約7割が売れ残る。それでも日本が捕鯨を続けざるを得ない裏事情

昨年12月26日、国際捕鯨委員会からの脱退を表明し2019年7月より商業捕鯨を再開すると発表した日本政府。この決定については国内外を問わず賛否両論喧しい状況となっていますが、鯨肉消費量が減る一方の現在、そもそもなぜ日本は捕鯨をし続けるのでしょうか。今回のメルマガ『週刊 Life is beautiful』では著者で世界的エンジニアとして知られる中島聡さんがある記事を紹介しつつ、原発やスパコン事業と同根的とも言える「捕鯨から容易に撤退できない理由」を記しています。

※ 本記事は有料メルマガ『週刊 Life is beautiful』2019年1月1日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会にバックナンバー含め初月無料のお試し購読をどうぞ。

プロフィール中島聡なかじまさとし
ブロガー/起業家/ソフトウェア・エンジニア、工学修士(早稲田大学)/MBA(ワシントン大学)。NTT通信研究所/マイクロソフト日本法人/マイクロソフト本社勤務後、ソフトウェアベンチャーUIEvolution Inc.を米国シアトルで起業。現在は neu.Pen LLCでiPhone/iPadアプリの開発。

私の目に止まった記事

日本とクジラ なぜ日本は捕鯨をするのか

2016年の記事ですが、日本がIWCを脱退することを決めた今、もう一度読む価値があると思い、紹介します。特に注目すべきは以下の部分です。

前出の佐久間さんは、日本の捕鯨は政府が行っていて、研究予算や毎年の計画、出世や年金がかかった官僚の大きな構造が作り上げられているのが理由だと考えている。

 

佐久間さんは、「官僚は自分がトップを務めている間に担当者が削減されたりするのは、非常に恥ずかしいことだと思う」と指摘する。

 

「そのため官僚はほぼ全員、捕鯨関連の部署をどんなことをしても維持しようとする。政治家もそうだ。自分の選挙区が捕鯨と強いつながりのある場所なら、商業捕鯨の再開を約束するだろう。議席を守るために」

 

とても陳腐に聞こえるかもしれない。しかし、日本が捕鯨を続ける決意が固いのは、捕鯨関係者が多い選挙区から選出された数人の国会議員と、予算を失いたくない数百人の官僚たちのせいと言えるかもしれないのだ。

これと全く同じことが(行き詰まっている原子力発電や時代遅れのスパコン事業にも言えると思います。一旦、「国家プロジェクト」としてスタートしてしまうと、作られた特殊法人(=天下り法人)やそのプロジェクトに強く依存する事業者が出来てしまうため、霞が関の担当役人や特殊法人そのものが「辞めましょうとは言えない空気が出来てしまうのです。

痛みを伴う「勇気ある撤退」には政治家のリーダーシップが不可欠ですが、当事者意識を持って大きい声を上げるのは、いわゆる地元の事業者や支援団体との強いしがらみのある族議員だけなので、結局のところ、辞められなくなってしまうのが日本の現状です。

ちなみに、鯨の需要は大幅に減っており、調査捕鯨の名目で捕獲された鯨の肉は市場でセリにかけても3分の1しか落札されず、残りは売れ残ってしまうそうです。それが地元の小学校で給食として提供されているそうですが、鯨の肉には大量の水銀が含まれており(参照:鯨由来食品のPCB・水銀の汚染実態調査結果について)、それを成長期の小学生の食べさせるのは非常に危険です。

なぜ人は「樹海」に惹かれるのか?青木ヶ原に観光客が急増のワケ

海外から日本へ観光を目的に訪れる外国人の数が年々増え続けています。日本政府観光局(JNTO)の調査によると、訪日外国人数は2017年に過去最高の2869万1073人に達しました。2018年は台風や地震などあいつぐ自然災害の影響で5年8か月ぶりに前年から減少したものの、同年10月以降には再びプラス推移に回復。2019年にはさらなる増加が見込まれます。

