心理学のプロが指南。部下を成長させ愛される上司の思考パターンとは

ミスは誰にでもあるものですが、もしあなたの部下が仕事上で間違ってしまった時、あなたはどんな思考になるでしょうか。今回の無料メルマガ『東北の人気メンタルトレーナーが送る『自信をはぐくむ、幸せな自分のなり方』では心理カウンセラーの吉田こうじさんが、その際の思考の違いを紐解き、より成長できる方法を検討しています。

思考は自由に選択できる

自分や相手にとって、「前向き」「発展的」なコミュニケーションに向かうのか、それとも、「否定的」「攻撃的」なコミュニケーションに向かうのかの分かれ目になるのが「質問」です。

たとえば、あなたの部下がミスをしたとします。そのとき、「ああ、どうしてあんな部下を持ってしまったんだろう?」と自分に質問をすれば、「採用した人事部が悪い」「前任の管理職が部下育成をサボったせいだ」と、責任転嫁や誰かを呪うような答えが導き出されることでしょう。

あるいは、「こいつ、一体、何回注意したらミスしなくなるんだ?」「こいつバカじゃねーのか?」「こいつやる気あるのか?」と自分に質問すれば、その部下の欠点ばかりが目に付くようになり、さらにイライラするでしょう。

でも、「今回のミスの根本的な原因はなんなのだろう?」とか、「同様のミスを二度と発生させないようにするために、今の自分にできることはなんだろう?」とか、「部下が今回のミスを教訓にするためには、どんなことを言ってあげればいいだろう?」などを自分に質問した場合は、そのミスを次に活かせる発展的な答えが導き出されるでしょう。

このような思考の違いを生み出す違いは何かと言うと、「感情的に反応した」のか、それとも「意識的に質問を考えたか」です。

「誰のせいだ?」「誰が悪いんだ?」「どうしてこんなことになるんだ?」など「悪者」や「原因」を導き出す質問を自分に投げかければ、当然ですが「悪者」や「原因」を見つけようとするし、「ここから何を学べばいいんだろう?」「これをチャンスにできるとしたら、どんなチャンスがあるだろう?」「どうすれば改善できるのだろう?」などと自分に質問すれば、「学び」「チャンス」「改善案」を導き出そうと頭が働きます。

このように、事象に対して反射的に反応して答えを出すのと、事象に対して意識的に役立つ質問を考え、その質問に対する答えを出すのとでは、その後の展開はガラッと変わります。

村上春樹氏、ノーベル文学賞の受賞を逃す。受賞者はルイーズ・グリュック氏

村上春樹氏、ノーベル賞を逃す

2020年のノーベル賞最後を飾る文学賞の発表が、日本時間の8日午後8時にストックホルムのスウェーデンアカデミーで行われ、Twitterの速報や海外メディアなどの報道によると、日本の村上春樹氏は受賞を逃した。2020年度のノーベル文学賞は、アメリカの詩人でエッセイストのルイーズ・グリュック氏に決定したと発表した。

村上氏はイギリスのブックメーカー(賭け屋)の予測で、ノーベル文学賞候補者の中で3番人気だったという。

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仕事ができない人の特徴「なぜやっているのか説明できない」病とは?

例えば「新人の頃に教わったから」と、何の疑いもなく続けている仕事の仕方があるという方、注意が必要なようです。仕事上で理由が説明できないことがあるならば、その行為は見直すべきと指摘するのは、接客販売コンサルタント&トレーナーの坂本りゅういちさん。坂本さんは今回、自身の無料メルマガ『販売力向上講座メールマガジン』でその理由を解説するとともに、どんなに細かいことについても説明できることこそが、正しい仕事への向き合い方であるとしています。

なぜやっているかが説明できないこと

自分の仕事を見直した時に、「なぜやっているかが説明できないこと」があるとしたら、それは今一度考えるべきです。なぜなら、説明できないということはつまり、惰性で何となくやっていることであったり、もっと言えば、必要性のないことをダラダラとやり続けてしまっている可能性があるからです。

例えば、新人の頃に教わった仕事の仕方が誰にでもあると思います。「この書類はこうまとめる」とか、「お客様に最初に接する時には、こんな風に接する」というようなこと。

それらは確かに新人の頃には、必要なことだったと言えるでしょう。ですが、そこから何ヶ月、何年も経って、今でもその仕事の仕方で続けているとします。ですが、その仕事も経験を積んだ今なら、本当はやり方を変えていなければいけないかもしれません。

