苦しい言い訳。破棄されたはずの桜文書「見つかった」に批判殺到

内閣府は21日、「桜を見る会」の契約書など、これまで破棄したとして存在を否定してきた資料を国会に提出したとテレ朝ニュース共同通信読売新聞などが報じた。「破棄した」はずの資料を提出したことで、今後も詳しい説明が求められる。




苦しい言い訳

内閣府は、2011年から2013年までの桜を見る会の開催要領や2014年から去年までの招待者数を記載した資料などを国会に提出。21日午後から行なわれていた野党の追及本部で内閣府側は「確認せずにないものと考えていた」と述べたという。これらの対応について、菅官房長官は不適切だったことを認めているが、廃棄作業が滞っていたとし、公文書管理法違反にはあたらないと強調した。嘘を嘘で隠しているように見えてしまう、最近の政府・与党と内閣府の対応。菅官房長官の苦しい言い訳は一体いつまで続くのだろうか。

深まる疑惑

存在しないと説明してきた文書が廃棄されずに残されていた件について、野党側の筆頭理事を務める立憲民主党の蓮舫参議院幹事長は、菅氏が「調査しない、探さない」といった会見ばかりだった点について触れつつ、「疑惑が深まった。探せばあるということで、改めて捨てたとされる名簿などの調査を求めたい」と記者団に話しているという。 

推薦者名簿の保存期間は10年間

また、内閣府に内閣府に提出した推薦者名簿の2010〜2015年度分について、公文書管理法で義務付けられている「行政文書ファイル管理簿」に記載していなかったと、国土交通省が明らかにした。国土交通省によると、当時の担当者は記載しなかった理由について「覚えていない」と話しているとのこと。国土交通省の推薦者名簿の保存期間は10年間。なお、文書自体は残っている。野党は、他にも記載していない可能性があるとして全省庁に調査を促した。

箱根で中国人入店禁止の店も。新型肺炎の死者9名、米も感染確認

新型コロナウイルスの感染症例がアメリカ国内で初めて確認されたとBBCなどが報じた。感染者が確認されたのは、中国、韓国、日本、タイに続き5ヶ国目となる。22日の中国の国家衛生健康委員会の発表では、死者が9名にもなったことも判明した。


武漢から帰国した男性

感染が確認されたのは、中国からワシントン州シアトルに帰国した30代男性。男性は、今月15日に武漢から帰国した。ワシントン州の医療施設を自ら訪れ、治療を受けたとのこと。渡航歴と症状から新型コロナウイルスを疑い、検査したところ、20日に感染が確認された。

当局の対応に批判

22日までに発表されている、新型コロナウイルスによる肺炎の発症者が300人を超えた。「ヒトからヒトへの感染のリスクは低い」など感染の深刻さを過小評価していた点や、肺炎に関する情報をSNSなどのインターネット上に投稿した市民を処罰したりした当局の対応に批判が集まっている。

ボクシングオリンピックも中止

共同通信によると、2月に中国で行なわれる予定だったボクシングの東京オリンピックのアジア・オセアニア予選の中止も発生されている。新たな開催地は未定。日本からは、男子ライト級の成松大介(自衛隊)ら男子6階級、女子5階級の選手が参加予定だった。

安倍首相演説に疑問の声。地方創生成功事例の男性すでに転居判明

安倍晋三首相が20日、国会で行なった「施政方針演説」で、「地方創生の好事例」として紹介していたあるエピソードに疑問の声があがっていると共同通信TBSニュースなどが報じた。安倍首相が「若者の移住推進策」の中で紹介した、パクチー栽培に取り組むために島根県江津市(ごうつし)へ移住した男性が、昨年末に県外に転居していたことが判明したという。


