急増する「ヤミ民泊」。大都市圏では98%が許可ナシ運営の実態

新たに「年間の営業日数は180日まで」という上限が設けられる一方、許可制に比べてハードルの低い「届出制」が採用されるなど、今ひとつ焦点が定まっていないようにも受け取れる「民泊新法」が、まもなく国会で成立しようとしています。そんな中、無許可で部屋を貸し出す「ヤミ民泊」が増え続け、マンション管理の大きな悩みの種となっているという現状も。今回の無料メルマガ『まんしょんオタクのマンションこぼれ話』では、広がるヤミ民泊と民泊許可取得の現状を伝えています。

マンション民泊問題第2幕が開く

こんにちは! 廣田信子です。

民泊新法が3月10日に閣議決定、国会での成立が目の前に迫っています。合法、非合法にかかわらず、民泊禁止を管理規約を早々盛り込んでいるあるタワーマンションの理事さんが言います。

民泊禁止の規約があっても、民泊はいっこうに減らないよ。仲介業者が、どんどん利口になって、物件の特定が難しくなっているし、仲介業者の数も増えているので、正直、もう追い切れない。しかも、業者側の自己防衛が進み、当初に比べれば、宿泊者や管理業者の迷惑行為も減ってきているので、実態が見えにくくなり、厳しい対応が難しい。投資目的の区分所有者も多いので、もう、このままなし崩しになるんじゃないだろうか…。

しかし、セキュリティに対する不安は一向に減っていないのだから非常に怖い。防犯カメラや警備員を増やすことを考えなければいけないんじゃないかと思うが、民泊は規約で全面禁止なので、民泊があることを前提にした対応策も立てられない。テロも怖いので、東京オリンピック前の最高値で売って、引っ越そうかと本気で考えている

これが実態だと思います。

台湾人は忘れない。命を落としてまで台湾に尽くした5人の日本人

先日掲載の記事「なぜ台湾の若者は今「日本統治時代」の映画を好んで観るのか?」でもご紹介したように、台湾の若者たちの間で「日本懐古ブーム」が続いています。今回の無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』によると、日本統治時代に日本人と台湾人が力を合わせて作った建造物や鉄道も注目を集めているのだそうです。一体なぜ? メルマガ著者の伊勢雅臣さんが、台湾在住の作家・片倉佳史氏の著書をひきながら、日台両国の人々の絆、そして日本統治時代について考察しています。

台湾人と日本人が共に生きた日々

2009年3月22日の日本経済新聞に「台湾『御用列車』復元へ」という記事が載った。台湾の鉄道事業を担う台湾鉄路管理局が、観光振興の目玉として「御用列車」の復元に乗り出したという。

第一弾は40年前に作られた蒋介石総統用の御用列車だが、その後、日本統治時代の1904(明治37)年に製造された台湾総督専用の客車と1912(大正元)年に完成した皇室専用客車との二つも復元候補に挙がったという。後者は大正12(1923)年、皇太子であった昭和天皇が12日間台湾を回られた時に使われたお召し列車であった。

「日本帝国主義の植民地支配」を糾弾する韓国・北朝鮮から見れば信じられない発想であろう。

台湾では古蹟や建築を訪ね歩くのが一種のブームになっている。台北市内の書店では、歴史や建築に関する書籍が数多く刊行されていて驚かされるし、大型書店なら、台湾詩と建築ガイドの専門コーナーをそれぞれ別に設けているところもある。
(『台湾に生きている「日本」』片倉佳史 著/祥伝社)

台湾に住み、歴史や風土も含めたガイドブックを何冊も著している片倉佳史氏はこう語る。観光資源として御用列車を復元しようというのも、この歴史ブームの一環だろう。

その片倉氏の『台湾に生きている「日本」』は、台湾に残る日本統治時代の遺跡を紹介しつつ、それを通じて台湾人と日本人が共に生きた日々を思い起こさせてくれる好著である。今回はその中からいくつかのエピソードを紹介したい。

「阿里山開発の父」

観光用の鉄道としては、台湾中南部、国家風景区(国定公園)に指定されている阿里山の森林鉄道が有名である。軌道幅は762ミリと狭く、小さな鉄道であるが、標高差は2,244メートルに及び、連続スイッチバックやスパイラルもあり、美しい車窓を堪能できる。アンデス高原鉄道やインドのダージリン鉄道とともに、世界三大山岳鉄道の一つに数えられている。