そんななか日本には、近年とみに観光客数がアップした場所があります。それが富士山のふもとに広がる「青木ヶ原樹海」

「え? 樹海へ観光?」と怪訝に思う方もおられるかもしれません。「青木ヶ原樹海」と言えば、かつては「自殺の名所」などという汚名を着せられ、「コンパスが効かない」などの都市伝説が生まれ、不気味で不名誉な印象があった場所。ところが青木ヶ原樹海を歩く観光ツアーを利用する人の数は、この15年間で年間およそ5000人から1万7000人にまで膨大したのだそう。冬期も芸術的な氷柱が見られるとあって、ネイチャーツアーは大好評。四季を通じて多くの観光客が、この神秘の森に分け入っているのです。

なぜいま青木ヶ原樹海が脚光を浴びているのでしょう。1998年から20年間で100回近くもこの深い森を探索し、新刊『樹海考』(晶文社)を上梓したライターの村田らむさんにお話をうかがいました。

*記事内の樹海内の画像はすべて村田らむさんが撮影したものです。

樹々が自分の重さを支えられず倒れてしまう

――村田さんが青木ヶ原樹海を訪れるようになった理由は、なんなのでしょう。

村田「はじめは“ネタ探し”でした。正直に言って青木ヶ原樹海は、当時はあまりよいイメージはありませんでしたから、フリーライターとして『潜入すれば、なにかアヤシイものが見つかるんじゃないか。媒体に売り込めるネタがあるんじゃないか』という不純な動機でした」

――一度のみならず幾度も足を踏み入れるようになったのは、どうしてですか?

村田「単純に美しい光景に感動しました。それまでずっとホームレスや新興宗教など社会問題を取材してきて、人間を取材することに少し疲れていたんです。樹海は圧倒的に自然が相手。樹々が鬱蒼とおいしげっていて、木漏れ日が射して、もののけ姫に出てくるような壮大な風景が広がっていました。見ていて息が詰まるほど美しい。それが魅力でしたね。人づきあいのなかで起きるいやなことが、樹海にいるとどうでもよくなるんです。樹海取材は体力的には疲れるのですが、人間関係で疲れるよりはずっといい」

――青木ヶ原樹海は、実際はどのような場所なのでしょうか。

村田「樹海と呼ばれるほどの深奥な森になったのはここ500年くらい。浅い歴史しかありません。もともとは富士山の北側に位置した直径4キロほどの湖でした。およそ1200年前に噴火があり、湖に溶岩が流れ込み、冷えた溶岩の上に植物が生えて生まれた、言わば“できたての森”なんです。なので土が少なく、腐葉土が数センチ堆積している程度。溶岩の上にそのまま樹が育っているので、成長すると自分の重さで倒れちゃう。青木ヶ原樹海は倒木が多いのが特徴です。その倒れた樹が腐って土になり……ということをずっと繰り返しているんです」

「コンパスが効かない」という都市伝説

――そんな歴史が浅い森に「怖い」というイメージがついたのは、なぜでしょう。

村田「苔むした樹があちこちで倒れている様子を不気味に感じた人が多いので、怖いというイメージが広がっていったのでしょう。『姥捨ての風習が残っている』『頭蓋骨を踏みながら歩く森』だとか、噂が広がりました。そんなはずがない。一時期テレビが盛んにミステリースポットとして紹介したことも大きな影響を与えていると思います」

――「コンパスが効かない」「GPSが役に立たない」など都市伝説も生まれましたね。

村田『コンパス、ちゃんと効きますよ』と言うと『夢を壊すな!』って怒られるんです。実際はとても安全で静かな森なんです。熊なんて他の森の方がたくさん出ますし」

――「怖い場所」というより「怖い場所であってほしい」という願望を感じますね。そんな青木ヶ原樹海へ訪れる観光客が近年増加しているのだそうですが、これまで100回近く現場を見てこられて、樹海が注目されているとお感じになりますか。

村田「感じますね。僕自身にも、樹海をガイドする仕事の依頼が入りはじめました。テレビ番組の企画でジャニーズWESTを案内したり、アメリカのヘヴィメタルバンド『スリップノット』のメンバーが樹海へ潜りたいと言うので先導したり。なのでこの頃はライターだけではなく“樹海シェルパ”と呼ばれることも多くなりました」

