影武者どころじゃない。プーチン大統領「10月26日に死亡した」説は本当か?

先日公開した「金正恩と会ったのは“影武者”か?プーチンに囁かれる「年内死亡説」の真偽」で、プーチン大統領の健康不安説を取り上げたばかりの、メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』著者で国際関係ジャーナリストの北野幸伯さんですが、その続報とも言うべき記事を配信。そこには、プーチン氏の「影武者疑惑」どころか、10月26日にプーチン氏がすでに死亡していたとする情報をあげて、その真偽について検証しています。

【仰天】プーチンは10月26日に死んだ説

10月27日号は『プーチン「心停止説」と「影武者説」』でした。

今度は、【 プーチンは死んだ説 】がでてきました。

この説を流しているのは、「心停止説」と同じ、「SVR将軍」です。

SVRというのはロシアの「対外情報庁」のこと。

元SVRの幹部ビクトル・ミハイロビッチ(仮名)が、「クレムリンのインサイダー情報を暴露する」というポジションで情報を発信しています。

今回の元の出所は↓になります。

内容を要約しようかと思ったのですが。

イギリス在住の国際ジャーナリスト木村正人先生が詳細な訳を出してくださっていました。

● 匿名SNS発の「プーチン死亡説」に世界の大衆メディアが飛びつく理由

一部を転載させていただきます。

〈暗号化メッセージアプリ「テレグラム」の匿名チャンネル「対外情報局(SVR)将軍」は26日

「注意! 今この瞬間、ロシアで“クーデター”が進行中だ。ウラジーミル・プーチン露大統領は今晩、ロシア北西部の保養地バルダイの大統領邸で死亡した。
モスクワ時間午後8時42分、医師は蘇生を中止し、死亡を告げた」
と速報した。

「SVR将軍」によると、医師団はプーチン大統領の遺体が横たわる部屋でロシア連邦警護庁のドミトリー・コチュネフ長官の個人的な命令で大統領警護官に拘束された。

コチュネフはシロビキ(治安・国防関係の国家主義者)の実力者、ロシア連邦安全保障会議のニコライ・パトルシェフ書記と連絡を取り、指示を受けている。
大統領府の警備は強化されている。

「積極的な交渉が行われている。プーチンの死後、ドッペルゲンガー(影武者)を大統領にすり替える試みはクーデターだ」(SVR将軍)。

翌27日には「昨日午後、プーチンの健康状態が急激に悪化し始めた。午後8時ごろ、当直医が医師団を追加招集し、到着15分後にプーチンの蘇生処置を開始したが、その時点で危篤状態に陥っていた」と詳報した。

午後8時42分、医師は蘇生を中止し、プーチンの死亡を告げた。

その後、警護官に事態を報告した。

コチュネフの個人的な命令で、プーチンが死亡した集中治療室に改造された一室は封鎖された。

医師団はプーチンの遺体と一緒に閉じ込められたままだった。

警護当局は医師団に落ち着いて静かに待つように命じた──「SVR将軍」はそう報告している。

「コチュネフはパトルシェフの指示を実行している。コチュネフの指示により大統領の影武者の警備も強化された。

現在、医師団の運命も含め、問題は解決されつつある。

現体制を維持し、影武者を大統領としてプーチンにすり替えるため、パトルシェフの指導の下、プーチンの側近による集団指導体制を構築する交渉はほぼ終了した」(SVR将軍)

「プーチンが生きていた時は何の問題もなく影武者を使うことができ、極端な場合、本物を登場させることができた。しかしプーチンの死後、影武者を大統領として詐称しようとする試みは国家革命だ! 
プーチンの遺体は大統領邸の以前は冷凍食品が保管されていた冷凍庫に安置された。
医師団はいくつかの部屋に分けられ、拘束され続けている」(同)〉

とのことです。

最重要ポイントを挙げると

  • 10月26日、プーチンは死亡した。
  • プーチンの死後、パトルシェフ安全保障会議書記が実権を握った。
  • パトルシェフは、プーチンの死を隠し、影武者にプーチンを演じつづけさせるよう画策している。

実際は、どうなのでしょうか?

この説のある面「都合のいい」ところ。

私たちは、プーチンと影武者を見分けることができないことです。

先日、『ニューズウィーク』や「TBS NEWS DIG』も影武者について報じているという事実を書きました。

参照↓

“あの時”のプーチン氏はニセモノだった⁈影武者の真偽AIが分析 【報道1930】

本物のプーチンなら「あり得ない」仕草……ビデオに映った不可解な行動に、「影武者説」が再燃

特にTBSは、AIによる鑑定について、

〈結果は、2023年4月のヘルソン訪問時のプーチン氏…“本人との一致度”40%。

2022年12月のクリミア橋視察…53%。

この2つが特に低かった。

因みに偽者であることが分かっている“プーチン氏のそっくりさん”を調べたところ一致度35%だった。

つまり、ヘルソンに現れたプーチン氏は“そっくりさんレベル”だったということになる。〉

とかなり興味深い内容を報じていました。

今回の話は、本当なのでしょうか?

ウソなのでしょうか?

本当だとしたら、影武者プーチンが、プーチンを演じつづける。

でも、私たちは、影武者プーチンを「偽物」と認識できない。

ウソだとしたら?

