根拠示さず数字を並べる読売「五輪選手ワクチン優先」の胡散臭さ

国民のほとんどが開催に疑問を持っていると伝えられる東京五輪。それでも政治家やIOC、JOC、大会組織委員会に東京都などは「安心安全な大会を実現」の一点張りで、国民の不安や不満など歯牙にもかけません。そして伝えられ始めた五輪出場選手へのワクチン優先接種の方針。今回のメルマガ『uttiiの電子版ウォッチ DELUXE』では、ジャーナリストの内田誠さんがこの問題を伝えた読売新聞の記事について、根拠も数字の内訳も示さずバッハ会長の発言をなぞるだけの記事には注意が必要と解説。JOC山下会長が語った前提条件も疑問と論じています。

五輪選手へのワクチン優先接種について新聞はどう報じてきたか?

きょうは《読売》から。五輪選手へのワクチン優先接種が進んでいるようです。既に選手村に滞在する選手の75%が接種済みだとIOCのバッハ会長が発言したようです。

そこで、「五輪選手」「ワクチン」「優先」で《読売》のサイト内を検索すると、27件にヒットしました。そのうち、選手へのワクチンの「優先接種」に触れているのは10件。まずは、《読売》1面記事の見出しから。

「五輪選手ら75%接種」
予定含め 医療者派遣案も

以下、記事概要。IOCのバッハ会長は、東京五輪・パラリンピックで選手村に滞在する選手らのうち、75%が新型コロナウイルスのワクチンを接種済みか接種予定であることを明らかにしたと。同時に、IOCとして、各国・地域の五輪委員会担当の医療スタッフを提供する意向も。日本の医療体制に配慮してのことか。さらに、「大会開催時には選手村のワクチン接種者は80%を超えると確信している」とも。

●uttiiの眼

実にあやふやな話。75%の根拠はどこにあり、「接種済み」と「接種予定」の比率はどれほどか。また「接種済み」にしろ「接種予定」にしろ、どうやって調べたのか。こういう腰だめの数字には何の根拠もないことが多いから要注意だ。80%の話も同様。

さらに、記事は末尾で触れているだけだが、外国の医療従事者が日本国内で医療行為を行うことは簡単ではない。東日本大震災の場合が例示されているが、4年に一度のスポーツ大会と1000年に一度あるかないかの巨大災害のケースを同列に論じるのは無茶だ。

【サーチ&リサーチ】

2021年1月27日付
タイトル「五輪選手らは訪日前にワクチン接種を…IOC「日本の人々を守るためにも」」の記事中、次の記述。「IOCは発表で、医療従事者や高齢者、基礎疾患がある人々などのワクチン接種が最優先だと強調した上で、社会のより広い層への接種が可能になった場合に、選手らに接種を呼びかけるとした」

*この段階では、選手を優先するという考えは見当たらない。《読売》のベテラン記者も以下の記事のように批判的だった。

「ずっと見てますよ感」を出すな。ちょうど良い客の見送り方は?

高級ブランドショプやちょっと値の張るレストランを利用した際に遭遇しがちな、違和感を抱くほどの丁寧なお見送り。「感謝の気持の表明」と重々理解してはいるものの、周りに他人がいる時などは恥ずかしさすら感じてしまうものです。翻って見送る側、すなわちお店サイドは、お客様にそのような思いをさせないためどのように振る舞うべきなのでしょうか。今回の無料メルマガ『販売力向上講座メールマガジン』では接客販売コンサルタント&トレーナーの坂本りゅういちさんが、「ちょうど良い見送り方」について考察しています。

プレッシャーを与えてはいませんか?

我が家の近所にある飲食店(フレンチの店)は、お客様が帰られる際には、毎回スタッフが店の外に出て姿が見えなくなるまで見送るというスタイルを取っています。

これについては、賛否両論あると思っていて、例えば、本当に高級かつ、購入頻度の高くない商品を扱っているような店であれば、こうした見送りは適切かもしれませんし、逆にそうではない店の場合は、お客様が引いてしまうことがあるので、避けたほうが良いという場合もあります。

結局はどれが正解なのかなんて、その時々によって変わるものなので、何とも言えないものではあります。私もこうした見送りをしていたことは結構ありますし、店によっては、今でもこういう見送り方を推奨することもあります。ただ、その見送り方自体には、もっと考えを張り巡らせるべきではないかと思います。

お客様の姿が見えなくなるまで見送る。これが絶対に悪いとは言いません。しかし、その見送りは何のためにやることなのでしょうか?お客様に対する敬意を表すため?それとも、お客様に「ちゃんと見送ってもらえているな」と気持ちよく帰ってもらうため?

これを考えると、まず間違いなく出てこないものがあります。「プレッシャーを与える」という理由です。

最後まで見送りをする理由に「お客様にプレッシャーを与えるため」と答える人はまず存在しないでしょう。ですが、実際にはどうでしょうか?最後まで姿勢正しくお客様の姿を凝視することで、プレッシャーを与えてしまっているということは本当にないのでしょうか?