渡辺謙主演映画が起こしたAOKIGAHARAブーム

――海外からの観光客が増えている理由はなんだと思われますか。

村田「もっとも大きなきっかけは渡辺謙が出演したアメリカ映画『追憶の森』(2015)でしょう。青木ヶ原樹海がこの映画の舞台に選ばれ、『AOKIGAHARA』を訪れることが海外でブームになったんです。道の駅なんて、海外から来た人しかいないなんて光景も見ましたよ」

『追憶の森』……ガス・ヴァン・サント監督作品。死に場所を求めて青木ヶ原樹海にやって来たアメリカ人男性が、自殺を思いとどまり樹海からの脱出を試みる日本人男性と出会ったことで、人生を見つめ直すさまを描く。

――『追憶の森』が公開されたのちに同じく青木ヶ原樹海を舞台としたホラー映画が製作されたり、アメリカ人の人気YouTuberが樹海で撮影した非常識な動画を公開して物議をかもしたり、観光の理由として「ミステリアスな体験がしたい」という願望があるように思うのですが。

村田「それは確かにあるでしょうね。もともとスピリチュアルとは縁が深い場所です。富士山を信仰の対象とした宗教があり、神社は1200年以上も前から存在している。現在もものすごい数の新興宗教の道場があります。僕自身は無宗教で、心霊経験などもまったくないのですが、精神世界へ通じるような、あるいは肝試しのような経験がしたいからと海外から訪れる人もいますね」

日本は樹海に関心をいだく女性が多い

――日本人からの注目度はあがっているのでしょうか。

村田「あがっていると思います。特に圧倒的に女性の関心が高い。以前に青木ヶ原樹海の写真集を自費出版したとき、記念にサイン会を開いたんです。そのとき並んでくれていたのは、ほぼ女性でした。ゴスロリファッションでグロテスクなメイクをした女子もいました。大学で樹海について講義をしたときも、集まったのは女子の学生ばかり。質疑応答も熱がこもったものでした」

――女子が樹海に興味をもつのはなぜなのでしょう。

村田「『自分のなかの欠落した部分を穴埋めしたいのかな』という気がしました。いまの時代、死とか、終わりとか、リアルには感じられないじゃないですか。樹海をダークなファンタジーととらえる感性が女子の方に多く備わっているのではないかと思います」

ホラーのイメージから脱却をはかる地元

――観光客が増えたことは現場に影響を与えていますか?

村田「はい。観光地化してきたことで、地元の方のご尽力で清掃が行き届き、ずいぶんきれいになりました。一時期はタイヤやドラム缶、大量のアダルトビデオなどが多く捨てられ、ごみだらけだったんです。『ここは観光客をもてなす場だ』と意識が変わってきたんですね。不法投棄やホラーのイメージを拭おうと皆さん頑張っておられます」

――近年は遊歩道が拡充し、ハイキングなどしやすくなったという話も聞きました。

村田「そうなんです。コースからはずれさえしなければ、決して遭難するような場所ではありません。低地で自然を鑑賞できる稀有な森です。富岳風穴や精進湖(しょうじこ)などなど見どころも豊富で、縦横無尽に遊歩道があって、いいウオーキングスポットです。静岡からも山梨からも向かうことができる車道もあり、サイクリングで訪れる人もいます。きのこや昆虫の写真を撮る人や、バードウオッチングを愉しむ人など、過ごし方も多彩です」

――それは素敵ですね。青木ヶ原樹海は川口湖のすぐそばというリゾート化にもってこいのエリアでありながら、これまで開発されずに自然そのままの姿をとどめているのが不思議なのですが、それはなぜでしょう。

村田「地面が溶岩なので掘削が難しく、利用価値が低いから放置されているのだそうです。バブルの時代がもっと長く続いていれば、今ごろはゴルフ場などに拓かれていたかもしれません。そういう点で不景気のおかげで奇跡的に自然の原風景が遺された場所とも言えます。ただ決して未開の地だった場所ではありません。石垣の城跡があったり、倉庫と思われる遺跡もあったりします。おそらく5、60年前のものであろう炭焼き小屋の跡地もあり、ここにかつては産業が興きたこともうかがいしれます」

