嫌われても構わない。日本シンクロ界の母・井村雅代の「叱り方」

「日本シンクロ界の母」と呼ばれ、指導した各国で計13個もの五輪メダルを獲得という輝かしい実績を持つ井村雅代さん。厳しい指導でも知られる井村さんですが、今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、そんな井村さんの「叱り方のコツ」を紹介しています。

井村雅代流 人の育て方

試合が終わった時に、やっぱりこの先生についてきてよかったと言わせたい。いつもそう思いながら指導しています。

この頃は特に、この子たちの人生の大切なひと時を預かっているんだと強く思うようになりました。自分の導き方一つで全く違う人生を辿ることになる。だから一人ひとりの人生を大事にすること。それは特に心掛けています。

ですから日々の練習では、一つでもいいから絶対に上手にして帰らせようという思いで指導するんです。しんどいだけで終わらせてはいけない。何か一つでも進化した自分を体験させてやろうと。

選手を叱る際に心掛けていること

叱る裏には責任があります。それはしっかり自覚しなければいけません。私もできることなら褒めて勝たせたいですよ。でも残念ながら難しい。褒めたらその子は、これくらいでいいんだって思い込んでしまうんです。

NGを出して、もっともっとってさらに上を求めるのは、その子の可能性を信じているからなんです。この子たち一人ひとりにものすごい可能性がある。私はそう信じているんですよ。

もちろん、たまには褒めたいって思うこともありますよ。それでリオ五輪の時、決勝前の練習でちょっと褒めたらデレデレ緩んできたんです。これはあかん! と思ってまた叱りましたけど、最後までそんなことを繰り返していましたね。

やっぱり人というのは、追い込まれて追い込まれてもっともっとって求められるところから、本当の力って出るんじゃないでしょうかね。

叱るコツは三つあると私は考えます。一つは現行犯で叱ること。二つ目が直す方法を教えること。三つ目がそれでOKかNGかをハッキリ伝えることです。そこまでやらないなら叱ってはダメ。それは無責任です。

代金 or 料金? 紛らわしくてイライラする漢字の使い分け3選

「ひとり」「まわり」、いずれも日常的によく使う言葉ですが、いざ漢字で書こうとなると、「あれ、この場合はどの表記だっけ?」となってしまいがち。さらに、「代金」と「料金」などという曖昧な言葉の使い分けにも迷ったり…。今回の無料メルマガ『仕事美人のメール作法』では、そんなややこしい漢字や言葉の使い分けについて、著者の神垣あゆみさんがわかりやすく解説しています。

「ひとり」の表記

1人」と「一人」と「独り」。

いずれも「ひとり」と読みますが、それぞれに使い方が異なります

人数を示す場合は「1人」。

例)3人のうち1人が有資格者です。

一人」は成句慣用句決まり文句で用います。

例)一人息子、一人天下

独り」は単独独立の意味合いで使います。

例)独り言、独り占め、独りぼっち

上記は新聞の統一表記によるものです。「一人」か「独り」か迷う場合は、「一人」とします。

「ひとりあるき」は2種類の表記があり、「一人歩き」は文字通り、一人で歩くこと。

例)夜道の一人歩き

独り歩き」は、独立物事が勝手に進むことを指します。

例)経済的に独り歩きできるようになった。
  言葉の独り歩き

「独り歩き」に似た言葉に「独り立ち」があります。これも文字通り、独立、誰からの援助も受けず自分一人で生活していくことを意味します。

例)親元を離れ、独り立ちする。

【都立大学】あのラーメン官僚が開店前に並んだ中華そば【あの小宮】

日本全国に数多あるラーメンの中でもとっておきの一品を食べ歩きながら紹介する、ラーメン官僚かずあっきぃこと田中一明さん。まぐまぐの新サービス「mine」で無料公開中の、田中さんの記事から本日ご紹介するのは、東京・都立大学「中華そばあの小宮」の中華そば。今まで12,000杯のラーメンを食べ歩いたラーメン官僚が、魚介の滋味の深奥が徐々に姿を現してくると評した、「あの小宮」の中華そばのお味とは?