書類のまとめ方だって、新人の頃とある程度経験を積んでからでは、レベルが上がっていなければいけません。お客様への接し方だって、新人の頃とある程度経験を積んでからでは、自分なりの個性を発揮できるような接し方が求められるかもしれません。

自分自身のレベルが変わった、仕事そのもののステージが変わったなど、いろんな変化は必ず起こります。だからこそ、「なぜやっているか」を説明できるかどうかで考えると、今の自分がやるべき仕事かどうかの判断がしやすくなります。「新人の頃にそう教わったから」というだけでは、なぜやっているかの説明にならないのです。

もちろん、新人時代に教わった仕事の話ばかりではありません。他にも考えられることはいくらでもあります。本当にその仕事は必要なのか?本当にその仕事の仕方で良いのか?これらは常に考え続けることで、生産性が上がったり、よりお客様に選ばれる接客ができるようになります。

極端な話、笑顔でお客様に挨拶するという行為自体も説明ができなければいけないし、逆に挨拶をしないのであれば、当然、その説明もできなければいけません。何の理由もなくやっているということは、意味を持たないということでもあります。そこに仕事の価値はありませんし、必要性もありません。それならやらない方がまだ時間や労力の節約もできるというものです。

今、自分が普段やっている仕事、どんな細かいことでもすべて、なぜやっているかが説明できるでしょうか?これは一生付き合い続けていく必要のある仕事への向き合い方だと思います。

今日の質問です。

  • あなたのやっている仕事を、できる限り書き出してみましょう。
  • それらの仕事について、なぜやっているかがきちんと説明できますか?

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菅政権の戦前回帰と言論封殺。任命拒否は日本に2度目の敗戦をもたらす

菅首相が日本学術会議の推薦候補6人の任命を拒否した問題が、さらに波紋を広げています。相変わらず明確な理由を語らないまま、ほとぼりが冷めるのを待っているかのような菅首相。これに対し、元全国紙社会部記者でジャーナリストの新 恭さんは、自身のメルマガ『国家権力&メディア一刀両断』の中で、今回の問題は戦前の学者弾圧と何ら異なるところはないと主張。その上で、安倍前政権から言論監視は顕著だったとし、急先鋒であった菅首相(当時は官房長官)の暴走に警告を発しています。

単眼・狭量の反知性体質をさっそく露呈した学術会議への首相介入    

時の政権が、学問の自由に介入し、言論封殺による軍部独走を招いて、国家を破滅に叩き落とした過去が日本の現代史に刻まれている。

矢内原忠雄は1937年、盧溝橋事件の直後、中央公論誌上で「国家が正義に背いたときは国民の中から批判が出てこなければならない」と説き、東大教授辞任に追い込まれた。

河合栄治郎は1938年に「ファッシズム批判」などの著作が内務省に発売禁止処分とされ、出版法違反に問われて起訴された。

津田左右吉は、聖徳太子の実在性などを問題としたため1940年、「古事記及び日本書紀の研究」「神代史の研究」など4冊の著作が発禁処分になり、文部省の圧力で早稲田大学教授の座を追われた。

学問の自由を奪うことは国から知力を抜き取ることである。その結果が、無謀な戦争であり、悲惨な敗戦だ。政治権力者にとって、耳の痛いことを言ってくれる学者は宝だが、器の小さい権力者の眼には邪魔者としか映らない。

日本学術会議が推薦した新会員105人のうち、6人を菅首相が任命拒否した一件。学問の自由と全く関係ないと首相は言うが、本質において、戦前の学者弾圧と何ら異なるところはない。

なぜなら、6人に共通するのは、国会などの場で、安全保障法制や特定秘密保護法、共謀罪といった個人の自由、人権にかかわる政策に対し、異を唱えた学者たちであるからだ。

芦名定道・京都大教授 (キリスト教学)▽宇野重規・東大教授(政治思想史)▽岡田正則・早大大学院教授(行政法)▽小沢隆一・東京慈恵医大教授(憲法学)▽加藤陽子・東大大学院教授(日本近現代史)▽松宮孝明・立命館大大学院教授(刑事法)。

邪推だというのなら、菅首相はこの6人の任命を拒絶した確たる理由を明らかにすべきである。

ところが菅首相は、内閣記者会のインタビュー(10月5日)に対し「個別の人事に関することについてコメントは控えたい」として、理由の開示を拒み、さらに一方では以下のような言説を垂れて、論点をすりかえた。

