1位はソフィアとジャクソン。赤ちゃんの名前人気ランキング発表!

米育児サポートサイト「ベビーセンター」で2016年版ランキング

米育児サポートサイト「ベビーセンター」では、2016年の赤ちゃんの名前人気ランキングを発表。

これによれば、1位は女子がソフィア男子がジャクソンで昨年と同じ名前となった。

女子では続いてエマ、オリビアが2と3位にランクインし、男子はアイデン、ルーカスと続いた。

初めて10位以内に登場したのは、女子ではライリー(7位)、アリア(8位)、シャルロット(10位)。

男子ではオリバー(9位)、エリア(10位)の2件だった。

同サイトは、ジョンソン&ジョンソンの関連会社が運営する子育てサイトで、優れたウェブサイトに贈られる賞「Webby Awards」を16年に受賞している。

ランキングはベビーセンターに寄せられた40万件に及ぶ親からの情報を元に、つづりがほぼ同じで読みが同一の名前は1件とするなど、独自のルールで集計されたもの。

同サイトのランキングページでは、それぞれの名前をクリックすると、これまでのランキング順位の推移や、名前の意味、語源がどこの国の言葉であるかなどの基本情報が表示される他、「クラシック」「エレガント」「国際的」「人気がある名前のバリエーション」などのタグ付けがされており、名付けのヒントとなりそうな情報を集めることができる。

【ランキングサイト】www.babycenter.com/top-baby-names-2016.htm

順位

女子

男子

1

Sophia

Jackson

2

Emma

Aiden

3

Olivia

Lucas

4

Ava

Liam

5

Mia

Noah

6

Isabella

Ethan

7

Riley

Mason

8

Aria

Caden

9

Zoe

Oliver

10

Charlotte

Elijah

11

Lily

Grayson

12

Layla

Jacob

13

Amelia

Michael

14

Emily

Benjamin

15

Madelyn

Carter

16

Aubrey

James

17

Adalyn

Jayden

18

Madison

Logan

19

Chloe

Alexander

20

Harper

Caleb

 

 

夢見が違う。脳を活性化させたければ箸を逆の手で持ってみるべし

「人生を変える」となるとなにやら大層な覚悟が必要だと思いがちですが…、無料メルマガ『サラリーマンで年収1000万円を目指せ。』では著者の佐藤しょ~おんさんが、おカネも掛からず手軽で、しかも大きな効果があるという「人生を変える方法」を伝授してくださっています。カギは「大げさな変化よりも大切なことは小さな変化を楽しむこと」だそうですよ。

普段やらない身体の使い方をしてみる

手軽に出来るのは、お箸を逆の手で持つこと。特に右利きの人が左手でお箸を持つと、右脳が一気に活性化します。脳みそって右脳が身体の左半身を、左脳が右半身をコントロールしているんですね。ですから、左手を細かく動かすという指令は右脳側の担当なんです。

ここに刺激が行くわけですから、右脳が活性化しないわけがありません。

やってみるとわかりますが、初めは全く動きません。箸先をピタッと合わせることすら出来ませんから。合わせたつもりがスカッと空振りするんですね。

よく観察してみると、お箸の先をピタッと合わせるのって、非常に高度で精密な命令を脳みそが出さなきゃならないんですよね。三次元の座標が完全に一致するように、親指と人差し指、中指を微調整するんですから。利き腕だと完全に無意識で、箸先なんて見なくても、いくら酔っぱらっていても出来るものですが、逆の手でやると箸先を凝視しながらでも出来ませんから。

おまけに初めのうちは、中指がジャマをして箸先が合わないんですよね。それじゃモノは抓めんがな。初めのうちはそこそこ大きめのモノで、でもあまり固くも重たくもない食べ物からやり、段々と小さいモノ、丸いモノに移るのが良いんですけど、豆が抓めるようになるにはそこそこの時間が必要です。

さらに最後はお魚を箸だけで骨と身を取り分けられるようにならなきゃなりません。これには箸先にある程度の圧力というか、力が加わらないと骨から身が剥がれないんですよね。

で、ここまで根性を出して頑張っていると、夜寝ている時にあなたにある変化が起こるかも知れません。それが夢見の変化です。

百貨店は死なず。大丸、松坂屋、鶴屋百貨店で奇跡を起こした男達

バブル崩壊を境に、苦境続きと言われている百貨店業界の中で、独自の経営改革で奇跡のV字回復を遂げた「大丸」と「松坂屋」。そして、熊本県民に寄り添い共に成長を続けて創業65年を迎えた、今も客足の途切れることがない「鶴屋百貨店」。「テレビ東京『カンブリア宮殿』(mine)では、放送内容を読むだけで分かるようにテキスト化して配信。百貨店不況の中で、これらの店はなぜ愛され続けるのか? そこに隠された徹底したオリジナリティーに迫ります。

お弁当1000種類!100億円を売り上げる東京駅のデバ地下

JR東京駅に隣接する大丸東京店。客でひしめき合うデパ地下には1日5万人が押し寄せる。 客のお目当ては、鳥取・境港で上がった山盛りの「カニチラシ」(1280円)、あま辛いタレにナムルがたっぷりの「焼肉ビビンバ重」(1080円)……。お弁当は約1000種類。だがこのデパ地下の仕掛け人重村武秀によれば、客を呼ぶ本当の秘密は数ではないという。

