ビジネスパーソン必見。NY5番街のナイキ旗艦店は何が違うのか?

メルマガ『理央 周 の 売れる仕組み創造ラボ 【Marketing Report】』発行人の理央周さんが、20回目となるニューヨークを自身の足で歩いて見聞きした最先端のマーケティングの現場のレポートの第2弾が届きました。今回は、昨年11月、マンハッタンの5番街52stににオープンして評判となっているナイキの旗艦店「House of Innovation 000」のすごさについてです。ビジネスパーソンなら一度は体験すべきと推す巧みな仕組みがそこにはあったようです。

ナイキHouse of Innovation 000の顧客体験の向上

ニューヨーク、マンハッタンの5番街52stに、2018年11月に新しくできたというナイキの路面店、House of Innovation 000がすごいというので行ってみた。

やはり世界のトップブランドは、まずニューヨークはマンハッタン、それもラグジュアリーショップの多い5番街に、フラッグシップブランド=旗艦店舗を出す、ということなのか、この辺りには、ナイキだけではなく、ライバルのアディダスはもちろん、高級デパートを始め、ユニクロなどもある。

シューズやシャツが1階に売っていない?

ナイキのこの店舗は、「ナイキ・ハウス・オブ・イノベーション000」という名称の通り、まず店内のディスプレイが斬新でユニークな発想でできている。メインの入り口を入ると、オブジェ風のディスプレイ。かなり先進的だ。

そして、シューズやアパレルなどの定番グッズは、はかなり奥の方まで行かないと陳列されていない。4階建てなのだが、1階にはほとんどない、という感じだ。

入ってすぐに、やっと2人くらいがプレイできる、小さめのバスケットコートがある。コートはガラスで区切られていて、外からよく見えるが、様々なディスプレイに加えて、各種モニター画面や独特のライトで、さながらクラブにいるような雰囲気。

バスケができるスペースを上から見ると全体が見える。デザインが画期的なだけではなく、プレイヤーが動くところに光源も一緒に動くなど、まずここからかなりのハイテクが使われている、という印象だ。

ななめ上から見るとより綺麗に全体が見えるが、コートに設置されている一つ一つのモニターに何が写っているのか、先述したライトの当て方など、このスペース全体がモダンアートのようで美しい。これを見ていると、まるで、日本で有名なチームラボの作品のような雰囲気だ。

ハイテクは何もディスプレイや、VMD(ビジュアルマーチャンダイジング)のみでなく、購入までのプロセスもデジタル化されている。アプリでほとんど全てができる、という仕組みになっている。

靴もTシャツなどのアパレル類も、サイズや色など多くのSKUがある中で、欲しい商品にアプリをかざすだけで、自分の欲しいサイズが、店頭にあるかどうかがわかるのは利便性が非常に高い。

本当は恐ろしい「ランキング第1位」を冠した商品が溢れる裏側

「ランキング第1位」と謳われている商品、ついつい買ってみたくなってしまいますよね。しかし、ちょっと待ってください。そのランキング、本当に信用できるものでしょうか?今回の無料メルマガ『繁盛戦略企画塾・『心のマーケティング』講座』では著者で人気コンサルタントの佐藤きよあきさんが、ちょっと怖い「ランキングの裏側」を暴露しています。

爆発的集客力!「人気ランキング第1位」の秘密とは?

テレビ・雑誌・ネットサイトで、「人気ランキング第1位」という商品を見掛けると、つい興味を持ってしまいます。“どんなものだろう?”と、その詳細を見ると、言葉巧みにその良さを伝えており、誰もが欲しくなります。人の心理をずばり突いてくるフレーズに感心してしまいます。

その上、「ランキング第1位」と紹介されては、“これは間違いの無い商品だ”と確信し、購入するでしょう。さらに、こうした商品を紹介する際には、必ず購入者の感想も紹介されています。そこには、ますます欲しくなるような誉め言葉が並んでいます。

しかし、特に問題の無いところでは、否定的な意見も書かれており、感想の信頼度を高めています。

買った人の声を無条件に信用してしまうところが、消費者の浅はかなところ、というのは言い過ぎでしょうか。素直に信じる人が多いということです。第1位ということで注目され、買った人も満足しています。このこと自体には何も問題はなく、市場の活性化の役には立っているのです。

ところが、賢い消費者としては、知っておかなければいけないことがあります。それは、「ランキングの裏側」。

「ランキング第1位」は嘘である、とは言いません。売り上げや販売数で決まることに間違いはありません。しかし、「第1位はたくさんある、ということです。たとえば、「○○ロールケーキ 人気ランキング第1位獲得!」と紹介されている場合。“ダントツに人気がある商品”というイメージを誰もが持つでしょうが、必ずしもそうではありません。

小池都知事が「バンクシー」作品の公開検討、ネットには疑問の声

小池百合子東京都知事は17日に行われた記者会見で、謎の覆面芸術家「バンクシー」の作品とみられるネズミの作品を、10連休中に都庁で公開することを検討していると発表したと、各メディアが報じた。

