【Jリーグ】複数クラブから悲鳴も。いつどのように再開する?

新型コロナウイルスの感染拡大を受け中断が続き、クラブ側から「このままだと厳しい」という声もあがり始めたJリーグ。緊急事態宣言の解除後に、チェアマンが「最後の手段」と語っていた無観客での再開の可能性が出てきたようです。サッカー情報で人気のメルマガ『J3+ (メルマ)』の著者じじさんが、無観客の先にはどのような方法があるのか、応援自粛や収容率といった観戦者への制限や、過密日程による大会方式のあり方などについて、提案しています。

Jリーグは「コロナ後」を考える時期

Jリーグは中断期間に突入している。無期限延期となったが心配されていた日本国内の感染者数や死亡者数の爆発的な増加はなさそうな情勢になっている。まだまだ油断はできないが何だかんだで自粛の効果は大きくてここ1週間ほどの各種の数字は「ピークの時期は過ぎたのでは?」とも考えられる。はっきりしたことは言えないが梅雨や夏の時期に入って気温や湿度や高くなるとひと段落つけそうな雰囲気もある。「コロナウイルスは湿度に弱い」とも言われているがその通りであればひとまずパニックはおさまるだろう。

ここ最近の感染者数や死亡者数の推移を考えると「5月6日(水)が期限となる緊急事態宣言が延長されない可能性」もある。さらに感染者数や死亡者数が減ってくると「この先の経済のことを考えて解除すべき」という意見も多くなるはずである。また、休校中の小学校や中学校や高校などがGWウイーク明けに授業を再開するようだとプロ野球やJリーグなどの各種スポーツの開幕や再開の話も一気に進展すると思われる。とにもかくにも緊急事態宣言がどうなるのか?である。延長されるようだと大規模イベントの開催は難しい。

すでに鳥栖や新潟や札幌は「このままだと厳しい」、「このまま中断期間が続くと持たない」とコメントしている。鳥栖はともかくとして新潟や札幌はJリーグの中では中規模クラブになる。地域密着に成功しているクラブの典型になるがそれでも経営的に厳しいとなると「もっと大変なクラブがたくさんある」と考えるのが自然である。「最速でも6月上旬の再開」になると思うので予定された試合数をすべてこなすのは不可能に近いが少しでもマイナスの額を減らさないと「コロナ後のJリーグ」は大変なことになる。

普通のインフルエンザと同様で流行する時期の感染者数や死亡者数をゼロに抑えるのはワクチンや特効薬などが出来たとしても難しい。一定以上の人数の感染者や死亡者が発生するのは確実である。「人類はコロナウイルスとうまく付き合っていくこと」が求められるがJリーグの上層部はそろそろ「コロナ後」のことを真剣に考えるべき段階に入っている。村井チェアマンはここ2か月ほどはいろいろなところに顔を出して調整をしていると思うので極めて大変だと思うがうまく休みながら次の手を考えないといけない。

新型コロナ抗体で防げる根拠「なし」か。 潜む「再発」の危険性

世界保健機関(WHO)は24日、新型コロナウイルスの感染者が免疫を獲得し、再感染しなくなるという十分な証拠はないと警告したとCNN日テレNEWS24が報じた。


感染後も「今の行動を変えないで」

CNNによると、アメリカの感染症学会の報道担当者は「抗体を持つ人に再感染のリスクがあるかどうかはわかっていない」と明かし、「危険性はあると想定せざるを得ない」と述べたという。そして抗体に防護力があると仮定した場合でも、完全なのか部分的なのか、どのくらい持続するのかは不明であるとし、「抗体による反応は時間がたてば弱まることはわかっている」と強く述べている。その上で、1度感染し抗体を持っている人でも、引き続き人との接触を減らすなど感染前と行動を変えないことが重要だとした。

国内でも再発例

世界で再発例が多発しているが、国内でも発生している。FNNによると、4月16日に再発が確認されたのは旭川市の40代の看護師。2月24日に倦怠感の症状が出た後、3月2日に感染確認。検査の結果2度目の陰性反応が出たことから。3月14日に退院し、自宅待機を続けており、退院後1カ月後の4月14日に再検査をしたところ陽性反応が出た。