フランス「ポール・ボキューズ」の総菜店の一番人気は、「ローストビーフ パヴェ仕立て」(100g788円)。贅沢な角切りで肉の旨味が一気に口の中に広がる。実はこの総菜店があるのは大丸松坂屋のデパ地下だけ。

最高級の肉にこだわる「ミート矢澤」は、五反田で行列が絶えないステーキとハンバーグの名店。デパ地下の厨房で調理していたのは、最高級黒毛和牛を使ったサーロインステーキ。そこに肉汁たっぷりのハンバーグを添えた、まさに肉づくしの「極味弁当」はなんと9980円。この贅沢ステーキの名店も大丸東京店だけ。

実はこのデパ地下、徹底的に初モノの店にこだわっているという。

新鮮な魚介を幾重にも重ねたミルフィーユ弁当が売れまくる「創作鮨処タキモト」もデパ地下は初お目見え。さらに仙台の「牛たん かねざき」も、この店が東京初進出だ。これらは全て重村が口説き落としてきた

日本橋人形町で連日大行列をつくる創業250年の「玉ひで」もそのひとつ。初めて親子丼を売ったという歴史に名を残す店だ。そんな「玉ひで」の主人、山田耕之亮さんも、初めてデパ地下に「たまひで からっ鳥」を出店した。重村が提案したのは新たな業態での出店。「玉ひで」自慢のおいしい鶏肉を唐揚げで味わってもらう店だ。「親子丼でなくてもいいと重村さんが言ってくれたのでだったらやりたい」(山田さん)

実はこのデパ地下、贅沢な初もの弁当で、新幹線の利用客を狙う一方、「どちらかというとオフィスで働く方のランチのお弁当もあります。1000円を切る値段のお弁当で満足いただける」(重村)という。

大丸は、立地のニーズを徹底的に分析することで、年間100億円をこのデパ地下で売り上げている。

百貨店不況に負けない!J.フロントリテイリングの成功

しかし今、そんな百貨店は例外中の例外だ。バブル崩壊後、様々な業種に価格破壊を起こす小売りが現れ、さらに郊外には巨大なショッピングモールができ、圧倒的な規模で客を集めた。

その一方で、かつての小売りの王者・百貨店には、厳しい現実が突きつけられている。三越もこの3月、千葉店、多摩センター店の2店舗を閉鎖する。

以前、カンブリア宮殿で取り上げた大田区の「ダイシン百貨店」。地元の高齢者に大人気のデパートとして知られていたが、去年営業を終了、ドン・キホーテに変わっていた。ニトリも出店する激安の殿堂だ。

2010年以降、閉店した百貨店は全国で40店以上。百貨店の市場はピーク時の9兆円から縮小を続け、6兆円にまで減った。

しかし、そんな中で驚くほど業績を伸ばしているのが年商1兆1600億円大丸と松坂屋を率いるJ.フロントリテイリングだ。

2007年に大丸と松坂屋が経営統合、全国に19の百貨店をかまえるJフロントは、今や売上が業界1位の三越伊勢丹に迫る勢いだ。その快進撃の象徴が大丸東京店。年間の入店客は実に3700万人。これは東京ディズニーランドとディズニーシーをあわせた数を遥かに上回る。

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客が殺到する“大胆売り場”戦略

その秘密は百貨店の常識を覆す売り場づくりにある。

例えば1階。通常なら化粧品売り場だが、並んでいるのはおいしそうなスイーツだ。1階に東京駅の利用客がお土産を買いやすいようにとスイーツの名店を集めている

そんなスイーツ売り場で、ひときわ長い行列をつくっていたのは、他の百貨店では買えない「N.Y.キャラメルサンド」(8個入り1080円)。割った瞬間、とろとろのキャラメルソースが一気にあふれる病み付き必至のスイーツだ。娘さんに頼まれたという出張帰りのお父さんも、無事にお土産をゲット。1階に魅力的なスイーツ店を集め、東京駅の利用者のニーズを掴んでいた。

その一方で、通常1階にある化粧品売り場は全て2階に集結させていた。実はこれも、集客アップにつながっているという。女性にとっては、人の出入りの多い1階より2階の方が立ち寄りやすいという。

さらに8~10階には人気の生活雑貨店東急ハンズ」が。これは上層階に客を吸い上げる作戦。駅を使う客向けの旅行グッズの充実はもちろんだが、売り場の工夫は「東急ハンズ」に隣接させた大丸の売り場にある。お互いの関連商品を近くに並べることで、男性客もついつい買い回りをしてしまうのだ。

一方、5階の婦人服売り場には、デパートらしい大手アパレルの服が並ぶその奥に、格安のファストファッションで知られる「ZARA」が入っている。近隣で働く丸の内のOLを意識し、この界隈にない「ZARA」にあえて出店を依頼した。

この立地を研究し尽くした戦略こそJフロントの得意技。名古屋最大の繁華街・栄で100年の歴史を持つ松坂屋・名古屋店では、業績低迷の中で売り場改革を行い、客が400万人も増えたという。

本来、婦人服で埋め尽くされているはずの中層階を覗くと、そこに3フロアぶち抜きで家電量販店が丸ごと入っていた。実は長年、栄地区には家電量販店がなかった。そんな住民たちの悩みを解決するために、大胆な改装に踏み切ったのだ。

さらに客でにぎわうおもちゃ売り場で、売っていたのはポケモンのぬいぐるみ。子供たちが夢中になっていたのはポケモンのゲーム。ここはポケモンの専門店ポケモンセンター」。年齢層が高かった老舗に、子供連れ客を呼び込むためあえて誘致したのだ。

