原発で手さえ抜けばカネが浮く。関電幹部に渡った小判の出どころ

次々と「不都合な真実」が明るみになり、さらに大問題に発展するとも囁かれる関西電力幹部らの金品受領事件。関電サイドは「原発マネー」の還流疑惑を払拭できない状況にありますが、そもそも彼らが受け取った金品はどのようにして作られたものなのでしょうか。ジャーナリスト・高野孟さんは自身のメルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』で、かつてとある技術者が語った、原発建設現場での中抜きの実態でわかった「賄賂の作り方」を紹介。仮に今臨時国会でその真実が明らかにされれば、安倍政権は任期満了を待たずに終わると記しています。

※本記事は有料メルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』2019年10月7日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。

プロフィール高野孟たかのはじめ
1944年東京生まれ。1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任。2002年に早稲田大学客員教授に就任。08年に《THE JOURNAL》に改名し、論説主幹に就任。現在は千葉県鴨川市に在住しながら、半農半ジャーナリストとしてとして活動中。

「憲法」よりまず「関電」が焦点となる臨時国会──安倍首相は残り2年間でどんなレガシーを残せるのか?

10月4日臨時国会冒頭の所信表明演説で、安倍晋三首相がどれほどの勢いで改憲への意欲を宣言するか注目したが、翌日の新聞の見出しを借りれば「憲法改正、細心の訴え/野党批判封印、最後数分のみ」(読売)、「改憲固執、言葉は控えめ/強気封印、野党挑発避ける」(東京)という何とも中途半端な表現に終わった。自民党内の中堅からも「若干拍子抜けだ」との声も上がったという(朝日5日付)。

これでは任期中の改憲発議は無理ではないか

読売が「数分」と言っているのすらいささか誇大で、実際にはその部分を読み上げるのに1分弱しかかっていない。しかも中身がボヤケていて言葉に力がない。その部分をほぼ全部引用すると、次のようである。

「未来を見据えながら、教育働き方社会保障我が国の社会システム全般を改革していく。令和の新しい国創りを、皆さん、共に進めていこうではありませんか。その道しるべは憲法です。令和の時代に、日本がどのような国を目指すのか。その理想を議論すべき場こそ憲法審査会ではないでしょうか。私たち国会議員が200回に及ぶ〔戦後国会の〕その歴史の上に、しっかりと議論していく。皆さん国民への責任を果たそうではありませんか」

改憲の焦点は、自衛隊でも集団的自衛権ではなく、ましてや北朝鮮の脅威対抗でもなくて、いつの間にか「教育働き方社会保障」に移ったらしい。しかしそのどれをどうしたいのか、それは法改正では間に合わなくて本当に改憲なしには実現しないのかは、全く定かでなく、何も心に響くものがない。これは、安倍首相の側近で先月まで自民党憲法改正本部長だった下村博文氏が9月21日、憲法第24条で「婚姻は両性の合意のみに基いて」となっているのを「両者と直して同性婚を認められるようにしたらどうかと語ったこととも平仄(ひょうそく)が合う。つまり2人とも、安倍首相が17年5月に発表した第9条に第3項を付け加え「自衛隊」の存在を条文上に明記することをはじめとした「安倍4項目」に必ずしもこだわらず、野党がそれで乗って来にくいなら社会保障や同性婚に問題をすり替えて、「どこでもいいどこか1つでも改憲したというレガシーを作りさえすればいいんだ」という、ほとんど自棄(やけ)のやんぱち路線に突き進もうとしていることが判る。

しかしそこまでハードルを下げたのでは、日本会議など右翼陣営や櫻井よしこら安倍親衛隊は納得しないのではないか。しかも両院の憲法審査会の“正常化”はまずは国民投票法改正から始まるので、これを今国会でクリアしないと中身の議論には入って行けない。ところがこの国会は67日間あっても即位の礼とそれに伴う首脳外交などもあって日程が厳しく、さらに野党は関電の巨額賄賂問題、消費増税と景気低迷、日米貿易交渉の裏の密約、千葉大停電の対策遅れ、かんぽ不正営業とNHK報道への圧力、あいちトリエンナーレ補助金ストップ問題など、喫緊の追及課題に事欠かないので恐らく国民投票法は一番後回しになる。そうすると来年1月からの通常国会でも改憲発議に繋がるような議論を始めることが難しく、安倍首相の残りの任期中にそれを果たすことは著しく困難になる。