「日本学術会議は政府の機関であり、年間約10億円の予算を使って活動している。任命される会員は公務員の立場になる」

「事実上、現在の会員が自分の後任を指名することも可能な仕組みとなっている。こうしたことを考え、推薦された方をそのまま任命してきた前例を踏襲してよいのか考えてきた」

「日本学術会議については、省庁再編の際、そもそも必要性を含めてその在り方について相当の議論が行われ、その結果として総合的、俯瞰的活動を求めることにした。まさに総合的、俯瞰的活動を確保する観点から、今回の人事も判断した」

総合的、俯瞰的活動の確保が何を意味しているのか判然としないが、どうやら、政府の機関である日本学術会議にもなんらかの縦割り構造があり、それを打破するためなら、公務員の立場にある会員の人事に任命者として介入できると言いたいようだ。

もちろん、学者の組織だからといって公正な運営がなされているとは限らない。そもそもの必要性に立ち返って考えてみてもいいだろう。しかし、それと今回の任命拒否は別の問題である。

日本よ気づけ!5Gめぐる米中冷戦で得をする国と破滅に向かう中国共産党

米中を代表するIT企業が連携し進めてきた5G。あらゆる面において中国を警戒するトランプ大統領がファーウェイ排除に動いたことで、この次世代通信規格を前提としたさまざまな計画の先行きが不透明になっています。メルマガ『j-fashion journal』著者でファッションビジネルコンサルタントの坂口昌章さんは、米中対立により起こる世界の分断が各国に及ぼす影響を考察。日本にとっては、和解が成立するより対立が続く方が好都合との見解を示しています。

米中対立で5Gはどうなるのか?

1.トランプ大統領は5Gを潰すのか?

中国のファーウェイとアメリカのGAFAは、互いに連携しながら5G高速通信を進めてきた。GAFAが収集したビッグデータを通信するには、5Gが必要であり、世界中のビッグデータを欲しがっていたのは中国政府だ。5G通信とは、中国政府がスポンサーの国際プロジェクトだった。

中国政府が膨大な監視カメラのデータを収集し、AIで分析し、顔認証するにも、5Gによる高速通信が必要である。これがウイグル人の人権弾圧にも使われている。しかし、同様のシステムは無人ショップや遊園地の顔認証にも使われる。技術そのものに善悪はないが、悪用もできるということで、その代表的なメーカーを排除したのである。

5Gアンテナは通信範囲が狭く、大量にアンテナを設置する必要がある。その基地局の機器を安価に提供するのもファーウェイの役割だった。しかし、米中の経済対立が始まり、西側諸国はファーウェイ製の機器の使用を禁止した。イギリスやドイツ、日本のソフトバンクも当初は、ファーウェイの通信機器を予定していたが、アメリカの意向に沿う形で全てキャンセルされた。そして、コストも跳ね上がった。

GAFAはビッグデータを中国政府に販売し、その利益で5Gインフラを整備し、そのインフラを活用して自動車の自動運転等に活用する構想だったが、その枠組みが完全に崩れてしまった。ソフトバンクは、MaaS(Mobility as a Service)ビジネスで世界市場のプラットホームを制覇しようとしていたが、その計画は先行き不透明である。トヨタもMaaS化を見越して、スマートシティの実験を計画したが、こちらも見通しが立てにくい状況だろう。

もし、トランプ大統領が何もしなければ、中国は5Gを通じて、世界のICT分野で確固とした位置を確保しただろう。その野望に気付いたトランプ大統領はアメリカの覇権を維持するために、冷静かつ戦略的に中国の思惑を破壊したのである。

2.デジタルから世界の分断が始まる

米国政府は、中国のファーウェイと取引した企業は、米国政府との取引を禁止すると発表した。そのため、ファーウェイは高性能の半導体を調達できず、5G対応のスマホも生産できなくなりつつある。

「ファーウェイがダメならOPPOがあるさ」と思う方もいるだろうが、中国メーカーである限り、いつ米国政府の一存で使用できなくなるかもわからない。更に、米政府は、グーグルに対して、ファーウェイのスマホにアンドロイドOSを提供することを禁止する見通しだ。完全にファーウェイを潰す狙いだ。

【書評】なぜ志村けんはコントの共演者に「死ぬ」ことを求めたか?

