NHK 岩田明子」の大罪。虚報の数々を振り返って分かった「これが本物のフェイクニュースだ」

自民党のパーティー券裏金問題で、安倍派幹部が不起訴となることが伝わり、国民から怒りの声が上がっています。大手新聞が「安倍元総理は生前、会計責任者を叱責し、パーティー収入のキックバック中止を指示していた」との嘘八百を垂れ流したかと思えば、特捜部は「立証困難」と釈明する――このような茶番と“フェイクニュース”の発信源とも言えるのが、「安倍晋三に最も食い込んだ記者」と呼ばれる元NHKの御用記者、岩田明子氏です。小林よしのり氏主宰「ゴー宣道場」の寄稿者で作家の泉美木蘭氏が、今日もなお日本を騙し続ける“岩田明子の大ウソ”を断罪します。(メルマガ『小林よしのりライジング』より)

自民党の政治資金パーティーに潜入

10年ほど前、友人に「自民党のパー券が大量にあるんだけど、見学しない?」と誘われて、政治資金パーティーの会場に入ったことがある。

自民党が民主党から政権を奪還した翌年、2013年のことだ。2012年にニコニコ生放送『よしりんに、きいてみよっ!』という番組がはじまり、友人が「話のネタになるかもしれないし」と声をかけてくれたのだ。

父親が経営している会社で、地元議員から頼まれて毎回2万円のパーティー券を20枚ほど購入するそうだが、カネを払うだけで、いつも誰も参加しないという。もったいないし、自民党は政権を奪還して大盛り上がりらしいので、どんな様子か見てみたいと言っていた。

ホテルニューオータニの「鳳凰の間」という大宴会場と、それに隣接する宴会場など2~3のスペースがパーティー会場になっていたと記憶している。

壇上に「平成研究会」という横断幕があった。その時はわけがわかっていなかったが、当時の額賀派(現・茂木派)のパーティーだったようだ。

「髭の隊長」こと佐藤正久が、「中国大陸から見ればいかに日本列島が邪魔で、食糧難を見据えて敵視されているのか」という内容の公演をやっていたのを覚えている。

貪り食うブタ。世界一卑しい会食

会場に入る前に、友人から「立食形式だけど、とにかく食べ物が少なくて、争奪戦になるから、会場に入ったらまず食べ物を確保したほうがいい」と言われていた。本当にその通りで、料理を提供するコーナーには黒山の人だかりができており、肘や尻で押し合って陣取りしながら、我先にと料理を奪い合っていた。

会場内のそこかしこに点在する円卓には、『千と千尋の神隠し』に登場する食い意地の張ったブタの集団みたいな人々がたむろしていて、男も女もガハガハと大笑いしながら料理を貪り食い、瓶ビールを注ぎ合っている。

ホテルの従業員がたくさん走り回っているが、片付けが間に合わず、飲み干されたビール瓶や、食器、汚れた割り箸の束などが、白いテーブルクロスの上に次々と積み上げられてゆく。

干からびたビールの泡やオレンジジュースの汁で汚れたコップが、参加者たちによってみだりに積み重ねられていき、しまいにタワー状になって弓なりに反って、倒壊し、ガラスの割れる音が響いたりもした。だが、それもすぐかき消されるほどの乱雑で猥雑なエネルギーが会場に充満していた。

貪り食うブタたちの姿の間には、平身低頭して誰かをヨイショしたり、握手を交わしてニヤニヤしたりしているスーツ姿のギラギラついたおじさんたちがうろついていた。新宿歌舞伎町なんかより、千代田区永田町のニューオータニのほうがよっぽど「欲望渦巻く」という言葉がぴったりじゃないかと思い、唖然とした。

いろんな飲み会の現場を見て来てはいるが、後にも先にも、あんなにみっともない飲み食いの場は他にない。酒や料理でなく、権力を手中におさめたこと、その栄華の場に居合わせていることに酔いしれている人間たちの姿があった。

あのパーティーではいくら儲かって、いくら裏金を作っていたのだろう。

“立証困難”で安倍派不起訴の茶番劇

自民党・安倍派(清和政策研究会)の政治資金パーティーをめぐる裏金作りの問題で、現職議員の池田佳隆・元文部科学副大臣が逮捕され、自民党はぐらぐらだ。

池田は、安倍派からキックバックされたパーティー券収入のうち、5000万円を政治資金収支報告書に記載しておらず、秘書に証拠隠滅も指示していたらしい。ほかにも、安倍派の大野泰正参院議員と谷川弥一衆院議員が、不記載や虚偽記載などの容疑で立件される見通しだという。