「成功例」の男性、すでに転居

安倍首相は同演説で、「若者の起業を積極的に促した結果、一昨年、転入が転出を上回り、人口の社会増が実現しました」と述べ、島根県江津市が進めてきた若者の「起業支援」について触れた。パクチー栽培に取り組むために関東地方から移住してきた男性のために、市が農地を借りる交渉をし、地方創生交付金の活用で資金の支援をした。安倍首相は「地域ぐるみで若者のチャレンジを後押しする環境が移住の決め手となった」と、男性の言葉も引用していた。しかし、市への取材から、男性は昨年末に関東地方に戻っていたことがわかったという。

菅官房長官「問題ない」

人口が増えた成功例としてすでに転居している男性を取り上げた件について、菅官房長官は「3年以上にわたって移住している」とし、「市の起業支援による成功例として紹介するのは問題ない」とした。また、男性が現在も江津市に住んでいるかは「個人情報」を理由に明らかにしなかったという。しかし、安倍首相は施政方針演説で男性の実名を出している。

軍事アナリストが訴え続けた「緊急通電」。実現へ残る課題は?

2019年9月の台風15号の際、千葉県内で長期間解消されなかった大規模な停電を受け、経済産業省は今後の対策を報告書にまとめました。その中で、停電解消を最優先に考え「仮復旧」の必要性が盛り込まれたことを喜んだのは、かねて「緊急通電」こそ第一に取るべき対策と訴えてきた危機管理の専門家、軍事アナリストの小川和久さんです。小川さんは主宰するメルマガ『NEWSを疑え!』で、必要性が認識されながらも「絵に描いた餅」で終わらないために、しっかり詰めるべき課題があると指摘します。

緊急通電が可能になる

ちょっぴり嬉しいニュースがありましたので、ご報告したいと思います。

「経済産業省の有識者作業部会は23日、9月の台風15号で千葉県を中心に発生した大規模停電についての検証結果と今後の対策について報告書をまとめた。停電解消を最優先する『仮復旧』の早期実施や鉄塔の強度見直しなどが柱だ。今後、必要な法整備などを急ぐ。   仮復旧とは、被害を受けた電力設備の完全復旧よりも、電柱などの応急処置で停電を早期に解消すること。電力会社は、仮復旧とその後の設備の『本復旧』で二重の費用負担が生じるため、仮復旧に及び腰となる傾向がある。そのため、電力事業者同士で費用を工面し合う相互扶助制度を導入するよう提言した。(後略)」(2019年12月24日付毎日新聞)

このメルマガでも述べてきたことですが、台風被害の復旧というと、全国の電力会社を総動員して倒れた電信柱を立て直す光景が展開されるのが、普通でした。

たしかに、これも復旧ではあります。しかし、元通りに電柱を立て直すには長い時間がかかります。電力は、ライフラインの言葉の通り、社会生活の生命線です。電力が途絶えると人間の命に関わります。大きな病院でも、自家発電装置が被害を受けて動かなくなることもあります。それだけでも、生命維持装置を使っている人、人工透析を必要とする人などは、命を失う危険に直面します。

それを考えると、電柱を立て直すより先に、地面に落ちた電線を使ってでも通電させようと考えるのが、健全な考え方だと思います。

私が仕事をしている静岡県では、中部電力の皆さんの協力を得て、意見交換の場を設け、知恵を借りました。その結果、緊急通電については、局所的にではあったけれども、立木などに電線を張ることで通電させた前例があることがわかりました。見てくれは悪いけれど、これでライフラインの使命を果たせることになります。

私はこの話を含めて、復旧は元通りに電柱を立て直すこと(本復旧)と緊急通電すること(仮復旧)の2本立てで同時進行させる必要があることを、電力会社の機関紙ともいうべき電気新聞のコラムに書かせてもらいました。

嬉しいことに、経産省の有識者作業部会のメンバーにも同憂の士がいたようで、報告書には仮復旧の必要性が盛り込まれました。あとの詰めは、費用をどうするかだけでなく、遅くとも24時間以内に通電することなどが明確にされることです。この点を詰めておかないと、絵に描いた餅になってしまいます。

