年金 未納

それ、知らない。年金未納の人が被るイタいデメリットとは?

年金納付書に書かれている「期限までに保険料を納めないと遺族年金や障害年金が受け取れない場合があります」といった注意書き。実際まだ受け取る立場になっていないため、ほとんどの人が気に留めてもいないと思います。しかし、無料メルマガ『年金アドバイザーが教える!楽しく学ぶ公的年金講座』の著者で年金アドバイザーのhirokiさんは、「この意味をきちんと理解しておかないと後で後悔することになる」と警鐘を鳴らしています。

どうして年金保険料の未納は避けろって言われるのかの深〜い理由

よく、国民年金保険料納付書とかに、「期限までに保険料を納めないと遺族年金や障害年金が受け取れない場合があります」…みたいな注意書きを見かける事があると思いますが、あれは何を意味するんでしょうか?

僕も、年金の事を知るまでは何のこっちゃ? と意味がわかりませんでした(笑)。意味はわからなかったけど、学生の時は保険料免除をしていました。

何を意味しているかというとですね、「年金は保険だから死亡とか障害を負った日までにある程度ちゃんと年金保険料を納めてリスクに備えてきたかな〜?」っていうのを見るんですね。これを保険料納付要件というんですね。

だから、あんまり未納にしちゃうと、未納が多くてちゃんとリスクに備えてこなかったから遺族年金や障害年金貰う条件満たさないから支払いません! っていう事態があるから、注意書きをされてるわけです。

高級マンションは住居にあらず。訪日外国人相手に大儲けする人々

法律が変わり、年間180日の営業日数上限が設けられた「民泊」。思ったより儲からないことに気付いた一部の富裕層は、別の貸し方を選び始めているようです今回の無料メルマガ『まんしょんオタクのマンションこぼれ話』では著者でマンション管理士の廣田信子さんが、まだあまり広く知られていない「サービスアパートメント」について、そして変わりつつある「マンション投資」について詳しく解説しています。

「民泊」の次は「サービスアパートメント」

こんにちは! 廣田信子です。

「ホテル」「民泊」以外の訪日外国人の第三の受け皿として、「サービスアパートメント」の存在がクローズアップされています。楽天が出資する不動産関連会社が、長期滞在の訪日外国人向けに、ホテル機能を持つ高級賃貸住宅である「サービスアパートメント」の仲介を始めるため、近く利用申し込みサイトを稼働させるといいます(8月9日 日経朝刊)。

サービスアパートメント」とは、ホテルのようなサービスが付いた居住空間で長期間滞在できる形態です。家具や家電、食器、インターネット環境などが整えられ、さらに長期滞在に対応できるようにキッチンやユーティリティの機能もついています。そこに、ホテルのような、シーツやタオル交換、清掃サービスがついています。

民泊のAirbnbが、コマーシャルで「暮らすように旅しよう」と宣伝していますが、その長期滞在型ということでしょうか。住宅としての機能を持つものにホテルのサービスを付加した「賃貸住宅」という位置づけです。「賃貸住宅」というからには、賃貸借契約を結ぶわけで、そこが「民泊とは大きく異なります

ただし、「普通借家契約」ではなく契約期間を自由に設定できる「定期借家契約」という契約形態でしょう。ですから、1年未満の契約が可能で、敷金や礼金はとりません。

こういった形態には、「ウィークリーマンション」とか「マンスリーマンション」というものがもともとありますよね。「サービスアパートメント」は、サービス付きのマンスリーマンション」とも言えます。

実は外が丸見え、狭すぎる間口。京の町家に隠された謎を解く旅へ

京都の街角を歩くとばったり出会う、古い町家の並ぶ風景。家の中に入れる機会はそうそうありませんが、今回の無料メルマガ『おもしろい京都案内』では、著者で京の都に造詣が深い英学(はなぶさ がく)さんが、この京町家の詳しい解説と全貌を紹介しています。秋からの京都旅行を計画している方は必見ですよ。