それが分かり切っているので、ここで安倍首相はド迫力を見せて改憲への執念を示すべきだったが、そうはしなかった。やる気がないわけではないだろうが、何が何でも勝負に出るという風でもなく、またもや「やっているフリ」をして時間ばかりを消費していくのだろう。

シラク元大統領の国葬に駐仏大使。日本が繰り返す弔問外交の失敗

フランスのシラク元大統領の国葬が9月30日に行われました。大の親日家として知られ、内外に影響を与えた大人物の国葬に、日本政府が参列させたのは駐仏大使でした。この政府及び安倍首相の対応を「お粗末」と問題視するのは、メルマガ『NEWSを疑え!』を主宰する軍事アナリストの小川和久さんです。小川さんはわが国が過去にも「弔問外交」の機会を逃している例を上げ、その理由が言い訳に過ぎないと指摘。そういったことに触れもしないマスコミについてもチクリと疑念を表明しています。

またやっちゃった!弔問外交できない日本

フランスのジャック・シラク元大統領が9月26日、86歳で亡くなりました。その国葬の模様は次のように伝えられています。

「フランスのシラク元大統領の国葬が30日、パリの教会で行われ、ロシアのプーチン大統領ら約30カ国の首脳を含む約2000人が参列し、最後の別れを告げた。

シラク氏はロシアの言語や文化に精通し、プーチン氏と親交が深かったとされる。2003年の米国主導のイラク戦争に共に反対した。仏紙パリジャンによると、国葬に先立ちプーチン氏はシラク氏について、『国民から尊敬され、先見の明を持って自国の利益を擁護する首脳として国際的な権威を有した』と称賛した。

国葬にはこのほか、クリントン元米大統領やイタリアのマッタレッラ大統領、ベルギーのミシェル首相らが出席。日本政府からは木寺昌人駐仏大使が参列した。

仏政府は30日を『国喪の日』とし、午後3時から1分間の黙とうを学校や政府機関などで実施。また、国内全ての公共施設で半旗が掲げられた」(9月30日付時事通信)

シラク氏は引退後を含めて40回以上も来日したほどの親日家。大相撲が大好きで、優勝力士へのフランス共和国大統領杯(シラク杯)を創設したり、愛犬に「スモウ」の名をつけたりしていたことも、事細かに報じられました。現職時代には、京都に「カノジョ」がいたという話も囁かれていたほどでした。

しかし、です。上記の時事通信の記事を読んで違和感を覚える方も少なくないでしょう。これほど親日家ぶりが報道されたシラク氏の国葬に、日本は国家元首級の人物を送らず、駐仏大使で済ませてしまったのです。これでは、いくら自分で「国際国家」や「世界のリーダーの一員」を標榜しようと、日本の国際感覚が疑われるのは間違いありません。

このような大人物の葬儀では、「弔問外交」という言葉があるくらい、首脳たちの接触が行われるのが常です。故人を偲ぶ、故人の思い出を語り合うという名目のもと、実は生臭い国益をかけたやり取りが行われたりします。

スケジュール的に可能であれば、安倍首相は国葬の場でプーチン大統領にシラク氏の思い出などを聞きたいと持ちかけ、食事くらいをともにしてさらに打ち解ける機会を持つことができたでしょう。そこまではいかなくても、フットワークが軽快な河野防衛大臣にゼロ泊3日の弾丸出張をしてもらうとか、小泉元首相に参列してもらえば、日本としてのきちんとした弔意を示したことになったと思います。