時効にかからない2018年からの5年間で、総額6億円を裏金化していたらしいが、東京地検特捜部は、肝心の安倍派幹部については「立証が困難」とのことで、断念するらしい。

2018年以降に安倍派で派閥を取り仕切ったのは、下村博文、松野博一、西村康稔、高木毅の4人だ。いずれも特捜部には、「(裏金の還流は)会長案件だった」と説明しているらしい。当時の会長と言えば、細田博之前衆院議長と安倍晋三元首相だ。2人ともすでに死去している。

幹部の人間がカネの成り行きについて何の関知もしていなかったわけがないから、4人とも「死人に口なし」の要領で、自身の立件を逃れるために供述したのだろうとも思うが、「会長案件」というのも、そりゃそうだろうなと思う。

選挙や総裁選、議決で優位に立ちまわるために、ボスを筆頭にした集団が形作られているのに、そのボスが、カネの流れを把握して、下の人間を握っておかなければ、なんのための派閥なんだかわからない。

元NHKの御用記者、岩田明子を断罪せよ

ところが、「安倍晋三LOVE」だった人々の、安倍を美談に持ち上げようとする執念はすさまじい。なかでも、なりふり構わないのが、「安倍晋三に最も食い込んだ記者」と呼ばれた元NHKの岩田明子だ。

2002年に当時官房副長官だった安倍の番記者となり、以来20年以上にわたって安倍に寄り添うようにして取材していた岩田は、やがて自宅に上がることも許されるようになり、安倍の母親から全幅の信頼を得ていたという。

NHKでは、2013年から政治担当の解説委員と記者職とを兼務しており、ニュース番組内で何度となく安倍政権の広報官のような報道を繰り返す姿が放送された。

この記事の著者・小林よしのりさんのメルマガ

学習能力ゼロ。原発という「過去最大の災害関連死要因」を動かす無能政府

発生から2週間以上が経過した能登半島地震。17日現在、14名の方が災害関連死で亡くなったと報じられています。今回の『きっこのメルマガ』では人気ブロガーのきっこさんが、「災害関連死」について考察。今後、関連死を最小限に抑えられるか否かはすべて岸田政権の対応に委ねられているとする一方で、「過去最大の災害関連死の要因」となった原発に対する政府の姿勢を強く批判しています。

能登半島地震でも多数が犠牲に。災害関連死という人災

最大震度7を観測した今回の「能登半島地震」に関する日々の報道の中で、何よりも胸が痛むのは、報道のたびに増えて行く死者数です。そんな中、5日前の1月13日には次のような報道がありました。

石川県は13日、午前9時現在の死者数が215人のまま前日から変わらず、うち災害関連死は1人減って13人になったと発表した。

死者が1人でも減ったのなら…と、あたしは一瞬、喜びそうになったのですが、記事を読み進めると、次のように書かれていました。

県によると、災害関連死が減ったのは輪島市。地震による建物倒壊などで亡くなる直接死と確認されたためという。

亡くなったと思った人が生きていたのではなく、災害関連死だと思われていた人が直接死だった、ということでした。この災害関連死ですが、国の基本的な定義としては「災害による直接の被害ではなく、避難途中や避難後に死亡した者の死因について、災害との因果関係が認められるもの」ということになっています。つまり、地震や津波などの災害で直接亡くなった「直接死」とは違い、災害では一命をとりとめたものの、その後の避難生活によるストレスや持病の悪化、エコノミークラス症候群(静脈血栓塞栓症)などで亡くなった人のことを指します。

この災害関連死という概念は、1995年の「阪神・淡路大震災」を機に生まれました。「阪神・淡路大震災」の死者数は6,434人ですが、このうち約14%に当たる921人が災害関連死として国に認定されています。災害関連死として国に認定されると、亡くなった人が生計を維持する人なら500万円、その他の人は250万円の災害弔慰金が遺族に支給されます。

しかし、災害関連死の認定は各市町村に委ねられており、統一的な基準がないため、地域によって認定にバラつきがあります。たとえば、同じ震災で同じような亡くなり方をしたのに、A町の避難所にいた人は認定され、B町の避難所にいた人は認定されなかった、というケースもあるのです。そのため、全国では認定されなかった人の遺族が、国に認定を求めて裁判を起こしている事例が少なくありません。