現在は蒸気機関車の復活運転なども実施され、観光用に使われているが、もともとは日本統治時代に、阿里山で伐採される豊富な木材の搬出用に作られたものだった。

阿里山は15の山々の総称で、その一つが東アジアの最高峰(標高3,952メートル)玉山(ぎょくさん)である。戦前は新高山と呼ばれていた。明治天皇により「新しい日本最高峰」の意味で名づけられたものである。

現在は台湾を代表するマウンテン・リゾートとなっており、遊歩道なども整備されているが、その途中、鬱蒼と生い茂った樹林の中に一つの石碑が建っている。正面には「琴山河合博士旌功碑」と刻まれている。河合博士とは「阿里山開発の父」と呼ばれた河合鈰太郎博士で、琴山とは博士の号である。「旌功」とは功績を顕彰すること。

河合博士は日本における近代森林学の先覚者として知られている。名古屋の出身で、明治23(1890)年に東京帝国大学農科大学を卒業、その後、ドイツとオーストリアで欧米の林業学を学んだ。明治35(1902)年に台湾総督府民政長官・後藤新平に請われ、台湾での林業開発を指導することとなった。

また人間の仕事が減る…吉野家が食器洗いにロボットを導入

牛丼チェーンの吉野家は、食器洗浄工程にロボット「CORO(コロ)」を導入したいう。

その様子を撮影した動画が公開されたので、ご覧いただきたい。

吉野家のロボットは、一体どんな感じなのか!?

 

 

「CORO(コロ)」は、食器洗浄機で洗浄された器を積み重ねていく。

店員さんの作業負荷の軽減につながっているらしい。

その動きが、どことなく遅いような気もするが・・・。

もっと、スピーディに動くのかと思った。

だが、また一つ人間の仕事が減ることには違いない。

(※↓詳しくはコチラへ)
参照・画像出典:YouTube(Life Robotics Inc. Official Channel)
関連:吉野家オフィシャルサイト
(本記事は上記の報道や情報を参考に執筆しています)

記事提供:ViRATES

 

日本企業の世界進出は、素晴らしき日本文化を拡散するための先兵だ

中東の紛争、中国の暴走、世界の警察を止めた米国…、世界情勢はまさに混沌とした状況を迎えています。世界中が争うことを止めない現在の世界情勢について、メルマガ『国際戦略コラム有料版』の著者・津田慶治さんは、このままでは「地球上の人類が死に至る」と警鐘を鳴らしています。

日本文明の世界への拡散

日本の文明的な価値は、仏教と神道、それに儒教が持つそれぞれの思想が融合していることである。特に仏教で仕事を無想の境地への手段としたことで、それにより問題解決能力が高まることである。これを世界に拡散させる必要がある。それを検討しよう。

日本の精神文明が世界に出る時代に

世界は、現在、混乱の時代になってきたようである。今まで世界を引っ張ってきた米国が、その立場を変えて米国第一主義となり、普遍的な価値観で世界を指導することを放棄するようである。

普遍的な価値観が放棄されると、世界的な弱肉強食の時代になるし、各国が自己主張をして戦争を起こすことになり、世界的な混乱が予想できる。北朝鮮のように生き残りのために核開発やミサイル開発が必要ということになる。

まさに仏教の言う末法の時代になり、キリスト教の黙示録の時代になってきたことを意味している。

もし、科学技術を活用して戦争すると地球全体が壊れてしまうために、地球上の全人類が死に至ることになり、次善の策として、個々の主張を調和することが大切であり、そのような世界を作るしかないように感じる。

よって、平和を維持するためには、皆が問題解決能力を上げて、自己の利益だけではなく、他者の意見も聞き、調和点を見つけることが必要になってきている。

自己主張という低次元での戦争による問題解決から、全体の調和が必要という思想は、神道の神々の調和から日本人は大昔から知っていることである。負けた神も陪神として祭る。敗者の主張も取り入れて、敗者を取り込むことを積極的にして、調和を取る努力をしている。負けた出雲の神をまつる巨大な出雲大社もその例である。

また、仏教では、自己を無想の境地にする状態を作り問題解決案を見つける手段とした。そして、ヒンズー教や仏教の無想の境地への手段はアジアだけの特性である。

世界の規範として、ルールが必要であるが、そのルールが儒教である。ルールは欧米的なルールであろうと同じであるが、儒教はルールの優先順位を決められる。

そして、忠と孝の優先順位が中国と日本では逆転している。日本は家族より会社の方が重要で、親の死に目にあえずに仕事をしていたことが美徳として物語になるが、中国では閨閥社会であり、ありえないことである。