本物プーチンが、今までどおり執務を続ける。

しかし、SVR将軍は、「あれは影武者だ」と主張しつづけることができる。

ということで、私たちにとっては、「何の変化も起こらない」ということになります。

「トンデモ系」のような話ですが。

「SVR将軍」は2021年秋時点で、「来年の2月プーチンはウクライナに侵攻する」と予測し、見事に当てていました。

世界中のメディアが、彼の言葉を引用するのは、それなりの実績があるからです。

非常に興味深い話ということで、ご紹介させていただきました。

今回は、木村正人先生の記事から転載させていただきました。

全文も是非ご一読ください。

● 匿名SNS発の「プーチン死亡説」に世界の大衆メディアが飛びつく理由

 

(無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』2023年10月29日号より一部抜粋)

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【CITY POP対談】世界的大ヒット「真夜中のドア」作曲家・林哲司 × 世界的シティ・ポップブームの先駆者・DJヴァン・ポーガム

世界92か国のApple MusicのJ-Popランキング入りを果たしただけでなく、Spotifyのグローバルバイラルチャートでは18日連続1位を獲得した松原みき真夜中のドア~stay with me』(1979)など70〜80年代にかけて「シティ・ポップ」の名曲を数多く生み出し、映画やアニメ、舞台など多岐にわたって活躍する作曲家林哲司(はやし・てつじ)。そんな林や日本のシティ・ポップに魅せられ、自身のYouTubeチャンネルで2016年からシティ・ポップを世界中の音楽ファンにいち早く広めた「ブームの先駆者」である米国シカゴ在住のDJ ヴァン・ポーガム。これらシティ・ポップと呼ばれる楽曲を「作った側」と「広めた側」が初めて顔を合わせ、今も続く世界的シティ・ポップ大ブームの過去・現在、そして未来を語り尽くしました。(通訳協力:細川忠道)

ブームの先駆者 DJヴァン・ポーガムが林哲司に聞く「なぜ今、海外でシティ・ポップが流行っていると思いますか?」

──本日は、お忙しい中お時間をいただきありがとうございます。70〜80年代の日本で作られた「海外のカルチャーに憧れを抱き、都会やリゾートでのライフスタイルを求める若者文化を背景にして生まれた和製ポップス」=「シティ・ポップ」という音楽ジャンルを代表する1曲『真夜中のドア~stay with me』をはじめ多くの名曲を作曲された林哲司さんと、2010年代後半から海外を中心に起きたシティ・ポップブームの先駆者のひとりである米国シカゴ在住のDJヴァン・ポーガムさんという「ブームの当事者同士が顔合わせして、そのブームについて語ることができたらどんなに素敵なことだろうと思いまして、この対談をセッティングさせていただきました。今までありそうで無かった「夢のシティ・ポップ対談」を実現することができて、とても嬉しく思っております。はじめに、簡単ではございますが、お二人のご紹介をさせていただきます。

林哲司さんは、1949年8月20日生まれ静岡県出身。72年のチリ音楽祭での入選をきっかけに、73年にシンガー・ソングライターとしてデビューされました。以後、作曲家として活動し、83年から5年連続「日本作曲大賞優秀作曲賞」を受賞。また、映画やTVの音楽監督をはじめ幅広く活躍されています。代表作は、松原みき「真夜中のドア~stay with me」、上田正樹「悲しい色やね」、杏里「悲しみがとまらない」、竹内まりや「セプテンバー」、中森明菜「北ウイング」、杉山清貴&オメガトライブ「ふたりの夏物語 NEVER ENDING SUMMER」等、その作品数は2000曲以上にのぼります。また、作曲家としてはもちろん、アレンジャー(編曲家)としても数多くの作品を手がけられています。

来る11月5日には、作曲活動50周年を記念した「ザ・シティ・ポップ・クロニクル 林哲司の世界 in コンサート」(於:東京国際フォーラム)が開催されるなど、現在も精力的に活動されています。

ヴァン・ポーガム(Van Paugam)さんは、はアメリカ・イリノイ州シカゴでDJとして活躍する音楽家です。2016年、自身のYouTubeチャンネルにてシティ・ポップのミックスをいち早くアップし、世界中の音楽ファンに注目されました。この当時すでに松原みき「真夜中のドア」や竹内まりや「プラスティック・ラヴ」など、世界的ブームのきっかけになった曲をいくつも紹介しております。登録者数が約10万人にまで達した19年1月には地元シカゴで歌手・杏里のライヴを企画。しかし直後にチャンネルの削除要請によってアカウントが消滅し、ブームの先駆者であったにも関わらず、その名前は日本でほとんど知られていません。しかし、16年の時点でこれだけ多くのシティ・ポップを紹介していたDJは、ヴァンさんをおいて他にはいませんでした。16年にYouTube上でアップしていた楽曲は現在、SoundCloud上で聴くことができますので、ぜひヴァンさんによるシティ・ポップミックスをお聴きいただきたいと思います。

最近では、2018年に亡くなった歌手・西城秀樹の楽曲を再評価したことで再び注目されており、その選曲眼と楽曲ミックスのアレンジ力は世界中の音楽ファンからも高い支持を得ています。

それでは、ご自由にお二人でお話を進めていただければと思います。本日は、ヴァンさんの友人で日本在住のミュージシャン・細川忠道さんに同時通訳をお願いしております。まずは、ヴァンさんから林さんへ、いくつか質問をご用意したそうですね。

ヴァン・ポーガム(以下、ヴァン):(ここだけ日本語で)林さん、はじめまして。宜しくお願いします。

林哲司(以下、林):おお、Nice to meet you(笑)、こちらこそ宜しくお願いいたします。ヴァンさんからの質問は事前にいただきまして、ひと通り目を通しました。

ヴァン:ありがとうございます、まずは私から質問させてください。林さんの長いキャリアの中で、どんな音楽から影響を受けてきたのか、その歴史を教えていただけますか?