昭和から平成、令和のお笑い界を駆け抜け、今年3月末に新型コロナウイルス感染症により70歳で忽然とこの世を去った志村けんさん。そんな志村さんが綴ったとされるコラム160編を収めた書籍が、好評を博しているのをご存知でしょうか。今回の無料メルマガ『クリエイターへ【日刊デジタルクリエイターズ】』では編集長の柴田忠男さんが、そんな「じつによく仕上がった」と言う一冊を紹介しています。

偏屈BOOK案内:志村けん『志村けん 160の言葉』

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志村けん 著/青志社

志村けんは2020年3月29日逝去、享年70歳。日本中がその死を悼んだ。きっと本になると思っていたら、早くも8月19日に青志社から発行された。編集人・発行人は阿蘇品 蔵、珍しいお名前だ。表1は須藤夕子による、志村けんが僅かに首をかしげたステキなポートレートだ。表4はおなじみ「バカ殿様」の衣装で、アイーンのポーズ。

まえがきで加藤茶が「志村がいた日々」を書いている。うまい。うますぎる。志村が書いたとされる160編のコラムは、「日経エンタテインメント」はじめ多くの雑誌のインタビュー、対談における発言を整理・再構成したもので、各編のタイトル代わりの本文抜き出しがうまい。プライベートを含めて、写真も少なくない。編集者の腕が冴える。いい仕事したな。うらやましい。

志村が今までこだわってきたのは、時間をかけ準備して、細部まで作り込むお笑いである。ネタを考えるだけでなく、番組全体の構成、照明、セット、音楽まで、以前はすべて自分でやっていた。そのために、ありとあらゆるジャンルの音楽を聴き、映画も山のように見る。新しく出たビデオやDVDはすべて買う。家にどのくらいの映像資料があるのか、自分でもわからないという。

コントで共演者に求めるのは、基本的に芝居がちゃんとできる人。それと、「死ぬ」ということがわかる人だという。たとえば加藤茶がウケる場面では、ほかの人たちは自分を「死なせて」、加藤を助ける芝居をする。あえて引き立て役に徹することができるか、ということだ。「おれが、わたしが」な人が多い芸能界、志村にとっては、一緒にやりたくない人だらけだったのではないか。

TBS『グッとラック!』に出演の現役教師がハメられたTV番組のウソ

TBS系列の情報ワイドショー番組『グッとラック!』内で放送された、「学校に掃除機の導入 あり?なし?」というコーナーが、一部で話題となっています。同コーナー内で、「掃除機導入反対派」のように紹介されていたのは、無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』の著者で現役小学校教諭の松尾英明さん。しかし番組で流されたインタビュー映像は恣意的に加工された、ご本人の真意とはかけ離れた内容だったようです。松尾さんが今回、その「呆れた事の真相」を記しています。

テレビメディアの害悪

ご存知の方もいるかもしれないが、先日テレビ番組にてコメント依頼をされて放映された。

テレビ番組とは「情報」を発信する媒体である。つまりは、感情の入った報せ。意図があり加工されたものである。

私が依頼された内容は以下の通りである。

企画内容 特集「なぜ? 学校の掃除 掃除機でなくホウキなの?(仮)」
(中略)

 

▼なぜ掃除機ではなくホウキを使うの?
▼なぜ海外みたいに専門スタッフが掃除するのではなく生徒が掃除するの?

 

上記2つの質問に、現役教員の立場から学校教育上での掃除の狙い、目的などについてお教え頂ければと思います。

「(仮)」が最も姑息なところで、実際に放映される際には

「学校に掃除機の導入 あり?なし?」

となっていた。一見似ているようで、全く違う内容であることに注意してほしい。そして私は、あたかも「なし」の立場でコメントする人であるかのように放映された。

上記依頼内容(▼)と併せて見比べてもらえばわかるが、質的に全く異なる内容である。元々の依頼内容はつまり「日本における掃除の教育的意義とその歴史について」である。私はここについて、荒れていた子どもが清掃を通して変わっていった姿など、1時間近く熱く語ったのである。しかし、そんな素敵エピソードは全て不要だったらしい。完全に相手の都合よく加工された形で、切り取って使われた。

元々の依頼に対し「掃除機の導入はありかなしか」というのは、テーマのレベルが低すぎる。そんなの、両方うまく使えばいいというだけの話である。というより、私もインタビューの中で「人手が足りない学校は使えば良い」とはっきりコメントしている。何なら、現任校でも十年前に勤務していた学校でも、カーペットの部屋など必要な箇所ではとっくに導入している。