というように、現在、世界の問題を解決する方法論としては、各国が、三教を融合した日本の精神文明を取り入れて行く必要になっている。しかし、三教が完全融合したために、日本人でも何が仏教由来で、何が神道由来や儒教由来かが分からない。

それをアニメや和食などの文化にして世界に発信したことで、世界の若者たちが、日本の精神文明や文化に期待をしているように感じる。

しかし、日本の精神文明を世界に拡散するには、今までの方法だけでは足りない。根本的な日本文明の拡散が必要になっている。

【英会話】「日常会話ができるレベル」が一番難しいというワナ

新年度を迎えるにあたり、英会話の勉強を始めてみよう、スクールに通ってみよう、とお考えの方も多いかと思います。けれども、教材や学校が山ほどあってどれを選んだらいいのかわからない…そんなお悩みに無料メルマガ『1日1粒!「幸せのタネ」』の著者・須田將昭さんが答えを示してくださっています。まずは自分に聞いてみること、だそうですよ。

目標を明確にすること

英語を話せるようになりたい、と思っている人は想像以上に多いのだろうと思います。書店に行けば英語教材のコーナーは、他のどのような分野の教材よりも群を抜いて分量が多いように見えます。それだけ関心が集まることなのに、実際には意外に中身が漠然としています

というのは、「英語を話せるようになりたい」と思っているその中身が具体的に「どのくらいに?」というのが見えていないことが多いように感じます。

例えば「日常会話ができるぐらい」というイメージ。これが実は厄介。「難しい話はできなくてもいいけど、日常会話ができるといいな」というイメージかもしれないのですが、実は私たちが日常生活で交わしている会話ほど、テーマがとりとめなく変化していくものはありません。むしろ専門的な会話の方が範囲が限られていて手のつけようがありますが、日常会話の方がよほど大変です。

語学教育の現場では、ずいぶん前から「学習者主体」という言葉が重要なキーワードとして扱われてきました。教師が教えたいこと、教えるべきと思うことを教えるのではなく、学習者がもっと学ぶことに主体的に関わっていくのが望ましいという考えです。

とはいえ、この価値観は、教える側にとっても学ぶ側にとっても「不慣れな」感覚です。教室で座っていれば、先生が必要なことを教えてくれる、という「受け身の姿勢ではダメだということを学ぶ側に突きつけているということでもあります。

昨今話題の「アクティブラーニングも根っこは同じです。学ぶ側の主体的な関わりを求めています。教わる側も変わらなければなりません。

その中で、語学が一番わかりやすいと私は思います。どんな風に英語を話せるようになりたいのか、という目標が明確になれば、どんな授業を受けたいか、というのがおのずと明確になってきます。

教材を選ぶのも、英会話教室を選ぶのも、あるいは他の英会話学習の素材を選び取るのも、まず「どんな風に話せるようになりたいか」の目標をもう少し細かくイメージしていくことがスタートになるはずです。

なんとなくペラペラになったらいいなあ…では、本当にいいものを選ぶのは難しいものです。

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アツアツのラーメンを食べると「むせる」のはどうして?

鍋やラーメンなど、熱いものを食べようとしてむせた経験はありませんか?

健康な人でもむせることはありますが、そこには病気が隠れている可能性もあります。

今回は、この「むせる」しくみや、病気との関係についてご説明いたしましょう。

「むせる」とはどういうこと?嚥下のしくみ

食べ物を飲み込んで胃に送ることを専門的に「嚥下(えんげ)」といいます。

「むせる」という反応は、食べ物の摂取・嚥下(えんげ)と大きく関係しています。

私たちが摂取した食べ物は、口、咽喉、食道を通って胃に運ばれます。

口から摂取した食べ物は、口腔内で飲み込みやすい形に咀嚼(そしゃく)され、唾液などと混ざりながら、消化のしやすい形(食塊;しょっかい)へと変化します。食塊は、咽喉を通って食道、胃へと運ばれていきます。

食塊や水分が誤って気道に入ることを「誤嚥(ごえん)」といいますが、嚥下の際、誤嚥が起こらないように私たちの身体にはさまざまなしくみが備わっています。

たとえば、食塊が食道へ入るときには、「喉頭蓋谷(こうとうがいや)」という部分が下がったり、声門が閉じるなどして気道を遮断します。

このほかにも、さまざまなしくみによって、誤嚥が起こらないようになっています。

とはいえ、何らかの原因でこれらのしくみがうまく働かず、誤って気道や気管支に入ってしまうことがあります。すると、食塊や水分を気道から取り除こうと、反射的にせき込み「むせる」という反応が起こります。