:私にはとても歳が離れた2人の兄がいるんですが、彼らが聴いていたアメリカの音楽から影響を受けたんです。たとえばポール・アンカ、ニール・セダカ、エルビス・プレスリーなど、当時のアメリカでチャートを賑わせていたポップミュージックですね。

ヴァン:それはアナログレコードでですか? それともラジオですか?

:主にラジオで聴いていました。でも、ときどき兄たちが新しいポップミュージックのレコードを買っていたので、それも自然と聴いていましたね。片耳でアメリカのポップミュージックを聴いていて、もう片方の耳で日本の歌謡曲を聴いていたんです。

ヴァン:やはり幼少期から聴いていたことで、林さんの西洋音楽の要素と日本の要素がミックスされたサウンドができたんでしょうね。子供の頃に聴いていた日本の歌謡曲の中で、特にインスピレーションを受けた曲は何ですか?

:特にコレだという曲は無いですね、アメリカの音楽からの方が要素として大きな影響を受けたんだと思います。なぜかというと、当時の日本のトラディショナルな歌謡曲は、とてもシンプルな構成だったんですね。アメリカの音楽の方が、いろいろな音楽の要素がふんだんに取り入れられていて、どの曲からも個性が感じられました。音楽を求める側として、必然的に欧米の音楽に傾倒していったんだと思いますね。

ヴァン:作曲をはじめた初期の頃、どのようなプロセスや考え方を持って作曲にのぞまれていたのでしょうか?

:当時、自分にとって一番お気に入りのアーティストがいたんですね。日本のミュージシャンであり、作曲家、そしてアクターでもある加山雄三さんです。彼は自分で作った音楽を、自分でエレキギターを演奏して、自分で歌っていました。彼のスタイルに憧れて作曲をするようになったんです。もちろんザ・ビートルズにも影響を受けましたが、かれらは外国人であり少し遠い存在ですが、加山雄三さんは同じ日本人なのでとても身近に感じましたね。

ヴァン:今までに加山雄三さんと何かコラボしたことはあったのでしょうか?

:いや、期待はしていましたけど、未だにないですね(笑)。彼は最近になって引退してしまいました、リタイアです。

なぜ「シティ・ポップ」を作曲するようになったのか?

ヴァン:なぜ、林さんは「シティ・ポップ」と呼ばれる音楽を作曲するようになったのでしょうか?

:私が、今あなた方が「シティ・ポップ」と呼んでいる音楽を作っていた40年ほど前は、そのことを意識して作曲していたわけではないんです。ただただナチュラルにアメリカのポップミュージックが好きで、向こうでヒットした曲の要素を自分の中にインプットして、それが自分の中にたくさん堆積して、自分が曲を作るときに少しづつ濾過されて作品に投影されただけなんだと思います。それは80’sの音楽に限らず、もっと子供のときから西洋音楽に対して興味を持っていたことが、アメリカに住んでいる人たちと同じように、自分の中に培ってきたものなんでしょうね。

ヴァン:いろいろなところでよく言われることだと思うのですが、林さんが作曲された40年前に私は生まれていなかったんですけれど、林さんの曲はアメリカ人の私にとっても「自然」に聴こえ、しかも「ノスタルジック」なサウンドだと感じるんです。

:私も過去に「なぜ、自分は日本に住んでいるんだろう?」と思ったことはあります(笑)。

ヴァン:(笑)、林さんが今まで作曲した中で、一番アメリカっぽい、西洋っぽいサウンドだということを意識した曲やプロジェクトはどれですか?

:曲よりもプロジェクトとしての「杉山清貴&オメガトライブ」でしょうね。彼らの曲を作るときは、当時アメリカで流行っていたAOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)の影響を受けていましたから、それが顕著に反映されている楽曲群だと思います。彼らが一番、自分の音楽を表現していたアーティストでした。もし当時、私自身がパフォーマーだったら、彼らのようなスタイルで活動していたと思いますね。

世界が驚愕した「林哲司サウンド」の秘密とは?

ヴァン:林さんが作曲した曲は、とてもシンセサイザーの音が目立つ楽曲が多いと感じるのですが、特に「このシンセが好きだ」「このシンセをよく使っていた」というのがあれば教えていただけますか?

:これは、他のアレンジャーやコンポーザー、サウンドクリエイターと同じだと思いますけど、80年代だったら「プロフェット5」「オーバーハイム」ですね。ただ、ここがすごく大事なポイントなんですが、音色を選ぶセンスはサウンドクリエイターによってそれぞれ違いますけど、私の場合は「いかにもシンセサイザー」というハードな音は選ばなかったんです。どちらかというと、とてもソフィスティケイトされた音色をピックアップしています。

もし、興味があるのであれば、ぜひ私の曲を聴いて確認して欲しいのですが、例えばシンセに「パッド」という音色がありますけど、その「パッド」の音ひとつ取ってみても、シンセを象徴する音よりは、トロンボーンやホルンの丸い音色を選んでいると思います。そこが、カルヴィン・ハリス(スコットランド出身の作曲家・編曲家)とは違うところです(笑)。

ヴァン:私は林さんの音楽の方が好きです(笑)。

:Thank you(笑)。

ヴァン:林さんの好きなキーやコード進行について教えてもらってもいいですか?

:特別に「このキー」というのはないんですが、あまりフラットとシャープが付いていない方がいい。その方が私自身も楽ですからね(笑)。基本的に、作曲するときはギターとピアノを使うことが一番多いんですけど、ピアノであれば「F」「G」「C」、ギターであれば「E」とか、そのへんが一番ポジション的にはやりやすいですね。これは、他のみなさんも同じだと思います。

ヴァン:林さんの楽曲はシンプルに聴こえますが、何か複雑な要素が入っているなと感じます。洋楽と日本の音楽との要素が絶妙なバランスで保たれているんだと思います。それについて意識していることはありますか?