NHKの報道によると、4月26日に熊本市で再発が確認されたのは、20代の女子学生。4月3日に新型コロナウイルスの感染が確認され、入院したという。治療を終えて4月9日に退院していたが、4月17日に再び倦怠感を感じ、味覚や嗅覚の異常があったことから帰国者・接触者外来を受診。その後再発が確認された。この女性と同居する50代の会社員の女性も、24日に感染が確認されている。

山中教授が警鐘。PCR検査で「東京の陽性率40%は危険領域」

iPS細胞の発見でノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学iPS細胞研究所所長の山中伸弥教授は、自身の公式サイト「山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信」で、「感染者数で一喜一憂するのではなく、注目すべきは陽性者の割合」だとする投稿をした。

東京の陽性率40%という驚くべき数字

自身のホームページで、東京と大阪の陽性率の高さに警鐘を鳴らした山中教授。陽性率とは、PCR検査をした人数に対して、どれだけ陽性者が出たかを示す割合で、東京の検査数は9827人(1月15日~4月25日)に対し、陽性者数は3850人となり、陽性率約40%となっている。

しかし、現状では条件に合う人のみにPCR検査を行っているため、「体調が悪い」「咳が出る」という軽症の疑いがある人は検査をしていない。このため、条件に当てはまらない感染者が多数いる恐れもあり、山中教授も「非常に多くの陽性者を見逃している可能性が高いと推定されます」と指摘している。

また、山中教授はホームページの中で他国の陽性率にも触れていて、「アメリカは日本よりはるかに多くの検査を行っていますが陽性率は20%程度」にも関わらず、「専門家は、まだまだ陽性率が高すぎるので検査数を3倍は増やす必要があると訴えています」としている。十分に検査をしているドイツは陽性率7%、韓国は3%だとし、「東京で約40%、大阪で約20%と高い陽性率となっています。これは危険領域です」と警鐘を鳴らしている。

YOSHIKIさんなど多くの在米日本人が「Stay Home」を叫ぶ理由

新型コロナウイルスの感染爆発により、3月22日から外出禁止(ロックダウン)が続くニューヨーク。感染抑止の効果が見え始めているようですが、まだまだ深刻な状況にあります。そんなマンハッタンのど真ん中から、日本に向けて「Stay Home」を叫び、その訳を語るのは、メルマガ『NEW YORK 摩天楼便り-マンハッタンの最前線から-by 高橋克明』の著者で『NEW YORK ビズ!』CEOの高橋克明さんです。高橋さんは、日本での影響力ある人たちによる「逆張り」的な「アンチ自粛」の考えに感化される人の多さを危惧。耳を傾けるべきはYOSHIKIさんのようなブランディングする必要のない人の言葉だと訴えています。

「アンチ自粛派」の通ぶる姿に嫌気

ニューヨークがロックダウン(都市封鎖)されて、今日でちょうど25日間が経過します。世界のロックダウンはそれぞれにルールが若干、異なりますが、基本的には「不要不急の外出を禁止」という点は一致しているはずです。従来の企業は出社自体が禁止、飲食店での店内での飲食が禁止、これも国によっての例外はないようです。

海外に住んでいて日本を眺めると、国内にいるよりもわからない点は当然、多い。報道や人からの伝聞だけでは実態は掴みにくい。その反面、逆に冷静になって母国を観察できることも、またあります。

今ではどうかわかりませんが、3月いっぱいくらいまで、日本は「アンチ自粛派」の人の方が多かったように、こちらからは見えました。いや、多くはない。ただ「アンチ自粛派」の意見の方が強い、もしくは正しい、もしくは論理的、のように映りました(もちろん、あくまで遠く離れた国から、報道やSNSを見る限りの印象なので実際はどうかわかりませんが)。