――そう聞くと、さらに青木ヶ原樹海に人肌あたたかみを感じます。実際に分け入るのには、どのような準備や装備が必要でしょう。

村田「さすがにひとりで行くのはやめておいたほうがいいです。僕はこれまで単独で行動したのは約100回中、3、4回しかありません。ガイドさんをたてたツアーも多いので、初めて訪れる場合は利用するのがいいでしょう。そしてくるぶしまである登山ブーツは必ず履いてほしい。地面に穴があいている場所があり、踏みはずすとケガをします。飲料水も2リットルくらいは要るでしょう。あと午後4時までに森を抜けださないと周囲は真っ暗になります。野生の動物よけのスプレーや鈴もあるほうがいい。怖い場所ではないとはいえ、あまりにも軽い気持ちで行ってはいけないですね」

ミステリーツアーのような感覚で訪れる人が増え、世界中から注目されるトレンドスポット、青木ヶ原樹海。しかし現地では、むしろそういったイメージを払しょくしようと懸命な努力が続いています。青木ヶ原樹海は、いままさに日常と非日常の二律背反にあるのです。この渦中のディープな森に注目することは、すなわち「観光とはなにか」という難題の答を探す道につながるのではないでしょうか。

樹海考 村田らむ著 晶文社 本体1550円+税

【動画】やっちまった…ある場所にスマホを落として絶望する男性

決して安い買い物とは言えないスマホ。どんなに気をつけていても、どんなに几帳面な人でも、ふと油断したときに落としてしまう。高いものだとわかっているのにだ。

こちらの動画では、とある男性がある場所にスマホを落としてしまったよう。そのある場所とは・・・?

 

 

動物公園かどこかだろうか。

レイカーズのタンクトップを着たたくましい男性が頭を抱えて絶望している・・・。

なぜかというと・・・下に広がるワニの群れの中にスマホを落としてしまったから!

それも人間の身長をはるかに超える巨体のワニたちの中。

さすがにこの中にスマホを取りに行く勇気はないようだ・・・!

水没だけならまだなんとかなったかもしれないが、これはちょっと諦めたほうがいいかもしれない。笑

 
(※↓詳しくはコチラへ)
参照・画像出典:YouTube(Yuki KDN)
(本記事は上記の報道や情報を参考に執筆しています)

 

記事提供ViRATES

新元号にも対応。瞬時に他人の生年月日や年齢がわかる裏ワザ

昭和何年、西暦何年に生まれと言われた相手の年齢がぱっと出てくるという方、それほど多くないですよね。今回の無料メルマガ『年金アドバイザーが教える!楽しく学ぶ公的年金講座』では著者で年金アドバイザーのhirokiさんが、年金全般にとっても超重要な「年齢」を瞬時に計算する裏ワザをレクチャーしてくださっています。

平成31(新元号元)年版! 年金で超重要な生年月日や年齢を瞬時に判断する方法

年金の一次情報としては生年月日が特に重要。年金にはもう嫌になる程の生年月日が出てきます。僕も毎回記事では生年月日やら年月日を書きますが、年金にはどうしても避けられないものだからです。しかし見る人にとってはここで嫌になって挫折していくんですね。

でも年金の入り口とも言える生年月日さえすぐわかれば様々な年金に対する情報を推測する事が可能になり、また面白くなります。役所に相談行った時とかも、よく机に年齢早見表が置いてありますよね。そんなん見なくていいから!

そんな超重要な生年月日なんですが、昭和何年生まれとか、西暦が何年とか言われてもその人の年齢ってパッとわからないですよね。僕も昔は非常に頭が混乱した所でありましたが、コツさえ掴めば早見表無くても楽勝です。たぶん、年金に限らずいろいろな場面で役立ちます。そんな生年月日からの年齢の出し方を見ていきましょう!

では、いきなりですが昭和29年1月1日生まれの人は何歳でしょうか(参考:昭和は64年1月7日まで存在します)?