小池知事は会見で「(見たいという)希望も寄せられており、ゴールデンウイークに向けて、都庁の中で展示することを検討している。都庁を、もっと親しまれる身近な庁舎にしたい」と述べ、バンクシー本人にダイレクトメッセージで連絡し、本物の作品かどうかの確認を行っているが、返事はないとした。

この発表に、ネット上では「厚顔無恥」「みっともない」「真贋に躍らされるまでがバンクシー作品」「器物損壊だけど大丈夫?」などと、公開に対して揶揄や批判の声が多く挙がっている。

小池知事の「バンクシー公開」に対する反応












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Photo by: MAG2 NEWS

何度も言うよ。自分は年金をいつからどれくらい受け取れるのか?

保険料納付済み期間が10年以上ある人に支給される国民年金ですが、資格があることはわかっていても、自分がいくら貰えるのか計算するのは大変そう…と思ってる方も多いようです。今回の無料メルマガ『年金アドバイザーが教える!楽しく学ぶ公的年金講座』では著者のhirokiさんが、事例を挙げつつ年金額のわかりやすい計算の方法を紹介しています。

65歳から原則として国民全員に支給される国民年金(老齢基礎年金)の計算の基本に振り返ろう

平成31年4月から年金額は0.1%上がって年金額が変更となっております(年金振込額に変化が出てくるのは6月支払いから)。年金額は毎年度、物価や賃金の変動で変化するものである事は今までの記事で何度も申し上げてきました。今回はその年金額の基礎である、国民年金の額の出し方に今一度振り返っていきたいと思います。

この国民年金は全ての国民の年金加入の土台となっており、余程の事が無い限り将来の老齢の年金を支給する時も必ず支給されるものです。ちなみに、サラリーマンであろうと公務員であろうと20歳から60歳までは国民年金に同時に加入している状態のために、65歳になると国民年金から老齢基礎年金が支給される事になります。よってまずこの国民年金の計算ができるようになる事は必須であります。この国民年金が全ての土台となって年金の膨大なドラマが始まるのであります。

今回は国民年金の計算について基本的な事項を見ていきます。

1.昭和35年8月9日生まれの女性(今は58歳)

(令和元年度版)何年生まれ→何歳かを瞬時に判断する方法!(参考記事)
カンタン!年金加入月数の数え方(まぐまぐニュース参考記事)

20歳になる昭和55年8月から昭和58年3月までの32ヶ月は昼間大学生として国民年金には加入する必要はなかった。加入したければ任意で加入する必要があった。加入しなければ、年金額には反映しないけども年金受給資格を得るための期間である最低10年(平成29年7月31日までは25年)の期間に組み込むカラ期間になるだけ。

カラ期間は年金額には反映しませんが年金の期間に組み込まれるのでいざ年金を貰う際に重要な役目を果たす事が多い。年金を語る時、このカラ期間の存在は非常に大切。任意加入しなかった。

昭和58年4月から平成28年10月までの403ヶ月間は国民年金保険料を納めた。なお、国民年金保険料を自ら納める国民年金第一号被保険者は同時に付加年金にも加入できた。

付加保険料は国民年金保険料に毎月プラス400円支払う事で200円×加入期間の付加年金が支給される(厚生年金加入者、3号被保険者、国民年金保険料免除中や未納中、国民年金基金加入者等は付加保険料は納めれない)。

平成28年11月から60歳前月の令和2年7月までの45ヶ月間は国民年金保険料を全額免除した(老齢基礎年金の2分の1に反映。平成21年3月までの期間は3分の1に反映)。

【中島聡 × 片山恭一】AI時代に文学やエンタメはどう変貌するか?

近い将来に訪れるとされている、人工知能(AI)が人類の知能を超える転換点「シンギュラリティ」。「Windows 95を設計した日本人」として知られる世界的エンジニアの中島聡さんは、2018年にNPO法人「シンギュラリティ・ソサエティ」を設立し、来るべきシンギュラリティの時代に活躍する「未来の設計者」たちを支援する活動を展開しています。

その「シンギュラリティ・ソサエティ」の主催で、先日都内で開催されたのが、『世界の中心で、愛をさけぶ』などの著作があるベストセラー作家・片山恭一さんと、中島さんによる対談イベント。今回はその直前のお二人を直撃し、シンギュラリティ時代のエンターテインメントの形、そして文学が果たす役割などについて、大いに語っていただきました。

来たるべきAI時代に文学やエンタメはどう変貌するのか

―――シンギュラリティへと向かっていく時代のなかで、文学はどのような役割を担っていくべきだと、片山さんは考えていますか。

片山 AIはデータによって学習していくわけですよね。データは、すでに在るものからしかデータを取れないですが、僕が考えてる文学というものは、まだ無いものというか、この世に生まれてないものを、言葉を手掛かりにして何とか作り出すことなんです。