【関連】“小泉進次郎総理”が統一教会に迫るセクシー踏み絵

けれども、シラク氏の国葬に日本の存在感は感じられませんでした。これでは、まるで弔問外交という言葉さえ知らない国と思われても仕方ありません。

鍼灸師が教える運動の秋の心構え。朝夕の涼しい時間の有効活用を

涼しくなってくると自然にカラダを動かしたいという気持ちになりますが、秋の運動には秋ならではの注意点があるようです。メルマガ『鍼灸師・のぶ先生の「カラダ暦♪」』の著者、のぶ先生がまず注意を呼びかけるのは、横から入ってくるようになる秋の日差しです。また、夏の間に体温を上げないようにしていたカラダには、朝夕の涼しい時間の運動の方が効果が上がりやすいと教えてくれます。

運動の秋の心構え

【日差しに注意】

秋めいてきて過ごしやすくもなると、カラダを動かしたくなります。でも、意外と日差しだけは強いまま。とくに日中の日の高いうちは、やっぱりUVカットして過ごさないと、ひきつづき熱中症や頭痛や目の奥の痛み、肩こりの原因になります。

秋の日差しは横から目に飛び込んできます。眼球を無防備に日光にさらすと、目が日焼けして、体内に熱がこもるきっかけになり、フラフラとめまいを伴う熱中症症状や、頭痛や肩こりの原因になります。

日中、運動するようなら、ぜひ、帽子やサングラスの着用をこころがけましょう。

【朝夕の涼しい時間にアクティブに動く】

夏バテして、ひきつづき秋バテしやすい秋口は、涼しい時間帯に多少肌寒く感じる中で、積極的に運動したら良いです。空気が温かいと、低体温状態のカラダでは、なかなか代謝が高まりません

いっそ肌寒く感じる方が、毛穴をしっかりひきしめて、体温を高めるようにカラダは工夫して運動し始めることができます。多少肌寒い、というだけで、秋口の運動は準備運動が半分ですむので、カラダが運動に慣れていないようなら、ぜひ、涼しい時間に運動するようにしてみましょう。風邪ひきだけは、ご注意ください。

【眠いという人は、準備運動をしっかりと】

日中眠い、というひとは、そもそも低体温状態。いきなり運動すると、めまいやふらつきで、転倒の心配があります。しっかりじっくり準備運動をして、いっそ、カラダが運動に慣れて日中の眠さがなくなるまで、準備運動だけで運動をすませてもよいかもしれません。

日中の眠い間は代謝が低く、運動するとすぐに息切れしたり、疲労が翌日に残ることがあります。その場で屈伸運動やストレッチなど、充分に筋肉や関節を動かす「準備運動」をする習慣からはじめて、慣れてきたらウォーキングなどのカラダに負荷のかからない有酸素運動を試みてみましょう。焦りは禁物です。

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10年で年商が2.3倍に。「神様」の声が商品開発のアイデアになる

さまざまな企業で参考にされている「お客様の声」ですが、時としてそれは大きな利益を生み出すきっかけにもなります。今回の無料メルマガ『販促アイデアと経営活性化』では著者で販促専門家として活躍中の前沢しんじさんが、そんな「お客様の声」を年商アップに繋げたとある精肉店チェーンの試みを紹介しています。

お客様の声は神様の声。アイデアの宝庫!

筆者の販促顧問先の精肉店チェーン店の話。

あるお客様には高校生の息子がいて部活をやっているので食欲が旺盛。「かあさん、おれ焼肉食べたい」とよく言うが牛肉は高いし何回もたくさんは買えないと店長に言った

店長は考えた。

これまでの「焼肉」の先入観をなくして考えてみよう。つまり、赤身、バラ、ロースというくくりでなく、若い人がジュージュー焼いて、もりもり食べられること。ごはんに合うこと。そしてなにより安さ100g250円くらいでおさめたい。

赤身を基本に、脂身を多めにカットする、ひとくちサイズの手切り焼肉。そうだ、ネーミングは焼いた時のジュージュー感をイメージして「パンチ焼肉」だ。価格は平日100g250円特売で198円!!