多くの方が「むせる」経験をしたことがあるように、たとえば急いで食べたときなど、健康な人でもむせることはあります。

ただ、その回数が多い場合には、加齢や何らかの病気によって摂食や嚥下の機能が低下している可能性があります。

摂食や嚥下の機能が落ちることでむせることがあるとお伝えしましたが、実はこのほかのことが原因でむせることがあります。

次からご説明していきましょう。

気管が過敏だとむせる

熱い食べ物を食べたときにむせることが多い場合には、気道が過敏になっている可能性があります。

熱い食べものを口に取り込む際、食べ物と一緒に私たちはその湯気を鼻から吸い込んでいます。

鼻は気道につながっているため、吸い込まれた湯気は気道に到達します。

このとき、気道が過敏になっていると、気道が湯気に反応して息苦しさを感じたり、むせることがあります。

それでは、気道が過敏になっているとはどういう状態を指すのでしょうか?

口や鼻から吸い込んだ空気の通り道である気道は、口や鼻を通り、気管、気管支へとつながっています。

気道は粘膜で覆われています。

何らかの原因によって気道に炎症が起こると、粘膜の分泌物が増えて粘膜がむくんだり、粘膜の外側を覆っている筋肉が収縮するため、気道が細くなります。

気道が細くなると、熱さ、冷たさ、ホコリ、タバコの煙などのちょっとした刺激にも反応して、むせたり、咳き込みやすくなります。

病気の症状としてむせることも

ここまでむせる理由についてお話をしてきました。

先にお話をしたように、食べ物の食べ方や気道の状態によっては、健康な人でもむせることはあります。

ただ、最近その回数が増えた、という場合には、病気の症状としてむせている可能性があります。

「むせる」ことを症状とする病気には次のようなものがあげられます。

嚥下の障害

・口やのどの病気
舌や口腔内、のどなどに炎症があると、炎症部分や腫瘍が食塊の通り道の妨げとなって、嚥下のしくみに支障をきたすことがあります。すると、食道への通り道が阻害され、誤嚥が起こってむせやすくなります。

例:舌炎、口内炎、扁桃炎、咽頭炎、食道炎、食道がん、舌がんなど

・身体の機能的な病気
脳や神経などの病気では、のどや口腔内の機能が低下して食塊を送り出すスピードが落ち、のどにつかえやすくなったり、むせることがあります。

例:脳卒中、脳腫瘍、頭部外傷、パーキンソン病、筋委縮症(きんいしゅくしょう)など

・精神的な病気
自律神経には身体の機能を調節する働きがあり、気道や唾液の分泌など、嚥下にかかわる機能も影響を受けています。

ストレスなどで自律神経のバランスが崩れることで、のどのつかえや飲み込みにくさといった症状が現れ、むせることがあります。

例:自律神経失調症、心身症など

これらの病気以外にも、加齢による、のどの筋力が落ちるなどで嚥下の機能が弱くなり、食べ物がのどにつかえやすくなったり、むせやすくなったりします。

誤嚥が起こりやすくなると、食塊や水分とともにウィルスも気管や気管支に侵入しやすくなるため、「誤嚥性肺炎(ごえんせいはいえん)のリスクが高まります。

気道の過敏性が関係する病気:喘息

気道が過敏になると、むせることがあるとお話をしましたが、気道の過敏性が高くなる病気があります。

それは、「喘息(ぜんそく)」です。

喘息になると、気道の過敏性が高くなってちょっとした刺激で気道の収縮やそれによる発作が起こりやすくなります。また、蚊取り線香や熱さ・冷たさといった刺激にも反応し、むせやすくなることがあります。

このように、むせることに関係した病気はいくつもあります。

「最近、むせることが多くなったな」と感じるときは、自分がどんな場面でむせているのか、チェックしてみましょう。

たとえば、熱い食べ物を食べるときにむせることが多いのであれば、1度に口に入れる量を調整するなど、まずは食べ方を工夫してみましょう。

それでも症状が改善されない場合には、先ほどご紹介した病気が関係している可能性も否定できません。

気になるときは病院を受診しましょう。

 