:さかのぼってみると、80年代にはアメリカンミュージックにより近づけるような形で作曲をしていた時期があったんですけど、その手法でそのまま作曲すると、それを聴いた日本人はちっとも同調しなかったんですね。そこで、少し「日本人に理解される範囲」に自分の音楽をシフトしてみました。それが、今あなた方が「良い」と言ってくれているシティ・ポップのスタイルのベーシックなところだと思います。つまり、「アメリカを目指して船で航行していたつもりが、途中でハワイを経由して日本に戻ってきた」という感じかな(笑)。

ヴァン:ハハハ、それはクールですね(笑)、とてもよく理解できました。

サブスク、AI、ストリーミング…昨今の音楽事情について思うこと

ヴァン:ところで現在、ストリーミング・サービスや、サブスクリプション・サービスを通じてすぐに音楽を聴くことができる環境にシフトしたことについてはどう感じていますか?

:これは、とても難しい質問ですね。多くの人々が音楽を楽しむ方法というものはたえず進化していますから、そのこと自体は決して悪いことではないと思います。メディアがレコードからカセットテープ、CD、MDと変わってきたのと同じように、リスナーが音楽を聴く方法が変わってきたことも時代の流れであり、ひとつの文化ですから。

ただし、それとは別のマイナス面があって、音楽産業として一番マズかったのは、サブスクリプションで聴かれる対価として支払われる金額が、とても安い状態のまま放出されてしまったことです。そのことが、アーティストたちにお金を還元できなくなっている大きな理由だと思います。リスナー側も変化していて、私たちのときは一度買ったレコードやCDを何度も何度もくり返し聴くということが習慣づいていましたが、今はBGMのように音楽を聴いているじゃないですか。つまり音楽に対する愛情の深さは、今と昔とでは大きく差が開いてしまったんじゃないかなとは思いますね。

ヴァン:確かにおっしゃる通りだと思います。では、音楽業界に人工知能(AI)が普及し始めていることについてはどう思いますか?

:これは音楽業界だけに限らず、映画の本場ハリウッドで俳優と脚本家がストライキを起こしているのと同じように、音楽にも大きな影響を及ぼすと思いますね。AIが、自分の思っているような音楽を作り出すという便利さと、人が想像力を使って音楽を作る喜びを失って便利さの方を優先するという状況は、あまり良くないんじゃないかなとは思います。

松原みきのデビュー曲「真夜中のドア」誕生秘話

ヴァン:まったくその通りですね。そろそろ私から最後の質問をさせてください。松原みきさんは林さんの作曲した「真夜中のドア」という曲の影響もあって、今や最もよく知られている日本の歌手の一人となりました。海外のファンがとても知りたがっていることだと思うのですが、彼女と一緒に仕事をしたときの記憶や、特にこの曲を作曲するプロセスはどのような感じだったのか教えていただけますか?

:これは1979年の作品ですけど、作曲した当時は彼女に会ったことがありませんでした(笑)。他の作曲家も同じ歌詞で彼女に曲を書いていて、おそらくコンペで選ばれたんだと思います。ただ、私サイドのプロデューサーが僕に求めてきたのが、「アメリカン・ポップミュージック書く感覚で、日本語を意識せずに曲を書いてOKだから」ということだったんです。

ヴァン:曲を書いたあと、松原みきさんと直接お会いしたり関わったりしたことはありますか?

:この曲がヒットしたあと、彼女には何曲も提供しましたし、同じスタジオの中で一緒にアルバムを作るという共同作業も沢山やりました。彼女はデビュー当時まだティーンエイジャーでしたから、とてもキュートで、どちらかというとアイドルソングを歌うようなタイプの女の子でした。でも、その歌声はジャジィーで、「真夜中のドア」は、とても大人っぽい雰囲気に仕上がりました。

ヴァン:現在、世界中でさまざまな紛争や問題が起きている暗い時代にあって、私たちにインスピレーションを与える一言をお願いできますでしょうか。

:みなさん、自分の中にある「創造性」というものを信じて新しいものを創造して欲しいと思いますね。それは、先ほどお話ししたAIの問題にもつながってくると思います。人は、より便利な方、より便利な方と、ものすごいスピードで行ってしまいますけど、人間が作り出す力というものをいつも意識しながら科学や文化を見ていた方が良いと思いますね。

『BIGBANG』G-DRAGON薬物刑事立件で思い出す、小松菜奈らしき“露天風呂”写真とK-POPアイドル「下品な遊び」騒動

いま、韓国芸能界の麻薬汚染が心配されています。人気のK-POPアイドルグループ『BIGBANG』のG-DRAGONが、麻薬類管理法違反の疑いで刑事立件されたことが報道され、芸能記者歴30年のベテランジャーナリスト・芋澤貞雄さんは、G-DRAGONと日本の女優・小松菜奈との「交際発覚の噂」が7年前にあったことを振り返ります。そして、別のK-POPのアイドル・グループがやらかした「軽犯罪法違反ギリギリの行為」がタレこまれたことも暴露。日本人女優の名が出てこないことを祈りつつ、韓国芸能界の未来を憂いています。

韓流アイドル薬物刑事立件で蘇った、某女優とされる“艶めかしい入浴姿”

