「岸田のまま6月解散」に現実味。自民派閥潰しの結果がこれなのか…嘆く有権者が誤解した「日本の仕組み」

自民党パーティー券問題で、あらためてクローズアップされた「党内派閥」という存在。今回は自民3派閥が解消される一方、渦中の安倍派幹部らは不起訴という結果になり、有権者からは失望の声も聞こえてきます。これに関して「そもそも派閥は怪しい仲良しグループではないし、解体すれば良いという話でもない」とするのはメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』著者で、米国在住作家の冷泉彰彦さん。間接民主制の日本において有権者が熟考すべき本質は「派閥なき後、総理総裁をどのように選出するのか」にあると指摘します。

※本記事は有料メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』2024年1月23日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。

派閥の本質は「仲良しグループ」でも「悪の存在」でもない

日本では、自民党の各派閥の政治資金報告書に金額の不一致があるということを、共産党系の学者(専門は政治資金の研究)がコツコツと調べ上げて告発したところ、なぜか検察庁が全面的に動きました。

その結果として、清和会安倍派、志帥会二階派が厳しい取り調べを受けて会計責任者と一部の政治家が起訴、宏池会岸田派も会計責任者が起訴されました。

これを受けて、この3派はいずれも「派閥解散」を宣言しています。

実に込み入った話である一方で、ともすれば本質から外れた議論ばかりがされているのですが、この派閥解消という問題を今回は議論してみたいと思います。

まず、自民党の派閥の問題ですが、これは「自民党内の仲良しグループ」があって、それが勝手にカネを集めておいて、それを違法に隠しているというような問題ではありません。

また、そのような「怪しい仲良しグループ」は悪い存在だから、解体するなり罰するなりすれば良いという話でもありません。

問題は、総理総裁をどのように選出するのかというプロセスであり、これに個々の国会議員にとってはどのように自分の議席を守るのか、つまり次回の選挙で当選するのかという問題が関わってきます。さらに、これに各地方における利権の交通整理という機能が重なります。

つまり、派閥というのは、総理候補を担いだ応援団であり、また総裁選の票の集合体であり、同時に選挙へ向けた互助組織、そして利権分配のマシンという性格を持ったものです。

そこまでは多くの有権者は理解しています。例えばですが、その派閥の争いが極端なものとなった昭和の時代には、自民党の派閥には現在以上に強い社会的批判が浴びせられました。

まず70年代のロッキード事件があり、これに80年代にはリクルート事件が重なることで、世論のアンチ派閥という感情は最高潮に達しました。

この感情論の落とし所として、小選挙区比例代表並立制という妥協的な制度が実施され、これによって細川政権の誕生という形で、政権政党が交代することにより、有権者が政権を選択できるということになったのでした。

なぜ民主党政権と2大政党の試みは失敗したのか

ところが、この2大政党の交代による有権者の政権選択という制度は、その後崩壊していきました。

2009年に成立した鳩山政権にはじまる民主党政権は、「左派ポピュリズムによる無関係な政策の羅列」「左派なのに金融はタカ派で理想主義から来る財政規律へのこだわり」「ハコモノ批判を続けながら震災復興ではモノへのバラマキに走る」など具体的な問題を多く抱えており、その結果として崩壊していきました。

問題は、民主党政権が崩壊したことではなく、民主党が下野後に問題点を修正して政権復帰を狙うことを諦めて専業野党に転じたことでした。

エネルギー政策のバランスを取るのは面倒なので反原発に流れ、沖縄問題では普天間返還に努力するのは面倒なので辺野古反対で済ませるという、実に安易で、しかしながらそれなりに議席を維持することはできる戦術へと退廃していったのでした。

これによって、少なくとも中道左派の政権選択肢は消滅しました。これに代わる存在として、今度は都市型の納税者の反乱による「小さな政府論」を掲げた中道右派の動きが活発化しました。

しかし、これも「希望の党」改め「都民ファ」がコロナ禍におけるバラマキで東京都の財務状況を一気に悪化させ、「維新」が万博実施に失敗しつつある中では、急速に影響力を弱めています。

ですから、とにかく代替する存在がないわけです。自民一強という言い方は当にその通りであって、いくら自民党の支持率が下がっても、それを受け止める政治勢力はありません。

派閥潰しで「岸田のままで6月解散」に現実味

ここでやや観点を絞って、直近の政局ということで考えてみますと、現在の情勢の中では次のようなことが言えると思います。

「とりあえず、今、すぐに総選挙をやれば、自民批判票は出るが、それは限定的。しかも、野党と言っても各グループに分散するので集まって対抗勢力にはならない」

「ある時点から宏池会岸田派は、清和会安倍派の解体を目論んだが、この目的は完全に達成された」

「そんな中で、岸田派・二階派も解散しており、とりあえず政治勢力としては、派閥解消を宣言した3グループの方が、解消できない平成研茂木派や為公会麻生派などより、微妙にイメージが良いことに」