爆発的に売れた。

和牛とホルスタインの掛け合わせである交雑牛は、和牛のこってりさとホルスの淡泊さがちょうど程よくミックスして脂身がとても旨い。そこをウリにした。脂身が多いのが却ってウリになった

おまけにこれまでならカットして除外していた脂身が売れることでロス対策としても大きな成果をあげた。

この店は雑誌『月刊商業界』にも紹介させていただいたが、およそ10年で売上げが年商7,000万円から2.3倍の1億6,000万円に、粗利益も当初25%が40%まで伸びて超繁盛店に生まれ変わった。

上の「パンチ焼肉」はほんの一例で、お客様の欲しがる商品を積極的に開発して売り込めば繁盛店になれるという見本です。つまりお客様の声こそ最高の商品開発のキッカケになるということです。

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寝かしつけを遊びにする。寝たがらない子どもを眠りに誘う裏ワザ

小さなお子さんをお持ちの方の共通の悩みといえば、「寝かしつけ時のあれこれ」ではないでしょうか。寝つかないどころか、お布団に入れるのも一苦労、というお話もよく耳にします。今回の無料メルマガ『子どもが育つ「父親術」』では、そんな子が喜んで布団に入ってくる「裏ワザ」を紹介しています。

寝かしつけで、寝かしつける

子どもを寝かしつけようとして、絵本を読んで、子守歌を歌ってあげて、とんとんしてあげて…いつの間にか自分の方が寝てしまっていた(^_^;)なんて体験、誰でもありますよね(笑)。

というわけで、今号は寝かしつけのお話です。

寝かしつけで苦労する場面の1つが、「子どもが布団に入りたがらない」時。まだ遊びたい、活動したいがために、それを打ち切られるのが嫌で、布団に入りたがらない。「毎日その状態です」なんて家庭もあるかも知れません。

今日はそんな場面での工夫を1つ、ご紹介します。おままごとが好きな子には、特に効果的な方法です。

それは、「子どもに寝かしつけを頼む」というテクニック。

お気に入りの人形、大切なぬいぐるみなどを持ち出して、「ミナ、今からルルちゃんを寝かせるから、一緒にお手伝いして~」こんな具合に誘う方法です。

「遊びをやめて、寝る」だったら嫌がる子どもも、「今から一緒におままごとなら喜んでお布団に入ってきます♪大人が絵本を読んで、子どもにはぬいぐるみをとんとんしてもらう、そんな役割分担をしても良いでしょう。

我々のように寝かしつけの最中に寝てしまう…とはいかないかもしれませんが(笑)、子どもが喜んで布団に入る効果は期待できますよ。

本来であれば、日中に充分に活動させてあげて、疲れてコロッと寝てくれるのが理想。でも、毎日そんな都合良くはいかないのが実態ですよね。

一緒に穏やかな時間を過ごして、気持ちと体を落ち着かせることができるので、ぜひ試してみてくださいね!

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買ってでもしたほうがいい?「苦労の数だけ成長する」は本当か

キャパを超えた仕事量、厳しいノルマ等々、社会で生きてくにあたってはさまざまな苦労が伴うものです。「苦労の数だけ成長する」などという言葉もありますが、はたして本当なのでしょうか。今回の無料メルマガ『弁護士谷原誠の【仕事の流儀】』では現役弁護士の谷原誠さんが、社会における精神的ストレスが人間の成長におよぼす効果について解説しています。

苦労の数だけ成長するか?

こんにちは。弁護士の谷原誠です。

苦労の数だけ成長する

この言葉は真実でしょうが、ある条件をクリアしないと、正しくない結果になるように思います。

ここでは、「苦労」を、「精神的肉体的に力を尽くし苦しい思いをすることというような意味で考えます。

ある青年が、上司から、1週間ではとても完成できない仕事を命じられました。

「なんでいつも俺はこんな苦労ばかりするんだろう」

1週間、その青年は、通常どおり仕事をしました。そして、1週間後、その青年は、仕事を提出しました。

「すみません。頑張ったのですが半分しかできませんでした」

この青年は、成長したでしょうか。

ここでちょっと筋トレを考えてみます。腕立て伏せが10回できる人が、毎日腕立て伏せを10回行うことにしました。初めのうちは、10回やるのに必死でした。そのうち、10回は楽にできるようになりました。少し筋肉がついた気がします。その後も、毎日10回ずつ腕立て伏せを続けました。しかし、それ以降、一向に筋肉は発達しませんでした。