K-POPグループ『BIGBANG』G-DRAGONが麻薬類管理法違反の疑いで刑事立件されました。

少し前には『パラサイト~半地下の家族』で世界的に注目を集めたイ・ソンギュンも同じ容疑で立件され、韓国芸能界の麻薬汚染が心配されています。

G-DRAGONと聞いて、真っ先に私の頭の中に浮かんだのが今から7年前の秋に突如浮上した小松菜奈との交際発覚の噂でした。

2人は『NYLON JAPAN』というファッション月刊誌の表紙を飾ったことをきっかけに、関係者の間ではちょっとした話題になっていましたが、G-DRAGONのSNS裏アカウントから“小松と思しき人物”がどこかの温泉宿の露天風呂の湯船に浸かっている写真が流出したことで、ファンたちを驚かせました。

薄暗闇の中、高級温泉宿にしかないであろう個室露天温泉にゆったりと浸かる“小松と思しき人物”の生々しい姿は今でも頭の片隅に残っています。

この写真が流出した直後、私が当時所属していた週刊誌の編集長から旅館探しの特命が降りたことが懐かしく思い出されます。

そういえば当時、人気芸能人たちの間でお忍びで高級温泉を利用するのがブームでした。

取材を進めていくうち、取材先で次々に出てくるビッグ・ネームに驚いたことも覚えています。

『FRIDAY』がスクープした湯河原温泉での中居正広と倖田來未もこのパターンでした。

小松はこの報道から5年後、菅田将暉と電撃結婚することになるのですが、このときも湯船から右足をちょこん!と出したあの艶めかしい写真が浮かんだものです。

G-DRAGON刑事立件のニュースでもうひとつ鮮やかに蘇ったのは、同じK-POPのアイドル・グループの、軽犯罪法違反ギリギリの行為がタレこまれたことでした。

アパレル店員が無意識にやっている「おたたみ」が、お客を逃している

お店で服を見ているとき、店員さんが見ていた服を次から次へとたたんでいく…そんな経験はありませんか? 今回、無料メルマガ『販売力向上講座メールマガジン』の著者で接客販売コンサルタント&トレーナーの坂本りゅういちさんは、意外と難しいアパレル店員の「おたたみ」のタイミングについて語っています。

アパレル店員の「たたむタイミング」は難しい

多くのアパレル店員は、『おたたみ』という業務を最初に習うことになります。

僕が最初に勤めていた店でもそうで、洋服のたたみ方は基本中の基本であり、店を良い状態に保つためにもできないといけない業務だからと、一番最初に教えられました。

何もやることがないという時でも、何もまだ業務という業務ができないスタッフでも、おたたみだけはできるので、店舗に立ちながらおたたみをするという光景はよく見かけます。

そのくらい日常的な業務です。

おたたみが素早く上手にできることはとても大事なことなのですが、これを接客中にもやるスタッフがいます。

少し崩れた商品があればたたむことが癖になっていて、お客様を接客している最中にでも、つい商品をたたんでしまうわけです。

しかしこれがお客様にとってはとても厄介な場合があります。

例えばお客様が商品を吟味していて、たたんである商品をいくつか広げて見ていたとします。

スタッフも接客をしながらあーだこーだと説明をしていきます。

いくつも商品を見ているので、商品はどんどん崩れていきますよね。

これをお客様と会話をしながらも、端からどんどんたたんでいくのです。

スタッフは何を考えるでもなく、ただいつものように崩れているからたたんでいるだけ。

しかしお客様の心情からすると、
「広げてしまって悪かったな…」
「なんだか次は広げづらいな」と
感じてしまう。

また、「まだ見たかったのにな…」と興味のあった商品をもう見れなくなるといったことも起こります。

僕が客の時にもよくある話で、吟味の最中の商品をたたまれると、再度広げようという気にはあまりなりません。(気を遣うんです)

何の気無しにやっているおたたみが、お客様の買い気を削ぐことが結構あるんですね。

これってすごくもったいないことであり、お客様にとっても苦痛なことです。

立地はいいが耐震改修もできない高経年マンションが“大事にすべきもの”

高経年マンションの再生への道のりはとても難しいものがあります。住民は年金暮らしの高齢者が多く、経済的な負担を強いることもできません。メルマガ『まんしょんオタクのマンションこぼれ話』の著者で一級建築士及びマンション管理士の廣田信子さんが、そのような高経年マンションの今後について語っています。

どう考えても耐震改修をして延命させるのは難しい高経年マンションの再生について悩んでいたら

どう考えても、耐震改修をして延命させるのは難しい高経年マンションがあります。

耐震改修に多額の費用が掛かるだけではなく、排水管からの漏水が絶えず、これを何とかしないと住み続けるのもたいへんなのです。

管理組合は、費用を借りて何とか排水管の更新をしたいと思っていますが実現しません。

このマンションに耐震改修をというのは難しいです。

場所は悪くないので、建替えによる再生を考えたいところですが、年金暮らしの人が多いこのマンションで戸当り2千万円を超える費用を負担するのは困難だと始めから論外です。

どう対応したらいいか悩んでいたら、ある専門家から下記のメールをいただきました。

2002年の区分所有法改正と「マンション建替え円滑化法」制定から20年。

建替えを含むマンション再生についての社会的なニーズと制度や事業手法の間に大きな乖離があることを日々実感しています。

その中でもとりわけ規模や立地の制約により保留床が生み出せないマンションの再生は、我々が優先して取り組むべき喫緊の課題だと考えています。

現在の区分所有法やマンション建替え法などマンション再生に関する法改正中でも、立地や規模、容積余剰などの理由から具体的な再生検討を諦めていた管理組合や区分所有者の皆さんに提示可能な選択肢が増えるものと考えています。

とは言え、制度ができても実際の再生が進まなければ画餅に終わってしまいます。

区分所有者の高齢化や工事費の高騰もあり、大きな経済的負担が避けられないこれからのマンション再生は困難な道のりです。

しかし、これから私たちが迎えようとしている社会の厳しさを考えると、真の意味で安心して住み続けることができる住まいこそが大切な基盤になるように思います。

そしてそれは施設や設備などハードではなく、住民間の緩やかな関係性や個人を支える共同体のあり方であるように思います。

その可能性をもっているのがマンションのコミュニティですよね。…と。

このメールに救われた気がしました。私も同じ思いです。

高齢者が自分たちのコミュニティを大事にしたいと思う気持ちが、損得勘定を超えたところでマンションを再生させることができるのではないかと思うのです。

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日本の有名実業家たちがしている「ChatGPTの仕事への活かし方」って何?

