他人からの評価を気にすることなく「自分自身を大切にする」秘訣は?

他者から高く評価されることが生きる目的になってしまうと、心が休まる日がなくなり、人はさらに疲弊してしまいますよね。無料メルマガ『東北の人気メンタルトレーナーが送る『自信をはぐくむ、幸せな自分のなり方』』の著者である吉田こうじさんは、他人に振り回されず、自分を大切にできるコミュニケーションをとれるような考え方や行動のコツを伝授しています。

他人に振り回されない、自分を大切にするコミュニケーションのコツ

他人から高く評価されることが生きる目的になっているなど、欠乏欲求(特に承認欲求)に囚われ依存していると、他人は全て「評価者」であり、自分は「被評価者」というポジションが無自覚に自分の中に定着することがあります。言い換えるなら「受身的姿勢」であり、この姿勢は「犠牲者(被害者)」のポジションを取りやすくなります。

この「被評価者」のポジションは、家庭にいても学校にいても職場にいても友達といても…周りは全て「自分のことをあれやこれや評価する評価者」ですから、一人孤独な時間以外に心が休まる時がありません。こんなふうに孤独な時間以外に心が休まらない世の中に、敵意や憎しみを抱くようにもなります。

さらに悩ましいのは、他人から評価されることが目的になっていると、その裏側では「ありのままの自分を否定し続けている」ということも同時に起きているということ。自己受容の真逆の自己否定をし続けてますから、劣等感やら無力感やら無価値感がどんどん強化されていって自尊心はダダ下がり状態になります。

でも、他者から評価されることが目的ですから、他人の期待に応えようと限界まで自分を追い詰めて頑張るし、そうやって頑張れば頑張るほど、他人の評価が余計に気になってしまう…。すると今度は「見捨てられ不安」まで新たに抱え込むようになってしまう…。そうやって、人生が全て他人にコントロールされてしまうように感じてしまう…。

「他の人が私のことを評価するのと同じように、自分だって他人のことを自分基準で評価したっていい!」

とは頭ではわかっているのに、気持ちがそうさせない…。それくらい頭と気持ちに距離ができてしまっている…。気持ちが抑圧されてしまっている…。

これってとっても悩ましいことです。

韓国大統領候補の“元愛人”が爆弾発言。「凶悪殺人犯の身内を弁護」の仰天告白

先日掲載の「厚かましさ全開。韓国大統領選候補に決まった『反日政治家』の正体」等の記事でもお伝えしたとおり、その政治家としての資質を疑問視する声が多く上がっている李在明氏。そんな強硬な反日派としても知られる大統領候補に、またしても新たなスキャンダルが噴出したようです。今回の無料メルマガ『キムチパワー』では韓国在住歴30年を超える日本人著者が、不倫相手とされる女優が暴露した「李氏の素性」を、彼女のフェイスブックの文章を引きつつ紹介しています。

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民主党候補李在明の素性

民主党の李在明(イ・ジェミョン)大統領選候補と不倫関係にあったことがほぼ間違いのないキム・ブソンという女優がいる。この女優が、李在明が昔、凶悪殺人事件の弁護人をやったことがあるということで今韓国ではこの話題で持ち切りだ。その凶悪殺人犯がなんと李在明の実の姉の息子(つまり李在明の甥にあたる)だというから、話題に上らないはずもない。

事件は2006年5月にソウル江東区(カンドング)で発生した「母娘殺人事件」。李候補の甥の金容疑者は、別れたガールフレンドが住んでいた家を訪れ、凶器で元ガールフレンドと母親をそれぞれ19回、18回刺して殺害した。当時、弁護を引き受けた李在明は犯人金氏の「心身微弱」を主張した。裁判所がこれを受け入れなかったため、2007年2月、被告は無期懲役が確定した。

キム・ブソン氏は、今年7月に李在明を相手取って(名誉毀損など)損害賠償請求訴訟を起こしており、キム・ブソン氏を担当しているカン・ヨンソク弁護士を通じて初めて同事件に言及されたもの。今年7月7日、ソウル東部地裁民事16部審理で開かれたキム・ブソン氏の裁判で、カン弁護士は、「李在明候補の甥が殺人罪を犯して無期懲役に処されているという(キム・ブソン氏の)供述調書がある」とし、「李在明候補を通して直接聞かなければ分からない内容だ」と述べた。