オススメ!【ラーメン官僚かずあっきぃの麺遊記】中華そばあの小宮

中華そばあの小宮@都立大学にて、中華そば。

8月11日にオープンしたばかりの新店。

千駄木に本店を構える一大ブランド『つけ麺TETSU』の創業者である小宮氏の弟子が、同氏へのリスペクトを込めて、同氏の名を屋号に冠した店舗をオープン。

8月11日は折しも、小宮氏が千駄木の地で本店を開業したその日に当たる。

いわば、メモリアルデイ(記念日)であり、その日をオープン日に選んだのも粋な計らい。

オープン前に店前に到着。店を開ける5分ほど前からシャッター待ちの客が現れ始め、オープン時には10名程度の列になっていた。

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オーダーしたのは、基本メニューである「中華そば」。待ち時間5分程度でメニューが卓上に到着。

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スープは、煮干しのうま味を程良く利かせた淡麗醤油。

これまで、小宮氏のラーメンと言えば、どこか一点を突出させ、食べ手に印象を形成させるタイプのものが多かったが、今回、第一に考えられているのは、素材間のバランスを取ること。

確かに「きみはん」など、既存ブランドのそれとは異なり、煮干しが独走することなく、豚骨・豚肉・鶏ガラと仲良く共存している。

中盤以降、魚介の滋味の深奥が徐々に姿を現してくる。

なるほど! これは美味い。

必ずや、都立大学駅前の新しい顔になることだろう。

自身が食べて美味かったラーメンのみUPする、田中一明さんの記事をチェックしたい方はこちらでフォロー

DATA

中華そばあの小宮

営業時間 11:30〜15:00 17:30〜23:00

住所 東京都目黒区中根1-5-1

定休日 なし

山手線の車内で荷物から煙。神田駅ホームは一時騒然

9月11日の13:23頃、山手線・神田駅のホームに停車中の山手線車内で、乗客の荷物(リュック)から煙が上がり、ホーム上で消火作業が行われた模様。この影響で山手線、京浜東北線は一時運転を見合わせていたが、現在は運転を再開し遅れが出ているという。リュックの中身や詳しい状況についてはまだわかっていない。現在Twitter上では、乗客による現場写真や、現場の状況を伝えるツイートが多数投稿され、消火作業による煙で騒然となった駅ホームの様子が確認できる。(随時更新)

 

 

 

 

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鳥貴族がとうとう値上げ。改正酒税法で居酒屋業界全体にも波及か

鳥貴族をはじめ、外食各社が続々と酒類や一部メニューの値上げを発表・実施しています。この背景に、酒の安売りを規制する改正酒税法の施行があるとするのは、無料メルマガ『店舗経営者の繁盛店講座|小売業・飲食店・サービス業』の著者・佐藤昌司さん。若者の酒離れが囁かれる中にあって、今回の値上げは居酒屋業界にどのような影響を及ぼすのでしょうか。佐藤さんが店舗経営コンサルタントの視点で分析しています。

鳥貴族、日高屋、串カツ田中が値上げ。お酒の安売り規制が影響?

外食業界でお酒の値上げが相次いでいます。

鳥貴族は10月1日から、全品均一価格280円(税別)から298円(同)に引き上げると発表しました。28年ぶりの値上げといいます。焼き鳥はもちろん、お酒も値上げとなります。

人件費の上昇や食材の仕入れ価格の高騰、改正酒税法の影響でコストの上昇が見込まれることを理由としてあげています。

日高屋も9月から値上げを実施しました。生ビールは310円(税込)から330円(同)になりました。ハイボールは270円から280円、日本酒は300円から310円、ホッピーセットは370円から380円になるなど、お酒は10~20円が上乗せされました。お酒以外では、餃子やイカ揚げを値上げしています。

値上げの理由として、原材料価格や物流費の上昇、人手不足を背景とする人件費の高騰をあげています。改正酒税法の影響もありそうです。

串カツ田中もビールやホッピーセット、各サワー、各カクテルなどを390円(税別)から399円(同)に値上げしています。値上げ金額が9円とわずかで、400円の大台に乗せない範囲に収めたと考えられますが、そこに苦心の姿がうかがえます。わずかでも値上げせざるを得ない状況にあったといえるでしょう。

外食各社のお酒の値上げは、6月に改正酒税法が施行されたことが影響しています。これにより、仕入原価と販売管理費の合計を下回る金額でお酒を販売できなくなりました。メーカーからのリベート(販売奨励金)が減ったこともあり、お酒を販売する企業はコスト上昇圧力にさらされていました。