そんな売り場を生み出したのが、J.フロントリテイリング社長・山本良一。「今の子どもさんが求めている今の時代のおもちゃ売り場を考えた時に、百貨店にポケモンセンターがあっていいんじゃないか。概念を壊さないと前へ進めない。守っていたら衰退する一方ですから」という。

革新の連続だった百貨店の歴史

上野にある松坂屋。この店には、百貨店の革新の歴史が詰まっている。

創業は1768年。江戸時代、松坂屋はここで呉服屋を営んでいた。その様子は歌川広重の有名な浮世絵にも描かれている。

ちなみに歴史ある百貨店の多くはもともと呉服屋などの和服を扱う店だった。明治に入り、洋服が普及し始めると、生き残りをかけ変化に挑む。客が自由に商品を選べる陳列販売を始め、さらに客の要望に応えて衣類以外も扱い始める。つまり、変化を恐れなかった呉服屋が百貨店へと進化を遂げたのだ。

現在の松坂屋上野店のビルが建てられたのは、今から90年前。館内にはかつての百貨店の姿が今も残っている。「上り」「下り」とランプが灯るエレベーター。時計の文字盤のように階数が表示される。

この上野店で1929年、日本で初めてとなるエレベーターガールが登場した。制服を洋装にしたのが日本初なら、初めて土足で店に入れるようにしたのも松坂屋。時代を超え、革新を続けてきた。

そんな百貨店は戦後の経済成長が生んだ莫大な需要と共にさらなる成長を遂げる。世界中の珍しい商品や、最先端の流行を発信し、日本人の暮らしを変えていった。

まさに百貨店が輝いていた時代。だがその現場で、疑問を抱く若手もいた。それが1973年、大丸に入社した山本だ。

最初に配属されたのは食器売り場。ここで山本は、ある先輩の一言に衝撃を受ける。ちょうど商品を補充していた時のこと。「先輩、このお皿、あまり売れてませんが、毎月何枚ぐらい出てるんですか?」と訊ねると、「そんなの数えてるわけないだろう。仕入れなんて勘と度胸でやって、売れるもんで稼げばいい」。百貨店が好調な時代、無駄な在庫を抱えていても、誰も気にしていなかったのだ。

山本はもっと売れる商品だけを効率よく仕入れられないかとひとり商品ごとの販売データを分析し始めた。山本はそのデータを使って、仕入れの無駄を減らし売り場の利益を拡大させた

V字回復をもたらした驚きの“利益倍増売り場”

そんな百貨店も90年代に転機を迎える。他の百貨店同様、大丸も年々利益を減らし赤字寸前に。当時の社長、奥田務はその改革をある男に託した。当時営業を取り仕切っていた山本だった。

その使命は「最小のコストで、最大の顧客満足を実現せよ」。そこで山本が取り組んだのが、売り場店員の配置の見直しだった。

例えば靴下売り場には、何人も販売員が立ち、パッケージを見ればわかるような情報を丁寧に説明していた。しかし、一方では人手が足りない売り場もあった。これを見直せばもっと儲かる売り場ができるはず。そう考えた山本は、全ての売り場の接客状況の調査に乗り出す。その結果を受けてまとめ上げたのが「営業改革マスタープラン」。独自の分析に基づき、社員を接客がいらない売り場から必要な売り場に配置し直したのだ。

例えば、商品説明のいらないハンカチ売り場からはほとんどの店員を引き上げた。その一方で、社員を大幅に増やしたのが靴売り場。他の部署で減らした人材を大量に投入した。

靴売り場は、改革前は靴のブランドごとに分かれていた。それぞれの売り場にメーカーからきた販売員が立って、自分のところの靴を売るのが習わし。大丸の社員は、そのサポートをする程度だった。つまり、客が他のブランドと比べにくい売り場になっていた。

そこで山本は、売り場をひとつにまとめ、接客をメーカーの販売員から大丸の社員に切り替えた。これにより、客はブランドの垣根を越えて欲しい靴が選べるように。さらに、客が自分にあった靴を見つけやすいように専門の接客担当も配置。大丸の独自資格をもつコーディネーターは、服装に合う靴をアドバイスしてくれる。

人材を有効活用しながら、客の満足度をアップ。山本はこの手法を全店舗に展開。赤字目前だった営業利益を一気にV字回復させることに成功する。山本の改革で時代に取り残されそうになっていた百貨店が息を吹き返した

銀座に巨大商業施設が~全国の絶品が集結!?

銀座・三越の先に、カメラに収まりきらないほどの巨大な建物が出現。街の1区画が丸々巨大なビルになっていた。実はこの一部は、銀座の松坂屋があった場所。ここがJフロント、山本の新たな挑戦の舞台だ。

銀座6丁目に位置するこの施設は「ギンザシックス」。「最高に満たされた暮らし」をコンセプトに、241のテナントが入るという。

そのひとつ、岡山・倉敷にある「平翠軒」。客で賑わう店内に並ぶのは1500を超える商品の数々。どれも見たことのない美味しそうなモノばかり。代表の森田昭一郎さんが探し出した絶品を集めた店なのだ。

例えば「ちりめんドレッシング」(821円)は広島にある「おばんざい木むら」のもの。この店のサラダに使っていた、採れたてのシラスとニンニク醤油で作った手作りドレッシングに森田さんが惚れ込み、特別に売らせてもらっているという。