「派閥解消は世論にウケたようで、震災に対して用意ができるまで被災地訪問を待ったことと併せて、岸田の支持率は微増」

という不思議な状況になっています。良く分からないのですが、現在のこの「微増」というのは2%程度ですが、仮にこのまま岸田が安全運転で進んで、派閥解消がポーズにしても何らかの格好を伴って見えるようになると、5%程度アップする可能性もあります。

その延長上には、「岸田のままで6月解散」という昨年まで誰も考えなかったような作戦が見えてくるのかもしれません。

その場合は、岸田の勝利ラインは限りなく下がります。公明と組んで与党で過半数維持ということで御の字みたいな話になり、そうした「期待しない感じ」が先行する中で、「3大派閥は、裏金問題で申し訳ない」という「お詫び選挙」に徹することでダメージを最小化するかもしれません。

この記事の著者・冷泉彰彦さんのメルマガ

自民「派閥解散」、旧ジャニ「解体」、宝塚「暴露」…古い秩序が崩壊し“新たな繁栄”に向かう日本

政治資金を巡る疑惑を受け、相次いで解散を表明した安倍派など自民の3派閥。「その場しのぎの悪事隠し」と見る国民も多いのが事実ですが、国際関係ジャーナリストの北野幸伯さんは「もっと大きな流れ」としてこの出来事を見ているといいます。北野さんは自身のメルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』で今回、その「流れ」を詳しく解説。さらに今後の日本社会の行く先を予測しています。

古い秩序の崩壊。自民党派閥も解体され日本が向かう新たな繁栄の時代

全世界のRPE読者の皆様、こんにちは!北野です。

安倍派、岸田派、二階派解散。すごいことです。『毎日新聞』1月19日付。

自民党最大派閥の清和政策研究会(安倍派)は19日、政治資金パーティーの裏金事件を受けて総会を開き、同派を解散すると決めた。党内第5派閥の志帥会(二階派)も同日、解散方針を決定。第4派閥の宏池会(岸田派)は昨年12月まで会長を務めた岸田文雄首相が18日、解散する方針を表明しており、事件は関係者が立件された3派閥がそろって消滅する異例の事態に発展した。

3派閥が消滅するに至った原因などについては、触れません。テレビをつければ、その話ばかりしています。

この話、「これまで派閥は悪いことばかりしていたが、バレたのであわてて解散した」と解釈している人が多いでしょう。私は、「もっと大きな流れ」で今回のできごとを見ています。

確実に改善されつつある日本社会

私は1990年から28年間、モスクワに住んでいました。2018年、完全帰国しました。理由は、ロシアでネット規制が強化され、仕事に支障がではじめたからです。

2018年、日本では「働き方改革」が大流行していました。私は当時、「日本の閉そく感の大きな理由の一つは、ひどすぎる労働環境、具体的には長時間労働だ」と考えていました。しかし、「働き方改革」で、労働時間は短くなりました。

またこの年は、「とても暑かった」ことで知られています。熱中症で倒れる人がバタバタでていました。そして、なんと日本の学校のエアコン設置率は、5割程度であることが暴露された。国際社会は、「なぜ先進国でクソ暑い日本の学校のエアコン設置率が5割なのだ!」と仰天したのです。

日本政府も「恥ずかしい」と思ったのでしょうか?それから数年で、学校にエアコンを設置しまくり、アッという間に9割を超えるようになりました。

2019年には「東池袋自動車暴走死傷事件」が起こりました。87歳の飯塚幸三氏が11人を死傷させたのです。この事件の後、75歳以上のドライバーの免許更新が厳格化されました。2020年には、あおり運転の罰則が強化されました。免許取り消し、最長5年の懲役、罰金など、厳しいです。

2020年~2021年には、コロナでテレワークが大いに普及しました。家で仕事できる人が、毎日往復2時間かけて通勤するのは膨大な無駄です。またコロナの期間、セルフレジが急速に普及したり、ファミレスにロボットウェイターが登場するようになりました。