京町家の謎と魅力

京都の街を歩くと、趣き深い町家の風景に出会うことができます。細長い敷地に建てられた京町家は「うなぎの寝床」と呼ばれます。玄関の間口部分が狭く奥行きが縦長で深い造りが特徴です。今回はこの京町家についてご案内します。

桓武天皇が京都に都を移し条坊制という中国の長安の都をモデルにした碁盤の目の都市を造りました。町家の成り立ちは、この平安京の碁盤の目に関係しているようです。

平安京が造営されて都が栄えるようになると交易が盛んになり人も増えます。人口が増加すると、限られた狭い空間をできるだけ活用しようと考えます。その結果、通りに面して狭い入り口の家、主に商家が町に立ち並ぶようになりはじめました。また、通りに面して並ぶ店の数を増やして町並みに賑わいを持たせるようにしたのではないかとも伝えられています。

江戸時代になるとそれだけではなく家屋に課せらる税金にも関係していたようです。江戸時代の京都では、家の間口の広さで税金を決めていました。これは「間口税」といわれるものです。家の間口3間(約5.4m)ごとに税金をかけたそうです。そのため大店で店を営んでいた豪商などは節税対策として売り上げに対して間口を極端に狭くしたのです。そしてその分奥行きの長い家を建てるようになったといわれています。

8月24日は「薬害根絶デー」。では薬害と副作用の違いは何か?

病気を治療したり悪化を防ぐために飲む薬。

「薬は安全」と思って飲んでいる人は多いでしょう。しかし、人災で薬による健康被害(薬害)が発生することがあります。

8月24日の「薬害根絶デー」。

これを機に、薬害やこれを防ぐ方法について、ご一緒に考えてみましょう。

「薬害根絶デー」とは?

1999年8月24日、厚生省(現:厚生労働省)はこれまで起こった薬害事件を反省するとともに、さらなる薬害事件を防ぐ誓いを立て、「誓いの碑」を正面玄関前に建てました。

これを受けて、全国薬害被害者団体連絡協議会は8月24日を「薬害根絶デー」とし、毎年国に対してさまざまな活動を実施しています。

それでは、そもそも薬害とはどのようなことを指すのでしょうか?

「薬害」と副作用

「薬害」というコトバに対する正式な定義はありませんが、一般的には

「医薬品の有害性に関する情報を、加害者側が(故意にせよ過失にせよ)軽視・無視した結果、社会的に引き起こされる人災的な健康被害」

と考えられています。

(引用:全日本民主医療機関連合会HP『くすりの話 94 副作用と薬害、どう違う?』https://www.min-iren.gr.jp/?p=4255)

薬害と間違われやすいものに「副作用」がありますが、これは薬害とは全く異なるものです。

副作用は、目的としていた作用にともなって現れる身体にとって良くない作用のことをいい、薬は副作用も踏まえた上で有効性の方が高いと判断され、用いられています。

これに対して薬害は、薬が持つ有害性が軽視・無視されることで引き起こされています。

ですから、両者は全く別物なのです。

これまで日本では、さまざまな薬害事件が起こり、多くの被害者を出してきました。

具体的にどのような薬害事件があったのか、詳しくみていきましょう。

日本の薬害事件

ここでは2つの薬害事件を取り上げ、具体的にどのような薬害が起きたのか、みていきます。

サリドマイド薬害事件

「サリドマイド」とは、1950年代~1960年代にかけて世界で販売された鎮静・睡眠剤で、日本では胃腸薬にも配合されていました。

「妊婦にも安全」などと謳われ、つわりに効く薬として妊娠中の女性も多く服用していました。

ところが、1959年頃より妊娠初期にサリドマイドを服用した母親から、手足に奇形障害のある子どもが生まれるようになりました。その数は世界で5850人にのぼり、日本でも309人が被害児として認定されています。