最も古くは「神」という言葉が作り出されたと思うんです。その「神」という言葉は、キリスト教で2000年ぐらいはもちましたが、どうも賞味期限が来ている。で、今から200年ぐらい前には「自由」と「平等」という言葉が作られましたが、これらもその当時までは観念としても、概念としても、存在しなかったわけです。しかし、この「自由」「平等」という言葉ができたことで、その言葉に魅惑された人たちが、この200年ぐらいの近代を作ってきました。

でも、やっぱり「自由」や「平等」も、世の中がグローバル化することで、うまくいかなくなって来ている。「神」という言葉が終わり、「自由」と「平等」もこのままじゃうまくいかなそうになった。友愛なんて絵空事だってことになってしまうと、また次の新しい言葉を作らないといけないのですが、僕はそれをやりたいと思っています。

僕だけでそれができるかどうかは分からないけれども、そんなことを考えようとした痕跡だけでも残しておけば、次の世代が引き継いでくれると思うんです。だから、そういう印というか試みといったものを、何らかの形で残していくというのが、僕が今、非常に大事だと思っていることなんです。

僕らはコンピューターが出てくる前の生活も知ってるわけですが、今の時代はすごく変化が速すぎて、テクノロジーの進歩に人間が追いついていっていないのが現状だと思います。ただ、今が一番の大きな変わり目なので、変化しているということは分かるんです。ところが、これがあと10年とか20年経って、コンピューターやインターネットがネィティブな世代が中心となってくると、それがもう自然になってしまっているから、恐らく変わったことすら分からなくなると思うんです。だから、変化の真っただ中に今いる僕たちが、どう変わっていってるのかを、書き残しておかないとと思っています。

それが果たして文学になるかは、今のところ分からないです。結果的に小説になるのかもしれないけれども、それよりも、今の世界の動きの激しさ、そういうものを僕は掴みたい。できればそれを楽しんで、面白いことをやりたいという気持ちでいます。

―――片山さんにとって、そういう時代に立ち会えたことで、腕が鳴るという感じなんですね。それはシンギュラリティの時代を迎えるにあたって、我々が持つべき心構えにも共通してくるような気がします。

片山 そう思っておいたほうがいいですね。単に「大変だ」って言ってても、しょうがないわけですから。

それに人間の中の何が変わるといっても、逆に変わらないところもあるわけでしょう。僕らが万葉集の歌を読んで、心が通じるのは、昔から変わらない情緒みたいなものがあるからで、だから古典は残っていくわけですよね。そうやって、すごく変わっていくところと、ほとんど変わらないところがあると思うんです。倫理や人を思う気持ちであるとか。そこを見極めるのが、僕は大事だと思います。

表層的には変わっても、土台がしっかりしてれば、どんな時代でもやっていける。そういう確固とした、できれば善良なものや人間の中の善きものを、見極めていきたいと思います。

―――AIの時代を迎えると、小説もAIが書き始めると予測をする人もいます。片山さんは今後のAIと文学との関わり合いについて、どういったイメージを持たれていますか?

片山 どうなるかは分かりませんけど、書店にそういうコーナーができるといいんですよ。「AI文学」と「人間文学」みたいな。棲み分けしてもらって、両方読めるようになれば、それはそれでいいんじゃないでしょうか。でも私は、AIが文学を書けるかどうかに関しては、あまり真面目には考えてないです。

今のデジタルカメラの中にも、小さなAIが入っているわけですよね。昔のカメラは、いちいち人間がピントや絞りを合わせたりと、それなりのスキルが必要だったのが、今はシャッターを押せばたいがいは撮れてしまう。そういうツールとしてのAIが、文学の創作を助けることはあるでしょう。ただ、デジカメで撮ったものとフィルムで撮ったものとで、どちらが作品として優れているかはまた別の問題ですよね。

小説を書く際も、今後はなんらかのアルゴリズムが開発されて、キーワードを入れれば誰もが簡単に書けるようになるかもしれない。「夕暮れ」「コーヒー」「海辺」って入れると、勝手にそういうシーンを書いてくれるとかね。ただ、そういう使いやすさはあるかもしれないけれど、それと創作や表現することとは、また全然別の話だと思います。

中島 AIはちょっとしたシーンの描写はいいかもしれないけど、やっぱり真っ当な小説を作るとなると、また違うというのは僕も同感です。

ただ売れる小説を書くのであれば、AIは広告のようにABテストができるから、例えばAIが小説を2種類作って、そのAとBのストーリーをインターネットで公開する。すると、読んでる人がどこまで読むかはわかるんです。面白くなかったら、途中で読むのをやめちゃうので。で、読むのを止めた人が多いほうは捨てるといった、そういうABテストをずーっと繰り返しながら小説を作っていくと、それはひょっとして最後まで読まざるを得ない小説になるかもしれないですね(笑)。