それまでは、当然のように「自粛しましょう」という声しか聞こえませんでした。でも、一旦、見識者、コメンテイター、文化人、学者、などの一部の「日本の頭のいい人たち」、インフルエンサーの方々がそれなりの根拠とロジックを持ち出して「自粛は悪だ!」とYouTubeなどのSNSで発信すると、今度は、右にならえ、と今まで「自粛派」だった人間(もしくはまったく興味すらなかった人たちまで)が、意見を180度変え、その意見にフォローしていったように見えました。「いたずらに煽って、自粛するなんてバカだ」と。まるで、その「頭のいい人たちと自分は同レベルだ」とでも言いたいかのようにように。

その風潮は、すぐにコロナと同じくらいのスピードで「感染」し、僕の日本の知り合いはみんな揃って「安易に自宅に閉じこもる必要ないんだよね」「今、あえて自粛しないことこそが、日本の経済を支えることに繋がるんだよね」「出歩かないことを受け入れるってことは、日本の文化の衰退につながるってことがわかんないかなぁ」「知ってた?科学的にコロナってインフルエンザより致死率低いって」とか言いだしました。あぁ…またか、日本人。と僕は思いました。

ちなみに僕はこのメルマガでしつこいくらい書いているように、いわゆる“欧米かぶれ”ではありません。世界で日本が一番好きで、日本人が一番好きです。自分が日本人で心から良かったと思っているし、日本人であることに誇りすら感じています。

でも、この、インフルエンサーたちのフォロワーが、そのインフルエンサーの意見をまるで自分の意見のように錯覚して、世間とは真逆の「逆張り」をすることで通ぶる風潮には嫌気が差していました。それがまるで少数派の意見のように振舞っても、フォロワーはおまえだけじゃない。数十万、数百万といる。マイノリティーを狙ったブランディングは、結果、メジャー意見になって、失敗している。

中国の不気味な動き。コロナ禍に浮上した金正恩「重体説」の裏側

今なお多くの人々が苦しめられている新型コロナウイルスによる感染症ですが、そんな中にあっても「ポスト・コロナ時代」を見据え、不気味な動きを見せている国もあるようです。元国連紛争調停官で国際交渉人の島田久仁彦さんは今回、自身のメルマガ『最後の調停官 島田久仁彦の『無敵の交渉・コミュニケーション術』』で、新型コロナウイルスが明確にした「2つの真実」と中国の動向を冷静な筆致で記しています。

 

コロナ時代の地政学:世界はこれからどうRestructureされるのか?

WHOの事務局長テドロス氏の出身地エチオピアは、予てから“スーパー親中国”で、その周辺国にもその影響が及ぶほど、中国からの支援漬けに遭っていますが、隣国ジブチ、ソマリア、ケニア、スーダン、そしてエジプトにまで、中国の支配は及ぶに至りました。

COVID-19を“克服した”経験を活かして、各国に医療支援と物資、そして資金援助を投入し、リーダーシップの誇示を確立に尽力しています。

そして国連安全保障理事会の常任理事国という立場を最大限使い、“従属する国々”に対するいかなる制裁も潰すという外交上のカードも惜しみなく切ることで、その支配を確立してきています(2009年のスーダンの例のように)。

同様の事態は、強権化を進めるハンガリーをはじめ、私もなじみの深いセルビア共和国、チェコ、スロバキアなどでも起きています。

「中国による欧州への影響を懸念するドイツやフランス、オランダ」に代表されるEUの方針とは異なり、遅々としてEU加盟が進まないか、西側のEU加盟国から見下されていると感じる中東欧諸国も、中国の脅威を理解しつつも、実を取る政治的な戦略に出たと言えるでしょう。

結果、今回のCOVID-19へのEUとしての対応の不一致と、中東欧からの不満の増大によって生まれた修復不可能なEU統一におけるひびは、中国からの“働きかけ”と庇護によってより拡大され、欧州は本格的に地政学上のゲームにおけるメインプレーヤーグループから脱落することになります。