これは、当然のことですね。筋肉は必要な量しかつきませんので、腕立て伏せを10回続ければ、腕立て伏せが10回できる筋肉以上には筋肉はつきません。つまり、筋肉にストレスがかかったときに、それに抵抗し、限界を超えていこうとしない限り筋肉の成長はない、ということです。

精神力も同じだと思います。強い精神的ストレスがかかった時に、それから逃げていたら、いつまで経っても、そのストレスに抵抗できる強い精神力をつけることはできません。強い精神的ストレスがかかった時に、そのストレスに抵抗し限界を超えていこうとする過程で精神力が成長するのだと思います。

したがって、「苦労の数だけ成長する」という公式が成立するためには、

  • 精神的肉体的に苦しい思いをすること

に加え

  • その障害を乗り越えようとする努力

が必要になるのだ、と思います。そう考えると、私たちが成長していくのはやはり楽ではないのだな、と思う次第です。

今日は、ここまで。

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子供を医者と弁護士に育てた親は、幼い頃に何遊びをさせていたか

思いやりのある人間に育てたい、子供の心をしっかり育みたい…、親ならば我が子に対してそう願うものです。とはいうものの、どうすればそのようなことが可能なのかの「正答」を見つけることは容易ではありません。今回の無料メルマガ『親力で決まる子供の将来』では、漫画『ドラゴン桜』の指南役として知られる親野智可等さんが、子供を医師や弁護士に育てたとある家庭の例を紹介してくださっています。

人形遊びで表現力、読解力、思いやりの気持ちが育つ

神奈川県の鈴木さん(仮名)は長女、長男、次女の3人を育てあげ、子どもたちは精神科医弁護士服飾デザイナーとして活躍中です。鈴木さんは子育てを振り返って、子どもたちにやらせてよかったと思うことの一つに人形遊びを挙げています。

そもそもの始まりは、長女に○○ファミリーという人形セットを買ってあげたことです。セットには動物の家族や家具などが入っていて、長女は人形遊びに夢中になりました。

例えば、ネコ一家のお母さんの人形を持って、「さあ、もうお布団に入りましょう」と言いながらネコの男の子を寝かしつけます。すると、次はネコの男の子を持って、「イヤイヤ、まだ寝るのイヤ。もっと遊びたい」と言います。

しばらく一人遊びを楽しんでいましたが、そのうちに長男と次女も加わって3人で仲よく遊ぶようになりました。お母さん役、お父さん役、子ども役を交代で受け持ち、即興で会話をする遊びがメインです。日曜日の昼食、普段の日の夜、夏休みの一日など、場面を決めて物語のように進めることもあったそうです。

少しずつ他の人形や家具も買い足していき、着せ替え服、お店セット、学校セットなども揃えました。お店セットでは店員と客が登場するお店やさんごっこ、学校セットでは先生と子どもが登場する学校ごっこを楽しみました。

鈴木さんはその頃を思い出しながら言います。「お話をつくりながら、登場人物の気持ちを想像して演技するのがとてもよかった。表現力もついたし人の気持ちがわかるようになって読解力もついた何より大事なのは思いやりの気持ちが育ったことだと思う。こう言えば相手はこう感じるとかわかるし、妹の役をやれば妹の気持ちが想像できるわけですから」。

私は「なるほど!」と思いました。人形遊びの教育的効果、実にすばらしいですね。

初出『Smile』(学研エデュケーショナル)

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【書評】「あれは民主化運動ではない」元中国人が語る天安門事件

1989年に中国で発生し、今年6月で30年を迎えた「天安門事件」。中国の民主化を求めた学生のデモ隊に対して中国軍が武力で鎮圧し、多数の死傷者を出したと言われる事件です。事件から30年経ったことを契機に、新たな目線でこの事件を見つめる必要があると対談で語るのは、中国を知り尽くした「二人」でした。今回の無料メルマガ『クリエイターへ【日刊デジタルクリエイターズ】』で編集長の柴田忠男さんが、知られざる天安門事件の真相について語った興味深い一冊を紹介しています。