李在明とキム・ブソン氏が恋人関係だったことを立証する証拠(李在明はこの女優キム・ブソン氏と不倫関係にあったことを否定し続けている)として、“甥殺人罪’”の供述を取り上げたのだ。7月の段階で公にはなったものの、世間の人もメディアもこの事件については全く触れられることはなかった。それが今になって話題騒然となってきているわけだ。

朝を制する者は未来を制す。“時間管理のプロ”が明かした「朝時間」活用法

1分1秒でも長く布団に入っていたいこの時期だからこそ、1日たった30分の早起きがライバルとの差をつけるのに大きな力を発揮することに繋がるようです。今回のメルマガ『石川和男の『今日、会社がなくなっても食えるビジネスパーソンになるためのメルマガ』』では、6つの仕事を掛け持ちする時間管理の専門家であり建設会社の役員も務める石川和男さんが、自身も実践し数々の夢や目標を実現してきたという「朝の時間」の活用法をレクチャー。毎朝無理なく起床し机に向かうことを可能にする「2つのテクニック」を紹介しています。

 

寒さに負ける人が増える今だからこそ、朝時間で目標を実現させよう!

だんだんと寒くなり、布団から出るのが億劫になる季節がやってきました。

このまま出勤する直前まで寝ていたい。羽毛フトンにくるまりながら、ダラダラと時間だけが経過していく……。

その気持ち、よくわかります。二度寝ほど幸せなものはない。暖かい布団のなかでまどろむ時間、ゆっくりとまた眠りのなかへ落ちていく瞬間のなんとも言えない多幸感。

ですが、その多幸感から目覚めると、「はぁ、今日もまた出勤ギリギリまで寝てしまった」と決まって後悔が襲います。

多くのビジネスパーソンが、このような習慣になってしまう今だからこそ、「朝の時間」を有効に活用し、その他大勢に差をつけられることができます。

朝時間を制する者は、未来を制す!

私は出勤前の「朝の時間」を有効活用することで、数々の夢や目標を実現してきました。

朝30分だけでも早く起きれば、1週間で3.5時間、1ヶ月で15時間、1年でなんと182時間も、スキルアップ、キャリアアップ、語学や資格試験の勉強に時間を使うことができます。出社ギリギリまで寝ているビジネスパーソンと、かなりの差をつけれますよね。

寒くなってきた今だからこそ、朝というゴールデンタイムを活用し、あなたの夢を叶えたり、目標を達成したり、先延ばしにしていたことを片づけましょう!

なぜ朝の時間が大事なのか

夜は急な残業があったり、上司や友達に飲みに誘われることもあります。また、仕事で長時間働き、ヘロヘロになった状態で、「さぁ、やろう」と思っていても、なかなか計画通りにいかず、三日坊主になってしまいます。

厚生労働省は「健康づくりのための睡眠指針」のなかで、「人間が十分に覚醒して作業を行うことが可能なのは、起床後12~13時間が限界であり、15時間以上が経過すると酒気帯び運転と同じ程度の作業効率まで下がる」と発表しています。

つまり、朝7時に起きる人は、19~20時が覚醒して作業を行う限界で、22時以降は酒を飲みながら作業を行っているのと同じ状況になると言うことです。そのような状態で、勉強しても集中力が続かず、三日坊主で終わる可能性は高くなります。帰宅してから勉強するのは非効率なのです。

同じ「30分」という時間を使うなら、メールも電話もこない。誰も遊びにこない(朝から遊びにきたら追い返しますね 笑)。部下からの声掛けもない。新鮮な空気を吸いながら集中力の高い時間帯に行うほうが、何倍も効果的、効率的なのです。

 

中国すら匙を投げる惨状。WHOテドロス氏「祖国」で止まぬ蛮行と悲劇

先日掲載の「政府による虐殺やレイプも。建国以来最大の危機に陥る『多民族国家』の空中分解」でもお伝えしたエチオピア情勢ですが、時局は悪化の一途を辿っているようです。今回のメルマガ『最後の調停官 島田久仁彦の『無敵の交渉・コミュニケーション術』』では著者で元国連紛争調停官の島田久仁彦さんが、ノーベル平和賞受賞者とは思えぬ同国大統領の蛮行をはじめ、エチオピア国内で起きている悲劇的な事態を紹介。さらに米中ロ、そしてトルコといった国々の動きや思惑を解説するとともに、島田さん自身が国連やアフリカ連合から紛争調停の参加を要請されているものの、エチオピア政府やトルコからその賛同を得られぬため動きが取れない状況にあることを綴っています。