2020年の台風シーズン、不幸にして大規模停電が発生した場合にも、緊急通電によるライフラインが確保されることを期待しましょう。これが真の意味での国土強靱化であり、安心・安全な社会なのです。(小川和久)

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スポーツも五輪も所詮は「国の支配」。池田教授が繙く運動の歴史

いよいよ迫ってきた東京五輪。準備が進むとともに、少しずつ盛り上がりを見せ始めています。私たち日本人は「健全な精神は健全な肉体に宿る」との考えから、とにかくスポーツを頑張ることで精神面での充実が得られる、と捉えがちです。しかし、フジテレビ系「ホンマでっか!?TV」のコメンテーターとしてお馴染みの池田教授は自身のメルマガ『池田清彦のやせ我慢日記』の中で、国旗を背負っての競技スポーツのあり方を根底から探った結果、必ずしも手放しで喜べない旨を指摘しています。

スポーツは危険・取扱注意ということについて

子供のころからチームプレイが必要なスポーツは苦手だった。野球やサッカーやバスケットボールやバレーボールは苦手というより嫌いだった。友達とこういったスポーツに興じた経験はほとんどない。体育の授業で無理やりさせられることはあったけれど、やる気がないこと甚だしく、当然のことながら、体育の教師からは睨まれてばかりいた。

しかし、どんなスポーツでも嫌いと言うわけではなく、徒競走や、相撲や柔道といった格闘技は、結構楽しかった覚えがある。小学校の時は学年で二番目に足が速く、6年生の時は、学校対抗リレーの選手で、秋の運動会シーズンになると、近隣の小学校に走りに行き、優勝カップをいくつももらってきた。現在の私よりも3倍くらい速かったのではないかしら。

授業時間外で、友達と一番よく遊んだスポーツは相撲である。相撲は相当強かったと思う。左差しで右からの上手投げが得意だった。徒競走も相撲もチームプレイではないところが私の性に合ったのだろう。長じてはスキーに凝ったのも、同じ理由からであると思う。

それではなぜ、チームプレイが嫌いだったのか。チームの中に断トツに下手くそなやつがいると、後のチームメイトがそこそこ上手でも勝てないことが多く、一人の失敗の責任を全員で負わざるを得ないというあり方が、どうにも嫌だったのである。「連帯責任」「みんなで頑張る」「失敗した仲間を庇う」といったチームプレイにつきものの心性がいたたまれなかったのだ。バレーボールなどで、誰かが失敗して周りの仲間が発する「ドンマイ」という言葉を聞くと、虫唾が走ったのである(今でもそう)。それに対して、個人競技は勝っても負けても自分だけの責任であり、他人の失敗を忖度する必要もない。

「海水がおいしい」と感じたら間近にあるのは死だと知った体験談

日常生活において不思議に思ったり、ちょっと気になったあれこれについて考察するメルマガ『8人ばなし』。著者の山崎勝義さんは今回、中学生の時に先生から聞かされた海での事故の体験談を紹介。その話から、死が間近に迫っていると知るべき状況を理解し、さらには生きていくことについて、ひとつの真理を見出しています。

先生が語ってくれた話

中学の時、社会科の先生から聞いた話である。その先生からは知識よりも寧ろゲンコツの方を多くもらったくらいだから実のところあまり良い記憶はないのだが、そういった良し悪しの問題を遙かに越えて、その話は今も猶はっきりと心の内に残っているのである。

その先生は釣りが好きであった。その日も予てよりの約束もあって、いつもの釣り仲間3人で出かけたのである。その日は冬であった。釣りを始めてしばらくすると、どういう訳か急に天気が悪くなり海は荒れ模様となった。「これではさすがに」と帰り支度を始めた途端に仲間の一人が海に落ちた。それを助けるべくその先生は海に飛び込んだ。もう一人の仲間も続いて飛び込んだ。結果、その先生だけがクーラーボックスか何かに引っ掛かって助かり、他の2人は死亡した。

死亡者まで出たということもありこの事故は地元ではそれなりに大きく取り上げられ、結果学校関係者は勿論のこと、その地域一帯で知らぬ者はいないほどであった。ただ生存者が1名いるということもあり大っぴらにあれこれ言う者はいなかったように思う。確かこの事故が起こったのは私が中学に入る数年前のことだった。

海水がおいしい?