冒頭に書いた店の問題は、実はここだと思うのです。

その店は、いつも最後まで見送りをすることで、周囲を通っているお客様も、見送られているお客様も結構引いてしまっています。実際私は、帰っている途中のお客様の横を通る際に「まだ見送ってるよ」「怖い怖い」と言っているのを直に聞いているくらいなので、そう感じている人がいるというのもわかっています。

ではなぜそう感じるかと考えてみると、やはりプレッシャーを与えるような見送りになっているからなのです。その見送り方は、整列した上で、きちんとした姿勢で、手の位置も全員揃っていて、ずっとお客様の様子を凝視しながら見送っています。しばらく様子を見ていても、数分間はそのままの状態なのです。これだとお客様もプレッシャーを感じやすくなってしまいます。

自殺未遂も。絶望の10代を過ごした宮本亞門が演出家を目指した訳

炎上を覚悟で東京五輪の開催中止を訴え、各所から称賛を受けている宮本亞門さん。今でこそ華やかな世界に身を置く宮本さんですが、かつては自殺未遂を繰り返す絶望の日々を送っていたと言います。そんな宮本さんを演出家の道に導いたのは、どんな思いだったのでしょうか。今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、宮本さんご自身がそのきっかけと、演出家が命を賭すに値する仕事であると確信した瞬間を語っています。

「演出家には最も遠い人」だった宮本亜門の20代

世界的な舞台演出家として活躍中の宮本亜門氏ですが、10代の頃は自殺未遂を繰り返す引き籠もりの少年だったといいます。その宮本さんはどのようにして自らを大きく変革していったのでしょうか。

『致知』最新号「20代をどう生きるか」にて、自身の若い頃の思いを語ってくださいました。


「演出家には最も遠い人」

周りからそう揶揄されるほど人見知りで気の弱かった僕が、演出家という夢を掴み取ることができたのは、ひとえに強烈な願望を抱き続け、諦めなかったからでしょう。

人とうまくコミュニケーションを取れず、生きる希望も見出せなかった10代は、自殺未遂を繰り返し、引き籠りも経験しました。そんな暗闇の中でも夢を見つけ、失敗を重ねつつも演出家になった僕の、決して煌びやかでない歩みが少しでもお役に立てればと願い、振り返ってみたいと思います。

そもそも演出家を志したのは、高校2年次の1年間の引き籠りがきっかけです。友人と趣味や話題が合わず、真っ暗な自室に籠ってひたすらレコードをかけて一人でミュージカルやクラシックに聴き入っていました。その中で、音楽の素晴らしさや世界観に心を動かされ、次第に生きる力が湧いてきたのです。

その感動を何とか視覚的に表現し、多くの人と分かち合いたい。その純粋な思いが原点となり、18歳の時に演出家を目指したのでした。

演出家の中にはダンサーとして活動を始め、振付師を経て最終的に演出を手掛けるようになった人が多かったため、僕も様々なオーディションに参加し、21歳の時にプロのダンサーとしてミュージカル『ヘアー』に出演しました。ところが舞台初日の朝、長く病を患っていた母が亡くなってしまったのです。母は元松竹歌劇団のダンサーでした。その母の死に際し、「これからは一人で頑張らなければ」と、込み上げてきた思いのままにニューヨークに飛び、ブロードウェイで初めて生のミュージカルを観ました。

その時の感激は忘れもしません。自らの命を削るが如く、舞台で懸命に演じる役者の姿に打ち震え、全身に鳥肌が立ったのです。当時の日本では、「ミュージカルは女・子供がやるものだ」と少し差別的なイメージを持たれていました。しかし、自分の目で本場のミュージカルを見て、演出家という仕事は命を賭すに値する仕事であると確信を得たのです。


メルマガが本になりました!新刊のご紹介 

cc20201202-s1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書
(致知出版社 刊)
致知出版社の「人間力メルマガ」』が一冊の本になりました。
日本が誇る超一流の方々の名言集、好評発売中!

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『M 愛すべき人がいて』著者・小松成美が明かす「取材」の技術。 コミュニケーション力が日本のビジネスを加速する

日常生活ではもちろん、ビジネスシーンにおいても重要視される「コミュニケーション能力」ですが、こればかりは生まれもって備わっているものではありません。では、この能力を高めるために私たちはまず何を見直し、何から始めれば良いのでしょうか。ベストセラー『M 愛すべき人がいて』や『虹色のチョーク』などの著書として知られる人気ノンフィクション作家の小松成美さんが、5月11日に創刊したメルマガ『小松成美の伝え方の教科書-ノンフィクション作家に学ぶコミュニケーション術』 では、たくさんのトップアスリートやトップ経営者の唯一無二の「人生」を取材してきた経験をもとに、書籍だけでは書ききれなかった小松成美流のコミュニケーション方法や独自哲学を伝授。その創刊号では、数多くのインタビュー取材で会得したという「コミュニケーションの基本であるマナーや礼節というものがいかに大切か」ということについて、的確かつ丁寧に紹介しています。

 

 

コミュニケーションは感謝と準備から

私は、人に会い、話を「聞く」ためにはまず、礼を尽くさなければならないと思っています。「そんなこと当たり前のこと、誰でも普通にやっている」と思うかもしれません。しかし、当たり前のことができていない人が大勢いるからこそ、マナーや礼節の大切さを解く本やセミナーがどんな時代も必要とされているのです。

なぜ、マナーが必要か、と問われたらあなたはなんと答えますか。自分の胸に手を当てて、少し考えてみてください。

人を敬う心の現れであり、人々が円滑に暮らす生活の潤滑油であることは間違いありませんが、取材やビジネスでは、さらにその答えが明解です。

なぜ、マナーが必要か。その理由は次の3つ。

  • マナーを会得し披露することは、自身の経験や教養の証明になる
  • 相手の経験やビジネスのレベル、真剣度合いを知ることができる
  • マナーを体得すれば、「自分軸」で物事をすすめることができる