ほうきと掃除機の二者択一なぞ、馬鹿馬鹿しくて議論のテーマにすらならない。「給食は全て米にすべきかパンにすべきか」と同じくらい無意味なテーマである。小学生に討論を教えるために練習として扱う「毒にも薬にもならない、どっちでもどうでもいい議題」である。

とてもいい質問だと思って、間隙を縫って真摯に誠実に答えただけに、大変遺憾である。学校現場で頑張っている全国の仲間たちの一助にと思いやったのが、裏目である。真面目に頑張っている子どもたちと先生方に大変失礼な内容にされており、大変憤慨している。

タラレバ娘 吉高由里子が関ジャニ大倉と復縁? におわせ発言にファン激怒

女優・吉高由里子(32)主演のドラマ『東京タラレバ娘2020』(日本テレビ系)が7日に放送され、平均視聴率が11.2%だったことがわかった。20%越えを連発した『半沢直樹』と比較すると低い数字に見えてしまうが、11%は堂々たる視聴率。それもこれも番宣に奔走した吉高の努力が実った結果だろう。しかし、番宣に頑張りすぎてしまったのか、吉高は出演した番組の中で、関ジャニ∞の大倉忠義(35)との関係を“におわせて”しまったとネットが騒然となっている。

吉高由里子がトーク番組で“におわせ”発言

ドラマ『半沢直樹』の後を受け、11日からスタートする『危険なビーナス』でヒロインを務めるなど、精力的に活動する吉高由里子。そんな吉高の代表作ともいえるのが『東京タラレバ娘』だ。

3年ぶりに復活したとあって、吉高の力の入れようも相当なものだったようで、放送日が近づくにつれ、吉高は情報番組をはじめ、日本テレビの番組に出演しまくった。

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その中のひとつが、4日に放送された『おしゃれイズム』。MCの上田晋也(くりぃむしちゅー)がゲストのプライベートまで根掘り葉掘り聞いていく人気番組。番宣ゲストとはいえ、吉高もさまざまなテーマトークを繰り広げた。

吉高の仕事や日常に迫るやり取りが楽しく繰り広げられていく中、7月で32歳になった吉高の結婚願望について聞かれた時、吉高がある“におわせ”コメントをしてしまったのだ。

吉高由里子の元彼は関ジャニ∞大倉忠義

吉高といえば、2016年7月に関ジャニ∞の大倉忠義と交際していることが発覚。西麻布の会員制バーで目撃されたり、大倉の自宅に吉高が通っている姿などが一部週刊誌で報じられた。

売れっ子女優とトップアイドルとはいえ、アラサー同士の大人の付き合い。ゴールインも近いのでは?と見られていたが、その2年後にはお互いの多忙によるすれ違いが原因で、破局していたことが伝えられていた。

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それ以来、2人の交際は既に終了したものと捉えられていたが、今回、吉高が『おしゃれイズム』で発した言葉が復縁の“におわせ”と受け止められ、「2人はまだ付き合っているのではないか?」となってしまったのだ。

吉高由里子のにおわせ①「よく食べる男性が好き」

話を元に戻そう。ドラマ『東京タラレバ娘2020』の番宣で『おしゃれイズム』に出演した吉高由里子。

MCの上田晋也から結婚したい男性のタイプについて問われた吉高は、「食べ物が好きな人。シェフとかいいですね。色んな美味しい食べ方とか教えてもらいたい」とコメントした。

これだけを聞くと、特に何も問題はなさそうな回答だが、大倉忠義ファンからするととんでもない“におわせ”発言なのだ。

スリムな体形が印象的な大倉だが、実はメンバーイチの大食漢で、若い頃は天丼をおかずにカレーを食べていたほど。メンバーが食べきれなくて残したものまで、大倉が全てたいらげていたという。

また、料理も得意で、和洋中何でも作れるオールマイティ。包丁さばきはプロ並み、味噌汁は出汁から作るなど、食に強いこだわりを持っていることでファンの間では知られている。