その先生がある日の授業中、何を思ってかぼそぼそとその時のことを語り始めたのである。
「…助けようと飛び込んだはいいが忽ち自分の身体がいうことをきかなくなった。まるで他人の身体のようである。正直どっちが上でどっちが下かも分からぬ状態であった。それでも泳がなければ仲間も自分も助からない。必死に泳ごうとはするが波に呑まれるたびに大量の海水が鼻や口から流れ込んでくる。これが恐ろしくつらい。鼻は痛く、息は苦しい。この海水に抵抗するだけでも相当しんどかった…」

ここで先生の声が少し変わった。その声はいつもより落ち着いた感じに聞こえた。
「…ところがどういう訳か、ある瞬間から飲まないようにするからつらいのであって、いっそ飲んでしまえばいいのではないか、と思えて来た。そこで意を決して一口ごくりと飲んでみるとこれがやたらとおいしい。こんなにおいしいなら今まで抵抗して損をしたとばかりにその後ごくごくと飲み込んだ。これ以後は憶えていない…」

「海水がおいしい」。普段レトリックを使ったりしない先生だったので余計に生々しく感じた。正直海水がうまい筈がない。この時、現実に起こったことをただただ生理的に分析すれば、低体温と低酸素から脳内モルヒネを始めとする多幸に関連したモノアミンが大量に出された結果、突然不快が快となった訳で、世に言う臨死体験談の類とそう変わりはない。

けれどもこの話を聞いて以来「海水をおいしいと感じたら、つまり自分にとっての不快が突然快になったら、死がこの身に間近に迫っていると知れ」というのが自分の死を感じる上での大事な指標となったことは確かである。

逆に、生きようと思えば、海水を飲んではいけない。吐き出し続けなければならない。絶え絶えの息の中で息をし続け、もがき、抵抗し続けなければならないということである。

私は今も苦しい。幸か不幸か相変わらずに苦しい。依然として海水もまずい。ちっともいい気持ちにもなれない。これが、これこそが「確かに生きている」ということなのだとしたら、人間が生きるということに対して大いに同情的にならざるを得ない。今まさに生きている当事者としてこう思うのである。

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河井案里氏は悪党か。仁義なき菅vs岸田、広島代理戦争の深い闇

先日掲載の「会社員だったら即刻クビ。議員続行の河井案里氏に国民は怒りの声」でもお伝えした通り、公選法違反の疑いで男性秘書が事情聴取を受けている河井参院議員については各所から厳しい声が上がっていますが、この案件、さまざまな「事情」が絡み合っているようです。米国在住の作家・冷泉彰彦さんが自身のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』で、その複雑な「背景」の読み解きを試みています。

広島の選挙スキャンダルとポスト安倍問題

簡単に言えば、本来は1日1万5,000円しか払ってはいけない「ウグイス嬢のギャラ」について、倍額の「3万円」を払ったということで、自民党の河井案里参院議員はスキャンダルの渦中にいるわけです。

1月20日には、議員事務所が公職選挙法違反容疑で広島地検の家宅捜索を受けたことが報じられました。この間に議員活動を行わずに雲隠れしていたり、適応障害という診断で入院していたなどということも含めて、改めてネットの世界は「税金泥棒」だとか、「どうして議員辞職しない」といった批判が集中しています。

ちなみに、河井議員は記者団の取材に応じ、「政治不信を招いていることを深くおわび申し上げたい。捜査の進展を見ながら、区切りがついたところでしっかり説明をさせてほしい」と強調したそうです。