片山 負けましたよ(笑)。そうなった時は、敗北を認めます。まぁ、すでにヒット曲を書くアルゴリズムは、あるらしいですね。それこそデータを集めて、どういうリズム、どういうメロディ、どういう和音が好まれてるのかを入れておけば、ある程度ヒットする曲ができるっていう。

―――ただ、小説は人間の心理の機微を描くものだから、AIにはそれは難しいのではと思うのですが……。

片山 いや、今の中島さんの話を聞いてると、それも難しくないかもしれないですね(笑)。ただ、僕が考える小説は、一人の人に向けて書いてるんです。読者は一人いたらいい。この世界で一番大切な誰か一人に届けばいいと。

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それは自分かもしれないけれど、じゃぁ僕に届く言葉って何かというと、僕が末期のがんで余命半年と診断された時に、自分を支えられるような、自分の心に届くような言葉が作れているかなんです。自分の言葉で、余命いくばくもない自分自身を支えることができるか。もし、そういう言葉を作れれば、その言葉は恐らく万人に通じるはずなんですよ。

一人の人間を支えられる、死にたいと思っている人を生に引きとどめられる……そういうものをたった一人の人にでも届けば、それはもう誰にでも本当は届くだろうと。ベストセラーになるかは別として、小説の言葉はそれを目指しているのですが、これはデータから取れるない気がしますね。その人の固有のものだから。

僕自身ががんを宣告されたときに、どういう言葉が心に届くのかは、それは僕固有の問題でしょう。でも、本当の固有の問題をきちっと書けば、それはおのずから普遍性を持つ。一般的なものが普遍性を持つのではなく、本当に届くものは、ある意味固有なものなんですよ。ゴッホにしても、あれだけ個性的な、あの人しか書かなかった絵を描いたから、今では万人にいい絵だと思われてるわけで。またバッハの曲も、誰もが作れる作品じゃなくて、彼にしか作れない固有の世界を音で描いたから、いまだに残っている。だから表現というものは、AIがデータを取るのとは、まったく逆のことをすることなのかもしれない。

―――普遍的なものを作ろうとする時に、AIと小説とがまったく反対のアプローチを取るというのは、すごく面白い話ですよね。

片山 いや、ビックデータを元にAIが作ったものは、本当の意味での普遍性は持たないと思います。一時は消費されるけれども、時間が経つと消えていく。

やはり一人一人が苦しんで、自分なりに生きて、こんなことを感じたとか、こういう悲しいことや嬉しいことがあったというものを、きちんと作品として残したもの。その人自身が生きた「生の痕跡」を、音楽や絵画や言葉で残したものが、普遍性を持ち、時代を超えて支持されるものになるのではないでしょうか。膨大なデータの最大公約数を出しても、一時的には消費はされるかもしれないけれど、すぐに飽きられて、長持ちしない気がします。

AIが上手な小説を書くとすれば、暇つぶしというか、夢中で最後まで読んでしまうけど、翌日には全然何も残っていない作品ではないでしょうか。ハリウッド映画でも、最近はそういう作り方をしてるみたいですけど。

そう考えると、人間はまだまだやることがいっぱいあって、逆にAIができることはごく一部と考えたほうがいいんですよ。ただし、そのAIができるごく一部を、無茶苦茶なパワーでやってしまうものだから、世界を変えるだけの力になると思うんです。そこがやっぱりAIと良い関係を保つにあたって難しいところだし、僕らが一番考えなければいけないところですね。

―――シンギュラリティを迎えると、世の中はガラリと変わるだろうという人もいますが、片山さんの話をお聞きすると、そんなには変わらないという見立てでしょうか?

片山 というか本当に怖いのは、どこがどう変わっているのかがわからないところなんです。知らないうちに人間という概念が作り変えられて、人間が別のものになってしまう。人間の定義が変わるぐらい大きな変化が起きるかもしれないけど、それに僕らは多分気づかないだろうと思うんです。

例えば歯医者さんの治療ひとつをとってみても、僕らのころは虫歯を治したり、入れ歯を作ったりするぐらいだったのが、今では歯のホワイトニングまでやってますよね。ホワイトニングって大げさに言うと、歯のアップグレードで、人間が自然に持ちえなかった歯の輝きとか白さを搭載してしまうわけです。

もう少し本格的に考えていくとゲノム編集とかで、それまでなかったような能力を身に付けるとか、病気にならない体質に作り変えるとか、そういうことも、今後は医療行為として行われるようになる。僕らがもう歯のホワイトニングを不自然と思わないのと同じように、ごく自然に行われるようになると思うんです。

最初は「がんのリスクを減らします」とか、そういうきっかけで始まったものが、どんどん広がるうちに、気が付いてみると、人間そのものが変わっていたということは、十分考えられると思うんです。僕がイメージするシンギュラリティ、そういうことなんです。誰もが「シンギュラリティをコレだ」って分かるような形では来ないような気がします。いつのまにかこうなってしまっていた、っていう……。