もちろん、これにアメリカのトランプ大統領は猛反対しています。COVID-19をChina Virusと呼んだのは序の口として、その後は、「中国の初期対応の著しい遅れがパンデミックを招いた」と非難したり、「WHOは中国の手下だ」と拠出金の停止を宣言したりと、中国に傾きかけている地政学上の覇王としての地位を取り戻し、必死に死守しようとしているように見えます。

アメリカのジャーナリストであり、多数の著書を持つカプラン氏と話した際にも同じような見解を持っていました。

現在、アメリカ合衆国は全土でコロナウイルスの感染拡大に苦しめられ、まだ出口が見えませんが、大統領選対策のみならず、トランプ大統領に経済活動の再開という大きなギャンブルを打たせようとしているのは、この中国の動きに対する焦りと牽制と受け取ることが出来ると考えます。

アメリカは、軍事的なプレゼンスでは、普段は、世界すべての海に海軍基地を持ち、地球上どこでも即時に作戦展開できる唯一のスーパーパワーですが、現在、COVID-19の感染が軍部に拡大することで、“すべての海に展開中”の艦隊の作戦能力を著しく低下させるか停止を余儀なくされており、軍事的な重しが効いていない状況といえます。

ゆえに、南シナ海での中国の野心的な覇権へのチャレンジにも効果的な対抗が出来ていませんし、エチオピアおよびその周辺の“中東と北アフリカをにらむ対テロ作戦の基盤”においても、中国の進出に対抗できていません。

実際に米中が交戦すれば、まだアメリカに圧倒的な優位があると言われていますが、両国間での直接戦争が非現実的である状況下では、作戦能力と抑止力の低下は大きな戦略上の痛手となり、アメリカの地政学上の支配能力への疑念を拡大する結果になりかねない事態です。

それゆえに、経済力での対応力を一刻も早く回復させるために、都市封鎖や活動制限を緩和するような圧力を各州知事にかけているのだと考えます。

ドルはこのような状況下でも世界の基軸通貨として君臨していますし、NYSEも世界最大の株式市場として、株価のパフォーマンスが即時に他国のマーケットを揺らすという構図は変わっていませんが、COVID-19の感染拡大は、製造を止め、物流を止め、人の移動を制限し、雇用を大幅に失い、米国経済基盤を脅かしており、その悪影響が世界経済に広がる震源地になりつつあります。

科学的根拠あり。もっとも感染症に掛かりやすい血液型は何型か

科学的な根拠はまったくないとされる血液型占いですが、「感染症にかかりやすい血液型」と「血液型別の弱い感染症」があり、さらにそれらが科学的に認められていることをご存知でしょうか。今回の無料メルマガ『毎朝1分! 天才のヒント』では著者の倉橋竜哉さんが、そんな少々衝撃的とも言える真実を紹介しています。

ちがうということ(血液型のこと)

4重人格と言われるふたご座AB型の倉橋竜哉です^^;

「血液型と感染症の関係」について話していたのは、つい先程のことでして、今朝の朝5時会では、血液型の話をしておりました。

A型はまじめとか、B型は自分勝手とか、O型は情熱的とか、AB型は変態とか…血液型で性格を決めつけるような風潮もありますが、それはどうなのかな…と思う所は正直あります。

A型で不まじめの人もいるでしょうし、B型で空気を読みすぎる人もいるでしょうし、O型で消極的な人もいるでしょう。そんなに簡単に性格って決められるものではないんじゃないのかな、と。まあ、AB型の人はたいてい変態ですけどね。本人が言うのだから間違いないです(おいおい!)。

…それはさておき、血液型で性格を決めるのはどうかと思いますが、血液型によって「感染症のかかりやすさ」に違いがあることは科学的にわかっておりまして、血液型は、赤血球などの細胞の周りにまとっている糖の鎖(オリゴ糖)で決まるのですが、自分の血液型と似たような糖の鎖を持っている病原菌は、侵入を許しやすいということがあります。

「血液型だけで決まるわけではない」ということを前置きしつつ一般的に、O型の人は感染症にかかりづらく、AB型はかかりやすい傾向があります。そして、

  • O型は、ペスト、コレラ、大腸菌に弱い
  • A型は、天然痘、肺結核、マラリア、ノロに弱い
  • B型は、肺結核、肺炎に弱い
  • AB型は、梅毒、天然痘、肺炎に弱い