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究極の地政学リスク案件となったエチオピア情勢

「11月23日にアビー首相自らが、TPLFとの紛争の前線に赴き、“対テロ戦争”の指揮を執る」

そんな情報が今週になって入ってきました。メディアのアクセスやインターネットが遮断されている今、実際にアビー首相がティグレイ州とアムハラ州の州境に赴いた映像が存在しないため、その真偽のほどは分かりませんが、もし本当だったとしたら、それはエチオピアにおけるティグレイ紛争の深刻度が高まったことを意味します。

昨年11月4日に開戦し、月末にはいったん収まったと思われていた紛争ですが、その後も隣国エリトリア軍の越境による蛮行が続いたことと、TPLF(ティグレイ人民解放戦線)が勢力を盛り返したこともあり、今年6月にティグレイ州都のメケレがTPLFに奪還されたことから、一気に紛争が過激化しました。

そのプロセスの中で、TPLFのリーダーであったゲブレマイケル氏がエリトリア軍に背後から攻撃され、重傷を負ったことで、事態は一気に変わりました。

その理由として、一つ目は、国際社会からエリトリア軍の越境の有無について尋ねられていた際、エチオピア政府が「越境はない」と答えていた内容が虚偽であったことがばれ、エチオピア政府に非難が集中することになったこと。

二つ目は、これまでTPLFによる仕業と非難していたアムハラ州やアファール州などで起きていた虐殺や人権侵害の多くが、実は政府軍やエリトリア軍による仕業であったことがばれたこと。

三つ目は、誰がリークしたのかは不明ですが、アビー首相が何度も「今回の攻撃の目的は、ティグレイ人を抹殺すること」と、まさに民族浄化を誘発するような発言をしていた音声データが明らかになったことと、そのためにエリトリア軍と密接に協力をしていたことが分かったこと。

四つ目は、アビー政権が、昨年11月末に国連および国際社会に約束していた“ティグレイ人に対する国際人道支援の受け入れ”を、実質的に反故にし、結果として、520万人以上が飢餓の危機に陥ることになったこと。

こういった背景が明らかになり、国内外でのアビー政権と繁栄党(Prosperity Party)への支持・評価が大きく変容します。

国内については、30年以上、エチオピアで独裁体制を敷いてきたTPLFに対する国民(他民族)の嫌悪感をベースに、アビー首相と繁栄党は【対ティグレイ掃討作戦】への圧倒的な支持を受けてきましたが、実情が明らかになるにつれ、政府への支持は一気に退化し、代わりにTPLFへのシンパシーが上昇するという状況が、今年夏以降加速しています。その結果、ティグレイ紛争とは別に、他州で政府を相手にした暴動が起きており、国内の治安の悪化が進んでいます。

また、今回のTPLFの復活と、オロモ解放戦線(OLA)の参画により、エチオピア政府の経済成長の要となるジブチ国境に位置するアファール州の要所が抑えられ、スーダンに至る玄関口となるアムハラ州もTPLF側が支配することになったため物流が止まり、政権の経済的な息の根を止めるような作戦が取られていることで、それに対処できないアビー首相と政権への非難が高まっています。

 

謝罪のプロが推測。木下“ひき逃げ”都議の会見で利益を得たのは誰か?

都議会選挙選のさなかに無免許運転で交通事故を起こし、4ヶ月もの長きに渡り雲隠れした挙げ句、先日ようやく辞職を表明した木下富美子氏。しかしながらその会見の内容については、各所から非難の声が上がっています。いったい木下氏はなぜ、わざわざこのような会見を開いたのでしょうか。そんな誰しもが抱く疑問について今回、「謝罪のプロ」として知られコンプライアンス研修の講師も務められている増沢隆太さんが、まぐまぐのコンテンツプラットフォーム「mine」内で、「推理」と断りを入れた上で持論を展開しています。

【関連】無免許都議にダンマリ、ワクチン行列には「密でしたね」小池知事が嵌まる“他人事の罠”

【謝罪プロは見た】木下都議辞職会見で得をした人物とは?