スーパーでは先行して値上げが行われました。スーパーはお酒を安売りして集客の目玉としていましたが、お酒は数ある商品の中の一部にすぎず他の商品で代替しやすいため、改正酒税法の施行直後にお酒を値上げしても、必ずしも客離れにはつながりません。そのため施行直後、多くのスーパーの店頭でビール類の価格が1割ほど上昇しました。

一方、お酒を扱う外食業界ではそうはいきません。スーパーと違い、お酒が中核商品であることが少なくないためです。お酒の値上げが客離れに直結しやすいといえるため、多くの飲食店が値上げを躊躇している状況です。

警察官の「自転車逆走」を激写。PTA女性理事の執念が生んだ謝罪

メルマガ『ジャンクハンター吉田の疑問だらけの道路交通法』の著者で交通ジャーナリストの吉田武さんが、現役の警察官Tさんへのインタビューで「自転車の取り締まり」に関する裏話を暴露する当シリーズ。「警察官の違反もみ消しの実態」について語られた前回に続き、今回は「警察官を動画撮影したがる民間人」の現状など、興味深い裏事情を明かしています。

軽車両の自転車はどこまで車両や歩行者と共存できるのか? その11

【関連記事】警察官が警察官のスピード違反を見逃すことがある、は本当か?

Tさん:私が交番勤務時代に近隣の住民の方から似たようなクレームが来たことがあります。道路の逆走に関してだったんですけど、警察官になってまだ1年目だったでしょうか。若い巡査が道路の逆走を頻繁にしていたようなんです。

そのクレーム入れてきた方は小学校のPTAで理事を務めている女性でして、「学校の前で自転車の逆走を警察官がされていると、生徒たちにも悪影響が出てしまいますのでやめてほしいんです。警察官は市民の模範になる運転をするべきです!」と結構強い口調で…。私がちょうど交番にいましたので、そのクレーム対応を致しました。

しかし、逆走しているのがどの警察官なのかその段階ではわからず、論より証拠が警察官の仕事でもありますので「大変申し訳ありませんでした。今後そのようなことのないよう努めます」みたいな当たり障りのない対応をしたのが悪かったんでしょうね。「逆走している警察官を調べてくれないのでしたらこちらでその証拠を用意します!」と、何かのスイッチを入れてしまったのかどうか不明ですが、その方の逆鱗に触れてしまったようで、怒って帰ってしまったんです。それから1週間か10日ぐらいしてからでしょうか、再びその方が交番を訪れたのです。

吉田:おお、不謹慎ながら何かドラマチックな展開に期待してしまいます!(苦笑)

Tさん:当時は今ほど自転車の無謀運転に対して法律的な厳しさはなかったものの、そこはやっぱり小学校のPTA理事。自転車も左側走行を守らせたり、歩道走行は注意したりと結構理事の方は交通安全に関して厳しいと伺っていました。

そしてその理事の方が交番へやってきまして、ポータブルDVDプレイヤーで何かしらの映像を見せるんです。何かと思ったら、小学校の校門前で自転車で堂々と逆走している警察官だったんです。その警察官の映像を見ると、横顔の特徴で私の先輩であることが確認できたんですけども、既に先輩は別の所轄へ異動になっていて、私がいた交番には在籍していませんでした。まさか証拠となる映像を……と言いますか、小学校の防犯カメラの映像をPTA理事の方が持参するとは思っていなかったので、驚いたのと同時に、巡査部長含め、改めてその小学校へ数名で謝罪しに行ったんです。

吉田:偉いですね。警察官は謝らないことで有名なのに!

Tさん:既に異動して在籍していないとはいえ同僚のミスですし、特に子どもたちには模範となる運転を心がけるのが警察官の使命ですから謝罪することは当然だと思いました。巡査部長は渋々足を運びましたが(苦笑)。

吉田:上司ってもんはそういうもんです(笑)。論より証拠を実践したPTA理事の方は個人的には賞賛に値しますよ。

最悪リーマン超えも。米国「未曾有の大恐慌」へのカウントダウン

かねてより「米経済の破綻は近い」という見方を示している、メルマガ『高城未来研究所「Future Report」』の著者・高城剛さん。もし米議会の債務上限が引き上げられなければ、リーマンショックを超える未曾有の大恐慌を招くと断言するなど、米国のデフォルト問題について衝撃の事実を明かしています。

リーマン・ショックより痛手が大きい可能性も。米国のデフォルトは本当に起きるのか?