中島 よく「2045年にシンギュラリティが来る」って言われますけど、僕もそれは全くのデタラメだと思います。どこかの1点じゃないですよ。やっぱり、すごく時間をかけた変化のなかで、いろんなことが起こる。パソコンとかインターネットが登場した1990年ぐらいから、シンギュラリティと呼んでもいい変化は始まっていて、僕らはその只中にいるわけです。

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1年や2年のスパンでみると、そうではないかもしれないけど、5年や10年で考えるとべらぼうに変わっていると。今はもうスマホのない生活は考えられないけれど、それもたった10年の歴史しかないんですよ。それに、iPhoneが出たばかりの頃は、僕はこの業界にいたから大騒ぎしてましたけど、大多数はわかってなかったというか、価値を理解してなかったわけでしょ。それがわずか10年前のことですからね。ということは、10年後の今日には、多分僕らがまだ見たことのないものが、もうみんなが持っていて、今の僕らが見たことがないようなものが、なくてはならないものになっているかもしれない。すごい時代に生きてるなって思いますね。

さっきの片山さんのホワイトニングの話じゃないんですが、アメリカに行くとみんな歯並びが良くて、歯並びが悪い人間は見下される。子供時代に歯をちゃんと治療するお金を親が持ってなかったって見られるんです。韓国に行くと、女性はみんな整形してるわけでしょ。それは日本人から見ると変なのかもしれないけど、韓国ではそれが当たり前で、逆に「整形しないのはなぜ?」っていう反応になると。

それと同じように、今後は遺伝子治療が次第に定着化していくことも考えられるわけで。例えば子供の教育にしても、いくらお金をかけたって思うように頭がよくなるわけじゃないから、「だったら、生まれる前に遺伝子で治しちゃったらいいじゃない」ということになるかもしれない。そうなると、みんな頭のいい子が生まれてくる、あるいはそれができるお金を持った人の子供だけが、いい遺伝子をもって生まれてくるようになる。倫理的にどうなのかという問題はありますが、そういう流れは止められないような気がします。例えば、オリンピックのアスリートの遺伝子を持ちIQが高い子供を、金持ちがこぞって産むといったことが、10年後には常識になってるかもしれない。「え、遺伝子治療しなかったの?」みたいな。

片山 もし「社会的なコストを減らすために、障害児を産まないようにしましょう」という風に、人間の倫理が作り変えられてしまえば、そういう子供たちも生まれなくなって、健常者だけの世界になってしまう。

中島 僕はそういう世界が気持ち悪いって思うんだけど、10年後にはそういう考えも時代遅れになってしまうのかもしれない。

―――そういう中島さんが抱いたような違和感に意識的であることが、シンギュラリティの世の中を迎えるにあたっては、すごく大切であるいうことですね。

片山 私なんかは幸いなことに仕事らしい仕事もせずに、何をやってるのかわからないですから、AIに最も代替されにくい立場なのかもしれませんが(笑)、そういう人間の役割は、どこが変わってるのかをできるだけ正確に、何らか形で書き残すというのが仕事なんじゃないかなって。

例えば会社に入ってしまうと、それに合わせていかないといけないから、ゆっくりと観察したり熟慮する時間はなくなってしまうでしょ。幸い私は暇っていえば暇ですし、そういうシンギュラリティの進化とはあまり利害関係がないから、そういうことを考えることができるんじゃないかな。

―――今後AIが進歩していくと、文学をはじめとしたエンターテインメントの形も大きく変わるのではと思うのですが、それに関してはどうお思いでしょうか?

中島 これはエンターテインメントの定義になるとは思うんですが、なんの価値も持たさないけど、とにかく退屈しのぎができる、その場だけ楽しませてくれる、そういうものはAIでも十分作れちゃうんじゃないですかね。それはそれでビジネスにもなるし、見てる人もそれなりに満足するだろうし。でも「それが幸せなの?」って聞かれると、それはまた別の話になると思いますが。

片山 だから「手っ取り早くこの錠剤を飲めば、幸せになれる」みたいな感じかもしれませんね。AIが「今日はちょっと鬱な気分ですから、これを処方します」みたいな感じで勧めてくれたりして。

中島 Youtubeとかでも、おすすめの動画をたらたらと見ていたら、どんどん時間が過ぎていくじゃないですか。あれって、すでにその状態じゃないですか。あとで後悔はするけど、見てる時の自分は幸せなんじゃないだろうかっていう……。

―――なるほど、知らないうちにAIに支配されているわけですね。

中島 ゲームにしたって、面白いからついついやってしまうけど、あとから時間の無駄だったって後悔してしまうことがありますよね。でも、ついついやってしまうゲームなんだけど、そこに学びがあるようなゲームを作ったら、これは本当にすごいことになるんじゃないですか。親が喜んで子どもにさせて、子どもは夢中で遊んじゃう。「レベルが上がったよ」って言ってるのは、実は頭も良くなっていることであるみたいな。そんなゲームを作ったら、それはすごいでしょうね。だからもし、そういうところにテクノロジーとかAIが使えたら、シンギュラリティ時代のエンターテインメントもいいものになるかもしれない。