執筆:吉村 佑奈(助産師・保健師)
医療監修:株式会社とらうべ
 

<執筆者プロフィール>
吉村 佑奈(よしむら・ゆうな)
助産師・保健師。株式会社 とらうべ 社員。某病院での看護業務を経て、現在は産業保健(働く人の健康管理)を担当

<監修者プロフィール>
株式会社 とらうべ
医師・助産師・保健師・看護師・管理栄養士・心理学者・精神保健福祉士など専門家により、医療・健康に関連する情報について、信頼性の確認・検証サービスを提供

image by: Shutterstock

 

【関連リンク】

G7すらそっぽを向く。世界中がアメリカの弱体化に気づき始めた

先日掲載の無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』の記事「中国主導のAIIB、参加国が70か国に激増。日米さらに孤立」に対して、読者の方からご意見が届きました。投稿者が友人のストラテジストに聞いたところによると、「AIIBに英独仏が参加しているのは、中国の暴走を押さえ込むためのG7の戦略」であるとのこと。それが真実だとすると、中国がまんまとアメリカを含むG7の策略にはまっていることになりますが…、メルマガの著者である北野幸伯さんは、異なる見方をしているようです。

アメリカは弱体化し、G7すら支配できていない現実

先日配信の記事について。まだ読まれていない方は、まずこちらをご一読ください。

中国主導のAIIB、参加国が70か国に激増。日米さらに孤立

これについて読者のSさまから、ご意見をいただきました。

北野様

 

何時も貴重な情報有り難うございます。貴殿のAIIBの見解につき一言述べさせて頂きます。

 

G7いやG20の主要国家でAIIBに不参加は日米。貴殿はアメリカの言うことを無視しイギリスが参画したので各国が参画した! として中共がアメリカに勝った! としてます。

 

しかし狙いはAIIBに関するG7首脳会議を秘密裏に実施して世界No1、3(実質はNo1、2ですが)日米が不参加にしてイギリス、ドイツ、フランス等G7組が主導して中共のAIIB運用を制御。且つ若し中共が力を行使したら外から日米が叩く、且つG7組が脱退して中共の面子を潰す。と言うG7戦略です。

 

もうひとつは中国共産党一党独裁軍国主義ファシズム専制統治国家の中華人民共和国の統治システムをG7並にするべく金融システムから中共を国際水準にして中国共産党特権階級の強硬派を押さえ込む戦略です。

 

友人のHSBCストラテジストに聞きました。御見解下さい。

まず、基本的なところから。

イギリス、ドイツ、フランス等G7組が主導して中共のAIIB運用を制御。

中国は、AIIB議決権の26%を握っているので、英独仏が主導することは不可能です。AIIBは、事実上、「中国が支配する国際金融機関」です。

次に、Sさま(あるいはHSBCストラテジスト)は、「G7は表面的に分裂しているように見えるが、実は一体化して動いている」というご意見。そうなのでしょうか?

日本と世界の見方のズレ

よく「日本の常識は、世界の非常識」とか、「日本の非常識は世界の常識」などと言います。それがホントかどうかはわかりませんが、実際、「日本国内の見方と世界の見方は違う」と思うことがあります。

一番最初に感じたのは、1990年のこと。この年、私はモスクワに留学しました。すると、ソ連人も世界中から来ていた留学生も、みんな日本のことが大好きだった。「自虐史観」で育った私は、「おいおい、日本は世界中で嫌われているんじゃないのか???!!!」と驚いた。「洗脳」から解放されたのですが、別の言葉で「日本国内の情報と外国の情報のギャップに気がついた」ともいえます。

今も、日本国内の情報と、世界の情報には大きなギャップがあります。たとえば、「G7は、一つにまとまっていて、一体化して動いている」。これは、「アメリカは今もとても強く、G7を支配している」という考えが基になっているのでしょう。

アメリカは確かに強力です。GDPでも軍事費でも、圧倒的に世界一。しかし、相対的にその力は衰えている。だから、オバマは、「アメリカは世界の警察官ではない!」と言う。トランプは、「アメリカを、『再び』偉大な国にする!」と言う。つまりトランプと彼を支持している米国民は、「アメリカは現状『偉大ではない』」と認識している。

実際、世界の見方は、「アメリカ一極世界は08年からの危機で終わった」です。オバマ時代の8年で、アメリカは、ますます弱くなった。「アメリカは、今も世界の隅々までを支配している。G7諸国はアメリカの言いなり。だから、AIIBに関する行動についても、何か『裏』があるはずだ」に関して、私はそう思いません

【米国小学5年クイズ】北アメリカが接している海は?ほか全5問

アメリカの小学生・シャーロットちゃんが英語問題を出題する人気シリーズ。今週も、小学5年生の問題です。シャーロットちゃんがさりげなくくれるヒントをたよりに、がんばって解いてみましょう。

出題は地図を読む問題や、偉人の功績についてなどです。アメリカの小学生が学校で習っている問題、君はいくつ解けるかな?レッツ・チャレンジ!