今週は、米国の債務上限問題につきまして、私見たっぷりにお話ししたいと思います。

米国債上限(debt ceiling)とは、別名「米国債シーリング」と呼ばれており、米国法によって米国債を発行する上限金額を指します。

米国政府は財政赤字を支えるために、年々米国債を発行して借入をする必要があり、ただし債務上限に達っした場合、議会が債務上限の引き上げに応じなければ、借入できなくなってしまいます

この債務上限を引き上げる場合、リバティボンド法に基づき議会に財政政策に対する監督権と情報公開・財政ルールの評価を進める機会を与え、議会の同意を取る必要があるのです。

債務上限を引き上げられなければ、国防や社会保障における支出を中止させられ、米国はデフォルト債務不履行)になり、世界経済全体にわたる金融危機の恐れが派生します。

いままでも何度も債務上限を引き上げられない局面に米国議会はありましたが、都度、茶番だとプロレスだの出来レースだと言われ、常に問題をクリアしてきた経緯が確かにあります。

しかし、現在の米国大統領は、誰もが予測しなかったドナルド・トランプです。

スピッツの音楽性が人々の「心のケア」になる理由

結成30週年を迎える「スピッツ」。彼らの音楽は今も昔も変わらず、気がつくと口ずさめてしまうような誰の耳にも残る親しみやすい楽曲が特徴です。メルマガ 『ジャーナリスティックなやさしい未来』の著者でジャーナリストの引地達也さんは、彼らについて「言葉の展開と音楽性はケアそのもの」とし、スピッツの音楽に癒やしと親しみやすさ、そして深みがあることの根拠について記しています。

スピッツの世界観に「ケア」を感じる

歌で展開される「作り上げられた世界は、立体的な輪郭を帯びて、私の中にある感情の隅っことシンクロする─。

結成30周年となったスピッツの楽曲はいつも私の隅っこに語り掛けてくる。こういうことかな?と。それは押し付けではなく、寄り添おうという奥ゆかしさ、そして、悩んで虚空を見つめる私の横にいつの間にかぽつんと横に座ってくれる親しみやすさ、がある。

こんなことを書きながら、私はスピッツのコンサートに行ったことはないし、新曲やアルバムの発表を心待ちにしてすぐに購入し、コレクションするような熱心なファンではない。

いつも気が付けばそこにスピッツの曲があった、というのがスピッツとの付き合い方であり、距離感

それが最も心地よい。

今回、デビュー以来のシングル曲を集めた3枚組のアルバム『CYCLE HIT 1991-2017』を聴いて、「大人」になる自分、その歩みもシンクロする。

ケアの仕事をしながら、ケアを研究対象にする自分にとって、ケアなるものには人より敏感になったと思う。音楽でも、ケア性を帯びたものとそうでないものを分けたとき、スピッツのケア性は際立っている、と感じている。

歌詞がすべて日本語であるが故の紡がれた言葉の繊細な響きは、傷付いた心を癒す行為に直結する。前述のように「社会に溶け込んでいく」自分に重ね合わせていってしまう。

例えば1991年のメジャーデビューのシングル「ヒバリのころ」は、大学1年生で初めての海外一人旅でニューヨークの下町に1か月間、アパートを借りて疑似海外生活を楽しみながらも、自分の無力感にも気づいた頃である。

歌詞には「目をつぶるだけで遠くへ行けたらいいのに」とあると同時に、ほろ苦い若い時の決意がこううたわれている。「風に飛ばされるまで気まぐれな蝶 僕らこれから強く生きていこう 涙がこぼれそうさ ヒバリのころ」。

多くの人がスピッツを知ることになる1995年のヒット曲「ロビンソン」は、今までの瑕疵の世界を宇宙に広げる大きなスケールの作品で、校舎のガラス窓をバイクに乗って叩き割っていた尾崎豊風の青春のエネルギーは、この歌で宇宙に持っていかれたのである。

「大きな力で 空に浮かべたら ルララ 宇宙の風に乗る」(ロビンソン)。

涙がキラリ」では「何も知らない惑星は 世界をのせて まわっているよ」とこの世界を惑星と表現する。俗世の猥雑な悩み事は「宇宙」の概念ですべて解決できてしまうような魔法の法則をさらりと歌っているようで、身近な日本語の言葉の数々は普遍的で拡がりが大きい。