もう一つ大きなエピソードとしては、この問題はダンナの河井克行衆議院議員にも飛び火しています。克行議員の方は、2019年9月の内閣改造で法務大臣になっていますが、この妻のスキャンダルのために2ヶ月でクビになっています。

この克行議員の方も、妻と一緒に雲隠れするなど報道陣を避けていましたが、20日には、国会に登院し、記者団の質問に答えています。と言ってもそんなに内容のあるコメントを出したわけではなく「刑事事件という性質上、捜査に支障を来してはならない。(説明は)控えたい」とか、「しっかりと国会議員としての責務を果たしていきたい」と述べています。こうした一連の行動について克行議員に対しても批判が強まっています。

この問題、詳しく見てゆくと2つの点が浮かび上がって来ます。

まず大前提としては、「悪人である案里候補が、悪い選挙違反をやった」ので、「その夫の克行議員も含めて悪い」だから、この2人を抹殺すればいいという話では「ない」ということです。

1点目は政治的な背景です。問題は、2019年7月の参院選に戻ります。

この参院選で案里議員は初当選したのですが、その選挙の構図がよく分かる記事が、まだ残っています。例えば、公示前の2019年5月12日の産経新聞(電子版)には次のような解説が出ています。

夏の参院選の広島選挙区(定数4=改選数2)をめぐり、自民党内で亀裂が深まっている。現職の溝手顕正氏(76)と新人の河井案里氏(45)の2人による票の奪い合いとなるためだ。広島は溝手氏を含め岸田文雄政調会長率いる岸田派(宏池会)国会議員6人(当時)を抱える「宏池会王国」。河井氏は菅義偉官房長官らとの近さを演出し、岸田、菅両氏の代理戦争の様相も呈している。

というのです。同じ記事では、この「代理戦争」について

「一票たりとも回すな」。溝手氏は周囲にこう訴え、陣営の引き締めを図っている。

とか、

岸田氏は、2人目の擁立は受け入れたものの、周囲には「おれは宏池会会長だ」と語り、河井氏の支援には消極的だ。

「溝手陣営にいじめられている」。河井陣営はこう強調し、独自の人脈を使って活路を見いだす構えだ。

などという刺激的な描写がされています。もっと恐ろしいのは、同じ記事ですが、

党広島県連HPに溝手氏のHPを表示するバナーはあるが河井氏はない。

県連は3月に支援を溝手氏に一本化することを決めた。

河井氏が県内の団体を訪れても門前払いされるケースがあるという。

などということが書いてあります。ところで、選挙のウグイス嬢というのは(それ自体が、選挙制度のバカバカしさとセクシズムの感じられるイヤなカルチャーですが)特殊技能であって、素人には難しいのだそうです。

なぜ大半の投資家は、今までテスラ株を買おうともしなかったのか

イーロン・マスク率いるテスラの株価が急騰し、その時価総額はついにフォードとGMの合計を抜いたと報じられました。同社の躍進を予見していたうちの一人が、世界的エンジニアとして知られる中島聡さん。今回、中島さんはメルマガ『週刊 Life is beautiful』で、自身がテスラに注目した理由を明らかにするとともに、今後大きな変化が起こると思われる業界と伸びることが明らかな企業名を記しています

※ 本記事は有料メルマガ『週刊 Life is beautiful』2020年1月21日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。

プロフィール中島聡なかじま・さとし
ブロガー/起業家/ソフトウェア・エンジニア、工学修士(早稲田大学)/MBA(ワシントン大学)。NTT通信研究所/マイクロソフト日本法人/マイクロソフト本社勤務後、ソフトウェアベンチャーUIEvolution Inc.を米国シアトルで起業。現在は neu.Pen LLCでiPhone/iPadアプリの開発。

第3の投資戦略

テスラという会社の特殊性に関しては、このメルマガでも何度も触れて来ましたが、ようやく市場も気が付いたようで、株価が急騰しています(参照:「Tesla surges past $500 on back of analyst upgrade, China momentum」)。

自動車業界にとってのテスラ車が、ちょうど携帯電話業界にとってのiPhoneのような存在であることは、携帯電話業界と自動車業界の両方でビジネスをしていた私から見れば自明だったし、それを指摘していたのは私だけではありません。

にも関わらず、大半の投資家たちがテスラにこれまで投資できずにいたのは何故なのでしょう?