礼儀やマナーを体得すれば、自分の体験やポテンシャルを一瞬で相手に伝えることができます。同じように、向き合う人のマナーを観れば、経験やレベル、その場にどんな気持ちで臨んでいるかがわかります。取材もビジネスも一期一会。常に真剣勝負です。

心に余裕を持って礼儀作法を行うことで、その場、その空間を仕切ることができます。つまり、自分のペースで相手と接することができるのです。

昨今、マナーを軽率に扱う人も増えてきました。軽率にするその姿勢は相手にマイナス要素を与える可能性しかありません。少しの心配りと気配りで出来る礼節を疎かにしてしまう姿勢は、リスクマネジメントの観点からもお勧めできません。むしろ、いくつかの基礎マナーを会得するだけで、対人アドバンテージ(有利、利益、利点)を手にできます。自分軸を持つことから、交渉やプレゼンテーションは始まります。

マナーは、ビジネスにおいても「成功にとっての適切な準備」と言えるのです。

 

 

挨拶に始まり、挨拶に終わる

マナー・礼節の第一章は、まず「挨拶」です。

多くの日本人は子供の頃から「きちんと挨拶をしなさい」と言われます。家庭でも学校でも、挨拶から一日が始まり、人間関係がスタートするのだ、と繰り返し教えられます。

確かに、清々しい挨拶は気持ちを晴れやかにしてくれますが、挨拶の効用は実はもっとダイレクトなものです。

それを端的に示すと以下の3つになります。

  • 自己の存在を証明する
  • コミュニケーションの意思を表明する
  • 自信を育成する

挨拶は、「私はここにいます」「あなたと向き合っています」という発信であり、その声のトーンや言葉遣いは、個性や思考を伝えるインパクトある信号です。挨拶の言葉・動作は、内に込められた思いにタグを付けたようなもの。知性や意欲や情熱を伝え、向き合う人たちにこちら側の意志を明解に伝える重要な初動なのです。

言葉と動作・行動がその人の人生を決めると言っても過言ではありません。使命や価値観、仕事への動機など胸に詰まっていることを伝え、表現していく人の最初の言葉が挨拶なのです。

挨拶の数だけ自己のイメージを伝える機会を得ます。その積み重ねが自信となり、信頼となります。挨拶ができない人を信頼できないのは、短い挨拶の先にある膨大なコミュニケーションを拒否しているように感じられるからです。たかが挨拶、されど挨拶です。何事も些細なことが大事なのです。

礼を尽くすというのは、相手への尊敬から発する行為ですが、私は自分自身のためでもあると考えています。相手が発信する情報をもれなく受け取るために、大きなプレート(受け皿)を用意したい。受け皿を大きくすればするほど、たくさんの情報を受け取れるようになります。礼節は、情報を入れる容器(キャパシティー)の確保であり、また「おもてなし」の心だと思うのです。
もう一度言いましょう。礼を尽くす──。

本来は儒教の精神を背景にした言葉ですが、ここではそうした思想性ではなく、向き合う相手に対して「マナーを守ること」という意味で、その態度のありようを見ていきましょう。

日本のマナーは、とても細やかに設定されていて、厳密です。でも、そのマナーを習得していくと、情報を盛るプレートがどんどん大きくなり、また頑丈になります。厳密とはいっても、難しく捉えることはありません。要するに、「気づかいのススメ」です。気づかいこそが、マナーの始まりだと考えます。相手を気づかえば、それがすべて自分に返ってきます。気をつかっていると不思議なもので、おのずと相手は欲している情報をより早く発信してくれるようになります。相手に心を開いてもらうには、こちら側から心を開いていく。その心を開く方法のひとつが相手への気づかいです。

たとえば、

  • 挨拶をきちんとする
  • 会議や会食やタクシー内での席順を臨機応変に判断する
  • 美しい作法で食事をする

こうした一つ一つの行為によって、人が受け取る印象は変わります。それぞれの行為が一つ一つ、相手へのメッセージになるからです。話を聞く場で、相手を自然に上座に案内することができれば、それは「自分の立場をわきまえている」というメッセージになります。

 

 

マナーは正解がひとつじゃない

マナーを学ぶ方法はいくらでもあります。数々のマナー本に加え、インターネットでもほとんどの情報が収集できます。気に入ったマナー本を一冊手もとに置いて、気になることがあったら幾度も繰り返し見直す習慣をつけるのです。

マナーは言葉を発する前段階のコミュニケーション。まずマナーを知り、人間関係を豊かにするための基本設定をしておくのです。外国の方に会い、話をうかがうときには、その国のマナーをあらかじめ学んでおくことも大切な心遣いでしょう。マナーとは、それぞれの文化の中で生まれたルールですから、世界中のいたるところに、固有のマナーがあります。

一つ留意しておきたいのは、マナーは文化に根ざした、それぞれの文化固有のものであるということです。だから、文化が異なればマナーも違ってきます。外国と日本では習慣が違います。たとえば、日本では子供の頭をなでることは、その子供を慈しみ、親愛の情を示す動作ですが、タイ、ベトナム、カンボジア、ラオス、ミャンマーなどでは子供の頭には触ってはならない、と言われます。頭にはその人の霊が宿ると考えられていて、そこに他人が手を触れるのは大変な侮辱になるのです。