とはいえ、食べることが好きな男性も、料理が得意な男性も世の中にはたくさんいる。これだけで吉高が大倉を思い浮かべてトークをしたとは言い切れないだろう。

しかし、吉高は他にも決定的な“におわせ”コメントをしていたのだ。

飯塚幸三「母子轢き殺し無罪」主張に怒りの声。無念の夫は厳罰を求めている

2019年4月19日に東京・池袋で乗用車を暴走させ母娘2人が死亡したほか9人が負傷した事故で、車を運転し自動車運転死傷行為処罰法違反(過失運転致死傷)容疑で在宅起訴されていた、旧通産省・工業技術院の元院長・飯塚幸三被告(89)の初公判が8日午前、東京地裁で始まった。飯塚被告は、罪状認否で遺族に謝罪したものの、「車に何らかの異常が起きて暴走した」と述べて、起訴事実を否認し「無罪」を主張。このことが各方面で物議を呼んでいる。

池袋暴走で「アクセル踏み続けた事実ない」初公判で無罪を主張

読売新聞などによると、検察側は初公判の冒頭陳述において「被告は事故直前にアクセルを踏み込んで縁石に接触したが、さらに加速を続けた」と主張。「事故前の定期点検ではブレーキやアクセルに異常は見つからなかった」と述べたのに対し、飯塚被告の弁護側は「被告がアクセルを踏み続けた事実はなく、走行制御システムに異常が生じた可能性がある」として、被告の過失を否定したとしている。

起訴状によると、飯塚被告は2019年4月19日、東京都豊島区の道路で乗用車を運転中、アクセルペダルをブレーキと間違えて踏み続け、時速約60キロから約96キロに加速。自転車で青信号の横断歩道を渡っていた松永真菜さん(31)と長女の莉子ちゃん(3)母娘をはねて死亡させたほか、通行人ら9人を負傷させたとされる。その中には全治約1年の負傷者もいたという。

上級国民の「無罪」主張に不満と怒りが爆発

飯塚被告は事故当初、「容疑者」という呼称で報道されずに「元院長」と表記されていたことなどから、ネット上では「上級国民」などと呼ばれ、現在も批判の対象となっている。

裁判では被告が「無罪」を主張することは権利として認められているが、この事件に関しては圧倒的に怒りの声が多くあがっているようだ。昨年11月に飯塚被告が書類送検されたというニュースが報じられた際も、「元院長っておかしくないか?」「上級国民だから逮捕されなかったんだろうな」「そろそろ容疑者にしてくれ」などといった意見が大半を占めていた。これは、飯塚被告以外の交通死亡事故を起こした人であれば、テレビなどで「容疑者」と報じられ、すぐに「起訴」されて実刑判決を受けている事例が大多数であるからに他ならない。

また、初公判において「無罪」を主張したことで、亡くなった被害者やその遺族に対する謝罪の気持ちが感じられず、「保身に走っている」と受け止められたことも、批判が多くあがっている原因なのだろう。

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「処罰感情を持って戦っていく」無視された遺族の思い

亡くなった松永真菜さんの夫で遺族の、松永拓也さんは昨年9月、飯塚元院長について、できるだけ重い罪名での起訴と厳罰を求める約39万人分の署名を東京地検に提出していた。その思いが通じたのか、2020年4月6日には東京地検が飯塚被告を在宅起訴。そして今日の初公判を迎えた。

拓也さんは7日、自身のブログで飯塚被告に対する想いを以下のように綴っている。

加害者の心は加害者が決めることで、私にはコントロール出来ないことです。人の心をコントロールしようとしても自分が苦しむことになるので、そうは考えないようにしています。

とはいえ、私たち遺族は2人の死と、それに対する苦しみに毎日毎日向き合ってきました。
加害者は私達遺族の声を聞き、私達の姿を見て、2人の命や遺族の無念、自身の罪と向き合ってほしいと思っています。それらと向き合った上で、自身の心のあり方を決めて欲しいと思います。ふたりの命は戻らないからこそ、せめてもの私たちの想いです。

人の心の内を読むことは出来ませんが、これまでの報道で見た限り、加害者が2人の命や遺族の無念、自身の罪と向き合っているとは私には到底思えません。心から残念でなりません。

心の中は妻と娘への愛と感謝で満たしつつ、頭の中では明確な処罰感情を持って、遺族として戦っていきたいと思います。

(出典:『池袋暴走死傷事故 遺族のブログ』2020-10-07「裁判を迎えるにあたって」より)

このブログは本日の初公判の前日に投稿されたものだが、飯塚被告に対して「明確な処罰感情を持って、遺族として戦っていきたい」という言葉に、長びくことになるかもしれない裁判への決意が伝わってくる。しかし、被告の年齢的なことを考えても遺族には時間がない。