というわけで、2018年に私が日本に戻ってきてから、「日本は少しずつだが、どんどんよくなってきている」というのが、素直な感想です。

福沢諭吉とは正反対。中江兆民が生涯を通して貫いた「下から目線」

福沢諭吉と並んで「明治の2大思想家」とされ、ルソーを日本に紹介したこともあり「東洋のルソー」とも称される中江兆民。そんな兆民が、諭吉らを激しく非難していたことをご存知でしょうか。今回のメルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』では著者でジャーナリストの高野さんが、兆民の思想と彼が諭吉を含む開戦論者をどう評価していたかを紹介。さらに兆民と諭吉の「決定的な思想の違い」を解説しています。

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※本記事は有料メルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』2024年1月22日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。

プロフィール高野孟たかのはじめ
1944年東京生まれ。1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任。2002年に早稲田大学客員教授に就任。08年に《THE JOURNAL》に改名し、論説主幹に就任。現在は千葉県鴨川市に在住しながら、半農半ジャーナリストとしてとして活動中。

中江兆民という「下からの民主主義の伝統」の原典

本シリーズの前回は昨年10月23日号(No.1229)で、明治初期の民権運動の先頭を走った天才的な扇動家=植木枝盛について述べた。彼に最も深い思想的影響を与えたのは10歳上の同郷の先輩=中江兆民で、兆民を通じてルソーの「民約論」の真髄に触れることなしには植木の壮大な「東洋大日本国国憲案」は生まれることがなかっただろう。そのことを含め、兆民こそが日本の民権思想の父である。

どこまで行っても「下からの革命家」

彼と並んで明治の2大思想家と呼ばれ対比される福沢諭吉のことを、「世間では、西欧文明を深く理解している自由主義的な啓蒙家であり、『民主の徒』『洋学紳士君』の代表であるかのようにいう」(色川大吉『自由民権』、岩波新書)けれども、福沢の言う近代化はあくまで「上からの近代化」であり、そうであるがゆえに、割と簡単に「上からの国権主義」に転化する。「明治初年、『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』といい、アジア、アフリカの弱小国の人権も欧米強大国の人権もまったく同等であると主張した福沢は、1880年代にはもはや“存在”していない」(色川)。

1880年代に何が起きたかと言えば、1881年の「明治14年の政変」で伊藤博文・井上馨ら長州閥が主導して大隈重信を追放して「薩長藩閥体制」を確立。そして翌82年のソウルにおける「壬午の乱」で親日派だった閔氏政権と日本公使館が民族派兵士に襲われた事件をバネとして一気に大陸侵攻を目指す軍備拡張、「富国強兵」路線へとのめり込んで行ったことである。この時期に、福沢は「民権論は今日、到底無益に属して弁論を費やすに足らず」「眼を海外に転じて国権を振起の方略なかる可らず。吾輩畢生の目的は唯この一点に在るのみ」(81年10月「時事小論」)と、民権論への決別と国権論への乗り移りを宣言し、それがやがて85年3月の有名な「脱亜論」の吐露へと繋がっていく。この福沢の変節の軌跡についてはまた詳しく論じることがあるだろう。

これに対して中江兆民はどこまで行っても「下からの革命家」であり、揺るぐことがない。本シリーズの第6回で、日本の近代史を「上からの改革ずくめの歴史」として描くのは間違っていて、その時々に必ず「下からの自前の民主主義の伝統」が歴史の表層を突き上げてきたことを正しく視野に入れなければならないという坂野潤治の観点を紹介したが、まさにその隠された伝統の原点が中江兆民だった。

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松本人志に「そんな弁護士で大丈夫か?」心配の声なぜ。“ヤメ検”代理人を雇い文春と全面対決も…「民主主義を揺るがしたあの大事件」が再注目

自らの性加害疑惑を巡り、『週刊文春』の発行元である文藝春秋と同誌の編集長に対し、名誉毀損に基づく損害賠償請求及び訂正記事による名誉回復請求を求める訴訟を東京地裁に起こした松本人志(60)。請求額は5億5,000万円と伝えられている。事実相当性などの観点から「松本不利」との見方が支配的だった中での提訴に、世間からは驚きの声も上がっている。松本サイドは、報道されたような性的行為やそれを強要した事実はないとして争う模様だ。

週刊誌報道の“行き過ぎ”を懸念する人々からは、「松ちゃん頑張れ」の声も上がる。その一方、吉本興業としてではなく松本単独の提訴となったこともあり、「もともと勝ち目がない裁判だよ」「裁判は休業しなくてもできる。その損失を賠償させるのは無理筋」「スラップ訴訟ではないか」といった批判の声も聞かれるのも事実だ。

「敏腕」と伝えられるも…松本の代理人を務める“ヤメ検”エリートに疑問の声

今回の訴訟で松本の代理人を務めるのは田代政弘弁護士(57)。東京地検特捜部出身の、いわゆる「ヤメ検」と呼ばれるエリートだ。所属する八重洲総合法律事務所のHPによると、企業法務や企業防衛、経済法関連業務や保険法関連業務に加えて民事介入暴力も取り扱うとしており、各種報道では「敏腕」とも伝えられている。