偏屈BOOK案内:石平 安田峰俊『天安門三十年─中国はどうなる?』

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天安門三十年─中国はどうなる?
石平 安田峰俊 著/扶桑社

石平は1962年生まれ。安田峰俊(ルポライター)はちょうど20歳下、1982年生まれ。これは対談だが、安田はカウンセリングを行っているみたいだと、何度かそんな思いにとらわれたという。話題が天安門事件の1989年6月4日の武力鎮圧のくだりになるたび、石平は重苦しく沈黙し、ときに嗚咽を漏らしたからだ。天安門事件当時石平は日本に留学しており、2007年に日本に帰化した。

広義でいう天安門事件とは、1989年の4月半ばから6月4日まで北京の天安門広場を中心に、中国全土に拡大した民主化運動の広がりと、それに鎮圧されるプロセス全体のことをいう。その後、30年間ずっと、石平の認識では天安門の運動は「民主化運動」だった。多くの教科書や書籍もそう記述している。しかし、30年後の今、あの運動がいちばん訴求していたのは、果たして民主化だったのかどうか、吟味する必要があるということで、中国通の安田との対談になった。

石平 「天安門の学生運動が持ち上げられすぎた面、神聖化された面はあるんです。運動をしていた人たちは、最初から壮大なる民主主義の理念に基づいて、三権分立、民主主義社会の建設などの高邁な理念を掲げて始めていたわけではない。恥ずかしながら30年経ってそのことを初めて確認できた」

学生運動の七大綱領を見ると、「体制内で大事にして欲しい」という要素が大きかった。

学生達のいうことは、専制体制の撤廃とか政府の打倒ではない。むしろ体制・政府の存在を認めた上で、自分たちを正当に評価してくれというものだった。命をかけて求める内容が「自分たちを政府に認めてもらうこと」なのだ。「学生運動が『偉大な民主愛国運動』であることを認めよ」なんて要求しているのだ。要するに、最後は自分たちの正当化のための運動になってしまった。

この国のためにどういう社会システムを再構築するか、社会の理想をどう実現するかということよりも、自分たちの運動がいい運動であることを認めて欲しいというのだ。学生たちが一番恐れていたのは、「認めてもらえない」ことだった。政府が愛国運動と認めてくれれば、この運動が終わったあとでも、自分たちは生きていけるが、そうでないと行き場がない。相当情けない主張だな。

安田 「中国には『秋後算帳(秋になってから計算する)』という諺があります。たとえば何らかの混乱状態が発生したとする。当事者たちは発生中の段階ではのびのびやれるのですが、コトが終わった後に権力の側からツケを支払わされるように罪を問われる。それを中国人は恐れます」

って、あなたは中国人か。釈迦に説法。それにしても、日本人があの当時から今まで想像していた中国人学生像とはえらく違う。

「当事者としての自分自身から距離を置いて、当時の石平ではなく、ある程度は研究者の目で、客観的な視点で天安門事件を見つめてみたい」という石平だったが、武力鎮圧の具体的な話に入る前に「これは安田さんが話して下さい。私は口にしたくない」と言う。しかし、話が進むと「すいません。やはり具体的な話は、俺はまだ駄目みたいだ。やめよう」となった。話を先に飛ばした。

天安門事件において、実は「広場内での流血はなかった。学生達は午後5時半までに広場から退去した。広場の学生を無血排除するという作戦目的のために、その遂行過程、例えば市内での進撃において生ずる障害に対して、武力行使は正当化されていた。天安門事件は、実際は北京市内事件」だった。そして中国の経済発展は、天安門事件から始まった、といえるだろう。