この災害関連死が注目されたのは、2004年10月に発生した「新潟県中越地震」でした。地震による直接死が16人だったのに対して、その後に亡くなった災害関連死が、直接死の3倍を超える52人に及んだからです。この52人の主な死因は、避難生活のストレスによる心筋梗塞や脳梗塞、長期の車中泊によるエコノミークラス症候群(静脈血栓塞栓症)、また、エンジンを掛けたままの車中泊による一酸化炭素中毒で亡くなった人もいました。

さらには、避難所から仮設住宅に移ることができても、失職や孤立化というストレスによって持病を悪化させたり、心筋梗塞や脳梗塞を発症させて死亡するケースが相次ぎました。

こうした状況に対して、長岡市は「これでは埒(らち)が明かない」として「震災から半年以上が過ぎた場合は災害関連死ではないと推定する」という、いわゆる「長岡基準」を定めました。そのため、半年を過ぎて亡くなった人たちの遺族が、国に対して「災害関連死を認めてほしい」という裁判を次々と起こしたのです。

この記事の著者・きっこさんのメルマガ

台湾「親中派の敗北」は真実か。日本で報じられない台湾総統選の真相

日本でも大きな注目を集めた、13日の台湾総統選挙。結果は蔡英文総統の後継者である民進党・頼清徳氏の勝利となりましたが、「手放しで喜べない」という声もあるようです。今回のメルマガ『富坂聰の「目からうろこの中国解説」』では、著者で多くの中国関連書籍を執筆している拓殖大学教授の富坂聰さんが、その理由を分析。得票率等で明らかになった台湾での「民進党離れ」を指摘しています。

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国民は蔡英文の外交路線を支持したのか。台湾総統選の「結果」から分かること

選挙イヤーの先陣を切って行われた台湾の総統選挙は、1月13日に投開票され、民主進歩党(民進党)の候補、頼清徳副総統が当選した。

蔡英文総統の外交・安全保障政策の「是非が問われる」と日本でも注目度の高い選挙だった。故に選挙結果は「中国との統一を拒む与党・民進党の頼清徳が、対中融和路線の野党・国民党の侯友宜新北市長らを破った」という「親中派敗北」の視点でとらえられた。

だが、実際にそんな分かりやすい勝利なのだろうか。

地元のケーブルテレビの草分け、TVBSの『選挙特番』は、むしろ「美しくない勝利」と評した。手放しで喜べない勝利という意味だが、番組内では他の多くの専門家も厳しいコメントを発していた。

やや国民党寄りとされるメディアだが、正鵠を射た評価だ。

前立法委員のコメンテーター・李俊毅は「史上二番に低い当選」として「大喜びはできない」と断じた。

今回の選挙では与党・民進党と中国国民党(国民党)、台湾民衆党(民衆党)から、それぞれ頼清徳、侯友宜、柯文哲が立候補し、政党のシンボルカラーから緑と藍と白「三つ巴の戦い」と称されてきた。それだけに前回の選挙(2020年)と単純に比較するのは適切ではないかもしれない。しかし台湾の多くのメディアが指摘するように前回との見劣りは否めないのだ。

例えば前回の選挙で817万票を獲得した蔡英文の得票率は約57%を超える。対抗馬だった韓国瑜(国民党)の38.6%と大きな差をつけての勝利だった。しかし今回は頼と侯の差は約7%で、第三の政党・民衆党にも多くの票が流れた。すべてが与党への不信任票とはいえないが厳しい結果だ。

また県及び市別の勝敗でも、この傾向は明らかだった。前回16対6で民進党が圧倒したことと比べ、今回は14対8。国民党に2つも奪われてしまっている。

頼の勝利には、民進党の特徴である南部での強みが大きく貢献した。そのこと自体には変化はないが、ここにも陰りが目立つ。4年前と比較すると台南市が約67%から51%へ、高雄市が約62%から49%へと、得票はがくんと落ちているのだ。