自民党のパー券裏金問題では国民を盛大にズッコケさせた東京地検特捜部だが、それでも「元特捜」の威光は営業力抜群。松本はスゴ腕を雇うことに成功したと思われたのだが――

「松本さんはお金なら唸るほど持っています。身の潔白を証明し名誉を回復したいと言うのならば、もっと高名な弁護士を用意できなかったのか、というのがもっぱらの評判です。ネットにも事情をよく知るユーザーからは、彼の人選に対して疑問の声も上がっています」(民放の報道番組制作関係者)

事実、SNSや掲示板を見てみると、

《松本の代理人弁護士って、もしや陸山会事件で有名なあのお方?》

《文春の嘘というより、過去の虚偽捜査報告のほうが注目されてて草》

《松ちゃんそれはアカン、やるなら一番いい弁護士じゃないと…》

といった懸念の声が、松本批判や擁護の立場を超えて目立つという状況なのである。いったいどういうことなのか。

田代氏は、東京地検特捜部時代に何をしたのか

旧統一教会との真正面からの対峙で知られる紀藤正樹弁護士は22日、田代弁護士の過去についてX(旧Twitter)に投稿。「法曹界では著名人です」とした上で、陸山会事件において虚偽公文書作成及び行使罪で告発されるも不起訴となり、法務大臣からは懲戒処分を受け検察官を辞職したという経緯を紹介した。

陸山会事件とは06年の週刊誌報道をきっかけに浮上した、小沢一郎衆院議員(81)の資金管理団体「陸山会」が土地取得をめぐり、政治資金収支報告書に虚偽の収支を記入したとされる事件。東京地検特捜部は10年、当時衆院議員だった石川知裕(50)を含む元秘書3名を逮捕し、全員が有罪となった。

11年には検察審査会が小沢を強制起訴したが、その際の決め手としたとされるのが、当時検察官だった田代氏が作成し東京第五検察審査会に証拠として提出した捜査報告書。しかし田代氏はこの捜査報告書に、石川が虚偽の収支記入について「小沢先生に報告し、了承も得ましたって話したんですよね」と語ったとする「虚偽の記載」を行っていたのだ。

捜査報告書で石川がこう口にしたとされているのは、保釈後の10年5月での再聴取の席。石川はそこにICレコーダーを持ち込み聴取の内容を録音していたのだが、そのデータには「小沢に報告した」とする記録がなかったために報告書の内容が虚偽であったことが発覚、田代氏は虚偽有印公文書作成・行使と偽証の容疑で告発された。

「最も悪質・重大な虚偽公文書作成の事実」

この田代氏の行いについて、元検事でカルロス・ゴーン氏の代理人もつとめた郷原信郎弁護士は、自身のブログにこう記している。

田代検事の行為は、検察官の作成名義の捜査報告書という公文書に虚偽の記載をしていたということであり、虚偽性についての認識があれば、虚偽公文書作成罪という犯罪に該当する。虚偽公文書作成という犯罪は、形式上犯罪に該当する行為であっても、可罰性の幅は非常に広い。公文書の内容に事実に反する点があったとしても、それが官公庁内部に止まるものであれば、実質的な処罰価値はない場合も多い。しかし、本件のようにその報告書が司法作用に重大な影響を及ぼすというのは、最も悪質・重大な虚偽公文書作成の事実と言えよう。(ブログ『郷原信郎が斬る』2011年12月19日より)

なぜ田代氏がこのような行為に及んだのかは当然ながら定かではないが、ウィキペディアの「陸山会事件」の項には、

産経は、司法修習生時代に親しい仲だった男性弁護士の弁として「今回の問題は、上から言われたことをきちっとやったことで起きたのだろう」と田代の人柄から『検察の組織的犯行』を匂わす記事を載せている。

と書かれていることを紹介しておく(件の産経の記事は現在ネット上では確認不能となっている)。

陸山会事件(ウィキペディア)

先述の通り虚偽有印公文書作成・行使と偽証の容疑で告発された田代氏だが、2012年6月27日、嫌疑不十分で不起訴。しかし同時に法務省は国家公務員法に基づき減給6カ月の懲戒処分とし、田代氏は同日辞職した。