と言われています。最近猛威を奮っているあのウイルスと血液型の関係も、すでに調査結果が出ています。

繰り返しになりますが、血液型だけで決まるわけでなく、諸説ありますので、あまりこの分類に囚われすぎないほうがいいと思います。

それよりも、生き物は「血液型」という多様性を持っておくことで、ある特定の病原菌が猛威を奮ったとしても、それぞれに強い個体、弱い個体がいることで、「種」として生き残る確率を高めている…というのが面白いな、と思いました。

たとえば、日本人はA型の人が多いから、みんながA型だったら輸血とか便利なのに…なんて思う人もいるかもしれませんが、仮にみんながA型になると、特定の病原菌が蔓延して、一気に全滅しかねないわけです。

みなが同じではないこと、「多様性」とか「ダイバーシティ(Diversity)」と言われることありますが、血液型を調べてみると、多様性というのは、「強さ」なのだなと改めて感じます。逆に同一性が高まるほど、環境の変化に一網打尽でやられてしまう可能性が高くなります。

多様性を容認する風潮とは逆に、「同調圧力」みたいなものが生まれることってありますよね。他と違う人に対して攻撃的になったり、個人的なことなのに、なぜか世間に謝罪を求める風潮が生まれたり

私が個人的に書いている、この小さなメルマガですら「〇〇について書け」「〇〇を拡散しろ」とか「もっと世間の流れに合わせなさい」というようなメッセージが届くことがあります(ご期待に添えずゴメンナサイ)。

世の中の風潮が息苦しくなればなるほど、そんな同調圧力が強くなるのかな…と感じております。でも、そんなときだからこそ「多様性」という強さが必要なのではないでしょうか。

ココロに余裕がある時って、周りの人が自分と違っても「まあ、そういう人もいるよねぇ」なんて、わりと簡単に受け入れられるものですが、ココロの余裕を失うと、ちょっと自分と周りが違うだけでイライラしたり腹が立ったりすることはないでしょうか。

命を守るためのルールはみんなで徹底する、というのは言わずもがな、ですが、強さが求められる今だからこそ、多様性を受け入れる「寛容さ」「ゆるせるココロ」を持っておきたいと思う今日このごろです。

これをお読みのあなたは、同調圧力を感じたことはありますか?同調圧力をかけそうになったこと、かけてしまったことはありますか?

★まず私からあなたにこの言葉をお届けします

「同調圧力を感じたことはありますか?」

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現役精神科医が教える、「新型コロナウイルス恐怖症」の扱い方

あまりに突然に人の命を奪う、新型コロナウイルス。罹患しないよう注意するに越したことはありませんが、恐怖のあまり日常生活に支障をきたすレベルにまで陥ると、また別な問題が立ち上がってきます。「正しく恐れる」ためにはどのような考え方が必要なのでしょうか。今回の無料メルマガ『セクシー心理学! ★ 相手の心を7秒でつかむ心理術』では著者で現役精神科医のゆうきゆう先生が、「理想的なスタンス」をレクチャーしています。

新型コロナウイルスと不安症状

こんにちは。ゆうきゆうです。

さて最近、精神科で「新型コロナウイルスが怖い。いくら手を洗っても消毒しても、世界中がコロナウイルスにあふれて、何をしても絶対に逃れられない」というような訴えの方が多いようです。

強迫症状と病気への恐怖

実際に精神科では「強迫症状」というものがあります。たとえば「手が汚れているのでは!?」という過剰な不安があり、その結果、何度も何度も手を洗い、あかぎれてしまっても止められない…。そんな状況のことを言います。別に「不潔恐怖」と言うこともあります。

実際、今回の新型コロナウイルスに限らず、感染症というものは目に見えないものです。細菌しかり、ウイルスしかり、です。それもあって、精神的に不安定になってしまうことで、それらを過剰に心配してしまうこともあります。