クイズが表示されない方はこちらから>>

 

いかがだったでしょうか? 知らない単語があった人は、ぜひこの機会に覚えておきましょう。次回も、乞うご期待!
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小学5年生問題の復習はこちら

第1回【米国小学5年クイズ】金属はすべて液体になる?ほか全5問

小学4年生問題の復習はこちら

第1回【クイズ】いよいよ4年生へ。米国小学生のテストで脳トレしよう
第2回【クイズ】解けたら達成感。米国小4レベルの問題に挑戦しよう
第3回【米国小4レベルのクイズ】並列につないだ電球の片側を切ると?
第4回【米国小4レベルの問題】バスコ・ダ・ガマが発見したのはどこ?
第5回【米国小学4年クイズ】アメリカ第一の州といえば、どこ?
第6回【米国小学4年クイズ】リンカーン大統領は何をした人?
第7回【米国小学4年クイズ】フランス帝国を築いた人物の名前は?

このシリーズの問題一覧はこちらから

【大阪・鴻池新田】ラーメン官僚が旨すぎて丼に頭を垂れた、芳醇醤油鶏そば【麺や而今】

日本全国に数多あるラーメンの中でもとっておきの一品を食べ歩きながら紹介する、ラーメン官僚かずあっきぃこと田中一明さん。豪華執筆陣による興味深い記事を1本から購入できて読める、まぐまぐの新サービス「mine」で無料公開中の、田中さんの記事から本日ご紹介するのは、大阪・鴻池新田「麺や而今(じこん)」の芳醇醤油鶏そば。今まで12,000杯のラーメンを食べ歩いたラーメン官僚が美味すぎて思わず頭を垂れた、芳醇醤油鶏そばのお味とは?

オススメ!【ラーメン官僚かずあっきぃの麺遊記】麺や而今

麺や而今@鴻池新田にて、芳醇醤油鶏そば&親鳥のせせり黒胡椒焼き。

オープンは2011年。言わずと知れた大阪を代表する実力店だ。

店舗の場所は駅から鴻池新田駅から徒歩10分。エリアは大阪の市街地から少し外れるが、JR東西線・学研都市線を上手く活用すれば、アクセスは困難ではないだろう。

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基本メニューである「芳醇醤油鶏そば」を注文させていただいた。

まずは結論から一言、これは間違いなく美味い! 美味すぎる!!

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鶏ベースの清湯スープは、鶏ガラのほか、もちろん丸鶏もフル活用。

鶏の存在感を最大限に打ち出した上に、鰹節・鯖節・宗田節・昆布のグルタミン酸を被せ、さらには鮎から創り出す「鮎魚醤」を折り重ねる。

このような過程で創られたスープは、ひと口で丼の世界に吸い込まれそうになるフルボディの味わいを誇る。

凄絶なレベルの高さに、思わず丼の前で頭を垂れてしまったほどだ。

カエシもまた、非の打ち所のない絶品!

新小岩の人気店『一燈』で用いられている「日本一醤油」の生揚げ醤油を惜しげもなく用いるなど、豊潤な出汁に負けないだけの力強さが印象に残る。

サイドメニューとして注文した「せせり」も、高級居酒屋顔負けの逸品。

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嗚呼。このような店が何軒もあるのだから、大阪は面白い。

自身が食べて美味かったラーメンのみUPする、田中一明さんの記事をチェックしたい方はこちらでフォロー

DATA

麺や而今

営業時間 11:00~14:30 18:00~21:30 ※スープ切れ次第終了
住所 大阪府大東市灰塚6-7-9
定休日 火曜(祝日の場合は営業)

 