田代検事を不起訴処分に 最高検、捜査報告書虚偽記載で

松本は田代氏の過去を知っていたのか

公務員、しかも法を司る検察官による捜査報告書の偽造は、民主主義国家の根幹を揺るがすものであり、週刊誌の誤報などとはレベルの違う大不祥事。

そんな捜査報告書という公文書を偽造し告発された田代氏が今回は弁護士として「文春の虚偽報道」を暴く側に回っているというのは、なんとも不思議な構図ではないだろうか。松本は田代氏の経歴を知らなかったのか、あるいはすべてを知った上で、「毒をもって毒を制す」という策に出たのか。いずれにしても注目されるのは、今後の裁判の行方だ。

1か月間にたった1件。契約がとれなかった営業マンが売上を伸ばせた理由

日本の企業は、営業マンに営業を教えてくれないそうです。では、デキる営業マンはどうやってそのノウハウを得ているのでしょうか? メルマガ『売れる営業マンの常識は売れない営業マンの非常識!』の著者で営業実務コンサルタントの島田安浩さんは、ご自身の赤裸々な体験を語り、日本企業の現実と「売れる方法」を伝授しています。

営業ほど【忍耐力】を要求される仕事は無い!自分に負けない自分に成れる

「おかしい!」

「そんなはずはない!」

営業を開始した初日に感じた正直な感想です、…。

研修で事前に教えられた内容をそのまま話し、どう考えても売れるだろう!と思っていたものが、全く売れないどころか、話しすら聞いてもらえない!

『参った!』

『ヤバい!』

同じ料金で新しいものに交換できる。支払期間も短くなる。やらない理由は無いはずだ!

まあ、そんなに世の中は理論理屈で行くほど簡単じゃない!と、思い知らされた瞬間でした。

最初の1週間は先輩と一緒に回り、この先輩も、1件も契約を見せてくれませんでした。コツコツ回ることだけを教わりました。

ただ、自分で回れば決まるだろうという安易な思いは、翌週、粉々に粉砕されてしまいました。

朝早くから、夜の9時10時まで飛び込みを続けても、1件も取れない!

しかも、他の同期の連中は、契約を取り始めていました。

「なんで、俺だけが取れないの?」

今までの人生で感じたことの無い無力感、挫折感を味わいました。しかも、朝礼では容赦ない社内虐め!ヤバい!です。

私は、本当に売れない営業でした。同期の中でも、ドン尻でした。まあ、キツかったです。

道玄坂でハッピを着せられて、大きなダルマを手に持たされて、「3ポカ」という儀式を大声で、何度もやらされたのは、屈辱感が、半端無かったです。

しかも、誰よりもコツコツ回っていました。遊んでいて取れないなら気にしませんが、真剣にやっても、売れないのはツラいものです。

お客に断られる度に、『人間性を否定』されているような、そんな感覚を覚え、「俺って、ダメ人間なのか?」って、ドンドン辛くなりました。人生初のムチャクチャ高い障壁が現れました!

翌週は、課のNo.2のTさんと同行するように言われたんですが、まあ、クソ野郎でした!

こっちは取れなくて苦しんでいるのに、朝からモーニングに入って、スキーや女の話しばっかり、しかも、そのままランチの時間まで居座って、午前中は、1件も飛び込みすらしないとんでもないクソでした!

頭に来たんで、午後からは、「回りましょう!」って言って、別々に回っていました。

後で知ったことですが、このエリアは彼のアパートの近くで、彼は、家に帰って遊んでいたようです!その後、半年ほどでTは退社しました!自分で怠けるのは構わないけど、部下まで巻き込むなんて本当にクソ野郎です!!

結局、翌日からは現場まで一緒に行って、その後は、一人で回っていました。

そして、その週の木曜に人生初の契約を獲得できました!

ムチャクチャ嬉しかったです。契約書の書き方も分からないので、会社に電話しながら書いたのを覚えています。社長と奥さんに、「よろしくお願いします。」って、握手までして出て来たのを覚えています。

“褒め下手”な人がやっている「絶対にダメな褒め方」とは何か?

褒め方が上手い人と下手な人、一体どこが違うのでしょうか? 今回、無料メルマガ『販売力向上講座メールマガジン』の著者で接客販売コンサルタント&トレーナーの坂本りゅういちさんが、相手が嬉しくなる褒め方、その褒める箇所について紹介しています。