私は、投資家たちが採用している投資戦略に何かが欠けているからだと思います。

投資戦略としてよく知られているのは、ファンダメンタルズ分析とテクニカル分析、という二つの手法です。

ファンダメンタルズとは、企業が利益を生み出す本質的な力のことで、一株利益や成長率を指標として「適切な株価」を弾き出して、それよりも安ければ買い、高くなれば売るという手法です。PER(price to earnings ratio)は、株価を一株利益で割って求めますが、その数字が同じ業界の似たような成長率の企業と比べて低ければ「(株価が)割安」、高ければ「割高」と考えて投資をするのが一般的です。

テクニカル分析とは、過去の株価の動きだけを見て、売買のタイミングを決める手法で、株価が投資家たちの心理状態を反映したものであることを利用して、タイミングを見計らって利ざやを稼ごうという手法です。よく知られた手法としては、買いシグナルとしての「ゴールデンクロス」があります。ゴールデンクロスとは、二つの移動平均線(例えば、25日移動平均線と5日移動平均線)を引き、短期の移動平均線が長期の移動平均線を超えた時点を「株を買うべきシグナル」として利用するものです(参照:「ゴールデンクロスとは?|代表的な買いシグナルの3条件」)。

ファンダメンタルズ分析の方は、十分に成熟した市場で投資先を決めるには優れた手法ですが、この手法では、テスラのように赤字を垂れ流しながら急成長している企業には投資できません。

テクニカル分析の方は、純粋に株価の動きを見ているため、投機的な(=ギャンブルのような)利ざや稼ぎには適していますが、企業の競争力や収益力を見ているわけではないので、業界全体の大きな変化を掴むことは出来ません。つまり、どちらもテスラのような株を見つけ出すのには適していないのです。

私がテスラに感じている魅力を一言で説明すると、テスラが「一つの業界を大きく変化させる原動力になっているから」です。

自動車業界は、電気自動車や自動運転により引き起こされる大きな転換点にあります。流行りの言葉で言えば、デジタル・トランスフォーメーション(DX)が業界全体に起こっているのです。そんな時には、必ずと言って良いほど「主役の交代」が起こります。既存の顧客、販売ルート、労働組合、縦割り組織などの様々なしがらみを持った既存のプレーヤーたちが、新しい技術をどう活用して良いか悩んでいる隙に、何も失うものを持たない新規参入の企業が、迷いのない戦略で市場に新しい価値を提供して、主役の座を既存の企業から奪ってしまうのです。

全く同じようなことが他の業界でも起こりました。パソコンの誕生に大きく関わったIntelとMicrosoft、携帯電話業界を大きく変化させたApple、放送業界を大きく変えたNetflix、小売業界を大きく変化させたAmazonなどが良い例です。

尖閣諸島を「安保条約の適用範囲」と米に言わせて喜ぶ日本の怠慢

今年で60周年の節目を迎えた日米安保条約。1月17日には両国による「今後も同盟を強化する」との共同発表が行なわれましたが、これを高く評価するのは情報戦略アナリストの山岡鉄秀さんです。山岡さんは今回、無料メルマガ『日本の情報・戦略を考えるアメリカ通信』にその理由を記すとともに、60周年という節目を期に「日本人が真剣に考えるべきこと」を提示しています。

安保条約60周年日米共同発表で日本人が真剣に考えるべきこと

全世界のアメ通読者の皆様、山岡鉄秀です。

1月19日で日米安全保障条約が署名されてから60年が経ったそうです。1月17日には、茂木敏充外相、河野太郎防衛相、米国のポンぺオ国務長官、エスパー国防長官の4人の名前で、「日米安全保障条約の署名60周年に際する共同発表」が行われました。