このような事態を受け、1961年にはドイツ人医師のレンツ氏などがサリドマイドの回収を求めました(レンツ警告)。

ところが、日本では「レンツ警告は科学的でない」などの理由によってすぐに回収が行われず、最終的にすべての薬が回収されたのは、諸外国よりも10カ月も遅い1963年でした。

このような対応の遅さは被害の拡大を招きました。

薬害エイズ事件

薬害エイズ事件は、1983年、アメリカから輸入した非加熱血液製剤によって起こった薬害事件で、先に述べた「誓いの碑」建立のきっかけにもなりました。

血液製剤は、先天的に血液が固まりにくい障害をもつ血友病患者の治療に使われていました。血液製剤にはヒトの血液やそこから得られた成分が含まれていますが、身体にとって害のある成分が含まれることもあるため、適切に処理された後、使用される必要があります。

ところが、その当時輸入された血液製剤には加熱処理がされていませんでした。

その結果、エイズの原因ウィルスであるHIVが混入された血液製剤が混ざってしまい、これを使用した血友病患者がHIVに感染してしまうという事件が起こりました。この血液製剤による感染者数は2000人以上といわれています。

さらに、感染の告知が遅れたことから、感染者からの二次感染や三次感染が起こり、最終的な被害者は5000人以上ともいわれています。

薬害エイズ事件も、サリドマイド薬害事件と同じように感染者数の増加を防ぐことは可能だった事件でした。なぜなら、1982年にはすでにアメリカで、この血液製剤によるHIV感染者が確認されていて、警告もなされていたからです。

にもかかわらず、相変わらず安全性を謳う広告が打たれたり、加熱血液製剤の緊急輸入が行われないといった対応の遅れによって、感染者数はここまで増大してしまいました。

このように、薬害事件は薬の有害性が正しく評価されず、対応が遅れることで発生する人災といえます。

現在も続く薬害事件、防ぐ方法はないの?

ここまで薬害事件を紹介してきましたが「薬害C型肝炎事件やイレッサ薬害事件」など、2000年以降も薬害事件は発生していて、多くの被害者を出しています。

薬害事件による被害者を増やさないためには、国、製薬会社、医療従事者などがこれまでの歴史を軽視せず、再発防止に取り組むことが不可欠です。

加えて、私たちも決して他人事と捉えず、薬や薬害に関する情報を積極的にチェックする意識を持つ必要があります。

薬を飲んで体調が悪くなったとき、きちんと医師や薬剤師に相談していますか?

放っておいたり、自己判断で飲むのをやめていないでしょうか?

まずは、ふだん服用している薬やそれによる身体の変化に関心を持ち、薬のことを知ることから始めてみましょう。

執筆:吉村 佑奈(助産師・保健師・看護師)
医療監修:株式会社とらうべ

 

<執筆者プロフィール>
吉村 佑奈(よしむら・ゆうな)
助産師・保健師・看護師。株式会社 とらうべ 社員。某病院での看護業務を経て、現在は産業保健(働く人の健康管理)を担当 

<監修者プロフィール>
株式会社 とらうべ
医師・助産師・保健師・看護師・管理栄養士・心理学者・精神保健福祉士など専門家により、医療・健康に関連する情報について、信頼性の確認・検証サービスを提供

image by: Shutterstock

 

【関連リンク】

その手があったか。失敗を恐れる気持ちから簡単に逃れる方法

どんな仕事をしている人でも、失敗はつきものですよね。しかし、その失敗を恐れてばかりいては新しいことにチャレンジできなくなるどころか、大きな決断を迫られるシチュエーションでは慌てているだけで良い解決方法を考えることもできなくなってしまいます。無料メルマガ『ビジネス真実践』では、著者で営業戦略・マーケティング戦略コンサルタントの中久保浩平さんが「失敗を恐れずにチャレンジできる」ような人間になるためのちょっとしたコツを伝授しています。

失敗を恐れずに挑むには?