その言葉は確実に人との関わり合いをあきらめない、そして癒し癒される関係性を維持しようとする優しさがある。

同時に人が孤独であることも知っているから深みもある

「君の心の中に棲むムカデにかみつかれた日 ひからびかけた僕の 明日が見えた気がした 誰かを憎んでいたことも 何かに怯えていたことも 全部かすんじゃうくらいの 静かな夜に浮かんでいたい」(流れ星)というように。

日本語と宇宙概念と同時にケア性を考える際、重要なポイントは自然界のモチーフである。

意外な生き物や植物が歌詞に登場し、それは一瞬目くらましのような効果となるが、実はメタファーとしては含蓄があり、存在感は重厚である。
「あわただしい毎日 ここはどこだ? すごく疲れたシロクマです 強い日差しから 逃れて来た しびれが取れて立ち上がれば」(シロクマ)、「まばゆい白い世界は続いていた また今日も巻き戻しの海を エイになって泳ぐ」(雪風)、「こんな気持ちを抱えたまんまでも何故か僕たちはウサギみたいに弾んで 例外ばっかの道で不安げに固まった夜が 鮮やかに明けそうで」(歌ウサギ)。

自然と心のモチーフは、嫌みがない

これらの言葉の展開と音楽性はケアそのものだという認識に立つ時、私もスピッツの歌のような仕事をしたいと思い至る。

そして、誰かと共有し、ケアなる行動につなげたいと考えてしまう。そう考えながら、明日もまた仕事中に頭の中では、スピッツがリフレインするのだろう、と思う。

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会社に給料の「請求書」を出そう。1カ月の成果を振り返るために

ビジネスの世界で、取引先に請求書を出すことは当然の行為です。ところが、サラリーマンが給料をもらう時、会社に請求書を出す人はいませんよね? 今回の無料メルマガ『サラリーマンで年収1000万円を目指せ。』では、著者の佐藤しょ~おんさんが、外資系コンサルにいた時の経験も交えつつ、会社と自分の関係を“なあなあ”にせず、「自らの成果を相手に提示できる」請求書の効用について紹介しています。あなただったら、今月の給料をいくら会社に請求しますか?

請求書を出す自信

みなさんもビジネスパーソンとして仕事をする業務プロセスで、請求書を発行するってありますよね。

そもそも会社って、仕事をしても請求書を出さなきゃ支払い義務はありませんから。ほとんどの場合、請求書を出すまでおカネは振り込んでくれませんよ。これ、会社対会社なら当たり前の常識です。

それなのに、会社対サラリーマンになるとこの図式が壊れるんですよね。だってみなさん毎月会社に請求書を出したりしないでしょ。25日の給料日になったら何もしなくても、勝手に会社がおカネを振り込んでくれるじゃないですか。

私はこの習慣がサラリーマンをダメにしていると思うんですよ。

だってね、請求書って書く時に緊張しますから。いくらくれ、という金額を書き込む時に、どうしたってそのウラ側で、

  • その対価として私は○○をやらせて頂きました

というのがあるわけでしょ。どうしてもそれを意識せざるを得なくなりますし、その時に、

微妙に反省だったり

  • もうちょっとこれが出来たはずだった
  • 来月はもっと頑張ろう

というネガティブな部分や、逆に

  • よっしゃ、今月も頑張ったぞ
  • 来月もこの調子でバリバリ頑張るよ
  • もっと値段を上げた方が良いよね

みたいな気分になったりするわけですよ。どちらの気分になろうが、そのひと月をチャンと精算して、首をすくめようが、胸を張ろうが、どちらにしろ相手に向かって、

  • 今月はこのような仕儀になりましたことをご報告致します

って言うのって、オトナのけじめとして大事だと思うんですよね。そこをナアナアにしてしまうのは成長のチャンスを捨てていますし、ましてやそのプロセスを踏まずに、給料が安いだの、ボーナスもっとくれだ、自分は評価が低いだの言うのは卑怯な気さえするんですよね。

評価の元となる実績を言語化して相手に提示していない、だからお互いの評価のすり合わせが出来てない、これじゃ関係性がギクシャクするに決まってるじゃありませんか。

私はサラリーマンを辞めた直後に、某外資系で数ヶ月だけ個人事業主としてコンサルをしたことがあるんですけど、この時には毎月、当初計画、実績、来月の予定、所感をまとめて出していたんですよ。これ、ひと月というタームでは非常に役に立つんですよ。