不得意で褒められても嬉しくない

褒め下手の人というのは、やってはいけない褒め方をしている可能性があります。

やってはいけない褒め方にもいろいろあるとは思いますが、代表的なものが『自分が詳しくないものを褒める』という褒め方です。

たとえば接客の中でお客様の身につけているモノを褒めてあげるという話を先日書きましたよね。

着ている服や持っているバッグなど、お客様が身につけているモノは比較的褒めやすい対象です。

しかしもしあなたがそれらのモノについて興味があまりなかったり、詳しくなかった場合は危険です。

なぜならお客様からすると、「興味のない人・詳しくない人から褒められてもわからないでしょ」という感情が働くからですね。

すごくわかりやすい言い方をするなら、ダサいと思う人に自分のファッションを褒められても嬉しくないでしょ?ということなのです。

お客様が褒められる対象に対しての想いが強ければ強いほど、この現象は起こりやすくなります。

もちろん興味がなかったり、あまり詳しくないジャンルのモノでも褒めるのが上手な人もいますよ。

でもそれなりに難易度が高いので、あまり褒めが得意ではない人が手を出すには危険だという話です。

じゃあどうすればいいかと言えば、その逆をやればいいのです。

あなたが好きなモノ、得意なコトで褒めれば良いんですね。

もしあなたがアパレルショップで働いているならば、ファッション関連を褒めるのは効果的だと言えるでしょう。

しかしアパレルショップで働く人が必ずしもお客様から見てオシャレだと思われるとも限りません。(そう思われる努力が必要なのですが、今時点でどうかはわからないのです)

しかし、そんな人でも個人的に興味が強いものや得意なものなどはあります。

そのジャンルに関することで褒めれば、説得力は格段に増すのです。

そしてその時には、「自分がそれらに精通していること」もお客様に伝えると良いでしょう。

「その靴素敵ですね!実は私も靴が好きで~」とあなたが精通しているジャンルを明かすことで、お客様はそんな人に褒められたという喜びを感じやすくなります。

褒め下手な人でも、自分が得意なジャンルであればよくわからないモノを褒めるよりもはるかにやりやすくなります。

さらに効果も上がりやすくなるという非常に簡単な考え方です。

今日の質問&トレーニングです。

1)あなたが得意なジャンル/精通しているジャンルを3つ書き出してみましょう。

2)それらに関することで自店のお客様を褒められそうな場面にはどんな場面がありますか?

3)いざその場面になった時には、どのような褒め方をしますか?

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なぜ、書写や道徳は受験に必要な教科と比べて重要視されないのか?

文科省によって「履修漏れ」の点検が、全国の国立大学付属学校で行われるそうです。メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』の著者で現役小学校教師の松尾英明さんは今回、学校の「一律の履修主義」について持論を述べながら、書写と道徳が重要視されていない現状について考察しています。

書写と道徳「未実施」の根本的問題を考える

全国の国立大学附属学校にて、「履修もれ」等に関する点検が文科省の指示により行われるという。自分もかつて国立大の附属小学校にお世話になった身として、他人事とは思えない。また、こういったことはこの後すぐに公立校にも降りかかってくるものである。

今回取り上げたいのは、学校の「一律の履修主義」の無理についてである。今回の履修もれ云々の方ではなく、兼ねてより問題だと思っているのが、この点である。

学校は「平等」を重んじる。学校における平等は、機会の均等という点が特に強い。たとえ公平性に欠いてでも平等性の方を重視するのが基本である。

類似した言葉は調べて明らかにして述べる必要がある。「類語例解辞典」を引いて調べると、次のような違いがある。

平等というのは、差別がなく、一様に等しいことを指す。

一方で公平というのは、判断や行動が偏っていないこと。

全員一律に等しい内容を履修すべしという考えの根底にあるものは、平等である。一方で、身に付くまで何度でも修得し直す機会を与えるべしという考えの根底にあるものは、公平である。

日本の公教育は、履修(の履歴の有無)には拘るが、修得については深く問わない。学力検査等で「主要教科」の平均点が低いことを一時的に問題にされることはあるが、だから進級させるなということはない。また受験科目と無関係のもの(=「主要」ではない教科)であれば、その点については全く問われない。件の事例における問題対処についても、あくまで「改めて履修させよ」であり、「修得させよ」ではない。

ごく簡単に言うと、「やりました」あるいは「言いました」という証拠(特に書類)があれば問題なしとみなされる。一方で「身に付きました」や「成果が出ました」については強く問われない。

 

本来、教育で大切なことは「やったかどうか」「言ったかどうか」ではなく、「身に付いたかどうか」「望ましい変化があったか」の方である。

例えば数学である。算数・数学の授業を中学校まで履修完了していても、分数の計算すらろくにできないのでは、話にならない。一方で、小学校、中学校にまともに通えていなくても、大検をとるために数学を自分で学び、身に付けている人もいる。どちらが本質的に意味があるかと問われれば、答えは明白である。

例えば、歴史である。現在、ほとんどの人が高校を出て、かなりの数の若者が大学までも卒業している。しかし、日本の歴史、特に近代史を中学レベルまででも理解できている割合が多いかと問えば、かなり疑問符がつく。(ちなみに理解しているとは、内容の暗記の話ではない。)