なにごとも失敗を恐れずに挑みましょう」などということがよく言われたりします。確かにそうです。そうなのですが、誰しもがそのことは十分に分かっています。十分に分かっている上で、現実の仕事の中で、どっちに転ぶか分からないような決断をしなくてはならないことであったり、行動を取らなくてはいけなかったりしています。

そんなときに、「失敗を恐れてはいけない」とは考えるものの「そんなこと言われてもなぁ〜」というような感情も生まれてくる。なんてこともあるのではないでしょうか? 「失敗しても大丈夫だ」などと思っていると本当に失敗してしまうイメージが浮かび、そっちの方向へ向いてしまう可能性が高まるからです。

正直いって、失敗しても大丈夫、なんていう心持でいられるのは肝が据わっている人でないと中々難しいことなのです。誰しもが大丈夫なんてことはないのです。しかしながら、仕事、ビジネスをしている以上、大小に関わらず、失敗を恐れずに前へ進まないといけない場面も多々あります。それでは、肝が据わっていなくても失敗を恐れずに挑めるにはどうすればいいのでしょうか?

スカウトを一切しない広陵高校に、なぜ一流の選手が集まるのか

2017年夏の甲子園で埼玉の花咲徳栄高校に惜しくも敗れて準優勝となった広島の名門・広陵高校。一切スカウトをしないそうですが、それでも甲子園の常連となるその強さの秘密はどこにあるのでしょうか? 今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、広陵高校野球部の監督・中井哲之氏が強さの秘訣について語っています。

広陵高校の強さの秘密

以前『致知』でも取り上げた広陵高校(広島)の中井監督のエッセイを紹介します。広陵高校の強さの秘密はどこにあるのでしょうか。

生徒との信頼関係が強豪チームをつくった

広陵はこれまで春夏合わせて40回以上甲子園に出場し3回の優勝、6回の準優勝を経験しました。プロ野球で活躍するOBもたくさんいます。

そのためか「全国から優秀な選手をスカウトしている」と思う方もいらっしゃるようですが、事実は全くの反対です。私は一切勧誘をしない監督として有名で、「何がなんでも広陵で野球をしたい」「中井監督の下で頑張りたい」という選手ばかりが集まってくれているのです。

人数制限もありません。入学試験にパスし、意欲のある者であれば、野球の上手下手は度外視してすべてOK。私も分け隔てなく接しますが、もちろん100人以上部員がいる中でレギュラーの座を獲得するのは容易ではありません。

広陵の野球を慕って全国から集まってきても3年間、控えで終わる者もいます。他校であれば間違いなくレギュラーとして活躍できるのに、広陵を選んだがために控えに甘んじなくてはならないのは無念でしょう。

しかし、彼らは入部当初から覚悟を決めています。仮に日の目を浴びずとも、その経験はいずれ花開く時が来ると私は信じています。

部員にとって高校3年間は人生の通過点にすぎません。その間、野球だけが上手くなってどれだけの価値があるのでしょう。本来の務めである学問と野球を通して一人ひとりの「生きる力」を高めることこそが、私の教育の理想なのです。

とはいっても私に特段のノウハウがあるわけではありません。不器用な私がやれるのは子供たちと一緒に泥まみれになって練習に汗しともに笑いともに泣くこと

それだけです。

だから叱る時も「おい、何やっとるんじゃ」と常に本気。言葉遣い一つも見逃すことはしません。建前も駆け引きもなく、いつも素のままで子供たちに接する「ガキ」そのものの姿勢

白か黒かの態度。

それは大学を出て母校・広陵の教師、野球部コーチに就任してから50歳の今日まで変わることがありません。

image by: Shutterstock

「カップヌードル」発明者は台湾生まれ。即席麺がつなぐ日台の絆

8月25日は「ラーメン記念日」。その理由は1958年のこの日、世界初の即席麺「チキンラーメン」が日本で発売されたからです。この世界的な発明とも言われる日清食品「チキンラーメン」「カップヌードル」の生みの親・安藤百福(ももふく)さんが、元々は台湾出身の実業家だったことをご存じでしょうか? メルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』の著者で台湾出身の評論家・黄文雄さんは、ラーメン記念日を前に安藤氏の世界的偉業と日台の絆について振り返っています。