ChatGPTの利用法は多くの媒体で語られていますが、現代を背負って立っている有識者たちは、どのようにAIを活かしているのでしょうか。今回、無料メルマガ『毎日3分読書革命!土井英司のビジネスブックマラソン』の著者、土井さんは、実業家をはじめさまざまな顔を持つ堀江貴文さんが有識者とともにこれからの仕事の可能性を語った一冊を紹介しています。

【むしろ未来の仕事の可能性が見える】⇒『ChatGPTvs.未来のない仕事をする人たち』

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ChatGPTvs.未来のない仕事をする人たち』堀江貴文・著 サンマーク出版

こんにちは、土井英司です。

本日ご紹介する一冊は、ChatGPTが創る未来、ChatGPTを使った仕事の可能性について、堀江貴文さんが有識者と共に語った一冊。

登場する有識者は、noteのCXOを務めるインタラクション・デザイナーの深津貴之さん、Voicyの緒方憲太郎さん、スペースデータの佐藤航陽さん、脳科学者の茂木健一郎さんです。

タイトルでは、「ChatGPTvs.」の形で対立を煽っていますが、実際にはみなさん、ChatGPTを使ってどう未来を切り拓くか、ポジティブな議論を展開しています。(もちろん、一部の仕事がなくなる話は出てきますが)

興味深いのは、各人がどのようにChatGPTを使い、仕事に活かしているか、今後どんな活用方法を想像しているかという点。

堀江貴文さんがChatGPTを使い、どうやってコンテンツを自動生成しているか、「ChatGPTは検索や質問をするツールではなく、仕様書を書いて作業を代行してもらうツール」と語る深津貴之さんが、ChatGPTにどう命令しているか、AI×メタバースに着目する佐藤航陽さんが考える、ユーチューバーの上位互換となるクリエイター像…。

生成AIでドラスティックに変わる未来と、その先にある職業やクリエイティブの可能性について熱い議論がなされており、読む価値のある一冊だと思います。

未来の仕事や幸福について考えたい向きには、Voicy緒方憲太郎さん、脳科学者茂木健一郎さんとの議論が参考になると思います。

いわゆるオムニバス形式の本ですが、トピックが新しいのと、各人の視点、活用法が違っていて、読み応えがあります。

ガザに向く世界の目。「中東戦争危機」勃発で忘れ去られるウクライナ

勃発から20ヶ月が経過するも、依然として出口の見えないウクライナ戦争。世界の目も、ハマスのイスラエル急襲により緊張が高まる中東に向いているのが現実です。そんな状況に懸念を示すのは、日本国際戦略問題研究所長の津田慶治さん。津田さんはメルマガ『国際戦略コラム有料版』で今回、ウクライナ戦争の最新の戦況を紹介するとともに、各国の「支援離れ」や「ウクライナ忘れ」の可能性を指摘しています。

ガザ危機の陰で未だ続くウクライナ戦争は現在どうなっているのか?

ロ軍はアウディーイウカ要塞の包囲を目論み、ドネツク市北側で大攻勢を掛けたが、損害の割りに占領面積が少ない。

また、ヴィクトル・アフザロフ氏がロ航空宇宙軍の新しい最高司令官に任命されたが、彼になり地上攻撃に合わせて、航空機近接支援を行うことになったのが、大きな戦術転換であろう。その分、ロ軍の攻撃力が増している。

クピャンスク・スバトバ・クレミンナ・リシチャンスク方面

ロ軍は、各所を攻撃しているが、小規模の攻撃ですべて撃退されている。弱兵しかいないので、ウ軍は簡単に撃退できるようである。

このため、ロ軍は航空優勢であることで、空爆を各地で行っている。ウ軍は、防御だけで攻撃を行っていない。ロ軍の地上攻撃は、航空近接支援を受けた地上攻撃も増えてきた。

バフムト方面

ウ軍はクリシチーウカ、アンドリーイウカの東に攻撃しているが、前進できないでいたが、アンドリーイウカの東で鉄道線路を越えて攻撃し、オドラジウカに迫っている。

クルディミウカの市街では戦闘中だが、奪還はできないでいる。もう1つがゼレノ・ピーリャを攻撃している。

ロ軍は、ボフダニウカ、クロモベ、クリシチーウカで地上攻撃をするが、撃退されている。

ドネツク市北側方面

10月20日からも大攻勢をかけている。ロ軍は1個旅団を失ったが、アウディーイウカの北側で一定の成果が出ている。このまま、北側の攻撃を継続し、もう少し進むと、アウディーイウカ要塞への補給ができなくなり、アウディーイウカからウ軍は撤退も考えないといけなくなる。

しかし、アウディーイウカは、戦略的な重要性はない。それとも、オリヒウ軸からウ軍数個旅団を増派して、アウディーイウカで、ロ軍の大部隊を殲滅することを選ぶかどうかである。