一方、鹿児島・鹿屋市から「ギンザシックス」に店を出すのが「南風農菓舎・デザートハウス」だ。ゆったりとした空間で客が味わっているのは、回りを囲む農園で大事に育てている様々なフルーツ。地元特産のぼんたんを、収穫後、すぐに皮をむき、シロップに加工していく。それを、焼き上がったパウンドケーキにたっぷりと染み込ませれば、「オースミ・レーヌ」(1000円)の出来上がり。そんな旬のフルーツを使った味わいが自慢だ。

「ギンザシックス」には、そんな地方でしか味わえない贅沢が集結する。山本は松坂屋の跡地に建つギンザシックスで大きな決断をした。それは「百貨店はやらない」。森ビルや住友商事などとタッグを組み、オフィスが一体となった全く新しい複合施設を目指すという。

「百貨店を進化させるというレベルではなく、誰も見たことがない商業施設をつくろうということです」(山本)

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熊本発!地方を活性化させる百貨店の奇跡

一方、苦戦が伝えられる地方の百貨店に未来はあるのか。震災から9ヶ月の熊本に希望の光があった。

半径わずか10キロに、3軒もの巨大ショッピングモールが乱立している熊本市。しかし、客を奪われているはずの中心部の商店街は驚くほど賑わっていた。ある商店主はその理由に、創業65年の鶴屋百貨店の存在をあげた。

この百貨店不況の中、去年は売上げを20億円も増やし、年商は576億円に達する。

午後2時5分。館内には県民にはおなじみ「鶴屋のテーマ」が流れ始めた。実はこれ、鶴屋から毎日行われている生放送のラジオ番組。熊本全県で聞くことができる。曲のリクエストは鶴屋の買い物客から。なんだかローカルな雰囲気だ。客は誰もが鶴屋好き。鶴屋に来るのが健康の秘訣というおばあちゃんもいる。

2011年、社長に就任した久我彰登は、郊外のショッピングモールに客を奪われる中、徹底して地域密着にこだわり業績を回復させてきた。その信条は「お客様にどれだけ近づくことができるか。ある意味で空気、水、電気と同じようなインフラの一部のようになるという気持ちを持って実践している」と言う。

朝の開店時間。するとまだオープン前だというのに、客が店内へ入ってくる。鶴屋では毎朝、店内に客を入れて10時の開店を迎えるという。「寒い時に外で待たせるのはお気の毒。親戚が自分の家を訪ねてきた時、外で待たせるか、ということです」(久我)

そして社長以下の全役員で毎朝客を出迎える。これも鶴屋流の家族主義だ。

10時半、受付に最近車いす生活になった常連客がやってきた。さっそくベテラン店員が車いすを押し、買い物スタート。客の要望通りに売り場を巡り、次々と用事を済ませていく。これは売り場を自由に案内してくれるコンシェルジュサービス。車いすに限らず、どんな客も無料で案内してくれる。このサービスのおかげで、店に来るのが難しくなった客も、鶴屋を利用し続けているという。

「儲からない場所は客のために」~“客は家族”の超密着戦略

そんな家族目線のサービスをするため、久我は大幅な売り場改装も断行した。

紳士服売り場の一番奥に、その改革を象徴する場所がある。扉を開けると、そこは豪華な雰囲気の部屋で、クラシックが流れていた。聞いているのは、奥さんの買い物を待つお父さんたち。使われているのは高級スピーカーとマニアにはたまらない真空管のアンプ。会員の予約がなければ、誰でも無料で利用できるという。

久我が進めた改革ポリシーは明快だ。儲からない場所は客のために使う

例えば、売上があまり上がらなかった着物売り場を改装して作ったのは、無料のキッズスペース。小さな子供のいる家族を想定した改装だ。こうして久我は、売り場を次々に家族目線の空間に変えていったのだ。

「高度成長期のように何でもかんでも詰め込めば営業がうまくいく時代ではない。リニューアル後、売り場面積は減ったが、売上は伸びています」(久我)

地域密着の鶴屋流は地元メーカーも支えている

店のお歳暮コーナーで人気を集めていたのは、県内で作られた商品の詰め合わせ「肥後だより」(5400円)。多くは地震で被災したメーカーの商品だ。

いまだ電車も復旧せず客足が戻らない阿蘇市の漬け物屋さん「お漬物処 産庵」もそのひとつ。長年作り続けてきたのは「阿蘇たかな漬」。鶴屋のお歳暮のお陰で、なんとか商売を続けられたという。同社の村上小百合さんは「通常より多く買っていただいたので、本当に助かりました」と言う。

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感動売り場をつくる社員たち~全員参加のデパート改革

奇跡の集客を誇る熊本の鶴屋。そこで働く女性社員は、時々、驚くべき変身を遂げる。昼過ぎ、バックヤードに消えていったかと思うと、しばらくしてそろいのドレスに着替えて登場。店内の広場で客を前に歌い始めた。

実は彼女たちはイベントごとに曲を披露する「鶴屋コーラスグループ エンジェリア」。同好会ではなく、来店客へのサービスとして社員のアイデアで始めたという。

サンタに扮した社員が行っていたのは、クリスマス期間の特別企画「みんなもサンタになろう!」。誰もがサンタになれるという、CGを駆使した楽しいサービスだ。これも社員たちが考えて実現した。このアイデアの元となった「誰もがサンタ」というクリスマスのキャッチコピーも社員が考えたものだ。