この傾向は接戦となった北部でさらに顕著となる。台北市、新北市、桃園市、台中市の民進党の得票率は、2020年の50%台半ばから30%台後半へ一気に後退したのだ。

専門家が「手放しで喜べない勝利」といったのもむべなるかな。

この記事の著者・富坂聰さんのメルマガ

黒島結菜と宮沢氷魚“妊娠だけど事実婚”に「参ったな」業界大慌ての裏事情…お酒・主婦ウケ当面の課題に

2022年のNHK連続テレビ小説『ちむどんどん』で夫婦役を演じた宮沢氷魚さん(29)と黒島結菜さん(26)が、このたび妊娠と事実婚を発表。若い二人があえて婚姻届を提出しない選択をしたことで、今どきの愛の形として注目を集めています。ただしこの「選択」は、世間の祝福ムードと裏腹に、芸能界的には困った「問題」も生じさせるようで!? 芸能記者歴30年のベテランジャーナリスト・芋澤貞雄さんが解説します。

『ちむどんどん』夫婦役の2人が示した愛の形

朝の連続テレビ小説『ちむどんどん』で夫婦役を演じた宮沢氷魚と黒島結菜が“事実婚”を発表、新しい命を授かったことも公表しましたね。

おめでとうございます。

2人は朝ドラ撮影中から愛を育み、終了後の昨年2月には一部週刊誌に仲良く愛犬との散歩デートを撮られていました。

しかし水を差すわけではありませんが、宮沢はインスタグラム・ストーリーで「籍を入れる予定はありませんが」と綴っているこの“事実婚”、彼等をマネージメントする側にとってはあまり“よろしくない”公表だというのが透けて見えてきます。

紙1枚の入籍届を出すか出さないかの違いで、2人にとってはそんな手続きより気持ちがしっかり寄り添っていれば関係無い…という感じなのかもしれませんが、私にはマネージメント側とタレントとの軋轢のようなものがチラついて見えるのです。

別れさせられない“妊娠”という事実の公表に…。

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「事実婚」でどんな問題が発生?

特に黒島をマネージメントする側から考えれば、結婚に待った!をかけたい気持ちは手に取るように理解できます。

まだ26歳、大女優への登龍門と見られている朝ドラのヒロインも務めた約1年半後にいきなり結婚、出産は少々早過ぎるように思えます。

『サントリー』や『アットホーム』といったメジャー・スポンサーとの契約も順調で、これからもっとCMも増やしていきたいと思っていたであろう事務所にとっては“ちょ、ちょっと待ってよ…”という本音ではないでしょうか。

特に『サントリー』は“黒烏龍茶”は置いておいて、妊娠中には御法度とされている“ビアボール”のCMもありましたから、クライアントにとっても“聞いてないよ~”となったのではないでしょうか。

黒島結菜といえば『ちむどんどん』の収録が始まるか始まらないかぐらいまで交際していたのは、大河ドラマ『花燃ゆ』や2019年12月に公開された『カツベン!』で共演した高良健吾でした。

2020年6月には、やはり愛犬との散歩デートが『FRIDAY』に撮られていました。

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松本人志の「女性セレクト指示書」を文春砲が暴露。変態的すぎる「絞り込み検索条件」職業フェチの衝撃、ロリコンか否か“13歳の防衛ライン”が今後の焦点に?

性加害疑惑が取り沙汰され、芸能活動を一時休止し嵐が過ぎ去るのを待つかのように息を潜めているダウンタウンの松本人志(60)。そんな松本に衝撃的な文春砲「第三の矢」が放たれた。17日に配信された「週刊文春 電子版」に、手下の女衒芸人に宛てた松本の手書きと見られる、好みの女性のタイプを事細かに記した「女性セレクト指示書」と、福岡市内の高級ホテルの「性の宴」に参加させられた女性が撮影したホテル室内の写真、そして18年前、当時19歳だった元タレント女性が受けた性被害未遂」を巡る生々しい証言が掲載されたのだ。

成人年齢を20歳から18歳に引き下げる民法改正が行われたのは2022年4月1日。今回の文春に掲載された元女性タレントの性被害未遂事件が起きたのはそれ以前であり、つまりは松本は19歳の未成年を毒牙にかけようと迫っていたことになる。しかし敢えて誤解を恐れずに言うならば、法的にはともかく生物学的に見れば19歳といえばほぼ大人であるという見方もあり、それだけをもって松本に対する批判がさらに肥大化するという流れにはなりにくいとも考えられる。

かつて公言していた自身の「ロリコン」的な志向

しかし松本はコンビで司会を努めていた『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』(フジテレビ系)で、浜田雅功(60)から「コイツ14歳ぐらいの子と付き合ったりしてたで」と暴露された過去も。さらにラジオ番組『松本人志の放送室』(TOKYO FM)では月亭方正(55、当時は山崎邦正)に、「でも松本さん言うてたんは、『乳さえ出たら全部行ける』って」と過去の発言を蒸し返された際には「乳出たら(小学生でも)行けるよ」と断言している。