これは教育が修得主義ではなく、履修主義であることと無関係ではない。授業中寝ていても、何なら学校を全欠席していても「履修した」とみなされ、「修了」し「卒業」に至る。

もはや履修主義に対してすらも完全に矛盾しているが、それが現実である。この点は「ご都合主義」と言った方が正確かもしれない。

もちろん、修得主義が万能で優れているという訳ではない。例えばフランスなどでは小学校でも「身に付いていない」となれば、留年ができるらしい。一方で、留年したからといって必ずできるようになるとは限らず、そのせいで新たな問題が生まれているともきく。苦手なものは単に年をまたいでも苦手なのだから、当然といえば当然である。

バランスが大切である。「絶対履修主義」あるいは「絶対修得主義」のどちらであっても、問題が生じる。日本の、特に義務教育段階においては、一律の履修主義側に偏りすぎているきらいがある。義務教育段階が新しい学問との出会いの場と考えれば、ある程度の妥当性は認めるものの、その選択肢が狭すぎる気もする。能力がバラバラなものを一定の枠内に収めることはどう考えても不可能である。また少なくとも、全員が一律には修得しきれないであろう内容量であることは、誰の目から見ても明白である。

今回は書写と道徳の二つが槍玉に上がったが、さもありなんというところである。両方とも「受験と無関係だから」という理由については否めないだろう。他にもやることが山ほどあるとなれば、優先順位をつけてしまうだろうことは容易に想像できる。

単なるゴシップ紙だった『りんご日報』は、いつ“香港民主化の砦”になったのか?

中国政府に批判的な論調を展開し、香港デモで重要な役割を果たしたとされる『リンゴ日報』の創業者・黎智英氏の裁判が昨年末から始まっています。日本のメディアは、欧米の政府が裁判そのものを批判していることは伝えても、香港の検察側の主張を伝えることはほとんどありません。今回のメルマガ『富坂聰の「目からうろこの中国解説」』では、多くの中国関連書を執筆している拓殖大学の富坂聰教授が、検察側の証人の証言を紹介。「信用できないゴシップ紙」が、香港民主化の砦になっていく過程が明らかになった点に注目し、中国が「何を問題視したのか」探っています。

香港デモの首魁と北京がみなす『りんご日報』創業者の裁判 詳細を日本のメディアはなぜ伝えないのか

台湾の総統選挙で日本のメディアが盛り上がった裏で、香港では2019年の反香港政府・反中国デモに絡む重要な裁判が始った。北京がその首魁と目す『りんご日報』の創業者・黎智英(ジミー・ライ)氏の公判で2日が冒頭陳述だった。

日本では検察側の主張の詳細が伝えられることはない。もっぱら言論の自由を守る橋頭保としての『りんご日報』VS香港司法に終始し、裁判がいかに茶番であるかを伝えている。香港当局も、まるでメディアに材料を提供するように「民間人の陪審員を排除」し、「英国人弁護士の出廷を拒否」した。

だが、対立軸で香港デモを語ることには限界がある。私は中国報道にかかわって40年、ほぼすべてのデモを現地で取材してきた。なかでも1986年12月、新中国の歴史で初めて学生が「民主」を求めて行動を起こしたデモでは、自身が学生だったこともあり一緒に声を上げた。

このときの運動が後に天安門事件へと繋がっていったのだが、こうしたデモの現場に深く入れば入るほど、見たくないモノもたくさん見て、知りたくないコトにも多く遭遇した。報道機関が描くナラティブに収まるようなデモには遭遇したことはない。

天安門事件の翌年、北京で某通信社の支局長と話をしているとき、学生運動のリーダーたちの内紛や外国とのつながり、金銭をめぐる疑惑に話が及んだことがあった。そのとき私は「なぜそれを書かないのか?」と支局長に尋ねたことがある。返ってきた答えは「誰もそんなストーリーは望んでいない」というものだった。

まさに中国ナラティブの典型例だが、これは反日デモでは「中国共産党(共産党)が裏で糸を引いている」という物語となってしまうことにも驚かされた。真相はむしろ逆(共産党は理由が何であれ人々が集まって騒ぐことを警戒する)なのだが、最後には「中国人は好きだが共産党は嫌い」という世にも不思議な理屈が日本で広がったのだった。

残念だが香港のデモについては直接自分の目で確かめることはできなかった。しかし、デモの実相が日本で報じられるような単純なものではないことは容易に想像できた。経済的な要因やアメリカが果たした役割、またデモ隊内部での権力争いといった要因や個々人の利害の衝突など、整理しなければならない要素は少なからず見つかったからだ。