内容を要約すると、「安保条約を結んだ先人たちの英知と勇気と先見の明に敬意を表し、今後も日米同盟を強化し、日米両国が共有する価値と諸原則を堅持するとのゆるぎない決意を改めて表明する」というものです。

総理がどんなに支持層から反対されても習近平を国賓で招くと宣言する一方で、このような宣言が出される。政権内でも親中派と親米派のせめぎあいがあることがわかります。

また、「日米同盟は自由で開かれたインド太平洋という両国が共有するビジョンを実現」というくだりがあるのは、明らかに強烈な対中牽制です。

もちろん、日本が自由民主主義国家であり続けることを望むならば、今はこの宣言どおりに日米同盟を一層強化するしか道がありません。

しかし、この機会に日本国民は胸に手を当ててよく考えるべきです。

まず、当たり前ではありますが、日米安保条約は集団的自衛権の行使に他なりません。このことは新旧安保条約の両方に明記してあります。

日本が戦後独立を果たしたサンフランシスコ講和条約に書かれているとおり、独立を認めるということは自衛権を回復させることであり、自衛権は個別的自衛権も集団的自衛権も含みます。

そこで、日本は独立を果たすと同時に日米安保条約に署名することで、日本の安全保障のためにさっそく集団的自衛権を行使したのです。

たとえ憲法9条があっても、日本中に世界最強の米軍が展開すれば、攻めてくる国はまずありません。自分自身の軍備は補完的なものにとどめて、経済活動に邁進して復興に努める。

その戦略は一応成功しましたが、時代は変わります。ごまかしが通用する時代ではなくなりました。

ごまかしとは何でしょうか?

日本政府は、自らの安全保障政策の根幹が集団的自衛権に依拠しているくせに、「個別的自衛権は合憲だが集団的自衛権の行使は違憲」という意味不明の見解を表明してきました。

それが平成27年になってやっと平和安全法制で自衛隊法の一部を改正して、日本国の存立が危ぶまれる事態に瀕した際は限定的に集団的自衛権を行使できる、という解釈に変更しました。

日本政府は長いこと、集団的自衛権の名のもとに、日本と直接関係ない米国の戦争に巻き込まれたらたまらない、という本能的恐怖感に基づいて、「集団的自衛権」が存在しないかのようなふりをしてきました。

その気持ちはもちろんよくわかります。しかし、それがごまかしだと言っているのです。

国際法上、集団的自衛権の保有と行使が認められていて、日米安保条約はまさに集団的自衛権の行使なのですから、集団的自衛権が違憲だという議論は全く意味を成しません。

違憲だというならさっさと日米安保条約を解消すべきです。

実際には日米安保にべったりと依存し、民主党政権でさえ、尖閣諸島が安保条約の適用範囲だというヒラリー国務長官の発言に手をたたいて喜ぶ有様です。

これ、恥ずかしくないですか?

議論すべきは違憲か合憲かではなく、合憲を前提として、集団的自衛権をどのような局面でどこまで適用するか、です。

平和安全法制はそういうことを考えざるを得なかったからやったわけですが、「国家存立事態」では曖昧過ぎます。タブーを恐れず、もっと個別具体的に考え、議論し続けなければなりません。

今や集団的自衛権の適用範囲は宇宙空間にまで広がろうとしているのです。

野党の「戦争法案」というレッテル貼りは、日本を侵略したい国の工作だと見なされても仕方ありません。

結果しか見ぬ指導者に育てられた部下や子が場当たり人間になる訳

仕事や勉強、そしてスポーツなどでも、「必死に頑張ったけれども結果が伴わない」ということは多々あります。逆に「大して努力もしないのにうまくいく」という幸運に恵まれることも。そんな時、育成・指導する側としては、どう評価すれば良いのでしょうか。今回の無料メルマガ『起業教育のススメ~子供たちに起業スピリッツを!』では著者の石丸智信さんが、「結果だけでなくそこに至るプロセス、本人の成長も重視しよう」と提唱しています。