浜田の言が真実であるならば、少なくとも当時の松本は未成年に対して大きな興味を持っており、そしてラジオでの松本の発言がネタでないのであれば、自ら「ロリコン的志向」を公言したことになろう。はたして松本は本当に少女愛好者の一面を持ち合わせているのだろうか。

女子中高生も「フェチの対象」なのか

文春が「三の矢」で公開した「女性セレクト指示書」には、「高校や中学の先生」とも書かれている。あるいは松本には、尼崎市立大成中学校や尼崎工業高校で果たせなかった思いがあるのかもしれない。男子中高生が学校内において「性的な目」で見るのは、クラスメイトの女子か若き美人教師というのがお決まりのパターンだ。今回の指示書では「先生」とあったが、女子中高生も「フェチの対象」であったとしても、そこに不思議はない。

注目が集まる「13歳の防衛ライン」

15日に報じられた、13歳未満の少女に睡眠導入剤を服ませ性的暴行を行った男ら5人が逮捕された卑劣な事件。

この事件をきっかけに、一部で「13歳の防衛ライン」に注目が集まっている。我が国の刑法の規定では13歳が性交同意年齢の下限であるため、もし万が一松本がそれ以下の女児と行為に及んでいた過去があったとしたら、完全に「終わって」しまうと危惧されているのだ。

松本に対して「ええで、事実やし、俺勝てるで」と言い放った浜田

もっとも、上述の浜田の発言に嘘がなければ過去に松本は14歳の中学生に手を出していたことになり、それだけでも十分に「終わり」は見えてしまうだろう。ちなみに浜田はその際、告訴すると反論する松本に対して「ええで、事実やし、俺勝てるで」と言い放ったと伝えられている。

もしも松本と小中高生との「行為」の証拠を弊サイトが押さえていると仮定した場合、その「砲弾」は後に取っておくだろう。はたして週刊文春サイドは、そのような情報を“掴んで”いるだろうか? そして松本は、未成年者と行為には及んでいないのだろうか。今後の文春砲に注目だ。

平安時代は「不安」時代だった!? 東日本大震災級の地震に悩まされていた日本

平安時代や平安京のイメージは、優雅に歌を詠み、宴をする貴族ではないでしょうか。しかし、現実は不安な日々の連続だったといいます。メルマガ『歴史時代作家 早見俊の無料メルマガ』著者の早見俊さんは、平安時代の自然災害について語っています。

ちっとも「平安」ではなかった平安時代

平安時代、平安京と聞くと何をイメージするでしょうか。

貴族、曲水宴、十二単、源氏物語、枕草子……華麗なる王朝文化を思い浮かべる読者が珍しくないと思います。その名の通り、荒々しい武士の世以前の平和な時代、であったはずでした。

日本史上の時代区分で言いますと、延暦13年(794)から文治元年(1185)までの三百九十一年間、約四百年もの期間です。時代区分では江戸時代の二百六十五年間を大幅に上回る長い時代でした。では、四百年近くも平和、泰平が続いたのでしょうか。

実際の平安時代は、「平安」とは程遠い、「不安」な日々が続いていたのです。そんな、「不安」を象徴するのは地震、疫病などの天災、合戦という人災です。平安時代は他の時代区分同様、天災、人災と無縁ではありませんでした。

平安京、今日の京都市の夏を彩る祇園祭は疫病の流行と巨大地震によって始まりました。地震と疫病のダブルパンチに襲われた貞観年間(859年~877年)のことです。大阪の天神祭り、東京の神田明神祭と共に日本三大祭に数えられる祇園祭は今も大勢の見物客で賑わいますね。

今回のコラムでは祇園祭を生んだ貞観地震をはじめ、平安時代に発生した大地震について紹介したいと思います。

貞観十一年(869年)七月九日、陸奥国(東北地方)の東方沖を震源に発生した貞観地震は推定マグニチュード8.6、巨大津波による大きな被害が出たことで、東日本大震災に比較されます。また、当時、平安京を中心に疫病(天然痘)が大流行していました。