【日台】「ラーメン記念日」を前に思う日台の絆

8月25日は「ラーメン記念日」だということです。これは、1958年8月25日、日清食品創業者である安藤百福が世界初のインスタントラーメン、「チキンラーメンを発売した日だということで、日清食品はこの日をラーメン記念日と制定しました。来年はインスタントラーメンの発売60周年を迎えます。

よく知られているように、安藤百福は台湾出身の実業家です。1910年3月、日本統治下の台湾・嘉義県で生まれました。そのときの名前は呉百福。当時の嘉義は1906年の嘉義大地震からの復興の最中であり、地震で全壊した清代の建築物に代わって近代建築が建ち並ぶようになってきたころです。

百福は両親が早くに亡くなったため、嘉義県の南隣である台南市で呉服屋を営む祖父母のもとで育ちます。この台南には、「意麺」という、卵を練り込んだ麺を軽く揚げたちぢれ麺が名物となっていますが、台湾ではこれが百福のインスタントラーメン誕生のヒントになったともいわれています。台南市といえば、八田與一が建設した烏山頭ダムが有名です。烏山頭ダムは1921年に着工し1930年に完成しましたが、もちろん安藤百福もその完成を現地で耳にしていたことでしょう。

日本統治下で台南は急速に近代化が進みました。1900年には高雄と台南の間に鉄道が敷かれ、1907年には台北ともつながりました。また、1916年には台北から高雄までの縦貫道路が建設されたことで、台南も交通の要所として発展しました。

バブル期並みに復活。「はとバス」が右肩上がりに成長できるワケ

東京の街を歩いていると時々目にする、真っ黄色の観光バスをご存じでしょうか。そう、東京観光に行ったら必ず一度は目にする「はとバス」の車体です。この「はとバス」、実は現在もバブル期並みに利用者数を増やしているとのことですが、その秘訣は一体どこにあるのでしょうか? 今回の無料メルマガ『MBAが教える企業分析』では、著者でMBAホルダーの青山烈士さんが、その経営戦略の秘密について詳しく解説、分析しています。

手軽さを追求した「はとバス」の戦略

失われた20年を経て、バブル期並みに利用者を増やしている企業を分析します。

はとバス(総合観光会社)

今回は「はとバス」の観光バス事業にフォーカスをあてます。

戦略ショートストーリー

アクティブシニアなど幅広い層をターゲットに、「運行、商品企画、運営、販売、全て自社で行う体制」に支えられた「多彩なコース、手軽で便利」などの強みで差別化しています。

自分のスケジュールに合わせて、日帰りコース、半日コース、昼コース、夜コースなどを選ぶことができ、効率よく観光スポットを回れることで、顧客の支持を得ています。

分析のポイント

手軽さを追求

「はとバス」と聞いてどのようなイメージを持っていますか? 東京在住の私は、地方や海外から来た方が東京観光する時に使うものというイメージを持っていました。ですから、黄色い「はとバス」はよく目にするものの、東京に住んでいる自分にはあまり関係がないという認識でした。

しかし、意外にも地元である関東地方の顧客が増えているようです。なんと、国内の利用客のうち、東京を含めた関東にお住いの方が約4割を占めています。なぜ、東京近隣にお住まいの方の利用が増えているのでしょうか。

要因の一つとして考えられるのが、「思い出に残る体験」を手軽にできることがあげられます。最近はSNSにシェアしたくなるような「思い出に残る体験」を求めている方が増えていて、実際にSNSで「はとバス」の東京観光が話題になっているようです。

「はとバス」は、新たな観光スポットを掘り起こすことに力を入れていますし、観光だけでなく、普段は行けないようなグルメスポットもコースに組み込むなどして、「思い出に残るような体験」を手軽にできる機会を提供しています。