継続的に結果・成果を生みようにする育成する側の考え方

私たちには、一人ひとり「持ち味」と言える個の力があります。その持ち味を見つけて発揮するためには、「結果」だけに視点を当てて重視するのではなく、その結果へと導いた「過程・プロセス」に視点を当てることも大切だと言えるでしょう。

本号では、人財育成において、部下や子どもたちなど育成される側が、継続的に結果・成果を生み出すようにする育成する側の考え方について考察していきたいと思います。

部下や子どもたちが、何らかの物事に挑戦していたら、上司や親御さんなどの育成する側としては、やはり、「部下自身、子どもたち自身が、思っているような結果を出して欲しい」と思いますね。

たしかに、育成する側としては、相手が「どのような結果を出したか」という視点で、評価することもあろうかと思いますし、相手自身が想定していた結果が出たら、育成する側としても嬉しいですね。

しかし、望ましい結果を相手が継続的に生み出せるようにするという視点で見ると、相手が挑戦したことで生み出した結果を見る前に、その相手が挑戦する前と比べて、「どれぐらい成長することができたか」という視点で見ることが大切ではないでしょうか。

加えて、出した結果だけを振り返るのではなく、ここまでの過程・プロセスに目を向けることも大切だと言えるでしょうね。

育成される側一人ひとりが、どれだけ成長することができたかという「成長の度合い」を、評価する時のものさしのひとつにすることも大切です。部下や子どもたちが出した結果を認めるとともに、どれだけ成長したかを見ることも大切だと言えます。

たしかに、良い結果や成果、成績を出すことが大切という見方もあります。しかし、相手自身が、これからも良い結果を継続して出せるようにしていくためには、育成する側としては、部下や子どもたちが成長している、という視点を持つことも重要ではないでしょうか。

例えば、今まで努力してきた過程・プロセスを認められて、ちょっとした褒め言葉や激励の言葉などをかけられて、「もっと、頑張っちゃおう!」などと、やる気、意欲が増した経験はありませんか。

育成する側としては、結果だけを見て褒めたり、認めたりするのではなく、育成される側が、ここまでに努力してきたプロセスを見て、認めてあげることは大切ですね。

結果や成果というものは、数字に換算しやすいなど、定量的に評価しやすいですね。反対に、プロセス・過程は、数字に表すことが容易ではなく、その人自身の言動などをじっくりと観察していないと、評価しづらい側面があります。

育成する側が、過程・プロセスに焦点を当てて、見てあげることで、部下や子どもたちが、過程・プロセスの中で工夫したことや改善したことなど、様々なことが見えてくるでしょう。

育成する側が、育成される側に対して、自らが工夫したことや改善したことなどを見つけ、伝えて、認めてあげることで、育成される側としては、「しっかりと見てくれているんだ!」と実感することができます。「しっかりと見てくれている」いう実感を持つによって、これからも継続的にやる気、意欲を出すことができるのではないでしょうか。

過程・プロセスの中で、工夫したり、改善したりしないで、偶然に良い結果が出てしまった場合、「自分は、ちゃんとプロセスを踏まなくても、良い結果が出るんだ」と、なんとなく勘違いしてしまうと、継続して自らが望む結果を生み出すことは難しくなるではないでしょうか。

もちろん実社会では、成果主義や能力主義などと言われ、結果・成果を求められます。しかし、結果だけを評価され、プロセス・過程を認められた経験がなければ、「目先の結果が良くすればいいんだ」「どんなことをしても良い結果だけを出せばいいんだ」などといった、過程・プロセスを軽視し、場当たり的な結果が追い求めてしまうようになってしまうのではないでしょうか。

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