今日で言えば、東日本大震災発生時に新型コロナウイルス(日本ではなくヨーロッパ、アメリカ、インドレベル)が日本を襲ったような状況であったのです。

被害状況に関しては多賀城の記録があります。多賀城は現在の宮城県多賀城市に神亀元年(724)蝦夷を征伐する為に築かれました。平安時代以前、都が現在の奈良市に置かれ、平城京と呼ばれていた時代です。平時は陸奥の国府(役所)として機能しました。広大な陸奥国を治める官庁、朝廷の威光を示す為もあり豪壮で堅固な造りでした。

ところが、その多賀城内の建物がことごとく倒壊し、数多の圧死者を出し、地割れがしてそこに埋没する者が続出しました。慌てふためいたのは人間ばかりではなく、馬も牛も驚き奔ったと記されています。堅固な城柵であった多賀城がこんな有様ですから、庶民の居住空間の惨状たるや想像を絶します。

専門店にも熱視線。なぜ、いま「豚汁」でここまで集客ができるのか?

あなたは豚汁がお好きですか?あったかくて具沢山の豚汁は、冬だとさらに食べたくなる一杯ですよね。今回のメルマガ『繁盛戦略企画塾・『心のマーケティング』講座』の著者、佐藤きよあきさんは、そんな豚汁に秘められた集客力と、その理由を語っています。

心を温める一杯。「豚汁」に秘められた集客力を活かせ!

豚汁。その響きには、人を惹きつける力があります。

味噌汁のほっこり感に、さらなる贅沢感がプラスされた存在。

特別なものではありませんが、あれば食べたくなります。

豚汁は、日本全国、和食系のお店であれば、メニューに載っています。

誰もが知っており、ごくありふれた料理かもしれません。

牛丼や回転寿司などのファストフードチェーンにもあります。

なぜ、どこにでもあるのでしょうか。

味噌汁があれば、それで済むような気もしますが。

それだけ、豚汁を注文する人が多いということです。みんな豚汁が好きなのです。

なぜか、食の話題として出てくることはありませんが、みんなに愛されていることは間違いありません。

豚の風味とコク、根菜類の出汁、味噌のふくよかさ。非常に美味しい、和食の一品です。

さらに、豚肉のビタミン類、味噌のダイエット効果や美肌効果、根菜類の健康効果などがあり、女性にも人気があります。

ところが、メジャーな存在とは言えません。

品揃えとしてはありますが、大々的にアピールすることもなく、静かな立ち位置にいます。

魅力的な一品でありながら、これをアピールしないのは、実にもったいないことです。

「豚汁はいかがですか?」。

このひと言で、お客さまはその存在に気づき、その美味しさを求めてしまうのです。

美味しい豚汁は、その一品だけでも、人を惹きつける力を持っています。

文政権の“嘘”が次々と暴かれる韓国。北朝鮮施設を検証ナシで「不能化」発表が判明

韓国の文在寅政府時代に、北朝鮮の最前線監視哨所(GP)が不能化したと発表していましたが、その際の現場検証はあまりにもずさんなものだったことが判明しました。今回、無料メルマガ『キムチパワー』の著者で韓国在住歴30年を超え教育関係の仕事に従事している日本人著者が、その詳細を紹介しています。

韓国の文政権、なんの検証もなしに北朝鮮「最前線監視哨所」不能化を発表していたことが判明

文在寅政府が2018年12月、現場検証も核心地下施設破壊有無の確認もせずに「北朝鮮GP施設が軍事的に不能になった」と発表したことが分かった。当時、現場検証に参加した複数の軍関係者はこの1月14日、本紙(朝鮮日報)に「北朝鮮GP地下施設が破壊されたかどうかを装備などを通じて実際に検証することはできず、肉眼で見て北朝鮮の主張を聞いたのが全てだった」とし「『不能化に対する疑問が十分に解消されなかった』という趣旨の報告も掲載したが黙殺された」と話した。現場検証団が不良検証、虚偽発表疑惑を外部に提起したのは今回が初めてだ。

政府高官も「当時77人で構成された現場検証団の一部でこのような報告をしたことを確認した」とし「北朝鮮側の地下施設をきちんと確認しないまま、北朝鮮側の立場だけを聞いて韓国政府の立場が『不能化が達成された』となった経緯を把握している」と話した。