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武家の世を作り出した2人の美女。歴史作家が解説する平安“性”絵巻

NHK大河ドラマ『光る君へ』の放送スタートで注目を集める平安時代。その末期の宮中や朝廷内には、性に対して奔放だった人物も存在していたようです。今回のメルマガ『歴史時代作家 早見俊の無料メルマガ」』では時代小説の名手として知られる作家の早見俊さんが、そんな「平安性絵巻」とも言うべきあれやこれやを詳しく紹介。当時を記した貴重な資料が800年近くも封印されてきた事情も明らかにしています。

平安「性」絵巻

日本史上初の武家政権を築いた平清盛には白河上皇の御落胤という伝説があります。清盛の母は白河上皇の愛人であった祇園女御で白河上皇が清盛の父忠盛に与えた時には清盛を身籠っていたと噂されていたのです。事の真偽はわかりませんが、清盛が武士として初めて公卿に列し、従一位太政大臣にまで昇り詰めることができたのは上皇の御落胤だからと受け止められていたことは確かなようです。

ところで祇園女御には養女がいました。藤原璋子(しょうし)です。璋子は大納言藤原公実の娘でしたが7歳の時に死別、以後祇園女御の養女として育てられました。璋子は類希なる美貌に恵まれ、養母同様に白河上皇の愛人となりました。

時に白河上皇は還暦過ぎ、璋子は13歳でした。上皇の精力絶倫ぶりに驚くべきか璋子の早熟ぶりに感心すべきでしょうか。ともかく、性に目覚めた璋子は、以後上皇を嫉妬させる程に大勢の男たちと関係を結びます。それでも上皇は璋子の将来を思い、関白藤原忠実の息子忠通に嫁がせようとしました。ところが、璋子の奔放さは朝廷では有名で忠実に拒絶されてしまいました。

困り果てた白河上皇はなんと、孫である鳥羽天皇の中宮にしました。ところが、白河上皇と璋子はその後も肉体関係を続け、璋子は白河上皇の子を身籠ります。後の崇徳天皇です。形式上は長男、しかし血筋からすれば叔父に当たる崇徳天皇を鳥羽上皇は嫌いました。璋子の色香に耽溺しながらも藤原得子(なりこ)を寵愛し、男子をもうけます。そして、白河上皇が崩御すると、崇徳天皇を退け、僅か3歳の男子を天皇に就けました。近衛天皇です。

こうなると面白くない崇徳上皇は鳥羽上皇への復讐の機会を窺います。近衛天皇が崩御したのを好機と捉え、院政を行おうとしました。しかし鳥羽上皇と得子は崇徳上皇の弟を天皇に就け崇徳上皇による院政を阻止しました。この時皇位に就いたのが後白河天皇です。崇徳上皇は激怒し後白河天皇と争い、保元の乱が起きました。御存じ清盛台頭の騒乱ですね。こうしてみると祇園女御、藤原璋子、二人の美妃の色香が騒乱を巻き起こし、武家の世を作り出したと言えるかもしれませんね。

毎日毎日休まず働いて、疲れているから嫌になっちゃうよ。そんな時は…身体を温めよう

休む暇もなく働いている人、多いですよね。無理をしすぎると体が悲鳴をあげてしまいますよ。今回の無料メルマガ『美容と健康ひとくちメモ』では、そんな身体が疲れているあなたに効果がある方法をご紹介しています。

とにかく身体を温める

自律神経は、私たちの体に張り巡る神経のうち、消化器・血管系・内分泌腺・生殖器などの機能を、眠っていようが起きていようが勝手に働いて調整してくれ、種類は交感神経と副交感神経があり、交感神経は、活動している時、緊張している時、ストレスを感じている時に、副交感神経は、リラックスしている時、眠っている時、体を回復している時にはたらくのだそうです。

しかし、休みもなく毎日無理をしている人は、いつも体が疲れている、不安感が強い、興奮して夜眠れない、血圧が高い、といった交感神経優位の疲れに陥り、逆に、緊張感なくゆったりし過ぎると、少し動くだけで疲れてやる気が起こらない、落ち込みやすい、朝起きるのが億劫になるという副交感神経優位の疲れを感じるのだとか。

無理すると交感神経緊張で血管収縮が起こり、血流障害と低体温になり、逆にリラックスし過ぎると、代謝熱が少なくなったり、筋肉からの発熱が少なくなって、低体温になる。

疲れがある人は、どらちかに偏った、低体温、循環障害があるので、お風呂に入ったり、湯たんぽなどで温めると効果があるそうです。

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