バランスを大切に

もちろん、今回の感染症に関しては、とにかく防御に越したことはなく、手洗いや殺菌などに非常に重要な意味はあるかと思います。そのため、心配しすぎて悪い、ということはないでしょう。

しかしながら、精神疾患というベースがある場合、あまりにそれが気になりすぎてしまうこともあります。その場合は、やはり極度の不安症状として、投薬や心理療法などで、ちょうどいいバランスまで調整していく必要がある、というわけです。

気にしつつも前向きに

新型コロナウイルスで非常に大変な時期ですが、精神科的にもそれをキッカケとして悩まれる方は非常に多いものです。心配は不安を持ちながら、前向きな気持ちでと感染防御を徹底する、というスタンスでいるのが理想的かもしれません。

ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。

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湘南ドライブは我慢。「今しかできないこと」で「Stay Home」を

新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために、外出自粛や他者との距離を保つ「social distancing」を意識することなどの制約を窮屈に感じている人が多くいます。「マイカーなら大丈夫」との考えか、関東では海辺などに繰り出す人たちで混雑し、問題にもなっています。そんななか、メルマガ『8人ばなし』著者の山崎勝義さんは、「今でもできること」を探して行動するのではなく、「今しかできないこと」に取り組むのが心を健全に保つには良いと、具体例を上げながら推奨しています。

『social distancing』のこと

「social distancing」
医学生理学的問題である感染症を医療ではなく社会学的方策をもって封じ込めようとする試みである。この効果を最大限に得るためには、不要不急の外出自粛は勿論のこと、やむなく出るにしても他者との距離を十分に保ち続けることを常に意識しなければならない。

ただ、外出せざるを得ない人に十分な距離を確保してもらうためにはそれ相応の物理的空間が十分に残されていなければならない。徒に空間を埋めるようなことはしてはならないのである。ここにおいて、何よりも「Stay Home」こそが第一義的に重要であることが分かる。このような極端な(自主的)行動制限下にある時、我々はどのようにして日々の暮らしを送って行けばいいのだろうか。

こういう時「今でもできることは何か」と考えるのはあまり得策とは言えない。何故かというと、通常よりもその選択肢が極端に少なくなっていることに窮屈さを感じるばかりだからだ。映画もダメ、ライブもダメ、遊園地もダメ。あれもこれもダメとなると残るのは車での外出くらいしかない。少なくとも車内空間は安全だからだ。

とは言え、都内から週末に出かけるのにちょうどいい場所は意外に少ない。無限にあるように思えてもパッと浮かぶ所はそうはないのである。このところ報道されている、鎌倉、湘南、江ノ島辺りの大渋滞、大混雑の原因はこれである。正直、純粋ドライブだったら一向に問題はない。どこにも駐車せず、どこをも歩かず、どこへも行かずのドライブならである。しかし、せっかく来たからには何かしたくなるのが人情である。結果、当該地元住民に大迷惑を掛けることになってしまうのである。

発想を変えよう。「今でもできることは何か」を探すのはもうやめて「今しかできないこと」を見つけるのである。例えば、先のドライブにしても目的地は無しにして、ただ1、2時間ばかり高速を走る。音楽をかけ大音声で歌えば、もう車内は移動式のカラオケルームである。家族でやっても一人でやっても意外に楽しい。一般道だと車外に音が漏れて大いに迷惑だろうが、高速なら信号待ちもないから問題ない。それに1、2時間程度ならどこにも立ち寄らずノンストップで行ける筈である。

コロナ休校時の家庭内虐待問題に学校はどこまで踏み込むべきか

新型コロナウイルスの感染拡大に伴う自粛要請や休校が長引くに連れ、家庭内での児童虐待が深刻化しています。子供たちの未来を奪うと言っても過言ではない虐待に、私たちはどう向き合い、どう防ぐべきなのでしょうか。今回の無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』で現役小学校教諭の松尾英明さんが、その対処法について考察しています。