自分の生年月日から逆算しますか?その必要はありません。年が変わり今は平成31(5月から新元号元)年ですが、昭和に直すと今年は昭和94年になります。この昭和94年というのは年が変わるごとに1年足していきます。

昭和94年から昭和29年を引くと65歳です。

これだけ。

また、この人の誕生日は1月1日ですが、年齢は誕生日の前日である平成30年12月31日に既に65歳になっています


※注意

その月の1日生まれの人は前月が新しい年齢を迎えるので他の人より注意が必要な場合がある。たとえば、この1月1日生まれの人は前月12月31日に新しい年齢に到達してますので、年金は翌月の1月分から貰えますが、1月2日生まれの人は1月1日に年金受給権が発生して2月分から年金が貰えるとかで1日の違いで1ヶ月分年金がズレる


僕がいつも記事で年齢到達日というのは実際の誕生日の前日を指しています。これは明治35(1902)年に出来た「年齢計算ニ関スル法律」というもので定められています。

じゃあ昭和38年7月16日生まれの人ならどうでしょう。

なーんだ!さっきと同じで昭和94年から引けばいいじゃん!って思いますが、まだ今の時点では誕生日の前日である7月15日を迎えていないので55歳です。あくまで今年56歳になる人という意味です。

覚悟せよ。中国は米懐柔のためなら手段を選ばぬことを忘れるな

「今年はどんな年?」への正答は、その年が過ぎなければもちろん分かる由もありませんが、2019年の世界情勢において、大きな流れを予想する一案もあるようです。国際関係ジャーナリストの北野幸伯さんは今回、自身の無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』で、ここ10年の米中関係を軸とした世界情勢をまとめ、今年の鍵は「米中覇権戦争の新展開」との見方を示した上で、最適な日本の役割について考察しています。

2019年に起こること

2019年は、どんな年になるのでしょうか?そんなことは、わかりません。しかし、「大きな流れ」はある程度わかります。

米中関係を軸にまわる世界

これまでの流れを振り返ってみましょう。

  • 08年、リーマンショックから世界的危機が起こり、アメリカ一極世界が崩壊
  • 09年、米中二極時代スタート。しかしその関係は、「昇る中国、沈むアメリカ」
  • 10年、尖閣中国漁船衝突事件。アメリカ弱体化で、中国が本性を現す
  • 11年、東日本大震災
  • 12年、尖閣国有化。中国が、ロシア、韓国に「反日統一共同戦線戦略」を提案。全国民必読、完全証拠はこちら
    反日統一共同戦線を呼びかける中国
  • 13年、中国、日本孤立化に成功。総理の靖国参拝をきっかけに、世界的日本バッシングが起こる
  • 14年、クリミア併合でロシアが孤立。これで、安倍政権は、救われた
  • 15年、AIIB事件。アメリカの同盟国群が、ことごとく裏切り、中国主導AIIBに参加
  • 16年、反中のトランプが大統領選で勝利
  • 17年、トランプ就任するも、北朝鮮問題で反中にはなれず
  • 18年、米中覇権戦争勃発

こんな感じになります。流れをみると、08年以降米中二極時代がはじまった。その関係は、「昇る中国沈むアメリカ」。実際、世界は08年以降、「米中を軸に」まわっていたのです。

しかし、オバマは1期目、「100年に一度の大不況」を克服するのに忙しかった。2期目は余裕がでてきた。ですが、「敵視する相手」は、

  • 2013年、「右翼」安倍政権や、シリアアサド政権
  • 2014年、クリミアを併合したプーチン・ロシアやIS

と中国以外の国にむいていた。2015年AIIB事件で、オバマはついに目覚めます。ようやく、「アメリカの真の大敵は中国だ!」と悟った。そして、この年、オバマは反撃に出た。中国はみるみる追いつめられ、15年、16年、この国の経済は、ひどく悪かったのです(高橋洋一先生は、15年は-3%程度だったとおっしゃっています)。

2016年反中のトランプが大統領になった。それで、「ついに米中覇権戦争がはじまるか!?」と思われた。しかし彼が大統領に就任した2017年、「米中覇権戦争」は起こりませんでした。理由は、北朝鮮が大暴れした年だったからです。

2018年、ついに米中戦争がはじまりました。ただの貿易戦争ではなく、覇権をかけた戦いです。

【書評】侵略される前に日本はバラバラ。こんなにヤバい国民投票

アメリカ大統領選挙で心理分析を用いた広告が使われたことなどが大きな話題となりましたが、今後私たちは、より巧妙化するサイバー戦略によってつくられたポピュリズムとどう対峙していけばいいのでしょうか。そんな問題に真正面から向き合った1冊を、無料メルマガ『クリエイターへ【日刊デジタルクリエイターズ】』編集長の柴田忠男さんがレビューしています。