銀座はなぜ「買い物天国」と言われるのか? 写真で比べる銀座の変遷

銀座といえば「お買い物」。有名ブランド店や高級デパートが立ち並ぶ銀座は、街を歩くだけで気分がワクワクしますよね。銀座はかつて尾張町と呼ばれ、江戸時代からたくさんの呉服屋が立ち並ぶ買い物天国の街でした。この街は今も昔も、訪れる人をワクワクさせ、街全体で買い物客の「おもてなし」をしてきたんです。それにしても、なぜ銀座は人々をここまで惹き付けるのでしょうか? 前回、好評を博した「写真で銀座の変遷を追う」シリーズの続編として、今回は、買い物天国としての銀座の変遷を探ってみたいと思います。

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尾張町「江戸名所図会 7巻」より

銀座は歩道が広くてストレスが少ない

銀座の街を歩いてて気づくことは、ガードレールが少なく歩道が広いこと。銀座の中央通りの歩道は6.25メートルもあり、買い物客に優しい街なんです。銀座の街は明治5年(1872年)に「銀座大火」に見舞われ、一円が焼失するという大きな被害を出しました。しかしその直後、明治政府は国家予算の1/27という巨費を投じ、銀座を燃えにくい煉瓦作りの街に変えたのです。この時、道路と歩道部分が拡幅され、それまでの2倍の広さになったんだとか。多くの買い物客がすれ違う歩道でも、ゆったりと歩けるのはこういう過去があったんですね。そして1970年には土日限定で「歩行者天国」が始まりました。

銀座をぶらぶら歩く銀ブラには諸説あり?

銀座といえば銀座をぶらぶら歩く、通称「銀ブラ」。最近は銀座でブラジルコーヒーを飲むという説も出てきましたが、いずれにせよ銀座の街がいかに昔から愛されていることがわかりますね。そんな銀ブラを楽しむ人々に愛されていたもののひとつに「柳」があります。銀座の柳は多くの文学作品や歌謡曲に登場し、銀座のシンボルと言われていました。銀座の街が大火や戦火で消失する度に有志によって植えられてきた街路樹の柳。その後、東京オリンピック前後の都市整備時に撤去されましたが、今も銀座には「銀座柳通り」があるように、人々が行き来する「通り」にこだわりのある街として知られています。 

銀座は建物に統一感がある

そういえば銀座の中心に超高層ビルがないことにお気づきでしょうか? 銀座の建物は、大正8年(1919年)の市街地建築物法により、最高の高さが31メートルに制限されました。現在の4丁目交差点付近の建物がほぼ同じ高さで揃っているのはこのためなんです。その後、新「銀座ルール」により、髙さ56メートル(+工作物10メートル)までに改変されましたが、解放感があるのは変わりません。銀座の街が整然とした雰囲気を出しているのはこの統一があるためなんですね。伝統と調和した美しい街並みに入ると、なんだか身が引き締まります。

銀座は景観にもこだわっている

かつての銀座の街にもガス灯や電線があり、路面電車が走っていたことをご存知でしょうか? 都電銀座線が廃止された昭和42年(1967年)、それまで銀座の空を覆っていた電線、電話線などを地下の共同溝に移しました。上下水道、ガスなども含む共同溝は、銀座通りを銀座1丁目から8丁目までの歩道に深さ2m、幅2.8m、長さ1760mとなる大規模なもので、その上に御影石が敷かれ、現在、私たちが歩いている歩道となりました。銀座の街を歩いていてどこかヨーロッパの街のような解放感があるのは、景観にもこだわっているからなんですね。銀座でお買い物したい! と思うのは、こんなところがポイントなのかもしれません。

銀座のショーウィンドウは、もはや芸術

銀座は眺めるだけで楽しい街。その街歩きを楽しくしているのが、ショーウィンドウ。買い物客の目を奪う銀座のウィンドウディスプレイはもはや芸術とも言われています。銀座にショーウィンドウができたのは明治3年(1870年)頃で、文明開化とともに西洋からいち早く大きなガラス板を輸入し、百貨店の壁にはめ込んだショーウィンドウが設けられました。国内ではまだ珍しかったガラス張りの装飾空間に多くの日本人が驚いたことは想像に難くないですね。

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この写真、実はショーウィンドウに飾られたマネキンなんです。大正15年(1926年)に松屋銀座に飾られたもので、花嫁衣裳をまとい、当時珍しかった自動車でお嫁入りするマネキンでした。“生き人形”と呼ばれたこの人形は、和装マネキンの先駆けとなり、これ見たさにわざわざ松屋を訪れる方もいたとか。戦後GHQに接収され、松屋がPX(Post Exchange)となった時、地下に格納されていた生き人形に、進駐軍の人々がたいそう驚いたという逸話も。