児童虐待を防ぐのが第一

今社会問題となっているのが、家庭内ストレスである。外に出られないことによるストレスもあるが、家族がずっと家にいるのも、これはこれで厳しい現状がある。

家族全員が、自分にやることがあって、それに集中しているならそんなに問題は起きない。独立した空間があったり、互いに心地よい距離感でいられるのならそんなに問題は起きない。

そうでないから、困っているのだと思う。一人一部屋あるとは限らないし、家族間がいい人間関係とも限らない。

家族の中には、やるべきことが見つからない、やる気がしないという人もいるだろう。家でごろごろしているだけの家族を見て、いつも家事をしている母親的立場の人が、叱咤したくなるのも頷ける話である。言われた方も自分が家にいたい訳でもなく、仕方がないからこうしてるだけで、尚更腹が立つという、悪循環である。

ストレスフルな空間に集団がいる時、最もその実害を受けるのは、力と立場の弱い者である。これは教室でも職場でも家庭でも同じである。

教育の分野からすると、現状一番気になるのは、全国の家庭内の虐待問題である。

家庭だと、子どもがストレスのはけ口になりやすい。ガミガミ言いたくなるのも、実はそれを言っている側にストレスが溜まっているからという場合が多い。子どもが悪いと思い込んで正当化しているが、実は無意識に自分のストレスを相手の問題として投影しているということがある。

これは、精神科の医師や、カウンセラーの人にとっては、常識であり、よくよく知っていることである。

子どもについての悩みで精神科へ受診に来る親子に対し、ある医師は子どもを「見なし患者」と呼ぶという。なぜ「見なし」なのかというと、本当に治療すべきは、子どもではなくその親ということがとても多いためである。つまり、確かに子どもは精神的に病んではいるが、その原因は親にあり、親の方こそが精神的な疾患をもっているということが多いからである(参考文献:『平気でうそをつく人たち』M・スコット・ペック著 森英明 訳 草思社)。

余談だが、この本には興味深い話がたくさん書かれている。このような病理をもった人間は、自分の非を決して認めず、それを全て他人の責任にすり替える。その対象は、日常生活では子どもであり、学校では教師であり、病院ではそれを直せない医師である。その技術は「賞賛に値する」ほど鮮やかだという。また、あらゆる外面を装うことに異常なまでの執着があるため、社会でも非常な成功を収めていることが少なくないという。最近よくきく「サイコパス」というのも、この類である。

さて、この本にもあるが、全ての親が子どもを心から愛している、大事にしているかというと、そんなことはない。この本では「邪悪」と強い表現をしているが、そういう親も少なからずいるのが事実である。児童虐待の惨状を見れば明らかである。

学校の教員は、子どもの保護者である親を悪く言うことはあり得ない。親は子どもを大事にしていると信じる、というのが前提である。

しかし、実際は、この前提を疑った方がいいことがある。きっとそうなんだろうけれども、そうじゃないかもしれないという、冷静な頭を常にもつことである。なぜならば、私も含め、親という立場は、結果的になっただけであり、子育てのプロフェッショナルという訳ではないからである。学校の教員は、子どもの健やかな成長を第一義として存在するため、そういう視点も確実に必要である。

さて、長々書いた理由は、子どもの安否確認や、こまめに連絡をとることの重要性を言いたかったためである。ずっと連絡をとれていないで、その子どもは本当に大丈夫か。これは、前年度からの引継ぎ情報が特に大切になる。

家庭訪問があまり推奨されない現状である。顔を見るのが一番なのだが、実際はなかなか難しいと思う。

虐待どうこうが全く考えられないような家庭にもコンタクトすべきである。子どもとつながるのが教員、特に学級担任のいの一番の優先的な仕事だからである。更に、担任とつながっているか否かで、学習への取り組み状況も全く異なるのだから、確実に何かしらで連絡をとる必要がある。

せめて本人に電話をするとか、何かしらのコンタクトの手段をもって、学校全体で子どもの安全を第一に考えていきたい。

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【書評】フォーサイスが伝える日本人のイメージと違うBBCの姿