久我は社員全員を魅力ある店づくりに参加させることで、現場の意識改革を行ってきた。

自分たちのアイデアや気持ちで会社を変えていける。そういう会社にできれば仕事も楽しくなると思います」(久我)

以前は企画会社に任せていたイベントも、今は自分たちでアイデアを出し実行している。

久我はそんな改革の手始めに、全社員に店内で改善すべきことを提案させ、ひとつひとつ実行に移していった。

例えば冬の季節、「入り口ドアの取っ手が金属で冷たい」と指摘があれば、そこにカバーをつけるアイデアを考え、実行した。さらに「おつりは新札の方がいい」という客の声があれば、銀行と交渉し、できる限り新札を用意してもらうことにした。

地域住民にどこよりも愛される店を作るため鶴屋は全社員が一丸となり闘っている

「百貨店はたくさんの人が働いているので、それぞれが知恵を出していろいろ始めると、すごいことができる。そういうことをひとつひとつ丁寧にやっていけば、必ず道は開ける。今こそ百貨店だと思います」(久我)

~村上龍の編集後記~

幼いころ、コンビニもアウトレットもモールもない時代、週末に家族で出かけるところは、百貨店しかなかった。

衣服や玩具売り場を回り、屋上で遊び、食堂でオムライスを食べた。

あらゆるものが揃っている夢のような空間で憩いの場でもあった

だが、今、百貨店は深刻な岐路に直面している。

消滅するのか、大きく変化するのか、再び「憩いの場」としてよみがえるのか。選択は地域性にも左右される。

「夢のような空間」は復活するのか。可否は、おそらく百貨店という業態ではなく、個々の店舗の経営戦略に委ねられている

 

 

<出演者略歴>

山本良一(やまもと・りょういち)1951年、神奈川県生まれ。1973年、明治大学卒業後、大丸に入社。2003年、大丸社長就任。2013年、J.フロントリテイリング社長就任。

久我彰登(くが・あきと)1955年、熊本県生まれ。1978年、宮崎大学卒業後、鶴屋百貨店に入社。2011年、社長就任。

source:テレビ東京「カンブリア宮殿」

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そういえば素手で握るお寿司屋さんの衛生面は大丈夫なのか?

日本人なら、お寿司屋さんが素手で寿司を握るのは見慣れた光景です。

しかし、もしお寿司屋さんの手にばい菌が付いていたりしたらと考えると、食べられなくなるかもしれませんよね。

そんな心配をしないでも食べているのは、日本食ならではのしっかりとした伝統と信頼に基づいているといえますが、それは、どのようなものでしょうか。

海外の人か見らると、フランス料理のように手の込んだものではなく、一見簡単そうに見える寿司ですが、その奥の深さに驚かされている外国人は多いようです。

アメリカでは素手が禁止されている

アメリカのニューヨーク市やカリフォルニア州の衛生局が、「完全に加熱しない食品を扱う際には、素手で触らない」という基準を出し、寿司やパン、果物などを扱う店では、トングなどや手袋を使用することが義務づけられました。

しかしニューヨークやロサンゼルスで日本食レストランを営む寿司職人たちは、「手袋をつけて寿司を握ることは困難、手袋に米粒が付くし、手の感覚が失われて適切な力で握ることができず、味も損なう」と、この規定の廃止を訴えているそうです。

ちなみに手袋使用について、「かえって手を洗わなくなる」「使い捨て手袋は、環境に悪い」「病院にいるみたいな気分だ」どの声が寄せられていて、行政側も規定内容の見直しを発表しています。

すし職人の衛生管理

お寿司を握る職人は、手を通してさまざまな料理をこしらえていきます。

世界中でも手を使ってこのように料理を仕上げていくのは、日本の寿司だけではないでしょうか。

海外の人から見ると、フランス料理のように手の込んだものではなく、一見簡単そうに見える寿司ですが、その奥の深さに驚かされている外国人は多いようです。

それだけに、すし職人は日頃から自分の手を大切にし、板場に立つときは常に衛生や清潔に気を配っています。また、ユニホームも白の上着に白い前掛けをしています。汚れが付いたらすぐわかるような清潔感にあふれています。

手酢

すし職人は、お寿司を握るのに「手酢」と呼ばれるものを使います。

これで、手が届くところに酢を入れた器を置いて、たえず両手を湿らせています。手酢には手を殺菌消毒するとともに、手のひらを冷やす効果があります。

酢が蒸発するときに手のひらの熱を奪うのです。

通常、手のひらの温度は33℃~34℃ですが、職人の手は30℃前後に保たれています。このため、手の熱で酢飯の温度が上がることもなく、粘り気が出ないので、手に米粒もくっつきません。

清潔とともにある寿司職人の修行

寿司職人は一定のフォームで丁寧に握っていますが、アッという間に握り寿司になってでてきます。

無駄がなくリズムがあり、見ていても気持ちのいいものです。そうなるにはどのくらい修行の時間をかけているのでしょう。

一人前の寿司職人になるには、10年とも、それ以上とも言われています。下積み時代にやめてしまう人が多い世界でもあります。

下積み時代には、洗い場や掃除などを徹底的に行い、10年の間に現場の空気に触れて、だんだんと魚のさばき方や握り方、お客とのコミュニケーションまで習得していくのです。