51q24yASNDL

デジタル・ポピュリズム 操作される世論と民主主義
福田直子 著・集英社

福田直子『デジタル・ポピュリズム 操作される世論と民主主義』を読んだ。ウソを混ぜこんだプロパガンダや、個人の不安に直接訴える宣伝など、巧妙なサイバー戦略によってつくられたポピュリズムに我々はどう抗うのか、ドイツ在住の著者が欧米での徹底取材から、デジタル時代の民主主義を考える。

アメリカ大統領選で心理分析を用いた広告が使われた」というツイートを目にした集英社の若手編集者が、東京から1万キロも離れたドイツの著者にこの件を伝え、トントン拍子に本の企画に発展したのだという。アナログ時代には考えられないことが起きたのだ。ネットがもたらすポピュリズムの洪水に、世界はどう変わっていくのか。国民投票が起きそうな日本ではどうなるのか。

ドイツには国民投票がない。第一次世界大戦後に制定された「最も民主的」とされたワイマール憲法が、ナチス政権を成立させたからだ。未曾有の惨禍をもたらしたナチスを生んだ元凶は、プロパガンダを利用した直接民主制国民投票などがあったということを、第二次世界大戦後に作られたドイツ基本法の制定者は見逃さない。新憲法は徹底した間接民主主義に書き替えられた。

国民投票は直接民主制の一つとして、いかにも民意を反映するかのように見えるが、賛否のどちらかで白黒を決めるやり方は、事前に行われるキャンペーンでプロパガンダが連発され国民が煽動される危険性を孕む。ましてや、ウソや偽ニュースが瞬時に拡散されるデジタル時代において、世論が恣意的に操作される危険性が高い。それを抑止する意味でも、多くの国で間接民主制をとる。

現役精神科医が伝授、休み明けに落ち込まない「思考のワクチン」

年末年始のお祭りのような雰囲気も過ぎ去り、世の中すっかり通常モード。ご自身も休暇を終えたという無料メルマガ『セクシー心理学! ★ 相手の心を7秒でつかむ心理術』の著者で現役精神科医のゆうきゆう先生ですが、今回は「1年で一番心療内科の患者さんが多い時期」を取り上げつつ、落ち込みを最小限に抑える対処法等をレクチャーしています。

1年で一番、心療内科の患者さんが多い時期は?

こんにちは。ゆうきゆうです。

あなたは、1年で一番心療内科の患者さんが多い時期はいつか、ご存じでしょうか?

五月病だから5月?寒くなってくる9月?

いえ、実は一番多いのは「お正月あけ」なのです。

まぁ、もちろん、純粋に年末年始はお休みゆえに、休みに来院できなかった方がたくさんいらっしゃる…という理由もあります。お盆休み明けが混むのと同じ理屈ですね。

しかし、純粋にそれだけでなく、再診さんだけでなく新患さんも、すごくたくさんいらっしゃるのです。ゆうメンタルクリニックは1月4日から仕事始めですが、当院の例では、普通に大学病院と同じくらい、いえそれ以上の患者さんがいらっしゃいます。

これは一体なぜなのでしょうか?

実はそもそも、年末年始には心療内科の患者さんもそこまで病状が悪くなることはありません。そもそも仕事なども休みになり、また年末年始のイベント的な雰囲気から、気持ちがまぎれて、自分自身の悩みが軽くなってしまうことも多々あるようです。

「紅白歌合戦ー!」
「ハッピーニューイヤー!」
「お正月おめでとうございます~!」

みたいな雰囲気の中、うつになりにくいようです。そう考えると、お正月って、メンタル的には結構有効なのですね。

日本書紀や古事記にも出てこない富士山が日本一の山になった理由

正月の2日に見る夢を「初夢」と言いますが、今年はどんな夢を見ましたか? 日本人であれば「一富士、二鷹、三茄子」が縁起の良い初夢だということを知っていますが、富士山が憧れの対象となったのは実は江戸時代以降、とそれほど古い話ではないと教えてくれるのは、無料メルマガ『古代史探求レポート』。常に煙と火を噴き、荒れる東国、未開の国の象徴的活火山として畏怖された時代を経て、現在に至るまでのさまざまな富士山の伝説、伝承を紐解いています。