クリント・イーストウッド監督・主演の映画「グラン・トリノ」にもそうした場面が登場しました。クリント・イーズとウッドがモン族(タイやラオスの少数民族)子どもの頭を撫で「頭には魂が宿ると考えられているので子どもであっても頭を触ってはいけない」と、諫められるのです。

同じ日本人同士であっても、年齢や性別、その人やその属する集団が人間関係やマナーにおいてどのような感覚を持っているかで、振る舞い方はおのずと変えなくてはならないでしょう。可能であれば、向き合う人の文化的バックグラウンドを事前にチェックしておくことも大事です。事前の準備こそが、相手へのリスペクトです。

基礎のマナー学習と、その場その場での応用。この両方が求められるので、易しくはありませんが、だからこそ、マナーを学んで身につける喜びは大きいと思います。基礎のマナーを学ぶことは、気づかいを学ぶこと。ここを「当然のことばかりだから読み飛ばしてしまえ」と思った人、ふとした瞬間に落とし穴があることを肝に銘じて下さい。

 

 

フラットな心で人と向き合う

マナーのベースは常に「相手を思う」ことにあります。相手の立場や胸中を気づかう、思いやるということです。しかし、マナーの本を一生懸命に学んで、知識が身についたときに陥りやすいのが、“階層意識”です。

「人の立場、肩書き」ばかり見る「クセ」がついてしまい、立場や肩書きなどだけで人を判断し、それを物差しにして対応するようになってしまえば、それは、もはやバイアスのかかった見方しかもてなくなっている状態ですね。初対面の場で、日本は「どこの部署・役職の人なのか」を気にしやすく、欧米では「何をしている人なのか」を聞く、と言われます。この文化の背景を考えてみると何か興味深い考察が得られるかもしれません。

私は、年齢や職業、肩書きや経験に尊敬を表すと同時に、真っ平らな気持ちで人に向き合いたいと思っています。フラットな心を見失うと、その時点で既にいい人間関係は築けなくなってしまうと思うからです。

挨拶やお礼の言葉は、誰に対しても同じようでありたいものです。わけへだてなく誰に対してもきちんとしたマナーで応対できる人は、それによって、人を肩書きや立場で見ていないという、素晴らしい基本姿勢をメッセージとして発していることになります。

一例を挙げてみましょう。あるテレビ局で、早朝番組に出演していた時のことでした。「おはようございます」と、出演者に声をかけている若いAD(アシスタント・ディレクター)さんがいます。ADさんとは、テレビ番組を作る現場で、補佐的なさまざまな仕事をする人です。最近はテレビの舞台裏が紹介されることも珍しくありませんから、ご存じかもしれませんが、テレビ局のスタジオにはとてもたくさんのスタッフがいます。

ADさんはスタジオでさまざまな雑事をこなしています。彼らは、名前を名乗ることもありません。「おい!AD」と呼ばれたりもしています。私たちがスタジオに入るときには元気に「おはようございます!」と声をかけてくれます。なぜならADさんは「みなに元気よく挨拶する」役割も担っているからです。しかし、挨拶を受けた出演者の中には、ADさんに挨拶を返さない人もいるのです。ADさんだから、名前も覚えられず、挨拶もされないのが普通と思う人がいるのかもしれません。でも、それはもっともさみしいことだと、私は思っていました。

仰々しく挨拶する必要はないけれど、ADさんが「おはようございます」と声をかけてくれたら、「おはようございます。よろしくお願いします。」と自然に応える。それがコミュニケーションであり、そこに人間関係や対話が生まれていくのです。挨拶は、対話の始まりでもあります。私が挨拶を交わした若いADさんたちは、オンエアが終わると、スタジオの出入り口で私を待ってくれていました。彼らは「小松さんの本が好きで、何冊も読んでいます」と感想を告げてくれるのです。感想を聞いた私は、ADさんたちに名前を聞き、一人一人名前で呼ぶようになりました。

局内で顔を合わせると、自分の取材や新しいテーマについて話し、また私の新しい本が出ると読んでその感想を伝えてくれる。という交流が続いていきました。

数年後、そのADさんの一人がディレクターに昇進、私に番組への出演依頼をくれました。彼はチームリーダーとなったその収録現場で、「小松さんがADだった僕たちの名前を呼んでくれたことがすごくうれしかった」と言うのです。

彼はこう続けました。

「下積みの自分たちが出演者の方々にとって“人”ではないことは分かっています。人格なんて必要ない雑事の連続で、毎日言われたことをこなし、ミスをして怒鳴られないようにと、ふぅふぅ言いながら走り回っていました。そんな時、小松さんだけは、僕らの名前を呼んで、笑顔で挨拶をし、自分の大切なテーマや執筆の苦労を話してくれました。そして、よくこう言ってくれました。『○○さんがディレクターやプロデューサーになって作る番組を心待ちにしていますよ』って。僕は涙が出るほど嬉しくて、いつか必ず自分がディレクターになって小松さんと仕事をしようと目標を立てたんですよ」

清々しい表情で話す彼の横顔を見て、私も涙が溢れてきました。

 

 

フラットな心は人の人生をも変える

私にも同じような経験があります。ライターになりたいと思い立ち、出版社を訪れた時のことです。「どんなささやかな仕事でも良いので働く機会をいただけないでしょうか。荷物運びでもアシスタントでもなんでもやります」と問い掛けた私に、編集の方々は、そのほとんどが笑ったり、露骨に迷惑そうな顔をしたり、しきりに腕時計に目をやったりしていました。