無免許運転・人身事故で批判を一身に集める木下富美子都議会議員は、八方塞がりの批判の嵐に耐え抜いたものの、ついに辞職すると会見を開きました。中身は言うまでもなく論ずるに値しないひどいものでした。しかしこの会見の勝利者がいるのでは無いでしょうか。それは…。

論ずるに値しない謝罪会見

いろいろコメントを求められますが、求める媒体社さんもたいへんだなと思います。誰が見たってダメなところしかない会見ですもの。わざわざ論ずる必要もないほど、誰が見たって話にならないレベルのメガンテ(自爆)な内容でした。

謝罪会見ではありがちですが、「事態を打開しよう」という建設的な目的ではなく、個人のプライドを満たそうという感情だけでやらかす典型的パターンです。要は自己弁護、自己正当化のためだけに終始した会見ということです。良い点など一つもありません。

今さら服装がどうのとか、見た目がどうのは全く関係無い、何のプラスももたらさないダメ会見でした。では何のプラスももたらさないこの会見は何のために行われたのでしょうか。

小池都知事がキーパーソンとも言われましたが、私もそうだと思います。

突如浮上してきた小池都知事

衆院選では都民ファースト系政党が生まれたものの、結局選挙に間に合わないとのことで立ち消えました。小池氏の国政復帰、総理就任への道筋にもなる可能性のある選択肢でしたが、希望の党同様に、幻に終わったといえます。

コロナ対応でも、マスコミ受けする記者発表は得意でも、結局の実効性や成果において、他の自治体に比べて見劣りしていると批判も多かった東京都。まして総選挙で与党勝利を受けて、小池氏の出番は限りなく無くなったように見えます。そこに加わった選挙後の長期病気休養。都知事辞任という報道まででました。

木下都議問題では、都民ファーストのオーナーとして、選挙応援した責任含め小池氏にも批判は及んでいましたが、休養ということで雲隠れしており、この問題が長引くのはどう転んでも小池氏にとってプラスが無さそうでした。

そんな中突如復帰して記者の前に立った小池知事。木下問題も「辞職を『確信』している」とコメントしました。いきなり浮上してきてぶっ放してきました。

プログラミングを習得した50代がITベンチャーにアプローチする方法はある?

読者からのどんな質問にも独自の視点でズバッと回答してくれる『永江一石の「何でも質問&何でも回答」メルマガ』著者で人気コンサルの永江一石さん。今回は、50代になってプログラミングを本格的に学んだという読者からの「IT系ベンチャーに需要があるか?アプローチ方法は?」との質問に答えます。永江さんはプログラマーに年齢は関係ないが、どの程度のレベルか知ってもらうためにも、就職先探しの前にすべきことがあるとアドバイスしています。

 

50代からプログラミングを始めてIT企業で需要はあるか

Question

shitumon

以前、50代から始めるプログラミングについて質問させてもらった者です。その際は大変参考になりました。プログラミングの勉強は進んでいて(といいつつもHTML、CSS、Ruby on railsを複雑でないレベルで扱える程度(^^ゞ)、面白く感じられるので性格的に向いているようです。

会計財務はこれまで実務経験があり、これでプログラミングができれば、IT系ベンチャー企業でも活躍できるのでは、でも、年齢が…と悩んでいます。

お伺いしたいのは、わたしのような者でベンチャー企業で需要あるのか、あるとしたらどのようにアプローチすればよろしいでしょうか。Web業界に詳しい永江さんの視点を是非お聞かせください。

定年したら、一定額の企業年金もありますし、これまでやってきた投資からの配当入金も見込めます。華美な消費をしなければ働かず隠居生活も可能。でも、それはつまらないですし、わたしみたいな立場の者こそリスクテイクしてベンチャーみたいな場で挑戦する、その結果として社会貢献もでき報酬ももらえればと思います。

永江さんからの回答

前回からプログラミングの勉強が順調とのこと、何よりです。何度か回答していますが、本当に実力があるなら年齢は関係ありません。たとえ10代でも面白いWebサービスを作ってバリバリ稼いでいる人はいますし、60代でも若者に負けないスキルがあれば活躍の場は無数にあります。

ただプログラミングと一言で言っても、Web系で常に工夫改善できる場合はニーズがありますが、基幹系の受託は厳しいでしょう。

おすすめなのは、まずアプリを自作してみることです。というのも単に「プログラミングが出来ます」と言っても、企業から見たらどの程度のレベルなのかが分からないから。アプリを作ってappストアで販売し、話題になれば「このアプリが作れる人ならこのくらいの仕事は頼めるかな」というスキル証明になりますよね。

ITベンチャーを狙うなら、今は正社員雇用より業務委託でアプリ制作を受諾する方が可能性があると思います。そもそも「ベンチャー企業で需要があるのか」とありますが、誰かに雇用してもらうことを前提とせず、自分で起業すればいいのではないでしょうか?