厳しい修行時代に、いくつもの決まり事がありますが、それは、いつも清潔にするということと結びついています。

使った鍋やまな板、包丁はもちろん、カウンターまで磨きます。それができなければ上に進むことができないのです。

つまり、清潔ということとともに腕を磨いていき、さまざまなことを叩き込まれているといってもいいでしょう。

清潔:日本の文化の基盤

東京オリンピック招致に「おもてなし」という言葉が使われ、今や世界共通語になっています。

日本料理は器や部屋など空間と道具などの使用によって、料理にとどまらずに、もっと日本そのものを味わってもらうことを目指しているかのようです。

そこには「清潔をベースに最高の料理を味わってもらえる」という、日本文化の特徴があることも見逃すことができません。

執筆:南部 洋子(助産師・看護師・タッチケア公認講師)
医療監修:株式会社とらうべ

 

<執筆者プロフィール>
南部 洋子(なんぶ・ようこ)
助産師・看護師・タッチケア公認講師・株式会社 とらうべ 社長。国立大学病院産婦人科での経験後、とらうべ社を設立。タッチケアシニアトレーナー
 
<監修者プロフィール>
株式会社 とらうべ
医師・助産師・保健師・看護師・管理栄養士・心理学者・精神保健福祉士など専門家により、医療・健康に関連する情報について、信頼性の確認・検証サービスを提供

 

image by: Shutterstock

 

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【書評】なぜアイリスオーヤマは「クリア収納」を発明できたのか

数々のヒット商品を生み出し続けるグローバル企業、アイリスオーヤマ。今や日本中のホームセンターで、あの見覚えのあるロゴマークを目にすることができるといっても過言ではありません。無料メルマガ『毎日3分読書革命!土井英司のビジネスブックマラソン』では、そんな会社を率いる大山健太郎氏の経営理念がぎっしり詰まった一冊が紹介されています。

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アイリスオーヤマの経営理念 大山健太郎 私の履歴書
大山健太郎・著 日本経済新聞出版社

こんにちは、土井英司です。

本日ご紹介する一冊は、仙台の書店さんでひときわ目立っていた本。

仙台に本拠地を構えるグローバル企業、アイリスオーヤマの会長大山健太郎氏による注目作です。

「日本経済新聞」連載の「私の履歴書」に加え、著者が20年間、約1,000回におよぶ朝礼のなかから、特に大事だと思う内容を抜粋し、加筆・再構成したものです。

東日本大震災から復興へのドラマと、著者の生い立ち、著者が作り上げた事業の仕組み、ネットビジネス、商品開発のヒント、地域貢献のあり方、経営理念や人材育成の実際など、知りたいことが具体的に書かれており、じつに勉強になります。

なかでも、どうやって次のビジネスを予測するかどうやって需要を創造するかといった視点は秀逸で、著者の手腕の鮮やかさに舌を巻きます。

ほかにも、上場しない理由や、「意欲があれば、追い越し可能」な3車線道路式の評価制度など、経営者としてヒントになる部分がたくさんありました。

弁護士が教える、クレーマー扱いされずに自分の望みを通す方法

自分と意見が異なる人に対して、「それは違う」とばかりに正論を並べてばかりでは、到底解決には至りませんよね。こんな時、「交渉のプロ」でもある弁護士さんだったらどのように事を進めるのでしょうか。そんな疑問に、無料メルマガ『弁護士谷原誠の【仕事の流儀】』の著者で現役弁護士の谷原誠さんが、ご自身が体験したエピソードを上げつつ答えてくださっています。

頭の中で何が起こっているか

こんにちは。

弁護士の谷原誠です。

ある時、地方のホテルに泊まった際、こんなことがありました。

最近、私はトレーニングをすることが習慣になっています。そのホテルには備え付けのフィットネスジムがありましたので、利用しようと考えました。しかし、そのホテルは小さなホテルで、ジムは解放されておらず、ジムのドアには、鍵がかかっていました。従業員に開けてくれるよう頼んだところ、こういわれました。

「予約はされていますか?」

そのフィットネスルームは予約制のようです。私は残念ながら予約はしていません。

「ああ、予約制か。予約しておけば良かったな」

一瞬そう思いました。でも、待てよ。その時点では、部屋を誰かが使っている様子はありません。この後、すぐに予約者が来るのかもしれませんが、短時間でも空いているのならば使っても問題はなさそうです。

そこで私は、落ち着いてこう聞いてみました。

では予約をお願いしたいのですが、今から1時間予約できますか?」
「確認します」

とフロントに戻った従業員。数分後、しばらくは予約が入っていないとのことで、カギを開けてくれ、私は無事トレーニングを行うことができました。

勉強好きな子供にするためには、何時に寝かせるのが正解なのか

子供には勉強好きになってほしい、せめて学校が楽しい場となって欲しい…。そう願う親御さん、多いのではないでしょうか。無料メルマガ『親力で決まる子供の将来』の著者で教育評論家の親野智可等(おやの ちから)先生によると、そのためには家庭での取り組みも重要とのこと。メルマガでは、学校での授業への集中力を上げ、勉強好きな子に育てるために親ができることが紹介されています。

授業への集中力を上げれば勉強が好きになる。学力も上がる

子どもが授業に集中して臨めば学力が上がります。そして、子どもを授業に集中させるには、2つのことが大切です。1つは、1時間目の授業の時点で脳が目覚めているようにしてあげることです。もう1つは、心配ごとに気をとられずに勉強できるようにしてあげることです。