軍高官は「当時、合同参謀が検証結果の報告を検討する過程で、合同参謀側高官と国防部高官の間で怒鳴り声と暴言が交わされ、意見の衝突があったと聞いた」と話した。軍側では「不能になったと判断しにくい部分がある」と主張したという。文在寅政府が北の金正恩のご機嫌伺いに北朝鮮最前線監視哨所(GP)を撤収した可能性があまりにも濃厚なわけだ。

軍は最近、北朝鮮が昨年末から復元に乗り出した軍事境界線付近の11個のGPの一部で地下施設を活用している情況を監視資産を通じて確認したという。軍当局は、このような迅速な地下施設の使用から、前政権の「北朝鮮GP不能化」主張とは異なり、該当地下区域が破壊されることはなかったものと推定している。

軍専門家らは、外部に露出した地上要塞が核心である韓国軍GPとは異なり、北朝鮮GPは外部監視警戒所と銃眼具(機関銃や小銃のような直射火器を撃つことができる小規模地下陣地)を連結した地下施設が核心だと見ている。韓国軍がGPをすべて破壊したのに対し、北朝鮮は地下施設をそのままにして「破壊した」と欺瞞戦術を駆使し、迅速に復元に乗り出したものとみられる。

これに先立って南北は2018年9月9・19軍事合意を締結した当時、「非武装地帯内GPが軍事的緊張感を高める」としてGPを全面撤収することにし、試験的に軍事境界線(MDL)から南北にそれぞれ1km以内にあるGP11か所を優先的に撤去・閉鎖措置した。さらに同年12月12日、南北は検証団をそれぞれ派遣し、撤去するかどうかを確認した。

阪神・淡路大震災から29年。能登半島の避難所に「経験」は生きているのか?

1995年1月17日の阪神・淡路大震災発生から29年。その間にも東日本大震災、熊本地震、北海道胆振東部地震と日本各地で大きな地震を経験してきました。そして、今年元日に発生した能登半島地震では、いままさに不自由な生活を強いられている被災者が多くいます。避難所で過去の震災の経験はどう生かされているのでしょう。今回のメルマガ『宇田川敬介の日本の裏側の見えない世界の話』では、阪神大震災で避難所生活を経験しているジャーナリストで作家の宇田川敬介さんが、当時の避難所の酷い有り様を紹介。地震ごとに固有の新たな課題はあっても、比較することで経験の積み上げを伝えています。

阪神大震災と能登半島地震の避難の様子

なぜ阪神大震災と比較するのか

さて今回は「阪神大震災と能登半島地震の避難の様子」と題して、今年の1月1日に発生した「令和6年能登半島地震」と「1997年阪神大震災」との内容を比較して、その避難の様子を見てゆきたいと思います。

単純に比較をすることは、神戸と能登半島ということから、人数的にも物流という意味でも全く異なると思いますので、基本的には単純に比較することはナンセンスであると思います。

当然に避難所の規模も異なりますし、またそこまでの物流ルートも異なります。しかし、例えば東日本大震災の時と能登半島地震を比べれば、震災犠牲者においてその構成が全く異なります。

東日本大震災は津波による犠牲者が多いのに対して、能登半島地震は建物の倒壊による圧死がほとんどです。その様に考えれば、被災地の態度も全く異なるということになります。

つまり、東日本大震災の場合は、その被災地のほとんどが海水に使っており、水分が多く人が避難できる状態ではないということになります。つまり、被災地と避難場所が離れてしまうということを意味しているということになるのです。

しかし、能登半島地震と阪神大震災の場合は津波が起きないもしくは規模がそれほど大きくなく、ほとんどが建物の倒壊による「圧死」が犠牲者ということになります。そのことは、「避難先」が「被災地のすぐ隣であっても頑丈で安全性が確認された建物であれば非難ができる」ということになるのです。

逆に言えば、余震などで津波が再来するということはかなり少ないと言えますが、しかし、地震による揺れは、余震によって再来するだけではなく、すでに様々なところの強度が少なくなっている建物が余震によって倒壊する可能性があるということになります。要するに「余震」に対する警戒感もかわってくるということになるのです。

このように考えれば、阪神大震災と今回の能登半島地震の類似性はありますが東日本大震災との違いはかなり大きいということになるのです。

その様な理由から、阪神大震災と能登半島地震を、規模の違いや県民性などに留意しながら、またはその経験値を考慮しながらその内容を比較してみたいと思います。なお、御存知の方もいますが、阪神大震災に被災し、その経験をしていますので、その内容を現在の内容と比較してみたいと思います。

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