失敗知らずだった経営コンサルが、客から打ち切りを告げられた訳

開業や業績回復などのために、企業やお店が経営コンサルティングを依頼をする場合がありますが、お願いすれば必ず問題が改善できるというわけではないようです。その原因はどこにあるのでしょうか。今回の無料メルマガ『がんばれスポーツショップ。業績向上、100のツボ!』では著者で経営コンサルタントの梅本泰則さんが、そのヒントとなりそうな、自身のコンサルティング経験上の失敗と成功の事例を紹介してくださっています。

私のコンサル奮闘記

私がコンサルティングの仕事を始めて5~6年経ったころ、「私のコンサル奮闘記」というニュースレターを発行していました。私のコンサルティング事例をA4版1ページで紹介したものです。

たまたま書庫を整理していたら、それが見つかりました。そこで、その中からいくつかの事例を紹介することにします。それぞれは短い内容ですが、ポイントはつかめるでしょう。まずはコンサルティング活動を始めたころの話からです。

【事例1:最初の仕事】

経営コンサルタントとして開業をしたばかりのときはさすがに仕事がありません。ネット経由でコンサルの依頼をいただいた神奈川県の企業が唯一のお客さまでした。そんな現状を見かねてか、私のコンサル業立ち上げを後押ししていただいた先輩コンサルタントの先生から、仕事の紹介がありました。

「Tスポーツさんから社員研修の依頼があるのですが、私の代わりに出来ますか?」

Tスポーツさんは有名な地域一番店です。私は一瞬躊躇しましたが、何の研修かも聞かずに、思わず「出来ます!」と答えます。

聞いてみると「接客の研修でした。これは困りました。接客の経験が無いわけではありませんが、素人に近い私です。しかも、研修というものをしたことがありませんからどんなふうに進めていったらいいか分かりません

しかし、私にとってはチャンスです。覚悟を決めました。それから研修当日までの2ヶ月間、懸命の努力が始まります。まずは接客に関する本を10冊買い込んで勉強話す内容を整理していきます。

パワーポイントで研修用スライドを仕上げ、何度も何度もリハーサルを繰り返していきます。研修ですから「ワーク」が必要だろうと思い、ワーク内容を考えツールも作り込み、準備万端。いよいよTスポーツさんに訪問する日が来ました。

研修会場についてみると、40名ほどの社員さんが集まっておられます。私はドキドキ、緊張が襲ってきます。それでも、ベテラン講師のように振舞おうと、話を始めました。3時間の持ち時間をやっとのことで終えます。

「ふ~っ、終わった…」

何とかうまく行きました。しかし、喉はからから、背中は汗でびっしょりです。ですから、この日のことは、今でもよく覚えています。この日が私のコンサルタント業の本当の始まりです。今思えば、実に下手な研修でしたが、皆さん一生懸命に受講していただきました。

しかも、数日後にはTスポーツの社長さんから手書きのお礼状が届いたのです。その手紙は私の大切な宝となっています。

よくあるご相談

次は、スポーツ店を開きたいという方からの相談事例です。

【事例2:スポーツ店を開きたい】

新しくスポーツ店を立ち上げることは、それほど簡単なことではありません。毎月のように相談が寄せられますが、ほとんどの方が途中で挫折をします。そんな中、また一本の電話が入りました。Aさんという40代の男性からです。

スポーツ店を開きたいのですがどうしたらいいでしょう?」

お話を聞いてみると、業界の経験もなく、商売の経験もありません。ただスポーツが好きだから、という理由です。よくある話ですね。資金は何とかなるようです。結局、私はその方の熱意に負けてコンサルを引き受けることにしました。

「決して甘くはありませんよ。そして、お店が出せるかどうかはやってみなくては分かりませんよ」と念を押します。「それでも良い」ということです。そこで、まずいつもの手順です。「何のためにスポーツ店を行うか」「将来はどうなりたいのか」を明確にしていただきました。その次は、簡単な経営計画書作りです。

問題は商品の仕入れ先の確保です。メーカーさんや問屋さんに交渉に行かなくてはなりません。この時のAさんの動きが凄かったです。積極果敢に仕入先にアタックを続け、私のアドバイス通りの方法で交渉を重ねます。断られることもありましたが、あきらめません。しぶとく食い下がって、とうとう2ヶ月後には希望の仕入先と契約が出来てしまいました。凄いですね。