その頃会った読売新聞の女性記者の方が、執筆を生業にすることが不可能と思えて、すっかり気落ちしている私に、がこう言ってくれたのです。「今の小松さんは素人で、仕事も簡単には見つからないでしょう。でも、あきらめずに続けていけば、必ず作品が書けるようになりますよ。最初はみんな素人です。素人がプロになるのです。いつかあなたがプロになったら必ず、一緒に仕事をしましょう」

この新聞記者さんのフラットな心に、私は救われました。なんとか小さな仕事についた駆け出しの苦しい頃、この言葉を支えにしていました。自分が何者でもなかった時代、一人の人間として向き合ってくれたこの方の心が、勇気を与えてくれたのです。今も感謝の気持ちが薄れることがありません。

礼を尽くす心は、年齢、性別、環境、職業、人種といった相手の属性で変わるものではありません。変えてはならないのです。そう決意することが、対話を阻む高い壁を壊していきます。

鮮やかなグリーンの上で見せたたった一つの美しい礼は、人や物事にわけへだてなく接するフラットな心の大切さを改めて教えてくれました。その先に「聞く」「話す」というコミュニケーションの術が広がるのです。この先、私がノンフィクション作家として学んだコミュニケーション術の数々を、メルマガであなたにお届けできることを楽しみに思っています。

「礼節」と一言であらわすと難しく聞こえますが、その意味は「礼儀と節度」、つまり社会的ルールに適した行動や作法で敬意を表現すること。また、適度な度合いの表現のことです。根底にあるのは、他者に対するリスペクトと真摯に向き合う姿勢。いかなる立場においても感謝を感じられる謙虚な精神です。これらを意識するだけでも、日々の振る舞いは劇的に変化するでしょう。

先代からずっと大切だと受け継がれたものには、必ず理由があります。我が身を振り返り、心を整える。そんなきっかけになる1日にして欲しいです。

今日出会った人に、どんな小さなことでもいいから感謝を伝えてみる、そんな小さな一歩から始めてみるのはいかがでしょうか?

小事は大事。

皆さまの日々が幸せでありますように。(メルマガ『小松成美の伝え方の教科書-ノンフィクション作家に学ぶコミュニケーション術』5月11日号より一部抜粋)

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東京五輪中止、賠償額1630億円は“意外と安い”?国民の命を守る値段、海外では有力選手の「出場ボイコット」相次ぐ

開幕まで2カ月あまりとなった東京五輪・パラリンピック。菅義偉首相は開催する方針で突き進んでいるが、世界中からさまざまな批判的な意見が聞こえてくる。そんな中、海外の有力メディアが開催中止なら日本の賠償額は最低でも1630億円以上になると試算した。国民の命なのか、高額な賠償費用なのか、菅首相に重大な決断が迫られている。

実は高くない?東京五輪中止の賠償費用は1630億円

シンガポール紙「ストレートタイムズ」は、新型コロナ禍の深刻化により今後東京五輪が中止されたケースを特集。その中で想定される日本側の賠償額に言及した。東京スポーツが報じた。

記事によると、国際オリンピック委員会(IOC)の総収入の4分の3は放映権によるものであると説明。そのうえで、IOCは東京五輪で少なくとも約1630億円を受け取ることになっており、これは大会がキャンセルされた場合に返済しなければならない金額となると報じた。

ただこの金額は最低賠償額であり、日本側が契約しているスポンサー企業なども考慮すると、さらに膨らむ可能性が高い。

【関連】五輪開催って正気か?忖度なしの海外メディア・選手らが菅政権を猛批判

巨額マネーをめぐって繰り広げられる、日本とIOCのつばぜりあい。

IOCの元副会長で最古参委員のディック・パウンド氏(79)は18日、時事通信のインタビューに応じ、「再延期という選択肢はない」と断言したうえで、「開催可否の判断は遅くとも6月末までが限度だ」と語った。

有力アスリートたちが東京五輪をボイコット

東京五輪の開催中止を求める海外メディアが増える中、実際に“五輪出場辞退”という動きを取り始めたアスリートもいる。

2008年北京五輪の馬術障害飛越個人で金、2016年リオの同種目で銅を獲得したエリック・ラメーズ(カナダ)は、17日に東京五輪の国内代表選考を辞退し、五輪に出場しないことを表明した。TBS NEWSが報じた。

「東京五輪は楽しめない。今は五輪を祝うべきではない」とし、2022年の世界選手権や2024年のパリ五輪を目指すという。

また、オーストラリアの飛び込み選手団は今月1日から6日にかけて行われた、世界最終予選を兼ねた日本でのW杯を辞退。

「現時点で安全な五輪予選イベントの開催は不可能」とし、エントリーした女子4人、男子8人の計12人は東京五輪の出場権を得る可能性を放棄した。

さらに、カナダの体操選手団も東京五輪の出場をキャンセル。

東京五輪の代表選考最終予選を兼ねた「パンアメリカン大陸選手権」に選手を派遣しないことを決定。大会は6月にブラジルで行われる予定だが、「健康と安全に対するリスクが高すぎる」とし断念した。

【関連】五輪「中止や延期不可」の謎。ネックは選手村マンション転売問題か?