例えば個人事業主としてスキルを磨き、ランサーズやクラウドワークスに登録してアプリ制作を受諾すれば一人で食っていけるくらいは稼げるでしょう。起業するのに遅すぎることはないので、実力さえあれば年齢関係なく活躍の場はあると思います。

 

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【書評】なぜ「すみません」と言い過ぎる人はマウントをとられてしまうのか

自分の価値観を押し付け、他人の欠点を批判してくる、いわゆる「マウント」をとってくる人を我慢している人はいませんか?今回の無料メルマガ『1分間書評!『一日一冊:人生の智恵』』で取り上げられているのは、 そうしたマウントをものともせず、自分らしい人生を生きるべきと説く一冊です。

【一日一冊】我慢して生きるほど人生は長くない

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我慢して生きるほど人生は長くない

鈴木裕介 著/アスコム

ゲーム「スプラトゥーン2」を2,000時間以上プレイし続けているという医師が教える自分らしい人生を取り戻す方法です。

日本では欧米と比べ、自責の人が多いように感じます。自己評価が低く、自己肯定感も持ちづらい人が多いのです。

よく「すみません」というのが口癖の人がいますが、たまたまマウントを取るような人が周囲にいると、「すみません」に付け入って、攻撃してくる場合があります。そうした時に、そういう言い方は気分が悪いのでやめてください、と言えないとどこまでも攻撃は続くことになります。

「なんだか嫌だな」「むなしいな」「徒労だ」「バカにされたような気がする」…それをきちんと自分で認め、受け入れてみてください。(p45)

確かに世の中には自分を大きく見せるためにマウントを取りたがる人が多いです。他人の失敗や欠点を批判するのに自分の失敗や欠点は笑ってごまかす人。

大切なのは、自分の気持ちを知ることと、ラインオーバーされないようにすることです。ラインオーバーとは、自分の領域と相手の領域の境界線です。例えば、自分の心、体、生活、人生はあなたの領域です。

「こんなこともできないのか」「こんなことは常識だ」「100点でなければ0点と同じ」など相手を一方的にジャッジするような価値観を押し付けてくる言い方をする人は要注意です。

自分のルールを相手に押し付け、相手をコントロールしようとする。これがマウントです。

嫉妬する韓国。日本のコロナ急減を「データ隠し」と報じる現地メディア

各国メディアで驚きをもって伝えられている、日本のコロナ感染者激減のニュース。一方お隣韓国では、ここに来て連日感染者数が過去最多を記録し、市民に不安が広がっています。文在寅政権が絶対の自信を持ち推進してきた「K防疫」なるコロナ対策は、なぜこのタイミングでほころびを見せたのでしょうか。今回の無料メルマガ『キムチパワー』では韓国在住歴30年を超える日本人著者が、韓国の大学医学部教授が指摘した「K防疫の致命的な間違い」を紹介しています。

【関連】不安しかない。韓国の「ウィズコロナ」生活開始に戸惑う若者たち

K防疫に誤りあり

韓国では最近以下のような「本音」と「真実」を語る人達が増えてきているように見える。今日の主人公は慶北大学医学部予防医学科教授のイ・ドクヒという女性教授だ(ちなみに慶北大学は国立大学で、難関大学の一つだ)。

日本のコロナ感染者が急減している状況に、韓国メディアは総じて皆驚いている。東京五輪のころには万単位で増えていたのに、なんで急にゼロとか1とかなってるんだと。日本の急減をねたましく思っている雰囲気がそこはかとなく漂ってくる。データ改ざん説(日本では本当のデータを隠しておいて嘘のデータでごまかしていると主張する輩)は去年からこちら韓国ではあったが、またそんなことを蒸し返しているメディアも多い。