ロ軍は、部隊配置を全体的に見直している。各地で部隊再編中であり、このアウディーイウカに精鋭部隊を集めている。

しかし、ウ国防省は、ロ軍がアヴディーイウカへの攻撃ですでに約4,000人の兵士を失ったと報告した。

甚大な損失にもかかわらず、ロ軍はウ軍の陣地を襲撃し続け、そのたびに部隊を突撃させて、死者数を増加させている。バフムト攻勢時と同じような攻撃方法であり、装甲車もなくなり、徒歩での突撃になっている。

このため、ロ軍の突撃隊「ストームZ」の部隊長が戦闘拒否をしているし、ロ軍の指揮官が、ウ軍の砲撃から逃れようと撤退を求めたストームZ部隊全員を処刑すると脅した。このため、反乱を起こした部隊も出てきている。督戦隊とストームZの戦闘であろう。

ここから戦艦「ポチョムキン」の水兵反乱と同じような革命が起きる可能性も出ているようにも見える。

ドネツク市南側方面

ロ軍は、マリンカとノボミハイリウカに対して、航空近接支援を受けた地上攻撃を行った。しかし、ウ軍は撃退している。

オリヒウ軸

ウ軍は、この方面で前進できなくなってきた。コパニ方向で前進できているが、他地域では、攻撃もしていない。ロ軍も部隊再編中で攻撃をしない。ここの精鋭部隊をアウディーイウカに回している可能性が高い。

ベルボベの北にある高台をウ軍は包囲しようとしているが、そのウ軍にロ軍は攻撃してきて、攻撃をけん制している。

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ジャニーズに続く宝塚の闇。“指導”という名の「いじめ」はあったのか?

9月30日、現役タカラジェンヌが自宅マンションから転落死した事件について、週刊誌が劇団内でのいじめを告発する記事を掲載し波紋を呼んでいます。実は宝塚の「いじめ問題」は以前から何度か浮上していて、裁判を起こされてこともあったようです。今回のメルマガ『施術家・吉田正幸の「ストレス・スルー術」』では、著者の吉田さんが、小柳ルミ子さんや東小雪さんら宝塚OBによる告発や、厳しい“指導”を苦に退団した娘を持つ父の告白を紹介。ジャニーズの性加害問題と並ぶほどの問題として伝えています。

ジャニーズ問題の『未成年性被害』宝塚の『いじめ問題』

ジャニーズ問題であまり目立たないが、宝塚でも蓋をし続けてきたことが露呈してきたようだ。

現役のタカラジェンヌ・Aさんが自宅マンションから転落死した事件。その真相とは何だったのだろう。「宝塚OGや関係者の声に耳を傾けるほど、時代の流れに背を向けたかのごとき、旧弊な組織の異様さが浮かび上がった」と週刊新潮は報じていた。

Aさんは宙(そら)組所属の娘役で、芝居も踊りもうまい実力派として知られていたという。9月29日から始まった宙組公演にも出演者として名を連ねていたのだが、公演2日目の30日に、突如として彼女の休演が告げられた。30日早朝、自宅マンションの駐車場付近で倒れているのを住民に発見されていたのだ。

彼女の死をめぐっては、今年2月に週刊文春が報じていた劇団内のいじめが関係していたとの疑惑があり、週刊新潮は複数の団員がいじめに加担していたともAさんが亡くなった後に報じている。

ジャニーズ問題は「未成年性被害」そして、宝塚は「いじめ問題」

Aさんの死の原因は定かではないが、宝塚のいじめ問題は今に始まったことではないという。これは知らなかったが、古くは小柳ルミ子(71)が宝塚時代に受けていたいじめを後年になって告発し、2009年にはいわゆる「宝塚いじめ裁判」も起きているというのだ。

小柳ルミ子は宝塚音楽学校を首席で卒業しているが、わずか2カ月で宝塚歌劇団を退団したとのこと。在籍は短期間だったが、2007年に週刊誌のインタビューで、宝塚時代のいじめ体験として『衣装に袖を通す。ファスナーに指をやるとチクリと痛みが。釘が一本刺さっていて、指に食い込んでいるんです』などと語っているのだ。

ジャニーズ事務所の性加害問題は、当時の経営陣や事情を知るとされる古株のタレントがダンマリを決めていることでバッシングを受けたが、宝塚歌劇団の関係者やOGたちの多くも、いじめ問題には現在沈黙を続けている様子。

宝塚OGで以前から古巣の“ハラスメント体質”を告発してきた、東小雪さん(38)によると、学校の1年目にあたる予科生は2年目の本科生から何らかの指摘を受けた場合、まずは当事者として反省文を書き、次に同期の予科生全員でその反省文を暗唱するという。その後も“指導”として、説教や詰問が深夜まで行われるのだそうだ。

この記事の著者・吉田正幸さんのメルマガ

近所の人の“おせっかい”を上手に断るには?公認心理師に聞いてみた

共働きの子育て世帯にとってご近所の世話好きの存在は、心強い助けとなるもの。ただし、望んでもいないお世話の頻度や程度がすぎると、「おせっかい」に感じられ、断りづらくて悩みとなってしまいます。今回のメルマガ『公認心理師永藤かおるの「勇気の処方箋」―それってアドラー的にどうなのよ―』では、中学生の娘さんが小さな頃からお付き合いがあるというご近所さんに悩まされている母親に、公認心理師の永藤さんが上手な距離の取り方をアドバイス。お世話にもなり悪気のない相手をどうしても遠ざけたいのであれば「覚悟をもって」と伝えています。