富士は日本一の山

日本の山と言えば、富士山。きっと、日本に観光にやってくる人々の全てが知っている名勝地であると思います。私は年に何度か、東海道を電車か車で行き来していますが、確かに富士山は非常に綺麗な山です。夏の一時期冠雪が消えますが、普段は頭を白くしてシンメトリーに近い形で、広く長い山裾を持つ円錐形の輪郭は本当に美しいと思います。

お正月も、すぐにやってきますが、初夢に見ると縁起が良いものとして「一富士二鷹三茄子」などと言います。一番縁起が良いのが、富士山を見ることです。なぜ、三番目が茄子なのだと不思議に思っていたのですが、駿河の名物を並べただけだと聞いた時は、少々拍子抜けしたものです。そうであったとしても、最初の夢に富士山が出てきたなら、本当に素晴らしい一年であるように思えるのではないでしょうか。

富士山という山は、日本人の心の中において特別な存在であると思います。自分自信を振り返って見ても、子供の頃は「頭を雲の上に出し、富士は日本一の山」という歌で、富士山を最初に学び歌いました。日本一の山であることに疑いもしませんでしたし、社会の時間には3776メートルの日本最高峰であることも学びました。私の中学校の修学旅行では、富士山の五合目ぐらいまでバスでいき、周囲を歩いて、その後、白糸の滝を見るというコースを経て横浜、東京へ行きました。

年が経つにつれ、安藤広重の絵や、多くの写真を目にするようになり、連なった山地の中にあるのではなく、独立峰であることが、孤高の美しさを表現しているのかもしれないと理解するようにもなってきました。

江戸時代には、富士講というものが盛んに行われるようになり、私の住む近くにも、多くの富士講が行われていた痕跡が残っています。特に、川口市の木曽呂には、見事な富士塚が残されています。火口も作られ、胎内めぐりの穴もあります。その場所から、富士山が遠くに見えたのだと思います。富士講は、皆がお金を出し合い、代表者が順に富士登山ができるという集まりでしたが、富士山への憧れがいかに大きなものであったかをいまに伝えています。

違いがわかればなお楽し。茶の湯と三茶匠を知って散策する冬の京

茶道の中心地として知られる京都では、ふらりと散策するだけで多くの茶室と出会うことが出来ます。今回の無料メルマガ『おもしろい京都案内』では著者の英 学(はなぶさ がく)さんが、さらに散策が楽しくなる「茶道の基礎知識」をレクチャーしています。

茶の湯と三茶匠

茶の湯は15世紀ごろ禅僧の村田珠光によって考案されました。弟子の武野紹鴎はそれを茶道という芸術の一分野にまで発展させます。さらにその弟子の千利休が堺の商人を中心として侘び寂びに代表される草庵茶室を完成させた。

利休没後は茶道が大名によって継承されるようになりました。茶室も草庵風から書院風に変わりより華やかな「綺麗さび」と呼ばれるようになり、織部流や遠州流と言われる流派も発展します。

利休の孫、宗旦の次男・宗守は武者小路千家、三男・宗左は紀州徳川家に仕え表千家、四男・宗室は加賀前田家に仕え裏千家として受け継がれていきます。

表千家

利休の没後、息子の少庵はキリシタン大名で利休七哲の一人、蒲生氏郷にかくまわれていたが1593年に現在の場所に千家を再興し、三畳台目の不審庵を完成しました。その後宗旦、宗左によって改良されました。

裏千家

3代目宗旦は1646年、表千家を宗左に譲った後、自らは隠居所を建て裏千家を名乗りました。これ以上小さくすることが出来ないという利休の1畳半の茶室を写して建てられたのが今日庵です。

武者小路千家

宗旦の次男・宗守は高松藩の茶頭をしていましたが、1667年隠退し武者小路千家を興します。その時建てた茶室が究極の極小空間である一畳台目の官休庵です。

藪内流

藪内家初代の剣仲紹智は古田織部が自刀する直前の1615年に、織部から燕庵を譲り与えられます。2代目真翁(しんおう)が1640年に西本願寺の茶道指南に迎えられ、本願寺にほど近い現在の場所に居を構えました。