このまま日本のワクチン接種が進まなければ、さらに東京五輪をボイコットする選手は増えてくる。あと2カ月で劇的な改善策が取られる可能性は低く、アスリートという“主役不在”の東京五輪になってしまうかもしれない。

ユニクロに米国が激怒。中国ウイグル弾圧にダンマリで加速する輸入禁止

今年1月、アメリカがユニクロのシャツについて、中国当局によるウイグル人の強制労働下で生産された素材が使われている疑いがあるとして、輸入を差し止めていたことが明らかになりました。このような流れはますます加速していくことになるだろうとするのは、台湾出身の評論家・黄文雄さん。黄さんはメルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』で今回、新疆ウイグル自治区で行われている人権弾圧や、これまで当局が行ってきた「宗教弾圧」の実態を詳らかにした上で、中国と民主主義は絶対に交わらないと断言。さらに今後、中国と関わること自体がリスクになるとの警告を発しています。

※本記事は有料メルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』2021年5月19日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。

プロフィール:黄文雄こう・ぶんゆう
1938年、台湾生まれ。1964年来日。早稲田大学商学部卒業、明治大学大学院修士課程修了。『中国の没落』(台湾・前衛出版社)が大反響を呼び、評論家活動へ。著書に17万部のベストセラーとなった『日本人はなぜ中国人、韓国人とこれほどまで違うのか』(徳間書店)など多数。

【中国】ついにウイグル問題の悪影響が日本企業を直撃

首脳らは北京五輪の「外交的ボイコットを」…米下院議長、中国のウイグル族弾圧に反発

アメリカ下院のナンシー・ペロシ議長が超党派の議会公聴会において、中国のウイグル人弾圧や香港での人権抑圧問題を受け、各国に向けて、来年の冬季北京オリンピックに首脳らを派遣しないよう呼びかけました。

また、公聴会の議長であるクリス・スミス議員も、五輪スポンサーを、中国が残虐な行為を行っているにもかかわらず利益優先で無視していると批判、さらにはジム・マクガバン下院議員は、1年延長して、そのあいだに残虐行為をしていない国に開催地を変えるべきだと述べました。

ここで、ペロシ議長とマクガバン議員は民主党、スミス議員は共和党であり、議会は両党で中国の人権弾圧を批判し、五輪開催についても疑問を呈しているということです。中国批判では民主党も共和党も一致しているわけです。

オーストラリア戦略政策研究所は昨年、日本企業14社を含むグローバル企業83社が、ウイグル人を強制労働させている中国のサプライヤー企業と取引しているという報告書を出しました。ウイグル人が強制労働させられている工場で、これらの企業の製品が作られていることを明らかにしたわけです。

この14社の日本企業とは、日立製作所、ソニー、TDK、東芝、京セラ、三菱電機、ミツミ電機、シャープ、任天堂、ジャパンディスプレイ、パナソニック、無印良品(良品計画)、ユニクロ(ファーストリテイリング)、しまむらです。

日本ウイグル協会とヒューマンライツ・ナウは、この14社に対して質問状を出しましたが、パナソニックは無回答で、その他の13社は強制労働との関連性を否定したそうです。各社の回答と、それに対する評価については、ヒューマンライツ・ナウのホームページで見ることができます。

ウイグル自治区における強制労働と日系企業の関係性及びその責任

そして5月19日、アメリカが今年の1月に、ウイグル自治区産の綿製品に対する金融命令に違反したとして、ユニクロのシャツの輸入差し止めを行ったことが明らかになりました。この流れはますます加速していくでしょう。

ユニクロの綿シャツ、米が1月に輸入差し止め 新疆の強制労働巡り懸念

もちろん、中国がウイグル人を弾圧するのは、夷狄を人と見なさない、華夷思想からくるものです。大儒者の王夫之は、「仁義とは人に対するものであって、夷狄は禽獣だから殺しても不仁とは言われず、裏切っても不信・不義にはならない」と述べていました。

五輪中止で衆院選出馬か。総理の座を狙う小池知事の裏に二階氏の影

中止もしくは延期を求める国民が6割とも8割ともされる東京五輪ですが、そんな世論を追い風にしようとする向きも存在するようです。今回のメルマガ『国家権力&メディア一刀両断』では著者で元全国紙社会部記者の新 恭さんが、自民党本部で二階幹事長と面談を繰り返す小池都知事の「思惑」を推察。そこには、悲願達成のためなら五輪開催問題すらも政治利用するという、小池知事のしたたかな戦略が見え隠れしていました。

小池・二階は東京五輪中止へ動くのか

新型コロナ変異株が猛威をふるうなか、東京五輪・パラリンピックは、着々と開会式めざして聖火リレーが繰り広げられている。だが、メディア各社の世論調査では、東京五輪を中止または延期すべきだという人が圧倒的多数だ。

ただでさえ、コロナ患者の急増で病床は埋まり、医療スタッフが不足、病院のゆとりは失われ、入院すらままならない。そのうえ、世界から1万5,000人の選手と9万人ほどといわれる関係者、報道陣、スポンサー招待客らがやってくるのだ。

こんな状態で東京五輪ができるのか。アスリートたちの熱戦を見たいのは山々だが、フランスのル・モンド紙がいうように「変異株の祭典」になりかねない。

というような空気を政治利用し、小池都知事が「五輪中止」を言い出すのではないかなどと、自民党内で揣摩臆測が広がっている。

想像するに、こういうことだろう。今夏の五輪開催に否定的な世論を味方につけ、選挙の勝利につなげる。その場合の選挙とは、7月の東京都議選もあるだろうし、もしかしたら間近に迫る衆議院選挙を見据えているかもしれない。衆院選だとしたら、候補者は小池氏その人だ。もちろん、都知事を辞めて、である。辞任理由なら、五輪を招致した東京のトップとして「中止」の責任を取ると言えばよい。