2009年のスワロフスキーエレメントの豪華なクリスマス展示(Christmas Stars 2009)は銀座にさらなる華やぎを与え、話題となりました。毎年銀座では、クリスマス時期の全域の店舗を対象に「銀座ディスプレイコンテスト」を開催しています。ショーウィンドウに日本一こだわる銀座ならではのイベントですね。

銀座はビルそのものが美しい

銀座の街並みをラグジュアリーに見せているのが、建物の装飾豊かなファサードではないでしょうか。現在、再開発が相次ぐ銀座通りの建物は、ガラスのファサードが多く、ビルそのものがキャンバスとなってブランドや商品のイメージを語るように変化しています。

外から見て楽しく、近づいてショーウィンドウを見て驚き、そして一歩店内に入るとその世界観に包まれるといったスケール感の大きなディスプレイが特徴的。お買い物をしながら、大好きなブランドの世界観にまで入り込むことができるとはなんとも素敵ですね。

夢を売る銀座の百貨店

銀座で買い物と言えばやはり百貨店。銀座は最先端のモノと商人が集まる日本一の商業都市で、言わば日本人の消費を見守ってきた街でもあります。その中でも百貨店の中央ホールは、買い物にやってきたお客様に夢を与える場として、各店舗ともに特に趣向を凝らしたイベントを開催してきました。

大正14年(1925年)に完成した百貨店・松屋銀座は、天井まで吹き抜けの中央ホール、スペース・オブ・ギンザ(SOG)を設置し、イベントごとにデザイン性に富んだ展示を行っています。その中でも画期的だったイベントをいくつか紹介します。

東洋一の「空中エスカレーター」

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昭和31年(1956年)、中央ホールの脇に設置された空中エスカレーター、通称「スカイリボン」。総ガラス張りの手すりが特徴的で、まるで空中を昇っているかのような新感覚のエスカレーターとして人気に。出来た当時は東洋一とも言われました。

昭和の初期に女性の水着ファッションショーを開催

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日本で初めて「ファッションショー」が開催されたのが昭和2年(1927年)とされています。松屋銀座では、そのわずか4年後の昭和6年(1931年)に初めて女性水着のファッションショーを行いました。それにしても当時の女性の服装はまだ和装中心戦前の女性向けに、これほど華やかなイベントがあった事実だけでも、本当に驚きです。

梅雨に傘が咲き乱れる名物催事『百傘会(ひゃくさんかい)』

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昭和初期から毎年スペース・オブ・ギンザで梅雨時に開催される名物催事『百傘会(ひゃくさんかい)』。吹き抜けの空間に色とりどりの傘が飾られ、雨の日の買い物客の気持ちを浮き立たせています。

車や飛行機もまるごと売った「レジャーABC大作戦」

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創業100周年の昭和44年(1969年)には、当時の総工費600万円をかけ、ホール空間いっぱいにレジャー時代の幕開けを表現するイベントを開催。空間造形シリーズ「くらしの未来学 レジャーABC大作戦」と題されたこのイベントでは、A=AIR PLANE、B=BOAT、C=CARをまるごと展示したこともあったそうです。もちろんそれぞれ買い求めにも応じたとのこと。松屋銀座のスケールを感じさせる驚愕のイベントですね。

創業150周年に向けて新しいスペース・オブ・ギンザの演出

現在、SOGは改装中。まもなく装いも新たにオープンするそうです。そこはまたファッション、文化、テクノロジーと様々な分野に目配せをした未知なる体験へと、誘ってくれることでしょう。その興奮を、百貨店内だけでなく、街からも大きなうねりとなって感じられるのが銀座の素晴らしいところ。

今回わかったことは、銀座は街そのものが、まるでアートだということ。それゆえ単なるお買い物なのに、どこか特別な空間に招待されたスペシャル感すら感じます。独創的でありながら伝統のある街、高級な品位を保ちながら感性も高く、そして安心・安全に買い物が楽しめる街。これまであまり意識しなかった方は、次に銀座を訪れた時にこの「銀座らしさ」をぜひ感じ取って下さい。何気なく歩いていた街がきっと愛おしく見えますから。

そんな銀座を90年以上見守ってきた松屋銀座は、1869年(明治2年)創業から、もうすぐ150周年を迎えようとしています。お買い物のワクワクを常に演出し続ける銀座に、松屋銀座の新たなるSOGがどんな演出を加えてくれるのか、楽しみですね。

 

PR:松屋銀座

写真協力:Chuo City Kyobashi Library

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