そんな中、登場するのが今日の主人公、イ・ドクヒ医学部教授だ。イ教授は「日本の確定患者数の急減はK防疫の大前提、すなわち『無症状でも絶対にかかってはならない感染病』という仮定に致命的な間違いがあることを示している」とし「(韓国は)矛盾に満ちた防疫を2年ほどずっとやり続けてきている」と指摘する。文在寅(ムン・ジェイン)政府が常に自画自賛してきた国家挙げてのK防疫の間違いを堂々と指摘しているのだ。

日本の感染者の急減に対しては、多様な主張が提起されている(その原因はまだ世界の誰にもわかっていないはずだが)。日本での1次接種率79%、2次接種率77%を基にした「ワクチン効果」、そして「日本デルタウイルス自滅説」、検査件数急減説などである。イ教授はこうした説自体が「K防疫が、日本防疫よりも立派だと信じたいという妄想」と批判する。そして日本の感染者数の激減が「自然感染を無理やり防がなかったおかげ」と主張した。

イ教授は「韓国と大体同じようなワクチン接種率を見せる日本が韓国と最も違う点は、最初から国がしゃしゃり出てきて防疫という名のもとに、無症状あるいは軽症で通過する自然感染を防がなかった(ある程度放置していた)ということにある」とし「日本への感染者の急減は、ワクチン接種率が50%に満たない時から始まっていたが、こうしたことは強力で広範囲な免疫を提供する自然感染の経験を持つ人が存在するから可能なこと。感染確定者の急減が、単にワクチン接種率を高めたからとして可能なのではない」と指摘する。

竹内栖鳳の「班猫」にそっくりなキジネコと暮らし感じていること

想像を超える動きや姿を見せるペットたちの動画や写真は、SNSで大人気。イタズラに悩まされるケースも含めて、ペットとの生活の喜びを発信する人が多くいます。メルマガ『8人ばなし』著者の山崎勝義さんには、日本画家の竹内栖鳳(たけうちせいほう)の代表作「班猫」にそっくりな飼い猫がいて、生態的特徴を理由に「想像上のもの」という説もあるポーズと同じ姿も毎日見せているとのこと。そんな絵から出てきたような飼い猫の、子猫の頃のイタズラ話などとともに、猫との暮らしを綴っています。

 

班猫のこと

うちには1匹ネコがいる。キジネコだ。正確にはキジトラ白という柄らしい。姿かたちをイメージするのは簡単である。竹内栖鳳の「班猫」にそっくりだからである。なかでも顔はほぼ生き写しである。目の色から口の右上の方にあるスポットまで瓜二つである。違いは「班猫」は肩甲骨周辺が白いのに対してうちのはそこもキジトラである。あとはまんま「班猫」である。

この竹内栖鳳の「班猫」について美術評論などでよく言われていることがある。それはこの独特のポーズについてである。リアルのネコはこんなポーズはしない、あるいはできない、という生態的特徴を根拠に、つまるところこの「班猫」のポーズは栖鳳の想像上のものであり、それ故に見る者の心を捉えるのだ、といった主張である。

しかし、ペットとして人間に飼われて久しい動物の生態的特徴というのは、とてものこと動物学上の一般論だけで網羅できるものではない。いやもう既に半分その家の人になりかかっているのではないかとさえ言いたくなるほどにその家的なペットにおいてはドメスティックなあり方こそがその動物の(ペットとしての)本来であり本性である。

そして、それほどともなると、飼っている人しか気づかないことも当然多かろうと思われるのである。その辺のところはネット動画を見ればよく分かる。ネコもイヌも飼われているからこそ個性的なのである。

然るに、うちのキジネコは栖鳳の「班猫」ポーズをやるのである。当たり前にやるのである。キジネコにとっては無理でも何でもない普通の居姿なのである。自分の育った家では子供の頃から多くのネコを飼って来た。しかし知り得る限りにおいてキジネコだけがこのポーズをやるのである。もしかしたら栖鳳もそれを面白いと思ったのかもしれない。

さて件のキジネコだが、実は私が大人になって家を出てから初めて飼ったネコである。もともとは保護ネコであった。それを引き取った奴がどういう訳か飼えなくなり私が引き取ることになったのである。生き物の命を救うという功徳をネコごと押し付けられたような恰好である。その時はまだコートのポケットに入るほどの子ネコであった。