1時間目の授業に合わせて脳を目覚めさせる

授業は午前中に4時間もあります。ですから、午前中の1時間目からに脳が目覚めているように、生活リズムを整えてあげることが必要です。

そのためには、特に、就寝、起床、食事、排便の4つが大切です。まずは寝る時刻を厳守してください。低学年だったら9時までに、中学年は9時半までに、高学年は10時までに寝るのが理想です。

毎日同じ時刻に就寝すれば、自然に同じ時刻に起きられるようになります。

そして、脳は起きてから2時間経たないと全開にならないという説がありますから、夜更かししないことが大切です。

排便も大切です。排便をしてこない子は、集中力がかけるという実験結果もあります。実際、授業中にトイレに行く子もいます。トイレに行っていたがため、重要な説明を聞き逃してしまうこともあり得るのです。

忘れ物が減れば授業に集中できる

忘れ物があると、子どもは授業の最初から意気消沈して意欲が低下してしまいます。ですから、忘れ物を減らすことが大切です。でも、忘れ物は、子どもだけでは直せません。

忘れ物をなくすには自己管理能力が必要ですが、この能力が目覚めていない子どももたくさんいます。特に男の子脳の子は自己管理力の目覚めが遅いです。

自己管理能力が成長するまでは、親の適切なサポートが不可欠です。ただ口で叱っているだけでは絶対に改善しません。ですから、合理的な工夫をしてあげましょう。

たとえば、学校に持っていくものを一カ所にまとめておく持ち物コーナーを作るのも効果的です。ひと目で何があるかわかるような状態になるように、並べたりつるしたりできるための工夫も必要です。

写真を活用するのも効果的です。教科ごとに必要なものを並べて写真に撮り、貼っておくのです。

ホワイトボード付箋紙を活用している家庭もあります。

この他にもいろいろな工夫があり得ますが、そういう工夫をしながらも、最終チェックは親がしてあげるといいでしょう。

セブン追撃。焦るローソンの銀行参入でATM「手数料」戦争勃発

2016年11月、コンビニ大手ローソンは、銀行業に参入するための準備会社を設立したと発表しました。すでにセブンイレブン、イオングループなどが参入している「コンビニ銀行」の戦場に、あえて今ローソンが勝負を挑んだ意図は何でしょうか? 無料メルマガ『店舗経営者の繁盛店講座|小売業・飲食店・サービス業』では著者で店舗経営コンサルタントの佐藤昌司さんが、ローソンの参入で「下克上」となったコンビニATM戦争の現状を鋭く分析しています。

ローソンの今さらながらの銀行参入でATM戦争が勃発

佐藤昌司です。昨年の11月25日、ローソンは銀行業参入のための準備会社を設立しました。流通業による銀行業参入は、セブン&アイ・ホールディングス、イオンに続く3社目になる見込みです。なぜ今、ローソンは銀行業に参入するのでしょうか。

ローソンはセブンイレブンと同じように全国の店舗にATMを設置しています。セブンイレブンと違うのは、ローソンは銀行としてではなく運営会社としてATMを店舗に構えていることです。ローソンのATMは、銀行42社が出資するローソン・エイティエム・ネットワークスLANsが運営しています。そのため、手数料収益が一部に限られ、また、ローソン独自のサービス提供が難しいというデメリットを抱えていました。

2015年度末のセブン&アイ・ホールディングス傘下のセブン銀行のATM設置台数は22472台でLANsの11201台の2倍以上あります。また、2015年度の単体純利益はセブン銀行の261億円に対して、LANsは38億円にすぎません。6倍以上の開きがあります。1台あたりの純利益もLANsはセブン銀行に水をあけられています。先行するセブン銀行は自前の銀行のため、大きな収益を確保することができています。

ちなみに、セブン銀行の損益計算書を確認すると、収益のほとんどをATMの手数料で稼いでいることがわかります。消費者がATMを利用するたびに金融機関などからセブン銀行に手数料が支払われる仕組みです。2015年度のセブン銀行のATM受入手数料は全体の経常収益の93.0%を占めています。貸出を主体として収益を上げる一般的な銀行像とは一線を画しているのがわかります。

先見の明あり。なぜ「スギ薬局」は業績右肩上がりを続けられるのか?

不況の中、多くの小売業は「値引き」というカードで戦わざるを得ない状況になっています。今回のメルマガ『理央 周 の 売れる仕組み創造ラボ 【Marketing Report】』では、メルマガ著者で、Amazonの元マーケティング・マネージャーという経歴を持つMBAホルダーの理央周さんが、快進撃を続ける「スギ薬局」の強さの秘密に迫ります。値引きというありふれたカードとは違うスギ薬局独自の強みとは一体…!?

業績好調のスギ薬局に学ぶ理念の実践法

私の地元、愛知県に本社を置くスギホールディングス傘下の、スギ薬局が元気だ。

平成29年2月期の連結業績を下方修正したものの、平成24年から比較しても、毎年連続して売上営業利益ともに伸ばしている

今年は創業40周年で、昨年は愛知県安城市に新物流センターも創設。スギ薬局の社長は、今年3月1日付で、創業者でスギHD会長の広一氏の長男の、杉浦克典常務を昇格させる人事を決めた。(日本経済新聞より)

伸び悩んでいるデパート各社に限らず、多くの小売業が集客や値引き合戦に苦戦する中、スギ薬局が伸びている理由を考えてみたい。

スギ薬局の強さと経営理念

スギホールディングス杉浦広一会長は、2016年12月26日付の日経MJでのインタビューで、「会社が強く長生きするための条件は何か?」という質問に、「理念を継承するために一丸となれるかどうかだ」と答えている。