ちょっと御相談がありまして:おせっかいな人を遠ざけたい

皆様からお寄せいただいたご相談や質問にお答えしたり、一緒に考えたりしていきます。

Question

shitumon

40代女性、共働きで中学生の娘がいます。近所に住む60代後半の女性が、何かとおせっかいをしてきます。具体的には、いらない手作りの趣味の品を押しつけてきたり、傷んでいる野菜を大量にくれたり、好みの合わないお惣菜を大きなタッパーで持って来たり、という感じです。

彼女いわく「ご両親共働きで、娘さんは家庭の味とかをよく知らないでしょう?だからこういう煮ものとか食べさせてあげて」とか「手作りのものって、既製品より心がこもっているから、こういうものを持った方がいいわよ」とか。

正直言って、うんざりなのです。確かに娘が小さい頃は、急に熱を出したりしたときや仕事の都合がつかなくてお迎えに行けないときなどに頼らせてもらったことがありました。それは本当に感謝していますし、相応のお礼もしています。お会いした時には、愛想よく接しています。

でも、娘も私も、彼女の押しつけがましさや彼女の正義感に、辟易としているのです。娘も先日、たまたま同級生の男の子と何気ない立ち話をしていたら、彼女にものすごい勢いで怒られたそうで、「近所で会うのが怖い」と言っています。

角が立たないようにいろいろお断りするにはどうしたらいいのでしょうか?夫は「あのおばさん、昔からおせっかいで有名だから、どうにかしようなんて無理だよ」とあきらめています。

【永藤より愛をこめて】

ああ、いらっしゃいますよね……。相談者様の心の内、お察しします。

彼女にしてみれば、もう家族同然親戚同然なのかもしれませんが、こちらにしてみれば赤の他人ですよね。私自身も、自分の心のテリトリーにズカズカ土足で入られたり、頼んでもいないことをされたら、迷惑にこそ思えどありがたいなんてちっとも思えない人間なので、「辟易」「うんざり」がとてもよくわかります。

「角が立たないようにいろいろお断り」は、相手が悪気がない分とても難しいのは確かですよね。どの程度の頻度で会ったり話したりしているのかにもよりますが、少なくとも「いやだな、めんどうだな」という気持ちがあるのであれば、現状よりも物理的な接触を減らしていく努力をした方が、心の平穏に近づけると思います。

この記事の著者・永藤かおるさんのメルマガ

どの口が言うのか?イスラエルとハマスに停戦を呼びかけるプーチンの魂胆

国連安保理でも有効な議論は進まず、出口が見えない状況となっているイスラエルとハマスの紛争。その激化は中東地区のみならず、国際秩序再編のトリガーになるとの見方もあるようです。今回のメルマガ『最後の調停官 島田久仁彦の『無敵の交渉・コミュニケーション術』』では元国連紛争調停官の島田さんが、そう判断せざるを得ない理由を、現段階で同時進行的に4つの国際紛争の調停・予防調停に当たっている専門家目線で解説。さらに混乱の国際情勢の中で、日本政府が果たすべき役割を考察しています。

【関連】イランではない。戦争中のプーチンがハマスに「武器弾薬支援」をした“真の思惑”

開け放たれたパンドラの箱。ハマスの蛮行が世界にもたらす大混乱

“Let me state that there is no peace with arms, no peace under oppression.

No fraternity without equality.

My wish is a comradeship of all human-kind.”

(「言わせてください。武力による平和などありません。抑圧の下での平和などありません。

平等なき友愛はありません。

私の願いは、すべての人類が友情で結ばれることなのです」)

これはセネガルの初代大統領で、非常に著名な詩人であるレオポール・セダール・サンゴール氏の言葉です。

サンゴール大統領は1960年から1980年まで20年にわたり、セネガルの大統領を務め、セネガルの統治の基礎を作り上げました。2001年にお亡くなりになっていますが、世界が分断に苦しみ、世界至る所で不条理な戦争が勃発する危険性と懸念を見据えていたのではないかと、今、私は感じざるを得ません。

現在、4つの国際紛争を同時進行的に調停・予防調停を進めていますが、それぞれのケースを深く分析し、解決策を模索する中で、サンゴール大統領の言葉に大きく頷いている自分がいます。

お気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、実は今週のこのコーナーのタイトルは、先週号と同じものになっていますが、私の中では1週間経った今、さらにこの“開いてしまったパンドラの箱”という表現が妙に、悲しいことにしっくりと来ています。

10月7日にハマスによる奇襲攻撃によって始まったイスラエルとハマスの終わりなき戦いでは、僅か2週間弱の間に少なくとも双方で7,000名以上が命を落とし、その内、約3,000人が子供という悲惨な状況です。

国際社会からの非難と圧力を受けて、イスラエルはまだ地上作戦を全面的に開始しておらず、またラファ検問所を通じた人道支援物資のガザ地区への搬入がやっと始まっていますが、飲み水は全市民の1日分にしかならず、決して十分とは言えません。

そして何よりも、ハマスに横流しされることを恐れて、イスラエルは生命維持に必要なものであったとしても、ガザ地区への燃料の搬入は許可していないのが現状です。

イスラエルとしてはハマスに一斉攻撃を受けてメンツをつぶされたことのみならず、1,500人に上る死者を出し、外国人を含む200人以上がまだハマスによって人質に取られ、人間の盾状態になっていることから、振り上げてしまった拳を下すきっかけを失い、ネタニエフ首相の政治的な責任問題と相まって、“ハマス壊滅”をゴールに掲げている以上、なかなか妥協はできないのが現状のようです。

イスラエルにべったりなイメージがかつてないほど強まったアメリカ政府も、ついにイスラエル政府に対して人道支援のための“戦闘の一時中断”を要請していますが、イスラエル政府はこれには耳を貸していない(貸せない)状況です。

この記事の著者・島田久仁彦さんのメルマガ