『ジャッカルの日』で華々しい小説家デビューを飾ったフレデリック・フォーサイスが、小説のような人生を綴った自伝『アウトサイダー 陰謀の中の人生』をお勧めするのは、メルマガ『NEWSを疑え!』を主宰する軍事アナリストの小川和久さん。ナイジェリア内戦を取材した著者が不信感を募らせることになったBBCの対応は、小川さんがイメージしていたBBC像を覆すものだったようです。

フレデリック・フォーサイスの自伝

デスクワークの合間に、イギリスの作家フレデリック・フォーサイスの自伝『アウトサイダー 陰謀の中の人生』(角川文庫)を読み終えました。フランスのド・ゴール大統領暗殺未遂事件を小説化した『ジャッカルの日』でデビューした世界的なベストセラー作家です。

私も1度、湾岸戦争を扱った『神の拳』(1994年、角川書店)のキャンペーンで来日したとき、東京・銀座のホテル西洋で会ったことがあります。雑誌『プレジデント』の対談でした。

フォーサイスは優れたジャーナリストですが、同時に自伝『アウトサイダー』の帯に謳ってあるように「MI6の協力者」という横顔も持っていました。アウトサイダーにしてインサイダーと書いているとおりです。ジャーナリストとしての経験に加え、情報活動にも関わったことがあるとなれば、それを踏まえた小説が面白くないわけはないでしょう。

そこで自伝『アウトサイダー』ですが、お堅い話からいくと、ネルソン・マンデラが政権に復帰する直前の段階で、南アフリカが6個保有していた原爆を放棄することについて、じかに南アフリカのデ・クラーク大統領の盟友ピック・ボタから聞き出したエピソードは、歴史に残る成果かも知れません。

このときは、既にフォーサイスは世界的に有名な作家になっており、その関係でこの南アフリカのピック・ボタとも親交があったのですが、英国秘密情報部(SIS、通称MI6)の依頼でピック・ボタの休暇先に出かけ、一緒にハンティングをしたあと狩猟ロッジの中で、それも就寝前に聞き出したのです。これに対して、ピック・ボタも「フレディー、国へ帰ってきみをよこした人たちにいうといい。われわれはそれを廃棄するつもりだとね」と大人の返し方をしています。

いまひとつはジャーナリズムについて。フォーサイスはイギリスの地方紙からロイター通信を経てBBC(英国放送協会)に移り、ナイジェリアの東部州ビアフラの内戦を取材します。当時、イギリス政府はビアフラの反政府勢力を弾圧していたナイジェリア政府を支持し、武器・弾薬まで供給していました。

しかし、イギリス政府の方針は現地の事情を把握しようともしない高等弁務官の報告に基づいており、フォーサイスはBBC本社にその旨を報告し続けます。これに対して、政府の意向でしか動かないBBC本社はフォーサイスの報告を無視し、そういう不信感に対してフォーサイスは辞表を叩きつけます。

フォーサイスの自伝『アウトサイダー』に出てくるBBCは、私が抱いていたイメージを打ち砕くものでした。NHKの腰の引けた報道や不祥事が出るたびに、「同じ国営放送といってもBBCは違う。政府と対立してでもニュースを放送している」といった声が聞こえたものですが、これは多くの日本のジャーナリストが抱いているBBC像が、まったく調査不足の代物だったことを物語ってもいるのです。

ビアフラの現地で、フォーサイスは多くの新聞が情報源に触れない無責任な記事を報じていることも厳しく批判しています。情報源の身元が割れないようにする一方、それが確かなニュースソースかどうかは踏まえなければならないというのがジャーナリズムの鉄則ですが、欧米の新聞でもそれがおろそかになっているという怒りです。これは1960年代末のことで、日本の新聞・テレビの欧米メディアへの崇拝が普通だった頃ですが、それだけに日本のメディアの水準について、色々と教えられます。

フォーサイスがフリーでは食っていけなくて、処女作『ジャッカルの日』を出版社に持ち込んでは門前払いに近い扱いを受けるくだりも、身につまされて読みました。とにかく、面白い自伝です。テレワークの合間に、あるいは、がらんとしたオフィスで、眺めてみてはいかがでしょう。(小川和久)

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