だがここで疑問が湧く。そんなことをして、小池氏にどんなメリットがあるというのか。コロナ禍を乗り越えられず、五輪開催にこぎつけなかった不名誉が残るだけではないか。選手たちはもちろん、多くの関係者に迷惑をかけるし、辞めて衆院選に出るとしても、せいぜい都知事が衆院議員になるだけではないか、と。それはそうだが、国政復帰が、小池氏の悲願である女性初の総理への道につながると踏んだとしたら、どうだろうか。

菅首相を案じる自民党議員たちが気を揉むのは、今年に入り、小池氏がコロナ対策を理由に、頻繁に自民党本部を訪ね、二階幹事長と面談しているからだ。

東京のコロナ対策について話をしたと言う小池都知事の説明を額面通りに受け取る記者はいないだろうが、表向きの発表を客観的事実として伝える習性からして、以下のような記事になるのは仕方がない。

自民党の二階俊博幹事長は5月11日、党本部で小池百合子東京都知事と会談した。小池氏は緊急事態宣言の延長に伴う都の休業要請の継続に関し、国の財政支援の強化を求めた。(日経)

だが、コロナ対策なら西村担当大臣がいるし、それで不足であれば、波長が合わずとも菅首相に直談判すればいい。二階幹事長ならではの話があり、コロナ蔓延のおり、外で会うわけにはいかないから、党本部へ赴いたと考えるのが自然だ。

では、何の用だったのか。もちろん、選挙だろう。コロナ対策に超多忙な立場とはいえ、今秋までに行われる総選挙は、小池氏の今後にとって重要な意味を持つ。昨年、2回目の当選を果たした都知事だが、いつまでもこのポストに居続ける気はあるまい。総理をめざし、一度は民進党と合流して国政の新党をつくったほどである。

自民党を飛び出し党東京都連を敵に回したうえ、政権奪取の野心までのぞかせた小池氏を、自民党内から支えてきたのが二階幹事長だ。昨年の都知事選でも、小池氏の支持を表明し、党内の不満を抑えた。

副業で「エントリーシート作成代行」はアリ?人気コンサルに聞いてみた

就活につきもののエントリーシート(ES)に何をどう書けばいいのか悩む人が多くいます。そこでESの作成代行というビジネスが成立し、面接指導と合わせて副業にしているという読者から、個別対応の仕事には限界もあるため、より良い稼ぎ方はないかとの相談が『永江一石の「何でも質問&何でも回答」メルマガ』著者で人気コンサルの永江一石さんの元に届きました。労働集約型から脱するためにターゲットを広げることを助言する永江さんは、YouTubeより別のメディアに可能性があると回答しています。

副業でES(エントリーシート)作成代行は可能性があるか

Question

shitumon

以前マッサージサービスを副業で取り組みたいと質問したものです。ご回答ありがとうございました。早速知人のパーソナルトレーナーと連携し、トレーニング後にマッサージを提供できることになりました。自分では気づけなかった視点をいただくことができ、大変感謝しております。

副業に関して、もう1点うかがいたくご連絡いたしました。現在、マッサージサービスとは別に、就活時に提出するESの作成代行と面接指導を請け負っています。月々5~10万程度は稼げているのですが、いかんせん労働集約型であること。また新卒採用が活発な2~3月に応募が集中することもあり、もう少し労働集約からの解放、売上の平準化、そして願わくば売上の向上を狙いたいと思っております。

そこでパッと思いついたのはYoutubeです。例えば模擬面接を実施し、フィードバックまで行う様子を動画で出せば、再生数が稼げ、もう1つの収益源になっていくのではと思いました。

なお、ESの作成代行では、これまで80社ほど代行し、75社は書類選考を突破しています。また面接指導も200万程度年収を上げて転職される方や、いわゆる大手有名企業を突破できる方が増えてきました。もし永江さんが私のような状況なら、次はどの様な手を打たれますでしょうか。ご回答いただけますと幸いです。

永江さんからの回答

以前の回答後、順調に取り組まれているとのこと嬉しく拝見しました。今回は「ESの作成代行」とのことですが、もう少し縦と横にターゲットを広げた方が良いと思います。

順番に説明しますと、まず縦というのは対象を正社員だけでなくパートやアルバイトなどの非正規雇用まで広げるということ。「年収200万程度アップ」「大手有名企業を突破」ということは現在はおそらく大卒以上のホワイトカラー向けだと思うのですが、今本当にニーズがあるのはもっとブルーカラー層です。

わたしも経験がありますが、世の中には履歴書もまともに書けない人が大勢います。証明写真が明らかにおかしい、自己PRが支離滅裂などの理由で書類選考を落とされる人は絶えないと思うので、基本的な書き方のコツなどを中学生にも分かるように噛み砕いて説明すれば興味を持つ人は必ずいると思います。

ただ彼らは高額な指導料(2時間1万円など)は払えませんし、一件ずつ個別対応していたら膨大な手間がかかるので、電子書籍や有料noteにまとめるのも一つの手です。

次に横というのは、新卒だけでなく中途まで裾野を広げるということ。今コロナ禍で突然パートを解雇された女性や、飲食店勤務のシフトを減らされた方など困っている人は多いので、その人たちが質問者さんの本/有料noteを読み「おかげさまで再就職できました」などと言われたらやりがいも大きいですし、社会貢献にもなりますよね。