ゲームに限らず、例えば「今2時間ほど時間があるから、退屈しのぎをさせてくれよ」「ただ、ただ単にボーっとするんじゃなくて、例えばヨーロッパの歴史を勉強したい」っていうような、漠然としたテーマを与えると、その目的に応じたエンターテインメントをさせてくれる、そういう賢いAIみたいなのができたらいいかもしれない。「同じ時間をつぶすのでも、Youtubeだと何も学べないけど、こっちに来ると一つ賢くなりますよ」というようなね。それってひとつのビジネスチャンスだから、気づけば作る人はいるんですよ、それが今の世の中だから。今後は、そういう意味でのエンターテインメントの進化は起こるでしょうね。ゲーム業界もガチャで儲けようとかじゃなくて、ぜひともそういう視点で作って欲しいですね

―――……そろそろお時間が迫っているようなので、ここからは自動運転や無人化の最新事情をお聞きできればと。なんでも最近、中国では「雄安区」という実験都市を作ったとかで、話題になっていますよね。

中島 そうですね。僕は雄安には行ってないんですが、やっぱり自動運転の普及で難しいところって、従来の法規制とどう折り合うかだったり、自動運転じゃない一般のクルマとどう混ぜるかっていうところなんですよ。

自動運転の世界は最終的に、道路には人間が運転するクルマは走っていなくて、信号機もない。それでいて歩行者はクルマと完全に分断されている……そういう街づくりが必要です。でも、それを例えば普通の街でやるとなると、莫大なコストがかかってしまう。ところが中国は共産主義国家だから、土地をボンと用意して「ここはそういう特区だ」と決めて、何でもできてしまう。そうなると、中国がその分野でどんどん先へ行くのは当たり前ですよね。……東京なんかで、そんなことは無理ですよ。オリンピック開催という絶好のタイミングでも、自動運転特区を作れなかったんですから。

僕は以前から「日本の政治家は“第2東名は自動運転だけ”って宣言してしまえ」って言ってたんです。もちろん、今すぐそうするのは大変だから、5年後とか2020年からっていう風にすればいいと。そうしたら、自動車会社が必死になって自動運転車を作っていたと思うんです。それぐらいのことはできるはずなのに、実際はそれをやっていない。

中国は共産党の国で、それこそ自動運転の実験であったり、人間の認識……人権とかプライバシーを無視したデータの制御みたいなことは、それこそ好き勝手にできるから、もう圧倒的に有利なのは間違いない。そのことに関しては、すごく危機感は感じますし、アメリカや日本はそのことに危機感を持つべきですよね。

―――そういった中国の動きに対して、日本などはどういう風に対抗していけばいいんでしょうか?

中島 いや、それはもう敵わないと思いますよ。5年後に関して言うと、例えば自動運転とか、人間のデータ化に関しては、もう圧倒的な差が付くことは目に見えてる。そこで「じゃぁ、どうするんだ?」って話ですが、アメリカは恐らく中国企業の締め出しにかかると思うんです。特にペイメントに関しては、すでにアリペイとかがアメリカにも入って来てるけど、僕がアメリカ側の政治家だったら、それは止めますね。だって危ないですよ、金融を掴まれちゃったら。実際、ファーウェイの基地局なんかは、すでに締め出しにかかってるでしょ。

でも、それもしょうがないんじゃないですか。技術者の目から見れば、中国が明らかに有利だなって思うので。日本が共産主義国家のような国にはなって欲しいとはもちろん思いませんが、とはいえ「第2東名を自動運転車しか通れない」程度のリーダーシップだったら、誰でも取れると思うんですよ。やっぱり、ある程度の進化圧はかけとかないと、特に自動車産業なんてリスクを取らないですからね。

―――その中国といえば、コンビニなどの無人化も進んでいるようですが、一方の日本では、24時間営業の維持が揺るぎ始めている事態も起きています。

中島 うちの近所にも、夫婦で経営しているコンビニがあるんですけど、店に行くとその夫婦のどちらかが必ずいるんですよ。信じがたいと思いません? 一緒に休む時間もないという……。

コンビニの本部は儲かってるのかもしれないけれど、各店舗のオーナーの人たちは疲弊しきっている。でも、そこに無人化コンビニのニーズがあるわけだし、それに反対する人もいないと。あとは技術とコストの問題になると思いますが、コストに関しては絶対にペイしますよ。だって今は、アルバイトを雇ってるほうが高くつきから。だからコンビニも、無人化を進めるという意味では、逆に今が絶好のチャンスだと思いますけどね。

―――それでは最後の質問ですが、今後のシンギュラリティ時代を迎えるにあたって、備えとして読んでおきたい文学作品、あるいはその他の映画・音楽など、お二人のおすすめ作品を教えてください。