そもそも自分のやっている、任されている業務の価値が金額付きで分かるというか、認識させられるわけで、背筋がピシッとなりますから。

週報とか、月次報告書を書かされる会社があるんですが、あれじゃちょっと足りないんですよ。だって自分の手にするおカネとの兼ね合いが測定出来ませんから。同じ実績でも、月給20万の人と、40万の人とじゃその時の感情は全然別になるでしょ。

それを無理矢理にでも紙に検めさせるのが請求書なんですから。

毎月これを出さなきゃ給料をもらえないのだ、となったらサラリーマン諸氏も目の色が変わると思うんですけどね。

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池田清彦、炎上、ネット

有名人の行動にいちいち激怒。ネットで正義の味方を気取る人々

先日亡くなった小林麻央さんには、日本中の多くの人々が夫の市川海老蔵さんやその子どもたちに同情し涙しました。しかし、それから数日後に海老蔵さん一家が東京ディズニーランドに行ったことで、ネット上では「不謹慎だ」という非難の声が殺到。この一連の騒動をメルマガ『池田清彦のやせ我慢日記』の著者で早稲田大学教授・生物学者の池田清彦先生は、「バカがネットで正義の味方を気取って意見を言ってるだけ」と、かなり辛辣な口調で批判しています。

ネット社会の問題はバカが意見を言うようになったこと

ネット社会の問題はバカが意見を言うようになったことだ」とは小谷野敦の名言だが、こういうことを公言すると、待ってましたとばかりにバッシングを始める人が大勢いるんだろうね。「バカとはなんだ。失礼じゃないか。謝れ」と大声で怒鳴る声が聞こえてきそうだ。この人たちには「汝の道を歩め、そして人々をして語るにまかせよ」というダンテの言葉とは無縁なんでしょうね。

最近、小林麻央さんという方が34歳の若さで乳がんのため亡くなられた。まだやり残したことも沢山あったろうに、お二人のお子さんを残して、旅立つのはさぞや心残りだったろう。マスコミやネット上には、この人の死を悼む声が溢れていた。

 私が一番びっくりしたのは、亡くなった麻央さんの夫の市川海老蔵が妻が死んだ5日後に子供たちとディズニーランドに行ったのは、不謹慎で考えられないといった非難めいた意見がネット上にあふれていたことだ。この話自体がデマだという情報もあるが、いずれにせよ「バカが意見を言う」とはまさにこういうことだとつくづく思う。海老蔵と海老蔵の家族が、奥さんがなくなった後何をしようが、自由なのだよ。貴方の夫や妻が亡くなったとして、その5日後に子供を連れてディズニーランドに行くか行かないか決めるのも、もちろん貴方の自由であって、どちらにしても私にはなんの意見もないし、そもそも、他人のプライベートな行動にあれこれ意見を言ってコントロールする権利なんて誰にもない

こういう意見を言う人の頭には、人として正しい行動はかくあるべきとの抜きがたい偏見が染みついているのだろうが、とりあえず、法律に違反しない限り人は何をしてもいいのですよ。「人々が自分の欲望を解放する自由(恣意性の権利)は他人の恣意性の権利を不可避に侵害しない限り、守られるべきである。但し恣意性の権利は能動的なものに限られる」。これは私が最もまともな思想だと信ずるリバタリアニズムの基本テーゼである。

単純に言えば、人は他人を愛する権利、無視する権利、バカにする権利、一部の人から見て愚かと思われるようなことをする権利を有するが、愛される権利とか、ちやほやされる権利とか、バカにされない権利とか、他人の言動をコントロールする権利などはないのだ。これが、社会の公準になれば、愚かな紛争やいがみ合いは、ずいぶん少なくなると思うが(私の目が黒いうちは無理でしょうね)、困ったことに、世間のマジョリティは民主主義という制度を利用して、マイノリティの恣意性の権利を侵害する法律を次から次に作っている。別言すれば、この公準に抵触する法律は悪法なのだ。大麻取締法とか、健康増進法とかは悪法の最たるものだ。「とりあえず、法律に違反しない限り」と限定を付けたのは、そういうことだ。