またYouTubeはいくら一つの動画の再生数が多くてもチャンネル登録者数が数万人以上いないと毎月継続的に収益を得るのは難しいです。質問4でも回答しましたが、ESの書き方講座って一度転職に成功してしまうとそこで終わりで頻繁に見るものではないのでSNSにあまり向いていません。残念ですが動画を制作する労力分はあまりペイしないと思います。社会的意義はありますよ。

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東京五輪の「できない」を糧に模索すべき、日本の新しい「おもてなし」

コロナ禍の中では対応できないと、東京五輪・東京パラの事前合宿地の返上が相次いでいると報じられています。オリパラ開催の大きな意義でもある国際交流なども制限され、準備してきた「おもてなし」の機会は訪れそうもありません。それでも、ここまで育んできた気持ちは廃れないと語るのは、メルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』著者の引地達也さん。障がい者支援の中で経験してきた「できない」を「できるようにする」ではなく、「何をするのがよいか考える」大切さを伝え、五輪も「できない」を受け入れてから発信できる新しい「おもてなし」があるはずと思いを綴っています。

五輪「できない」から考える新しい「おもてなし」

東京オリンピック・パラリンピック開催の是非を問う声が大きくなる中、先般、かねてから依頼されていた五輪に関する市民イベントで講演を行った。

埼玉県和光市の市民グループ「和光おもてなし隊」が企画したもので、当初はオリンピック・パラリンピックの射撃競技会場となる地域の市民として、選手や関係者、訪問客を「おもてなし」するために国際理解を深めるのが狙いだった。私が以前、国際報道に従事し、その後も子供たちに国旗を通じて国の文化理解を深める授業を行っていたことから、国旗から国際情勢やオリンピックを考える機会にしたいとの要望。

五輪がきっかけで講演という学びを通じて、国際理解を深められるのは確かではあるが、開催が前提から、開催できないことに焦点を当てて、国際理解を深めることが現在、大きな国際社会に生きる市民の責務であるように思えてきた。きっと、コロナ禍の中で正しい判断をしてこそ、五輪の「フェア」という理念を貫き、その先の希望があるのだと思う。

私の講演では国旗に描かれた色、形、絵、文字等から国の文化、歴史、宗教を解説し、地政学の問題から文化の違いの面白さを紐解くもので、ベースは子供向けに作られてはいるが、実はそこに最近の情勢を付言していくだけで十分に大人も楽しめる内容となっているから、外国への理解はどんな世代にとっても新鮮なテーマである。

私を呼んだ市民グループとは数年のお付き合いがあるから、五輪開催に向けて市民が集まり、ボランティアで活動してきたこれまでの思いもひしひしと感じるから、開催しないことへの失望を想像すると、やはり心苦しさがある。

一方で、多くの外国人が来ることを想定して準備してきた純粋な「おもてなし」の気持ちは廃れるものではなく、むしろ胸を張って、国際社会を生きる市民としての誇りになるはずで、開催できなくても、おもてなしをする気持ちを表現できれば、それは大きな成果なのではないかと思う。市民の心には確かな「平和」の感覚が宿ったと信じたい。

稲盛和夫が毎夜見た「倒産の夢」。経営者を苦しめる意思決定の原則

経営者になったからには必ずやらなければならないことが「意思決定」です。取り返しのつかない状況に陥る可能性も含んだ大切な判断を、トップ経営者達はどのように行っているのでしょうか? 今回のメルマガ『戦略経営の「よもやま話」』では著者の浅井良一さんが、日本の一流企業の経営者たちの意思決定を例に挙げ、またドラッガーの言葉も引用して詳しく経営者の意思決定について語っています。

必死の意思決定の実行 優れているほど多くのまちがいをおかす

“意思決定”は経営者にとって最も重要な仕事であり、これを適切に行わないとその後のすべてが取り返しのつかない状況に陥りかねません。そうしたら成果を実現させている経営者は、いつも適切に合理的に行っているかといえば実際はそんな単純なものでなく、矛盾を含みつつ、けれでも責任感と勇気をもって素早く行っているのが実際です。

おもしろい事例としては、かってユニクロの柳井正さんが野菜事業に打って出たことがあったのですが、結果として思ったような成果が出なくて1年半後には30億円の大赤字を出した末に撤退しています。柳井さんの口癖は「数え切れないほど失敗をしている」で、このことについて『一勝九敗』という著書まで出しているのです。

オリックスの宮内義彦さんは「経営幹部は、成否の分かれ目を見極めるのが大切です。どう考えてもうまくいかないと見たら、会社が大きな傷を負う前にストップしなければいけない。逆に、うまく軌道に乗りそうな新規事業にはしっかりとしたサポート体制を整える。これらの判断は、トップでなければできないことが多いのです」言っています。

稲盛和夫さんは、

「経営者の決断において、難しいことのひとつに、事業からの撤退という問題があります。ある事業が十分な収益を生まなかった場合、どこでやめるかということです。少しばかりトライして退くようでは、何をやっても成果をあげることはできませんし、逆に深入りし過ぎては取り返しがつかなくなります」

「私は、狩猟民族が獲物を追いかけるように、成功するまで追求を止めないということを原則としていますが、中には途中で撤退したものもあります」

と語っています。