片山 近年読んだ本の中で一番面白かったものは、やっぱりユヴァル・ノア・ハラリの本ですね。『サピエンス全史』と『ホモ・デウス』の2作品は、非常に面白かったです。彼は今、一番冴えているといいますか、最も広く遠く世界を見通している人物じゃないでしょうか。

『ホモ・デウス』は、人間が自らを神としてアップグレードするっていう趣旨の話です。人間は貧困・飢餓・戦争っていうのを、ある程度は無くすことができたと。そうすると人間が次に何を目指すのかというと、人間自体のアップデートを目指すだろうと。さっき中島さんが言われた通り、自分の能力を作り直したり、身体的・知的能力を作り直すとか、歯のホワイトニングに始まって、そこまでいくんじゃないかっていう、そういう論旨なんですけどね。非常に刺激的でした。

中島 僕もSFだと『ブレードランナー』に始まり『マイノリティリポート』とかも好きですよ。特に『マイノリティリポート』なんかは、もうビジネスのネタが満載なんですよ。

例えば、店に入った途端に、その人のアイデンティティを認識して広告を始める、といった描写とかね。ずいぶん前の映画なんですけど、今やっとそれが可能になりつつあり、10年後には、あの世界は実現するんじゃないですか。もちろんプライバシーの問題とかはあるでしょうけど、そこは中国が他国に先んじて……という流れになるんでしょうね、やっぱり。

台湾の総統選に鴻海の郭台銘会長が出馬表明「女神が促した」

台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業で会長をつとめる、郭台銘会長(68)が17日、台湾総統選に出馬する計画を発表したと、米ブルームバーグ日本版や日本経済新聞などが伝えた。

郭会長は、「媽祖(中国や台湾などで信仰されている海の女神)」が台湾海峡の平和を支援するため立候補するよう促した、と述べた上で、野党・国民党の候補指名獲得を目指すと話していたという。

郭会長は台湾では「親中派」として知られ、自身が率いる鴻海精密工業は日本企業のシャープを買収したことでも知られている。(随時更新)

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image by: PAS China(美国驻华大使馆) [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で

横綱・白鵬、モンゴル国籍離脱を申請し日本国籍取得へ

大相撲の横綱・白鵬(34、宮城野部屋)が、「モンゴル国籍の離脱」を同モンゴル政府に申請していることが17日分かったと、日刊スポーツなどが速報で伝えた。角界関係者が明らかにしたという。白鵬は、日本国籍を取得する手続きのため、だとしている。

なお、出身国のモンゴルの複数の主要紙なども、国籍離脱のニュースを伝えたという。

日本の大相撲では、外国出身力士が親方になるためには日本国籍が必要だという。白鵬は引退後も日本の角界に残ることを視野に入れて、モンゴル国籍を離脱し、日本国籍を得る決意を固めたとみられるという。

白鵬は大相撲で史上最多の優勝42度を誇り、以前より日本国籍取得の意向を示していたとしている。(随時更新)

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image by: FourTildes [CC BY-SA 3.0], ウィキメディア・コモンズ経由で

元国税が論破する「公共事業を増やせば賃金が上がる」の大ウソ

賛否両論を呼んだ前回掲載の「元国税が暴露『日本の財政赤字は社会保障費が原因』という大ウソ」。SNS上などでも活発な議論が展開されましたが、「公共事業を増やせば日本経済はよくなる」と主張する方も多いようです。これを真っ向から否定するのが、元国税調査官で作家の大村大次郎さん。大村さんは今回も自身のメルマガ『大村大次郎の本音で役に立つ税金情報』で、これまで行われてきたあまりに酷い公共事業の実態とその弊害を、データを明示しながら記しています。

※本記事は有料メルマガ『大村大次郎の本音で役に立つ税金情報』2019年4月16日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会にバックナンバー含め初月無料のお試し購読をどうぞ。

プロフィール大村大次郎おおむらおおじろう
大阪府出身。10年間の国税局勤務の後、経理事務所などを経て経営コンサルタント、フリーライターに。主な著書に「あらゆる領収書は経費で落とせる」(中央公論新社)「悪の会計学」(双葉社)がある。

“公共事業を増やしさえすれば日本経済はよくなる”という愚論

前回2019年4月1日号のメルマガで、筆者は、「今の日本の財政赤字の原因は、社会保障費の増加ではなく、90年代の狂乱的な公共事業のせいです」と述べました。

元国税が暴露「日本の財政赤字は社会保障費が原因」という大ウソ

しかし、昨今の日本では、「公共事業を増やしさえすれば日本経済はよくなる」という「公共事業信者」ともいうべき、愚かな人々がいて、その人たちが非常に反発をしたようなのです。