ホームページには、「私たちは、社員一人ひとりの幸福、お客様一人ひとりの幸福、そして、あらゆる人々の幸福を願い、笑顔を増やします」という経営理念が掲げられている。

多くの企業が、経営理念を掲げている。

そして、理念の重要性も認識している。

しかし、それらの企業が、持続的に業績を向上させられるとは限らない。

その理由の多くは、企業理念を実践できないからだ。

理念を掲げその実践をして初めて社会と顧客に貢献ができる、と杉浦会長が言っているのはそのためであろう。

どんな企業でも、全社員がいきなり理念を具体化し、実践することは難しい。

スギ薬局では理念を戦略的な方針に落とし込み具体的な施策として実践している。

中国に屈せず。日本時代の「大和魂」で台湾を改革した許國雄の生涯

第2次世界対戦後、日本に変わり中華民国軍が上陸した台湾の混乱については先日掲載の記事「犬が去り豚が来た。日本撤退後の台湾を襲う大陸からの招かざる客」で詳しくお伝えしました。そんな激動の時代において、日本で受けた教育で身につけた「大和魂」を忘れず、台湾の政治改革に正面から挑んだ偉大な政治家の名をご存知でしょうか。今回の無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』では、今も台湾に語り継がれる許國雄のエピソードが紹介されています。

許國雄 ~台湾人の大和魂

1947年3月6日、台湾南部の高雄。高雄市立病院の主任医師、と言ってもまだ25歳の許國雄は、市参議員(市会議員)である父に頼まれ、救護隊として市役所で待機していた。

日本の敗戦後、大陸から渡ってきて台湾を支配した中国国民党の役人たちは台湾の物資を横領して上海で売り払ったため、猛烈なインフレが全土を襲った。兵隊たちによる台湾人への略奪・殺人・強姦も日常茶飯事だった。日本統治下で安定した法治社会を経験していた台湾人たちの不満がたまっていた。

その不満に火をつけたのが、2月27日、台北で煙草を売っていた老婆が、専売局の役人たちに銃で激しく殴打された事件だった。翌28日、専売局に抗議に押し寄せた群衆にいきなり憲兵隊が機関銃で発砲し、多くの犠牲者が出た。これを機に台湾全土で台湾人による暴動が始まった228事件である。

高雄市では市長らが平和的に事をおさめようと、高雄要塞司令部に交渉に行っていたが、それとは行き違いに要塞司令官は兵を市役所に派遣して、機関銃で攻撃を加えさせた。銃弾は市役所内に容赦なく降り注ぎ、その一つが許國雄をかばっていた父の頭を貫いた。

「やられた。國雄(くにお)、後を頼む」と父親は日本語で言うと倒れた。國雄はとっさに父とともに倒れ、死んだふりをした。

弟二人も捕まった

機関銃掃射をした後、兵隊たちは転がっている死体を一人づつ銃剣で突き刺し、生き残りがいないか、確認を始めた。國雄を見つけた兵が「一人、生きているぞ」と北京語で言って、銃口を頭に突きつけた。國雄は震える手で、左腕につけている赤十字の腕章を指した。それが國雄を救った。

当時、市役所にいた三十数名はすべて殺され、赤十字の腕章をつけた國雄ともう一人の医師だけが命は許されて牢に入れられた。3日後、市立病院の院長が要塞司令部側とかけあって二人を救い出した。国民党の幹部も市立病院の世話になったいたので、そのコネが効いたのだった。

ようやく家に帰ると、家では父親の葬儀の真っ最中だった。そこに今度は台北から高雄へ帰ろうとしていた弟二人が国民党に捕まって処刑されるという噂が飛び込んできた。列車の他の乗客はすぐ殺されたが、高雄出身の二人は見せしめのために故郷に連れてきて処刑しようというのである。國雄はたまたま要塞司令官の母の主治医をしていたので、その老婦人に必死に頼みこんで、なんとか弟たちを助けてもらった

「九州男児」

許國雄は大正11(1922)年、台湾海峡中の澎湖諸島に生まれた。父は教員で、昭和元(1925)年に高雄市に転勤したので、國雄はそこで堀江尋常小学校に入った。ここでは日本人子弟と日本語の得意な台湾人子弟が机を並べて学んでいた。國雄はそこからさらに高雄中学に進学した。

中学卒業後、國雄は九州歯科医学専門学校(現在は九州歯科大学)で歯学を、さらに九州高等医学専門学校(現在の久留米大学医学部)で医学を学んだ。小倉市と久留米市で学生生活を送ったので、國雄は「九州男児だと自称している。

在学中に大東亜戦争が勃発し、國雄は「欧米の支配からアジアを解放する時が来た」と喜んだのもつかの間、昭和20年に敗戦。日本は台湾を放棄し、中華民国が接収することとなった。

國雄は一夜にして、敗残の大日本帝国臣民から戦勝国・中華民国の国民となったのだが、昨日まで一緒に空襲の際には防空壕に逃げ込んだ日本の友人たちのことを思うと、そんな気持ちの切り替えはできなかった。

連合国軍の手配した旧日本軍の駆逐艦に乗って、台湾に帰った。規律正しい日本軍に代わってやってきた中華民国軍はみすぼらしく、裸足で天秤棒に鍋釜を下げている兵も多かった。ここから台湾人の悲劇が始まったのである。