実は、この時役に立ったのが経営計画書です。その中には、見込み客への聞き取り調査や、足で稼いだ市場調査がありました。どんなコンセプトで、どんな差別化をして行くかも書かれています。それらもとにした販売計画を説明しながら、仕入先と交渉をしたのです。

その時、既に出店予定地との契約が済んでいました。とにかくやることが早いのです。仕入先が決まると、早速店舗作りに入ります。外装は知人に依頼し、内装は全部自分で考え、什器はオリジナルのものを作ってしまいます。

話があってから4ヶ月後、とうとうオープンが出来てしまいました。私もビックリです。こんなにうまくいったのは、久しぶりのことです。本当にAさんの行動力と素直さには頭がさがりました。私も大いに勉強になった次第です。

今年は休日。10月14日「鉄道の日」の前に仕入れておきたい豆知識

10月14日は、日本で最初に鉄道が正式開業した「鉄道の日」。今回の無料メルマガ『Magazine de Station』では、著者で鉄道車両や路線名の由来などに詳しいM.Gさんが、「日本で最初に誕生した鉄道区間」である新橋横浜間の起点駅と終点駅の成立ちや変遷、車両に関する豆知識を紹介しています。

まもなく「鉄道の日」

♪汽笛一声新橋を 早我が汽車は離れたり
愛宕の山に入り残る 月を旅路の友として♪
(大和田武樹「鉄道唱歌」)

今年も間もなく「鉄道の日」を迎えようとしております。わが国最初の鐡道である新橋横浜間鉄道の「開業日」は明治5年9月12日なわけですが、この日を翌年(といってもその年の12月3日だったわけですが)から導入された太陽暦(グレゴリオ暦)に換算すると10月14日になるからということで、10月14日が鉄道記念日」→「鉄道の日」となりました。今年はくしくも体育の日と重なって祝日になっています。

この当時の新橋駅は現在の新橋駅ではなく汐留貨物駅=現在では汐留シオサイトになっている一帯です。その一角に「旧新橋停車場鉄道歴史展示室」が建っています。余談ですが現在の新橋駅は開業当時は烏森からすもりを名乗っていました。大正3年の東京駅開業に伴いそれまでの新橋駅は汐留貨物駅に、烏森駅が新橋駅にそれぞれ改名されました。

※「烏森」という駅名は名古屋市の近鉄名古屋線にある駅と同じ字ですがこちらは「かすもり」と読みます。

では当時終点だった横浜駅はどうかといいますとこちらの駅は現在でも存在します。ただし東海道線(及び根岸線)の横浜駅としてではなく根岸線の桜木町駅として、です。正規路線名で根岸線と呼ばずに「京浜東北線といった方がピンとくるかもしれません。こちらもスイッチバック形式(国府津駅からの路線が開業した当時はここでスイッチバックして新橋方面なり国府津方面なりに向かっていた)だったのを改める形で新駅(現在の横浜駅の一代前の横浜駅。高島町にあった)が出来たときに、「横浜駅」の名を譲る形で桜木町駅と改名しています。

余談ですが…桜木町駅というと(これを教訓として自動扉付きの車両には非常用ドアコックの設置が義務付けられることとなった)「桜木町事故」でも有名ですね。

因みに当時走った機関車のうち一両がさいたま市の鉄道博物館にあります。阿川弘之氏の童話『きかんしゃ やえもん』のやえもんのモデルです。あと犬山市の明治村の尾西鉄道12号機関車は開業の翌年に増発に備えて輸入されたうちの一両を尾西鉄道に払い下げたものです。「当時のボイラー」(明治村に来たのち老朽化に伴い修復・交換した)は「SL東京駅」から坂を下ったあたりにあります。

余談ですが…尾西鉄道は現在の名鉄の路線のうち尾西線=現在の名鉄の路線で一番古い歴史を持つ路線でもある=の大部分を建設・開業した会社です。

では、この辺で(^^)/~~~

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