この「はとバス」の提供価値は、地方からの観光客だけでなく地元の東京近隣にお住いの方にも魅力的なものとなっています。つまり、この提供価値が、「利用客の幅を広げる」ことに貢献しているということです。60分や90分などの短時間ツアーを充実させることで、「利用客の幅を広げる」ことにつながっているわけですね。

また、短時間ツアーを充実させている理由として、もうひとつあげられるのが「利用頻度の向上」です。1時間ツアーを体験した方が、満足されればまた利用してみようとなるわけで、しかも、様々なコースがラインナップされていますので、選ぶ楽しさもありますし、利用しようと思った顧客を後押ししてくれます。

宿泊の旅行を毎月いくことは考えなくても、数時間のツアーで「思い出に残る体験」ができるのであれば、毎月、参加される方もいらっしゃるのではないでしょうか。要するに、「はとバス」はツアーを手軽にすることで、「利用頻度を高めている」と言えそうです。

上記のように、「はとバス」は、強みである「手軽さ」を追求する、具体的には手軽に参加できる魅力的な短時間ツアーを充実させることで、「利用客の幅を広げる」とともに、「利用頻度を高める」ことにもつながり、それらがバブル期並みの利用者数の実現に貢献しているわけです。

2020年の東京オリンピックに向けて、東京という街が注目を浴びている中で、「はとバス」が今後どのような取り組みで「はとバス」ブランドをつくっていくのか非常に楽しみです。

中国が着実に進める「一帯一路」には、裏の軍事目的がある

以前掲載した「安倍首相が「一帯一路」に協力表明。日本は中国に屈したのか?」という記事でもお伝えしたように、日本は国際交流会議の席上で一帯一路への協力を表明しました。しかし、無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』の著者で、国際関係研究者の北野幸伯さんは「一帯一路の真の目的は制海権を確保することにある」とし、日本に十分な注意を促しています。

一帯一路、真の目的は、制海権を確保することである

習近平といえば、「一帯一路」ですね。2014年11月に、彼が提唱した。皆さんご存知と思いますが、一応復習しておきましょう。

「一帯」とは、中国、中央アジア、欧州をつなぐ「シルクロード経済ベルト」のこと。「一路」とは、中国、東南アジア、スリランカ、アラビア半島、アフリカ東岸を結ぶ「海上シルクロード経済ベルト」のこと。

一帯」は、「陸の経済圏」。「一路」は、「海の経済圏」。壮大なプロジェクトですが、どうも「裏の目的」もある。

明らかになる「一路」の「軍事目的」

読売新聞8月21日付を見てみましょう。

「一帯一路」で軍展開、内部会議で中国「本音」

読売新聞8/21(月)7:54配信

中国の習近平(シージンピン)政権が進める巨大経済圏構想「一帯一路」を巡る安全保障をテーマに中国の国防大学が約2年前に開催した内部の会議で、軍当局者ら出席者が、構想の枠組みで軍の海外拠点展開を図るとの認識で一致していたことが、国防大の会議議事録で明らかになった。「平和的協力、共存共栄を柱とする」という政権の看板の裏側で、構想を軍事的影響力拡大の機会として位置づける中国の「本音」が浮き彫りとなった。

軍の海外拠点展開を図るとの認識で一致していた」「軍事的影響力拡大の機会として位置づける中国の『本音』が浮き彫りとなった」そうです。

もう少し、具体的な話を見てみましょう。

国防大の研究者2人は、中国海軍のインド洋海域展開には12か所の港など「補給基地」が必要との分析を示し、国有海運会社「中国遠洋運輸」など中国企業に「商用名目で他国の港の使用権を獲得させ、海軍の停泊、補給地点とすべきだ」と主張した。

「一路」を名目に、「中国海軍の補給基地を12か所作ってしまおう」と。記事には、「どこに基地を置くのか?」も載っていました。東から西に、インドネシアスリランカパキスタンジブチなど。