「公共事業信者」の方々は、「公共事業を行えば経済は活性化し、賃金も上がり、景気はよくなる」と固く信じています。しかし、不思議なことに、「公共事業信者」の方のほとんどは、日本の公共事業の実態をほとんど知らないのです。とにかく、「公共事業をしさえすればいい」と思っておられるのです。

確かに、経済が収縮したときには公共事業を行うことで、経済が活発化することもあります。また国に必要なインフラの整備をすることは国にとって非常に大事なことでもあります。だから、筆者としても、「公共事業はすべて悪」だと断罪するつもりはありませんし、公共事業は国にとって必ず必要なものだと思っております。

が、問題は公共事業そのものではなく、その」なのです。ネットでご活躍されている「公共事業信者」の方は、公共事業を増やせというばかりで、公共事業の質や量、具体的な方法論とその効果などを論じることはほとんどありません。つまり、日本の公共事業の実態を知らずに机上の空論として、ただただ「公共事業を増やせば景気がよくなる」と思っているのです。

公共事業の適正な「質」と「量」を検討したとき、90年代の日本の公共事業は、「巨額のお金をドブが埋まるほど捨てる」という愚行だったと言えるのです。

アメリカの要求で行なった630兆円の公共事業

90年代に行われた大規模な公共事業は、90年当時の日本の首相であった海部氏がアメリカに対する公約として、今後10年間で430兆円の公共事業を行うと明言したことから始まりました。当時、アメリカは日本との貿易赤字に苦しんでおり、日本の内需を拡大するために、公共事業を増額させアメリカ製品をたくさん買わせようともくろんだのです。

90年代初頭、日本は、歳出を歳入だけで賄える、いわゆる「プライマリー・バランスの均衡を達成していました。これは、先進国では珍しいことでした。現在の日本は、赤字国債無しではやっていけない財政状況が続いておりますが、90年代初頭はそれとはまったく違っていたのです。

その財政バランスの取れた日本政府に対し、アメリカは、もっと金を使えと要求したわけです。「他国に公共投資を強いる」というアメリカの姿勢にはもちろん問題があります。が、この公共投資に関しては、日本側の対応が最悪だったのです。

その後、村山内閣のときに、この公約は上方修正され630兆円にまで膨らみました。1年に63兆円を10年間、つまりは630兆円です。630兆円というのは明らかに異常な額です。当時の日本の年間GDPをはるかに超える額であり、当時の国家予算の10年分です。当時の社会保障費の50年分以上です。それを丸々公共事業につぎ込んだのです。

いくら当時の日本政府が財政を健全化していたといっても、こんな負担に耐えられるはずがありません。当然のように、あっという間に、巨額の財政赤字を抱える羽目になりました。現在の国の巨額の借金というのは、間違いなくこのときの630兆円の公共事業が原因なのです。

国は、現在の巨額の赤字国債について、「社会保障費の増大で生じた」などと弁明していますが、数理的に、どこからどうみても無理があります。当時の社会保障費はわずか11兆円ちょっとです。公共事業費は年間60兆円以上でした。だれがみても、どちらが借金の原因かは一目瞭然なのです。

カップヌードル味噌「販売中止」に見る地上波CMビジネスの終焉

4月1日に発売されたばかりの「カップヌードル味噌」ですが、11日に日清食品が一時販売中止を発表し話題となっています。同社の予想を上回る売上を記録していたとのことなのですが、なぜ「販売休止」という選択をせざるを得なかったのでしょうか。アメリカ在住の作家・冷泉彰彦さんがメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』で、その理由を分析しています。

カップヌードル味噌味、販売中止の原因は?

日清食品はこの4月から新商品「カップヌードル味噌」を発売していたのですが、たった10日で販売中止になってしまいました。「朝ドラ効果」などもあって、カップヌードル全体の売り上げが前年比で3割増と急増する中で、このまま「味噌」がヒットしてしまうと、主力商品であるレギュラータイプなどの安定供給に支障が出ると判断したからだそうです。

思い起こすと、この種のニュース、最近はとても増えているように思います。猛暑であるブランドのコンビニアイスが人気化したと思ったら、「販売休止」。高級な一眼デジカメが発売になったら品薄で発売中止、そんなニュースがとても多いのです。

一体どういう現象なのでしょう。ある商品が売れ過ぎると、生産ラインを増やさなくてはなりません。でも、生産ラインを増やせば固定費になります。その追加生産ラインの固定費を回収して利益を出すところまでは、販売が伸びるかは分からない、となると追加の生産ラインへの投資は断念することになります。

そうなると、小売の現場はいつも品薄になりかえって商品イメージは悪化それを避けるために思い切って販売休止。そういう循環です。人口減とデフレの中で、ギリギリのコスト計算をする中ではそういうことになります。

流通の変化も大きいと思います。カップ麺やアイスというのは、今ではコンビニという販売チャネルが極めて重要になっています。コンビニでは、ギリギリの人力で回している中で、「味噌味ありますか?」「ありません」的な問い合わせになるような「欠品というのは嫌われるのでしょう。