菅首相の6人任命拒否で暴かれた、安倍前首相が犯していた憲法違反

日を追うごとに批判の声が強まり、今秋の国会で野党が追及の構えを見せている、菅首相による日本学術会議の推薦候補6人の任命拒否を巡る問題。学問への政治介入とも言える重大な事案ですが、その種は安倍政権時代に蒔かれていたようです。今回のメルマガ『きっこのメルマガ』では人気ブロガーのきっこさんが、2016年に安倍前首相が同会議の欠員補充候補3名の推薦を拒否していた事実を紹介するとともに、その「首謀者」が当時の菅義偉官房長官だった可能性にも言及。さらに、今回の任命拒否に関して菅首相が強行突破を目論めば、内閣が吹き飛ぶほどの大問題になるとも記しています。

三権分立を無視して暴走する菅義偉

先週の9月30日(水)は第5水曜日で通常版のメルマガは休刊だったので、通常版は前回の第88号から2週間のインターバルが開いてしまいました。

そのため、世の中では、テニスの大坂なおみ選手とジャーナリストの伊藤詩織さんが米タイム誌の「世界で最も影響力ある100人」に選ばれたり、トランプ大統領夫妻が新型コロナ感染しりと、いつも以上にいろいろな出来事がありました。その中でも、第一報であたしが最も驚いたのが、10月1日に日本共産党の「しんぶん赤旗」がスクープ報道した「日本学術会議が推薦した会員候補105人のうち6人を菅義偉首相が除外していた」という耳を疑うようなニュースでした。

すでに報道で何度も聞かされていると思いますが、日本学術会議とは「原子力三原則」などの科学に関する重要事項を審議するための科学者の組織で、政府への提言も重要な仕事です。210人の会員は非常勤の国家公務員という立場になり、会員の任期は6年で、半数の105人を3年ごとに入れ替えるという、参議院議員と同じ方式です。また、定年の規定が70歳なので、定年を迎える会員がいる場合は、その前に補充の人事を行ないます。

日本学術会議は、内閣総理大臣の管轄で国費で運営されていますが、憲法23条の「学問の自由」によって保障された「政府の影響を受けない独立した組織」です。そのため、会員の任命権者は総理大臣ですが、これはあくまでも形式的なもので、総理大臣は会議が推薦した会員候補105人を黙って承認することしかできません。しかし、菅首相は、この「形式的な任命権」というルールを無視して、自分にとって都合の悪い候補者6人を排除したのです。

6人が6人とも安倍政権下の悪法を批判して来た学者

個々の紹介は長くなってしまうので割愛させていただきますが、菅首相が除外した6人は、「特定秘密保護法」や「共謀罪」や集団的自衛権の行使を可能にした「安全保障関連法」など、これまでの安倍政権が強行して来た「アメリカの子分として戦争に参加するための悪法」に強く反対している学者たちです。百歩ゆずって、何の関連もない6人が除外されたのであれば、それは「政治介入」とは言えないかもしれません。しかし、6人が6人とも安倍政権下の悪法を批判して来た学者なのです。時の首相が自分の政権にとって都合の悪い学者を排除したという、これは上下左右どこからどう見ても、憲法違反の「政治介入」です。

この「形式的な任命権」の分かりやすい例を挙げると、総理大臣の任命も同じなのです。

現在の菅首相の場合なら、まず初めに自民党内で総裁選が行なわれて総裁に選ばれましたが、まだ「自民党の代表」というだけで、総理大臣ではありません。次に、9月16日に首班指名選挙が行なわれ、自民党の菅義偉総裁が314票、立憲民主党の枝野幸男代表が134票、日本維新の会の片山虎之助共同代表が11票、希望の党の中山成彬代表が2票、自民党の小泉進次郎議員が1票という投票結果で、菅総裁が総理大臣に指名されました。しかし、まだ「国会の代表」というだけで、総理大臣ではありません。

この後、憲法第6条に基づき、任命権を持つ天皇より総理大臣を任命されて、これでようやく菅総裁は日本の総理大臣になれたのです。これも「形式的な任命権」ですから、天皇は「NO」と言うことはできません。どんなに気に入らない相手でも、首班指名選挙によって選出された人物は任命するしかないのです。今回、菅首相がやったことは、首班指名選挙によって選出された安倍晋三に対して、天皇が「こいつは日本にとって百害あって一利なし」と判断して総理大臣の任命を拒否する、ということと同じなのです。